9月18日。緋勇家。
18時12分。
「……こ、これは何だ!?」
醍醐雄矢はあるモノに目を奪われた。某霊獣が描かれているラベルが貼り付けてある瓶。それが入ったプラスチック製の黄色い箱が積まれている。
「あ、雄矢。早かったね」
「た、龍麻。これは一体……?」
「これ? ああ、ちょうど良かった。雄矢も手伝ってよ」
家主はそう言って、ビールの箱を持ち上げる。
「どうしてこんなものがあるんだ!?」
「だって……祝勝会だよ? ないと始まらないじゃないか」
以前、話題になった事がある。旧校舎で入手した武具類の売却金、直接入手したお金。それで宴会でもしてみないかと提案したのは京一だ。今はそんな余裕がないから一連の事件が解決したらそうしよう、その時はそう言った。等々力不動での決戦で九角天童を斃し、それが成ったのが一昨日の話。
そういうわけで、本日決行となったのだが。
「だからと言って、俺達が酒を飲んでいいはずがないだろう! 俺達はまだ高校生だぞ!?」
と、常識人の醍醐は顔をしかめる。まあ、これはいつもの事なのだが
「ひょっとしてさ、雄矢」
「な、なんだ……?」
ずい、っと顔を近づける龍麻に醍醐がたじろく。そして
「下戸?」
かねてからの予想を口にすると、ぴた、とその身体が止まった。やっぱり、と龍麻は納得している。
「そりゃあ、頑なに拒みたくもなるよね」
「べ、別にそういう事ではなくてだな!俺は――!」
「まあ、僕みたいに特殊な場合は別として、この年代なら普通はそういうのに興味持って当然だし」
「だから、そうではなくて……」
「でも、そんなことだと大変だよね。雄矢、体育会系だし。上の人に勧められたら断れないでしょ」
「いや……だから……」
「そういう時のために慣れとこうね、今から。ほらほら、手伝って」
にっこり笑って龍麻はケースを家に持ち込む。
結局、それ以上の反論は醍醐にはできなかった。
緋勇家道場。18時45分
折り畳み式のテーブルが組まれ、その上に料理が並ぶ。もちろん、全て龍麻のお手製だった。
「「「はぁ……」」」
それを見た仲間達は一様に溜息をついた。特に、龍麻の料理を初めて見る織部姉妹とマリィなどは、呆然としている。
「これは……すごいですね、姉様」
「龍麻くん、ホントに男か……?」
素直に感心している雛乃と、失礼な事を言う雪乃。幸い、龍麻の耳には届いていないようだ。
「葵オネェチャン。コレ、龍麻オニイチャンガ作ッタノ?」
「ええ、そうよ」
「龍麻オニイチャンッテ、ナンデモデキルンダネ」
「それは買い被りすぎだよ、マリィ」
尊敬の眼差しを向ける金髪の少女に、龍麻は照れつつもそう言った。
「ただ慣れてるだけ。マリィだって、これくらいできるようになるよ」
「ソウカナ?」
「うん。継続は力なり、ってね」
「……ケイゾク……?」
「ああ、何でも続けていれば上手になるってこと。京一、悪いけどそろそろ風呂場からビール持って来て」
言い直してマリィの頭を撫でながら、京一に指示を出す。
「そりゃ構わねぇけどケース一つでいいか?」
「いや、二つ。追加分、沈めといてね」
「了解。おい、雨紋。手伝ってくれねぇか?」
「おう」
二人が道場を出ていく。そこへ小蒔が疑問を口にした。
「ねぇ、ひーちゃん。どうしてお風呂なの?」
「冷蔵庫に入りきらないからね。湯船に水張って、氷を浮かせてる」
「その氷って、ひょっとして雪蓮掌?」
「わざわざ冷凍庫で作ったり、買ったりすると思う?」
「思わない」
よくもまあ、そんな使い方を思いつくものだと半ば感心し、半ば呆れる小蒔。冷《氣》で涼んだり、炎《氣》を照明にする男だ。今更、何をしても驚く事はないだろう。ひーちゃんだし、で納得できそうな気がする。
「でもさ、そんなにお風呂って大きいの?」
「林間学校とかの浴場くらいかな? もともと、この家ってそういう施設だったみたいだし」
龍麻が鳴瀧から譲り受けたこの家は、元は拳武館の道場である。合宿所としても使われたらしく、風呂やトイレは団体用になっていた。
「龍麻、悪いけど冷蔵庫貸してくれない?」
そこへ藤咲が高見沢とやって来る。両手には買い物袋を提げていた。
「別にいいけど。それ、何?」
「龍麻の事だから、ビールと日本酒しか用意してないでしょ? ワイン、カクテル、サワー系を仕入れてきたんだけど」
「それなら、風呂場へ持っていって。ビール冷やしてるから。代金は後で払うからレシートよろしく」
「風呂? まあいいわ。舞子、行くよ」
「待って〜亜里沙ちゃん〜。これ重いよぉ」
騒ぐ高見沢をなだめながら、藤咲は道場から姿を消した。
「さて、と。他の料理持ってこようか」
「あ、龍麻くん。私達も何か手伝うわ」
「ええ。龍麻さんにばかり準備をさせるわけには……」
葵と雛乃がそう申し出る。料理や飲み物の準備なども含めて、今回は全て龍麻が仕切っているのだ。
「いや、いいよ。そう多くはないし。来賓の方々はごゆっくり」
優雅に一礼して、龍麻は準備のために出て行った。
「しっかし、龍麻くんもタフだよなぁ」
それを見送りながら、雪乃。
「あんだけ大怪我して、もう平気な顔してるんだもんな。さすが仲間内最強だぜ」
「そうだな。美里や高見沢に治療してもらったとは言え、俺達はまだ疲労が残っているし、怪我だって完治していないのだが」
続いて紫暮も腕組みなどして頷いている。
確かに、外見上はそう見える。しかし、龍麻の身体は皆が言う程無事ではない。それを知っている者は、本人を含めてわずか四人だった。
19時23分。
「さて、と。始めようぜ、ひーちゃん」
仲間全員が集まり、席に着く。京一の言葉に龍麻が頷くと、近くの者がビールの栓を抜き、仲間のグラスに注ぐ。ちなみにマリィは当然の事ながらジュースである。
「……」
「ほら、雄矢」
苦虫を噛み潰したような表情の醍醐に、龍麻は瓶を傾けた。渋々ながら醍醐がグラスを出す。
(心配しなくても、手は打ったから)
グラスを満たしながら、龍麻はそう囁いた。醍醐が眉間に皺を寄せる。
(何をしたんだ?)
(これはビールじゃない。ただ、そう見せかけるために色々混ぜたから、味は保証できないけど。まあ、他の人に勧められたらその時は諦めてね)
(う、うむ……)
酒ではないという事には安心するが、一体どんな味がするのか……あの口調では味見などしていないだろう。別の意味で醍醐は不安になった。
「よっし、行き渡ったな。それじゃ、ひーちゃんから一言」
京一の指名で、龍麻はグラスを持って席を立つ。
「えっと……とりあえず、ご苦労様でいいのかな。鬼道衆は頭目を失って壊滅。今まで起きた一連の事件も全て終わった。色々と辛いこと、苦しいことがあったけど、今みんながこうして無事でいることが何よりも嬉しい」
皆は黙って話を聞いている。仲間になってから長い者達、日が浅い者達。それぞれだが、今までの出来事を思い返しているようだ。
「あんまり、小難しく言うのも性に合わないから、この辺で。今日は、思う存分楽しんで欲しい。それじゃあ、乾杯!」
「「「「「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」」」」」
龍麻の音頭でグラスを鳴らし、宴会は始まった。
「ぷはあぁぁっ! ちと時期は過ぎたが、冷えたビールが五臓六腑に染み渡るねぇっ!」
「京一、おっさん臭いよ、それ」
「いいじゃねぇか別に。ほれ、ひーちゃん」
既に空になっているグラスに、京一がビールを注ぐ。それを龍麻は一気に飲み干した。
「ほう、やるねぇ」
「年季が違うからね。さ、注いだからには返杯を受けてもらうよ」
「へへっ、どんと来い。……お、醍醐。どうしたんだよ?」
「……まずい」
グラスの中の液体を一口して、心底まずそうに言う醍醐。
「まだまだだな、醍醐」
言いつつ京一は自分のグラスを空にして、別の仲間へと向かう。
「龍麻、これは何だ?」
「ソーダと烏龍茶にパイナップルか何かのジュースを混ぜた」
「……とんでもないものを作ったな」
「じゃあ、本物いく?」
醍醐用の瓶をどけて、ビール瓶を差し出す龍麻に、醍醐は手を振ってそれを断った。やれやれ、と龍麻が肩をすくめて見せる。
「でも、大変だねぇ。小蒔さんの家、酒屋さんなのに」
「な、何でいきなりそういう話になるっ!?」
「それって不利な気がするよ、雄矢」
酔ってもいないのに醍醐は真っ赤だ。そこへ
「べ、別に俺は――!」
「ボクの家がどうしたの?」
と、突然背後から小蒔の声。真っ赤な上に、醍醐は固まってしまった。
「あ、小蒔さん。どう、一杯?」
「うん。でも、ひーちゃんってお酒強いんだねぇ」
ビールを注いでもらいながら小蒔。
「やっぱり、家族で飲んでたから?」
「まあ、そうだね。ビールじゃなくて、日本酒がメインだったけど」
「へぇ。あ、醍醐クンも」
「す、すまんが……今はいい。飲み慣れてないから、ペースを崩すと迷惑をかけてしまう」
勧める小蒔に、復活した醍醐がもっともらしい事を言って断る。それじゃ仕方ないよね、と納得して小蒔は離れた。
「うまく逃げたね、雄矢」
「……うるさい」
「でも、酔った後じゃ今のは使えないよ。さて、僕も皆のところを回ってこようかな」
空になった瓶を隅に置いて、龍麻は立ち上がった。まずは高見沢と藤咲のいる場所に向かう。それに気付いた二人が顔を上げた。
「受けてもらえる?」
「もちろんよ、ねぇ舞子?」
「もっちろ〜ん!」
瓶を片手に問う龍麻に、答える二人。酒が入っていてもいなくても、高見沢は相変わらずのような気がする。
「あ、そうそう龍麻。麗司が目を覚ましたんだけど……知ってるわよね?」
「うん、知ってる」
今朝の夢で嵯峨野には会った。そろそろ起きる事にする、と言っていたのを思い出す。
「ずっと寝てたからぁ、少しの間リハビリが必要だけどね〜」
「でもさ、分からないのよね」
なみなみと注がれたビールを、半分程に減らして藤咲。
「この間もちょくちょく会ってたって言ってたけど、何してたわけ?」
「起きた時のための訓練、かな」
夢の世界で何をしていたのかというと、訓練なのだ。いじめられていた嵯峨野が現実世界に復帰しても、再びその標的になる可能性は高い。その時のために、合気の稽古をしていたのだ。もともと筋力を必要としないものだし、体を動かすイメージがしっかりしていれば、すぐにでも役に立つ。
現実世界での《力》の行使もできるようだが、いじめに関してはそれに頼らないと、嵯峨野は堅く心に誓っていた。
「ってことで、手助けしてたんだ」
「へぇ。そうだったの。でもさ、九角が葵に夢を見せてたってのはどうして気付いたの? まさか、覗いてたわけじゃないんでしょ?」
「ああ、それ? どうも、悪夢とか《力》による精神干渉とかが分かるみたいだよ。で、そこへ行ってみたら九角がいた、と」
「そう言えば、将来はカウンセリングみたいな事をやってみたいって言ってたよ〜。あの《力》だったら、そういうのに向いてると思うな〜」
と高見沢。本人も気付かない無意識下の願望や悩み、そういったものを直接目にする事ができる嵯峨野の《力》は、確かにそちらの方面には有効な気がする。
嵯峨野が目標を持ち、自分の意志で目を覚ましたことが、龍麻には嬉しかった。
「まあ、後は麗司次第ね。もう二度と道を間違える事はないだろうけど。さて、そろそろビール以外が欲しいわね。舞子、取ってくるわよ」
「は〜い♪」
注がれた分は片付けて、二人は来た時のように出て行く。そこへ裏密がやって来た。
「うふふ〜。ひーちゃん元気ぃ〜?」
「おかげさまで」
「でも〜、すごかったわね〜」
側にあった瓶を手に取り、裏密は笑う。
「あの時のひーちゃんの《氣》〜。どうやったの〜?」
「あの時、って変生した九角を斃した時?……よく覚えてないんだよね」
ビールを注いでもらいながら龍麻は困ったように答える。あの時声が聞こえて、気が付くと強大な《氣》を纏っていた。ただ、その後の事は曖昧だ。《氣》を放った覚えはある。しかし、その過程、そしてどのように九角を斃したのかは思い出せないでいた。自分が斃したという自覚だけはあったが。まるで《防衛暴走》の時のようだ。
「あの時さ、僕どうなってたの?」
「さあ〜。分からないから訊いたの〜」
(やっぱり不安はあるようね〜。余計な事は言わない方がいいみたい〜)
眼鏡を光らせながら、裏密ははぐらかした。そのままじゃあね〜、と移動してしまう。
何だかよく分からなかったが、気を取り直して龍麻は次へ向かう。
「よお、龍麻」
「お、龍麻サン」
紫暮と雨紋がビールを片手に料理をつまんでいた。
「あ、兵庫は飲むんだね」
「ん? 何がだ?」
「お酒。うちの武道家は未成年が云々とか、健全な肉体がどうこうとか言ってたから」
そう言うと、紫暮は豪快に笑い出した。
「あの男らしいな。うちは兄がいたりするんでな。付き合わされる事もある」
「雷人もそこそこ飲むんでしょ?」
「まぁな。ライブの打ち上げとかになると飲む事もあるぜ」
答えて、雨紋は皿に取った料理を龍麻に差し出す。
「オレ様達に遠慮しないで、作った本人もしっかり食わないとな」
「ああ、ありがとう。でも、少し足りなかったかな?」
テーブルの上を見て、龍麻が呟く。かなりの量があったはずだが、半分近くは仲間の胃に収まっていた。
「まあ、最初だけだろう。酒が入ると段々と食欲は落ちるからな」
「HAHAHA! アミーゴ、楽しんでマースか?」
そこへラテン系が乱入してくる。この男も、酔っているかどうかを判断するのは難しい。
「アランは楽しんでる?」
「Yes! 料理もオイシイし、Happyネッ! HAHAHAッ!」
やはり、酔っているのかも知れない。
「ところでアミーゴ」
「ん?」
互いのグラスにビールを注いでいると、アランが訊いてくる。
『葵とはどうなったんだ?』
『どうなった、って?』
『等々力で告白したのに、何の進展もなしか?』
ブッ!
いきなりの発言に、口に含んだビールを吹き出す龍麻。さすがに顔は背けたので、アランに直撃する事はなかったが。
『だ、誰がいつ告白したって!?』
『僕には葵が必要だ、って言ったじゃないか』
『僕達には、って言ったんだよ!』
『何を今更。そろそろ自分に正直になって、葵を安心させてやったらどうだ?』
『敗北を認めるわけ?』
『なんだ、まだ邪魔して欲しいのか?』
かみつく龍麻とにやにや笑っているアラン。なおも言い合う二人を見ながら、雨紋は隣の男に声をかけた。
「なあ、紫暮サン」
「何だ?」
「龍麻サンが英語喋ってるように聞こえるのはオレ様の気のせいか?」
「いや……俺にも聞こえる」
龍麻が英語を喋れる事実を知っているのは、江戸川の事件に関わった者と、マリィだけだ。だから困惑しているのだが
「どうやら、酒が回ったらしいな」
「みたいだな。……ま、いいか。飲み直そうぜ、紫暮サン」
「そうするか」
と結論づけ、口論を肴に再度グラスを傾ける二人であった。
19時35分。
「やあ、龍麻」
「あ、翡翠……どう?」
ようやくアランから解放され、ぐったりしている龍麻の所に如月がやって来た。
新たに持って来た冷酒を持ち上げて見せる。頷いて、如月は側に座った。
「で、楽しんでる?」
「ああ。たまにはこうして騒ぐのもいいものだね」
注がれた冷酒を一口して、答える。
「あ、これ食べる?」
「ありがとう。ところで……身体の方は大丈夫なのか?」
皿に乗ったシシャモをつまみ上げ、頭から囓ってそんな事を訊いてくる。
「大丈夫だよ。まだ、あちこち痛むけどね」
「それならいいが。で、鬼道衆だが……龍麻は本当に壊滅したと思っているか?」
「頭目は死亡。五人衆は封印済み。配下の忍軍も、実体を失ってるはずだからね……それとも、何か動きがあったの?」
「いや……だが、しばらくは様子を見た方がいいような気がしてね」
「……他の人には言わないでよ。せっかく片付いたと思っているのに、不安にさせたくない」
その言いようだと、龍麻も何か気になるところがあるのだろう。指揮官としての状況判断能力は誰もが知る所だ。事件が片付いたからと言って油断をするような男ではない。無用な心配だったな、と如月は思う。
「御意」
と恭しく頭を下げる如月。それを見て龍麻は笑った。
「翡翠……それじゃ、主君と忍みたいだよ」
「ははは。僕も酒が回ったかな」
(主君と忍、か……言い得て妙だな)
自分が飛水の忍であることは事実だし、龍麻が指揮官であるならば、そういう関係ともとれる。何より自分が玄武であり、そして龍麻があの存在であるなら――
「翡翠、どうしたの?」
「あ、いや……さて、僕も他を回ってみるか」
何やら難しい顔をして考え込む如月に、怪訝な表情を浮かべる龍麻だったが、そう言って如月は席を立った。
(翡翠も、何か気になる事があるのかな?)
などと考えるが、いまは祝勝会だ。自分がこんな事を考えていれば、その雰囲気は多分皆に伝わるだろう。せっかく楽しんでいる仲間達に不安を与える事もない。
考えるのを止め、龍麻はまた移動する。
「ア、龍麻オニイチャン!」
「やあ、マリィ。楽しんでる?」
近付く龍麻に気付いたマリィが声をかけてきた。マリィは満面の笑みを浮かべている。
「ウン! 龍麻オニイチャン、リョウリジョウズダネ。トッテモオイシイヨ!」
「ありがとう。メフィストも楽しんでる?」
本当に美味しそうに自分の作った料理を頬張るマリィ。その頭を撫でてやりながら、その隣に座っている黒い子猫にも訊いてみる。刺身を食べるのを止め、頭を上げてニャ〜オと機嫌良さそうにメフィストは鳴いた。
「でもさ、龍麻くんってホントすごいよな」
側にいた双子巫女、その姉が羨望の眼差しを向ける。
「戦闘もできて、頭も良くて、おまけに料理まで……羨ましいったらねぇよ」
「まあ、姉様ったら。でしたらもう少し家事を手伝ってくださってもよいのではありませんか?」
龍麻に酌をしつつ、意味ありげな目で雛乃は姉を見た。
「そうすれば、今よりは上手になります」
「……聞こえねぇ〜」
片手で耳を塞ぎ、片手で酒をあおる雪乃。はあ、と雛乃は溜息をつく。
「龍麻さん、龍麻さんからも姉様に言ってやってください」
「な、雛っ! そりゃ汚ぇぞっ!」
「わたくしが言っても全然聞いてくれないのです。指揮官の龍麻さんなら――」
「いや……私生活まで口を出す事はしたくないなぁ……」
無茶を言う雛乃に慌てる雪乃。龍麻は何とか答えるが、その間にも雛乃の説教が雪乃を襲っている。
(……飲んで性格が変わった? いや、これが地か……どっちだろ)
雛乃に圧される雪乃(いつもの事かも知れないが)を尻目に、龍麻はテーブルの上にあったお銚子に手を伸ばす。それを別の手――葵が取り上げた。
「どうぞ」
「ありがとう、葵さん」
これで一応、全員と顔を合わせた事になる。始まってから時間が経っているため、葵自身いくらか飲んでいるはずだが、外見上はあまり変化はない。
「葵さんは――さすがに家では飲んでないよね?」
「ええ」
「それじゃ、今日もあんまり飲んでない?」
グラスではなく、猪口を持っていたので、返杯で酒の方を注いでやって問うと、葵は壁際を指した。そこにあるのは空のビール瓶三本。
「……一人で?」
「まさか。小蒔と織部さん達と、四人で三本よ」
「それでも結構強そうだね。顔には出てないよ」
「そうかしら? でも、龍麻くんはかなり飲んでるんじゃない? みんなに勧められてたでしょう?」
猪口をゆっくりと両手で傾ける葵を見ながら
「まあ、この程度なら大丈夫だよ。ペースもそんなに速くないし」
そう言いつつも一気に自分の猪口を空にする。
「何しろ、中学生の頃から家族に鍛え上げられたからね」
「うふふ、そうだったわね」
「ネェ、オ酒ッテ、オイシイノ?」
突然、マリィがそんな事を訊いてきた。まあ全員が飲んでいるのだ、興味を持つのは当然かも知れない。だが実年齢が十五歳とは言え、見た目が見た目だ。今飲ませるのは躊躇われるが、自分はどうだったろうと龍麻は過去を振り返る。結論――問題なし。
「んー。それじゃあ飲んでみる?」
「龍麻くん、自分と同じ基準で考えるのはちょっと……」
考えた末の龍麻の言葉だったが、苦笑しつつ葵がつっこんだ。
20時08分。
「如月様」
声に顔を上げると、そこには雛乃がいた。
「やあ、雛乃さん。どうしたんだ?」
「少しお話があるのですが……よろしいですか?」
酒が入っているはずだが、それを感じさせない真剣な表情で、雛乃が訊いてくる。
「構わないが……」
「ありがとうございます。実は――」
「ミサちゃんも、仲間に入れて〜」
そこへ別の声――裏密が乱入してきた。いつもながら唐突に現れる。
「裏密様……申し訳ありませんが……」
「ひーちゃんの事でしょ〜?」
断ろうとした雛乃だったが、その言葉を聞いてそれを止めた。その通りだったのだ。
「龍麻の?……等々力での件か?」
「はい。裏密様はお気付きのようですね。そして如月様も」
「うふふ〜。見ただけじゃ分からなかったけどね〜」
言いつつ裏密が腰を下ろす。如月、雛乃、そして裏密。端から見ると、一人が加わっただけで異様な組み合わせだ。
「美里ちゃ〜んが言った事、覚えてる〜?」
「これ以上、龍脈から《氣》を引き出しては駄目、だったな」
あの時の事を思い出しながら如月。確かに葵はそう言った。その意味を理解できた者、それがここにいる三人だ。
「ただの人の身で、施設や術、儀式を用いずに大いなる龍の《力》を引き出す事など不可能です。ある存在を除いては」
「僕の《宿星》である玄武……いや、四神の誰もが彼に感じたものがある。彼を護らなければならないという義務感だ。四神が護るべきもの、それはただ一つをおいて他にない」
「すなわち〜大地を統べる者〜」
「「「黄龍(〜)」」」
三人が口を揃え、同じ名を紡いだ。
「龍麻さんは……気付いているのでしょうか?」
「いや、まだだろう。恐らく、あの時に完全に覚醒したんだと思う」
「みたいね〜。さっき訊いてみたけど〜、最後の一撃は覚えてないそうよ〜」
「龍脈から《氣》を引き出した自覚がない、か。当然だな」
「しかし……どうしてあの場で覚醒したのでしょう?」
と雛乃が疑問を口にする。
(確かに九角は強敵だった。あの時、龍麻さんが覚醒しなければ、わたくし達は全滅していたでしょう。でも、なぜあのタイミングで?)
「これは、四神についてだが……」
そう前置きして、如月が自分の解釈を始める。
「醍醐君の場合は、僕のように覚醒している者との接触と、不安定な龍脈の影響が強かったと見ている。アランとマリィの場合は接触と、それに加えて龍麻を護ろうとする強い意志が引き金になった。となると、龍麻の場合もそうなのではないか、と僕は思う」
「四神が揃った事による影響と、仲間を護ろうとする意志、ですか?」
「あの時点で龍麻は僕達が限界だという事を分かっていたはずだ。龍麻の性格なら、多少の無理をしてでも僕達を護ろうと考える。だが、龍麻には決定打と呼べる技がなかった。そして純粋に今以上の強さを求め――」
「それに龍脈が応えた……」
「あくまで、仮説だけどね」
覚醒の原因は人それぞれだ。だが、力を求めるという意志が関わる事は多い。あながち外れているとも思えない。特にあの状況では。
「では……この事実を龍麻さんに教えるべきなのでしょうか?」
「止めた方がいいと思うわ〜」
再び雛乃が疑問を投げかける。龍麻が黄龍であるということを、本人に伝えるべきか否か。それに答えたのは裏密だった。
「気にはなっているみたいだけど〜。鬼道衆との闘いが終わった今〜、余計な混乱を招く事は言わない方がいいわ〜」
「今は知らない方がいいかも知れないな。自覚する事であの《力》を度々使うようになっても問題だ。龍麻の事だから心配要らないとは思うが……あれが《暴走》した時に発動するようなことにでもなれば……」
「大惨事よね〜……」
変生した九角でさえも一撃で消し去った《力》だ。《暴走》した挙げ句にそれが無差別に振るわれるような事になったら――考えるだけで身が竦む。
「あの……一つよろしいですか?」
「な〜に〜?」
「その《暴走》という言葉……最近よく耳にするのですが、一体何の事なのですか?」
その言葉に如月と裏密は顔を見合わせる。如月は龍麻達から詳細を聞いているし、裏密はその場にいて直接目にしている。
「そう言えば、織部姉妹だけが知らないのか」
「そうね〜。話していいものかしら〜?」
「知る権利はあると思う。事情はともかく、どんな状態になるのか、くらいはね」
簡単にではあるが、二人は雛乃に説明する事にする。
宴会という場で、ここだけが妙に深刻な空気を漂わせていた。