3−C教室――放課後。
 授業も終わり、生徒達は各々の行動に移り始める。そんな中、龍麻達四人は学校を出る準備だけは終えていた。
「結局、美里は戻って来なかったな……」
 時計を見て、醍醐が一つの席に視線を移す。その席に座っているはずの者は未だに保健室だ。
「まっ、たまにゃいいんじゃねぇの? 美里は、真面目すぎるからな」
「うむ……ローゼンクロイツの実験の後遺症かもしれんな」
 あくまで気楽な京一に、醍醐は難しく考え込む。
「もう一度、桜ヶ丘に連れて行った方がいいかもしれん……」
「醍醐クン――ねぇ、今日は、これからどうするの? 葵の調子も悪い事だし、不動に行くのはまたにする?」
 小蒔の問いに、醍醐は顎に手をやり、何やら考えていたが
「いや……俺達だけで、珠は封印しに行こう」
 との結論を出した。
「鬼道衆の動きが気になる」
「あぁ。いつまでも持ってるワケには、いかねぇしな。それでいいだろ、ひーちゃん?」
 京一も頷き、龍麻に同意を求める。が、龍麻は首を振った。
「葵さんは、連れて行く」
「おいおい……分かってんのか、ひーちゃん? 美里に無理させるわけにゃ……」
「そんな葵さんを、一人にさせるつもり?」
 あれから考えたのだが、鬼道衆の動きがある以上、戦闘力の安定していない葵を一人にしておくのは危険だ。それに、彼女が望む限り連れて行く、と約束している。
「まあ、そりゃそうだけどよ……」
「それに、今更置いて行こうなんて言っても遅いし」
 言い終わると同時に、教室のドアが開いた。そこには話題の主、葵がいる。彼女の接近を龍麻は《氣》で察知していたのだろう。
「ね?」
「……どうしたの?」
「いや、みんな葵さんが来るのを待ってたんだ」
 仲間の視線を受けて不思議そうにする葵に、龍麻はそう答える。
「葵、もう起きても平気なの?」
「まだ無理しない方がいいんじゃないのか?」
 葵の身体を心配する小蒔と醍醐だが、彼女の意志は変わらないようだった。
「身体なら大丈夫。だいぶ、良くなったから。だから……私も連れて行って。私もちゃんと見届けたいの。今まで、私達がやってきたことの結末を……だから――」
「分かってるよ。だから、みんなで待ってたんだ。ねぇ、みんな?」
 そう言って、龍麻は京一達を見る。その目に鋭い光が宿った。「文句はないよね?」と釘を刺すような視線に、京一達は勢いよく首を上下に振る。
「本人が行きたいって言うんなら、お、俺は反対しねぇぜ」
「ま、まあ……いいだろう」
「そ、そうだね。最後なんだし、一緒に行こうよ」
 冷や汗を流しながら口々に言う三人。その様子に疑問符を浮かべる葵だったが、同行を許された嬉しさが優先し、それ以上は気に留めなかった。



 総武線を平井駅で下車。そこからバスと徒歩で、龍麻達は江戸川区の最勝寺へとやって来た。朝方は薄曇りだったが、どうにも怪しい雲行きになってきた。雨に降られるのは避けたいところだ。
「それじゃ、早いとこ、祠を探そうぜ」
 空を見ながら京一が言う。彼も天候は気になるのだろう。
「美里と小蒔はここで待ってろよ。俺達で探してくるからよ。ひーちゃんは――ここにいてくれ」
「でも、僕が行かないと封印は無理だよ」
「分かってるよ。でも、探すだけならできるだろ? ここは目黒みたいにだだっ広くねぇからな。見つけたら呼ぶからよ」
 言いつつ京一の目が左右に動く。どうやら京一は気付いているようだ。
「そういうことだ。龍麻、二人を頼んだぞ」
 醍醐もそう言い、龍麻から宝珠を受け取るとそのまま京一と行ってしまった。
「あいつら、どっかでボク達のコト見ているのかな?」
 周囲をキョロキョロと見て、小蒔。どうにも彼女は気配や《氣》といったものに鈍いようだ。よほど強い《氣》なら別だろうが、気配を隠している者達を捉えられるのは、龍麻達男性陣がメインである。女性陣では葵、後は近接戦闘をする藤咲に雪乃くらいだろうか。高見沢は霊関係、裏密は気配というか《力》に関わるものに敏感に反応する。《力》の種類と環境に左右されるということだろうか。
「襲うタイミングを窺っているのかも知れないわ……龍麻くん、気をつけてね」
「分かってる。殺気がないから、多分監視してるだけだと思うけど。数も少ないし」
 葵は敵の存在に気付いている。もちろん龍麻も確認していた。その存在を認識できない小蒔が不安げに問う。
「……って、やっぱりいるの?」
「うん、二……いや三人かな。でも不意を衝かれたら危ないから、油断しないでね」
「もぉ、脅かさないでよぉ」
 弓を持っているとは言え、その準備はしていない小蒔である。龍麻は冗談で言ったのだろうが心臓に悪い。そこへ京一の声が届いた。
「おーい、祠があるらしい場所を見つけたぞっ!」
「あ、京一だ。今行くよっ! 行こう、二人とも」
 小蒔がそれに答える。
 京一達と合流するが、やはり例の如くそこには何もない。それでも確かに宝珠は光を放っており、龍麻にはそこに働く《力》を認識できた。
 今まで四度繰り返した作業を、龍麻は実行する。景色が歪み、そこに祠が現れた。
「これが……最後の祠だね」
「ああ。最後の宝珠、封印するぞ――」
 小蒔の呟きに醍醐が答え、手にした宝珠を祠に収める。見慣れた明滅現象が終わり、足下には何やら書き込まれた木札が残されていた。
「これで終わりか」
 ふう、と大きく息を吐く醍醐。肩の荷が一つ、ようやく下りたのだ。
「いつになく、緊張してしまったな」
「ま、これで一段落だな。気になる事もあるけどよ、今日の所はさっさと帰って、ラーメンでも食いに行こうぜ」
「まったく、京一はいつもお気楽だよねぇ」
 一仕事終えて気が緩んだのか、京一達がはしゃぎ始める。それを横目に龍麻は祠に結界を施した。
(……消えた、な)
 こちらを監視していた鬼道衆の気配がなくなっている。結局こちらには何の手出しもなかった。宝珠封印の確認に来ただけなのだろうか。
(何を企んでるんだろう。鬼道衆……いや、九角の目的は何だ?)
 自分達を監視したり、仲間を襲撃したり。葵に夢を見せたり。気になる一点は、葵個人に干渉していることだ。
(葵さんに、何があるんだろう?)
 考えつつ視線を向ける龍麻だったが、その視界に入ったのは、その場に崩れ落ちようとする葵の姿だった。
「葵さんっ!?」
 地面に接触する寸前で何とか抱きとめる。
 視てみるが異常はない。葵本人の《氣》が弱まっているのは今日の朝からだ。今頃になって無理がたたったのだろうか。
「京一、桜ヶ丘に連絡! 葵さんを連れて行く!」
 葵を抱き上げ、返事も待たずに龍麻は走り出す。
 今まで保っていた天候が崩れ、盛大に雨が落ちてきたのはそんな時だった。



「葵っ!」
 自分に呼びかける小蒔の声で、葵は完全に目を覚ました。
「こま……き……?」
 葵の口からこぼれた声に、その場にいた全員が安堵の息を漏らす。
「ここ……は……? 私、いったい……」
「目黄不動で宝珠を封印した後、いきなり倒れたんだ」
「ここは、桜ヶ丘中央病院だよ」
 未だに意識がはっきりしていないのか、問う葵に醍醐と小蒔が状況を説明する。そこへ天然看護婦見習い、高見沢がやって来た。
「突然、みんなで来るんだもん、ビックリしちゃったぁ〜」
「高見沢さん……」
「えへへっ。でもぉ〜、意識が戻ってよかったねぇ〜」
 と、いつもの笑顔を振りまく高見沢。マイペースを崩さず、時には困惑の種ともなる彼女だが、こういう時の彼女の笑顔は皆を安心させる。
「顔色も、だいぶ良くなったみたい〜」
「私……どれくらい眠っていたの?」
「ちょうど、五時間くらいかな」
 時計を見ながら小蒔が答えるが、葵はそのまま上体を起こした。
「あっ――まだ横になってたほうが……」
「ううん。もう大丈夫……きゃっ!?」
 ベッドから降りようとした葵だったが、いきなり背後から肩を掴まれ、ベッドに押しつけられる。それをしたのは――
「龍麻くん……?」
「小蒔さんの言う通り、もう少し横になってた方がいい」
 額に指を突き付け、葵が体を起こせないようにして言う龍麻に、そうだよ〜と高見沢も頷く。
「無理ばっかりしたら、みんな心配するんだから〜。特に、ひーちゃんなんて〜……何でもないで〜す……」
 龍麻の視線に気付き、途中で言葉を止めるが、そこで終わらせなかったのが京一だ。
「そうそう。美里が倒れた途端に血相変えてよ。いやぁ、あれは見もぐおっ!?」
「いい加減にしろ、京一。仲間が倒れて気遣うのは当然だろう」
 げんこつを食らい、頭を押さえる京一に、呆れたような醍醐の一言。
 仲間への気遣い、というのは間違っていない。が、龍麻は京一達が知らない事情を知っている。その分、余計に心配しているのだ。今でこそ疲れが溜まったのだろうとの診断を既に聞いているから落ち着いているものの、今回倒れた原因が何なのかと岩山に詰め寄ったりしていた。仲間内で岩山に真正面からぶつかることのできる男性など、龍麻くらいのものだ。
「あっ、院長先生ぇ」
 そこへ、病院のヌシ――岩山が部屋へ入って来た。
「おや、どうやら、気がついたようだね。どうだい、具合は?」
「はい。もう大丈夫です」
「どれ――ふむ……だいぶ、良くなったようだね」
 一通り葵の様子を看て、岩山は満足げに頷く。が、親友の小蒔はまだ心配なようだった。
「無理しちゃ駄目だよ、葵。もっと、休んだ方がいいよ」
「そうだね。家の者には連絡しておくから、今夜はここに泊まってゆけ」
「でも……」
 岩山の進言に、葵が表情を曇らせる。が
「医者の言う事は、素直に聞くもんじゃ」
 岩山も譲ろうとはしない。ここは病院で、彼女は医者だ。医者の言葉は絶対である。
「それから、お前らもさっさと帰れ。大人数で、いつまでもいられたら他の患者の迷惑だしな」
「よく言うぜ。患者なんていないくせによ……」
 続いて龍麻達に向けられた言葉に、京一がボソッと漏らす。確かにここは産婦人科が本業で、患者と言っても妊婦がほとんどだ。霊的治療絡みの患者も、今は嵯峨野だけのはずである。迷惑も何もないのだが、岩山の耳はしっかりと京一のセリフを捉えていた。
「何か言ったかい、京一?」
「いえ、別に……」
 何て耳をしてんだよ、と内心で毒づく京一だったが、岩山はニヤリと笑う。そう、龍麻を除く男性陣が裸足で逃げ出す凶悪な笑みだ。
「何なら、お前だけはここに残ってもいいんだよ? 夜通し、わしの相手をしてくれるのならな……ひひ……」
「いっ、いえっ、帰りますっ! 今すぐ帰りますっ!」
 血の気の失せた顔を引きつらせ、脱兎の如く京一は部屋を飛び出して行った。
「さて、俺達もそろそろ行くか。じゃあな、美里」
「そうだね。葵、院長センセーの言う通り、今日はゆっくり休みなよ。また明日の朝、来るからさ。おやすみ」
「おやすみ、葵さん」
 醍醐と小蒔も部屋を出る。龍麻もそれに続こうとしたが、葵がそれを呼び止める。
「あ、龍麻くん……」
「何?」
「あの……ありがとう」
「あんまり気にしない事だよ。また明日ね」
 そう言って部屋を出ると、龍麻は先に出ていた岩山に声をかけた。
「先生、聞きたい事があるんですけど」
「どうした?」
「この病院で、外部からの干渉はどの程度防げます?」
「悪意を持つ霊は侵入不可。魔物の類も同様だ。知らずとも、お前さんなら解るだろうに」
「では《力》の干渉はどうです? 例えば、嵯峨野の持っている《力》なんかは、遮断できませんでしたよね?」
 かつて葵が嵯峨野によって夢の世界に囚われた時、嵯峨野の《力》は病院に運び込まれた後も働いていた。鬼道衆の干渉がどういったものなのかは判然としないが、防げるものなら何とかしたいのだ。
「ここ最近、夢で彼女に干渉してる者がいるんです。今回葵さんが倒れたのは、それも無関係じゃないような気がして」
「なるほどね……分かった。できる限りの事はしてみよう」
「ありがとうございます。では、これで」
 礼を言い、龍麻は歩きながら携帯を取り出した。メモリを操作してある番号を呼び出す。
『もしもし?』
「あ、僕だけど」
『ああ、例の物だね。準備はできた。明日にでも取りに来てくれ』
「分かった。急にこんな事頼んで済まなかったね」
『いや、別に大した事じゃない。君と僕ではそう大差はないから、すぐだったよ』
「ありがとう。それじゃ」
 一通りの話を終え、携帯を切ると龍麻は醍醐達を追った。



 翌日9月16日。真神学園通学路――早朝。
 いつも通りの登校の風景。昨日の出来事、今日の予定などを話しながら、生徒達が学校へ向かう。
 そこには龍麻達もいた。とは言え、いつもの五人組ではない。その中の一人、葵はまだ桜ヶ丘にいる。見舞いに行き、その足で龍麻達は登校しているのだ。
「おっはよーっ! 皆の衆、今日も元気そうねっ」
 後ろからの声に皆が振り向く。声の主、アン子がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「あっ、アン子。おはよー」
「よお」
 小蒔と醍醐が挨拶を返す間に、アン子は側まで寄って来る。
「珍しいじゃない? こんな朝早く、全員揃ってるなんて」
「……出て来るなり、一言多い女だな、お前は。あっち行ってろ、しっ、しっ――」
 バキッ!
 邪険にする京一の頬に、アン子の拳が炸裂した。平手から拳になっている辺り、容赦がなくなっている。
「――でっ、何かあったの? もしかして、美里ちゃんの事?」
「まあ、それもあるがな……」
「今朝、病院へ寄った時には元気そうだったから、大丈夫だとは思うけど」
 倒れ伏す京一を無視して、醍醐と小蒔が答える。
「ただ、鬼道衆の奴らについて、少し気掛かりな所があってな」
「でも、宝珠は五つとも封印したんでしょ? それに、あと残ってるのは、九角って奴だけ。問題ないじゃない」
「まあ、それはそうなんだが……美里があの調子だからな。今、仕掛けられると、こっちも身動きがとれん」
「なるほどねぇ……」
「てめぇら――」
 醍醐とアン子の会話に、険悪な声が割り込んでくる。言うまでもなく京一の声だ。
「何事もなかったかのように、話を進めやがって」
「あら、いたの?」
 いつぞやと同じようなやり取りに、龍麻達はお互い顔を見合わせ、肩をすくめる。
「この野郎ぉ……」
「男のくせに、女に殴られたくらいでグチグチ言わないのっ!」
「お前なぁ……」
 まだ何か言おうとする京一だったが、アン子は京一には興味ないと言わんばかりに龍麻に問いを投げかけた。
「そう言えば、その九角って奴、何者なのかしらね? 素性も居場所も、何も分かっていないんでしょ?」
「まあ、今の所はね」
 唯一分かっているのは、九角の姿くらいか。それも多分、であって確定ではない。しかも知っているのは自分だけだ。何にしろ情報が少ない。嵯峨野の時のように《氣》を残していないので追跡もできないのが現状だ。
 となると頼みの綱は現在調査を続けている天野だけなのだが――
「オニイチャン――!」
「ひーちゃ〜ん!」
 そこへ知った声が聞こえた。見ると、マリィと高見沢がこちらへやって来る。
「どうしたの、マリィ? それに舞子まで」
「葵オネェチャンが……葵オネェチャンが……」
「大変なのよ〜っ!」
 今にも泣き出しそうな――否、泣いているマリィと騒がしい高見沢。それだけで、龍麻には何が起こったのか見当がついてしまった。
「サッキ、病院へ行ッタノ……ソシタラ、葵オネェチャンガイナイノ――」
「なんだと……」
 醍醐は思わず龍麻に意識を向ける。葵が攫われた時の事を思い出したのだ。しかし、龍麻はあの時の事が嘘のように冷静だった。多少《氣》は乱れているが、危険は感じない。
「わたしも〜、葵ちゃんがいなくなったの気付かなくて〜」
 マリィの悲しみが伝染ったのか、高見沢まで泣き顔になっている。彼女は白衣のポケットから一枚の紙を取り出すと
「これが、ベッドの上に置いてあったの〜」
「手紙? 何て書いてあるの?」
 手紙を受け取った龍麻にアン子が尋ねる。龍麻はそれに目を通し
「いままでありがとう。さようなら」
 読み上げてから小蒔に渡す。
「小蒔さん、それ、葵さんの筆跡に間違いない?」
「え? ……うん、葵の字だよ」
 質問の意味は分からなかったが、文字を見て答える小蒔。
「どうしたひーちゃん? 気になる事でもあるのかよ?」
「ん、いや……僕が黙っていなくなった時のみんなの気持ちって、こんなだったのかな、って」
 いて当たり前だと思っていた人が、いなくなった喪失感――今更ながらに、自分はあの時ひどい事をしたんだなと思う。
「桜井、朝会った時に、美里に変わった様子はなかったか?」
 今日、直接葵と顔を合わせたのは小蒔だけなのだ。醍醐の問いに
「う……うん、これといって……」
「とにかく場所を変えよう。この場にいるのは何かと――」
 人目につくので移動しようと考えた龍麻だったが、少し遅かったようだ。よりによって、一番会いたくない人物が現れたのだ。
「遅かったか」
「アナタ達――どこへ行くの? そっちは学校とは反対方向よ」
 担任のマリアがそこにいた。まずい事になったと顔を見合わせる京一達。
「一体、どうしたって言うの? 先生に分かるように説明して」
「先生。緋勇、蓬莱寺、醍醐、桜井の四名は欠席扱いにしておいてください」
 事も無げに龍麻はそう言って背を向ける。その行動に戸惑ったのはマリアだけではなかった。京一達も、龍麻の態度に動きが止まっている。事情が事情とは言え、龍麻がこのような行動に出る事はまずないのだ。
「緋勇クン……ワタシには言えないような事なの?」
 立ち止まり、顔だけをマリアに向けて龍麻は言い返す。
「全ての事情を聞かなければ、僕達を行かせてはもらえないですか?」
 胸中穏やかでない京一達をよそに、無言で視線をぶつけ合う二人。少しして、マリアが溜息をつく。
「……分かったわ。今回は大目に見ます。その代わり、決して無茶な事はしないで」
「無理です、約束できません」
 だがそこで素直にハイと答えればいいものを、きっぱりと龍麻は言い放つ。フォローのしようがない……。マリアは一瞬顔を引きつらせたが、再び溜息をついた。
「仕方ないわね……緋勇クンがそこまで言うって事は、余程の厄介事なのね……分かりました、今日は欠席扱いにしておきます。でも、無事に帰ってくるくらいのことは約束できるかしら?」
「無事、はともかく、帰ってくるのは約束しますよ」
「……こういう時はね、分かりましたと言うものよ」
 龍麻らしからぬ言動に呆れ顔のマリアだが、これ以上は無駄と思ったのか、京一達を見る。
「アナタ達も気をつけてね。緋勇クンが無茶しないようにしっかり見張ってて」
「おう、任せとけって」
 軽く答える京一に、マリアは頷くとそのまま学校へと歩いて行った。
「おい、龍麻。いくら何でもさっきの態度はどうかと――」
 生真面目醍醐が龍麻に注意するが、その言葉は途中で止まった。龍麻の表情が変化していたからだ。戦闘時に見せる指揮官のそれである。
(龍麻は今回の件について何か掴んでるな……それでさっきの言動か。言葉の通りの事態になる、ということか)
 つまりは警告の意味であんな言い方をしたわけだ。誰に対するものかはこの際言うまい。
「場所を変える。舞子とマリィはこれから一緒に行動。いいね?」
 返事を待たずに龍麻は歩き出した。


 学校から離れて少しして、龍麻は足を止める。
(視られてる……?)
 《氣》も気配も感じない。だが、確かに何かがこちらを視ているような気がする。この感覚は確か――
「どうしたの、ひーちゃん?」
「ん、何でもない。雄矢、回れ右」
 問う小蒔に答え、龍麻は醍醐にそう言った。不思議そうにしながらも醍醐は龍麻に背を向ける。
「……エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……」
「おいおい、ひーちゃん……裏密じゃあるまいし」
 聞き慣れた呪文を口にする龍麻に、京一が呆れるが、彼が口にできたのはそこまでだった。
「魔人召喚。魔界の愛の伝道師、裏密ミサ」
「うふふふ〜」
 ズルッ
 醍醐の影が起き上がる。そこから生え――現れたのは紛れもなく裏密だった。いつぞやの江戸川区で、醍醐の影から彼女が出てきたのを思い出す京一と小蒔。醍醐はと言うと、龍麻の配慮のお陰でそれを見ずに済んだので固まる事だけはなかった。彼女の声が聞こえた時に一瞬震えたようではあったが。
 別に本当に龍麻が召喚したわけではない。彼女がこちらを視ているのを見越して、真似ただけだ。案外ノリのいい性格らしく、ミサはそれに乗じて現れたのである。
「うふふ〜。汝が魂と引き替えに〜、望みを叶えよう〜」
「やっぱり視てたね、ミサちゃん。魂はあげないけど捜してもらいたいものがあるんだ」
「あら――」
 龍麻が裏密に何やら頼もうとしたその時、別の声がかかる。ルポライターの天野絵莉だった。
「丁度良かった、天野さん。聞きたい事があったんですよ」
 醍醐がそう言うと、奇遇ね、と天野が返す。
「よくよくあなた達とは縁があるらしいわ」
(ちょ、ちょっと、桜井ちゃんっ。この人、誰よ?)
「あれっ? アン子、会ったコトなかったっけ? ルポライターの――」
「ルポライターの天野絵莉よ。よろしくね、記者の卵さん」
 小声で小蒔に尋ねるアン子に、天野が答えた。
「あなたでしょ? 真神学園の新聞部の部長って。噂はこの子達から聞いているわ、遠野さん」
 一方アン子はその言葉に目を輝かせている。龍麻達は知らない事だが、憧れの人が目の前にいるのだ。
「う、噂って……そんな……」
「一度飛び出したら止まらない暴走鉄砲玉。目的のためには手段を選ばない守銭奴。一点にこだわるあまり、周りに及ぼす影響お構いなし」
 何やら照れているアン子だが、龍麻の解説でこける。
「ちょっと、龍麻君っ!?」
「それが何とかなれば、お買い得な物件ですが。どうです天野さん?」
「ウフフ、考えておくわ。それより、学校はどうしたの? もしかして、集団脱走エスケープかしら?」
「今すぐに、あなたの知っている情報を下さい」
 問いには答えず、これまた唐突に龍麻はそんな事を言った。眉をひそめる天野だったが
「何かあったの?」
 と訊いてくる。
「書き置きを残して、葵さんがいなくなったんです。鬼道衆絡みで」
「ちょっと、ひーちゃん!? 鬼道衆絡みって、ホントなの!?」
 血相を変えたのは小蒔だった。恐らく攫われたと勘違いしたのだろう。龍麻は平然と頷いてみせる。
「そういうわけなんですが。新宿まで出張ってきたのはこちらに用があったからでしょう?」
「……ちょっと、一緒に来てもらいたい場所があるの。九角に関係する場所よ――もしかしたら、葵ちゃんの手掛かりが掴めるかも知れないわ」
「それは、本当ですかっ!?」
「天野サン、本当っ!?」
 醍醐と小蒔の反応は思ったよりも大きい。鬼道衆絡みとなれば、それは当然なのだが、その割に龍麻が慌てていないのが京一には気になった。それに、何故そうと分かるのか。龍麻はその辺の事情を全く話していない。
(ま、いつもの事か)
 情報を抱え込む癖がある龍麻だが、最終的にはそれを話してくれる。情報を小出しにされて混乱するよりは、まとめて分かりやすくしてもらった方がいいと京一は物臭な事を考えた。
「まぁ、とにかく、来てもらえば分かるわ」
「場所はどこです?」
「世田谷区よ。世田谷区、等々力渓谷――その地が、九角と深い関わりを持っているわ」
「ありがとうございました。みんな、行こう」
「ち、ちょっと……!?」
 場所を訊くだけ訊くと、龍麻は皆――仲間を促す。さすがに今回ばかりは天野が慌てた。 この先、何があるのか見当が付いた醍醐と京一は何も言わない。小蒔と高見沢、それにマリィは事情が飲み込めずにおろおろしていた。裏密は――無反応。
「いくら何でもそれはないんじゃないかしら? それに、まだ話は終わってないのよ」
 先程のマリアとのやりとりのように、二人が無言で向かい合う。
 龍麻の態度が気にはなるが、天野だって今回の件が一連の事件の最終局面になりそうだという事に気付いている。今まで関わってきた事件に決着がつこうかという時に、蚊帳の外にされると面白くない。
 しばしの沈黙の後、視線を外したのは龍麻だった。
「分かりました。でも天野さん、一つだけ言っておきますよ」
「……何かしら?」
「今回は、帰れとは言いませんから。デッドラインは自分で見極めてください。踏み込む前に忠告はしません。踏み込んでしまっても何も言いませんからそのつもりで」
「龍麻君! 天野さんに向かって何て口の利き方を――!」
「遠野さんにも言ってるんだよ。引き際は自分で決めてね。助ける余裕はないから」
 何故か食ってかかるアン子――尊敬する天野を邪険にされた事に腹を立てているのだが――を軽く受け流して、龍麻は携帯を取り出し、コールした。
『もしもし?』
「雷人、僕だけど。武器を持って世田谷の東急大井町線等々力駅に集合」
 雨紋に電話を掛けたようだ。有無を言わさぬ口調に、電話の向こうの時間が止まる。
『お、おいおい。いきなりそンな事言われてもオレ様にだって都合が……』
「そう。それじゃいいや」
『な……っ!? ちょ、ちょっ――!』
 ツーッ、ツーッ、ツーッ……
 話を打ち切って数秒後、携帯が鳴る。言うまでもなく、相手は雨紋だった。
「もしもし?」
『……もう少し分かりやすく説明してくれねぇか? さっきのじゃ何が何だか……』
「これから最終決戦に入る」
『って、鬼道衆とケリつけるのか!?』
「そのつもりだけど。でも都合悪いみたいだから無理しないでいいよ。それに、今回に関しては無理強いするつもりはないんだ。じゃあね」
『わーっ! 行くっ! 行くからっ!』
「分かった。じゃあ、後で」
 電話を切り、龍麻は京一達を見た。やや呆れ顔だが気にせずに告げる。
「手分けして仲間に連絡。京一はアラン、雄矢は兵庫、小蒔さんは織部姉妹を。舞子は亜里沙に。翡翠には僕から連絡する。さっき雷人に言ったように、今回は拒否してもいいから、それも伝えて」
 それぞれが仲間に電話し、龍麻も如月の携帯に電話を掛ける。
『龍麻か。どうしたんだい、こんな時間に?』
「悪いけど、例の物を持ってこっちへ来てもらいたいんだ」
『……場所は?』
「世田谷区の等々力駅」
『承知した』
「それともう一つ頼みたい事があるんだけど――」
 別の用件を告げ、電話を切る。皆も電話は終わったようだ。
「ひーちゃん、全員来るとさ」
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
 京一の報告に頷き、龍麻は駅へと歩き出す。それに続く仲間達。
 天野とアン子は何も言われなかった。先の言葉の通り、ここから先は自分の責任で動けということなのだろう。
 自分達を突き放すような龍麻の言葉――それが自分達を危険から遠ざけるためのものだということが天野には分かっていた。分かっていたが、今回ばかりは身の危険を二の次にしてしまった。
 そしてアン子も、今までこの手の事件から仲間はずれにされていたために、今回来るなと言われなかったのをいい事について来る。今までの龍麻の言葉の意味を考えることなく。
 結果、二人はその報いを受ける事になる。



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