やがて、屋上へと続く階段で、龍麻達はジルに追いついた。
 そこにいたのはジルとその護衛三名、そしてマリアだ。
「あなたたち……!?」
 龍麻達がここに来ている事に気付いていなかったらしい。マリアが驚きの表情を見せる。
「クッ――追い掛けて来おったか……」
「お前を野放しにしておく程、僕は甘くない。ジル・ローゼス、無駄な抵抗は止めてマリア先生を離すんだ」
 進み出た龍麻が、ジルに降伏勧告をする。が、それに従うようなジルではない。護衛の一人が、背後からマリアに銃を突き付けている。
「フフフ、それはこちらのセリフだ。この女の命が惜しければ、大人しくするのだな」
「私のことはいいわ! 早く、お逃げなさい!」
 マリアが叫ぶが、それを素直に聞く龍麻達でもない。かといって、手は出せなかった。下手に動けばマリアに危害が及ぶ。
 長引けば不利なのは龍麻達だ。何とか手を打たねばならない。
 そんな中、振り向くことなく後ろのアランに何やら問う龍麻。何やら、というのもそれが日本語でなかったからだ。英語、でもない。当事者以外には分からなかったが、それはスペイン語だ。
「何をこそこそ話している。妙な真似をするな。そこを一歩でも動いてみろ。引き金を――!」
 勝ち誇ったようなジルのセリフは途中で止まった。龍麻がそのままこちらへ歩き出したのだ。
「お、おいひーちゃん!? マリアセンセーが人質になってるんだぞっ!?」
 龍麻の行動が理解できず、慌てる京一。他の者も例外ではなかったが、如月は龍麻が何かを狙っているのに気付いた。アランも騒ぐことなく何やら待っているようだ。先の会話に関係があるのだろう。
「き、貴様! 聞こえなかったのか!?」
 人質が通用しない事にジルが慌てるが、それを無視して龍麻はマリアに話しかけた。
「マリア先生。僕には仲間の命を預かる責任があります」
 右手を掲げる。その手に《氣》が宿った。一瞬マリアは怯んだようだったが、龍麻の言葉に無言で頷き、目を閉じた。
「や、やめろっ! 貴様、正気かっ!?」
 慌てるジルをなおも無視して、龍麻は発剄を放った。《氣》の奔流がマリアに迫り――
「ぐわぁっ!?」
 彼女をすり抜け、銃を持っていた背後の男だけを吹き飛ばす。
 それと同時にアランが霊銃を抜き、銃を出そうとした残り二人の護衛を瞬時に打ち倒した。
「ナイス、アラン」
「HAHAHA」
 龍麻とアランはお互いに親指を立てて、作戦の成功を確認しあっている。
「……心臓に悪いよ、ひーちゃん……」
 龍麻が本気でマリアを見捨てたと思ったのか、心底安心したといった表情の小蒔。そんな小蒔を見て龍麻は笑った。
「担任を見捨てる程、非情じゃないよ。まあ、勝算があったから実行したんだけどね。先生、大丈夫ですか?」
 そして、未だに呆然としているマリアに声をかける。攻撃される覚悟はできていたはずだ。練った《氣》だって冗談で済むレベルではなかったのだから。それが自分に及ぶ事はなかったのが意外だったのだろう。
「え、ええ。少しびっくりしたけど大丈夫。ありがとう、緋勇クン」
「いいえ。こちらこそ、驚かせて申し訳ありませんでした。それより、先生はここからすぐに逃げてください。まだ、終わってはいませんから」
 龍麻は一人残ったジルに向き直る。ジルは階段を駆け上がっていくところだった。どうせ屋上は行き止まりだ。ヘリがあるといっても彼に操縦はできまい。
「ここから先は、僕達だけで行きます」
「そうね……分かりました。でもアナタ達も無理をしては駄目よ」
 意外と素直にマリアは龍麻に従った。そう言って下へ降りて行く。
 それを確認し、龍麻達はジルを追おうと歩を進めるが
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
 人にあらざる者の咆吼が聞こえたのはその時だった。


 階段を駆け上がり、屋上へと到着する龍麻達。そこにいるのはジルだけのはずだった。だが、そこにはジルの姿はない。その代わり、龍麻達にとっては既に馴染みとなったモノ達がいる。
 まず、どう見ても鬼道衆にしか見えない忍軍。中央公園で襲撃された時ほどではないが、かなりの数だ。その中に、一際大きな《氣》を持った鬼面の男。手に槍を携えているのは他の忍軍と同じだが、その槍は何やら他とは違う《力》を持っているようだ。
 その傍らに、異形が控えていた。金色の皮膚と白銀の体毛を持ち、額と胸から二対の角が生えている。かつて人であったもの。外法によって人でなくなった存在――鬼。
「やっぱり、てめぇらが後ろで糸を引いてやがったかっ!」
「いかにも。お初にお目に掛かる……鬼道五人衆が一人――我が名は、雷角」
 吼える京一に、槍を持った鬼面が答える。
「まさか、ここまでお前達が出しゃばってくるとは……もう少し早めに手を打っておけば良かったか……」
「ジルをどこに隠した!?」
 そう言ったのは醍醐だ。鬼道衆も倒すべき敵だが、ここでジルを逃がしてはどうにもならない。それを聞いて可笑しそうに雷角が笑う。激昂しかける醍醐を抑え、龍麻は目でそれを指し示した。鬼の額に浮かんでいる人の顔。誰であるのか、言うまでもない。
「莫大な金を湯水のように使い、何百人という子供を殺してきた……その報いを与えてやったのだ。構わぬだろう?」
 口ではそう言っているが、それが本心であるはずがない。第一、そのジルを援助していたのが鬼道衆なのだ。単に、用済みになったジルを口封じと同時に「再利用」しただけだ。
「さて、お前達をこのままにしておくつもりはない。いい加減、目障りになってきたのでな。ここで始末してくれる。常世の果てで、我らの仲間に許しを請うがいい」
 その言葉に、忍軍が展開した。ジルだった者は雷角と共に後方に下がる。
「おい、ひーちゃん。指揮は頼むぜ」
 水龍刀に《氣》を込めて、京一が前に出た。他の者達も準備はできているようだ。
「葵さんは後方で援護、アランと小蒔さんは支援攻撃。マリィ、君は葵さんの側にいるんだ」
「ワタシモタタカウ……」
 後衛組の指示を出し終えた龍麻だったが、意外な言葉がマリィの口から出る。その言葉に驚いたのは龍麻だけではなかった。例外はアランだけだ。
「アオイ……マリィに優シクシテクレタ。マリィノ事、トモダチダッテイッテクレタ。アオイダケジャナイ。ヒユウモ、ミンナモ……」
 マリィの身体から蒼い、陽の《氣》が放たれる。
「ダカラ……ワタシモタタカウ……!」
「マリィ……でも」
「アミーゴ、心配要らないネ」
 戸惑いを隠せない龍麻に、アランが言った。
「マリィが自分で決めたコトデス。ダイジョーブネ。マリィも、ボクタチの仲間。違いマースか?」
 そう言った後で、龍麻に近付くと、言語を変えて耳打ちする。
『マリィはアミーゴの事を心配してるんだ。僕達と同じ存在だから』
『……同じって、やっぱり彼女が朱雀なの?』
『ああ。つまり、さっきまでの不安定なアミーゴを心配してるんだ。僕達と同じように、ね』
 そう言われては、龍麻に返す言葉はない。そこまで四神組に余計な心配を掛けていたとは思ってもいなかったからだ。
『それに、アミーゴがさっきみたいになったら葵が悲しむ。マリィはそれを見たくないんだ。だから、葵は自分が護る、さっきそう言ってた』
『そう……』
『それに、僕だってあんなアミーゴは見たくない。葵の悲しむ顔はもっとだ』
 やや、怒ったような顔でアランは真っ直ぐに龍麻を見る。
「ダカラ、マリィの意志を、ソンチョーすべきデース」
 そして再び怪しい日本語で、他の者にも分かるように言った。その時にはいつもの陽気な顔に戻っている。
 龍麻は一息つくと、苦笑しつつ頷いた。
「マリィ、無理はしないように。アラン、君はマリィとペアで。彼女のフォローを頼む」
「ウンッ!」
「OK!」
「よっしゃ、行くぜっ!」
 指示を待たずに京一が斬り込む。彼の場合はいつも先陣だ。特別な場合を除き、命令を待つことはない。如月も、同じように京一に続く。
「雄矢、僕達も行こう」
「ああ」
 迫って来る忍軍に目をやり、二人は《氣》を解放した。

 敵の数は多い。更に今までとは違い、能力が高い者が増えている。格好は同じでも、持つ《氣》や動きでそれが分かる。
 それでも、今まで死線を潜り抜けて来た京一達の方が、格は上だった。
「どけどけぇっ!」
 下忍や中忍が繰り出す槍を、受け、弾き、斬り落とし、京一は敵を屠っていく。やや突出気味ではあるが、京一が囲まれる事はなかった。
「飛水影縫っ!」
 如月の放った手裏剣が、忍達の影へと次々に突き立ち、動きを封じる。如月は斃すよりも敵の動きの牽制を軸に動いていた。もちろんそれだけに留まらず、隙があれば攻撃に転じ、確実に戦力を削っていく。
 今回は、京一、如月が突撃組、龍麻と醍醐が掃討組になっていた。
 その掃討組――
「龍麻、聞いておきたい事がある」
 下忍の槍を掴み取り、カウンター気味に発剄を放った直後に、醍醐は隣の龍麻に声をかけた。
「ん、何?」
 こちらも攻撃をかいくぐり、円空破で至近距離にいた下忍二人を吹き飛ばして訊き返す。
「さっき、俺と如月に言った言葉、あれは本気か?」
 奪い取ったままの槍を、力任せに投擲する醍醐。弾丸の如き勢いに、離れた場所にいた中忍があっさりと頭を貫かれて地に伏した。
「冗談で言うような事じゃ、ないっ!」
 炎《氣》の生じた右手を真横に薙ぐ。炎の剣の如き軌跡が数体の下忍を焼き払った。
 醍醐が怒っているのは分かる。その原因が自分の言葉にあるという自覚が、龍麻にはあるからだ。
「ならば、もう一つ聞く! 最初からそのつもりで、お前は俺を旧校舎へ連れて行ったのか!?」
「最悪の場合は、頼むつもりだった……」
 自分達を遠巻きに囲む忍軍に注意を払いながら、龍麻は問いに答えた。
「自分が自分を保てれば、その必要はない。そんな汚れ役をさせる事もない。でも、さっきので、自分の意志で《暴走》を抑え込む自信がなくなった……」
「地下室の件か……?」
 自分達が戻ってきた時には既に収まっていたが、何があったのかは聞いた。龍麻が《暴走》しかけたが、葵がそれを止めたのだ、と。
 それでも醍醐は腑に落ちなかった。以前聞いた話では、葵の存在そのものが龍麻の《暴走》を抑える鍵であるように思っていたからだ。それが今回は働いていないように思えたからだ。
「葵さんが僕を庇った時、葵さんと彼女達がだぶって見えた……」
 彼女、というのは比良坂の事だろう。しかし龍麻は複数形で言った。もう一人――真紀の事を醍醐は知らない。醍醐は黙って龍麻の独白を聞いていたが
「それだけで……僕は葵さんがいるのも忘れてああなったんだ……!」
「しかしそれは――龍麻っ!」
 龍麻の背後から、中忍が襲いかかる。龍麻の方は気付いていない。発剄を撃とうとした醍醐だったが距離がある。間に合わない――
「火龍っ!」
 その時、後方から炎《氣》を纏った矢が中忍を射抜く。小蒔の一矢だ。
「ひーちゃん、何をボーっとしてるんだよっ!? 戦闘中だよっ! 醍醐クンもどうしたのさっ!?」
 怒鳴る小蒔の声も、二人の耳には届いていない。いや、届いてはいたが、返事はなかった。先の会話がまだ終わっていなかったからだ。
「龍麻、お前が《暴走》を恐れるのは分かる。俺も似たようなものだったからな。だが、お前は逃げないと約束したんだろう?」
「……もちろん、ただ逃げるつもりはないよ。それでも、僕と雄矢じゃ危険度が違う。雄矢が《暴走》しても、皆の力を借りれば行動不能にする事はできる。同格の翡翠がいるんだからね。でも、僕が《暴走》したら……手加減して戦えるレベルじゃないって事は分かるよね? 旧校舎で戦って、それが分かっているはずだよ?」
 《力》を使い慣れていない醍醐と龍麻の戦闘。あの時点ではほぼ互角だった。白虎の《力》に今以上に馴染めば、醍醐の方が有利なはずだ。が、《暴走》した龍麻の戦闘力にどこまで追いつけるか――少なくとも《氣》だけで相手を、それも京一や雨紋、紫暮といった手練を動けなくするという芸当は、今の醍醐にはできそうにない。
「……よく分かった」
 深々と、醍醐は溜息をつく。そして
 ゴンッ!
 その拳が、龍麻の頭に振り下ろされた。
「い……痛いじゃないか! 何を――!?」
「それで、先の発言は聞かなかった事にしてやる」
 《氣》こそ込めていなかったものの、容赦ない一撃に涙目になりながら龍麻がかみつく。が、醍醐は厳しめの表情を崩さずに龍麻を見据えた。
「いいか、龍麻。確かにお前が《暴走》すれば、俺達は全滅だ。さっきの件で、どんな些細な事で《暴走》するか分からないと不安になるのも分かる。だがな、俺は自分の《力》を、仲間を斃すために使うつもりは微塵もない」
 学生服を脱ぎ捨て、醍醐は《氣》を練り始める。
「お前は言ったな。白虎の《力》を使え、とは言わないと。俺の意志に任せると。だから、お前の願いは聞き入れられん。俺の《力》は、大切なものを護るためにある」
 髪が逆立ち、身体が膨張していく。肌の色は変わり、縞模様が現れ、醍醐は変わりつつあった。
「お前がお前であるために、俺の大切なものを護るために、俺はお前の盾となってお前を、お前の護るべきものを護ろう。お前の大切なものを護るために、俺はお前の敵を斃す拳となろう。それが――」
 強大な《氣》の渦が放たれる。周囲の意識を一瞬にして集めてしまう程の膨大な《氣》が、獣の姿となって顕現した。
 四神が一、白虎。
「それが俺の意志だっ!」
 
『マリィ、次っ!』
『うんっ!行けっ!』
 アランの霊銃が下忍達を牽制し、その間にマリィが《力》を振るう。
 小さな火球を伴った蜥蜴――サラマンダーが、一瞬動きを止めた下忍に襲いかかり、炎に包み込んだ。為す術もなく焼かれ、灰と化す下忍。
 マリィの能力――火走り。ジルは失敗作だの出来損ないだのと言っていたが、彼女自身の《力》は決して弱くはなかった。ただ、どんな《力》でも本人に振るう意志がなければ役には立たない。マリィに無理矢理《力》を使わせようとしただけのジルには分からなかっただろう。人の想いというものが、どれだけ《力》に影響を与えるのかを。
『やるな、マリィ』
『……自分でも不思議なの。ここまでできるなんて、思ってもみなかった』
 戸惑いながらも、マリィは敵から注意を逸らさない。望んだ事ではなかっただろうが、今までに受けたであろう戦闘訓練は、確かにマリィを一人の戦士へと変えていたのだ。
『でも、今はこの《力》が必要なの! マリィの大切なものを護るためにっ!』
 その声に応えるかのようにマリィの《氣》が高まっていく。そして、それは一緒にいたアランにも影響を与えていた。
 自分の《氣》が高まる感覚――マリィの《氣》と一つになり、更に勢いを増していく自分の《氣》に、アランは悪戯を思いついた子供のような笑みを作り、マリィに向けた。
『マリィ、僕と君の《氣》を一つにして、一気に放つ。できるか?』
『大丈夫、心配しないで。……失敗したら、許さないからね』
 と、強気の言葉。先程まで葵にしかなついてなかったのが嘘のようだ。戦闘による高揚感がそうさせたのか、片言でなく、言葉がはっきりと通じるアランが相手だからなのかは分からないが、浮かれない程度に余裕を持つのはいい事だ。
『……お手柔らかに』
 そう言って、行動に移ろうとした二人だったが、ふと龍麻の方へ目を向けると、醍醐が龍麻にげんこつを落とした場面が映った。
 何事かと思われたが、次の瞬間、醍醐の姿が変わったのを見て、動きが止まる。いや、それはアラン達だけではない。敵である鬼道衆達も、その圧倒的な《氣》に注意を奪われていた。
『……あ、あれ、何? ダイゴが変身して……』
 四神の発現を初めて見たマリィが、驚いている。それはアランも同じだった。ただ、二人は自分の《氣》がそれに呼応するような感覚に意識がいっている。アランはそれが何であるのか知っているが、マリィにはその知識がない。混乱するのも当然だろう。
『ねぇ、アラン。これ、一体……?』
『心配は要らないさ。マリィはあの醍醐が恐いかい?』
『……ううん。そんなことない。力強くて、暖かい……』
 確かに恐怖は感じない。それどころか親近感のようなものすら感じる。そう、とても強い絆のような何か――
『だったら、問題ない。こっちだって、負けてられないぞ』
『……そうだねっ!』
 アランの言葉にマリィが頷く。
 二人の《氣》が絡み合い、その勢いを増していく。風が渦巻き、炎が走る。鬼道衆達が我に返った時は、既に遅かった。
『『いけっ! アッシュ・ストームッ!』』
 広範囲に巻き起こった炎の嵐は、前方に展開していた忍達を瞬く間に飲み込んでいったのだった。

 小蒔は、目の前で起こった出来事に、完全に目を奪われていた。
 戦闘途中で龍麻と醍醐が何やら言い合って、動きを止めた。それを狙った中忍を、自分が斃した。そしてその後、醍醐が龍麻を殴ったところまではいい。しかし、これは一体どういうことなのか。
 白虎――かつて真神の体育館裏で、異形と化した佐久間を引き裂いた存在。それが再び目の前に現れたのだ。
「ど、どうして……? どうして醍醐クンがまた……」
「大丈夫よ、小蒔」
「あ、葵……でもあれは――!」
 小蒔が戸惑うのは無理もない。彼女が知っている白虎は、あの時のものだけなのだ。
「見るんじゃなくて、感じるの。あれは紛れもなく、いつもの醍醐くんよ」
 諭すような葵の言葉に、小蒔は再び醍醐を見る。冷静になって見てみれば、確かに。彼の纏う《氣》は陽の《氣》だ。それに、あの時のような悪意は感じられない。
「で、でも……いつの間に醍醐クン、あんなコトできるようになったの?」
「この間の旧校舎の時。あの時から自分の意志で制御できるようになったんじゃないかしら」
 葵の考えは正しい。龍麻がそのつもりで彼を旧校舎へ引っ張って行ったのを知っているからだ。ただ、龍麻に別の意図があったことまでは、さすがに葵も知らない。
 戦闘も完全にこちらのペースだ。もう援護は必要ない。小蒔の方も矢が尽きていて、これ以上の戦闘は無理だ。
「……大丈夫かな、醍醐クン」
 完全には不安を拭えないのか、心配げな視線を醍醐に送っている小蒔に
「もう、二度とあんなコトにはならないよね?」
「ええ、大丈夫よ。私達が……小蒔がそう信じている限り、そんな事は絶対にないわ」
 そう言って、葵は震えている彼女の手をそっと握ってやったのだった。

 アランとマリィの爆発的な《氣》の高まりを背後から感じつつ、醍醐は白虎変を果たした後にもかかわらず、意外と落ち着いていた。
 旧校舎で白虎変を果たした時、体の自由が利かなかったことがあったが、あの時とは大違いだ。身体の奥から湧き上がる《氣》が体内を循環し、自分の今の力を認識させる。
(気の持ちよう一つでこうも変わるものなのか)
 体育館裏で怒りに全てを支配された自分、旧校舎で半ば強制的に《力》を解放させられた自分、そして、自らの意志でその《力》を使う事を選択した自分。
 何かを護るための《力》――その通りなのだろう。今の醍醐に《力》に対する不安は全くなかった。
「龍麻、俺はどうすればいい?」
 正面を見たままで、尋ねる。《力》を使うのは自分の意志だが、自分は龍麻の拳であり、盾である。そう決めたのだ。
 龍麻は少し考えた後で、逆に尋ねる。
「今の雄矢なら、残りの敵を殲滅できる?」
「……雑魚は片付くだろうな。雷角と、ジルまで何とかなるかは、正直わからんが――」
 言いかけたところで、後方からの大火がその雑魚のいくらかを焼き払っていった。アランとマリィの方陣技だ。その威力に驚きながらも醍醐は一言。
「……数も減ったし、何とかなるだろう」
「それじゃ、頼むね。無理そうならすぐに言って。援護を回す」
「ああ。……いくぞっ!」
 醍醐が一気に敵陣へ突入する。もちろん敵に動きがあれば、いくら固まっていたとは言え反応を見せるのは当然だ。向かってくる醍醐に狙いを定め、無数の槍が突き出される。
 ガガッ!
 鋼と化した、と言っても過言ではない醍醐の皮膚は、その全てを弾き返す。動揺を隠せない忍軍に、醍醐は容赦なく発剄を撃った。尋常でない威力に、忍軍が次々と吹き飛ばされていく。
「かーっ。醍醐の奴、重戦車だな」
 突撃で割れていく鬼道衆の陣営を見ながら、刀を片手に京一は暇を持て余していた。手出しの必要がないように思えたからだ。それは如月も同じらしく、半蔵を片付け、観戦モードに入っている。
「如月に醍醐、それにアランもか。四神だけで、鬼道衆片付くんじゃねぇか?」
「そうもいかない。四神の《力》を使うにしても、限界はある。無尽蔵に《力》が湧いてくるわけではないからね」
「制限時間がある、か。仕方ねぇだろうな、あれだけパワーアップするんじゃ」
 たったそれだけの会話の間にも鬼道衆はその数を減らし、残るはジルと雷角のみになっている。
 鬼と化したジルが醍醐に迫る。それを醍醐は正面から受け止めた。腕と腕がぶつかり合い、単純な力勝負となる。がっちりと組み合ったまま、膠着状態になる醍醐とジル。
「グオォォォォッ!」
 咆吼をあげ、醍醐を押し戻そうとするジル。だが、並の人間ならば簡単に捻り潰せるであろうその腕力も、醍醐には通用しない。じわじわと、醍醐に押されていく。
 このままいけば醍醐の勝ち、誰もがそう思う。が、それをよしとしない者が動いた。
「覚悟っ!」
 傍観者を決め込んでいた雷角が、槍を手に醍醐に迫る。それに気付いた醍醐ではあったが、現状ではジルを離す事ができなかった。雷角の攻撃には完全に無防備だ。それでも醍醐に慌てた様子はない。理由は――
「させないよ」
「き、貴様……」
 雷角の槍を、龍麻が掴み取っていた。彼は戦場全体を見る者だ。敵も残り二体の状態で、彼の目に触れずに行動できる者などありはしない。
 槍を掴んだまま、龍麻は特に行動を起こさなかった。振り解こうとする雷角だが、槍はぴくりとも動かない。
「二人の勝負に横槍入れるなんて……って、そのまんまだね。悪いけど邪魔はさせない。雄矢、早く片をつけちゃって」
「……おおっ!」
 緊迫感のない龍麻の声に、醍醐が応える。
 ベキッ!
「ゴアァァァァァッ!?」
 醍醐の力に耐えきれず、ジルの腕が限界を超えた。鈍い音と、悲鳴が周囲に響き渡る。 腕は完全に、使い物にならなくなっている。まだ身体から離れていないのが不思議なくらいだ。へし折れた両腕をぶら下げたまま、戦意を喪失してジルは後退するが、それを見逃す醍醐ではなかった。
 鋭い爪に《氣》が宿る。振り下ろされたそれは、醍醐の予想以上の破壊力を見せた。《氣》の宿った爪、というよりは《氣》によって形成された爪、という方が正しいかも知れない。爪の延長上に伸びた《氣》の刃が、ジルの身体を易々と斬り裂いたのだ。
 断末魔の悲鳴を上げ、ジルの身体が消滅していく。
「残るは一人」
 ジルの死を確認して、龍麻は雷角に意識を向ける。身動きの取れないままの雷角だったが、このままでは殺られると思ったのか、槍を手放そうとした。
 だが、そこで龍麻が思いも寄らぬ行動に出る。あっさりと、手を放したのだ。正確には槍を横に押し出したのだが、雷角は迷った。槍がなくても《力》は使える。間合いを取って攻撃するか、それとも槍を引き戻すのか。
 その一瞬の迷いが、彼の命運を決めた。
 何者かが駆けて来る音。目の前の龍麻が不意に横へ避ける。その後ろから刀を手に迫ってくる男。
 その男、蓬莱寺京一に気付いた時には、水龍刀が深々と身体に潜り込んでいた。
「悪ぃな。タイショーにばっか、いい格好させられないんでね」
「が……! お、おのれ……餓鬼共……!」
 槍を取り落とした雷角の手に《氣》が集まり、放電を始める。しかし、それを放つだけの余力も既になく――
 再度の斬撃で、雷角の首は宙を舞った。


 珠を回収し、戦利品を集めようかというところで建物に震動が走る。今までのパタンでは、このままだとろくな事にならない。案の定、爆発音が続けて響き、建物が崩れ始めた。もちろん建物と心中をするつもりなどない。慌てて龍麻達は撤退する。
 学院を脱出して間もなく、建物は完全に崩壊した。あれだけ大きかった施設は見る影もない。証拠隠滅のためか、かなり強力な爆薬が使われたようだった。
「みんな、無事か?」
 醍醐が皆の状況を確認する。怪我人もなく、全員無事だ。
「そういや、エリちゃんとマリア先生、無事に逃げ出せたかな?」
「時間的には、十分余裕があったはずだから、無事だよきっと」
 地下室での騒ぎの時点で、天野の取材も打ち切られたはずだ。彼女とて、自分の命が大切だろう。危険を承知で学院内に留まるメリットもあるまい。マリアにしても、ここへ留まる理由はない。
 龍麻がそう説明すると、京一はその場に座り込んだ。
「やれやれ、だな」
「ああ。だが、ここで休んでいるわけにもいくまい。当然の事だが、表が騒がしくなってきた。これ以上の長居は無意味だ。龍麻、ここは引いた方がいい」
 そう言う醍醐も辛そうだった。彼の場合、白虎変による消耗が激しかったのだ。やや、顔色が悪い。
 あれだけの騒ぎだ。人が集まるのも当然。そのうち、警察や消防も駆けつけてくるだろう。そうなると、面倒な事になる。
「あ、でもひーちゃん。マリィはどうするの?」
 小蒔の一言に、皆の視線がマリィに集まる。
 マリィの家はここ、ローゼンクロイツだった。その責任者も死に、建物は全壊。仮に学院が機能していても、マリィを返すつもりはない。それにこのような場所にいた以上、身寄りもないのだろう。
「マリィ、私と一緒に帰りましょう」
 どうしたものかと考える龍麻達だったが、葵がマリィにそう言った。
「エ……?」
 言葉の意味が分からなかったのか、マリィは戸惑いの表情を見せる。優しく微笑みながら、葵は続けた。
「私と一緒に暮らすのは、いや?」
「……ウウン。デモ……」
「これからは、私の家がマリィのお家になるの。ね、一緒に暮らしましょう。私がお姉さんになってあげる」
 葵の性格を考えれば、当然の行動だったのかも知れない。今まで、ずっとこの牢獄のような場所に閉じこめられ、同じ年齢の女の子の楽しみを何一つ知らず、ただ、兵器として扱われてきた。そんなマリィを放っておけるはずがない。
 それに、マリィも葵には心を開いている。マリィを引き取るのであれば、彼女が最適なのだろう。
「父も母も許してくれるわ。だから、ね。一緒に行きましょう、マリィ」
「……ウン」
 葵の差し出した手を、マリィは握り返す。マリィが葵を受け入れた事に安心したのか、周囲から息が漏れた。
「よし、一件落着! ってことで、とっととここからおさらばしようぜ」
「そうデースネ。急ぐがいいデース」
 陽気な声で京一が立ち上がり、それにアランも続く。
 色々と話す事もあるが、それは別の場所でだ。
 龍麻達は、そのまま大田区を後にした。



 この日、龍麻達は仲間を得る。マリィ・クレア。四神が一、朱雀の《力》を持つ少女。
 そしてマリィも、大切なものを得た。
 友達、本当の仲間、そして家族を。



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