河川敷に降りると、京一達が待っていた。
「鬼道衆は?」
「そこの穴から地下へ――」
天野にそう答えて醍醐が茂みを指すと、そこには意外と大きな穴が空いている。また目的地は地下のようだ。
「結構深そうだけどよ、明かりがないと辛いぜ、こりゃあ」
と、京一。確かに視界は悪そうだ。そんな中、天野が鞄の中から懐中電灯を取り出した。
「エリちゃん、何でそんな物持ってるんだ?」
「備えあれば、ってね。結構、重宝するわよ」
言ってウィンク一つ。まさかとは思うが、これを使って夜中にどこかへ潜入取材とかしているのではないだろうか、と龍麻は本気で不安になった。
「でも、光源がこれだけってのはちと厳しくねぇか?」
「それなら、僕が先導するからみんな後からついて来ればいいよ」
言いつつ龍麻が洞窟へと足を踏み入れた。少しして、その奥から明かりが漏れる。一体何が起こったのだろうと後に続いた者達が見たのは、右手に炎《氣》を宿した龍麻だった。
天野は初めて視認できる《力》に興味があるらしく、龍麻の右手に視線を注いでいる。アランは大した反応を見せなかった。
「……ひーちゃん、お前って時々すごいコト考えつくな」
「あ、龍麻くん。これ、外に落ちてたから」
半ば呆れる京一。そこへ葵が何かの廃材のようなものを龍麻に差し出す。龍麻はそれに火を移した。
「これくらい明るければ、何とかなるでしょ」
即席の松明を葵に渡して、龍麻は奥へと進んでいく。
しばらく無言で進む一行。そして、龍麻、京一、如月が同時に止まった。少し遅れて葵、醍醐も周囲を窺う。
「ひーちゃん、囲まれてるぜ」
「うん。さすが忍軍――待ち伏せもお手のもの、か」
右手の炎《氣》を消すと同時に光量が落ちる。龍麻は葵の持っていた松明を奥に放り投げた。おぼろげではあるが、周囲の状況は見える。
無意識のうちに自分の腕をさすり、今日は手甲を持って来ていないのに気付く。まあ、なければないで戦いようはある。接近戦をせずに《氣》を使った攻撃をメインにすればいい。
注意する前に、天野は後ろに下がった。そちらに敵の気配がないのを確認して、アランも下がらせようとしたその時――
ガウゥゥゥゥン!
洞窟内に銃声が響く。そちらを見ると、アランに襲いかかろうとしていた下忍が、撃たれて動きを止めたところだった。
「コレは、風の《力》が宿った霊銃ネ」
周囲の視線の中、不敵な笑みを浮かべ、アランは手にした銃を掲げた。一見すると普通のオートマチックだが、何かおかしい。
「この霊銃が、ボクを東京に導いてくれた――」
再び銃声が響き、とどめを刺された下忍が消える。やはり妙だ。硝煙も上がらず、火薬の匂いもしなければ、排莢の動作もない。しかも撃ち出されたのは弾丸ではなく、何か《氣》の塊のようなものだ。
(やっぱり《力》の持ち主か。風の《力》の宿った銃って言ったけど……普通の銃じゃないのはいいとして、それなら何故に銃声が?)
そんな事を考えつつ、龍麻は近付いてきた下忍を発剄で吹き飛ばした。
様子を窺っていた連中も、隠れる意味はないと判断したのだろう。次々に龍麻達に襲いかかってくる。
「各自応戦!」
それだけの指示しか龍麻は出さなかったが、特に強力な相手がいない今の状況ではそれで十分だった。戦い慣れしてきた龍麻達の敵ではない。
五分も経たずに敵は全滅した。
「へっ、口ほどにもねぇ」
一振りして、京一は髭切丸を収める。怪我人もなく、十分な戦果だ。
「天野さん、大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫よ。それよりも、アラン君……」
醍醐の問いにそう答え、天野はアランを見る。天野だけではない、その場にいるほぼ全員がアランに注目していた。ただの高校生だと思われていたアランまでもが《力》の持ち主だったのだから無理もない。
「あなたは一体――」
「……」
アランは答えなかった。出会った時の陽気さはどこにもなく、ただ黙っている。
「ノーコメントってわけ?」
「天野さん、その話はまた……。それより今は先へ進みましょう」
再び龍麻が炎《氣》を宿し、皆を促す。
普段の龍麻なら、ここで色々と質問を浴びせただろう。だが、龍麻は今回のアランに関しては何も訊こうとはしなかった。
「誰にだって……話しづらい事、話したくない事はあります」
そのまま龍麻は歩き出す。
『この霊銃が、ボクを東京に導いてくれた――』
アランがそう言った時、龍麻はその声に込められた感情を感じ取っていた。悲しみと、それを源とした怒り――この二つを含んだ声。それを発したアランに何が訊けるだろう。
そんな龍麻の考え、気持ちが、一人を除いた他の者に伝わるわけがないのだが、それでも《門》の解封を阻止するのが最優先ということで納得してくれたようだった。
龍麻の先導で一行は進む。
「ボク達、今どの辺にいるのかなぁ?」
似たような光景が続く洞窟に飽きたのか、誰にともなく小蒔が言う。
「そうね……感じとしては、江戸川に沿って進んでいるようだけど……」
それに答えたのは天野だ。
「《門》の真上には、封印するための何かがあるはずよ。港区の地下にあった《門》を封じていた増上寺のようにね」
江戸川区の地理に疎い龍麻達には、見当がつかない。もっとも分かったところで、上からは《門》に辿り着けないので洞窟を進む以外に手はないのだが。
「そういえば、《門》に関して――というか、クトゥルフに関してなんだけど、新しい情報があるの。聞きたい?」
「ええ、お願いします」
龍麻が頼むと、天野はその新しい情報を語り始めた。
「これは、あるオカルト神話に造詣が深い先生の話なんだけど、古代中国の文献の中に『鬼歹老海』という表記があるの。直訳すると、《古代の邪悪な海の悪魔》って意味なんだけど、何か連想しない?」
「水角とかいう奴は、どうでもいいとか言っていたが、水岐は《海の底に眠る神》と言っていた……」
醍醐の言葉に天野は頷く。
「そう、海の悪魔と海の邪神……それは、単なる偶然の一致じゃないと思うの。何より、中国大陸でも、数多くの黄泉の門が発見されているわ。更に、その先生は『鬼』という文字の起源は、丸い頭部と、そこから伸びる長い触手……クトゥルフ神話に出てくる、邪神を表すものだと言っているわ」
鬼という言葉に、アラン以外の皆が反応する。
「世界各地に溢れていたクトゥルフの邪神達が、この日本で、鬼として人々から恐れられていたとしても、何の不思議もないわ」
それはどうだろう、と龍麻は思う。確かに、港区の件では多くの人々がクトゥルフ神話に関わる「深き者」に変えられてしまった。だが、それでは自分の目の前で鬼に堕ちた莎草はどうなる? あれがクトゥルフ神話に関わる存在にはどうしても思えない。もっとも、邪神であろうが妖怪であろうが、大きく一まとめにしてしまうと「化け物」の一言で片が付く。細かい分類でどうこう言ったところで意味はないのかも知れない。
いずれにせよ、自分達のやる事は決まっている。
そんな事を考えながら歩いていたが、急に龍麻は足を止めた。
「どうした、ひーちゃん?」
「ん、今さっき、そこの岩陰で何かが動いたような」
それを聞いて、眉をひそめる京一。龍麻の視線の先には僅かな光が生み出した影しかない。
「別に気配も《氣》も感じねーぞ? 気のせいじゃねぇか?」
「うーん……でも確かに――」
『うふふふ〜』
どこからともなく聞こえる不気味な笑い声。
「「こっ……この声は!」」
京一と醍醐の動揺が伝わってくる。確かに今回は異質だ。「彼女」がここにいるはずはないのだから。が、現実として彼女の声は聞こえてくる。
そして――影が起き上がった。正確には、醍醐の影が盛り上がった状態だ。その影から腕が生えてくる。細い、女性の腕。
自分の影から腕が生えてくるのを見て、醍醐は完全に硬直している。やがて、それは完全に姿を現した。
「成功〜」
魔界の愛の伝道師、裏密ミサ。これには全員が度肝を抜かれた。
「て、てめぇ! どこから出て来やがる!?」
「どこって〜、醍醐く〜んの影から〜。大きいから〜通りやすいの〜」
「俺が言いたいのはそうじゃねぇ!」
引きつった表情のまま叫ぶ京一。
「気にしないで〜。ただ、影を媒介にして〜任意の空間を繋げただけだから〜」
何らかの魔術を使ったらしいが、完全に理解できる者はいなかった。
「でも、どうしてミサちゃんがここへ来たの?」
そう尋ねる小蒔に、にぃっと笑いながら裏密は答えた。
「探し物してるの〜。ここで見つかるって出たから〜。ちょうどいいところにひーちゃん達がいてくれて〜助かったわ〜」
「まあ、戦力が増えるのは喜ばしいかな。さて、終点は近そうだよ」
洞窟の奥から流れてくる嫌な《氣》を感じながら――龍麻は足を速めた。
最下層らしい場所に辿り着いた龍麻達の目の前にあったのは、文字通りの巨大な門だった。東大寺の南大門に似てなくもない。港区にあったのはどちらかと言うと石の壁のような感じだったが、形状は一定でないようだ。
「これが《鬼道門》……」
禍々しい《氣》を放つ《門》に圧倒されている天野。龍麻達はこの手の状況には既に慣れているので対処法は心得ている。が、何の《力》も持たない天野には辛い場所だろう。
「港区の時より悪い状況のようだな」
如月が才蔵を抜いて周囲を探る。ここに来た以上、鬼道衆の誰かが必ずここにいるはずだが――
「き……きゃあああっ!」
突然、葵の悲鳴が響き渡る。そちらを見やる龍麻達の視界に、異様な光景が広がっていた。
人間の首。恐らく江戸川区の事件で殺された人達のものだろうが、それが一定の法則で並べられている。その表情は苦悶に満ちていた。いきなりこんなものを見せられては、葵が悲鳴を上げるのも当然だ。
「生首の魔方陣〜。外法の術ね〜」
顔色一つ変えることなくそれを眺める裏密。ただ、その声には怒りのようなものが含まれていた。
「外法とかやまつるに、かかる生首の入ることにて――」
「なんだよ、エリちゃん?」
「南北朝時代の「増鏡」という書物に記された外法の一文よ。外法を行うには、生首が必要だと、言われているわ」
京一に答える天野の顔色は悪い。さすがに気丈な彼女でも、これだけのものを見せられて、陰の《氣》にまで当てられては無理もない。
「ようこそ、常世の淵へ――」
不意に生まれた気配と声にそちらを向くと、緑の忍装束を纏った鬼面の男が佇んでいた。
「鬼道五人衆が一人――我が名は、風角」
「てめぇ……罪もねぇ人間を巻き込みやがって……」
刀を抜いた京一を見て、風角はさも可笑しそうに笑う。
「青いな、餓鬼共。我らは外法を使い、外道に堕ちし者――幕末の世より甦り、この地を闇に誘う者――ただの人間の都合など、どうでもよいわ」
「どうしてこんな手の込んだ事を? わざわざ首を狩り集めた意味は何だ?」
「緋勇龍麻か。お前は人の首がもつ意味を知っておるか?」
問う龍麻に、なぜか自分の名を知っている風角が逆に訊いてくる。
「首が持つ意味?」
「人間がものを視るのは何処だ? 人間がものを考えるのは何処だ? 人間が……痛みを感じるのは何処だ――? 人間の頭部には、全てが集まっておるではないか。鋭利な大気の刃に切断された頭は、肉塊と化した己が身体を見る」
得意げに説明をする風角を尻目に、京一は龍麻を見ていた。厳しい表情のまま風角を睨みつけている龍麻だが、正直、今の龍麻には近付きたくない。他の仲間も、アランでさえも龍麻の持つ空気を感じているのかちらちらと様子を窺っている。
「最後の最後の瞬間まで――じわじわとこみ上げる苦痛と死への恐怖に苛まれ続ける。そして、最後に残るのは、切り落とされた頭一杯に詰まった、恐怖と雪辱、生への執着、そして――狂わんばかりに助けを求む、懇願の呼び声――それが《門》の封印を破り、常世より混沌を呼ぶ声となる」
不意に、風を感じた。邪気を乗せた不快な風だ。それの出所は――《鬼道門》。
「ここまで来たのはさすがと言っておこう。が、封印は既に解かれた。見るがよい! 常世より甦りし、荒ぶる神の姿をっ!」
《門》が開く。実際に《門》の向こうから出てくるわけではないのだろうが、開いた《門》の空間が歪み始めた。
「コノ風……コノ匂い……」
確かめるようにアランが呟く。
「アラン、どうした?」
「やっと、見つけタ……」
尋ねる醍醐の言葉も届いた様子はない。ただ目の前にある《門》を凝視している。
そして、《門》から「それ」が姿を見せた。
臓器を結い上げたような身体に、複数の口と目、触手。見るからにグロテスクな異形の怪物。
「我ヲ呼ブハ、誰ゾ? 我ガ目醒メルニハ、マダ星ノ位置ガ悪カロウ」
不気味な声が聞こえた。口から発せられたものではない。頭に直接響く声。
「ソモ、此度ノ眠リハナント短キカナ。あすてかノ王ニ弑サレテヨリ、千六百余年、最後ニ贄ヲ喰ロウテカラ、マダ八年トタタヌ」
アステカ――南米に栄えた文明の名だ。目の前の異形がその時代から存在した事よりも、そんな時代にこれを斃せる者がいたこと、古代文明に関わっていたことの方が龍麻には驚きだが、それより気になるのは最後の言葉だ。八年前に贄を喰らった――
「八年前……アイツはボクの村に現れた……」
淡々と語り始めるアラン。
「古いイセキで発掘された祭壇カラ……出てキタ。ボクから大切なモノを全て奪った……ボクを愛してくれたパパ、ママ……村のトモダチ……」
悲しみと怒りが宿った《氣》が。
「美しい森……キレイな湖……ミンナ、アイツが奪っていった……!」
爆発的に膨れ上がった蒼い《氣》が大気を震わせる。
『俺は許さない……貴様を……貴様のやった所業を……! 貴様は俺が殺してやる!』
アランが放った霊銃の一撃が、戦闘開始の号砲となった。
戦力分析。数の上ではこちらが不利。しかも一人は非戦闘員、もう一人は先走って単独行動。質で言えばこちらが上だが、数は時に質を上回る。さらに《門》から出現した怪物の能力は未知数だ。
「うふふふ〜。盲目の者〜。どうやらあいつが持ってるようね〜」
探し物目的でここへ来た裏密が、怪物――盲目の者に目をやり、笑う。
「ひーちゃん〜。あたしは向こうへ行くわ〜」
「龍麻、僕も向こうへ行く。アラン一人、突っ込ませるわけにもいかない」
「任せた。京一と雄矢は鬼道衆の相手を」
裏密と如月をアランの方へ派遣し、自分もそちらへ向かう。今回は囲まれているわけではないので、少々前衛が突出してもすぐにフォローができるはずだ。
「よっしゃ。いくぜ、醍醐!」
「おう!」
一気に飛び出す二人。
今更、下忍相手に手こずるわけもなく、それぞれが単独で次々と下忍を斃していく。時々受ける攻撃も、葵の援護でほとんど無力化されていた。支援役の小蒔も、支援の必要がないのでのんびりと戦況を眺めている。
一方、盲目の者相手の龍麻達――
「アラン、冷静になるんだ!」
「ボクは冷静デース!」
霊銃を撃ち続けながら、アラン。全く説得力はない。
「敵の間合いに入っておいて、何が冷静なもんか! 一度下がって!」
「これはボクの問題ネ! 龍麻は関係ないデース!」
更に前へ出ようとするアランに、首根っこを掴んで引き止める龍麻。アランが抗議しようとするが、その前に盲目の者の触手が彼の進もうとした場所に叩きつけられた。ようやく現状を把握するアラン。
「遠距離攻撃が主体の君が、前線に出てどうする!? 仇を討つつもりなら、冷静になるんだ! 怒りに我を忘れるんじゃない!」
「龍麻……」
「怒り結構ではないか!」
横手からの殺気に龍麻はその場を跳び退いた。陰の《氣》を伴った風の刃が地面に亀裂を残す。
「怒り、怨み、憎しみ……負の感情は力になる」
「風角……そんなもの、本当の力じゃない!」
「ほう、これは面白い」
龍麻の言葉を風角は鼻で笑う。
「自らそれを証明して見せた者の台詞ではないな」
龍麻の身体が、びくんと跳ねる。アランも、盲目の者と刃を交える如月もそれには気付いたが、品川の件を知らない二人には、何故龍麻が動揺するのか分からない。
「話は聞いている。目の前で仲間が殺されたのが原因で我を忘れ、散々暴れたそうではないか」
「……言うな」
龍麻の《氣》が高まっていく。ただ、その《氣》は不安定だ。怒りに支配されたまま、いつ陰の《氣》に変わってもおかしくないほど揺らいでいる。
「そしてその《力》を――」
「黙れぇぇぇっ!」
風角の発言を遮るかのように発剄を放つ龍麻。もちろん風角はそれを避ける。背後にあった石柱が発剄を受けて砕け散った。
(僕もさっきはあんなだったのか……?)
アランは龍麻の変わり様に言葉が出なかった。出会った時の優しい《氣》は、そこにはない。風角が外法について語っていた時と同じで怒りに満ちた、いやそれ以上に危険な《氣》を放っている。
「龍麻! 君が冷静さを欠いてどうする!? ……くっ!」
如月の警告も耳には入らず、龍麻は風角に追撃を仕掛ける。何とかしたいところだが、盲目の者の相手を裏密一人に任せるわけにもいかず、それ以上の事はできない。
牽制に風刃を放つ風角。それを避け、風角に迫る龍麻。発剄を放つが、狙い自体が甘く、苦もなく風角はそれを避ける。更に繰り出された龍星脚も後ろに退いて躱すが、それ以上の後退はできなかった。
「なっ……!?」
背後にあるのは石の柱。ここで初めて風角は気付く。自分が誘導されていた事に。
至近距離からの発剄が風角に炸裂する。その一撃は、風角を柱に叩きつけ、背後の石柱をも砕いた。崩れる石柱と共に、更に後方へ吹き飛ばされる風角。それで終わらせる気はないのか、龍麻は再び追撃に移ろうとする。今の龍麻には、風角しか映っていない。そこへ――
「龍麻くんっ!」
凛とした、強い意志の宿った声が龍麻の耳を打つ。葵の声だ。
龍麻の動きが止まった。怒りが収まったわけではないが、高まった《氣》は安定していく。
(……そうだ。約束したんだ……)
桜ヶ丘で、彼女と交わした約束――
「二度と、自分に負けない……そうだったね、葵さん」
いつもの平静な龍麻に戻る。「約束」を覚えていてくれたこと、自分の声が届いたことに葵は安堵した。彼の《暴走》を知っている真神の者達も胸を撫で下ろす。
「くっ……小娘、余計な事を……」
「そりゃあ、てめーだっ!」
起き上がろうとした風角を、更に《氣》の衝撃波が襲った。京一だ。
「俺の相棒に、余計なコト思い出させやがって。それなりの報いを受けてもらうぜっ!」
龍麻と風角の会話を京一は聞いていない。ただ、龍麻があそこまで怒る理由は一つしか思いつかなかった。龍麻の古傷を抉ったであろう風角に怒りを覚える京一。
「ひーちゃん、雑魚は醍醐と小蒔で片付くからよ。お前はあっちのナマモノを頼むぜ。こいつを斬ったら、そっちへ行くからよ」
「分かった。葵さん、こっちの援護を! 翡翠、ミサちゃんはあいつの動きを止めて!」
指示を出し、龍麻は盲目の者へ向かっていく。
「さて、と。てめぇの考えは大体分かるぜ。大方、ひーちゃんを《暴走》させるつもりだったんだろうが」
髭切丸に《氣》を込めて、風角と対峙する京一。
「そんな事、二度とさせねぇよっ!」
「おのれ……!」
再び《力》を放つ風角。風の刃が京一を襲い――
「うざってぇっ!」
刀の一振りがそれを霧散させた。
「ホントならもっと威力があったんだろうがよ、ひーちゃんに散々どつかれた後じゃ、大したことねぇな」
「ちぃっ!」
間合いを取るべく風角が離れるが、それを見逃す京一ではない。一気に間合いを詰め、風角に迫る。
「くらいやがれっ!」
髭切丸の一撃が、風角の左肩を捉えた。そのまま斜めに振り下ろし、更に横へ一閃。
「まさか……これ程の《力》とは……九角様ぁぁぁぁぁっ!」
断末魔の叫びを上げ、風角は消滅し、水角の時と同じく珠だけがその場に残る。
「いっちょ、あがりっ!」
床に落ちた白い珠を拾うと、京一は龍麻達の方へ向かった。
「ひーちゃん、こっちは片付いたぜ!」
「こっちは苦戦中! 結構しぶといんだ」
醍醐と小蒔も合流し、攻撃に加わっているが、決定打が与えられないでいる。
「おい、裏密! こーいったのはお前の領分だろ!? 弱点とかねぇのかよ!?」
「残念だけど〜特にないわ〜。それと〜光は反射するみたい〜」
手に持った袋を振って、答える裏密。よく分からない光を放つ粉が入っていた袋だ。
「あの怪物の中に〜、埋まってる本があるの〜。それを奪えれば〜、多少は《力》も届きやすくなるんだけど〜」
裏密の探し物というのは多分それの事だ。彼女の目的を叶えるためではないが、それでこちらが有利になるなら、試してみる価値はある。
「よし、それでいこう。ミサちゃん、場所は?」
「下の方の袋みたいな所〜」
言って、裏密は盲目の者の、心臓のように蠢いている部分を指した。
「あそこを集中攻撃!」
「承知!」
触手を切り払いながら、如月が進む。その後を追うように京一が走る。
「裂っ!」
取り出した手裏剣を素早く投擲する如月。狙いを外すことなく、手裏剣は裏密の指した場所へと次々と突き立ち、十字を描く。
「剣掌・旋ぃっ!」
続けて京一の放った、竜巻状の《氣》の衝撃波が盲目の者を斬り裂く。袋も破れ、中から古びた装丁の本が出てきた。
「雄矢、京一!」
名を呼び、龍麻が前に飛び出す。意図を察した二人は盲目の者を取り囲むように散開した。途中、龍麻は本を拾い、裏密に放り投げる。それを受け取る裏密。
「二人ともっ!」
「ああ!行くぞっ!」
「よっしゃっ!」
「「「唸れ! 王冠のチャクラッ!」」」
三人の《氣》が膨れ上がり、盲目の者を呑み込む。かなりのダメージになったらしいがまだ健在だ。しかし、龍麻達もそれで終わらせるつもりはない。次には葵と小蒔が配置に着いていた。
「いっくよー葵!」
「ええ!」
「「楼桜友花方陣!」」
そして
「葵さん!」
「はいっ!」
「「破邪顕正・黄龍菩薩陣!」」
続けざまに方陣技を放つ。さすがの盲目の者もこの連続攻撃には耐えられず、悲鳴を上げながら後退していく。
「アラン!」
真神組の猛攻に目を奪われていたアランだったが、龍麻の声で我に返った。
『今だっ! 君の目的を果たせ!』
『龍麻……分かった!後は任せてくれ!』
霊銃を構え、盲目の者に狙いを定めるアラン。故郷を、家族を奪った仇が目の前にいる。
『これで終わりにしてやる……地獄へ落ちろっ!』
今までの想いを込め、アランはトリガーを引いた。渾身の一撃が、盲目の者を貫き、そのまま《門》まで押し戻す。《門》は開いたままだった。空間の歪みに巻き込まれ、盲目の者が呑み込まれていく。
「イ、イヤダ……暗ク寒イ世界ハイヤダ……アノ場所ニ戻ルノハ――!」
それが最後の言葉となり、盲目の者は《門》の向こうへと消えた。《門》もそのままゆっくりと閉じていく。次第に陰の《氣》も薄れていった。
「終わった、か」
誰かがそう呟いたその時、洞窟に震動が走った。以前と同じパタンだとすると、これから起こるのは――
龍麻達は全速力で洞窟から脱出した。
案の定、洞窟から脱出後、少しすると穴は崩れて塞がった。
「あの化け物……斃せたのか……?」
崩れた入口を見ながら、京一が呟く。しかし、答えがなくとも分かっていた。
「いいえ……元の場所へと還っただけよ」
天野が確認の意味で答えを口にする。
あの時、盲目の者は《門》に吸い込まれただけだ。アランの一撃は確かにダメージになっただろうが、とどめは刺せていない。
「それじゃあ、また――」
「ダイジョーブネ。あの門はもう、開くコトはナイよ」
不安げな小蒔に、自信ありげに言うアラン。
「あの真上には、チョウド樹が立ってイルんダ。六百年の間、タクサンのヒトの死を看取ってきた、偉大な樹がネ……」
一体何の事を言っているのか、龍麻達には分からなかったが、一人天野がそれに気付いたようだった。
「影向の松、ね」
「でも、死を看取ってきた、ってどういう事なんですか?」
「影向の松がある善養寺にはね、浅間山噴火横死者供養碑があるの」
葵の問いに、天野は善養寺の由来を語り始めた。浅間山の噴火で、直後の天明の大飢饉で、多くの人が亡くなったこと。その時に亡くなった人々や牛馬が、川を流れてこの地に集まり、それを村人達が手厚く葬り、供養した――それが今の善養寺だという。
「樹は、いってマス。ヒトが死ぬのを見るのは、ManyMany悲しいと。松の木の想い……ボクにはわかりマース。大切なモノを失う……そんな想い、二度としたくナイ。誰にもさせたくナイ……」
アランは龍麻の方を見て
「ミンナのおかげで、ボクの目的、果たせたネ。だから――今度はボクがミンナのヘルプする番デース。龍麻たちと、一緒に闘いたいネ。龍麻、Yesいってくれマースか?」
「もちろん。君の力が借りたい。これからもよろしく頼むよ、アラン」
龍麻が手を差し出すと、アランはそれを両手で握ってぶんぶんと振る。
「Thanxネッ、ひーちゃん!」
余程嬉しかったのか、呼び方がひーちゃんに格上げされていた。霊銃を抜いて高々と掲げ
「この銃に懸けて、ボクは誓いマース! ミンナと一緒に闘うネッ! OHっ、そうだっ。これを受け取ってくださーい」
言ってアランが差し出したのは、水晶製の髑髏だった。何て悪趣味な、と思う京一、醍醐だったが、そうでない者が三人。
「ほう……」
如月は感心し
「うふふふふ〜」
裏密は不気味な笑みを浮かべ
「これは……」
龍麻は目を輝かせていた。
「これって、あれだよね。南米は古代マヤの遺跡で発掘されたっていう」
「そうだな。あの水晶髑髏だ」
「別に震動を与えても〜、エネルギーは放出しないけどね〜」
「アラン、本当にこれ、もらってもいいの?」
「もちろんデース。これはボクの友情の証ネッ!」
HAHAHAと陽気さを取り戻し、アランは背を向けた。
「じゃ、ボクはもう行くネ。何かあったら、呼んでくだサーイ」
そのまま歩いていき、突然立ち止まると、アランは振り向き龍麻を見た。
「ひーちゃん!」
「何?」
『絶対負けないからな!』
「なっ……いきなり何を……!?」
「Adiosッ!」
高笑いを残しつつ、今度こそ去っていくアラン。
「龍麻くん、アランくんが言ってた、負けないってどういう意味なの?」
「え……? い、いや……その……」
最後の言葉の意味は分かったらしい葵が訊いてくる。答えるわけにもいかず、おろおろする龍麻の肩に、ぽんと天野が手を置いた。
「これから大変ね、龍麻君。色々な意味で」
「ま、まさか……今までのも全部聞いてたんですかっ!?」
目を見開く龍麻に、天野は意味ありげな笑みで答える。
「あああああ……」
事情が飲み込めない仲間達をよそに、龍麻は頭を抱えた。