「ん――?」
 店を出たところで、京一が訝しげな声を上げた。
「どうしたの、京一?」
「ああ、真神の制服を着た女が走ってくる――って、美里と小蒔じゃねぇか」
 彼が持っている袋を向けた方から確かに二人の女性、葵と小蒔が走ってくる。ただ、様子がおかしい。怯えているような、困惑しているような表情だ。
 京一が声をかけると、向こうも気付いたようだった。こちらまで来ると、その場で呼吸を整える。
「一体どうしたの?」
 尋ねる天野に言葉を濁す二人。
「まさか――鬼道衆か!?」
 醍醐のその言葉に、龍麻と京一が注意を葵達がやってきた方へと向ける。しかし、そのような気配はない。
「い、いや……そうじゃないけど……もっと質が悪いかも」
「あら、誰か走ってくるわよ」
「げっ、まずい!」
 天野の声に、小蒔の顔が引きつった。そして――
「HAHAHAHAっ。待ってくださ〜いっ! Myスウィートハニーっ!」
 葵達が逃げてきた元凶であろう男が陽気に笑いながらやって来た。
 金髪をオールバックにした大柄な外国人の青年。白のTシャツには太陽らしき絵がプリントされている。
「……お前らの知り合いか?」
「そんなわけないだろっ! 勝手について来たんだよっ!」
 トモダチは選べよ、と目で訴えている京一に、小蒔が冗談じゃないと声を上げた。
「私達、これから学校へ行くところだったの。そこへこの人が声をかけてきて……」
「ただのナンパだと思ったから、初めは無視してたんだけど、葵を見た瞬間……」
 困惑の表情を崩せない葵と小蒔。しかしそれは男も同じだった。もちろん困っている理由は全く別なのだが。
「OH!ナンデ、ソンナトコニ、カクレ〜ルデスカ?」
「ひーちゃん! 葵のコト、ちゃんと護ってあげてよね」
 二人――特に葵だが――を見つけ、問いかける男。小蒔は取り合わずに龍麻に葵を押しつけた。
「え? う、うん……。葵さん、とりあえず後ろへ」
「え、ええ……」
 葵が龍麻の後ろに隠れ、その龍麻の前に京一と醍醐が立つ。それを見て、男はオーバーリアクションで嘆いた。端から見ていると面白い。
「ユーたちは誰デースか? どーしてボクとハニーの邪魔するデースか?」
「何がハニーだ、このクソッたれ! てめぇ、一体なにもんだっ!?」
 袋を突きつけ、京一が男を睨みつける。それに動じることなく男は名乗った。
「ボクの名前はアラン蔵人、いいマース。聖アナスタシア学園高校の三年生デース。ユー達は、ボクのSweetheartと、一体、どういう関係デースか?」
「俺達は、同じ高校の同級生で――フレンドだ。これ以上、彼女達につきまとうのは、止めてもらおうか」
 醍醐が矢面に立ち、そう告げると、それは誤解デースとアランが言い返した。
「ボクはただ、彼女と話がしたかっただけデース。レディ達、逃げるからボク、追いかけた。見失いたくなかったデース。やっと会えた、ボクの理想のヒトッ! お願いデース。名前教えてくださーいネッ! Please」
 未だに醍醐と京一、そして龍麻が壁になっているが、アランはその後ろにいる葵に声をかける。風貌はともかくとして、真剣なアランに、おずおずと葵は答えた。
「美里……葵といいます……」
「Cooooolッ! アオーイッ! 名前まで、Beautifulネッ!」
 幸せいっぱいといった感じでアランが余韻に浸っている。やれやれ、と葵と天野を除く四人が溜息をついた。
「それじゃ、ついでにユー達の名前も教えてくださーいネ」
「俺達はついでか……日本語の勉強が足りんな」
「勉強じゃなくて、頭の中身が足らねぇんだよっ。いいか、ボケ外人。一度しか言わねぇからな」
 眉間にしわを寄せる醍醐にそう言うと、京一はアランに向き直り
「俺の名は蓬莱寺京一。ほうらいじ、きょういちだ」
「……? アホーダ、キョーチ?」
 その言葉に、額に青筋を浮かべた。
「京一だ、キョ・ウ・イ・チ! 名前だけ覚えろっ!」
「OK、キョーチ、デースネッ!」
「うがあぁぁぁっ!」
 アランが本気なのかボケているのかは不明だが、キれた京一が頭を掻きむしる。キリがないな、と名乗ろうとした醍醐だったが、それをアランが制した。
「ユーのコトは知ってマース」
「は……?」
 もちろん醍醐はアランとは初対面だ。一方的に向こうが自分を知っているとは考えにくいが――
「ユーはスモウ・レスラーッ!」
 完全に、勘違いだった。開いた口が塞がらない醍醐になおもアランは続ける。
「ジャパニーズ芸術はFantasticネ。カブキ、ノウ、シャミセン、ナガウタ……ニッポンは楽しーネッ!」
「外人のくせに、長唄まで知ってるのか……」
 色々な意味で呆れ、呟く醍醐。するとアランは、ボク、ガイジン違うネと醍醐の発言を訂正した。
「ボクは混血ネ。半分はメキシコ。でも、もう半分はニポン人ネ」
「そのワリには変な日本語……」
 そう言う小蒔だが、それは彼が日本で生まれ育っていればの話だ。もしも彼が外国――多分メキシコだろうが、そちらで生活していたのなら、片言であるのも別におかしくはない。
「OH、それよりユーの名前を聞いてナイデース」
「え?あぁ、ボクは桜井小蒔だよ」
「OH、コマーキ。Cuteな名前デース。後ろのレディは何ていいマースか?」
 諦めたのか、小蒔も素直に名乗る。そしてアランは天野にも名を尋ねた。まさか自分も聞かれるとは思っていなかった天野は、一瞬驚いたようだったが
「私は天野絵莉よ」
 と、微笑みながら名乗る。
「オウッ、エリー。Wonderfulネ!」
「こいつ、女の名前だけはちゃんと覚えるんだな」
 そんな醍醐の声が聞こえるが、アランの耳には入ってないようだった。龍麻を見て、笑みを浮かべる。
「最後はユー、デース! ユーの名前、教えてくださーいっ!」
「僕は、緋勇龍麻」
「オーウ! ヒユー、タツマいうデースか。……ヒユウ……ユーとはどこかで会ったデースか?」
 龍麻の名を聞いて、そして龍麻をじっと見て、アランは不思議そうにそんな事を問う。
「いや、初対面だよ。多分……」
 多分、と言ったのは、記憶にはないからだ。ただ、どこかであったような気がするのも事実だった。初めて葵達に出会った時に感じたものと似た、それでいて如月や、今の醍醐から感じる事のできる安心感のようなもの。アランがどう感じているのかは分からないが、龍麻が感じたのはそういったものだった。
「これでミンナの名前、ちゃんと覚えマシータ。これで、ボク達ミンナFriendsデース!」
 ちゃんと覚えられていない者(京一)もいるのだが、アランはそう言うと葵を見て笑い、そして何故か龍麻を見て、言った。
「お願いデース! アオイをボクにくださーい!」
「「「はあっ!?」」」
 声を上げたのは京一、醍醐、小蒔の三人だった。葵は相変わらず戸惑いの表情を見せている。天野はあらまあ、と完全に傍観者を決め込んでいた。そして龍麻は――
「葵さんは、僕の所有物じゃない。僕にそんな事を頼むのはお門違いだよ」
(あれって……怒ってるよな?)
(うん……怒ってるよね)
(むう)
 龍麻の怒気を含んだ声に、円陣を組んでひそひそ話し始める京一達三人。
「オウ、タツマ。どうしてそんな顔するデースか?」
「そんな顔、って?」
 龍麻自身、自分がどういった状態なのか気付いてないらしい。そこへ更にアランの一言。
「もしかして、タツマもアオイが好きデースか?」
「えっ……?」
 顔を朱に染め、葵が龍麻を見るが、彼の後ろにいる以上、その表情を伺い知る事はできない。京一と小蒔の耳がぴくっ、と反応し、次の言葉を待つ。そして
「な、ななななななな……!?」
 顔を真っ赤にして思いっきり狼狽える龍麻。第三者的には、面白い展開だ。
 その反応で大体は察したようだ。でも、とアランが自信満々に言った。
「タツマよりボクの方が、アオイのこともっと好きデース。メニーメニー、愛してマース!」
「あのねぇ! 葵の気持ちはどうなるんだよ!?」
「OH、それは、ノープロブレム。ボクは世界一、アオイを愛してマース! ボクといれば、アオイも絶対Happyネッ! ボクが絶対、Happyにしてみせーるネッ!」
 小蒔がアランに食ってかかるが、当のアランは気にするでもなく、胸を張って答える。
「何て図々しいヤツなんだっ」
 その自信は何処から来るのだろうか。ラテン人種、恐るべしだ。京一も、呆れてそれ以上何も言えない。
「京一が二人いるみたいで、頭痛くなってきた……」
「一緒にすんじゃねぇ!」
 さすがに同列に見られるのは嫌らしい。同族嫌悪だろうか?
「さて、悪いんだけど」
 このままでは時間の浪費と見たのか、天野が割って入った。
「アラン君には悪いんだけど、もう余り時間がないの」
「What? 何か、用あるデースか?」
「ああ、俺達はこれから、みんなで出掛けるんだ」
 醍醐が言葉を継ぎ、小蒔達に目で合図する。その意図するところに気付いたらしく、そうそうと小蒔も頷いた。
「出掛ける予定だったのに、そこへアランクンが来たんだよね。予定狂っちゃったなぁ」
「そういう事だ、アランよ。俺達はこれから、江戸川まで行かなきゃなんねぇんでな。残念だけど、ここでさよならだ」
 残念さなど、微塵も感じさせない声と表情で京一が言う。が、行き先を告げたのが間違いだった。
「江戸川、ボクのホームがある街ネッ」
「なっ、何だとぉ〜っ!?」
「偶然って、怖いねぇ……」
 教訓――部外者に必要以上の情報は与えないようにしましょう。
「アラン君。私達は遊びに行く訳じゃないのよ。あなただって、江戸川の住人なら知っているはずよ。今、あそこでは――」
 浮かれている(ように見える)アランに、厳しい表情と声で注意する天野。だが、その陽気さが嘘のように消えたアランに、それ以上の言葉が出せなかった。かつて渋谷の事件に関わっていた自分に、事件から手を引けと言った龍麻。その時の彼と同じような雰囲気をアランは纏っていた。
「知ってマース。人、たくさん死んでるネ。あれは悪魔の仕業デース。行けば、ミンナの命も危ないデース。絶対、行ってはダメデース!」
 口調はともかく、他人を巻き込むまい、傷つけさせまいとする気持ちが伝わってくる。
「あのなぁ、アラン。お前の言うコトが、分からない訳じゃねぇが、俺達は行かなきゃなんねぇんだよ。いや、分かってるから行かなきゃなんねぇんだ」
 京一もその気配を察したのだろう。他人にあまり見せる事のない、真剣な眼差しをアランに向ける。その眼差しを受け止め、アランはしばらく黙っていたが
「それなら、ボクも一緒に行きマース。ミンナやアオイを放っておけない……ボク、強い男デース。絶対役にたつデース」
「……どうするよ、ひーちゃん?」
 断ってもついて来るんだろうなと思いつつも、京一は龍麻に判断を任せる。しかし、龍麻の返事はなかった。
「おい……ひーちゃん!」
「……は、はい……!?」
 京一に小突かれ、ようやく龍麻は我に返った。
「……アランがよ、ついて来るって言うんだ。どうする?」
「どこへ?」
「江戸川だっ!こいつの住んでる所らしいんだよ」
「え……と……」
 話を聞ける状態でなかった龍麻だが、とりあえずアランを見る。そして
「一緒に行こう」
 と即決した。彼が真剣なのは見てすぐに分かったし、気になる事もある。少しの間、様子を見る事にした。
「オーウ。タツマはやっぱり友達デース。固く固く結ばれたHotな友情ありマース!」
 同行を許されたアランは再び元の陽気なラテン系に戻る。
「お前はよっぽどアランが気に入ったんだな」
 どこをどう見ればそう思えたのかは不明だが、呆れたように醍醐が言う。するとアランは龍麻と肩を組み、HAHAHAと笑った。
「ボクとタツマは仲良しネ。ムリのシンジュー、デース!」
「……それを言うなら無二の親友だろうがっ! 一緒に死んでどうするっ!?」
 京一の、自棄気味のツッコミが、路上に響き渡った。



 江戸川区――篠崎駅
 駅を出たところでアランが先導し、龍麻達はその後に続く。
「ところでアオイ。名前、どういう字を書くデースか?」
「美しいにふる里の里、葵草の葵よ」
 最初ほどの抵抗はなくなった葵が、アランの質問に答える。
「葵……水戸のゴローコーの印籠のマークネ。タツマはどういう字書くデースか?」
「僕? 緋色の緋に勇気の勇、難しい龍に麻袋の麻だけど……分かる?」
「ヒは分からないケド、後は分かりマース。勇はBrave、龍はDragon、格好いいデース。麻は……急には浮かんでこないデースね」
 どういうわけか、アランは葵と同じくらい、龍麻にも話しかけている。どうやらアランは龍麻が気に入ったようだ。
「で、アラン。江戸川って、来たの初めてなんだけど、どんな所なの?」
「OH、龍麻。江戸川はイーイ所ネ。植物園にはホタルもいるネ。それからゼンヨージのヨーゴーの松も有名ネ。……今は枯れかかってしまってるケド……」
「善養寺の影向の松を知ってるなんて、凄いわ」
 そう感心したのは天野だった。一見外国人のアランがそれを知っていたのが意外だったのだろう。褒められたのに気をよくしたのか、アランはHAHAHAと笑う。
「ねえ、アランクンっていつから日本にいるの?」
「二年半くらい前、ハイスクール行くため、ボク、ニポンに来たデース」
 小蒔の問いに答えるアランだったが、その表情が、曇った。
「ボクのパパとママ、もう、この世にいないネ……今は、伯父サン伯母サンと一緒に住んでマース」
「ゴメン、余計なコト聞いて……」
「No、No! 伯父サン伯母サン、とてもイイヒト。ボク今、とてもHappyネ」
 暗くなる小蒔を励ますかのように、アランは再び明るくなった。そして、時折見せる真剣な表情で
「ボク、伯父サンと伯母サンまで亡くしたら悲しい……ボク、伯父サンと伯母サンを傷つけるヤツ、許さないネ。龍麻も、大切な人が傷つけられたら、怒るネ?」
 と訊いてくる。
 その時龍麻の脳裏に浮かんだのは 岡山の家族、友人。東京で知り合った仲間達。そして――護れなかった人。
「……そうだね。でも、怒りたくても怒れない、かな……」
「Why?」
 その答えが意外だったのだろう、さらに訊いてくるアラン。それは天野も同じだったらしく、次の言葉を待っている。葵達には聞かずともその理由が分かっていた。
 怒りの感情であるうちはまだいい。が、大切な人が傷つけられたくらいならともかく、もしその者を失えば、間違いなく怒りは殺意へと変わる。そうなったら――
「アラン君」
 それ以上は、と葵が首を振って見せた。怪訝な顔をするアランだったが、葵の悲しそうな顔と、京一達までもが押し黙ってしまったのに気付き、頷く。
「Sorry、龍麻。今のは忘れてネ。ところで龍麻、話は変わりマスが、葵達とは付き合い長いデースか?」
「いや、僕は今年の四月に転校してきたから、知り合ってまだ半年も経ってないよ」
 それを聞いてアランは笑う。陽気な、というよりはホッとしたような感じだ。
『と言う事は、そんなにハンデがある訳じゃないな。勝負はこれから、か』
『ハンデ? ハンデとか、勝負って、一体何の?』
 ぴた……
 龍麻以外の全員の足が止まった。それに気づき、龍麻も止まって皆を見る。
「どうしたの?」
 ふるふると小蒔が首を横に振る。何なんだろうと思いつつも、アランが再び話しかけてきたので会話を再開する。
『まあ、さっきの話は置いといて、龍麻はどこから来たんだ?』
『岡山県って知ってるかな? 中国地方の県なんだけど』
『ああ、桃太郎侍の県ね。果物が美味しいって聞いた事がある』
『桃太郎、だよ。侍が付いたら別のモノになっちゃう』
 ぴた……
 今度は龍麻とアラン以外の動きが止まった。
「どうしたデースか?」
「さっきから、どうしたの?」
「ひ……ひ――」
 小蒔が龍麻を指さし、何やら言おうとしている。
「ひーちゃんが、英語しゃべってるっ!?」
 ようやく言葉を形にして吐き出す。はぁ? と龍麻が首を傾げた。
「だ、だって、アランクンが急に英語で喋って……ひーちゃんも英語で答えて……」
「ボク、まだエイゴの方がスムーズに話せるデース。ダカラ時々、エイゴが会話に混じってしまうネ」
「英語で話したから、それで返すのが筋かな、って思ったんだけど」
 それがどうかしたのかと、二人が話しているが、問題はそこではないのだ。つまり
「どうしてひーちゃんが英語しゃべれるの!?」
 ということである。
「喋れる、って言ってもね。あんまり難しい事はまだ無理だよ。まだ発音とか甘いし」
「……葵、ひーちゃん達の話、分かった?」
「え? えっと……大体は。もう少しゆっくりなら何とかなると思うけど」
 話を振られた葵がそう答えると、今度は天野が言った。
「龍麻君が思っている程まずい英語じゃないわよ。どこで習ったの?」
「まあ、テープ聞いたり、ラジオ聞いたりして耳を慣らして……後は映画かな。なるべく字幕付きのを観て……そんなところです」
 気楽に言う龍麻に、素直に感心する葵と天野。京一、醍醐、小蒔の三人は、まるで龍麻が別の生き物になったのではといった視線を送っていた。
「でもさ、アラン。メキシコ人とのハーフって言ったよね? メキシコって、公用語はスペイン語じゃなかったっけ?」
「そうデース。エイゴよりはうまくないデースが、そっちも話せマース」
「それじゃあさ、今度教えてくれない?」
 不思議そうにするアランに
「南米って、スペイン語が公用語の国って多いでしょ? いつか、行ってみたいから、さ」
「OK。次の機会に、Lessonするデース。ところで……」
 葵以下、他の者達が英語を解せないのを知って、アランは本題を切り出した。
『龍麻は、葵の事を、実際どう思ってるんだ?』
『え?』
『まあ、態度を見れば大体分かるけど。直接聞いておきたいんだ』
『どうって言われても……』
 そう、正直な話、葵をどう思っているのか。自分でもよく分からないのだ。確かに気になる女性ではある。ただ――
『好きなんだろ?』
『アランと同じ意味での「好き」かどうかは分からない』
 アランのストレートな物言いに苦笑しつつ、話が当事者同士にしか分からない安心感もあって、龍麻は素直に答えた。
『多分、僕の彼女に対する「好き」は、友達・仲間としてって意味だと思う』
『ここまできて、誤魔化すのはなしだぞ』
『だから、自分でもよく分からないんだって。異性として人を好きになった事は、まだないから』
 フム、とアランは顎に手をやって何やら考えていたが
『葵に対する「好き」と、キョーチや小蒔達に対する「好き」は同じものか?』
『それは……ちょっと違うかな』
『じゃあ、やっぱり龍麻だって彼女の事を愛してるんじゃないか』
 それみろとばかりにアランは口の端を歪める。怒っている、というよりは楽しんでいるようだ。
『愛って……アランみたいに、そう確信を持って言えないよ』
『じゃあ、何で僕が葵をくれって言ったら怒ったんだ?』
『……僕、怒ってた?』
『……自覚なし、か。まあいいさ』
 肩をすくめてアランは溜息を一つ。
『龍麻、君とはいい友人になれそうだ。でも、僕と君は、恋のライバル。OK?』
『そう言われても、ね……』
 何気にアランと葵が一緒にいるのを想像してみる。……何となく、面白くない。
(やっぱり、僕は葵さんの事、異性として好きなんだろうか?)
『渡さないよ……』
 無意識に言葉を紡ぎ、はっと龍麻は顔を上げた。アランは驚いたようだが、にやりと笑う。
『今さっき、僕、何て言った?』
『葵は渡さない、って。よし、宣戦布告と受け取ろう』
『あ、いや、ちょっと……?』
 慌てる龍麻を見ながら、HAHAHAとアランは笑った。
 一方、蚊帳の外にいる京一達。会話の内容が全く分からない。断片的に意味の分かる単語もあるのだが、それが会話として繋がらないため、さっぱりだ。
「なあ、ひーちゃんのヤツ、アランと何話してるんだ?」
「俺に聞かんでくれ」
「ねぇ、葵……」
「――やっぱり、今の私じゃ無理ね」
 葵も何とか聞こうとしているのだが、意図的に早口で、しかも小声で話しているため聞き取れない。自分の事が話題になっているなどとは夢にも思っていない葵である。
 ただ一人、天野だけが、龍麻とアラン、そして葵を見て笑いを堪えている。
 そんな中で、不意にアランが立ち止まった。
「風が止みマシタ……」
「ようやく日本語を喋ったか……おいアラン、話すんなら俺達にも分かるように――って風がどうした?」
 京一の問いには答えず、アランはその場で目を閉じる。彼には「何か」が感じられるらしい。そして
「いや……」
「くっ……」
 葵と龍麻にも影響が現れる。二人に感じられたのは何者かに向けられた殺意。本来、自分以外に向けられた殺意に気付く事などないのだが、今回はそれに加えて陰の《氣》が加わっていたために反応してしまったのだろう。いつもの如く《氣》を纏い、呑まれまいとする二人。
 二人の様子に気付いたアランが、龍麻に何か言おうとしたその時、遠くで爆発音が響いた。
「Shit!」
 アランの意識は爆発の方へ向いたらしい。言うが早いかそのまま駆け出して人混みに紛れてしまった。醍醐の制止の声も届きはしない。
 とりあえず先の爆発の正体を確かめるべく、龍麻達はアランを追った。



 江戸川大橋。
 現場に着いた龍麻達が目にしたのは、壁に激突して煙を上げている乗用車だった。一台だけの所を見ると自損事故のようだ。
「この橋……」
 何かに気付いたらしい天野が呟く。
「どうした、エリちゃん?」
「この辺りは、確か交通事故が多くて有名な場所よ。専門家の間では、強力な磁場が発生していると言われているわ――つまり、霊が集まり易い場所って事ね」
 それを聞いて、醍醐の顔がみるみる蒼ざめていく。
 それらを視ながら、なるほど、と龍麻は納得した。道理で賑やかなわけだ。過去から現在、様々な霊が漂っている。それでも今の時点では事故を引き起こしそうな質の悪いのは視えない。
「アラン!」
 事故車の側に倒れているアランを見つける龍麻。その時、何者かが橋から飛び降りた。見えたのは一瞬だったが、忍装束に鬼面――こんな出で立ちの者は間違いなく鬼道衆だ。
「京一、雄矢、小蒔さんは奴を追って! 僕はアランの方を!」
「分かった! 美里はアランの手当を頼む! エリちゃんもとりあえずここにいてくれ!」
 追撃を任せ、龍麻達はアランに駆け寄った。幸いな事に、外傷はない。何とか自力で上体を起こしている。
「アラン君、大丈夫?」
「OH、アオーイ……心配してくれてありがーとネ」
「アラン、一体何が?」
「Sorry、ボク少し油断したネ……」
 悔しそうに言葉を吐くアラン。
「ヘンな仮面を被った男。あの男が車に乗ってたレディの首を……」
 三人が、それを聞いて車に視線を巡らせる。ただ、龍麻は自分の手で葵の目を遮った。
「龍麻くん?」
「見ない方がいい……」
 言った後で気付く。これよりもっと酷いモノを自分は葵達に見せつけた事があった。今更、ただの死体を見たくらいで怯む葵ではないだろう。
 それでも、その龍麻の配慮が葵には嬉しかったようだ。素直に龍麻の言葉に従い、顔を背ける。
 一方、天野の方はやや顔色が悪いものの、しっかりと「それ」を見ていた。
 運転席に座ったままの女性の首から上が、きれいになくなっている。フロントガラスは割れ、切断面から噴きだした血が、天井と車内、ボンネットを赤く染めている。
 本当に死体なのだろうかと疑ってしまうほど、現実離れした異様な光景だ。
「アラン、動ける?」
「ノープロブレム。大丈夫デース」
 立ち上がったアランが親指を立ててみせる。頷くと龍麻は天野を見た。
「これから京一達と合流します。どうします?」
 ここから先は戦闘になる。そう思い、確認の意味で尋ねる。天野は一瞬考えて
「同行するわ」
 と返答した。
「確認するって事は、帰すつもりではないんでしょう?」
「まあ今の所は、ですが。ただ、帰れなくなってからでは遅いので」
「これでも足には自信があるから。いざとなったら逃げるわ。それに、危ないようだったらいつでも言って」
 何があろうとついて行く、というのではない。退く事を考慮に入れた上での発言に、自然と笑みがこぼれる。
「……了解。それじゃ」
 行きましょうか、と言いかけた龍麻の視界に、見覚えのある顔が入ってきた。
「翡翠!?」
 北区の骨董品店の若き店主、如月翡翠だった。夏休みだというのに制服姿だ。
「まさかと思って来てみれば、龍麻達か。……もしかして、鬼道衆絡みか?」
 車の中の死体を一瞥し、訊いてくる。眉一つ動かさないのはさすがと言うべきか。
「そうみたい。でも、どうして翡翠がここへ?」
「馴染みの骨董屋に用があってね。商談の帰りだ」
「そう。まあ、こっちは都合がいいけど。これから手伝える?」
 無論だ、と即答する如月。そしてアランを見て
「ところで、君は?」
「アラン蔵人、いいマース。龍麻のフレンドネっ!」
「そうか。……僕は如月翡翠という」
「……ヒスーイ。ユーとも初めて会った気がしまセーンネ」
 陽気な声に、そうだな、と如月が頷く。珍しい反応だ。
「それじゃ、行くネ!」
 アランはそのまま駆け出した。それを見ながら如月は隣を行く龍麻に声をかける。
「龍麻、彼は――」
「え?」
「いや……何でもない」
(これもえにし、か)
 と口には出さずに、如月は胸中で独り言ちた。



 お品書きへ戻る  次(第九話:鬼道3)へ  TOP(黄龍戦記)へ