港区――青山霊園。
 明治時代に設立された、日本初の公営墓地。各界の著名人が眠り、忠犬ハチ公の記念碑まである――と何かのガイドには書いてあった。
 夜の墓場――不気味な場所には違いない。このテのものが苦手な醍醐の顔色はすこぶる悪い。他の者達も同様だ。そんな中、龍麻は墓地に残る陰の《氣》を辿りながら先導していた。その後ろを皆が黙って進む。
 しばらくして龍麻が止まった。懐中電灯を切り、その場にしゃがむ。
「……いたか?」
 気付いた京一が龍麻の視線の先を見やると、確かに見覚えのある化け物がいる。その数は決して少なくない。墓石の下に空いた穴に次々と入っていく。
 全ての化け物が穴に消えたのを確認して、龍麻達はその穴へと近付いた。
「こっから地下へ降りて行きやがったのか」
 穴の奥から微かに風が流れてくる。あの、何とも言えない異臭を乗せて。
「この先、か。ここでこうしててもしょうがねぇ、降りようぜ」
「行こう。全員――」
 戦闘準備、そう言いかけた時、以前聞いたことのある声が苛立ちとともに龍麻達の耳に届く。
「君たち……何故君たちがここに……」
 そこにいたのは芝プールで龍麻達が出会った如月翡翠だった。
「君たちは、僕の忠告を無視するつもりなのか?」
「プールの件からは手を引いたつもりだけどね」
「なら、何故ここにいるんだ?」
「別件だよ。僕達は人を追ってここへ来た」
 厳しい表情の如月と対照的に、涼しい顔の龍麻。
「そういう君こそ、どうしてここに?」
「僕の理由を君たちに話すつもりはない。僕は今からこの地下に降りるが――」
「なんだ。じゃ、俺達と同じじゃねぇか」
 簡単に言う京一に、更に不機嫌になる如月。額に手を当て、深々と溜息をつくと
「何度も言うようだが、君たちはこの件から手を引くべきだ。君たちの未熟な《力》ではあまりに危険――」
 言いかけて龍麻に視線を移した如月の言葉が止まった。如月だけではない、京一達も皆龍麻に注目している。
 龍麻が《氣》を解放していた。如月の発言に怒ったのだろうかと思う京一達だが、そうでないことはすぐに分かった。
 とても澄んだ、力強く、暖かい《氣》が龍麻の身を包んでいる。しかもその《氣》は止まることなく更に増していっている。
(馬鹿な……これが先日自分の《氣》を制御できずに苦しんでいた彼の《力》か……!? しかもこの《氣》の質は……)
「これでも未熟かな?」
 《氣》を収めて笑う龍麻に、如月は答えることができない。驚愕の表情を浮かべたまま黙っている。
「如月、君が使命を果たそうとしてるのは理解しているつもりだよ。でも、僕達にもやらなきゃいけない事がある。この地下にいるであろう水岐を倒して、門が開くのを止める。そして……鬼道衆の企みも止めなきゃならない」
「鬼道衆?」
「とりあえず、こっちの事情を話すよ。そっちの事情は……まあ、どうでもいいや」
 そう言って説明を始めようとする龍麻を制する如月。怪訝な顔をする龍麻に
「その前に……名前くらい教えてもらいたいな。不公平だ」
 苦笑しつつ如月はゆっくりと息を吐いた。


 結局、自分達の目的も敵も現時点では同じであるということで、共同戦線を張ることになった。
 青山霊園から地下へと降りると、そこはかなり大きな鍾乳洞だった。地下という空間の例に漏れず、涼しいというか肌寒い。それに加えてこの臭いと《陰氣》だ。長居はしたくない場所である。
 おまけに暗く、足場も悪い。そんな中で、如月は懐中電灯もないのに危なげなく進んでいる。さすが隠密といったところだ。
「ところでさ、如月は骨董品屋をやってるって聞いたけど」
「ああ。それが何か?」
 彼の家の話を聞いてから、龍麻は訊いておきたい事がった。
「買い取りってやってる?」
「骨董のかい?」
「うん。後は《力》絡みの品物。妖刀とかも」
「あ、旧校舎の戦利品?」
 同じく龍麻の隣にいた葵が訊いてくる。龍麻は素直に頷いた。
 旧校舎で手に入れた余分な武器や道具。置きっぱなしでも構わないのだが、有効利用した方がいいだろう。
「そう。それに如月の所なら、《力》絡みの品物を扱ってるんじゃない?」
「まあ、いくらか……いや、かなりあるな。この件が終わったら一度来てみるといい」
「うん、そうさせてもら――」
「きゃっ!」
 小さな悲鳴とともに不意に葵の身体が沈んだ、そう見えた。足を滑らせた葵を咄嗟に龍麻が抱きとめる。
「……ふう……大丈夫?」
「え、ええ……ありがとう」
 少しの間、そのままで動きを止めていた二人だったが、如月の視線に気付き、慌てて離れた。
 龍麻は後ろを向き、小蒔や藤咲の方を見るが、自分が転ばないように歩くので精一杯で気付かなかったのか、何の反応もない。冷やかしがないことに、龍麻は胸を撫で下ろす。
「……何かおかしい?」
「いや、別に」
 隣で笑いをこらえている如月に、むくれる龍麻。そのまま如月を追い抜いて先へ進むが
「ひーちゃん! 天井が!」
「崩れる!」
 後方からの、悲鳴にも似た小蒔と醍醐の声に思わず足を止め、見上げてしまった。
 低い音とともに重力に引かれた天井の岩盤がこちらに迫ってくるのが見える。
「ちっ!」
 反射的に《氣》を練る龍麻だったがわずかに間に合わない。
 もう駄目かと思ったその瞬間――
 ゴッ! 
 どこからともなく現れた大量の水が、渦を巻いて岩盤に突き刺さった。派手な音と水飛沫を伴い岩盤の破片が降り注ぐが、その時には《氣》を練り終えている。圧縮された《氣》が破片の一つに触れ、そのまま広範囲に衝撃を撒き散らした。その隙に龍麻は落盤の影響範囲から離脱する。
「助かったよ、ありがとう」
 仲間内で水を操る者はいない。となると、今自分を助けてくれたのは如月ということになる。礼を言うと
「君が無事なら、それでいい」
 と、素っ気ない言葉が返ってきた。しかし、不思議な事が一つ。
 如月の《力》を目の当たりにした時、龍麻が感じたのは懐かしいような、安心できるような、そんな《氣》だった。葵や京一とはまた違う質の、自分を護ってくれるような《氣》を確かに感じたのだ。
(さっきの感じは……何だったんだろう? )
 そんな事を考えていると、後方の仲間が駆けつけてきた。龍麻の無事を喜ぶ彼らだったが、龍麻は先程の事が気になって如月に問う。
「如月、君の《力》って水を操るものだったね?」
「ああ。《飛水》の家は、四神の一つで水を司る玄武を守護神として崇めていてね。その姓を受け継ぐ者には、元来その血筋として、水を自在に操る能力が備わっていたという。僕も例外でない。……どうかしたのか?」
「いや、君の《氣》を感じた時に、何だか安心できたから」
 四神。四方位を守護する神獣。その一つである玄武の加護を受けている如月。その《力》が何故自分にこのような感じを与えるのだろうか? 
「おい、向こうに明かりが見えるぜ」
 京一の声にそちらを向くと、確かに今まで明かり一つなかった洞窟の奥から光が漏れている。
「どうやら着いたらしいな……」
「行こう」
 先程の落盤もある。隠密行動をとる意味はないのかも知れないが、それでも龍麻達は息を潜めて光源へと向かった。
 その先にあったのは広大な空間だった。
 明らかに人の手が加わった床、光源の篝火、奥にある祭壇と、その背後にある奇妙な形をした門のようなもの。神殿とでも言うべき造りだった。
 祭壇の前には、以前相まみえた化け物、そして、普通の姿の人間もいる。水着、釣り人姿、様々だが攫われた人々であるのは間違いない。中には普通の格好の者もいるが、恐らく一度は発見された人々だろう。暗示か何かを掛けられているのだろうか。
 岩場から様子を伺う龍麻達だったが
「……熱い……体が……」
「葵!?」
 突然、葵が苦しみだした。その異常に気付いた小蒔が葵に駆け寄る。葵は自らの《氣》を解放して何かに耐えているようだった。そして――
「何かが流れ込んでくる……苦しみ……悲しみ……憎悪……」
「くっ……とんでもない悪意が……負の感情が満ちてる……」
 その症状は龍麻にも現れた。同じく自分の《氣》で守りを固める。
「どうしたというんだ、緋勇君と美里さんは?」
「この二人は《氣》や負の感情に敏感なんだ。必要以上に影響を受けちまうんだよ」
 京一の説明で、唯一事情が分からなかった如月も納得する。
「このままじゃまずいな。《氣》を元から絶たない事には――」
「――罪深き邪教の申し子よ」
 神殿の方からよく通る声が響いた。いつの間にやら現れた水岐が化け物達の前で演説を始める。
「ぐげげげっ――!」
「げげげげっ――!」
 化け物達が次々と奇声を発する中、人間だった者達の姿も次第に変わってゆく。それに伴い周囲の《氣》が更に高まった。
「膨大な量の瘴気が溢れ出している。《門》が開きかけているのかもしれない」
「そうみたいだね……水岐の周囲に《氣》が吸い込まれていってる。あそこが入口みたいだね、異界への」
 幾分落ち着いてきた龍麻が如月に応える。
「このままでは手遅れになる。緋勇君!」
「分かってる。みんな――!」
「ほほほほほほほ。このような処に、大きな鼠がおるわ……」
 突然降って湧いた笑い声に、飛び出そうとした龍麻は出鼻をくじかれた。
「鬼道五人衆が一人――我が名は水角」
 鬼面をつけた青い忍装束の女が姿を見せる。
「鬼道衆……貴様らの目的は何だ!? 水岐のいう神を復活させて、どうするつもりだ!?」
「神? ほほほほっ、そのようなものどうでも良いわ。我らが目的はあの《鬼道門》を開く事じゃ。あの男はそのために役に立ってもらっただけよ……」
 醍醐の剣幕に怯むことなく、水角は笑いながら答えた。やはり水岐は利用されただけのようだ。
「あの《門》より、魑魅魍魎共が溢れ出し、この憎き江戸の地を焼き払う事こそ我らが悲願……それが今、叶おうとしておる」
「鬼道衆……どこかで聞いた名だと思っていたが、まだ滅びずに残っていたのか」
「忌々しき飛水の末裔よ……あの時、あの者達と貴様ら一族に受けた屈辱――忘れた事は一時たりともないぞえ」
 水角と名乗った女が、如月の言葉に反応して禍々しい《氣》を放つ。あまりにも深い怨み、憎しみに、龍麻は眩暈を感じた。聞く限りでは過去に飛水家と、そして何者かと争ったようだが、その怨みを今もこれ程強く残しているとは――
(待てよ……今、水角はあの時の怨みと言った。一体いつの話なんだろう? 片方は当事者で、片方はその末裔……まさか過去の亡霊だなんていうんじゃ……)
 気になりはしたがそれどころではない。瘴気はますますその勢いを強め、化け物達も活気づいてくる。自分達を見つけたのか、こちらに近付いてきていた。そして――
「う……うああっ!」
 祭壇近くにいた水岐までもがその姿を変えつつあった。
「水岐……!? まさか水角、お前が外法で……!?」
「ほほほほ。鋭いのお、小僧。もうあやつは用済みじゃ。が、もう少し役に立ってもらわねばのお。邪魔者を殺すために……」
 龍麻の声に、さも可笑しそうに笑う水角。
 水岐の身体が他の化け物と同じく、半魚人のようなものに変わる。そして更に醜く変貌を遂げていった。腹から別の口が開き、蛙の手のようなものがあちこちから生えてくる。それが放つ《氣》は、かつて龍麻が屠った莎草と同質のものだった。《力》を持つが故にここまで変化してしまったのだろうか。
「水角、貴様っ!」
 どこに隠し持っていたのか如月が忍者刀を抜き、斬りかかる。水角はそれを容易く避け、後方へ大きく跳び退いた。
「じきに《門》も開く。貴様らもここで死ぬが良いわ」
「ここまでしたお前を……許すわけにはいかない! これ以上の事はさせるものかっ!」
 龍麻の《氣》が跳ね上がる。荒々しく、怒りを帯びたものではあったがその《氣》はいつも通りの陽の《氣》だ。
「ほほほほほ、せいぜい吠えるがいい――殺れ」
 水角の号令で、化け物達は一斉に龍麻達に襲いかかった。

「緋勇君、僕は水角を殺る」
 言うが早いか如月は軽い身のこなしで化け物達を抜け、水角へと向かっていった。
「さて、ひーちゃん」
「オレ様達はいつでもいいぜ」
 京一と雨紋がそれぞれの武器を手に龍麻の隣に並ぶ。さっさと命令を出せ、そう目が訴えていた。少なくとも表面上は、人であったものを斃すという負い目はないようだ。
「京一は右、雷人は左! 僕は正面を突っ切る!」
「「おう!」」
「龍麻くん、私達は?」
 突入寸前に葵が声をかけてくる。龍麻はこれから戦闘だというのに優しく彼女に微笑んだ。もちろん戦いに対してのものではない。芝公園で少し落ち込んだように見えた葵が、そうでもないようなので安心したのだ。
「葵さんは自分の役割を果たして。それで十分助かる。援護よろしく」
「分かったわ。『体持たぬ精霊の燃える盾よ――』」
 葵の《力》が龍麻、京一、雨紋を包む。《力天使の緑》により防御力を増した二人が得物を手に突っ込んだ。
 目前に迫っていた化け物の爪を、手首を掴んで受け止めると至近距離から龍麻は発剄を放った。直近の目標、そしてその後ろにいた別の化け物を同時に打ち斃し、群に飛び込んでいく。
「雷人、如月の方へ道を作って!」
「了解だ!」
 雷撃を乗せた雨紋の突きが、一条の閃光となり、化け物達を貫いていく。
「小蒔さん、亜里沙! 如月のフォローを! 雄矢は二人の、兵庫は葵さんの護衛!」
「分かってる! 行くよ小蒔!」
「う、うん!」
 雨紋の攻撃でできた空間を二人が走る。もちろん化け物達とてその動きに気付き、数匹が行く手を阻んだ。
(こんな事を続けてれば、いつかはこういう事もあるだろうとは思ってたけどさ)
 《氣》を込めた鞭で、藤咲は横手からこちらへ迫る化け物を打ち据える。たいした打撃ではなかったが、その一撃で化け物は石と化した。
(相手は人間だ。だが、今は違う……違うんだっ! )
 後方からやって来た醍醐が、飛び出してきた化け物を発剄で打ち砕く。
(救えないなら……仕方ないよっ……! ボク達だって、やられるわけにはいかないっ! )
 炎《氣》を込めた小蒔の矢が、龍と化して二匹の化け物を焼き払い――
(せめて、苦しめる事なく! )
 二重存在を発動させた紫暮が、攻撃の壁を抜けてきた化け物達を容赦なく叩き潰していく。
 龍麻達の奮戦により、化け物達は急速にその数を減らしていった。

 一方、鬼道衆の陣営は如月一人を相手に手こずっていた。
 おなじ水属性同士の戦いである。お互いの攻撃が決定打にならない中でも、如月は確実に下忍達を斬り捨てていく。
 下忍の足下から生じた水柱がその動きを封じた。もとよりその攻撃が効くとは思っていない。あくまで時間稼ぎである。
 水の戒めから解放された時には既に如月の姿は死角へと消えている。背後から喉を裂かれ、下忍はその場に崩れ落ちた。
「飛水流の名に懸けて、この地を乱す者は滅すまで!」
「おのれ小癪な!」
 間合いを詰めて斬りかかってくる水角から身を翻し、大きく跳び退く如月。取り出した手裏剣に《氣》を乗せ、水角に放つ。
「小賢しいわっ! 秘術、水桜閣!」
 水角が生んだ水流が、手裏剣を呑み込み如月を襲う。しかしそれが如月を捉えることはない。再び間合いを詰めた如月が黒脛巾を振るう。それを受け止める水角。
 攻防は一進一退を繰り返していた。
「鬼道衆が何故今頃になって動き出した!? 何を企んでいる!?」
「そのような事をわざわざ教えるものか! 貴様こそ、徳川の亡びた今もこの地に縛られておるとはな!」
 じりじりと――水角が如月を圧し始める。その細い身体のどこにそれだけの力があるのか。如月も細いとは言え、女に負けるような筋力ではない。
 また一度離れるか、そう思った瞬間、背後に殺気が生まれた。鬼面の下忍が槍を携え如月に迫る。
「しまっ――!」
 避けようにも水角と刃を交えているため、動けない。
「ほほほほ! 終わりじゃ、飛水の末裔よ!」
「それはどうかね!」
 威勢のいい声が飛び込んでくる。同時に水角の腕に鞭が絡まり、動きを鈍らせた。藤咲だ。その隙を衝いて如月が離れる。
「君たち……」
「龍麻くんの指示でね、増援三人到着さ。小蒔、醍醐!」
 小蒔の放った矢が下忍の鼻先を掠めた。身を竦ませ、一瞬動きが止まるが、そこへ醍醐が割って入る。雷《氣》を帯びた蹴りが、下忍をあっさりと壁際まで蹴り飛ばした。
「残念だったね。ま、年増にゃこの辺が限度だろうさ」
「こっ……小娘が調子に乗りおって……!」
「仮面なんかで顔を隠して、よっぽど自信がないんだねぇ」
 逆上する水角に容赦なく暴言を吐く藤咲。未だに鞭は水角に絡まっている。もちろん《氣》に覆われているので簡単に切断できるものではない。とは言え、力比べになれば藤咲の方が分が悪いのだが――
「そんなだから気付かないのさ」
 ザン! 
「があぁぁぁっ!?」
 背後からの斬撃が、水角の右肩口に深々と打ち込まれた。
「ひ……飛水の……!?」
「僕から注意を外したのが貴様の敗因だ」
「お……おのれえぇぇぇっ!」
「闇に沈め」
 忍び刀を持ち替えて振り向く水角の胸に、如月の黒脛巾が何の抵抗もなく突き立つ。続けて刀をひねり、刃を上にして、持ち上げるような感じで引き抜いた。
「邪妖……滅殺」
「こっ……九角さまぁ――!」
 絶叫と共に水角の身体が光を放つ。幾度かの点滅の後、その姿は消え、蒼い珠だけがその場に残った。
「如月クン、この珠はなに?」
 しゃがみ込んでそれを見ながら小蒔が問う。蒼い珠は何かしらの《力》を感じさせる。ただ、それが何であるかまでは誰にも分からなかった。
「さあ……ただ、あの水角に関わりのあった物であるのは確かだな」
「なんか模様があるよ。龍のように見えるけど……」
「持ち帰ってみよう。何かの役に立つかもしれん」
 地面に落ちている珠を、醍醐が拾い上げる。
「瘴気が薄れていく。どうやら《門》を開けようとしていたのは水角本人らしい。何とか間に合ったか」
「後は残った化け物だな」
 安堵の息をもらす如月にそう言って醍醐は龍麻達の方を向く。しかし、そこに化け物の姿はなかった。


 目の前に倒れた異形を黙って見下ろす龍麻。最後まで残った、水岐の変わり果てた姿だ。龍麻の最後の一撃――八雲で、身体のあちこちが抉れている。絶命した今も、その姿は崩れることなくそこに残っていた。
「龍麻くん……」
 側にやってきた葵の声に、振り向くことなく淡々と呟く。
「こんなものだよ……僕の《力》なんて。こうして敵対した者を斃すだけで……」
 悲しみ、自分に対する憤り、自責の念――龍麻の感情が伝わってくる。
(何もできない……私もそう。龍麻くんは十分だと言ってくれた。でも、こんな時に私は龍麻くんに何もしてあげられない。戦う事のできない私にはその気持ちを共有することもできない)
 《力》があっても自分は無力だと、こういう時にいつも思い知らされる。
「でも……これが自分の信じた、自分の決めた道だから。だから僕は前に進む」
 龍麻が呟いたその時、洞窟に振動が走った。天井からぱらぱらと砂が落ちてくる。
「洞窟が崩れるぞ、早く脱出するんだ!」
 如月の声が聞こえた。戦闘の余波か、儀式の影響かは分からないが、そう長くは保ちそうにない。
「ひーちゃん、急げ!」
「龍麻! 何をしている!?」
 京一、醍醐の声も離れた所から聞こえてくる。どうやら自分達以外は神殿入り口付近にいるようだ。
「分かった、今行く」
 そちらに向かおうとして、龍麻は足を止めた。右手に収束した《氣》が炎となって宿る。
「龍麻くん?」
「本当なら溶けて消えるはずなんだけど、残ってるから。このままじゃ、水岐がかわいそうだよ」
 多くの人を異形に変えた水岐。しかし鬼道衆に唆されなければこんな事にはならなかったかも知れない。挙げ句に裏切られ、自分まで異形の化け物にされ、死してなお醜いその身を晒されている。このままではあまりに忍びない。
 遺体を焼こうと巫炎を放つ。だが、炎が水岐を包んだ次の瞬間、葵の身体から光が放たれた。
「葵さん、これは……!?」
「わ、分からない……」
 戸惑う葵をよそに、光は強まり水岐の全身を包む。炎は消え去り光の中にある影の形が変わり――
「そ、そんな……」
 光の中、水岐は元の姿、つまりは人間の姿に戻っていた。
「一度堕ちた人間は、元の姿には戻れない、そのはずなのに……」
 驚く龍麻達の前で、水岐の身体が次第に薄まっていく。やがて、光と共に水岐の身体は完全に消え去った。
 何が起こったのかは分からない。葵自身が何らかの意志を持って行動したわけではない。
 ただ、あの光によって水岐は救われたのだと、龍麻はそう感じた。


 地上に戻るとほぼ同時に、洞窟は完全に崩れ去った。あと少し遅ければ生き埋めだっただろう。
「崩れちゃったね……」
「ああ、真実は土の中だ……」
 崩れた入口の前で呟く小蒔と醍醐。
「だが、これでは二度とここへは入れまい。ここの《門》が開かれることもないだろうさ」
「これで終わりだね、今回は」
 しかし、龍麻達の表情は暗い。今回はあまりにも犠牲が多すぎた。化け物にされた数十人を誰一人として救うことはできなかったのだから。
「緋勇君……」
 如月が声をかけてくる。そう言えば、今回は共同戦線を張ったが如月は仲間ではなかった。これで彼と一緒に戦うこともあるまい。そう思ったのだが
「今回は助かったよ。ありがとう、如月」
「いや、それはこちらのセリフだ。それで、もしよかったら、僕にも君たちを手伝わせてくれないか?」
 鬼道衆は共通の敵、その認識がそう言わせたのだろう。
「……それは嬉しいけど、いいの?」
「ああ。鬼道衆からこの地を護るのに僕の《力》を使ってくれ」
 もちろん断るつもりはない。龍麻は手を差し出した。その手を握り返す如月。
「喜んで。これからもよろしく」
「ああ。君にこの命を預けよう」
「厳しい戦いが続くだろうね」
 ここまで鬼道衆と対立した以上、必ず向こうからの反応があるはずだ。情報が少ないので後手に回るのは仕方がない。

(自らの信じる道を進む。だから、これ以上野放しにしておくわけにはいかない。待ってろ、鬼道衆。いつか必ず――)
 新たな仲間を得て、龍麻は打倒鬼道衆を改めて固く誓うのだった。



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