「御屋形様っ!」
屋敷の廊下を慌ただしく駆ける者がいた。青い忍装束を着た鬼面の男。鬼道衆では一番下っ端の下忍である。水角の配下で、つい先程まで港区にいた。本来ならば龍麻達と戦闘しているはずなのだが、伝令役であったため、こうして無事でいる。
「御屋形様――っ!」
「何でぇ、騒々しい」
障子を開けて、ある部屋に飛び込むように入った下忍に、やや不機嫌そうな男の声がかかる。
御屋形と呼ばれた男はまだ若かった。年齢はまだ十七、八程だろう。長い茶髪を後ろで無造作に束ねている。身につけているのは一応学生服だがどう見ても市販の物ではない。周囲に女を侍らせて
「俺の可愛い女達が恐がるじゃねぇか」
と言葉を続ける。当の女達はその言葉にも、入ってきた下忍にも反応らしいものを見せず、虚ろな目を漂わせている。
主の機嫌を損ねた事に抵抗はあったが、今はそれどころではなかった。自分の役割を思い出し、下忍はその場に膝を着き、告げる。
「おっ、御屋形様に申し上げますっ。鬼道門の封印は、邪魔が入り解く事叶わず――すっ、水角様も、討ち死にされましたっ!」
「何だと……? もう一度言ってみろ」
低く、威圧的な言葉に、頭を伏せたままで身を竦ませる下忍。この時頭を上げていれば、主の双眸に宿った危険な光に気付いただろう。
「きっ、鬼道門の解封の儀は失敗に――」
「珠はどうした?」
「はっ、それが水角様を斃した輩に奪われ……目下、人を出して捜させております」
「水角の奴め……せっかく俺が封印を解いてやったってぇのによ……。で、水角を斃した奴を見たか?」
「はっ。それが……まだ年若い輩で、年の頃は十七、八かと」
「若ぇな……」
自分の事を棚に上げ、一通り聞き終えて、男は黙り込んで何やら考えていたが
「まあいい、ご苦労だったな……」
「はっ。では――」
「あぁ、それともう一つ。ちょっと、こっちへ来な」
退室しようとした下忍を呼び止める。言葉に従い、下忍は男に近付き――
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!?」
次の瞬間には悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
「お……御屋形……さ……」
「長い黄泉路の旅だ。水角も一人じゃ寂し――って、何人か一緒に逝ってるのがいたか。ま、旅の供は多い方がいいだろうよ」
いつの間に抜いたのか手に日本刀を携えて、男が薄く笑う。目の前で起こった凶行にも女達は眉一つ動かさなかった。こうなると、女達に意志があるのかどうか疑わしい。
やがて下忍の身体は霞のように溶け、何の痕跡も残さずに消える。それを確認して、男は顎をしゃくる。その指示に従い、女達は隣の部屋へと消えた。この場にいても、何ら問題はないが、気分の問題だ。
「炎角、雷角、岩角」
「ここに……」
呼びかけに応え、暗がりに三つの能面が浮かび上がる。
「炎角、岩角。お前達は、引き続き例のものを捜せ。あれが、この俺の手に入らなければ、所詮――全ては世迷い事だ」
「「はっ」」
「それと、面白い奴がいたら構わねぇから介入してやれ。――行け」
現れた時と同じく、音一つ立てずに二つの面が消えた。
「雷角、そっちはどうなっている?」
「はっ。候補は四人。その内、一人は戦闘には向きませんが、捜し物には役立ちましょう。直に探索に使用可能です。もう一人は潜在的なものは申し分ないのですが精神面に問題が。現時点では二人が何とか使用可能、といったところです」
残った面の報告に男は頷く。
「よし、そちらは任せる。それから風角――風角はいるか」
「御屋形様の御側に――」
雷角が消えると同時に、別の声と共に緑の面が浮かび上がる。
「例の準備、進んでいるんだろうな?」
「もちろんでございます。後は贄と、月が満ちるのを待つばかりでございます。月ばかりはどうにもできませぬが、贄の方は準備を始めております」
「そうか……上出来だ。で、現時点での障害は?」
「やはり例の小僧共でしょう。水角を斃したのも偶然ではありますまい。奴ら自ら、積極的に介入している節がございます」
「……」
「以前こちらが介入した凶津とかいう小僧、我らの事を奴らに話したようですからな。それに、品川では炎角の奴が接触しております。我ら鬼道衆の事、知っていての行動かと」
風角の言葉に男は口元を歪める。しかしどこか楽しげでもあった。
「まあ、捨て置け。邪魔してきたらその時は遠慮なくぶっ殺してやりゃあいい」
「監視の目はいかが致しましょう?」
「不要だ。下手に警戒させる必要はない。その方がやりやすいだろ」
「御意。では」
最後の面も消え失せ、部屋には男が一人残る。
「面白くなってきやがった。順調すぎるのもつまらねぇからな。《力》を持つ者達……せいぜい楽しませてもらおうか。止められるモンなら止めてみな……くくくっ……」
笑いながら、男はまだ相見えた事のない魔人達に思いを巡らせた。
8月18日。新宿区――新宿通り。
「おーいっ! ひーちゃん! おっはよーっ!」
人混みからの元気のいい声に、龍麻はペットボトルを片手に立ち上がった。
世間では学生達が夏休みを謳歌しているせいか、午前中だというのに若者の比率が高い。
「へへへっ、夏休みだってのに、わざわざ呼びだしてゴメンね。迷惑じゃなかった?」
「いや、そんな事はないよ」
駆け寄ってきた小蒔に、そう答えてペットボトルを放り投げる。狙いの通り、それは近くのゴミ箱に吸い込まれた。
「でも、嬉しいな。ひーちゃんが買い物に付き合ってくれるなんてさ」
「基本的にヒマ人だからね、僕は」
「ま、そろそろ葵も来るから楽しみにしといて」
意地悪く笑う小蒔に、龍麻は苦笑した。が、龍麻とてやられっぱなしではない。
「でもさ、本当に僕で良かったの?」
「え、何が?」
「付き添い。ホントなら雄矢辺りを誘いたかったんじゃない?」
「……どうして?」
不思議そうに訊き返してくる小蒔ではあったが、一瞬の間があったのを龍麻は見逃さなかった。
「だ、だって、醍醐クンって補習でしょ?」
「ふーん」
「な、なんだよぉ……」
わざと意地悪い言い方をしてみる。案の定、ふくれてみせるが
「指揮官って役目柄、みんなの事はよく見てるつもりなんだけどね。誰が誰の方をよく見てる、とか」
「ひ、ひーちゃん!?」
珍しく狼狽える小蒔を見て、やりすぎたかななどと思いつつも、心のどこかで満足する龍麻。たまにはこういうのも良いだろう。
「……あ――来た来た。葵、こっちだよ!」
葵に気付き、先程の件を誤魔化すように、大声で呼ぶ小蒔。二人の姿を認め、葵が小走りに近付いてくる。
「おはよっ。さすが葵。時間ピッタリッ!」
「おはよう、小蒔、龍麻くん」
「おはよう、葵さん」
「休み中なのに……迷惑じゃなかったかしら?」
問う葵に、龍麻は笑顔で答える。
「そう思ってたら、来たりしないよ。小蒔さんにも言ったけど、基本的に僕はヒマ人だから、誘ってくれて嬉しいよ」
「えへへっ。やっぱり誘って良かったね、葵」
「ええ。今日はよろしくね、龍麻くん」
「こちらこそ。で、買い物って何を買うつもりなの?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
首を傾げる小蒔だったが、買い物に付き合ってとしか聞いていないのは事実だ。
「まあ、買い物って言っても、たいしたものじゃないんだよね。ボクは弟の誕生日プレゼントで、葵は確か日記帳、だったっけ?」
「ええ……でも、私はただ小蒔の買い物のついでにと思っただけで……」
「もぅ、遠慮なんてすることないって。とにかく行こうよ。ここにいても暑いだけだし、それにボク達、午後から学校に行かなきゃいけないんだ」
「学校、って何かあるの?」
まさかこの二人が補習、などということはないだろう。葵は今回は学年二位だったし、小蒔も真ん中辺りにいたはずだ。そう思いつつ尋ねると
「ボクは弓の練習で、葵は生徒会」
「夏休みだってのに、大変だね」
「まぁね。さ、しゅっぱーつ」
元気よく小蒔が歩き出す。そんな彼女を見て龍麻と葵は顔を見合わせて笑い、小蒔に続いた。
とりあえず小蒔の買い物がメインということもあり、また売場もこっちの方が近かったので先に玩具売場に向かう三人。
「小蒔の弟さんって、今度中学生になるのよね?」
「ああ、それは上から二番目の弟だよ。今度誕生日なのは一番下のヤツ。来年、小学校に上がるんだ」
歩きながら、小蒔が自分の弟達について話す。
「ひーちゃんは知ってたっけ? ボクが兄弟の中で一番上で、下に五人いるんだ」
「注文の電話で何度か、店番に出てた子の声は聞いた事あるけど」
龍麻の言葉に少し考え込み、答える小蒔。
「うーん、それだったら次男かな」
「元気のいい子だなとは思ったけど。そう言えば葵さんは?」
「私は、家は三人家族なの。兄妹もいないから、小蒔が少し羨ましいわ」
「えへへっ。まっ、賑やかなだけだけどね」
しっかり者の小蒔の事だ、さぞいいお姉さんなんだろうなと考える龍麻。時々、電話の向こうで小蒔が弟達を仕切っている声が聞こえた事もあった。
「ひーちゃんは、お姉さん二人だよね。他にもいるの?」
「いや、香澄姉と沙雪姉だけだよ」
直接血の繋がっている者は一人もいない。香澄、沙雪にしても従姉であり、義姉だ。そう考えると従兄弟全てが兄弟と言えなくもないが、他の従兄弟はいない――はずだ。
「いいお姉さんだよね。ボクの所なんかケンカばっかりだよ。ボクとしては、お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しかったのになぁ」
「いつも小蒔がお母さん役だものね」
「そうなんだよ。お母さん、仕事で店だからさ。ボクがまとめ役なんだよね」
部活でも、後輩達の面倒見がいいという小蒔だ。案外、保母さんとか似合うかもしれないな、と思う龍麻。想像してみるが違和感はない。
「そう言えば龍麻くん。岡山には帰ったの?」
不意に葵がそんな事を尋ねてくる。確かに地元の葵達とは違い、長期休暇という機会でもないと親元までは戻れない。
「そうそう。きっと香澄さん達の事だからさ、帰ってこいってうるさかったんじゃないの?」
「里帰りはしたよ。家族にも会えたし、久しぶりに焚実達とも話ができたし、楽しかったけどね」
そんな話をしているうちに目的の場所に到着する。
「ねえ、小蒔。プレゼントだけど、何にするか決めてるの?」
「え? いやぁ実はまだなんだよね。来る前に色々考えたんだけど」
店に並ぶ品々を見れば、確かに迷うのも頷ける。特に小蒔は女の子だ。男の子のプレゼントとなると、何を基準に選べばいいのか迷って当然だろう。
「ねぇ、ひーちゃん。どれがいいと思う?」
「うーん……弟さんの好きなものって、何?」
「んっとね……そこの、TVでやってるロボットが好きみたいだったけど。あと、ラジコンとかも興味あるみたいだったなぁ」
「一人で遊ぶ物よりは、みんなで遊べる物の方がいいかもね。ボードゲームとか……ゲームソフトとか」
「そうだね。よし、それじゃゲームにしよう!」
言うなり、小蒔はレジへと向かい、店員と何やら話し始めた。少しして丁寧に包装された包みを持って戻ってくる。
「お待たせ。次は葵の買い物だね。文房具売場にGO!」
「なんだか……えらくご機嫌だね」
「そうね。龍麻くんが真剣に選んでくれたのが嬉しかったんじゃないかしら」
「そんなものかな」
「でも、葵って本当にマメだよねぇ」
先を行く小蒔が振り返って、楽しそうに笑う。
「いつもここで日記帳を買って、毎日、日記をつけて……ボクだったら、三日と続かないな。ね、ひーちゃんはどう?」
「日記? まあ、習慣みたいなものだからね。僕もつけてるけど、苦になる事はないよ」
「あら、龍麻くんもつけてるの?」
意外だったのか、驚く葵に、まあね、と答えて
「僕は日記帳じゃなくて、フロッピーに落としてるんだけど」
「パソコンで? それじゃあ、誰にも読めないね……」
何故か残念そうな小蒔。まさか、探して読むつもりだったのだろうか。パスワードがあるとは言え、日記フロッピーの置き場所を考える必要があるかも知れない、と本気で龍麻は思った。
「でもさ、そう毎日書くコトってあるのかなぁ?」
「意外とあるものよ。それに最近は書くことが多すぎて困るくらいよ」
「普段、どんな事書いてるの?」
「そうね……例えば学校であった事とか、事件の事……それから――後は秘密よ」
うふふと笑う葵に、えー、っと不満の声を上げる小蒔。
「気になるなぁ……ひーちゃんだって、すご〜く気になるよねぇ?」
「え? うーん、どうだろう……?」
興味がないと言えば嘘になるが、ここではい、と答えるわけにもいかない。
「あ、照れてる照れてる。ホントはすっごく気になってるクセにぃ」
「もう、小蒔。龍麻くんが困ってるじゃないの。それに……日記の内容なんて、人に話すものじゃないもの」
「ま、それもそうだね。あ、ここだよ日記帳」
売場の一角を小蒔が指さす。
「で、どれにするの?」
「そうね、どれにしようかしら?」
こうして見ると、日記にも様々なものがある。数があると、やはり目移りしてしまうのだろう。迷っている葵に小蒔が提案した。
「いっその事さ、ひーちゃんに決めてもらったら? ボクも決めてもらったし」
「そうね……龍麻くん、構わないかしら?」
「え、いいの?」
頷く葵に、龍麻は並んでいる日記帳を端から眺める。どれも良さそうに見えるのだが
「うーん……それじゃ、これなんてどうかな?」
花柄の日記帳を手に取り、掲げてみる。正直、葵の好みは分からないので女の子向けの物を選んだつもりだ。とは言っても、女の子向け=花というのも短絡的すぎたかな、などと思う。それでも葵はそれを気に入ってくれたようだった。
結局葵はそれに決め、買い物は終了した。
中央公園。
夏も終わろうかというのに、未だに蝉は元気よくその鳴き声を披露している。
「今日はありがとね、ひーちゃん」
「いや、役に立てたみたいで良かったよ」
「そうだ、龍麻くん。私達、一度着替えてから学校に行くんだけど、後で待ち合わせしない?」
先程、生徒会と部活があると言っていたのを思い出す。
「今日のお礼もしたいし……ねえ、小蒔」
「そうだね、ご飯でも一緒に食べようよ。昼――は時間的にちょっと無理っぽいけど晩ご飯」
二人の提案に、喜んで、と答える龍麻。京一が教えてくれたラーメン屋王華も捨てがたいが、この二人も美味しい店を結構知っている。たまに教えてもらっては、食べに行き、こっそりと料理の真似をしていたりするのだ。それが納得いけば、緋勇食堂にメニューが加わるのである。
「じゃあ、ひーちゃん。二時に校門のトコロでね」
「分かった。それじゃ――」
と、龍麻が言いかけたところでこちらに向かってくる人影に気付く。とんがった金髪に槍――雨紋だ。
「よっ、久しぶりだな。クソ暑い毎日、元気に過ごしてるかい?」
「元気、とは言い難いかな。暑いの苦手なんだ。ところで、暑くないの? その学ランで」
醍醐と同じく、夏でも身につけている学ランを見て雨紋に問う。
「暑いよ。まあ、衣装みたいなモンだからな。それより、龍麻サンに会えて良かったよ。ちょいとアテが外れたけど」
「あてが外れたって……どういう事なの?」
問う葵に、実はさっき、と話を切り出す雨紋。
「渋谷で天野サンに会ったンだ。あンた達と連絡が取りたいって言ってたから、学校に行ってみな、って言っちまったンだ」
「あ、そーか。京一と醍醐クン、今頃、学校で補習だもんね」
納得して小蒔がぽん、と手を叩く。雨紋は龍麻に目をやり
「オレ様はてっきり龍麻サンもだと――」
「雨紋クン、ひーちゃんが補習だなんてあり得ないよ」
「何で?」
「ひーちゃんが赤点とるようなテスト、クリアできる人いないって。ひーちゃん、今期末のトップなんだから」
「……マジっすか?」
疑いの目で龍麻を見て、回答を葵に求める。笑いながら葵は首を縦に振った。
「ええ、本当よ」
今回のテストでは、トップが龍麻、次が四点差で葵といった順位だった。
「へぇ……意外だな。見た目優等生の美里サンはともかく、龍麻サンがねぇ」
「別に特別な事をしてるつもりはないけどね。何なら、勉強見てあげようか?」
勘弁してくれとばかりに雨紋は舌を出す。
「ま、とにかくそういう事で。オレ様も急いでるから、そンじゃな」
「……天野サンがボク達に何の用だろ?」
立ち去る雨紋を見送りながら首を傾げる小蒔。ただ、彼女と出会う時は、何かしら事件が起こっている時だ。特に最近の彼女は、進んで怪奇事件に乗り出している節がある。
「龍麻くん、先に学校へ行ってもらえるかしら」
「分かった。すれ違うと面倒だしね。京一と雄矢にも伝えておくよ」
「うん、よろしくね。京一も醍醐クンも、連日補習で気が立ってるから、絡まれないように気を付けた方がいいよ」
「京一はともかく、雄矢は生真面目だからそんな事ないと思うけど。とにかく行ってみる」
「あ、それとコレ」
小蒔がどこからともなく取り出した新聞を龍麻に放り投げる。受け取ってみると真神新聞だった。最新第六号。見出しは水泳大会の記事だ。自分達の3−Cが優勝し、個人では小蒔が優勝している。
「ボク達は読んだから、ひーちゃんにあげる。それじゃあね」
そう言って立ち去る二人を見送り、龍麻は学校へ向かおうとして足を止める。
「やっぱり、私服は駄目かな」
一応、学校に行くのだから着替えなきゃマズイだろうか、そう考えて龍麻は行き先を変更した。
真神学園――校門前。
「やぁ、緋勇クン。夏休みをエンジョイしてるかい?」
一度家に帰り、制服に着替えてから学校に来てみると、探すまでもなく、ちょうど二人が校舎から出てきていた。そして小蒔の予想通り、京一が絡んでくる。
「う、うん。何とか……」
「……いやぁ、勉強ができるキミがうらやましいねぇ」
「……授業を真面目に受けてるだけで、特に試験勉強をしたわけじゃ……そりゃ居眠りはした事ないけど……」
「ひ〜ちゃ〜ん! 俺に怨みでもあるのかよぉ〜!?」
「そ、そんな事いわれても……」
やれやれと醍醐が割って入る。
「ひがみはよせ、京一。すまんな龍麻。こいつは毎日のように補習なもんで、拗ねてるだけだ」
「誰が拗ねるかっ! クソッ、俺の高校最後の夏休みが無駄に過ぎていく。浜辺でビキニのオネェちゃんが俺を待ってるっていうのによぉ」
「いいじゃない。先週しっかり美人と楽しんで来たくせに」
何気なく話の方向を別に向ける龍麻だが、それに気付いた様子もなく京一は話し続ける。
「そりゃそうだけどよ……楽しむって言ってもな、途中でトラブル起こされてしっかり迷惑被って……って、ひーちゃん、何で知ってんだよ!?」
「一緒にいるのを見たから。まあ、そんな事になったとは知らなかったけど」
慌てる京一に、クスクス笑う龍麻。醍醐は状況が飲み込めず、頭上にハテナマークを浮かべている。
そんな醍醐に視線を移し――龍麻が眉をひそめた。
「あ、雄矢」
「ん?」
「最近、何か変わった事あった?」
唐突な問いだったが、戸惑うことなく醍醐は首を横に振る。
「いや、いつも通りだが、どうした?」
「何だか雄矢の《氣》がいつもと違うような気がするから」
「違う?」
「うん。何ていうか……質が変わったっていうか……いや、何でもない。ごめん、変な事言って」
自分でも「何となくそう感じる」程度のものだ。強いて言えば、如月の《氣》と似ている。安心感とでもいうべきものが醍醐の《氣》に加わったような――
「それより龍麻、お前はどうしてここに?」
「あ、実はね――」
問う醍醐に事情を説明しようとしたその時
「あっ、いたわね」
嬉しそうな声と共に本人が姿を見せた。ルポライターの天野絵莉だ。この暑いのに、長袖のスーツをしっかり着こなしている。日焼けしたくないだけかもしれない。
「エリちゃん、どうしたんだ?」
事情を知らない京一が尋ねると
「ちょっと、ね。それにしても夏休みだっていうのに学校で勉強だなんて三人とも大変ね」
三人を見てクスクスと笑う。
「天野さん、勉強しないといけないのは俺と京一ですよ」
「馬鹿! 醍醐、余計な事を! ……い、いや俺達はそんな不名誉な理由じゃ……」
律儀に訂正する醍醐に慌てる京一だったが、今更取り繕った所で手遅れだ。二人の漫才のような掛け合いに、再び天野が笑う。
「で、天野さん。どう言った用件です?」
「今日はみんなに頼みたい事があって来たの。本当はあの二人にも聞いて欲しかったんだけど」
「葵さんと小蒔さんなら後で来ますよ」
龍麻がそう言うと、どうやらほっとしたようだった。真神組全員の力を借りたいとなると、かなりの厄介事のようだ。
「それじゃ、先に三人に話を聞いてもらおうかしら。ところで、お昼はまだでしょ? どこかでお昼でも食べながらどうかしら、龍麻君? もちろん、私が奢るわよ」
「ちょうどいいタイミングですね。構いませんけど……京一、雄矢もいいかな?」
「もちろんだぜ! それじゃあ……えーと……」
「どうせ、ラーメンしか思いつかないんだろ……」
考え込む京一に醍醐の一言。図星だったらしく、京一は言葉を詰まらせた。まあ、いいじゃないかと天野を見る醍醐。
「近くに、俺達がよく行くラーメン屋があるんですよ」
「ええ、それじゃそこにしましょうか」
結局、昼食はラーメンという事になった。外食=ラーメン。この公式が定着してしまっている龍麻達だった。
ラーメン王華。
店に入り、一通り注文をすませてから、醍醐が話を促す。
「それで、俺達に頼みたい事って一体なんですか?」
「そうね、まずはこれを見て欲しいの」
天野が自分の荷物から新聞を取り出す。日付は数日前の物だ。
「『江戸川区で連続猟奇殺人事件が発生』『被害者は若い女性ばかり、いずれも頸部を消失』!? ……頸部って、どこだ?」
「首の事だよ、京一」
「だったらそう書けよ。小難しく書かなくてもよ……」
「しかし、首がないというのは? 犯人が持ち去ったという事ですか?」
ブツブツ言う京一は無視して問いかける龍麻。天野は頷くと
「それともう一つ。頸部切断は刃物によるものじゃないそうよ」
「刃物じゃない……?」
確かに妙な話だ。
「そう。熱でもなく、ましてや熱線――レーザーでもない」
「……で、天野さんの結論は?」
「強いて言うなら真空の刃――」
「《鎌鼬》、ですか? だが、自然現象で人間の首が飛ぶとは……」
そう言ったのは醍醐だ。どうやら鎌鼬についての知識を持っているらしい。が、それは天野も同じらしく
「それが本当の自然現象だったら、ね」
「つまり何者かの手によるもの――まさか!」
「それを確かめるために、あなた達の手が借りたかったの」
つまり天野はこれが人為的なものだと指摘しているのだ。もちろん普通の人間にそんな事ができるわけがない。となると、普通でない者――《人ならざる力》を持つ者、つまり鬼道衆が絡んでいるのではないかと考えたのだろう。
「確かにエリちゃんだけじゃ、危ねぇな。どうせ止めたって、聞きやしねぇんだろうしな?」
嘆息する京一に、苦笑する天野。
「それに、もしも鬼道衆がこの件に絡んでるなら、いずれ向こうからちょっかいかけてくるだろうしな。だったら、こちらから出向いてやろうぜ」
「そうだな。鬼道衆にせよ、《力》の持ち主にせよ、放っておけない、か」
醍醐も真剣な顔で同意する。そこに注文のラーメンが届いた。しばらく無言でラーメンをすする四人。少しして、天野が龍麻に話を振ってきた。
「ところで、龍麻君は何か聞きたい事はある?」
「ええ。ちょっと前から気になってたんですが《門》の事について」
「増上寺の地下にあったあれね。徳川将軍の残した霊力が封印の役割を果たしていたみたいだけど。どうかしたの?」
訊き返す天野に、龍麻は自分の疑問を口にした。
「その封印を壊すのって簡単なのかな、と。どうやって封印を解いて、どうやって門を開くのか。門が開いたらどうなるのか。分からない事だらけです」
「そうね。《鬼道門》と呼ばれるあの《門》がどういう仕組みなのかは分からないけど、もし開いていたら、今頃大変な事になっていたわ」
「けど、今までにあの《門》ってやつが開いた事なんてあんのかよ?」
眉唾だ、と言わんばかりの京一だが、天野は表情を引き締めて頷いた。
「世界各地に点在する《門》が開いたという記録は、いくつか残されているわ」
「記録って……そんなものがあるんですか?」
そう驚いたのは醍醐だ。《門》自体が胡散臭いというのに、その記録まであると聞けば無理もない。が天野は、もちろん公式の物じゃないけど、と前置きして話を進めた。
「今から八年程前、南米の小さな村が焼失したの。当時、その事件は色々議論を呼んでね……抗体の発見されていない、新種のウイルスが異常発生して、村外への流出を恐れた政府が村人の遺体ごと村を焼き払った。そういう風にも言われていたわ」
「事実は違う、ってのかよ?」
「少なくとも私はそう思ってるわ。第一、ウイルスが本当の原因だったとして、被害が村人だけってのはおかしいでしょ?」
京一は首を傾げているが、確かにと醍醐と龍麻は相づちを打つ。
「村人全員に行き渡るとしたら、空気感染だろうしな」
「後は、飲み水なんかに混入してたか……どっちにしても範囲限定で済むような話じゃないですね。余程他の人里と離れているのなら話は別ですけど」
「それに、抗体がないとはいえ、それを見つけるための研究はされて当然。でもそんな動きはなかったわ」
一息ついて、天野は自然と声を抑えて言った。
「村を焼き払ったのは事実。でもその理由が、ウイルスの被害によるものではなく、そこの地下に眠っていた何かが目醒めた事によるものだとしたら。その何かを再び封印するためだとしたら……」
それを否定する材料はない。現に龍麻達は《門》を見ているし、それが危険な物であると感じているのだから。
「一つだけ言える事は、《門》は確かに存在し、そこから何かが出てくるって事よ。……他には何かある?」
「それで、天野さんは今回の件、どう考えてるんです?」
「まず、今回の連続殺人には首を持ち去るという共通点があるわ。じゃあ、何のために持ち去るのか――何かに使うと考えるのが自然ね。例えば儀式のような――」
「それって……まさか《鬼道門》の解封?」
龍麻の言葉に、天野はさすがね、と笑みを浮かべる。
「ええ、もしかしたら鬼道衆が発見した《門》は、あの一つだけじゃなかったのかもしれないわ」
今回の件が鬼道衆の仕業で、彼らの目的が東京を滅ぼす事なら、使える物は何でも利用するだろう。もしも別の《門》を見つけ、それを開こうとしているのなら、それは絶対に阻止しなければならない。
「もう分かったでしょ。一緒に江戸川へ行ってくれないかしら」
「……約束でしたからね」
苦笑しつつ、龍麻はそれを受けた。
以前、渋谷で起こった事件で天野と出会った時、龍麻は天野を事件から引かせた。その時に天野はこう言ったのだ。「もしまた何かあったらその時はお願いね」と。それに「はい」と答えたのは龍麻だ。
「でも、一つ約束してくれますか?」
「危険だと思ったら、素直に引くわ。前にも言ったけど、引き際は心得ているつもりよ。その辺りの判断は龍麻君に任せるわ」
その言葉に安堵する龍麻。渋谷の時よりも自分達は強くなっている。が、今回の事件はあの時の比ではない。確実に天野を護れる保証はないのだ。もし天野に何かあったら、品川の時のように、護るべき者を護れなかったら――
「ま、大丈夫さエリちゃん。俺達に任せとけって」
そんな龍麻の不安を吹き飛ばすように、明るく言う京一。
「何があっても、エリちゃんは俺が護ってやるからよ」
「フフフ、頼りにしてるわよ」
「よっし、腹もふくれたし、さっそく江戸川へ――」
「待て、京一」
席を立とうとした京一を、醍醐が呼び止めた。
「桜井と美里が、学校に来ているかもしれん。一旦、真神に戻ってから江戸川に行こう」
「そうだね、その方がいいかな」
何があるか分からない以上、回復、援護は必要だ。頷いてから
「でも雄矢、君の口から彼女達を連れて行こうだなんて、どうしたの?」
いつもの「お父さん」ならこのまま江戸川へ、と言い出してもおかしくないのだが。疑問に思って尋ねてみると
「俺だって、いい加減学習するさ。それに、本当に危ないなら、お前が止めるだろう?」
港区での一件で、相当キツイ事を言われたのだろう。苦笑しつつ、醍醐は京一に目を向けた。