20時12分。
醍醐は一人座り、京一達の方を見ていた。
(よくもまあ、続くものだ)
始まってからもうすぐ一時間が経つ。それでも彼らは未だにビール瓶やらお銚子やらを勧め合っている。その間、醍醐は一滴も酒を口にしていない。龍麻が作ったビールもどきも既に空だ。
「どうしたものか……」
このままではいずれ誰かに勧められる。そうなったら最後だ。料理に手を付けて腹は満たされている。このまま寝てしまおうと醍醐は考えた。
酒の臭いをさせたまま家に帰るのは問題ある、ということで龍麻は寝床の準備をしてくれている。風呂場だって、湯船は使えないがシャワーは使える。
(汗を流して、一足先に休むか)
と、立ち上がろうとした醍醐だったが、遅かった。
「醍醐クン、飲んでる〜?」
「さ、桜井!?」
目の前に、顔を桜色に染めた小蒔が現れる。その手にはコップと一升瓶。
「さ、どーぞ」
「あ、いや……俺は……」
瓶を差し出す小蒔。だが、それを受けるわけにはいかない醍醐。断ろうとするが
「なに? ボクのお酌じゃ飲めないって言うの?」
と、据わった目を小蒔が向けた。旧校舎の魔物相手でも怯まない醍醐ではあったが、その目に耐えきれずに、周囲に助けを求めるべく視線を動かす。
その先に、一人の男がいた。我らが指揮官、緋勇龍麻である。
龍麻の方もそちらの状況に気付いているらしく、真っ直ぐに醍醐を見ている。彼はゆっくりと目を閉じて――こちらに敬礼すると、醍醐から顔を背けた。
俗に「お前の死は無駄にしないぞっ!」というやつだ。助けるつもりは微塵もないらしい。
(た、龍麻……)
「どうしたの、醍醐クン?」
そんなやり取りに気付かない小蒔がにじり寄ってくる。いつの間にやら手にはコップを握らされていた。そのまま、止める間もなく酒を注がれてしまう。
「はい」
「……」
八分目程に酒を注がれたコップ。事ここに至っては、もはや逃れる術はない。
飲み過ぎたわけでもないのに蒼い顔をして、醍醐はしばしコップを見つめる。大きく溜息一つ。そして、覚悟を決めて一気にそれを飲み干した。
「おー。やるね、醍醐クン……って、アレ?」
その飲みっぷりに感心した小蒔であったが、当の醍醐はそのまま床へと沈んでいく。
「コップ一杯でダウンするなんて……よっぽど飲まされてたんだね。悪いコトしたかな?」
などという思いっきり勘違いな小蒔の独り言を耳にしつつ、焼けるような喉の熱と頭の中に渦巻く奇妙な感覚に身を委ねながら、醍醐は今更ながらに思った。
(少しは、強くならねば……身が保たん……)
醍醐雄矢、轟沈。
気配で戦死者一号が出た事を察知しつつ、龍麻はある一角に目を向けた。
「HAHAHAHA!」
「アハハハハ!」
アランが笑っていた。マリィも笑っている。まあ、害があるわけではないのだが。アランはともかく、マリィのテンションが異常だった。
「葵さん、マリィどうしたの?」
「さ、さあ……?」
義妹の変わり様に、葵も戸惑っている。ただ、今この場で行われている事を考えると、ある予想ができる。
「マリィ、ちょっとこっちへおいで」
「ン、ナニ、龍麻オニイチャン?」
とてとてとマリィが歩いてくる。どうも足どりがおかしい。何やら酔っているような――
側まで来ると、マリィはそのまま龍麻に抱きつく。それを受け止め
「……マリィ。さっきまで、何飲んでた?」
「エーット……オレンジジュース」
アルコールの臭いを認め、龍麻が問いかけるとマリィは後ろを指さした。そこには空になった小さな瓶が何本か転がっている。葵がそれを拾い上げ、ラベルを見て目を見開いた。
「何て書いてある?」
「スクリュードライバー……」
問う龍麻に、葵の口から出たのは割とポピュラーなカクテルの名だった。別名レディーキラー。口当たりが良く、アルコール度が分かりにくい所から付いた名らしいが、マリィはそれを飲んだようだ。
「マリィ。あれ、どこから持って来たの?」
「亜里沙オネエチャンガクレタノ。オイシイカラノンデミナッテ」
「「そう……」」
龍麻と葵の口調がハモる。示し合わせていたかのようにぴったりだった。
「葵さん、僕ちょっと」
「ええ、行ってらっしゃい」
葵は龍麻に一升瓶を渡す。それを受け取り
「戦死者第二号は亜里沙かな」
と独り言ち、龍麻は藤咲の方へと歩いて行った。
20時20分。
「……龍麻、あたしに恨みでもあるわけ?」
なくなると同時に酒を注がれたコップを前に、藤咲は龍麻を睨みつける。ただ、だいぶ酒が回っているので迫力はない。
「恨みだなんて、そんなものはないよ」
「じゃあ、これはどういうこと?」
負けじと龍麻のコップに酒を注ぐ藤咲。だが、龍麻はそれをすぐに半分まで減らして見せた。
「だって、マリィにお酒を飲ませたのは亜里沙でしょ?」
「……そ、それを根に持ってたワケ!?」
「重要な事だよ。確かに実年齢は十五だけど、身体が年相応でない以上、飲ませるのはどうかと思うんだ」
少し前には龍麻自身がそれをやりかけたのだが、ここでは伏せておく。こうしてみると龍麻、結構卑怯者である。
(そ、そりゃ飲ませたけどさ……)
確かに、悪ノリしたかも知れない。ただ、自分達が飲んでいる時に、マリィが物欲しそうに見ていたのは事実だ。だから彼女に飲ませた。オレンジジュースと偽って。
ただ、飲みやすさを優先し、アルコール度までは考慮に入れていなかったが。
「で、でもさ。龍麻だって中学生の頃から飲んでたって言うし……」
「だから同じでいいとでも?」
言い訳する藤咲が再びコップを空にしたところで、龍麻は側にあったカクテルをそれに注いだ。それから自分のコップの残りを片付ける。
「そ、そこはそれ、一つの社会勉強ってことで何とか……」
「反省してる?」
「し、してる。してるから!」
(これ以上このペースで飲まされたら、いくらあたしでも保たないわ……!)
五月頃だったか、龍麻と高見沢の三人で遊びに出た時。あの時も最終的に飲み会へ突入した。高見沢は早々に酔い潰れてしまったが、自分と龍麻はそれなりに飲んだものだ。その時に龍麻がかなりの酒豪だということを知ったが、今自分と同じだけ飲んだはずの龍麻は割と平然としている。このまま飲み続けたら、潰されてしまう。
「分かった。僕も鬼じゃないからね」
白旗を上げる藤咲の目の前に、龍麻が幾つかの瓶を置く。ビール、ワイン、日本酒。それぞれ別種のアルコール。
「これ、一杯ずつ飲んだら終了ね」
「鬼〜っ!」
藤咲が悲鳴を上げたが、それを気にする――もとい、気にする事のできる者は既にいなかった。
藤咲亜里沙、撃沈一歩手前。
20時25分。
「さーってと。そろそろやるか」
何故か嬉しそうに京一が一升瓶を手に取った。
「蓬莱寺、何をするつもりだ?」
「あん? 決まってるだろーが。飲み比べだよ」
紫暮の問いにそう答えて、近くにあったコップをかき集める。
「とりあえず、俺と紫暮、アランはやるよな?」
「もちろんデース」
「よかろう」
「雨紋、お前はどうする?」
「あ、ああ。参加させてもらうぜ……」
答える雨紋だったが、その声に力はない。顔色も良くなかった。
「……どうしたんだ、お前?」
「い、いや……」
「まったく、だらしがねぇな」
その傍らでそんな事を言ったのは雪乃だった。片手に一升瓶。どうやら雨紋とサシで飲んでいたようだ。
「おい、雨紋。お前雪乃に負けたのかよ?」
「……向こうが一杯片付ける間に二杯飲まされるンだぜ。不公平だろ……」
「「「……」」」
京一、紫暮、アランの三人が呆れて雪乃を見る。さすがに彼女も狼狽えた。
「な、何だよ……」
「お前、あれだけ俺達に突っかかってくるくせに、結構卑怯だな」
雪乃の動きが止まる。他の仲間が言ったのなら、まだ踏み止まれたのだろう。が、それを言ったのは京一で、雪乃がこれに反発しないわけがなかった。
「……そうかよ、じゃ、対等にすりゃ文句はねぇな?」
言うが早いか側にあった一升瓶を雪乃が掴む。そして、止める間もなくそれをラッパ飲みした。
「どーだぁ! これなら――!」
ばた……
かなりの量を飲んだ後、横に倒れる雪乃。
「いくら酒量を合わせるって言っても……一気に飲むヤツがあるかよ……」
「ホント、負けン気が強いっていうか……」
「そういうレベルか?」
「キョーチとライトは雪乃に対抗意識持たれてるカラネ。あんな言い方すれば、ムキにもなりマース」
好き勝手な事を言う四人。もちろん、その言葉が雪乃に届いてるはずはない。
織部雪乃、撃沈。
20時27分。
龍麻は一人、縁側で酒を飲んでいた。やや風は冷たいが、火照った頬には心地よい。
空を見上げる。月見酒、といきたいところだが満月は過ぎている。数日もすれば新月になろうかという細い月が見えた。
虫の鳴く声に耳を傾けながら、ぐい飲みに酒を注ぐ。
『見事……だ……人の《力》――見せてもらったぞ……』
脳裏に言葉がよぎった。
等々力での最終局面。自分が放った(であろう)《氣》の直撃を受けて、目の前で消滅した九角から発せられた声。恐らく自分だけに聞こえた声。
「九角……」
呟き、酒をあおる。先程まで飲んでいたというのに、酒の味が分からなかった。
(後味が悪い、なんてものじゃないな……)
鬼道衆がしてきた事は決して許される事ではない。しかし、龍麻は疑問に思っていた事がある。
あれは、本当に九角本人が望んだ事だったのか、と。口ではああ言っていたが、本当に九角は東京の壊滅を望んでいたのだろうか。
九角との戦闘の中、彼が発した言葉。そして消滅間際に彼が放った言葉――疑問は確信へと変わった。
「どうしてお前は……」
そこで龍麻は言葉を呑み込んだ。人の気配を感じたからだ。
「葵さん?」
《氣》の感じから、そちらを見ることなく声をかける。酒が入っているとは言え、《氣》を読み間違える事はまずない。それが、自分の一番良く知る者であるなら尚更だ。温かい、安らぎを与えてくれる《氣》の持ち主。
読みの通り、現れたのは葵だった。
20時30分。
「で、僕にも参加しろと?」
呻き声をあげる物体――雪乃を見ながら、如月が溜息をつく。裏密、雛乃との話を終え、人のいる方へ来てみればこれだ。先の二人は既に別室で休んでいる。慣れない酒を飲んだせいだろう。
「大体、酒というのはそういう飲み方をするものではないだろう?」
「細かいコト言うなよ、如月サン。こういうのは多い方が楽しいンだからよ」
「なんだよ如月。自信がないのか?」
見るからに限界近くの雨紋と、こちらを挑発する京一の二人に、苦笑する如月。人間、酒が入ると人が変わると言うが、この二人も例外ではないようだ。何を言ったところで絡んでくるだろう。仕方なく如月は折れた。
「……たまには羽目を外すのもいいだろう。受けよう」
「へへへっ、そうこなくっちゃな」
「で、後は誰を? 女性陣も加えるのか?」
「それもいいが……ん? 織部の妹と裏密の姿がないな」
先程まで彼女達がいた方を見て、紫暮。それに如月が答える。
「ああ、彼女達はもう休んでいる。マリィと高見沢さんもリタイアしていたはずだ」
「そっか。それじゃ醍醐のヤツを――おい、見ろよ」
京一の何やら楽しそうな声に、その場にいた男性陣がそちらを見た。
そこには醍醐がいた。正確には酔い潰れているのだが、もう一人の姿があった。酒瓶を抱えた小蒔が、醍醐を枕にして眠りこけている。
「おーおー。仲のいいことで」
「誰かカメラ持ってまセーンか? シャッターチャンスネッ!」
「おい、アラン。いくら何でもそりゃねぇンじゃねぇか?」
「しかし醍醐の奴、酒に弱いんだな」
「やれやれ」
それを見ながら思い思いの言葉を吐く京一達。
「まあ、あれは放っておくしかないな。男でいないのは龍麻だけか。どこへ行ったんだ?」
「龍麻サンなら、酒を持って道場から出て行くのを見たぜ」
「そういえば……美里さんの姿も見えないな」
「Oh、というコトは」
「あいつら二人きりかよ」
ニヤリと笑うアランと京一。
「こりゃあ、様子を見に行かないテはねぇよな」
「思う存分からかってあげまショウ」
「おい、君たち……」
すっかりお邪魔虫になろうとしている二人を如月が咎める。しかし、素面でも同じ事をやるであろう二人だ。酒が入っていては止まるわけがない。
「何だよ如月。お前は興味ねぇのか?」
案の定、京一が絡んでくる。しかし
「二人が一緒にいるのなら、そっとしておくべきだろう? 馬に蹴られるぞ」
「その前に、この間の金色した龍が出てくるんじゃねぇか?龍麻サンだって酔ってるだろうし。キツイお仕置き受けるかも知れないぜ」
「「う……」」
如月と雨紋の言葉に二人は言葉を詰まらせた。
アレを食らったらタダでは済まない。いくら酔っているとは言え、龍麻がツッコミに《力》を使う事はあり得ない。とは思うが、万が一の可能性も否定できない。
「君子危うきに近寄らず、だな……」
「デースネ……」
どうやら諦めたようだ。
「仕方ねぇ。あの二人はほっとくとして、後は――」
「きょーいちぃ……」
京一が残る一人を呼ぼうとするが、その者の声が後ろから来た。そのまま背後から抱きついてくる。
「お、おい……藤咲!?」
「た、助けて……あたし、もうダメ……」
「もうダメって……どうしたんだよ?」
「もう……飲めない……」
何事かと様子を見ていた周囲の仲間達が止まった。皆一様に呆れている。藤咲は泥酔状態だった。
「あのなあ、藤咲。一体なんだってそんなに飲んだんだ?」
「龍麻に飲まされたのよ……マリィにお酒飲ませたからって。だからって、ひどいと思わない……? しかもチャンポンされたのよ……」
「ああ、そりゃ……ひどいな……」
確かにマリィに飲ませたのはまずい。しかしここまでする事もなかろうに、と京一は思う。藤咲がここまで参っているのを京一は見た事がない。
「分かった分かった。仇は討ってやるから、ゆっくり休んでろ」
「そうするわ……オヤスミ……」
「っておい! ひっついたまま寝るな!」
慌てる京一だったが遅かった。既に藤咲の意識はない。
「蓬莱寺、どうするつもりだ?」
「……とりあえず、部屋へ寝かせてくる。おい、雨紋。雪乃の奴もついでに持っていこうぜ」
「って、オレ様がか?」
「お前が余計な事言わなけりゃ、あんな飲み方しなかっただろうが」
「……分かったよ。オイ、雪乃サン。こんなトコで寝てると風邪ひくぜ」
ぺちぺちと頬を叩いてみるが、反応はない。完全にダウンしている。
「やれやれ。よっこいせ」
京一が藤咲を背負い、雨紋が雪乃を抱き上げる。
「キョーチ、ライト」
そんな二人に、アランが声をかける。意地悪い笑みを浮かべて。
「ちゃんと、戻ってきてくださいネ」
「「当たり前だっ!」」
からかい半分のアランのセリフに、二人は同時に叫んでいた。
一方、その頃の龍麻と葵。
龍麻は何をするでもなく、黙って座ったままだ。葵も、龍麻に声をかけられてから、その場に立ち尽くしている。
「あの……隣いいかしら?」
「うん」
ようやく言葉を紡ぎ出す葵。龍麻は外を見たまま答えた。
「身体の方は……あれから大丈夫?」
隣に座り、葵が訊いてくる。
「生活には支障ないけど、戦闘をしようと思ったらもうしばらくかかるかな」
最終決戦で酷使したせいか、未だに完治しているとは言い難い。今はただの筋肉痛のような状態だが、《氣》を練ると全身に激痛が走るのだ。この事を知っているのは、本人を除くと桜ヶ丘のヌシと、直接治療に当たった葵と高見沢の三人だけ。
「最後の一撃で高めた《氣》が大きすぎたんだね。それに身体が耐えられなかった。まあ、あの状況じゃ仕方なかったんだけど」
「傷は……まだ消えてないの?」
「左足の傷は残ってる。陰《氣》によって付いた傷ってのは治りが遅いみたいだし。多分、一生残るだろうね。それに、腕の方も。胸のはほぼ完全に消えたけど」
言いつつ龍麻は左の袖をめくる。前腕には一本の線。九角の斬撃を受け止めた時についたものだ。乱れ緋牡丹の直撃を受けた身体の方は、鎖帷子があったおかげで出血の割には傷が浅かった。そのため傷は残っていない。
「……私の《力》がもう少し強ければ、消せると思うんだけれど」
今までに仲間が負った傷というのは、葵と高見沢の《力》で全て跡形もなく消えている。それが今回通用しなかった。止血はできても、傷痕は塞がらずにそのまま残ったのだ。だが、龍麻はこれで良かったと思っている。
「これは……このままでいいよ」
変生し、九角という人間そのものが消滅した今となっては、この傷だけが彼の「存在した」証だ。
「それより、僕に話があるんじゃない?」
こちらから促してみる。彼女の纏う空気が普段と違う事にはすぐ気付いた。酔っているという意味ではなく、宴会の場にそぐわないものだったのだ。葵は驚いたようだったが、それを認めて口を開く。
「ええ……龍麻くんが、何を苦しんでいるのかって」
自分と同じで人の感情(主に負)を感じ取ってしまう葵には、このテの隠し事は無駄だ。今までにシラを切り通した事もあるが、隠せているわけではなく、向こうがそれ以上追求してこなかっただけの話である。
「そんな事はないよ、と言いたいけど……葵さんにはばれるか」
言いかけたが、葵が眉根を寄せるのを見て諦める。どうもはぐらかせる雰囲気ではない。
「九角の声が聞こえたんだ……」
「え?」
あの最後の一撃の中、《氣》の放出によって生じた大音声の中で、龍麻は九角の声を聞いた、そう言うのだ。
「ようやく長き呪縛から解放される、って。ただ一族の安息の地が欲しかったんだ、って」
袖を元に戻し、側に置いてあった酒瓶を引き寄せる龍麻。
「あいつは分かってたんだ。自分のやっている事が。でも、それを自分で止める事ができなかった。運命、宿命、過去の亡霊に縛られてしまった」
「……」
「九角程の男なら、それに抗う事もできたはずなんだ。それなのに、過ちに気付いてたのに……もう遅い、引き返せないって。人間だった時には、そうも言った……」
俯き、肩を震わせ、引き寄せた酒瓶から手を離して龍麻は独り言ちた。
人の姿であった九角と戦ったあの時。確かに龍麻は感じたのだ。彼の心情――怒りと、後悔の念を。
「鬼道衆がやってきた事は許される事じゃない。それを命じたのが九角だっていうのも事実だ。でも僕は……」
鬼と化した九角を斃した後で何故龍麻が泣いていたのか、ようやく葵にはその理由が分かった。
何も知らないままならば、何の躊躇いもなかった。九角=悪との認識がなされたままならば、問題はなかったのだ。だが、龍麻は戦いの中で知ってしまった。九角の本心を。感じ取ってしまった。自らの行いを悔い、苦しみつつも己の本心を押し殺して、誤った道を進む事を選んだ彼の心を。
その九角を、仲間を護るために斃した。
龍麻は九角を救いたかったのだろう、と葵は思う。だが、その術は存在しなかった。と言うより、既に遅かったの方が正しいかも知れない。
葵自身、九角と接して分かった事がある。
「龍麻くんなら気付いてると思うけど、龍山先生の所で話を聞いてから、ずっと疑問だった事があるの」
「え……?」
葵の声に頭を上げる龍麻。
「鬼道衆の行動がばらばらだった事」
それは龍麻も気付いていた。誰にも話してはいないが。
「東京の壊滅が目的なら、それをする《力》はあった。でも、手際が悪かった。菩薩眼を覚醒させるための争乱を起こすのなら、もっと早くできたはず。でも、しなかった。龍麻くんが入院した時、龍麻くんを本当に障害と思うのならあの時点で手を打っていたでしょうし、私達が邪魔なら、五人衆と忍軍を使って仲間達を各個に襲撃する事ぐらいしてもおかしくない。それなのに戦力を小出しにして、まるで潰してくださいと言わんばかり」
「葵さんが病院から消えた時だって、無理矢理攫う事ができたのに、脅迫という遠回しな手段をとった。家族を直接人質にする事だってできたはずだ。等々力でもそう。葵さんを人質にする事もできたのに、九角はそうしなかった……」
他にもある。降伏を勧告しても聞き入れなかったばかりか、自分を殺さないと仲間を殺すなどと言った。無理矢理龍麻と戦う状況を作り上げた。導き出される答えは一つ。
「……九角は斃される事を望んでいた……?」
「自分を止めてくれる人を待っていたんだと思うわ。勝手な解釈だけど……」
確かに勝手な――九角寄りの解釈だ。だが、それなら納得がいくのも事実であった。
「もし龍麻くんがあそこで負けていたら、それでも彼は苦しみながら進み続けたと思う。間違った道を」
そっと、龍麻の手に自分の手を重ねる葵。手の温もりが、葵の温かな《氣》が伝わってくる。
「だから、龍麻くんが必要以上に自分を責める事はないわ。あれは……九角さんが望んだ事だったのだから」
そう、なのだろう。変生した時点で人に戻る事はできない。変生=人としての死だ。彼が口にした一族の安息の地も、ああなっては望めないのだから。
「それに、龍麻くんがいつまでもそうやって悩んでいたら、醍醐くん達が色々と訊いてくるわよ」
「……そうだね。忘れる気はないけど、もう考えないことにする」
龍麻と四神組の間にある感応能力について知っているのは当事者と、その一人マリィから話を聞いている葵だけである。これ以上、皆に余計な心配をさせる事はない。苦笑して、龍麻は葵を見た。
「何だか……葵さんには格好悪いところばかり見せてるような気がするね。もっと、しっかりしてないといけないのに」
自分が何かしら悩んでいる時、苦しんでいる時。側にいるのは大抵葵だ。今は違うが、そういう自分に気付くのが彼女だけだったから、それも当然なのだが。
「そうかしら? でも私だって、龍麻くんにはよく相談に乗ってもらってるから。そういった意味では、龍麻くんの力になれるのは嬉しいわ」
「ありがとう」
精神面ではすっかり彼女の世話になる事が多くなっている。心からの感謝を込めて、龍麻は礼を言った。その途端、葵が赤くなる。
「……どうしたの?」
「あ、その……そうあらたまってお礼を言われると……それに、お礼を言うのは私の方だもの。龍麻くんがいなかったら、私きっと、どうなっていたか分からない……」
「いや……僕だってそこまで言われるような事は何も……」
葵のその様子と言葉に、今度は龍麻が赤くなる番だった。
「「……」」
「おーい、ひーちゃんいるかーっ!?」
無言のままの二人だったが、突然の京一の声に我に返る。酒瓶を持った京一がやって来た。
「なんだ、やっぱり美里も居たのか」
「やっぱり、って……どうしたの、京一?」
「んー? これから飲み比べするんだが、やっぱりひーちゃんがいねぇと面白くねぇだろ? 呼びに来たんだけどよ――」
まだ赤みの残る顔をした二人を見て、口の端を吊り上げるようにして笑う。
「へへっ、お邪魔だったか?」
「「京一(くん)!」」
「おーおー、息もぴったりだな」
慌てる二人に、更に京一は追い討ちをかけた。そしてゲラゲラと笑い出す。が、それもすぐに止まった。
ゆっくりと二人が立ち上がる。ついさっきまでの状態が嘘のように落ち着いていた。
「……飲み比べ、だったね」
「私も参加していいかしら?」
にっこりと笑いかける二人。ただ、目は笑っていなかったが。
「お、おう……」
「それじゃあ、逝こうか。京一」
気圧されて後ろへ下がる京一を捕まえて龍麻。
「お、おい。さり気に字が間違ってないか?」
「うふふ。京一くんったら、何を言ってるの?」
酔いとは別の意味で蒼くなる京一だったが、二人にはそれはどうでもいい事のようだ。
宴はまだ終わらない。
余談1。最後までアランが粘ったが、結果飲み比べを制したのは龍麻と葵だった。なお、京一は真っ先に「潰された」そうな。
余談2。醍醐と小蒔はあのまま放置され、仲間数名にからかわれることになる。
束の間の平和の、とある一日の出来事であった。