ローゼンクロイツ学院。
広大な施設ではある。ただ、そこは養護施設や学校には見えなかった。
「塀が高くて、無機質で、なんか、イヤな感じ……」
「ああ。病院か刑務所ってイメージだよな」
学院を見た小蒔と京一の反応がこれだった。確かにそっちのほうが相応しい。校門は閉ざされ、横には警備員の詰め所がある。そこにいる警備員も、カタギと呼ぶには抵抗がある雰囲気を持っている。
「どうやって、中に入るか……」
腕組みして独り言ちる醍醐。龍麻も施設を見ながら思考を巡らせる。
(塀もみんなが簡単に乗り越えられる高さじゃない。塀の上の意味ありげな鋼線も気になる。多分、電流が流れてるか、センサーでもあるんだろうな。でも――)
自分一人だけなら何とか飛び越えて侵入できそうだ、そう考えたところで肩に手を置く者がいた。醍醐だ。
「龍麻。ここまで来たら、焦らない方がいい。侵入がばれて美里が人質にでも取られたら手に負えないぞ」
(ふう……今までは考えた事もなかったが、龍麻を抑えるのは一苦労だな)
普段沈着冷静なだけに、無謀な行動をとりだしたら始末に負えない。しかも、言った事を成功させてしまいそうなのが、頭の痛いところだ。
龍麻が焦っているのは相変わらずだ。真神にいた時よりも不安は大きくなっている。それが何故か醍醐には分かる。分かってしまう。それが辛い。
「色々考えたって、なるようにしかならねぇだろ」
そう言ったのは京一だった。彼自身も、今の龍麻をこのまま抑えておくのは限界だと感じているのだ。それに、このままじっとしていても事態は動かない。名案が浮かぶかどうかも疑わしい。一番頭が回るであろう龍麻がこんな状態なのだ。
「正々堂々、正面から行こうぜ」
「うーむ……少し無謀な気もするが……他に案もないのが現状だしな。行くしかないか」
「うんっ、行こう」
小蒔もそれに同意する。一応、全員が納得するのを待っていたのか、それを聞くや、龍麻は門に向かおうとするが
「ちょっと待って――」
聞き覚えのある女性の声が、龍麻達を呼び止めた。
「ふふふっ、Hello」
「エリちゃんっ!」
いち早く京一が反応した。声のした方を見ると、お馴染みのルポライターがいる。
「天野サン……どうしてここに?」
「もちろん仕事よ。理想の福祉施設と名高いローゼンクロイツ学院の取材というね」
小蒔の問いに、天野はあっさりと答える。これには龍麻達全員が驚いた。さらに
「そして、その裏に潜む陰謀を暴くために……ね」
「やはり、この学院には何かあるんですか?」
「まあね。この学院ほど、叩いてほこりが出る学校もないんじゃないかしら」
尋ねる醍醐にそう言ってのける。天野は天野でこの学校の裏の顔に気付いていたのだ。しかも直接事件に巻き込まれることなく。やはりただ者ではない。
「それはそうと、あなた達はどうしてここに?」
暗い顔でそれに答えたのは小蒔だった。
「葵が誘拐されて……現場に、この学校の校章が落ちていたんです」
「俺達の担任の先生も、一緒に連れて行かれたらしくて……」
続く醍醐の言葉に、天野は眉をひそめる。
「美里さんと……担任って――マリアが?」
「エリちゃん、マリアセンセーと知り合いなのかよ?」
「えっ、えぇ……ちょっとね」
驚く京一にそう答え、天野は先程から一言も発しない龍麻に視線を向ける。龍麻はそれに気付いていたが、軽く会釈しただけでそれ以上は動きを見せない。
「……そうね、みんなにはここの事を教えておいた方がいいかもね」
そう前置きして、天野はローゼンクロイツ学院の説明を始めた。
「このローゼンクロイツ学院は孤児達を集めて英才教育を施し、施設の面でも優れた評価を得ている学院なの。でも、その内部の実態はあまり知られてなくてね……私が入手した情報では、ドイツ人である学院長のジルは、孤児を引き取り養育する福祉施設という仮面の裏で、身寄りのない子供達を利用した人体実験を行っているらしいの」
人体実験――その言葉に、醍醐達三人は同時に龍麻の方を見た。
「……ひょっとして、知ってたの?」
「ええ、まあ……」
その様子に、天野が訊いてくるが、醍醐は言葉を濁す。どうして知っているのか、と訊かれても答えられない。確かに天野は色々と自分達に協力してくれてはいるが、あの件は軽々しく話すことではない。
「それよりエリちゃん。その実験ってどんなのなんだ?」
話を逸らそうと京一が天野に尋ねる。天野の方も、京一達の事情を察したのか、それ以上は何も言わずに話を戻した。
「詳しくは分からないけれど、脳の成長が最も活発な、十代前半までの子供達の右脳を人為的に操作する――平たく言えば、超能力に関わる実験ね……」
「超能力ぅ? マンガやテレビだけの話じゃ――って、俺達にそんなコト言えねぇか」
言いかけた京一だが、自分達の《力》など、まさにそれだ。
「人工的に、超能力者を創り出す……か。一体何のために……」
眉間にしわを寄せる醍醐。人を攫うなどという手段を平気で用いるような連中だ。どちらにせよ、よい方向に使われる可能性はまずない。
「人間の隠された能力を開発する研究は、昔から行われているわ。学院長のジルは、福祉財団の理事長であると共に、医科学の権威としての側面も持っている。ヨゼフ・メンゲレの再来でない事を祈るしかないわね……」
「……死の天使……」
聞き慣れない名に、顔を見合わせる京一達であったが、龍麻の冷たい声にそちらを向く。そして、龍麻の忍耐がそろそろ限界である事を悟った。抑えているつもりなのだろうが、龍麻の身体をうっすらと《氣》が覆っている。いつもとは違う、やや赤い《氣》を。
「そう。ナチスドイツの時代、かのアウシュビッツ収容所で、人体実験に興じた狂気の医師……。やっぱり龍麻君は知ってるのね」
「……」
感心する天野だが、龍麻の方は背を向けて門の方へと歩いていく。
「いよいよ龍麻の予想通りだな。……京一」
「ああ。急ごうぜ。ひーちゃんが暴れる前に、警備員をブチのめして強行突破だ」
「ちょっと待って。龍麻君も話を聞いて」
後を追おうとした京一達だったが、それを天野が呼び止めた。まだ何かあるのかと非難めいた視線を向ける龍麻。龍麻らしからぬ態度に一瞬怯んだ天野だったが、気を取り直して提案する。
「私は一応、表向きはここへの来訪を許可されているわ。そして、あなた達はジャーナリスト志望の学生。今日は私の一日見習いとして一緒に中に入る――というのはどう?」
「でも、それだと――」
確かに、事を荒立てずに中に入るに越した事はない。だが、それでは天野を完全に巻き込んでしまう。彼女自身、ローゼンクロイツに探りを入れるのが目的である以上、ある程度の危険は覚悟しているのだろうが、下手をすると《力》を持つ者同士の戦闘に巻き込みかねない。
冷静さを欠いているとは言え、一般人を巻き込むまいとする龍麻の考えは今も働いている。アン子については何も言わなかったが、京一達が何とかするのを見越してのことだ。
「駄目かしら? 大丈夫よ。私が適当に誤魔化すから、みんなは、何も喋らなくていいわ。それに、あなた達が動く以上、私も取材だけで終わらせるから」
口ごもる龍麻に天野はそう言った。
「天野サンもこう言ってるし……ひーちゃん、そうしようよ」
「どうせ暴れるんだろうけどよ、こうなったらその時までは、なるべく穏便に行こうぜ」
小蒔と京一も加わり、天野を援護する形で龍麻を説得する。龍麻は少し迷ったようだが、黙って首を縦に振った。龍麻が素直に従ったのを見て、醍醐は胸を撫で下ろす。
「決まりだな。天野さん。よろしくお願いします」
「OK。正門を抜けた後は、自由行動って事で。いいわね」
と、天野が確認を取ろうとした時――
「龍麻!」
「Hi、アミーゴ!」
そこへ更に知った顔が現れた。如月とアランだ。
「お、お前らどうしてこんなトコに!?」
「どう、首尾は?」
驚く京一だが、龍麻は事情を知っているのかそう尋ねる。それに答えようとした如月達だったが、龍麻を見るや表情を曇らせた。龍麻が普通でない事が、二人には何故か伝わってきたのだ。
「……龍麻、何があった?」
「アミーゴ、いつもと違うネ。どうしたデースか?」
「別に……それよりそっちは?」
取り合わずに龍麻は再度二人に尋ねる。二人は顔を見合わせるが、聞いても無駄と判断し、口を開きかけた。そこへ京一が介入する。
「如月、お前らどうしてこんなトコにいるんだ?」
「ああ、人を捜してたんだ」
「人捜し、って……お前とアランだけでか?」
仲間は他にもいるのに、何故二人だけなのだろう。しかも如月とアランの組み合わせだ。疑問に思うのも当然だが
「ああ。朱雀を捜している」
その言葉で合点がいった。朱雀――四神の一つ。先日の醍醐の件で、如月が玄武、アランが青龍、醍醐が白虎だという事が分かっている。四神同士で引き合うようだというのは以前聞いていた。
「で、ここへ来たのかよ?」
「Yes。まず、ミサに占ってもらったネ。それで、大田区へ来たワケデース」
「大田区と言っても広い。それに、朱雀は未覚醒のようで、反応もなくてね。仕方なく適当に歩いていたところだ。で、君たちは何を?」
真神の四人が首を揃え、しかも以前見たルポライターまでいる。加えて龍麻の精神状態は酷く危うい。
「ああ、実はな……」
問う如月に醍醐が事の次第を簡単に説明する。
「なるほど……」
「OH、アオーイが!?」
事情を聞き終えて、何故龍麻がこんな状態であるのを二人は理解した。如月は、担任と仲間である葵が攫われた事によるもの、アランは、想い人が攫われた事によるもの、と解釈は違ったが。
「そういう事なら、僕も手を貸そう」
「ボクも、手伝いマース! アオーイを助けるネッ!」
揃って二人は同行を申し出る。朱雀探索の方が思わしくない現在、目の前の事から片付ければいい。
もちろんそれも理由だったが、如月とアランには、今の龍麻を放って置く事はできなかった。
「こんにちは」
結局、先の天野の案を採用し、全員が母校の後輩という事になった。かなり無理があるような気もするが、ここは天野に任せる事にする。
「学院長に面会をお願いしました、ルポライターの天野絵莉です」
詰め所の警備員は手元にある名簿のような物を確認し
「身分証を提示しなさい」
と、愛想もなく言う。天野は身分証――恐らく運転免許証であろう――を差し出した。
顔写真と名前を確認し、警備員は頷く。
「学院長は本日、急用で外出しているので、替わりの者が話を伺うことになっている」
「わかりました」
「ところで――」
警備員は天野の後ろにいた龍麻達に視線を向ける。
「その学生達はなんだ?」
「あぁ、この子達は、私の母校の後輩達で、全員が新聞部を代表するジャーナリストの卵なんです。今日は私の助手として一緒に連れて来ました」
「そんな話は聞いてないが……」
それはそうだろう。全くの嘘なのだから。が、天野はそんな素振りを見せずに続ける。
「今回、いつものカメラマンと助手が風邪で寝込んでしまって……学院長は、今回の取材を学院の宣伝の一環だと言ってました。いい記事を書かせて頂きますから、許可願えないでしょうか?」
「ふむ……」
「なんでしたら、私の方から学院長にお話ししてもいいですが」
その言葉に警備員は少し考え込むが
「いや。そんな事で、学院長の手を煩わす事もない。いいだろう――立ち入りを許可する」
と、えらそうに言った。
「ただし、指定された場所からみだりに動かないこと、大きな声を出して騒がないこと。以上、分かったな?」
「はい、ありがとうございます」
「しかし、全員が母校の者だと言ったが……そっちの少年は制服が違うようだが。それに、そっちの外人もか?」
と、如月とアランを指して、警備員。が、天野が何か言うより早く
「ええ。今学期から転校してきたんです。制服は前の学校のままですが」
「ボクは夏休みから、ニポンへホームステイしてマースデス」
二人が機転を利かせて答える。それで警備員は納得したようだった。
「では、失礼します。行くわよ」
「はっ……はいっ」
「こんにちは〜」
「お世話になります」
京一と小蒔、醍醐が緊張した面持ちで挨拶をし、天野を追う。
「お邪魔します」
「失礼するデース」
如月とアランは自然に挨拶し、後に続くが
「待て」
と警備員が一人を呼び止めた。最後尾にいた龍麻だ。嘘がばれたのか、と京一達の間に緊張が走る。
「入る時には挨拶くらいするものだ」
と警備員が龍麻に言う。そんなことか、と安堵する京一達。
その言葉に、龍麻がゆっくりと振り向き、一言。
「……お邪魔します」
再び歩を進め、龍麻は敷地内に入る。
その時、京一達は確かに聞いた。小さな悲鳴を上げて、警備員が倒れる音を。そして、感じた。戦闘態勢時に近い龍麻の《氣》――それも《陰氣》を。
「ふぅ……うまくいったわね」
ハンカチを取り出して、天野は額の汗を拭う。何故汗などかくのか。嘘が通用するかどうかが不安だったから、ではない。龍麻が門をくぐる時に放った《氣》に気圧されたためだ。
かつて江戸川区で《鬼道門》が放つ《氣》を受けた事があった。あの時は、少しずつ強い《氣》に近付いたため、身体の方もいくらか慣れていったが、今回は突然だ。全身の毛が逆立つような、自分の周りの空気だけが有害なものに変わってしまったのではと思えるような不快な感覚に、危うく意識が落ちるところだった。
「どうだ、如月?」
「ああ。完全に気絶してるな。どんな状態かは、彼の名誉のために伏せておこう」
様子を窺う如月に京一が訊くと、そんな言葉が返ってきた。かなり酷い事になっているようだ。
アン子を置いてきて正解だな、と京一は思う。天野でさえこうだ。もし来ていたら、警備員と同じ末路を辿っていたかも知れない。
「それじゃ、私は話を聞いてから、ここから撤収するわね。あなた達も気をつけて行ってらっしゃい。マリアの事、頼んだわよ」
「ええ。ありがとうございました」
頭を下げる龍麻に、天野が笑う。その反応に龍麻は眉をひそめる。
「……何です?」
「いいえ。その方があなたらしいわ。無理もないけど、あんまり皆に心配掛けちゃ駄目よ」
ウインク一つして、そのまま天野は建物に入って行った。やや顔色は悪いが、取材をする頃には元に戻っていることだろう。
「……そんなにひどかった、僕?」
「まあ、な。そんなに気にするなよ。今は問題ねぇから」
力無く笑って問う龍麻の肩を、京一が叩く。さっきの警備員には気の毒だが、あれで溜まっていたものを吐き出せたようだ。外から見た限りではいつもの龍麻に戻っている。
そう、外から見た限りでは。
「さて、これからどうする、龍麻?」
「そうだね……とりあえず二手に分かれよう。真神組で中を、翡翠とアランは外回りを担当。何かあったら、できる限り連絡。携帯はマナーモード。何か質問は?」
指揮官らしさも戻ってきたのか、尋ねる如月に、龍麻は少し考えて指示を出す。もちろん反対する者はいない。
「よし、行こう」
建物内へ入っていく真神組だったが、如月がその一人を呼び止めた。
「醍醐君」
「ん、どうした?」
「龍麻を頼むよ。蓬莱寺君も桜井さんも、今の龍麻の状況は分かっていないはずだ」
近付く醍醐に、如月は声を落として告げる。
「龍麻が危うい状態であるのは多分、僕達しか気付いていない」
「ああ。だが、それで気になった事があるんだ。もう一人の四神――朱雀は、龍麻じゃないのか?」
四神同士の特有の感覚とでも言おうか。言葉はなくとも相手のことが何となく分かる、そういった感覚は醍醐達の間にもある。醍醐が覚醒した時、離れていても如月とアランがそれを感じ取っていたこと、呼ばれてもいないアランが中央公園に現れたことがそれだ。
その感覚が、龍麻に対しても働いている。だからそう考えたわけだが、如月は首を横に振った。
「いや、龍麻は朱雀ではない。確かに僕も気になってはいるが、彼は違う。これが《宿星》によるものなのかどうかも分からない」
「それはともかく、今のアミーゴは要注意デース。また、江戸川の時みたいになるカモ知れまセーン。それはBadデース」
風角の言葉に逆上した時の事を言っているのだろう。口調は陽気だったが、アランの表情は曇っていた。
「とにかく、今は美里さんと君たちの担任を捜す事に専念しよう。では、また後で」
如月とアランの二人が動き出す。醍醐は龍麻達の後を追った。
学院内は静まり返っていた。これだけの施設だ。それなりに人がいて当然なのだが、気配一つない。無機質、というのだろうか。暖かみなどまるで感じられない。これで養護施設だというのだ。ジルという男の内面は、かなりねじ曲がっているらしい。
「なんだか、冷たい感じだね」
「ああ。嫌な感じだな。とても幼い子供達を養育する施設には思えん」
周りを見ながら小蒔が呟く。醍醐も同じ感想を抱いたようだ。
「とりあえず、怪しげなところを当たってみるか」
京一の言葉に、一行は更に奥へと足を進める。
しかし、いくら歩いても誰一人として見つけることができない。
「ホントに誰もいないね……」
「とても、学校の中とは思えねぇな……」
「これじゃ、まるで病院だ……」
喧噪のない、静かな空間。京一の言う通り、とても学校とは思えない。予備知識もなくここへ連れて来られたら、醍醐と同じく病院だと感じるだろう。
何の変化もない廊下を歩く龍麻達であったが、ようやく動くものを見つけた。ただし、人ではなかったが。
それは猫だった。黒い子猫。それが廊下の角から姿を見せ、こちらに近付いてくる。にゃあ、と一鳴きして、子猫は龍麻の前で止まった。
「……おいおい、人はいなくても、猫はいるのか?」
「ここの生徒、なわけないよね……」
京一はようやく見つけた生き物が猫であることに呆れ、小蒔は小蒔でくだらない事を口にした。
「なぁ、ひーちゃん。実は動物と話せる、なんて特技はねぇのか?」
霊を視る事ができ、会話もできる。英語だって話せるし、結界まで扱う龍麻である。他に特技があったとしても驚きはしない。期待を込めて尋ねる京一だったが、龍麻は肩をすくめて見せた。
「生憎と、それは無理」
その場にしゃがみ、龍麻は子猫を抱き上げる。嫌がる様子もなく、子猫は龍麻に頭を擦り寄せた。
「龍麻、その猫は普通の猫か?」
「うん。そうみたいだけど――」
ここが、人体実験をするような輩の本拠地である事を思い出し、醍醐が不安げに訊いてくる。改造された特殊な猫だとでも思ったのだろう。が、そんな様子は感じられない。考えすぎだよと言おうとした龍麻だったが、近付いてくる気配に気付き、そちらに意識を向けた。
見た目は十歳くらいだろうか。子猫と同じ場所から現れたのは、赤い制服のようなものを着た金髪の少女だ。
子猫がにゃあ、と鳴く。少女はこちらに近付こうとしたが、龍麻達を見て足を止めた。
「こんにちはっ」
小さな子供には慣れている小蒔が、明るく声をかける。しかし返事はない。明らかにこちらを警戒している。
「おいっ、チビッ。聞こえねぇのか?」
「アナタタチ、ダレ?」
今度は京一が声をかけるが、少女は片言の日本語で、そう訊いてきた。
「ボク達は、その……怪しい者じゃなくて――えっと……」
「バカやろーっ、目一杯、怪しいじゃねぇか!」
まともに狼狽える小蒔に、こちらも動揺して声を大きくする京一。が、少女はそんな二人に取り合わず、龍麻と醍醐に視線を向けていた。
(ドコカデ……会ッタコトガアル……?)
初対面であるはずだ。が、この二人からは何かしら感じるものがある。大柄な男からは自分の中にあるものと同じような何かを。そしてもう一人からは、今日ここへ連れてこられた女性――葵にも似た暖かさ、そしてそれとは全く違う――
龍麻も、この少女が気になった。似ているのだ。如月やアランと出会った時に感じたものと。それは醍醐も同じらしく、白虎に覚醒して以来、あの二人から感じたものをこの少女から感じていた。
「その……君はここの生徒なのか?」
「アナタタチ、ダレ?」
再び同じ問いを、今度は龍麻と醍醐に向ける。
「俺は醍醐雄矢だ」
「僕は緋勇龍麻。君の名前は?」
「マリィ……マリィ・クレア」
「そう。マリィ、この子は君のお友達かな?」
言いつつ、龍麻は子猫をマリィに渡す。子猫を抱き上げ、マリィは頷いた。
「メフィスト……」
子猫の名前のようだ。そして、龍麻を見て
「ヒユウ……ナニガツライノ……?」
そんな事を口にする。京一と小蒔は何を言っているのか分からないようだったが、龍麻と醍醐には、彼女の言葉の意味が分かった。
(この少女……まさか……)
醍醐の脳裏にある単語が浮かぶ。もしそうなら、さっきの感覚といい、龍麻の事を言い当てたことといい、納得がいく。が、確信は持てなかった。この学院の生徒であるなら、そういった――相手の感情を読み取る《力》を持つ者である可能性も捨てきれないのだ。この学院の生徒は皆、能力者。そう思っていた方がいい。
一方、龍麻の方はやや寂しげな笑みを浮かべ、マリィの目線に合うように身体を屈める。
「大切な人が、いなくなってね。その人を捜してるんだ」
「大切ナ……人?」
「あっ!」
その時、何かに気付いた小蒔が声を上げた。
「このコが持ってる腕時計……これ、葵のだよっ!」
見ると、確かにマリィは腕時計を持っている。龍麻達にはそれが葵の物かどうかは分からなかったが、親友である小蒔の言うことだ、まず間違いはないだろう。
「アナタタチ……アオイヲ、知ッテルノ?」
「うん。大切な、友達なんだ」
やはり葵を知っているのか、そう尋ねるマリィに龍麻が答える。
「トモ……ダチ……?」
「ねぇ、キミッ。葵の居場所知ってるの? 知ってるなら教えてっ!」
「ナゼ、アオイ捜スノ……?」
「葵は、ボク達の大切な仲間なんだ」
当たり前じゃないか、と小蒔は言い切る。が、マリィの口から出た言葉は――
「仲間ハ大切ジャナイヨ。イクラデモ、新シイ仲間ツクレルモノ。DATAサエアレバ、イクラデモ、増ヤセル」
淡々と答えるマリィに、小蒔はすぐには二の句が継げずにいた。それでも気を取り直したのかマリィに話しかける。
「キミは、友達が死んでも悲しくないの?」
「……ワカラナイ」
「例えば、その猫が死んでも悲しくない?」
「メフィストガ……?」
自分の抱いている猫に目を向ける。メフィストはこちらを見て、首を傾げている。
「そうだよっ。悲しいだろ?」
「ワカラナイ……ワカラナイ……」
そう答えるマリィではあったが、小蒔の言葉をそのまま想像したのだろう。彼女の目からは涙が溢れ出ていた。さすがに泣き出すとは思っていなかったのか、小蒔も困惑した表情を浮かべる。
「あ〜あ、泣〜かした」
「べ、別にそんなつもりじゃ……!」
そんな小蒔を京一がからかう。が、そんな事をしている場合ではない。
「美里は、どこにいるんだ?」
優しく問いかける醍醐に、マリィは先程自分が出てきた方を指し示す。
「ソコノ階段ヲ降リタトコロ……デモ、ジル様ガ入ッチャダメダッテイッテタ。イマ、実験中ダカラ……」
「ありがとう、マリィ」
龍麻はハンカチを取り出し、マリィの涙を拭ってやってからその頭に手を置いた。
「危ないから、マリィはどこかに隠れてるんだ。いいね?」
「デモ……」
と言いかけたマリィだったが、その身を竦ませる。龍麻の様子が変化したからだ。
「ここから先は……戦闘になるから」
見た目は変わらない。だが、焦りや不安の感情、そして、暖かさは今の龍麻からは感じられない。あるのはただ怒りのみ。それが彼の放つ《氣》に乗って伝わってくる。
「みんな、行こう」
返事も待たず、龍麻は階段を駆け下りていく。慌てて後を追う京一達。
抱いたメフィストが、心配するように頬を寄せてくる。
一人その場に残されたマリィだったが、一つの決心をし、彼女もまた階段を下りていった。
学院地下研究所。
「実験の様子はどうだ?」
傍らで機具を操作している研究員に尋ねるジル。作業の手を一旦止め
「はっ、サイ粒子抽出機をテレモニターに接続。被験者の念波動を原子結晶化し、抽出、培養、増幅――その後、粒子断面及び検出数値がモニター化されます」
説明して研究員はモニターを指し示す。
「うむ、続けろ」
そう命令を下して、ジルは葵を見た。
被験者である葵は、液体で満たされたガラス筒の中に全裸で漂っていた。まるで生物の標本のように。
葵だけではない。他にも同じように閉じこめられた被験者が、機材と共にに所狭しと並んでいる。が、こちらは既に本当の意味で「標本」になった者達だった。
「フフフッ……素晴らしい……実に素晴らしい……」
再びモニターに目を向け、表示される数値を見ながらジルは呟く。
「この《力》――まさしく、ワシが、捜していたもの。よもや、こんな島国で出会おうとは。この《力》を解明すれば、我が帝国は、更なる進化を遂げる」
ふと、彼の脳裏に同じ研究をしていた者が浮かぶ。教師を隠れ蓑にしていた日本人。その者は既にこの世にはいない。
「シロウとやらはしくじったが、ワシは、大いなる《力》を手に入れる事ができる」
「ジル様っ、御覧下さいっ! 超能力レベルが最高値に達してますっ! このままでは……メーターを振り切りますっ!」
興奮気味に報告する研究員に、ジルは満足げに頷く。
「ふふふ……いいぞ。これこそが、ワシが求めていたものだ。この《力》を手に入れれば、第三帝国復活も近い――」
その時、突然警報が鳴り響いた。
「何事だっ――!?」
「侵入者ですっ!」
その言葉に、ジルは傍らの少女を見る。目を閉じた黒髪の少女。日本人――ではない。肌の色から察するに、インド、中近東の人種に見える。彼女自身は《力》によってそれを察知していた。
「男三名……女一名。こちらへ向かっています。これは……先日の予知に出た者達です」
「フフフ……丁度良い。ワシの兵士達の《力》を試すには、うってつけの獲物だ。サラ、あとどのくらいでここに着く?」
が、サラがそれを報告するより早く、入口で鈍い音が響いた。
「ちっ! 頑丈な扉だぜ!」
「京一、どいて」
「っておい、龍麻! 扉の向こうに美里がいたら――」
「いないよ。……破あぁぁぁぁっ!」
次の瞬間、轟音と共に扉が部屋に吹き飛んでくる。研究用の機材に突き刺さり、既に原形を留めていない金属製の扉はようやく止まった。
続いてサラの言う通り、計四名が部屋に雪崩れ込んでくる。
「お前がジルか……」
目の前にいる老人を、そして部屋にいる学院の関係者を睨みつける龍麻。研究員達は腰を抜かしてその場に座り込むが、ジルは平然としていた。三人の子供達は一瞬気圧されたようだったが、何事もなかったようにこちらを警戒している。
「葵さんを、返してもらう。そして、ここは完全に破壊する」
「フフフ……この学院に入り込んで、生きて出られると思うか。貴様らはここで死ぬのだ」
「けっ、こんなガキ共で、俺達の相手がつとまるわけねぇだろっ」
と、刀を抜く京一。が、ジルは余裕の表情だ。
「ここにいるのは、私が創り上げた革命のための兵士達だ。貴様らごときに遅れはとらんわ」
「んだとぉ?」
「ワシは、長い間、研究してきた。大地を流れる大いなる《力》を。そして、創り上げた――《力》を授かるに相応しい人間を」
自分の前に進み出た三人を一瞥し、得意げにジルは語る。
大地を流れる《力》――龍脈のことだろう。いつの世も、過ぎた《力》を求めるのは人間の性なのだろうか。
「貴様らは、特別な人間ではない。偶然に、その《力》を授かったに過ぎないのだ……貴様らには、あるのか? 《力》を使うだけの資格が」
「《力》を得たのは確かに偶然だ。でも、こんな《力》は人には過ぎたもの――誰にも必要ないんだ。仮に資格がいるとしても、お前達のように、選民思想に縛られた過去の亡霊に、資格などあるわけがない」
怒りを隠そうともせず、龍麻は《氣》を解放する。
「どんな言葉を並べ立てても、お前達のやった事が正当化されるわけじゃない。お前も、死蝋も、同じ穴の狢だ」
死蝋の名を聞き、ジルの表情が動いた。そして、ふと思い出す。あの男が最後に実験をしようとしたのが誰であったかを。
「ヒユウタツマ、か」
「てめ……なんでひーちゃんを知って――」
龍麻の名を口にしたジルに、食ってかかろうとする京一だが、それを龍麻が制し、問う。
「死蝋に聞いたの?」
「そうだ。類い希な《力》を持つそうだな。結局、データは回ってこなかったが……いい機会だ。貴様も我らの大いなる研究の礎となるがいい」
その時、研究所に入ってくる者がいた。上で待っていたはずのマリィだ。
「20
この子が敵に回るのか、そう思ったのか京一と小蒔が身構える。その中で、龍麻と醍醐はマリィが自分達に牙をむくことはない、そう感じ取っていた。
ジルの命令に、マリィは首を横に振る。
「聞こえなかったのか? 始末しろと言ったのだ」
再度命じるが、結果は同じだった。
「調製が足らなかったようだな。こいつらを始末したら、もう一度レベル2から調製をやり直さねば」
未だガラスケースに捕らわれている葵に視線を向けるマリィ。それに気付いたジルが鼻を鳴らした。
「崇高な力を持つ私の兵士、選ばれた民。成長して汚れることもなく、いつまでも美しく輝く帝国の民。永遠に純粋な残酷さを持ち続ける至高の子供達――それなのに、貴様は汚らわしく、俗な、甘い感情を捨て切れぬ。所詮、失敗作は失敗作か……消去するしかないようだな」
「貴様……いい加減にしろっ!」
怒りを露わにして醍醐が叫んだ。
「人間をなんだと思っているっ!」
「そうだっ! こんな酷いコト……絶対に許さないよっ!」
親友を酷い目に遭わせ、今またマリィを道具のように切り捨てようとする。小蒔も堪忍袋の緒が切れたようだ。
「ふん……何とでも言うがいい。出来損ない共々、消去してくれるわ」
「けっ、いくら《力》を持ってるって言っても、無理矢理引き出したシロモノじゃねぇか。養殖物が天然物に勝てるかよっ!」
水龍刀をジルに突き付け、京一が挑発する。龍麻の方も既に戦闘態勢に入っていた。
「マリィ、後ろに下がって。小蒔さん、ここじゃ弓は不利だから、マリィを頼むよ」
「う、うん。マリィ、こっちへ……」
狭い部屋で飛び道具を使うのは得策ではない。素直にその指示に従い、小蒔はマリィを連れて後ろに下がる。
「我が忠実なる兵士達よ、こいつらを抹殺しろ!」
ジルの命が下り、戦闘は開始された。