世田谷区。
等々力駅に仲間が集結した。総勢十三名。葵が欠けているが、これだけが一堂に会するのは今回が初めてだ。
来なくても構わないなどと龍麻は言ったが、龍麻の性格を知っていればその言葉の裏にあるものは読める。
危険度が桁外れ――だから無理強いはしたくない。
そして、それが分かっているからこそ、全員が龍麻の、仲間のためにここへ集ったのだ。何より、仲間の一人が敵方に囚われているらしいと知っていながら、召集を断る者などいるはずがない。
全員が集まる間に、龍麻達は天野から九角家についての話を聞いた。
関ヶ原以前から徳川に仕え、栄えた名門にもかかわらず、十五代将軍の頃に、幕命に背き、謀反を企てたとして、一族郎党皆殺しの上に家名は断絶。その時の九角家の長が、以前龍山の所で話に聞いた九角鬼修だという。結局、鬼修は徳川方に討たれたものの、その子孫は脈々と、幕府――いや、江戸の街に対しての恨みを募らせながら、怨恨の血筋を繋げてきた……。そういう話だった。どこまでが本当なのかは分からないが。
一応道案内としての役を持っているはずの天野だが、この地に着いてからは龍麻が先頭を行く。その周りに醍醐、如月、アラン、マリィ。その後ろに京一、小蒔、天野にアン子。残りはその後ろに続く。
等々力のどこ、とは明言していないにもかかわらず、龍麻は道を逸れ、渓谷内に足を踏み入れた。来た事はないはずなのに、何の躊躇いもなく進んで行く。
川の両岸からうっそうと木々が生い茂る、薄暗く、細い散策路。等々力の名の由来となった滝音はないが、昨日降った雨で水量は増していた。本来さえずるはずの鳥の声もなく、ただ川の流れる音だけが耳に入る。
「で、まだ何か?」
先頭を行く龍麻が天野に訊ねる。
「あと、分かっているのは、相手があなた達と同じ高校三年生だという事」
「やっぱりそうでしたか」
「……って、知ってたのか、ひーちゃん?」
その言葉に驚いたのは京一だけではなかった。一人の例外もなく、その言葉に耳を疑う。
「まあ、見た感じがそうだったからね」
「お前、そいつに会ってたのかよ!?」
「いや。正確には見せてもらったんだ。嵯峨野の《力》で」
「麗司の? でも龍麻、何で麗司がそいつのことを知ってるのさ?」
未だに桜ヶ丘に入院している嵯峨野の事を知っているのは、真神組以外では二人だけだ。その中で一番嵯峨野に近しい藤咲が訊ねる。今更隠す事でもないので、正直に龍麻は答えた。
「ローゼンクロイツからこっち、葵さんに妙な夢を見せてる奴がいるって教えてくれてね。それにどんな意味があるのかは分からないけど、犯人像だけは教えてもらってたんだ。学生服着てたから、そいつが天野さんの言う奴と同一人物だと思う」
「でしょうね。世田谷にある私立龍州の宮高校三年、九角天童。それが名前よ。私もそこまで辿り着くまでかなり苦労したわ。九角の祖父を辿って、ようやく捜し当てたの。今まで調査しても、見つからなかったはずよ。龍州の宮高校の名簿を捜しても、九角の名前はないんだから」
「名前がないって……どういうコトなんですか?」
「九角は、その学校に存在していながら、存在していないのよ」
疑問を口にした小蒔だったが、返ってきた答えに目を瞬かせる。
「……? どゆコト?」
「学校側が九角の存在を知らないってコトか?」
自信なさそうに雨紋が言う。天野は頷いて続けた。
「それだけじゃないわ。九角という名前は、戸籍上にも存在しないの。どんな《力》が働いているのか分からないけど、九角はこの東京の陰の中で、人知れず生きているの。それも、鬼道という外法のなせる業なのかも知れないわ」
戸籍に存在しない。つまり、表向きはこの世に存在していないということだ。存在を認識されない、というのは非合法な事をする場合には有利に働く。
「ところで龍麻君、どこへ向かうつもりなの?」
「敵の本拠地」
振り向きもせず、龍麻は背後からのアン子の問いに答える。
「だって、天野さんはまだ何も言ってないじゃないの」
「正直言うと、場所を聞いた時点で道案内は不要なんだ。頼んだ覚えもない」
その言葉に天野は苦笑するが、頭の後ろに目が付いていない龍麻にはそれを知る術はない。そこへ雛乃が龍麻に呼びかける。
「緋勇さん、一つ気になる事があるのですが」
「何?」
「いつまでこのお二人を伴うおつもりですか?」
言うまでもなく、天野とアン子の事だ。どうやら仲間達も同意見らしく、何名かは露骨にその存在を無視、あるいは無言の圧力をかけていたりする。
「彼女達が痛い目を見るまで、かな」
「よろしいのですか?」
「引き際は自分で決めるように言ってるから。死んでも文句は言えない……って、死んだら何も言えないか」
「……言ってる事と、している事が矛盾してますわ。ならば、何故お二人を護っているんです?」
呆れつつも雛乃はそう指摘する。
「僕としても、龍麻にこれ以上の負担は掛けたくないんだが」
「そうデースネ。エリーたちは、引き返した方がいいデース」
冷たい声で如月が、相手が女性ということもあって諭すようにアランも言う。一方、何を言っているのか分からないのは天野達だった。
「ねぇ。一体どういうことなの?」
「京一、顔見知りのあんた達から言ってやった方がいいんじゃない?」
「いや、僕から言おう」
問うアン子に肩をすくめ、藤咲が京一に話を振る。が、如月がその役を買って出た。
「天野さんと……遠野さんだったか。今の体調は?」
「?……別にこれといって。ただ、少し電車に酔ったくらい」
「では次だ。駅周辺で一人でも一般人を見たかい?」
「そういえば、誰もいなかったわね」
「何故だか分かるか?」
「さあ……?」
「普通の人間がいられる場所でなくなっているからだ」
答えを返したアン子にそう言って、如月は天野に別の質問をした。
「いるだけで辛い場所……心当たりがあるだろう?」
「……《鬼道門》のこと?……じゃあ」
「渓谷一帯に殺気の混じった《陰氣》が充満している。常人に耐えられない程の。だから、周辺の人々は無意識のうちにこの一帯から逃げている。遠野さんが気分が悪いと言ったのも、電車酔いではなく、《陰氣》のせいだ」
「で、でも現に私はまだ……」
大丈夫、と言いかけて、先程の雛乃の言葉を思い出し、天野は龍麻に目を向けた。龍麻はこちらに背を向けたまま、何も言わずに先へ進んでいく。
「龍麻が《氣》で二人を護っている。だから、それ程の苦痛は今の所ないだろう? あなたに分かりやすく言えば、駅の時点で、大田区で龍麻が放った《氣》より少しはマシ、くらいだ。この場所ならあれの倍といったところか」
あの時、龍麻が放った《陰氣》に当てられ、天野は失神寸前だった。今でも少し気分が悪いのに、あの不快感が龍麻の護りが無ければ倍になって自分を襲う――考えたくもない。
「これが弱ければ、龍麻だって放っておいたんだろうが、あれだけの状態だと護らざるを得ない。それが今回は裏目に出たな。まだ行けると勘違いさせてしまった」
「あ、あの……よく分からないんだけど?」
「ひーちゃんがいなければ、お前もエリちゃんもこの場で死んじまってもおかしくない、って意味だよ」
現実を認識し、立ち止まって黙ってしまった天野を不安げに見ながら、アン子が京一に尋ねると、そんな答えが返ってくる。見る見るうちにその顔が蒼くなっていった。
「そんな大事なこと、どうして教えてくれなかったのよっ!?」
「マリアセンセとのやり取りを聞いてただろうがっ! 無茶するとか無事では済まないとか、誰のために言ってたと思ってるっ!? 何でひーちゃんが引き際を自分で決めろなんてわざわざ言ったと思う!? いい加減、お前が状況を見て判断を下せると信じたからだっ!」
叫ぶアン子のそれをはるかに上回る声量で、京一が怒鳴り返す。龍麻が放っておくと言った手前黙っていたが、京一だって如月達と同意見なのだ。
「それをお前は――!」
「京一、もういい。僕が軽率だった」
それをなだめたのは龍麻だった。その顔は後悔一色に染まっている。
「まさか、向こうがここまで露骨に居場所を晒すとは思ってなかったから。いつも通り、来るなってはっきり言っとけば良かったんだ。……翡翠」
龍麻の目配せで、如月が天野とアン子に何かを手渡し、説明する。
「念珠と呼ばれる物だ。本来なら《氣》の攻撃を軽減するのに使う。《力》のない人間にはそれ程の効果は期待できないが、ここから安全圏へ逃げるまでは何とか保つだろう」
「如月君、どうしてこんな物を……?」
「仲間に連絡を取っている時点で、あなたは同行を決めていたのだろう? だから龍麻に頼まれた」
如月は面倒くさそうに答える。それを聞いて、天野は苦笑するしかなかった。
アン子はともかく、天野は今までの事件でもそう邪険にはされていない。それは、初めて会った渋谷での事件で、そしてそれ以降の事件で、引き返せない領域に踏み込む前に天野が引き下がったからだ。しかし今回は――
(今までの信用を、失っちゃったわね……)
ここに至っては取るべき道は一つしかない。一刻も早くこの場を立ち去る事だ。
謝罪の言葉を残し、天野とアン子は渓谷を後にする。渡された念珠のお陰で、《陰氣》の範囲からは脱したものの、その時にはまともに口をきく気力すら残っていなかった。
《力》絡みの事件で引き際を誤るとどうなるか、天野とアン子は身をもって知ることとなったのだ。
「待ってたぜ――」
等々力不動の本堂で、葵は一人の男と向き合っていた。
「よく、俺の申し出を受ける決心がついたな――」
それには答えず、葵は目の前に座っている男を見る。長い茶髪を後ろで無造作に束ね、刀を携えた高校生を。
「本当に……これで、他の人には手を出さないでくれるんですか?本当に、これで――」
「あぁ……約束しよう。もう、他の奴には手を出さねぇ」
葵が黙って病院を出て、ここまで来た理由はそれだった。
「それよりも、挨拶がまだだったな。俺が、九角天童――鬼道衆の頭目だ」
今まで多くの事件を引き起こし、多くの人々を傷つけてきた鬼道衆、その頭目が目の前にいる。関わってきた事件を思い出し、自然と表情が険しくなる葵。
「はっはっは……そんな顔をするな」
「あなたは……なぜ、こんな事をするの……? 罪のない人達を巻き込んで――」
「くくくっ……罪がないだと?」
葵の問いに、九角はおかしそうに笑った。
「お前には聞こえないか? この東京に眠る、亡霊達の怨嗟の叫びが……不実の内に殺された者達の魂の慟哭が……俺には聞こえるのさ。復讐しろ――と。破壊しろ――と。この東京を滅ぼせ……とな」
言葉を続ける九角の顔が歪んでいく。何かを嘲笑うようなその表情に、葵は身を竦めた。
「人の世に於いて、絶対の正義とは何か……一体、何を正義たらしめ、何を悪たらしめるか――それを決めるのは神でも仏でもない。それを決める事ができるのは、闘いに勝利した者だけだ」
「……」
「そうして歴史は作られる。勝者の正義という名の下に……そのためには……」
立ち上がり、九角は葵に歩み寄る。
「そのためには、お前の《力》が必要なのさ。菩薩眼の《力》がな……」
菩薩眼――龍脈を視る者。かつて、鬼道衆が捜し求めたという、特異な《力》を持つ者。その《力》を持っているのが自分だと言うのだ。
「近寄らないでっ!」
反射的にその場を離れ、葵は右手を掲げた。同時に《氣》を解放する。
「ほう……その《力》を使うのか?」
葵から放たれる《氣》は尋常ではない。しかし、九角は余裕の表情だ。攻撃に対し、防御の素振り一つない。両手を広げ、挑発するように言う。
「いいぜ、やってみな。あれだけの威力だ。この建物自体、完全に崩壊するだろうな」
その言葉に、初めてジハードを使った時の事を思い出し、葵に迷いが生じる。今これを使えば――
「生身の俺がそれを食らって無事に済むはずがねぇ。木っ端微塵に砕け散る……いや、欠片一つ残らず消滅するか」
(人を……殺す……? 私が……?)
「どうした? お前らの敵の頭目である俺を殺せば、全てが終わる。何を迷う事がある?」
「こ……来ないで……」
一度は高めた《氣》も、行使の意志を無くしてしまったために霧散してしまう。更に一歩下がる葵。それを威圧するように、九角が一歩踏み出す。
「無理だな。お前に人は殺せねぇ。お前はもう、何もできねぇよ」
怯えを宿した葵の目を満足そうに見て、九角はそう言い放った。
等々力不動。
正門の前で、龍麻は立ち止まった。敵はこの先にいる。それは間違いない。ただ――
「ミサちゃん、ここもだね」
後方にいた裏密に問いかける。
「そうね〜。空間が歪んでるわ〜」
本来なら、渓谷をそのまま抜けて境内に入る事ができたのだが、わざわざ正面まで回ったのには理由がある。渓谷の途中で別空間への道が口を開けていたのだ。どこへ通じているかは分からない。罠の可能性もあったため、一度渓谷を出て、一般道を通ってきたのだが――
「不動一帯を覆ってる、か。翡翠、どう思う?」
「罠かと思ったが、この様子だと多分違うね。結界や隠れ里と同じ感じだ」
「擬似並行空間か……侵入を阻むための措置かな?」
「もしくは、周囲に気兼ねなく暴れるためか……いずれにせよ、向こうはこちらの歓迎の準備を終えているだろうね」
「ならば、迷う事はあるまい」
状況を観察する龍麻と如月に、紫暮が割って入る。
「ここへ来たのは鬼道衆との闘いを終わらせるため、美里を救うためだろう?」
「迷ってたって、しょーがねぇじゃねぇか。さっさと行こうぜ」
続いて雪乃までそんな事を言う。そんな二人を、そして既に準備を整えている仲間達を見て、龍麻は頷いた。
「行こう」
鷲ノ巣甲の感触を確かめ、龍麻は門に足を踏み入れる。目の前の景色が歪み、それが元に戻った時には境内にいた。後ろを振り返ってみると、仲間の姿はない。が、それも一瞬で、何もない空間から次々と出現した。
「……すげぇな」
京一の第一声がそれだった。晴れていた空もそこにはなく、厚い雲に覆われて周囲は薄暗い。境内一帯に立ち込める《陰氣》に、京一達は顔をしかめる。明らかに、自分達がいた場所とは違う。
「くくく……そろそろ来る頃だと思ってたぜ……」
突然の声に、皆がそちらに意識を向ける。そこにいたのは刀を担いだ一人の男。その男を龍麻は知っていた。
「九角天童……」
その名を聞いて、一同に緊張が走る。鬼道衆の頭目が遂に姿を見せたのだ。
「緋勇龍麻、だったな。どうして俺を知っている?」
「葵さんに干渉してた時に、誰かに会ったはずだけど?」
「……ああ、あのモヤシみたいな奴か。あれもお前の仲間だったってわけか」
思い出したのか、納得する九角。
「葵さんはどこにいる?」
「奥の本堂の中さ――」
「そこをどけ……お前一人じゃ、俺達には勝てん」
醍醐が一歩進み出る。他の者達も得意の武器を手に戦闘態勢に入った。だが九角はそれに怯むことなく、余裕の表情だ。
「誰が一人だって? よく周りを見てみなっ」
と同時に、龍麻達と九角の間に五つの影が生まれた。
「――っ!」
「まさか……!」
「鬼道五人衆だとっ!?」
それは確かに自分達が今までに斃した鬼達だった。全員斃し、宝珠は五色不動に封印した。そのはずなのにその全てが目の前にいる。驚きを隠せない京一達に、得意げに九角は笑う。
「これはこいつらの怨念よ。てめぇらに復讐したいと願うこいつらのな……。憎悪、悔恨、怨嗟の念が集い、形を持ったものよ。だが驚くのはこれからだぜ。さあ、お前ら――」
九角から赤い《氣》が放たれる。禍々しい陰の《氣》が五人衆を包み込んだ。
「目醒めよ――っ!」
「口惜しや……口惜しや……」
水角が変生した。蛇に、鋭利な刃物のような爪を持つ足を生やした、蜘蛛のような姿をとる。
「恨めしや……恨めしや……」
風角が変生した。とさかと鋭い嘴を持ち、腕と一体化した翼を広げる。
「憎らしや……憎らしや……」
岩角が変生した。その姿は筋肉の鎧に覆われた二足歩行の牛だ。
「その血肉、生命の輝き……」
炎角が変生した。岩角に似ているが、こちらは剛腕を持つ肉食恐竜といったところか。
「喰らい尽くさずに、おられるものか……」
雷角が変生した。両肩に顔を持つ金色の唐獅子。
「「「「「おおオオおオ――っ!!」」」」」
咆吼と共に、変生を果たした五人衆から放たれる《氣》。人間形態の時でさえ強力だった彼らの《力》は格段に上がっている。
「くくくっ……さぁ、始めるとするか……それとも腰でも抜かしたか?」
「面白ぇ……てめぇの相手は俺が――!」
九角が抜刀し、切っ先をこちらに向けて挑発する。同じように水龍刀を抜き、九角に向かおうとした京一だったが、それを龍麻が制した。
「……あいつの相手は僕がする」
「おいひーちゃん! 相手は武器持ってるんだぜ!? 徒手空拳のひーちゃんじゃ――」
龍麻の放つ陽の《氣》が、京一の言葉をかき消した。龍麻は既にやる気になっている。
「くくく……こういう場合、大将同士の一騎打ちは当然だよな……どちらにせよ、てめぇじゃ役者不足だ、赤毛猿」
九角も《氣》を解放する。こちらは陰の《氣》だが、その《氣》が際限なく高まっていく。変生した五人衆以上だ。
「な、何て《氣》だよ……」
「で、でも〜、ひーちゃんの《氣》も普通じゃないよぉ……」
不覚にも九角の《氣》に圧されてしまった京一に、高見沢がやや怯えた声でそれを指摘した。
龍麻の《氣》も今まで以上に高まっていた。九角に匹敵する程の強大な《氣》だ。
「九角……葵さんを解放してもらうっ!」
言葉が終わると同時に龍麻は一気に飛び込んだ。脚力を増幅しているのだろう。目にも止まらぬ、という形容に相応しいスピードで、瞬時に自分の間合いに九角を捉える。
「はっ!」
《氣》の込められた掌打が九角の頬を掠めた。そこで動きを止めずに、続けて白銀の輝きを宿した掌打――雪蓮掌を放つ。赤い《氣》を纏った九角の刀、童子切安綱の刀身がそれを受け止めた。
「せいっ!」
その手を押しのけ、上段から振り下ろされた刀を、鷲ノ巣甲で捌く龍麻。刀と手甲がぶつかり、擦れる音がやけに大きく響く。太刀筋を変え、がら空きになった九角の脇腹へ掌打を叩き込もうとするが、再び軌道を変えた刃が同じく無防備になった龍麻の半身を襲う。
ガッ!
斬撃を龍麻が迎え撃った。《氣》を纏った刀身と掌打が真正面からぶつかり合う。普通ならそのまま斬り飛ばされているはずだが、龍麻の手は無傷で九角の刀を受け止めていた。《氣》の干渉――《氣》によって形成された力場同士が反発しているのだ。両者の《力》が拮抗している証でもある。
「へっ……やるじゃねぇか」
「負けるわけには、いかない!」
二人は同時にその場を離れる。
牽制気味に九角が刀を振るった。その軌跡に沿って生じた《氣》の刃が龍麻を襲う。だが、ほぼ同時に放った円空破が《氣》の刃にぶつかり、弾けた。
九角が大きく後ろに跳び、本堂の屋根に着地する。こちらも身体能力は強化しているらしい。そのまま身を翻す九角を追い、龍麻も一跳躍で屋根に跳び移る。他人が干渉できる余地のない攻防を見せつけた龍麻と九角は、そのまま屋根の向こうに姿を消した。
「……なあ、オレ様達はどうすりゃいいンだ?」
取り残された仲間達。雨紋が誰にともなく問うと
「そりゃあ……こいつらを斃すしかねぇんじゃねぇか……?」
あらためて龍麻の強さを認識した雪乃が、乾いた声で答えた。確かに当面の敵は変生した鬼道五人衆である。それはいいのだが――
「誰が指揮を執るの〜?」
裏密の言葉に、皆の動きが止まった。指揮官不在……
「如月、お前に頼んでもいいか?」
「無理だな、僕に指揮能力はない」
戦闘態勢に入り始めた五人衆に注意を向けたまま京一が訊くが、如月はあっさりと答える。
「戦力分散という愚を冒す事になるが、こちらをいくつかのグループに分けて敵に当たるしかないな」
「じゃあ、どう分けるよ?」
「……炎角は引き受けよう」
赤い肌をした恐竜もどきに目を向け、如月。
「斃すのは無理だが、引きつけるのは可能だ。その間に皆がそれぞれを撃破。手の空いた者は援護。これでどうだ?」
「お前なら、玄武変を使えば斃せるんじゃねぇか?」
「いや、出し惜しみをするわけじゃないが、嫌な予感がする。四神の《力》は使わない」
ここで五人衆と九角を斃せば全て終わる。そのはずなのだが、如月は何やら思うところがあるようだ。
「適当な所で引っ張ってくるから、その時はよろしく頼むよ」
返事を待たずに如月は半蔵を抜き、敵陣に突っ込んでいく。手前にいた風角、岩角を持ち前の速さを活かして避け、炎角に迫った。
「裂っ!」
跳躍と同時に水《氣》を乗せた手裏剣を投擲する。狙い通りにそれらは炎角の胸に突き立つが、炎角が力を込めると筋肉に押し返され、足下に落ちた。
「まだだっ!」
如月の身体が二つに分かれた――皆の目にはそう映った。片方が放った水球が着弾し、水柱となって炎角を包み込む。動きを封じた所でその姿は消え、もう片方がそのまま半蔵を振りかぶった。
「水裂斬っ!」
間合いに入ると水柱ごと炎角を斬り裂く。しかし、それも大したダメージにはなっていない。速さはあるが攻撃・防御に難がある今の如月には、炎角に致命傷を与えるのは難しい。が、それでも構わないのだ。自分の役目は炎角を引きつける事にある。そして、その目論見は成功した。
雄叫びを上げながら、炎角が如月を攻撃目標にする。牽制しつつ、如月は炎角を連れて渓谷方面へ去って行った。
「ちっ……こうなったら、それぞれ勝手に目標を決め――!」
如月が動き出した以上、こちらも遊んでいるわけにはいかない。適当な相手を見つけるように言おうとした京一だったが、その前に鬼道衆側が動いた。
「グモオオオォォォッ!」
岩角がその巨体を揺すって突進してくる。その進路上にいたのは醍醐だった。さすがに正面から受け止めるわけにいかず、ギリギリまで引きつけて横に跳ぶ。
闘牛の牛のように急な方向転換はできないようで、岩角はそのまま本堂に向かって左側にあった舞台の柵を突き破って渓谷――如月の向かった方とは別方面へ転げ落ちていった。斜面に生えていた木が何本か薙ぎ倒されていく。
「……あのまま放っておいてもいいような気もするが……」
「同感……」
「何を言っている! 行くぞっ!」
呆れ顔の紫暮と雨紋に檄を飛ばし、醍醐は岩角を追う。顔を見合わせ、肩をすくめて二人も舞台から斜面へと飛び降りた。
「じゃ、ボクは……」
弓を引き絞り、小蒔は風角へ狙いを定めた。
「火龍っ!」
放たれた矢が炎に包まれ、龍となって風角を襲う。風角は上空に舞い上がり、それを避けて門の向こうへと飛んで行った。
「空中の敵には飛び道具で対処するしかねぇな。小蒔、雛! お前らが頼りだぜ! 護衛は引き受けた!」
雪乃の声に頷き、小蒔と雛乃は門の外へと出て行く。
「あと二体、か」
「キョーチ、水角はボクに任せるネッ!」
「マリィモッ!」
「わたしもそっちへ行きまーす」
アラン、マリィ、高見沢が水角へと向かう。
これで必然的に人員の配置は全て完了することとなった。
「さって、と俺らの相手はあの獅子舞もどきだ」
水龍刀に《氣》を込めて、京一は傍らの藤咲に声をかける。もちろん視線は雷角に向いているが。
「人間大の時は不意打ちで斃したんだけどな。今回はそうもいかねぇか」
「まっ、何とかなるんじゃない? あんたがいるんだし」
手にした法鞭をしならせて、藤咲が答える。
「へへっ。そこまで期待されてるんじゃ、応えねえゎけにはいかねぇか。でも、そう言ってられる相手でもねぇんだよな」
変生した雷角は強い。一対一でどうにかなる相手ではない。多対一でも安心はできないのだ。珍しく慎重な京一に感心しつつも、藤咲は肘で京一を小突いた。
「しっかりしなよ。あたしだっているんだからさ」
「ああ、頼りにしてるぜ。亜里沙」
「フフフ、嬉しい事言ってくれるわね」
いつの間にやら二人の世界を形成しているが、二人は肝心な事を忘れていた。この場にいるのは二人だけではないのだ。
「ミサちゃんもいるのよ〜?」
「「どわあぁぁっ!?」」
背後からの不気味な声に、京一と藤咲が狼狽える。恐る恐るそちらを見ると、何とも言えない笑みを浮かべている裏密がいた。そう、ネタを見つけたアン子のような笑み。
「へぇ〜。京一く〜んと藤咲ちゃ〜んって、そうだったのね〜。うふふ〜」
「う……裏密……」
「ま、まさか聞いてた……?」
問いには答えず、裏密は笑うだけである。まあ、聞こえない方がおかしいのだが。
「貸し一つね〜」
裏密への貸し――ある意味死刑宣告にも等しい発言に、京一と藤咲は現実に逃げる事にした。
「と、とにかく! 雷角をブッ斃す!」
「そ、そうね!」
(まさかひーちゃん以外に知られるなんて……それもよりによって裏密だとぉ?)
(あ、後が恐いわ……何を言われるかしら……)
内心の動揺を隠しつつ、二人は雷角と対峙する。その後ろで裏密は、どんな形で貸しを返してもらうか思案していたりする。
今現在、一番緊張感の欠ける戦場はここだった。
等々力渓谷。
不動からかなり離れたが、空間自体は一方通行らしく、元の空間に戻る事はない。
それでも元の空間と違うのは空くらいなもので、生えている木も流れる川もそのままだ。
「燃え尽きろっ!」
大きく開かれた炎角の口から、広範囲に渡って炎が撒き散らされる。木々の間を縫うようにしてそれを避ける如月。
「幻水の術っ!」
無数の水泡が如月の周りに生じた。それらは不規則な動きを見せながら炎角に向かっていく。
「小賢しいっ!」
それらの攻撃をものともせず、炎角は腕を、尻尾を振り回す。それでも速さでは如月に分がある。尽くを回避し、一度大きく間合いを取るべく跳んだ。
「逃がすかっ!」
着地の瞬間を狙って炎の輪を放つ炎角。本来なら回避は不可能だが、川の水が意志を持ったようにうねり、水の壁となってそれを阻んだ。
「僕の《力》では、今のお前には及ばない。だがここに水がある以上、対等に渡り合える。地の利はこちらにあるようだな」
川面に立つ如月の周囲を水が取り巻いている。如月を護るように。
玄武の守護を受ける如月にとって、水は自分に恩恵を与えてくれる。更に、昨日の雨によって水量が増しているのも幸運だった。火属性の炎角にとっては戦いづらい場所である。
「さあ、続け――!?」
攻撃の体勢に入ろうとした如月だったが、こちらに近付いてくる巨大な二つの《氣》に動きを止めた。炎角もそれを感じたのだろう、注意を如月から外し、接近してくるものに向ける。
ザッ!
どこをどう通ってきたのかは分からないが、真っ先に境内から消えた龍麻と九角が交戦しながら横手の斜面から飛び出してきた。さすがにどちらも無傷ではない。かすり傷程度だろうが、お互い幾つもの傷を残している。
龍麻の蹴りが空を切り、九角の背後にあった木を薙ぎ倒した。技の隙を衝いて九角の白刃が迫る。それを紙一重のところで身を捻って避ける龍麻。続く二撃目が来るが、体勢を立て直し、龍星脚で迎撃する。刀身を蹴られて狙いを逸らされた刀が、それでもその進行方向にあった木を両断した。幾度かの攻防の末、二人はその場から交戦しつつ離れていく。
「「……はっ!?」」
しばし呆然としていた一人と一体だったが、ほぼ同時に我に返る。お互い向き合って数秒後――炎が踊り、水が渦巻いた。