「ひーちゃん、あのジジイは俺が相手するか?」
 ジルの腰に下げられている剣を見て京一が問う。しかし
「いや……あいつは僕が斃す。手出しは無用」
「そ、そうか……」
 今回の元凶は自分の手で叩きたいようだ。今までに何度か見た事のある冷たい表情、そしてその声に、京一は引き下がるしかない。
「それじゃ、俺はあのガキを叩くか」
 水龍刀の峰で肩を叩きつつ、京一は無造作に赤い帽子をかぶった黒人の少年、トニーに近付いていく。
「ケケッ、オモシレェ。グチャグチャニ潰シテヤル」
 それに気付いたトニーは懐から拳銃を取り出した。そのまま京一に狙いを定めるが、それでも京一は怯むことなく、歩を進める。
「クタバレッ!」
 トニーが引き金を引いた。その銃から発射された物は鉛玉ではない。《氣》弾だ。
 しかし、京一の頭を狙って放たれたそれは目標を捉える事はなかった。
「へぇ、アランと同じ能力かよ」
 無造作に頭を傾け、それを避けた京一は事も無げにそう言った。
「だが、腕は到底及ばねぇな。比べるだけ、アランに失礼ってもんだ」
「バ、バカナ……!」
 避けられた事に動揺を隠せず、続けて《氣》弾を放つトニー。だが、いくらやっても結果は同じ。当たるどころかかすりもしない。
「ナ、ナンデミエナイ弾ヲヨケレルンダヨ……」
 じりじりと後ずさるトニーを前に、京一は溜息をついた。
「馬鹿かよ。見えなくても《氣》の塊である事には変わりねぇだろうが。おまけに殺意のこもった《氣》だ。感じる事は造作もねぇよ」
「ク、クルナッ!」
 再度トニーは《氣》弾を放つ。だが今度は更に信じられないものを見せつけられた。京一が、《氣》を込めた水龍刀で《氣》弾を叩き落としたのだ。弾かれた《氣》弾が機械の一つに当たり、その機能を停止させる。そこそこの威力はあるのだろうが、当たらなければ意味はない。
「おまけに、狙いが単調なんだよ。来る場所が分かってれば、そこに刃を置いとくだけでいい。勝手に弾いてくれるしな。もう少し速く連射できて、狙いが微妙に違ったら、もしくはそれが本物の拳銃だったら危なかったが、お前程度の使い手なら、敵じゃねぇ」
 不敵な笑みを浮かべ、京一が水龍刀を掲げる。これだけ《力》の差を見せつけられたトニーではあったが、未だに銃を手放さない。いや、手放せないのだ。震える手で銃を握りしめ、京一に向ける。
「与えられただけで《力》を理解しようとしなかったのが失敗だったな。いくら強い《力》を与えられても、想いのない《力》が通用するかよ」
「ウ……ウワァァァァァッ!」
 恐怖に顔を歪め、再び銃を放とうとするトニーを
「往生際が悪ぃぜ」
 《氣》を込めた京一の一閃が造作もなく叩き伏せた。

 龍麻がジルへ、京一がトニーへ向かった結果、必然的に醍醐の相手はロシア系の少年、イワンとなった。どうやら自分と同じで肉体派らしく、ボクサーのような戦闘スタイルを取っている。
「できるなら、無駄な抵抗は止めて欲しいんだがな」
 醍醐の言葉にもイワンは答えようとしない。ただ黙ってこちらを窺っている。
「言っても無駄か。そういう風に教育されているんだろうからな」
 諦めて、醍醐も構える。そこへイワンが飛び込んできた。
 先制の拳が醍醐を捉える。《氣》を込めた一撃だ。常人ならその一撃で事切れてもおかしくないほどの威力だったが、生憎と醍醐は常人ではない。《氣》による保護は働いているし、急所を狙ったであろう一撃も巧みにずらし、ダメージを最小限に抑えている。
「どうした、この程度か?」
 珍しく、挑発するような言葉を吐く醍醐に、表情を変えることなくイワンは拳を放った。今度は一発ではない。速さを活かして息つく間もなく無数の連撃を叩き込む。その猛攻に身体を晒しながら、醍醐は蹴りを繰り出した。しかしイワンも戦闘訓練を受けた者だ。一瞬にして間合いを離し、蹴りから逃れる。
(意外と速いな……まあ、京一や龍麻には遠く及ばないが)
 戦闘時に相手の能力を把握する方法は幾つかあるが、まず、相手の攻撃を受けてみること。場合によってはその一撃で終わってしまう事もあるだろうが、それを見誤るほど醍醐も愚かではない。それに、これが一番分かりやすい。相手に自分を倒す力があるのかどうか、それがはっきりするからだ。相手が自分を倒せないのなら、後はどうにでもなる。 目の前にいる少年を見ながら醍醐は考える。
(向こうの防御がどの程度かは分からないが……少なくともあいつの攻撃は俺に通じない。となると、どうやって捉えるか、だが)
 イワンの方も、自分の攻撃が通用していないように思ったのか、その表情に焦りの色が見え始めている。
 醍醐は腕を広げ、身体を晒して見せた。やれるものならやってみろ、とその目が訴えている。
 醍醐の奇妙な行動に、イワンは戸惑ったようだが、それでもあえて誘いに乗った。ジルに命じられたのは抹殺だ。このまま睨み合っていたのではいつまで経っても任務を遂行できないのだ。
 《氣》を込めた拳が繰り出される。それは確実に醍醐の腹を捉えた。
 しかし、それだけだ。渾身の一撃は、醍醐にさしたるダメージも与えていないのだ。筋肉の鎧、そして《氣》の鎧によって阻まれている。
 もちろん、全くのノーダメージではない。しかし、醍醐の動きを鈍らせるほどのものでもなかった。
 醍醐の両腕が、イワンの身体を抱え込む。必死に振り解こうとするイワンだが、醍醐の腕力の前に為す術もない。
「打撃系ばかりでは、俺には勝てん。もう少し幅広く学ぶんだったな」
 みしり、と骨が軋む音が聞こえた。腕に込められる力が強くなっていく。それに伴い、イワンの身体にかかる圧力も大きくなっていく。
「これで、終わりだ」
 ベキッ! 
 両の腕が砕ける音。続いてあばらが限界を超え、その形を失う。悲鳴を上げる間もなく、イワンの意識は落ちた。

 ジルは目の前の出来事が夢ではないのかと疑った。
 龍麻が自分を標的にした事、それはいい。そして、それを阻むべくサラが龍麻の前に立ちはだかった、それもよしとしよう。
 だが、そのサラは何の抵抗をする間もなく、その場に崩れ落ちたのだ。
「ば、馬鹿な……千里眼を持つサラが、何故貴様の攻撃を読めなかったのだ……!?」
「千里眼……ああ、そんなこと?」
 全てを見通す――つまりその気になれば敵の攻撃も先読みできるのだろう。それが通用しなかったのを驚いているようだが、別に大した理由ではない。
「敵の攻撃が読める。未来が見える。確かに、便利なのかも知れないね。でも、本人がそれに対応できなければ意味がない」
 恐怖に顔を歪め、目を見開いたまま、倒れているサラを一瞥し、龍麻はジルに向き直る。
「どんな気分なんだろうね。自分が倒されるイメージしか出てこないのは。どれ程の恐怖なんだろうね。自分の見た未来に、抗う術がないのは。どう足掻いても末路が同じだっていうのは」
 実のところ、龍麻は何もしてはいない。いや、確かに《氣》によるプレッシャーをかけはしたが、それ以上の事は何もしていないのだ。
 未来が分かるからと言って、起こるであろう災厄から逃れられるかというと、必ずしもそうではない。
 極端な例だが、水が注がれる部屋に閉じこめられているとしよう。あと五分で部屋は水で満たされ、自分は溺れ死ぬことが分かった。出口は決して開かない。水を止める事もできない。助けは絶対に来ないということも分かった。ただ、溺れるのを待つだけ。
 そのような状態で、何ができるか。部屋の壁を壊す、それも一つの可能性だ。できれば、の話だが。部屋に入ったらどうなるかを知っていれば、溺れ死ぬ事を避けることもできただろう。が、入ってしまった後ではそれも不可能。
 何事にも結果の分岐点というものが存在する。彼女は見たのだろう、自分に攻撃を仕掛ける龍麻を。そして知ったのだ。自分がどう動こうともそれから逃れる事はできないということを。龍麻の前に敵として立ちはだかった時点で、彼女の未来は決定していたとも言える。
 結局サラは、自分の《力》に押し潰されてしまったのだ。
「いい加減に覚悟を決めてもらうよ。ご自慢の兵士が役に立たなくて残念だったね」
「くっ……こいつらがいなくとも、貴様如きワシの敵ではないわっ!」
 開き直ったのか剣を抜き、ジルは龍麻に剣を振るった。距離が空いてはいたが、その剣から《氣》の刃が放たれる。もちろんそんな攻撃を食らう龍麻ではない。身体を僅かにずらす事でそれを避ける。《氣》の刃は背後の機械を両断した。煙を上げ、機械が小さな爆発を起こす。幸い、葵には何の影響もないようだ。
「確かに……敵じゃないね。選ばれた民って言ってもこの程度?」
 嘲るような口調で、龍麻は言い放つ。プライドの高いジルである、これに反応しないはずがない。頭に血を上らせつつも間合いを詰め、凶刃を振り下ろす。
 年齢の割にはよく動く。それでも、今の龍麻に及ぶものではない。斬撃を回避し、逆に連続して掌打を繰り出す龍麻。攻撃としては単調だが、圧されてジルは後方へ下がる。しかしそれも長くは続かない。背後の壁が、それ以上の後退を許さなかった。
 追い詰められたジルはそれでも剣を振り上げる。その刹那――龍麻の龍星脚がジルの右手首を捉えた。蹴り上げる、というよりは踏み潰すような形で、剣を握った手が嫌な音を立て、壁にめり込む。ゆっくりと、龍麻はその足をジルの手から離した。
「ぐわあぁぁっ!」
 たまらずジルは悲鳴を上げた。これで利き手は完全に使い物にならない。
「わ……ワシの手が……」
「そんな事より、今度は他の箇所を心配をするんだね」
 壁に寄り掛かり、手首を押さえるジルの胸部に、龍麻は自らの手を押し当てる。
「ナチスだか、第三帝国だか知らないけど……今までに行った人体実験の数々……」
 龍麻の《氣》が高まっていき、手に集まりつつあった。
「そして、葵さんとマリア先生を攫った。しかも葵さんを実験に使ったね……?」
「ひ……ひぃ……!」
 ジルの中に、ある感情が生まれる。どう足掻いても敵わない龍麻に対する、恐怖。今のジルにできること、それはその恐怖から逃れようと足掻く事だけであった。
「それだけは、絶対に許せないっ!」
 動かぬ体に鞭打って、ジルは壁から身を離す。それでも龍麻の手はジルの身体を捉えたままだ。
 次の瞬間、渦巻く《氣》が解放される。それは壁と床を抉り取り、その破片と共にジルを部屋の外へと吹き飛ばした。

「アオイ……アオイ――ッ!」
 戦闘が終了したと同時に、マリィが葵に駆け寄っていく。とは言え、葵は未だにガラス筒の中にいた。呼び起こそうとでもしたのだろうか、マリィがガラスを叩くが、葵には何の反応もない。
「そうだっ。早く葵を助けなきゃっ!」
 小蒔がそう言って実験機器に向き直るが……
「……これ、何がどうなってるの?」
 と、呆然と立ち尽くす。《力》に関する研究に使用する機材だ。一高校生である小蒔にそれの使用方法が分かるはずもない。
「どれを操作すれば、美里をここから出せるんだ……?」
 醍醐も機材を前に困惑している。下手に触って取り返しのつかない事になっては意味がないのだ。
「龍麻、お前には何か――龍麻!?」
「マリィ、少し離れてて」
 龍麻なら、使用法は分からずともスイッチに記された英語くらいは読めるのでは、と声をかける醍醐だが、当の龍麻は葵の入ったガラス筒の前に移動し、マリィを避難させて《氣》を練るところだった。
「お、おい龍麻! 迂闊な事は――!」
「ガラスを壊すくらいなら、別に支障はないはずだよ。機械の使用法を解明するよりは、この方が早い」
 研究員達が何人か残ってはいたが、意識のある者は一人もいない。すぐ近くで行われた戦闘の恐怖に耐えきれず、気絶してしまったのだ。それに、起こしても素直に従うとは思えない。
 ガラスに手を当て、《氣》を解放しようとした龍麻だったが、それを止める者がいた。
「京一……?」
「お前の《氣》じゃ、ガラスを粉々にしちまうだろ。それに、下手に振動を起こせば、美里にも影響が出るかも知れねぇ。ここは、俺に任せときな」
 そう言って、京一は水龍刀を鞘に収めたまま構えた。腰を落とし、やや前屈みの体勢で鯉口を切り、柄に手を添える。
「でやあぁぁぁぁぁっ!」
 気合いの声と共に解き放たれた白刃が、二度、三度と閃いた。慣れた手つきで刀を収める京一。チン、と鍔が鳴った瞬間、ガラスケースが斬り抜かれ、そこから液体が流れ出した。もちろん、その中にいた葵もだ。
 その葵を龍麻が抱きとめる。
「葵さん……葵さん!」
「う……」
 龍麻の声に、葵の口から声が漏れる。ゆっくりと葵は目を開いた。そこにあったのは、自分がよく知っている顔。
「龍麻……くん……?」
「そうだよ。よかった、無事で……」
 心の底から、龍麻はそう思った。葵を救出できたことで、張り詰めていたものが切れたのか、不穏な気配がすっかりなくなっている。
 もちろんそれに気付かぬ京一達ではない。特に醍醐は、龍麻から流れ込む苦しみの感情から解放されたため、一安心していた。
「私……とても、恐かった……」
 攫われてから今までの事を思い出したのか、それとも実験の影響が出ているのか、葵が震えている。
「ごめんね、来るのが遅くなって」
「ううん、いいの。きっと来てくれると思ってたから」
「うん。僕も、京一も雄矢も、小蒔さんも、みんないるよ。それに――」
 そこまで言って、ふと龍麻はこの場にいない者達を思い出した。
「そう言えば、翡翠とアランは?」
「……まだ、外をうろついてんじゃねぇか?」
 と、京一が自信なさげに答えたその時
「龍麻、無事かっ!?」
「アミーゴっ!」
 部屋に噂の二人が飛び込んで来た。恐らく戦闘時の龍麻の《氣》を感じ取ったのだろう。慌てた様子の二人だったが、龍麻の状態を見、感じてホッと息をつく。
 しかし、それで終わったわけではなかった。
「アミーゴっ! ウラヤマシイネッ!」
 アランのその発言に、全員の意識が一点に向けられる。
 とりあえず、葵が助かったという事実のみに囚われていた龍麻達であったが、あらためて今の状況を把握した。
 葵――救出されたばかり。一糸纏わぬ姿のまま。
 龍麻――その葵を抱きとめたまま。結構、いや、かなり役得だが、本人にその自覚なし。
 アランを除く仲間達――その事実に初めて気付く。
 マリィ――何の事だか分からない。
「「あ……」」
 こうなると反応は様々だった。醍醐は鼻を押さえて後ろを向く。京一はにやにやしながら龍麻と葵を見ている――どっちに比率が高いかは言うまでもない。小蒔は顔を朱に染め、慌てながらも京一をはり倒し、如月は冷静を装いつつ顔を背ける。マリィは頭上に疑問符を浮かべていた。
 そして当事者二人。
(み、見られた……みんなに……龍麻くんに見られた……)
 葵はこれでもかというくらい赤い顔のまま硬直し
(あ、あうあうあうあう……)
 龍麻も真っ赤になって、口を金魚のようにぱくぱくさせながら離れようとするが状況はそれを許さない。そうしたら最後、葵と皆の間に何の遮蔽物も無くなってしまうのだ。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ雄矢っ! ががががががが学っ、学生服っ! ははは早くっ!」
 かつてない程の動揺を見せ、龍麻はそう声に出すのが精一杯だった。衣替えの季節はもう少し先だ。カッターではあまり意味がない。大柄な醍醐が着ている学生服が、一番使えそうだ。
 結局、大ダメージを受けた醍醐にその余裕はなく、京一が学生服を剥ぎ取り、名残惜しそうに龍麻に放り投げる。それを受け取って葵の身体を包むと、龍麻は脱兎の如くその場から離れた。
「ミンナ、どうしたデースカ?」
 元凶を発したアランは涼しい顔で、皆のリアクションを見ている。笑っているところを見ると、明らかに確信犯だ。
「あのなぁ、アラン。そういうのはな、こっそりと教えろよ。もう終わっちまったじゃねぇか」
「OH、確かにそうデースネ。Sorry、キョーチ」
「何アホなコト言ってんだよ、このスケベっ!」
 にやにやしながらそんな事を言い合っている二人に、小蒔の怒声が飛んだ。彼女は固まったままの葵を「向こう側」から呼び戻すのに必死だ。
 そこへ、マリィがどこかから戻ってきた。その手にあるのは真神の女子用の制服。
「アオイ……コレ」
「あ、葵の制服っ。ありがとね、マリィ。こらっ、男連中はあっち向いてろっ! 葵が、着替えられないだろっ!」
 小蒔に言われるまでもなく、醍醐と如月は後ろを向いている。龍麻も同様。例外は京一とアランだけだ。
「ちぇ。いいじゃねぇか、減るもんでもなし」
「京一に見られたら減るんだよっ!」
「ほぉ、面白ぇ。何が減るのか言ってもらおーじゃねぇか。ま、お前なんか、減ろうにも減る場所もねぇがぐふっ!?」
 いつもの如く不毛な争いが始まるが、早々に小蒔の拳が京一を沈黙させる。
「さて、アランクンはどうする?」
 白い目を向ける小蒔に、アランは顔を引きつらせながら後ろを向いた。
 そんなやり取りを見て、マリィが笑っている。考えてみれば、このような表情を見せたのは初めてだ。
「で……ひーちゃんよ」
 早々に復活し、京一は何とか落ち着こうとしている龍麻に意地悪い笑みを浮かべて近付いた。アランも同じように近付き、龍麻を覗き見る。
「どうだったよ、美里の抱き心地はよ?」
「アミーゴ、ずるいデース。ヌケガケはナシネッ」
 ごすっ! 
 そして二人はその報いを受けた。あまり手加減していない一撃に、二人は頭を押さえて飛び跳ねる。
「龍麻。どうして僕たちを呼ばなかった?」
 それを無視して、今まで沈黙を保っていた如月が、やや厳しい表情を龍麻に向けた。何かあったらできる限り連絡を、そう言ったのは龍麻だ。しかし実際には何の連絡もなかった。
「ああ、ごめん。葵さんの居場所が分かった時には、もう実験が始まっていたから、余裕がなかったんだ」
 それも事実ではあるが、先の件をすっかり忘れてしまっていた事が本当の理由だ。それを証明する術はないので、言った者勝ちである。
「ふむ。まあ、それなら仕方ないか。だが、敵が三人だったからいいようなものの――」
「待て、如月」
 説教に入るかと思われたところで、醍醐がそれを遮った。
「三人じゃなく、四人だ」
「ん? しかし、《力》を持つのは、そこに倒れている子供だけだろう?」
「違う。ここに来る時に見なかったのか? 龍麻が倒した老人が部屋の外にいただろう?」
「いや……外からここに来るまでの間、他の人間は見なかったが……」
 と言う事は、ジルは一体どこへ消えた? 龍麻の螺旋掌を受け、意識は失っていたはずだが。そこへ
「そう言えばマリア先生はどうしたんだ?」
 もう一人の救出目標を思い出した京一が誰にともなく問う。もちろん、この場にはいない。
「葵さん、マリア先生は?」
 まだ振り向くわけにもいかず、龍麻が背中越しに問うと
「地下に牢屋のような部屋があって……多分、そこに。ここに連れて来られる前までは、一緒だったのだけど」
 との答え。それを聞いて、京一が刀を担いで出口へ向かい
「俺と醍醐で見てくる。それまでは待っててくれ。おい、醍醐。いつまで鼻血出してやがる! 行くぞっ!」
 途中で醍醐の首根っこを掴み、部屋を出て行った。


「お待たせ……」
 それから少しして、葵の着替えが終わる。ようやく面と向いて話せるようになった。
「マリア先生、大丈夫かしら?」
 ここに連れて来られた時、不安に押し潰されそうだった葵を、マリアは励ましてくれたのだ。自分が助かった今、マリアの事が心配なのだろう。表情を曇らせる葵に、龍麻はいつものように「大丈夫」と言った。
「だって、牢屋に閉じこめられてたんでしょ? その時点で、マリア先生をすぐに傷つけるつもりはなかったって事だから」
「でもさ、ひーちゃん。ここへ来る前に言ってたよね? 葵が目的である以上、センセーがいつまで無事でいるか分からない、って」
 小蒔の言う通り、確かにそう言った。マリアを処分しなかった理由についてはさすがに分からなかったが
「それなんだけど……学院長は、マリア先生に興味を持っていたみたいなの」
 葵がその辺りの事情の説明を始めた。あの時、ジルはマリアを処刑しようとした。しかし、サラとか言った少女が何かを告げると、命令を撤回したのだ。
(先生の正体に、気付いたのかな? )
 龍麻はそう考える。《力》の研究をしているジル達にとって、人外の者のデータというのも興味があったのかも知れない。
 まあ、マリアが一人であるなら、誰の目をはばかることなく自分の身を護れるだろう。
「その担任の事はともかくとして、その子はどうするつもりだ? ジルとか言う男を追うのだろう?」
「一緒に、連れて行きましょう」
 如月が、マリィを見る。それに答えたのは葵だった。
「マリィは、私達の友達だもの」
「トモダチ……」
 言葉の意味を確かめるように、呟くマリィ。この学院に、そういった者がいるとも思えない。彼女にとっては馴染みのない言葉なのだろう。
「マリィト、メフィストミタイニ……?」
「そう。僕達はみんな友達だよ」
 こちらを見上げるマリィに、龍麻は頷いて頭を撫でてやった。照れたような、嬉しそうな顔をして、マリィが目を細める。
「よし、それじゃ、僕達も動こう。ジルがすぐに逃げ出すとは思えないけど、急いだ方がいい」
「? アミーゴ、どうしてすぐに逃げないと分かるデースカ?」
「あの手の人種はしぶといからね。敵わないとなれば、どこかに逃げるだろうけど、データを持ち出すに決まってる」
 ジルにとって研究は、何物にも代え難いものだ。作品はともかく、データがあれば同じものを作れる。それを放って逃げるほど馬鹿でもあるまい。
「ナルホドネ。では、急ぎまショウ。キョーチ達と合流デース」
 アランの言葉に皆が頷き、部屋を出ようとする。その時、葵の目に映るものがあった。
 黒人の少年――トニーが、倒れた状態のままでこちらに銃口を向けていたのだ。敵を排除するという刷り込みがまだ残っているらしく、無意識の行動なのか、殺気は感じられない。
 銃口の先にいるのは龍麻。トニーの行動には全く気付いていなかった。
「やめて――っ!」
 叫んだ時には葵は既に行動に移っていた。盾になる形でその身を龍麻とトニーの間に割り込ませる。
 ドンッ! 
 トニーの放った《氣》弾が、葵の左肩を掠める。威力自体はだいぶ落ちていたが、それでも服は破れ、血が流れ出た。
「葵っ!?」
 葵が負傷したのに気付き、小蒔が駆け寄ろうとする。しかし、それ以上進めなかった。身体が、これ以上近付くことを拒否している。原因は――
「……貴様あぁぁぁぁぁぁっ!」
 龍麻の纏う《氣》の何と禍々しい事か。葵と小蒔には見覚えのある、真紅の《陰氣》だ。
 瞬時に練り上げた《氣》を右手に集め、葵を押しのけて龍麻はトニーに迫り、その《氣》を放とうとする。が、その寸前で、葵が龍麻の腕に取り付いた。
 それで狙いは逸れたものの、その一撃はコンクリ製の壁を粉微塵に打ち砕いた。空いた大穴の向こうには土が覗いている。もちろんこんな《氣》の直撃を受けていたら、トニーは見るも無惨な挽肉と化していただろう。
「如月くん、アランくん! 龍麻くんを止めてっ!」
 龍麻の動きは止まらず、この場にいる男性陣の助力を仰ぐ葵。龍麻の豹変に戸惑いながらも、二人はそれを抑えにかかった。
「龍麻、落ち着けっ!」
「アミーゴッ!」
「どけぇっ!」
 葵、それに如月とアラン。計三名が取り付いたにもかかわらず、龍麻の動きは衰えない。三人を引きずりながらトニーに近付いていく。
 再び《氣》を放とうと、龍麻が腕を振り上げ――
「お願い龍麻くん! もうやめてっ! 私は大丈夫だから!」
 正面に移動し、龍麻を抑えながら葵が叫んだ。
「私は生きてる……大丈夫だから……だから『約束』を忘れないで……お願い……」
「あ……」
 先程までの《氣》が嘘のように龍麻から消える。今まさに放たれようとしていた《氣》も霧散した。葵が無事であると認識したからか、それとも葵の言葉が届いたからなのかは分からないが。
 それでも、『三度目』の危機が去ったのだけは確かなようだった。


 その後すぐに京一達が戻ってきたが、結局マリアは牢屋にはいなかったらしい。学院長が連れて行ったのだろう。
 どこへ行ったのかと思案を巡らせる京一達だったが、マリィが屋上にヘリポートがあると教えてくれた。いつもそこから外へ出るという。
 マリアを助けるべく、龍麻達は屋上へと向かう。その途中――
『マリィ、どうした?』
 地下での出来事以来、暗い表情のままのマリィにアランが話しかける。
『何か悩み事か?』
『……マリィ、ヒユウが分からない……』
 先を行く龍麻の背中を見ながら、マリィはそう漏らした。
 初めて会った時、龍麻の心は乱れていたが、それでも龍麻からは優しい暖かさを感じた。が、葵が実験中だということを聞いた時、ジルとの戦闘の時、龍麻からその暖かさは消え、荒々しい怒りだけが伝わってきた。そして先程葵が傷ついた時――怒りを通り越した殺意と憎しみ、それがまともにマリィに流れ込んできたのだ。
 他人の感情が流れ込んでくる事など今までになかった。そのことへの戸惑い、そして、何故こうも正反対のものを龍麻が発するのか、マリィには分からなかったのだ。
『さっきのヒユウは、とっても恐かった……アオイと同じで本当は優しいはずのヒユウが、どうしてああなったのか分からないの』
 どう説明したものかと考えつつアランは訊ねる。
『マリィは葵が好きだろう? もしも、葵が誰かに傷つけられたら、マリィはどう思う?』
 その問いに少し間を置いてマリィは答えた。
『悲しくなる……それに――』
『傷つけた奴を許さない、そうだろう? アミーゴ――龍麻も同じさ。龍麻も葵が好きだから、葵を傷つけたあいつを許せなかったんだ』
 かつて江戸川の事件で、アランは龍麻に尋ねた。「大切な人を傷つけられたら怒るだろう?」と。その時、龍麻は「怒りたくても怒れない」と答えた。今回のようになってしまうのが理由ならば、頷けるものがある。とにかく、周囲への影響が大きすぎるのだ。風角と相対した時もそうだった。
 そう言えば、あの時も龍麻を止めたのは葵の言葉だったな、とふと思い出す。今回も、あのような状態になった龍麻に怯むことなく、彼を抑えようとした葵。龍麻だって、ああまでなったのは他の誰でもない葵が傷つけられたからだろう。それでも、いかに我を失おうとも、葵の言葉だけは龍麻に届いた。
(あの二人の間に割り込む余地は、ないのかもな)
 つい、そんな事を考えてしまう。そのまま黙ってしまったアランの腕を、マリィが引っ張った。それで我に返り、アランはいつものスマイルを浮かべて
『だから、あの時の龍麻は確かに恐かったかも知れないけど、本当の龍麻は、マリィが最初に感じた通りの優しい奴だよ』
『うん……。でも、どうしてヒユウの感情が伝わってくるのかな? アランもそうなの?』
『ああ。最近になってから、だけどな』
 そう答えつつ、この金髪の少女が自分と――いや、自分達と同じ存在である事を確信していた。アランは四神としての覚醒を未だ果たしていない。それでも四神同士が持つ感覚自体には目醒めている。それはマリィも同じようだ。
 如月に続き、醍醐も完全に覚醒した。その時アランは如月に、覚醒するのに近道はないか、と訊いた。同じ《力》を持っているはずなのに、覚醒に時間差があるのが歯痒かったのだ。
 何かしらのきっかけがあれば、急速に覚醒する事もある、と如月は答えた。が、これは堕ちる可能性が高確率でつきまとう、とも言った。醍醐がいい例だ。結果的には無事だったが、堕ちる危険がある以上、迂闊な事はしない方がいい、と如月に釘を刺されたのだ。
(こればかりは、仕方ないからな。焦ってどうなるものでもない)
 そんな事を考えている間に、再びマリィが話しかけてくる。
『いまのヒユウ、何かに怯えてるみたい。分かる?』
『ああ』
 葵を助けた事で元に戻ったと思われた龍麻だったが、先の件以来再び不安定になっている。が、感じるのは焦り、怒りではなく、マリィが指摘したように怯え、自責の念のようなものだ。 
『また、さっきみたいになるかも知れない。あの時、アオイすごく悲しそうだった。だから、マリィは決めたの』
『決めたって、何を?』
『ヒユウがああなるのは、良くない事だと思うから、だから、アオイはマリィが護るの。アオイが無事なら、ヒユウは怒らなくていいでしょ?』
『そうだな。でも、無理はしちゃ駄目だぞ。マリィに何かあったら、葵だって龍麻だって、僕だって悲しくなるからな』
 葵が傷つく事がなければ、龍麻の豹変は避けられる――マリィも、そしてアランもそう信じていた。しかし、二人は知らない。
 龍麻があの時逆上したのは、葵が傷ついたことだけが理由ではないことを。

 一方、その前方にいる龍麻達。
(まだ……消えないのかっ……!)
 感情が制御できないことに、龍麻は自分の不甲斐なさを感じずにはいられなかった。
 正直、ここまで引きずっているとは思わなかった。もちろん一生忘れる事はない、いや、忘れてはいけないことだ。それでも、あのような形で思い出されると、自分の理性というものが、あっさりと砕けてしまう。自分で思っているよりも、自制心がないのだろうか。
(このままじゃ……本当に最悪の結果を招きかねない……やっぱり、手を打って――)
「龍麻、一体どうしたと言うんだ?」
 事情を知らない如月が、龍麻に問い詰める。醍醐は止めようとしたが、今回ばかりは如月の押しが強かった。
「君たちが何かを隠しているのは知っているが、いい加減、話してくれてもいいだろう?」
「如月、その話は……」
「いいや、醍醐君。今回ばかりは言わせてもらう。これは重要な事だ」
 如月にも、それが龍麻の古傷である事は見当がついた。話すのは辛い事だというのも推察できる。それでも知っておかなくてはならない。でなければ、同じ事態を引き起こした時に対応ができないのだ。
「分かった……」
「龍麻!?」
「いや、翡翠には聞いてもらった方がいい。もしもの時のためにね」
 意外な事に、龍麻の方から話を切り出す。驚く醍醐を無視して、龍麻は正面を見たまま如月に話しかけた。
「僕が、《陰氣》や負の感情に敏感だって話は聞いた事があるよね?」
「ああ。港区の事件の時に、蓬莱寺君から聞いた」
「その限度を超えると、僕は自分を見失って、誰の声も届かなくなる。それにも二種類あってね。一つは雄矢も知ってるよね?」
 確認の意味で龍麻は醍醐に話を振る。ああ、と醍醐は頷いた。
「自分の身を護るための過剰防衛行動、だったな」
「そう。相手の《氣》や負の感情に呑まれ、それを排除するために周りの者を攻撃する。僕は《防衛暴走》と呼んでる」
 如月は黙って話を聞いている。
「そしてもう一つ。自分の放つ《陰氣》や負の感情に呑まれる場合。《虐殺暴走》って呼んでる。こっちは《防衛暴走》よりも厄介でね。見境なく暴れるのは同じだけど、戦闘力が桁違いに跳ね上がる」
「……僕で言えば玄武変みたいなものか?」
「いや。そんなに安全なものじゃない。まず、身体能力のリミッターが解除される。だから、攻撃の負荷が身体にまともに掛かる。それから《氣》を無理矢理引き出すらしくて、《氣》の流れが大きく狂うんだ。少し前にこれをやった時には、面会謝絶って言われるくらいのダメージを受けた」
 確かに玄武変とは違う。あれは玄武の《力》によって、身体機能を強化する。間違っても肉体の自己崩壊を招くような事はない。《氣》の流れにしても、正常に流れているからこそ生命を維持できるのであって、それが酷く乱れれば死ぬ可能性だってある。
「問題なのは、そうなった僕が攻撃に関して一切手加減をしないってこと。相手が死ぬまで攻撃を止めない。それが……」
 ここで言葉が止まった。龍麻の《氣》が大きく揺らぐ。それに気付いたのか、龍麻達の先を行く京一達の中から、葵がこちらを向いた。
「龍麻くん……?」
「ん……大丈夫。心配しないで」
 不安を隠せない葵に、龍麻は弱々しく笑う。気になるようだったが、葵はそのまま正面に向き直った。それでもこちらに意識を向けているようだ。
 軽く息をつくと、龍麻は如月に聞こえる程度の声で言った。
「例え仲間であろうとも、殺してしまうだろうね。実際、前回《暴走》した時は殺しかけた」
「……! し、しかし、先程は美里さんの声で止まったじゃないか?」
「あれは、まだ完全に《暴走》してない。その一歩手前かな……完全に《暴走》したら、あの比じゃない。《氣》だけで京一達を威圧できる程なんだ」
「情けない話だが、一歩も動けなかった。龍麻が力尽きたから助かったようなものだ。でなければ今頃、俺達は誰もお前とは出会ってなかっただろう」
 あの時、品川で後一分龍麻が行動可能なら、間違いなくあの場にいた仲間達は全滅していただろう。もちろん龍麻もあの状態で力尽き、死んでいたはずだ。
「そこまでのものなのか……」
 龍麻の、そして醍醐の言葉に如月は我が耳を疑った。龍麻以下、仲間達の実力は知っている。その彼らがここまで恐れるのだ。そんな場面に遭遇したいとは思わない。
 それでも、話を聞いておいてよかったとは思う。少なくとも龍麻を護る事ができれば、その危険を回避できそうな気がしたからだ。
 しかし――それは《防衛暴走》に限った話だ。
(自分の《陰氣》や負の感情、と言ったな……そちらはどうすれば防げる? 美里さんを護る……いや、それだけで済む話ではない。彼にとって大切なもの、それが傷つけられたら、か……)
 ふと、ある考えが浮かんでくる。彼もまた、品川の件は知らないが、龍麻の《暴走》の条件についてはおおむね理解していた。そのため、かなり恐い結論が導き出される。
(ということは……仲間の誰かが殺されたりしようものなら、確実に《暴走》するということか!?)
 無茶な話だ、と思う。これからの闘いで、誰も死なない保証はない。つまり《暴走》の危険性は常につきまとうということなのだ。一人死ねば、最悪全滅……あまりにもハイリスクだ。
「……もう一つ、言っておく事があるんだけど、いい?」
「あ、ああ……」
 龍麻の声に、如月は我に返る。
「前回《暴走》した時よりも、僕の《力》は強くなってる。あの時以上に危険度は上がってると思う。だから、翡翠、それに雄矢にも頼みがあるんだ」
 一呼吸置き、龍麻ははっきりと
「もしも僕が《暴走》したら……それが《虐殺暴走》だったら、その時は僕を止めて欲しい。皆に危害が及ぶ前に、どんな手段を用いてでも、確実に」
 それだけ言うと、京一達の方へ歩いて行った。
 醍醐と如月は何も言えなかった。先の言葉が頭の中を巡る。端から聞いていれば、そう気に留める事でもないのだろう。しかし、二人にはその言葉の裏が読めた。
 龍麻はこう言ったのだ。《暴走》した時は、四神の《力》を使ってでも自分を殺せ、と。



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