等々力不動本堂内。
 小蒔達は困惑していた。
 救出目標である葵は見つかった、それはいい。しかし葵は小蒔達を拒んだのだ。
 訳が分からない小蒔達に、葵は自分が聞かされた話を語った。
 自分が菩薩眼であること、そしてそれを巡る争いの歴史。いずれ自分の《力》が仲間を傷つける事になる。だから自分の事は忘れろ、自分は皆とは生きられない――葵はそう言ったのだ。
 誰も何も言えず、ただ時間だけが過ぎて行く。
「お、おい。まだ無理をするな」
「大丈夫……歩ける」
 そこへ、外にいた醍醐達が中に入って来た。そして、現状を打開しうる人物も。
 だが、他の仲間達も言葉を失った。立って歩けるのが不思議なくらいの傷を負った龍麻の姿を見て。周りの反応を気にせずに龍麻は進む。その進路上にいた仲間達が慌てて道を空けた。
「た……龍麻くん……!?」
 目の前に現れた龍麻を見て、他の仲間達同様に驚く葵。一方、龍麻は無表情で、座り込んでいる葵を見下ろしている。
「あ、あの……早く手当を――」
「いい」
 龍麻の傷を癒そうとした葵だったが、それを冷たい声が遮った。差し出しかけた手が止まる。
「今の葵さんに、それをしてもらう理由はないから」
 龍麻の態度、そしてその場の空気がおかしい事に京一達――屋外残留組は気付いたが、話を聞いていないために事情が全く分からない。
「葵さん」
「はっ、はい……」
「昨日、葵さんは言ったよね? もしも自分がいなくなったらどうするか、って。その時、僕は何て答えた?」
「……状況による、って……」
 説教を食らう子供のように、葵は項垂れ、答える。
「黙って出て行ったらどうするって言った?」
「捜しだして、問い質す……」
 口調は変わらない。しかし、問いには答えなくてはならない、そんな威圧感があった。
「菩薩眼の話は九角から聞いた。その意味も、九角家の歴史、血筋についても。それから……何故、何も言わずに出て行ったのか、九角に何を言われたのかも」
 九角に聞かされ、皆に話した事を、そして伏せておいた事を龍麻は全て知っている。
 菩薩眼が、自分がどれだけ危険なのかも。自分に九角と同じ血が流れている事も――
「だから……私はみんなとは一緒にいられない……」
 消え入りそうな葵の声。未だに事情が飲み込めない京一達は、手近にいた小蒔にそれを尋ねている。そんな中で
「7月1日。旧校舎で、僕は葵さんにこう言ったね」
 その言葉に、葵の身体が跳ねた。葵だけではない。その日に何があったのかを知っている仲間の何人かが一斉に反応し
「もう誰も僕のせいで傷つけたくない。誰も殺したくない。仲間を殺すくらいなら、いっそ自分が死んでしまった方がいい。その時、葵さんは僕に何て言った?」
 次の一言で目を見開いた。あの時、何故龍麻が旧校舎にいたのか。葵、そして醍醐以外には誰も知らなかった事を自ら晒したことになるのだ。だが、今の龍麻にはそんな事はどうでも良かった。
「葵さんはこれからも多くの人を救える人だから。僕達の大切な友達――仲間だから。僕達には葵さんが必要なんだ」
 葵が自分に言った言葉を、龍麻はそのまま返す。
「鬼道衆との決着もついた。葵さんの大切な人を脅かすものは、もう存在しない」
「……」
「一番危険な僕が、こうして皆と一緒にいられるんだ。葵さんなら全然問題ないし」
「で、でも……」
「菩薩眼かどうかなんて関係ない。葵さんは葵さんだよ」
「わた……し……」
「私は? 何?」
 ここで初めて龍麻の声が優しくなった。葵が仲間の元を去った要因、そして一緒にいられないと思った理由。その全てを取り除いた上で、龍麻はしゃがみ込み、正面から葵を見て問いかける。
「葵さんは、本当はどうしたいの?」
「……みんなと離れたくない――」
 流れ落ちる涙で床を濡らしつつ、ようやく葵は本音を吐き出した。
「龍麻くんとも……離れるのは嫌……。でも、みんなに迷惑が――」
「はい、そこまで」
 そんな葵を龍麻は優しく抱き寄せる。
「そんな風に思う人は、仲間の中には誰もいない。だから、何の心配も要らないよ」
「そうだぜ美里。大体の事情は聞いたが、お前が俺達の前から消える必要なんてねぇ。俺達がついてる」
 進み出た京一がそう言って、龍麻に目を向ける。
「何より、ひーちゃんがな」
「心配しなくてもいいよ。葵は一人じゃないんだから。これからも、ボク達がずっと一緒にいるよ」
 続く小蒔の言葉に皆も頷く。
「大体だな、一番無茶したり、心配掛けたりする筆頭はひーちゃんだぜ?」
「そうだよ。人ひとり助けるためとは言え、腕一本犠牲にしたり……」
「元は人間だっていう化け物を、自分一人だけで片付けようとしたりな」
「自分が《暴走》した時には殺してくれなどとも言うし」
 京一、藤咲、雨紋、如月が次々に龍麻に目を向け、言い放った。
「「「「「それに比べりゃ、全然マシ」」」」」
 何人か蚊帳の外がいるが、そこでどっと笑いが起こる。しかし――
「ちょっと待て……」
 紫暮の言葉で、それが止まった。
「どうも俺の気のせいでなければ、重要な事を聞き流しているのだが」
「「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」」
「旧校舎云々っていうのは、品川の事件の後のことだと思うが……あの時の龍麻の記憶はなかったんじゃないのか?」
「そう言えば……如月サン。《暴走》した龍麻サンを殺すとか何とか……どういうことだ?」
 続く雨紋の疑問に、再び龍麻に注目が集まった。これでもかと冷たい視線。
「説明してもらおうか? ひーちゃんに如月」
「それと、葵もだね。……ところで醍醐、どうして目を逸らすのさ?」
 龍麻は苦笑しつつ溜息をつき、龍麻から身体を離した葵はおろおろしている。余計な事を言ったと如月も頭を抱えていた。醍醐は藤咲の指摘に顔色を変える。
「……あんたも、何か知ってたみたいねぇ」
「そ、それよりだな!龍麻の治療の方が先ではないか!?」
「そ、そうだな。龍麻は重傷だ。美里さん、高見沢さん、何をやってるんだ?」
 話を逸らそうと、醍醐と如月が狼狽えながらもそれを指摘した。
 確かに、優先順位があるとすればそれしかない。治癒係二人が、慌てて《力》を解放する。
 外に異変を感じたのは、そんな時だった。

「な、何だよこの《氣》は!?」
 本堂へ近付いてくる巨大な《氣》に、冷や汗を浮かべながら雪乃が叫ぶ。
「……九角……!」
「んだとぉっ!?」
 覚えのある《氣》に龍麻が呟くと、京一も裏返った声を上げた。
 先程龍麻と交戦していた九角の《氣》は自分達よりも強かったが、ここまでのものではなかった。それが先程以上の《氣》を持って近付いてくる。
「と、とにかく外だ!」
 得物を持って、飛び出していく仲間達。龍麻もゆっくりと身を起こす。
「ちょっと、龍麻くん!? まだ無理よ!」
「そうだよぉ! 大人しくしてないと〜!」
 二人の言葉にも耳を貸さず、龍麻は本堂を出た。
 境内は濃い霧が漂っている。しかも、ただの霧ではない。
「すげぇ瘴気だぜ……」
 京一の言う通り、今まで以上の瘴気、《陰氣》がそこに満ちていた。
「くくく……まだ終わっちゃいねぇぜ……」
 姿は見えないが、そこに聞き覚えのある声が響く。紛れもなく九角の声だ。
「とどめを刺さなかったのは失敗だったな、緋勇龍麻……」
「九角……あれを食らって、まだ動けるなんて……」
 激闘の末に放った奥義を食らっても、まだ動ける。いくら最近会得したばかりだといっても、龍麻はあの技に自信があった。それでも、九角は立ったのだ。
「言ったはずだぜ、緋勇。どちらかが死ぬまで終わらねぇってな……」
 ズン……と、重い足音が響く。
「いと憎き、徳川の地よ――いと恨めしき、我が運命(さだめ)よ。我が悲願叶わぬなら、この現世(うつしよ)を我に相応しき、鬼共の這う地獄へと変えるまで」
 足音が近付いてくる。それに伴い、更に周囲の《陰氣》が濃くなっていく。
 そして霧の向こうから、それは現れた。
 変生し、異形に変わった五人衆を上回る巨体。赤い肌。白銀の頭髪、鋭い爪と牙。そして二本の角。
 誰が見てもこう答えるだろう。「鬼」と。
「まさか……自分に外法を……!?」
「その通りよ。さあ、先の続きといこうじゃねぇか、緋勇」
「そこまでして、一体何を望――く、うっ……!」
 傷の癒えていない龍麻が、それでも前に出ようとするが、その前に他の仲間達が立ちはだかった。
「馬鹿言ってるんじゃねぇよ。俺達の大将をそう簡単にやらせるかよ」
「龍麻と戦いたければ、俺達全員を斃してからにするんだな!」
 京一が水龍刀を抜き、紫暮が分裂する。他の者達も武器を構えるが、九角はそんな京一達を歯牙にも掛けなかった。
「雑魚に用はない。俺と戦えるのは緋勇だけだ。ひっこんでろ」
 単純に《氣》の絶対量からして違う。今の九角が桁外れの《力》を持っているのも分かる。だが、退くわけにはいかないのだ。
「その認識、あらためさせてやるぜっ!」
「お、おい! ちっ!」
 先制で雪乃が跳びかかった。無謀な突撃に、急いで紫暮も前に出る。
「落雷閃っ!」
「「弧月蹴っ!」」
 雷《氣》を帯びた雪乃の鬼武が振り下ろされ、二人になった紫暮の蹴りが九角めがけて――
「うざってぇっ!」
「「ぐはっ!?」」
 両腕が無造作に振るわれ、紫暮二人は吹き飛んだ。面白いように転がっていき、木にぶつかってようやく止まる。その時には二重存在も消えていた。何とか身を起こすが、たった一撃で身動きが取れない程のダメージを受けている。その場で紫暮は不動練気法による回復を始めた。
 雪乃の斬撃は九角の右肩を捉えていたが、傷一つ付いていない。驚愕する雪乃をよそに九角の拳が迫る。薙刀の柄で防いだものの、勢いを殺せるはずもなく、紫暮よりも軽い雪乃は、彼以上の速度で弾かれた。
「姉様っ!」
「雪乃っ!」
 雛乃と小蒔の悲鳴にも似た声が響く。本堂の壁に叩きつけられそうになる雪乃。そこへ一つの影が躍り出る。
 ドゴッ!
「痛てて……またかよっ」
「う、雨紋っ!?」
 雪乃を受け止め、そのままクッション代わりになって壁に叩きつけられたのは雨紋だった。雪乃の威力はかなりのものだったらしく、壁にはヒビが入っている。
「な、何て無茶しやがるんだよっ!?」
「一番近かったのがオレ様だったからに決まってるだろ。それよりアンタ、まだ懲りねぇのか? 猪突猛進するなって、あれ程龍麻サンや京一サンに言われただろ!」
 庇われたということに気づき、詰め寄る雪乃だったが、雨紋はそんなセリフを吐く。
「うっ、うるせぇなっ!」
「大体、雪乃サンはだな――!」
「そこの二人っ! 痴話喧嘩は後にしろっ!」
「「誰が痴話喧嘩だっ!?」」
 京一の声に、同時に二人は怒鳴り返した。しかし、言い争いをしている場合ではない。
「どうでもいい! それどころじゃねぇだろうがっ!」
 その通りだった。何しろ、攻撃が通用しないのだ。速さを活かし、如月と京一が何度も斬りかかり、アランとマリィも援護をしているのだが、全く効いた様子はない。
「おい、どうする!?」
「切り札は龍麻だが……今の怪我ではどうしようもない」
 指揮官不在の上、仲間内で現在最強であろう龍麻が戦闘不能ではどうにも分が悪い。しかも九角は龍麻のみを敵と認識しているようだ。
「てめぇらに用はねぇっ!」
 九角の周りが揺らぎ、別のものが現れた。悪意に満ち、苦悶の表情を浮かべた邪霊。九角の《陰氣》に呼び寄せられたのか、かなりの数が漂い始める。
 その中のいくつかが集まり、九角によって《陰氣》の塊と化し、放たれた。狙いは――未だに治療を続けている龍麻!
「体持たぬ精霊の燃える盾よ私達に守護をっ!」
「滝口の儀っ!」
 治癒を中断させた葵が詠唱し、雛乃が弓の弦を掻き鳴らす。二重に張られた《力》の障壁が、九角の一撃を阻んだ。
「美里様と高見沢様は、緋勇さんの治療に専念を!織部の名に懸けて、ここはわたくしがお護り致します!」
 雛乃の言葉に頷き、葵は再び治癒の《力》を放つ。しかし傷の治りがいつもよりも遅い。
「どうしてなのぉ〜!?」
「多分、《陰氣》のせい……」
 《力》が効きづらい事に頭を抱える高見沢に、自分の方も結跏趺坐の体勢で、龍麻が呟いた。
「九角の斬撃には全て《陰氣》が込められてた。ひょっとしたらそれが陽の《氣》による《力》を阻害してるのかも知れない……」
(完治までにはかなり時間が掛かる……)
 そんな余裕はない。なるべく早く戦線に復帰しなければ皆が危ない。
「葵さん、舞子。左足の治癒を最優先で。動けるようになるだけでもいい」
 そう指示して、龍麻は戦況に目を向けた。

 京一達は慌てた。自分達を無視して直接龍麻を攻撃するとは思ってもみなかったのだ。幸い、雛乃が防御に回っているのですぐに危険になる事だけはないようだが。
 それでも九角の攻撃は龍麻優先で、自分達は片手間に相手をされている。
(このままだと、アミーゴが危ない!)
(龍麻お兄ちゃんはマリィの大切な人……それなのにっ!)
 初めて会った時から感じていた不思議な感覚。自分の中に在る何かが龍麻を気に掛ける。それが何故だかは分からない。分からないが、一つだけ確かな事がある。自分にとって、龍麻が大切な存在であること。
 ゴワッ!
 再び九角の放った《陰氣》の衝撃波――鬼鳴念が龍麻を襲う。必死に《力》を制御し、それを受け止める雛乃。
(アミーゴはみんなにとって大切な人)
(龍麻お兄ちゃんが危険な時に、マリィにできる事……)
(僕の中の四神の《力》が……青龍が命じる……!)
(自分が……朱雀が今、為すべき事……!)
『『それは龍麻を護る事っ!』』
 同時に二つの《氣》が膨れ上がった。交戦中の仲間達が、そして九角までもがその動きを止めた。
「このタイミングでか……!?」
「好都合と言えばそうだが……!」
 その正体に気付いた如月と醍醐がそちらに目をやる。そこには予想通りのものがあった。
 アランの姿が変わっていく。その全身に鱗が浮かび上がり、後頭部からは枝分かれした角が生えてくる。
 マリィの身体が炎に包まれた。次の瞬間蕾が開花するように炎が広がり、力強く羽ばたく翼と美しい尾羽となる。
 青龍と朱雀が、ここに覚醒したのだ。
「どうやら、正解だったね」
「ああ……《力》の温存をしておいて良かった」
 一旦九角から離れ、二人も各々の《力》を解放した。
「玄武変っ! うおぉぉぉっ!」
「白虎変っ! はあぁぁぁっ!」
 覚醒を終えた四人が、一斉に動いた。
『デュミナス・レイッ!』
 上空に舞い上がったマリィが両手を突き出す。正面に生まれた小さな炎が見る見るうちに巨大な火球となり、九角に放たれた。
『ファイアッ! フラッシュショットッ!』
 アランの銃口に《氣》が集い、トリガーを引くと同時に眩い光を放つ《氣》弾が撃ち出される。
「ぐわあぁぁっ!?」
 ここで初めて九角が悲鳴を上げた。二人の攻撃が、効いているのだ。
「水流尖の術っ!」
「円空破っ!」
 続く二人の攻撃。吹き上がった水柱が槍となり、九角の強靱な皮膚に突き刺さる。醍醐の放った《氣》の塊が弾け、やはりその肌を傷つけた。
「今の僕たちなら、九角の防御を突き抜けて手傷を負わせる事も可能、か」
 結果に満足し、如月は九角のリアクションを待つ。これでこちらを無視する事はできなくなったはずだ。しかし――
「くくく……なかなかやるじゃねぇか。だが、まだてめぇらじゃ相手にならねぇな」
 そう言うと、九角は手近に漂っていた邪霊を掴み取った。何をするつもりかと皆が警戒する中――
「げ……っ!」
「う、嘘だろ……!?」
 九角はそれを自分の口に押し込んだのだ。邪霊そのものはそれで消滅するらしく、悲鳴を上げている。そして、九角の傷が少しずつ癒えていった。
「な……回復しただとっ!?」
「じゃ、邪霊を食いやがった……」
「ジーザス……」
 境内には無数の邪霊が漂っている。つまり、この全てが九角の傷薬になりうる……。
「おい、如月っ! どうすんだよっ!?」
「く……っ!」
 余りにも絶望的な状況に京一が叫ぶが、如月にも名案は浮かばない。回復の間もなく一気に九角を斃すしか、手はないように思える。そこへ後方からの声。
「京一、雷人、翡翠、兵庫はこっちへ!」
 龍麻に呼ばれた四人が下がる。こうなっては指揮官としての龍麻に期待するしかないのだ。
 その間、場に残った醍醐達は攻撃を続ける。覚醒した四神が参戦している事で、こちらは先程より余裕ができていた。
「ひーちゃん、傷は大丈夫なのか?」
「もうしばらく時間が掛かる。だから、とりあえず思いつく限りの手を今話す。兵庫、もう二重存在は出せる?」
「ああ、同時攻撃ができるくらいには回復した」
「小蒔さん、攻撃は可能?」
 紫暮の状態を確認し、今度は側にいた小蒔に訊ねる。
「……ごめん、矢はなくなっちゃったんだ」
「《氣》の矢は撃てるかな?」
「な、何で知ってるの!?」
 あれは実戦では使っていなかった。今回の対風角戦で初公開だったのだ。もちろん龍麻には見せていない。
「小蒔様。わたくしが緋勇さんに話しました」
 小蒔の疑問に答えたのは雛乃だった。
「特訓中、どうしてもうまくいかなかったので、緋勇さんに相談したのです。お陰でうまくいきましたが……黙っていて申し訳ありませんでした」
 あれが成功したのは雛乃のお陰だ。その雛乃に助言をしたのが龍麻だという。驚きはしたが、小蒔は別に雛乃を責めるつもりはない。
「そういうことなら、別にいいよ。えっと……うん、何とかなると思う」
「分かった。それじゃあ、始めるよ」
 今の京一達にできる全てを、龍麻は説明した。

「亜里沙、ミサちゃん、雪乃さん! 邪霊の掃討っ!」
 自分達の攻撃が通用せず、回避に専念していた女性三人に龍麻の指示が飛んだ。いきなりの事で戸惑う三人だったが、指揮官の命令である。そのまま近くの邪霊を斃し始める。
「いくぞっ!」
 紫暮が走る。正面から九角に向かって。無謀としか思えない行動である。絶対的な力量の差。龍麻と互角に戦った九角が、変生することによって更に強力になったのだ。生半可な事では太刀打ちできようはずがない。
「紫暮、無茶だっ!」
 事情を知らない醍醐が叫ぶが、それは承知の上だった。紫暮は囮なのだから。
「自殺志願者か。ならば、砕け散れっ!」
 九角の剛腕が繰り出された。紫暮は避けようともしない。その拳が紫暮を捉える――前に、かき消えた。
「おおぉぉぉっ!」
 消えた紫暮の背後から、もう一人の紫暮が躍り出る。二重存在を囮にし、攻撃を空振りさせたのだ。
「「円空破っ!」」
 再び二つに分かれた紫暮が円空破を放つ。同時に繰り出された《氣》の塊が九角の鳩尾に叩き込まれた。同じ場所に集中して攻撃を受け、さすがの九角も身を僅かに屈める。
 ドッ!
「ぎゃあぁぁっ!?」
 そこへ小蒔の放った光条が突き立った。場所は――九角の左目。
「次っ!」
「落雷閃っ!」
「でりゃあぁぁぁぁっ!」
 目を押さえて動きを止める九角に、二つの影が続いて飛び込む。雨紋と京一だ。雷《氣》を纏った槍が、水《氣》を宿した白刃が、九角の両足、その甲に突き立った。ただでさえ頑丈な上に《陰氣》によって保護されていたそれを貫き、各々の武器が九角をその場に繋ぎ止める。
「もう一つ、おまけだっ!」
 槍を手放し、後ろに跳び退く雨紋。その身体を雷《氣》が取り巻く。
「京一っ!」
 同じく京一も水龍刀を離した。そこへ横手から聞こえる藤咲の声、そして風を切って向かってくる何か。そちらを見もせずに京一はそれを受け取った。童子切安綱――九角が使っていた刀だ。杖代わりにして龍麻が放って置いたものを、それに気付いた藤咲が鞭を使って絡め取り、京一の方へと放ったのである。
「さすが亜里沙……よく分かってんじゃねぇか」
 ニヤリと笑い、京一は練れる限りの《氣》を解放し、刀身に込めた。《氣》を纏った刃が蒼く輝く。
「ライトニング・ボルトォッ!」
「陽炎細雪ぃっ!」
 雷撃が右腕を貫き、冷《氣》の刃は左腕を深々と斬り裂いていた。
 息つく間もない連続攻撃はまだ続く。京一と雨紋がその場から離れると、四神の四人が九角を取り囲み、《氣》を解放した。
「東に、小陽青龍!」
「南に、老陽朱雀!」
「西に、小陰白虎!」
「北に、老陰玄武!」
 青、赤、白、黒。《氣》とはまた違った色の光が放たれ、四人の《氣》が絡み合う。誰の目から見ても強大な《氣》の渦。
「「「「陰陽五行の印もって、相応の地の理を示さん! 四神方陣っ!!」」」」
 《氣》の爆発――そう言えばいいのだろうか。今まで仲間が使用した方陣技のどれよりも強い《力》が、九角と邪霊を呑み込んでいった。
「ど……どうだ……っ!?」
 初めての方陣技。息を切らせながら醍醐は土煙の向こうに意識を向ける。アラン、マリィは初めて四神覚醒をしたせいで消耗が激しいのか、すでに普通の状態に戻っていた。
「いくらあの九角とは言え……あの攻撃で斃せないはずは……!」
 言いかけた如月だったが、煙の向こうに浮かぶ影を認め、それ以上口にできなかった。
「くくく……残念だったな……」
 続いて聞こえる声。そして九角は姿を見せた。かなりの傷を負わせたものの、四神の、それも覚醒した状態での方陣技にも、九角は耐えていたのだ。
「ば、馬鹿な……!」
「ソ、ソンナ……」
「ウソだろ……」
 絶望の声があちこちで聞こえる。四神組は言うに及ばず、京一、雨紋、紫暮も先の攻撃でほとんどの力を使いきっていた。他の者達の攻撃では、九角に決定打は与えられない。
 もはや、手は残っていない。誰もがそう思った時。
「はぁぁぁっ!」
「ぐはっ!?」
 今まで参戦していなかった男が飛び出し、発剄を放った。重傷を負っていた龍麻だ。
 その姿を見て、仲間達は敵の存在を忘れて葵と高見沢に目を向けた。龍麻の傷はとてもじゃないが、そう簡単に完治するものではなかった。例え、強力な治癒術の使い手が二人がかりで癒したのだとしても。事実、治癒術の効果が弱く、回復に余計時間を掛けている。
 その仲間の不安を肯定するかのように、二人は暗い表情のまま、首を横に振る。
 ――まだ、治癒は不完全。
「馬鹿野郎っ! もう少しくらい大人しくしてろっ!」
 京一の罵声が飛ぶ。それを無視して龍麻は叫んだ。
「九角の周りにいる人は、急いでその場から退避っ!」
 自然体で、九角の腕の間合いの外に立ち、龍麻は《氣》を放つ。身体のダメージを思わせない程の《氣》が、瞬時に龍麻を包み込んだ。
(まだだ……まだ足りない……!)
 これだけの《氣》なら、秘拳・鳳凰は撃てる。だが、それでは駄目なのだ。
(人間の状態でも、九角は鳳凰に耐えた……なら、いくら弱っているとは言え、今の九角への決定打にはならない。もっと大きな《氣》を……鳳凰以上の威力でないと……!)
 正直、自分が知っている技は秘拳・鳳凰が最高位だった。今の龍麻にこれ以上の技はない。ならば、純粋に鳳凰以上の《氣》を叩き込むしか手は残っていない。
(他のみんなも限界だ……四神組も消耗が激しい……これ以上削り合ったら負ける……!)
 身体を巡る《氣》の流れを変えることなく、今以上の《氣》を練り上げていく。無理にでも引き出すことも可能だが、それをやるとただでさえ損傷している身体の方が保たない。
(もっと……もっと強い《力》を……みんなを護るための《力》を……!)
 龍麻はより強い《力》を望んだ。今までの闘いに終止符を打つための《力》を。
 ――目醒めよ
 その時、頭の中に声が響いた。それは今までに何度か聞いた声。新たな《力》を得る度に聞いた声だった。
(……構わない、今以上に人間離れしても。後悔はしない……僕の大切なものを護るためならっ!)
「な、何だ、あれは……?」
 仲間の誰かが呟いた。しかし返事はない。その場にいた仲間の全てが、その光景に目を奪われる。
 龍麻の《氣》が変化したのだ。蒼の光は既にない。が、それは忌むべき《陰氣》でもなかった。金色の《氣》が龍麻を包んでいる。既に先程の《氣》をはるかに凌駕していた。
(こ……これは一体?)
(アミーゴの《氣》が……いや、その存在が……)
(今まで以上に強く感じられる……どうして……?)
(これが龍麻の《力》なのか……? まさか彼は……)
 醍醐達は龍麻から目を離せなかった。彼の放つ《氣》の威圧感。それはこの場にいる皆に共通のものだが、四神組にはそれ以外のものが感じられたのだ。
 偉大な主たる者に対する畏敬の念。そして、その者を護らなければならないという義務感。
 四神の中で、如月だけがその理由に思い当たる。ただ、それは突拍子もないものだった。
 その間にも龍麻の《氣》は膨らんでいく。
(これは……何?)
 龍麻を見ながら、葵もまた不思議な感覚に囚われていた。それが何であるのかは分からないが、葵は自分の《力》がそれと引き合っているように感じる。
(菩薩眼の《力》と……今の龍麻くんの《力》……何か関係があるの? それにこの《氣》は龍麻くんのものだけじゃない。どこかから流れてくる――)
 そう認識した瞬間、葵にはそれが視えた。
 龍麻の《氣》、そして、その龍麻に流れ込む《氣》が。周りにいる者達の《氣》ではない。もっと大きな何かから引き出しているような――
「駄目――っ!」
「あ、葵?」
「美里様?」
 いきなりその場で声を上げた葵に、側にいた小蒔と雛乃が目を向ける。それに構わず、葵は叫んだ。
「龍麻くんっ! それ以上龍脈から《氣》を引き出しては駄目っ! 今の龍麻くんの身体じゃ、その負荷に耐えられないっ!」
 その言葉に反応した者が三人いた。
(うふふ〜。ということは〜)
(龍脈から《氣》を引き出す存在(もの)……!?まさか緋勇さんは!)
(や、やはり彼がそうなのか――!?)
 葵の声が届いたのかどうかは分からない。だが龍麻の《氣》はそれ以上は大きくならなかった。やがて立ち上る《氣》が動き始め、流れるように龍麻を取り巻く。次第にそれは濃くなり、気付いた時にはある姿を成した。
 光り輝く金色(こんじき)の龍――
(((黄龍――!)))
 ゆっくりと龍麻が両手を前に突き出す。龍が動いて腕に巻き付き、その頭を手の上で止めた。
「ひ、緋勇ぅぅぅぅぅっ!」
「おぉぉぉぉぉぉっ!」
 開かれた顎から放たれる閃光。それは一瞬にして九角を呑み込んだのだった。

 光が消え去った時には、そこには何も残ってはいなかった。九角の姿はどこにもなく、その足に突き立っていたはずである京一の水龍刀と雨紋のゲイボルクが修復不能なくらいボロボロになっている。《陰氣》は完全に消え去り、境内は日の光に照らされていた。
「太陽が見えるってことは……結界が無くなったって事だよな」
 空を見上げる雨紋。結界内で見た曇天ではない。雲一つ無い青空。全くなかったはずの鳥の声も戻っていた。
「結界を張っていたのは九角。その姿もなく、結界は消えた。つまり……」
「九角を斃した、ということだ」
 紫暮に次いで醍醐が確認の意味で口を開く。
「終わったな……長い鬼道衆との闘いが……」
 感慨深げに京一が呟いた。その思いは皆同じであったろう。
 喜びに沸く仲間達。そんな中で、龍麻は同じ場所に立ち尽くしている。それに気付いた葵が龍麻に近付いた。
「龍麻くん?」
「葵さん……」
 一瞬だけそちらに向き、すぐに顔を逸らしたが、葵はそれを見逃さなかった。龍麻の頬を伝う涙を。何故泣いているのか、その理由までは分からなかったが。
「……終わったよ」
「ええ……」
「これで、みんな日常に戻れ――」
「おい、ひーちゃん!」
 京一の呼ぶ声が龍麻の言葉を遮った。悟られまいと涙を拭い、そちらを向く龍麻。
「どうしたの?」
「お前、大丈夫なのかよ?」
「何が?」
「何が、って……あんだけの《氣》を放ったんだぜ? 身体、何ともないのか?」
 呆れつつも気を取り直し、再度確認する京一に、龍麻は一言。
「体中が痛い」
「当たり前だよぉ。まだ、治療は済んでないん――あ〜っ!」
 治療を再開しようとした高見沢が、大声を上げた。何事かと他の仲間もそちらを見る。
「ひーちゃん、また怪我してる〜っ!」
「龍麻くん……さっきの傷が開いてるわよ!それに怪我が増えてるじゃない!」
 葵の指摘に身体を見ると、確かに一度は塞がっていた傷が開いている。それに、いつの間にやら両腕から出血していた。
「……いつの間に?」
「そんなのんきな事っ! 早く治さないと!」
「ひ〜ちゃん、たくさん血を流したから〜下手すると倒れちゃうよぉ〜?」
 龍麻を座らせ、治癒を再開する葵と高見沢。二人の温かい《氣》が龍麻を包み込む。
「さって、と。ひーちゃんの治療が終わったら、さっさと帰ろうぜ。パーッといきてぇけど、今日はクタクタだ」
「「「「「「「「「「「同感」」」」」」」」」」」
 京一の言葉に皆が口を揃えて頷き、そして顔を見合わせると誰からともなく笑い始めた。



 今まで多くの血が流れ、多くの者が傷つき、失われた。その闘いの一つが、ようやく終わった。平和が訪れた事、日常が戻ってきた事を喜び合う龍麻達。
 これで全てが終わったわけではない。だが、今は彼らに一時の安らぎを。
 再び《宿星》の輪が動き始めるその時まで。



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