8月某日。真神学園――屋上。
夏休みだというのに、連日の補習のために登校している京一と醍醐。昼になったので、いつもの如く屋上へ上がる。空調設備のない教室にいるよりは、例え日が照っていても風のある外の方が幾分過ごしやすいのだ。
柵にもたれ掛かり、何気なく空を見上げていた二人だったが、醍醐が唐突に訊いてきた。
「京一。お前、最近の佐久間を見ていてどう思う?」
「知らねぇよ。俺には男を観察する趣味はねぇからな」
京一は即答する。元々、醍醐と違い、あの手の輩を心配する性分ではないのだ。
そうか、と醍醐が呟き、それ以降会話が途切れる。また何やら悩んでいるのは確かなようなので、何かあったのかと口を開きかけた京一だったが、先に醍醐が言葉を紡いだ。
「俺はな、京一。この頃、良く考えるんだ。俺達が持つこの《力》は何の為にあるんだろう……ってな。《力》を持つ者と持たざる者――その違いは、一体どこなんだろうって考えるのさ」
何の為の《力》なのか――
時折、思い出したように話題になる。が、決まって明確な答えは出ない。そもそも答えがあるのかどうか。その《力》をどう受け止め、どう使うかはそれぞれが決める事なのだ。
「またお前は、そんな辛気臭ぇ事考えてんのかよ。どっちでもいーじゃねぇか、別に。あって困るもんでもねぇだろが」
醍醐らしいといえばそうなのだが、何でも難しく考えてしまう――生真面目なこの親友の悪い癖だ。
「それによ、他人が持ってねぇモンを持ってるって事は、気分がいいじゃねぇか」
「……はははっ、お前らしいな。そう考えられるお前がうらやましいよ」
「美里もお前も、余計なコト考えすぎだぜっ」
「……そうかも知れないな……」
柵に背を向け、醍醐は苦笑する。
「だがな、俺は思うんだ。人として生きていく上で、こんな《力》は必要なのか……ってな。確かに、俺達はこの《力》の御陰で命を助けられた事もあった」
握り拳を作り、それに視線を落として続ける。
「だが、平凡な人としての生を全うできず、愛する者をも、この《力》の為に失わなければならないとしたら……」
「ひーちゃんを恨んでるのか?」
醍醐の方は見ずに、京一が言った。幾分その声には苛立ちのようなものが感じられる。
「お前は自分の意志で『こっち側』へ来たんだ。あの時、旧校舎へ足を踏み入れた時からな。あいつはあの時、来るなと言った。それでもお前達は来ちまった」
「……すまん、そういう意味で言ったんじゃないんだ」
醍醐の言葉を、京一は《力》を得た事への後悔と受け取ったらしい。
「ただ強くなりたいと、力を望んでいた時期もあった。だが、《力》を得てからそれが正しいのか分からなくなったんだ。俺は、これ以上何かを失うのはご免なんだ、京一」
かつて凶津と決別した時、そして、龍麻が失踪した時。あんな思いは二度としたくない。醍醐の正直な気持ちだ。
「そうだな……」
《力》を持つが故に、関わる必要のない事件に巻き込まれ、あるいは進んで立ち入り、幾度となく苦い思いをしてきた。
その中で生まれた護るべきもの、護りたいもの。それを失いたくないと思うのは当然だ。その想いが力となる。しかし、それは破滅への引き金にもなりうる。
「お前にはお前の護りたいもの、俺には俺の護りたいものがある。でもよ……」
京一は最後の言葉を呑み込んだ。
(それを失ったら……俺達はどうなっちまうんだろうな。あいつみたいに――なっちまうのか……?)
一際強い風が吹く。空に浮かぶ雲がかなりの速さで流れていくのが見える。しかし、不安は雲のように吹き飛びはしなかった。
9月3日。豊島区――目白不動。
都電荒川線、学習院下駅から徒歩で住宅街を進むこと約五分。目的地である金乗院へと辿り着く。早速、目的の祠を探し始めた龍麻、葵、京一の三人だったが
「祠なんて、どこにもねぇじゃねぇか」
早々に京一が愚痴をこぼした。境内の奥まった所、との龍山の言葉だったが、それらしいものはない。見落としたのかとも思われたが、それ程広い境内でもない。
「あのジジィ、俺達を担いだんじゃねぇだろうな?」
「そんな事はないと思うけど……でも本当におかしいわね」
「どうなってやがんだ……あれ、ひーちゃんは?」
龍麻の姿がない。まだ探しているのだろうかと周囲を見回すと、境内の隅の方にその姿があった。ちょうど不動堂の階段脇辺りにしゃがみ込んで、何やらやっている。
「おーい、ひーちゃん。どうしたんだよ?」
二人は龍麻に近付くが、別段そこには何もない。にもかかわらず、龍麻は何をやっているのだろうか。
「あ、二人とも。やっぱりなかった?」
「やっぱり、って……龍麻くん、何か知ってるの?」
龍麻の口調に葵が尋ねる。大したことじゃないけど、と前置きして龍麻。
「良く考えたら、すぐに見つかる場所にあるはずはないんだ。宝珠が江戸の護りの要であるなら尚更ね。もしも、誰かが悪戯に持ち出したりしたら大変な事になるから」
「確かにそうだな。でも、それじゃあどこにあるんだよ?」
「ここにあるよ」
龍麻の言葉に京一は目を凝らす。しかし、何も見えない。そのうち、龍麻は印を切り、何やら唱えた。すると――
「ほ、祠が出てきた!?」
何もなかったはずのそこの景色が一瞬歪み、忽然と祠が現れた。驚く京一達をそのままに、龍麻は荷物から白い宝珠を取り出す。すると宝珠が光を放ち始めた。祠を開き、中に宝珠を安置して扉を閉める。幾度かの明滅の後、光は収まった。
「これで封印できたの?」
「多分ね」
「龍麻くん。よかったら説明してくれないかしら?」
いともあっさりと一連の行動を行った龍麻に、再び葵が尋ねる。
「一体、何がどうなっているの?」
「不動の霊力で封印する以上、宝珠を納める祠は必ずここにある。でも、それを人目につかないようにする必要がある。だから、結界で祠そのものを隠していたんだ。僕がやったのは、術を用いた結界の解除」
事も無げに言ってのける龍麻だが、そんな事ができるなど二人には初耳だ。
「ってお前、いつの間にそんな事できるようになったんだ?」
「結界関係の術は、少し前から使えるようになってたよ。ミサちゃんや翡翠に教わったから」
人払いや簡易障壁などの術は、他者を巻き込まないという観点から早い時期から教えてもらっていた。単に、今まで使う機会がなかったというだけの話だ。
他にも犬神という協力者がいるが、これは伏せておく。
「ま、封印できたならそれでいいか。で、これ何だ?」
いつの間にやら足下には奇妙な形をした靴が転がっている。靴底に車輪のようなものが付いた代物だ。指さして問う京一に、龍麻は面白そうに笑った。
「履いてごらん」
「俺がか?」
「足技を使う人間が履いても、意味ないんだ」
いいけどよ、と京一はそれを履く。そのまま立ち上がるが、地面から浮いている事に京一は気付いていないようだ。
「よ、っと……何だよ、歩きづらそうだな」
「歩く必要はないよ。試しにそのまま進んでごらん」
「進む、って――のわっ!?」
一歩踏み出すよりも早く、京一の意志に反応したのか足が前に進む。バランスを崩したが、慌てて体勢を立て直し、転ぶのだけは何とか避けた。
「こ、こりゃあ何だよ!?」
「多分、風火輪だよ」
「フーカリン?」
「風火輪って、あの?」
京一が知らなくても不思議ではない。葵はどうやら知っているようだ。頷いて、龍麻は京一に問いかける。
「封神演義って知ってる?」
「ああ、ジ○ンプでやってるあれだろ?」
「まあ、それもそうだけど」
封神演義。西遊記、水滸伝と並ぶ、中国の三大怪奇小説の一つである。殷という中国の古代王朝が滅び、周がそれに取って代わる時期を舞台にした物語。それだけなら歴史小説だが、怪奇と言われる理由は、それに仙人や道士、妖怪といった存在が登場し、超常の力を使って闘うからだ。今風の言い方をすれば、空想小説、SFに該当するだろう。
「まあ、その中に出てくる宝具――《力》を持つ道具の一つだよ。ナタクって人造人間が使った物で、空中を高速移動できる宝具
「へぇ……慣れれば、スケートみたいなモンだな。でも、よく知ってんな、こんなモン?」
「旧校舎で見つかった物の中に、幾つか宝具
地面を滑りながら言う京一にそう答えると、龍麻は再び術で祠を隠した。
「これでよし、と。京一、そろそろ普通の靴に履き替えた方がいいよ」
「おう」
「さて、次の不動へ――どうしたの、葵さん?」
浮かない顔をしている葵に声をかける。
「本当に……三人だけで来て良かったのかしら……?」
「仕方ねぇさ。醍醐のヤツと小蒔に、連絡がつかねぇんじゃ」
いつもなら、五人で行動するのが当たり前になっているが、二人とも今日は学校を休んでいる。小蒔はともかく、醍醐の方は学校にも連絡がないそうだ。
「俺達がこうして持ってるより、封印しちまった方が安全だろ?」
二人の事は気になるが、こっちをないがしろにするわけにもいかず、結局三人で不動を巡っている。
「そうね……」
まだ何かが引っ掛かっているようだが、葵はそれ以上何も言わなかった。
「さ、次は目青不動だろ? さっさと――」
「それが、五色不動の力って訳ね……」
不意に背中から声がかかる。振り向くとそこにはルポライターの天野絵莉がいた。
「ごめんなさい。驚かせちゃったかしら?」
「いえ、別に。でも、どうして天野さんが?」
「白蛾先生に聞いたの。今日、不動巡りをするはずだからって。新宿から一番近いのはここだから」
問う龍麻に天野はそう答えた。どこから回る、というのは龍山の前では話していない。それでもこちらの行動を読んでここへ来た天野はさすがと言うべきか。
「あの……天野さん。龍山先生とお知り合いなんですか?」
「知り合いって程じゃないけど、以前、仕事で占いの取材をした時にお会いしてね。風水や陰陽道とかにも詳しいと聞いていたから、今回の一連の事件のヒントが得られないかと思って。昨日の夜、会いに行ってきたの」
つまりは、自分達が帰った後、ということになる。入れ違いだったようだ。
「そう言えば、今日は三人だけなの?」
珍しいわね、と少し驚いたような天野の言葉に、葵の表情が曇る。何か察したようだったが、天野は言及せず、話題を変えた。
「実は、鬼道衆について分かった事があるの。ちょっと時間をくれるかしら?」
「もちろんです」
恐らく織部神社で得た情報だろうなと見当を付けながら、答える。
「じゃ、向こうへ――」
他の参拝客はいなかったが、天野に従い、三人はついて行った。
不動堂横の階段を上がり、墓地に入った所で天野は足を止める。
「この辺でいいかしらね。……実はね、鬼道衆の狙いが何なのか――それを、色々調べていたんだけど……」
「この東京の壊滅じゃないのかよ? 水角だか風角だかも言ってたじゃねぇか」
今更調べる事でもないんじゃねぇか?と京一が言った。
本人達の口から出た言葉が確かならば、京一の言う通りだ。が、天野には何か気になる事があったのだろう。
「そうね……でも、彼らの動きを見ていると、それだけじゃないと思うの。水岐くんや、他の人達を唆して、事件を引き起こしたりしているのは、何か別の意味があるんじゃないか……って思うの」
「別の意味、ですか?」
龍山邸で話を聞いてから、龍麻も疑問に思っていた事だ。東京を壊滅させるだけの力は持っているはずなのに、その行動の手際が悪いことから何となく裏があるのでは、と。
「この前、織部神社であなた達に会ったでしょ? あの時、神主の織部さんに見せてもらったものがあるの。江戸時代に記された古い書物なんだけどね。そこに面白い事が書いてあったわ」
一息ついて天野は三人を見る。次の言葉を待つ三人。
「菩薩眼――って聞いた事ある?」
「菩薩眼……?」
知らない、と京一は即答した。しかし、何故か葵は眉をひそめ、龍麻もその言葉を頭の中で反芻する。
(初めて聞いたはずだ……でも、どこかで聞いた事があるような)
「二人ともどうしたの?」
様子に気付いたのか、天野が声をかけてくる。
「い、いえ……」
「別に何でも。で、その菩薩眼が何か?」
葵は言葉を濁し、龍麻は話を促した。首を傾げながらも天野は話を再開する。
「その書物には、菩薩眼なるものの事が、簡単に記されていたわ」
菩薩眼――別名、龍眼。
元々、風水の発祥の地である中国の客家という土地に伝わる話。地の龍――龍脈が乱れる時、その瞳を持つ者が現れ、人を浄土へと導くという。
その瞳は、氣の流れを詠み、太極を視ると言われ、何故か女性にしか発現しない。風水に詳しい時の権力者達は、こぞって菩薩眼の女を捜した。
(龍脈が乱れる時……今の事? そして菩薩眼が現れる……鬼道衆はそれを手に入れる為に動き始めて……いや、その逆で菩薩眼の女性を手に入れる為に――)
断片が頭の中で繋がっていく。
「それだけじゃなく、その書物には、鬼達が菩薩眼の女性を攫っている様子も記されていたわ。理由までは記されていなかったけど、江戸時代、人と鬼の間でその菩薩眼を巡る闘いがあったらしい――ということは確かね。でも、私が驚いたのは、当時その鬼達が、町の人から何と呼ばれていたかなの」
「鬼道衆、ですね」
ここまで来れば読めてくる。過去の戦闘や、如月の話から、鬼道衆が江戸の時代から暗躍していた事は分かっていたし、今回の話で彼らの目的とやらも分かってきた。
「東京を壊滅させるのも目的の一つなんでしょうけど、真の目的は――」
「ええ。今までの事件が、菩薩眼の伝承と関係するとしたら、彼らの目的は東京の壊滅よりも、この地を混乱させ、龍脈を乱す事によって、菩薩眼を持つ者を覚醒させる事でしょうね」
「ふざけやがって……そんなこと、絶対にさせるかよ!」
怒りを露わにして京一が叫んだ。恐らく今までの事件を思い出しているのだろう。余りにも多くの犠牲が出た。そして、それはまだ終わっていない。
人ひとり捜す為に東京を混乱させる――決して許せることではない。そこまでして鬼道衆が菩薩眼を捜す以上、絶対に彼らを阻止しなければならない。
ふと天野を見ると、彼女は複雑な表情を浮かべていた。彼女の持つ《氣》が僅かだが変化している。龍麻の視線に気付いたのか、一瞬目が合うが、彼女から視線を逸らす。
「私、ずっと考えていたの。何故、あなた達のような若者にだけ、《力》が発現したんだろうって。何故、大人達ではなく……」
その疑問に答える術を龍麻達は持っていない。龍脈が原因である事は分かっても、その恩恵(押し売り)を受ける基準までは分からないのだ。
「でも、もう考えない事にしたの――あなた達は選ばれたのだから」
「選ばれた、なんて柄じゃないですよ。ほとんどの人は、この《力》を押しつけられたんです」
「……そうだったわね。ごめんなさい」
《力》に目醒めたが故に身を滅ぼした者もいる。それを思うと、選ばれたなどとそう単純に受け止められるものではない。
龍麻の言葉に、軽率な物言いだったと天野は素直に謝った。先程の《氣》の気配――自分達に向けられた羨望のようなものは消えている。苦笑しつつ天野は言った。
「実はね、手をこまねいて見ているしかない自分に、少し腹が立ったの」
「何を言ってるんです。天野さんは僕達にできない闘いをしてるじゃないですか」
「そうですよ。お陰でとても助かってるんです」
「俺達は力仕事しかできねぇから、エリちゃんの情報は頼りにしてるんだぜ」
三人の言葉に、ようやく天野は笑顔を見せた。
「ふふふ。ありがとう、三人とも。さて、私は私にできる事をやるとしましょうか。菩薩眼の事や、白蛾先生が言っていた九角って人の事を、もう少し調べてみるわ」
「ありがとうございます。でも、無理はしないで下さいよ」
「ええ、お互いにね。それじゃ、私行くわね。後の二人にもよろしく」
何かが吹っ切れたような足取りで去っていく天野を見送る龍麻達。
「それじゃ、俺達も行くか。日が暮れる前に、次の不動に着かねぇとな」
「そうだね」
龍麻達もそのまま目白不動を後にした。次は――目青不動。
世田谷区。
「ええと……確かこの先を右に行った所が目青不動よ」
電車を乗り継ぎ、世田谷までやって来た龍麻達は、葵の案内で目青不動へと向かう。
「しっかし、ホントにこんな珠に鬼が封じられてたのかねぇ。俺にはただのガラス珠にしか見えねぇけどなぁ……」
龍麻から受け取った蒼い珠をしげしげと眺めながら京一が漏らしたその言葉に、龍麻と葵は苦笑した。
そうこうしているうちに目的地、教学院へ到着した。ここも住宅地の間に孤立しているような感じだ。目白不動と比べ、緑は多い。
「ここか。さっきの目白不動もそうだけど、パッとしねぇ寺だなぁ」
「これでも由緒正しい天台宗のお寺なのよ」
罰当たりともとれる京一の一言に笑いながら説明する葵。
「でも、何で五色不動ってほとんどが天台宗なんだろうね?」
「ええ。目白不動は真言宗だけど、他は皆、天台宗なのよね。何故かしら?」
龍麻の何気ない問いに、葵も不思議そうに首を傾げる。京一には何の事やらさっぱりだ。
「どうせなら、全部天台宗の寺で統一しててもいいと思うんだけど――」
ドン
「おぉっと。なんや、危ないなぁ」
不動堂に目をやりながら歩く龍麻だったが、よそ見をしていたのが災いして、前方から湧いて出た男にぶつかった。
「あ、すみません」
反射的に謝る龍麻だったが、その男は何やらこちらをじっと見ている。
年齢は自分達と同じくらいだろうか、白いバンダナに赤のTシャツ。衣替えはまだだというのに、微妙に丈の短い学生服を着ている。が、それより目を引いたのは背中に背負っている、布に包まれた「何か」と左目の傷だ。
(刀傷……それに背中のは剣かな?)
「何だてめぇ、俺達になんか用かよ?」
京一が男に鋭い目を向ける。男の方は人懐っこい笑みを浮かべながら、そないな恐い顔せんといてと手を振った。
「ちょっと、この兄さんがべっぴんさんやったさかい」
「男に別嬪さんはないんじゃないかな……?」
「ん? 怒ったらあかんて。綺麗な顔が台な――っといや、何でもあらへん」
若干怒りを含んだ龍麻の気配に気付いたのか、慌ててエセくさい関西弁で言い繕う男。
龍麻を女性扱いするのは禁忌である。もっとも初対面の男にそれが分かるはずはないのだが。
「ところで兄さん達、ここに何か用でっか?」
「おめぇにゃ、関係ねぇだろっ」
話題を変えようとした男だったが、京一は突き放す。もっとも応えた様子はなく、男はそりゃそうやと笑った。しかし
「でも、気ぃつけぇや」
先程の陽気さが嘘のような真顔で、男は静かに言った。
「この辺りは、鬼が出る言われとるんや……。せいぜい食われんようにな」
それだけ言うと男は再び人懐っこい笑みを浮かべ、去って行く。
「何だあいつ……?」
「京一、彼の背中の物、何だか分かった?」
「ん? ああ、形状から見て柄と鍔……剣だな。刀身に幅があったから、刀じゃねぇな。ひょっとしたら大陸系、中国辺りの朴刀か呉鉤じゃねぇか?」
一目見ただけでそれだけ分かれば大したものだ。その頭を勉強に使えば少しは成績が上がるんじゃないだろうかと考える。もちろん、口には出さない。
「ま、いいか。敵じゃねぇみたいだしな。で、祠ってどこにあるんだ、ひーちゃん?」
「あ、ちょっと待って」
目を閉じ意識を集中し、それを周囲に放つ。寺社内は広範囲に《気》が満ちている事が多い。霊力で宝珠を護っていたという五色不動の一つであるここならば尚更だ。しかし何かを隠そうとする場合、そこは微妙に周囲とは違う場を形成する。それを見つければ――
「こっち……かな」
はっきりしないが見当を付け、龍麻はそちらへ向かう。不動堂の横、地蔵や石碑がある辺りで龍麻は足を止めて作業に入る。少しすると、そこに祠が現れた。
「京一、珠」
京一が持っていた珠を放って寄こす。それを受け取り、龍麻は珠を祠に納めた。目白の時と同じく明滅が終わると、そこには一振りの刀が出現していた。
「それもパオペエとやらか?」
「いや、刀だね。普通の、とは違うけど」
煌びやかな装飾の施された鞘を見やり、龍麻は同じく豪華な柄の方を京一に向けた。手に取ったのを確認して鞘を引く。現れたのは澄んだ清流を彷彿とさせる美しい刀身。片刃だが刀身に反りはない。
「こりゃあ、すげぇな。環頭太刀ってやつか?」
龍の紋が刻まれた装飾がついている刀を見ながら、京一はその美しさに溜息を漏らした。
「いや、把頭は丸くないし、鍔も少し違うね。唐太刀とか飾り大刀とかいうやつじゃないかな?」
「んーと……あ、あれだ餝剣
元々、餝剣は奈良時代に流行した唐太刀の流れを汲む、平安時代に用いられた儀仗用の刀剣だ。それが気になったようだが、龍麻は素直に京一の意外な知識に感心していた。
「刃はあるからね。まあ、派手な刀だけど、実戦には耐えるんじゃないかな。でも京一、餝剣なんて、良く名前知ってたね。その記憶力を、勉強に向けたら?」
今度は口に出してそう言う龍麻に、京一は口を尖らせた。
「あのなぁ、嫌いな事に割く記憶力は俺にはねぇんだよ」
「ああ、刀剣とラーメンとお姉ちゃんのこと以外には使えないんだ」
「当然! って、ひーちゃん。さりげに酷いコト言わなかったか?」
「否定しなかったじゃないか」
そんなやり取りを続ける龍麻と京一を見て葵がクスクスと笑っている。それに気付いた二人は顔を見合わせる。
「何だよ、美里?」
「え? だって、とても楽しそうだから」
「ちぇっ。ま、とりあえず、俺達の持っていた珠は、これで全部封印したな」
わざとふてて見せて、京一は話を戻した。
「後は、鬼道衆を斃さないと始まらないからな。今日のところは新宿へ戻ろうぜ」
いつも持っている袋に刀をしまい込むと、京一は歩き出す。祠を再び結界で隠し、龍麻も後を追った。
新宿に戻った頃には、日は完全に落ちていた。
「痛てて……あっちこっち、歩き回ったから足が痛ぇ」
「龍麻くんは大丈夫?」
「まあ、鍛え方が違うから。歩き慣れてるしね」
「でも、美里……お前、華奢なくせにタフだよなぁ」
龍麻はともかく、疲れを感じさせない葵を見て京一は感心したように言った。
「うふふ。女性は男性よりタフだって言うものね」
「それで、出るトコは出てんだから――」
ごすっ
余計な事を言いかけた京一を、龍麻はげんこつで沈黙させた。幸い、葵の耳には届かなかったのか、彼女は不思議そうに二人を見る。
「京一はもう少し体を鍛えた方がいいんじゃない?」
「へーへー。っと、ひーちゃん」
だれていた京一だったが、不意に真顔に戻ると
「明日にでも、醍醐ん家へ行ってみねぇか?」
「うん、僕も気になってたんだ」
何事もなけりゃいいんだけどな、と肩をすくめて見せる。やはり、親友の事が心配なようだ。
強い風が龍麻達を撫でていく。夏も終わりというが、まだまだ暑いため、風も生暖かい。
「風が強くなってきたな――嵐が来なきゃいいけどよ……」
不快な風に、京一は乱れた髪を手で梳いた。
翌日9月4日。3−C教室――朝。
今日も醍醐と小蒔は来ていない。
「それでは――これで、朝のHRを終わります。佐久間クンを見かけた人は、ワタシの方まで連絡してね。それから、今日の欠席者も醍醐クンと桜井サン――」
言いかけたマリアだったが、そこで教室のドアが開く。入ってきたのは小蒔だった。
「遅くなって……スイマセン」
「もう具合はいいの?」
「はい……」
そうは答えるが、誰の目から見ても元気がないのは明らかで、更に龍麻には、彼女の《氣》が酷く揺らいでいるのが視えた。それに、あちこちに傷がある。
(体調不良、じゃないな)
感情による《氣》の乱れ――何が彼女にあったのかは分からないが、話を聞く必要がありそうだ。
マリアが教室を出ていったと同時に、龍麻は席を立って小蒔に近付いた。京一も、隣の葵もほぼ同時に動く。
「あ……おはよう……ひーちゃん」
「おはよう。大丈夫?」
「ゴメン……心配かけて」
気付いた小蒔が挨拶してくる。その声に力はない。かなりの重症だな、と思いつつ次の言葉を待つ。葵と京一も話に加わるが、小蒔の表情は曇ったままだった。
「悪い予感に限って当たっちまうんだよな……」
「え……?」
溜息をつく京一に、ようやく小蒔は反応らしいものを見せた。彼女の《氣》が一瞬大きく揺らぐ。
ここは京一に任せようと龍麻は葵に目で合図した。素直に従う葵。
「病気で休んだなんて、嘘なんだろ?」
「な、何で……?」
「醍醐も――休んでんだよ。お前と同じ日からな。あのくそ真面目な醍醐が、何の連絡もなく、だ。小蒔、お前何を知ってんだ?」
「……」
「言えよ……さもなきゃ、俺は一生お前を恨むぜ」
怒気を含んだ京一の言葉に、俯いたまま答えようとしない小蒔の肩が震えた。ようやくぽつぽつと言葉を紡ぎ出す。
「……ボク――ボク、どうしていいか分からないんだ……」
今にも泣き出しそうな小蒔の顔に、事態がかなり悪い方へ進んでいる事を察したのか、京一は龍麻に目を向ける。黙って龍麻は頷く。
「とりあえず、屋上へ行こうぜ。詳しい話はそれからだ」
授業が始まるが、そんな事は重要ではない。四人は屋上へ向かった。
真神学園――屋上。
「あの野郎……あいつは前から、てめぇ勝手なトコがあんだっ!」
小蒔から事の次第を聞き終えて、京一が放った第一声がそれだった。
「クソッ。そんなに俺達が頼りにならねぇってのかよ!」
「醍醐くんは、きっと、私達に迷惑がかかると思って……醍醐くん、今頃きっと、一人で苦しんでるわ……」
怒りを抑えようともしない京一を葵がなだめるが、あまり効果はないようだった。苛立たしげに京一は壁を殴りつけ
「ひーちゃん。お前だって、腹立たねぇか?」
話を聞いてから無言の龍麻に同意を求める。しかし、龍麻の口から出たのは
「僕には、彼を責める資格はないよ。僕だって、皆の前から消えたんだから」
葵以外、知らない事だが、確かに龍麻は自分の意志で皆の――仲間の元から離れたのだ。己の《力》に戸惑い、苦しんでいるであろう醍醐の事は他人事ではない。
「とにかく、できるだけ早く、みんなで、醍醐くんを捜さなくちゃ。そうでしょう?」
重くなりかけた空気を感じ、葵が話を元に戻す。
「ああ。見つけだして、一発ブン殴ってやらなきゃ気がすまねぇぜ」
「でも……どうやって?」
力無い小蒔の声。確かに手掛かりはない。が、だからといって手をこまねいているわけにもいかない。
「ねえ……アン子ちゃんや、ミサちゃんにも相談してみたらどうかしら? 大丈夫、きっと力になってくれるわ」
「後の事を考えると、あんまり言いたくない気もするが、アン子の情報収集能力と洞察力は頼りにはなるし――裏密の占いも、好意的に見れば外れた事はないか……」
正直、京一は乗り気ではないようだが、手段を選んでいられる状況ではない。葵の提案に従う事にしたようだ。
「よし、もうすぐ一時限目が終わるだろ。そしたら、美里と小蒔はアン子を捕まえてくれ。落ち合う場所は新聞部の部室だ。あそこなら人が来ねぇしな。俺も後で行く」
「うん。……ひーちゃんはどうする? ボク達と一緒にアン子のとこに行く?」
「ん、後で行くよ」
小蒔の問いにそう答えた。少し気になる事がある。
「そっか。それじゃあ、後でね」
葵と小蒔は下に降りていく。屋上に残ったのは龍麻と京一、そして――
「醍醐……俺にまで黙っていなくなりやがって……あいつにとって、俺達は仲間じゃなかったってことか……」
「仲間だと思っているからこそ、黙って行ったんじゃないかな。僕だって、同じ立場ならそうしてたかも知れない」
苦い顔で呟く京一に、龍麻は言った。別に弁護するつもりはないが、その時の醍醐の気持ちは分かる。そして、実際に自分は行動に移り、取り返しのつかない過ちを犯すところだった。
「今、ここで言っても始まらねぇか。本人に聞くのが一番だな……あ、そうだ」
息を吐いて、実はな、と京一は話を切り出した。
「水岐を追って、港区の地下へ行ったコトがあったろ?」
「うん。それが?」
「あの時、如月が気になる事を言ってたんだ。醍醐から目を離すな、ってな。あいつの《氣》がどうとかとも言ってた」
「雄矢の《氣》?」
そう言えば、最近醍醐の《氣》が変質しているような気がしていた。その事を言っているのだろうか。しかし何故それを如月が?
「そん時は、気にも留めてなかったんだけどよ……今回の件、ひょっとしたらと思ってな。どう思う?」
確かに気になる話だ。
「そうだね。でも、遠野さん達の方も当たってみた方がいいと思うんだ。どうしようか……」
「じゃあ、俺一人で行ってみる。情報が多いに越したことはねぇだろ?」
今、単独行動をするのは危険かも知れない。だが、京一の意見にも一理ある。
「分かった。気を付けてね」
「ああ。美里達にはお前から言っといてくれよ。じゃ、早速行ってくるぜ」
そのまま京一も下に降りていった。一人残った龍麻は空を見上げ、呟く。
「……で、ここで何をしているんです?」
うまく隠れてはいるが、龍麻は最初からその存在に気付いていた。皆がいる手前、あえて指摘はしなかったが。
「授業があるんじゃないんですか?」
「生憎、一時限目は空いているんでな」
いつもの格好の犬神が姿を見せる。煙草を取り出し、ライターを片手に問う。
「どうするつもりだ? 緋勇龍麻……」
「もちろん捜し出して、説得します」
龍麻は即答した。
「うまくいくかな? 『いつぞや』の『誰か』のようになっている可能性もあるが?」
「その時は、『いつぞや』の『誰か』のように、叩きのめしてから考えますよ」
皮肉げに言って煙草に火をつける犬神に、龍麻は真顔で答える。
「そういうわけですので、遠野さんとミサちゃんは借りますよ。後で叱らないで下さいね」
「俺が決める事じゃない。今日はB組の授業はないのでな」
そこで授業終了のチャイムが鳴った。頭を下げて、龍麻も葵達と合流するべく屋上を後にする。
「さて、どうなるか……」
それを見送りながら、独り言ちる犬神。くわえたままの煙草から、風に吹かれて灰が舞い散った。