7月13日。3−C教室。
「みんな! 手掛かりを掴んだわよ!」
プールへ行った日の晩に電話で港区の件を調べてもらうように頼んでから二日。アン子がいつもの勢いで教室に飛び込んできた。
「早いな。さすが遠野、といったところか。その顔だと成果ありって感じだな」
醍醐の言葉に胸を張って、当然と言い切るアン子。そして手を出した。意味が分からず怪訝な顔になる醍醐に
「今日発売の真神新聞第伍号。一部たったの五百円!」
事も無げにそう言ってのける。それを聞いた醍醐と小蒔は一瞬ハニワ化した。
「アン子! ヒドイよ! ボクたち、友達じゃないか!」
「遠野、これは俺達だけの問題じゃないんだぞ?」
立ち直った小蒔が、深刻な顔をした醍醐が、それぞれ説得を試みるのだが、アン子は譲らない。しまいには百五十円にまで値下げしてでも売りつけようとしている。
「醍醐クンの説得まで効果なしだなんて……アン子って……」
普通ここまで言えば折れそうなものだが。呆れる二人にアン子が非難の目を向ける。
「なによぉ! ウチの部だって、キビシーんだからね。さ、スクープが知りたいなら買って――」
言いかけて、その口が止まった。二人の視線が疑わしげな、冷たいものに変わり
「ねぇ、醍醐クン。聞いた?」
「うむ。聞いたぞ」
「な、何よ?」
「新聞部の台所が厳しいなんて、ウソばっかり」
「相変わらず、商売は続けているそうだな?」
醍醐の言葉に、アン子の顔が引きつった。頬には冷や汗らしいのが伝っている。
「弓道部の後輩の女の子が、写真を持ってたんだよねぇ。それもひーちゃんの」
「確か、王華で撮ったのが最後だと思ったが、その時のものではないそうじゃないか」
「ひーちゃんからは、そんな話聞いてないんだけどねぇ。どういうことかな〜?」
詰め寄る二人にアン子が後ずさる。そこへ龍麻と葵がやって来た。
「どうしたの、二人とも?」
「あ、ひーちゃん。実はアン子が新聞を――」
「新聞って、これの事かしら?」
葵が、手にした新聞を二人に見せる。紛れもなく真神新聞だった。最新版第伍号。
「それどうしたの?」
「アン子ちゃんから買ったの」
「「ほほう……」」
逃げようとしたアン子の首根っこを醍醐が掴む。
「つまり、だ。美里に売りつけておきながら、俺達にも売ろうとしてた、と」
「アン子って、そーゆー人だったんだ」
教訓――過ぎた欲は身を滅ぼします。
結局、後からやって来た京一も含め、五人全員に新聞が配られた。もちろんタダである。
その内容は、要約するとこうだ。
まず、港区内のプールで行方不明者が出始めたのが二週間ほど前。ただ、必ずと言っていいほど、失踪してから数日後に、彷徨っているところを発見、保護されている。その人達に失踪してからの記憶は全くないという。
そして青山霊園で化け物の目撃情報があること。さらに、失踪した人間が、全て青山霊園の周辺で保護されていること。化け物の目撃時期がプールでの失踪事件とほぼ同時期であること。
「その化け物の特徴って、白い腹、灰緑色の鱗、瞬きしない濁った目ってやつ?」
プールで裏密に聞いた話を思い出し、アン子に尋ねる龍麻。
「体型は人間に近いけど、魚と蛙を融合したような奴だって。頭は魚そのもの。目が濁ってたかどうかは分からないけど、灰緑色の肌ってのは同じね。あと、長い手には水掻き」
「多分、同一種だね。さて、ここまで分かれば後は行動あるのみ」
「そうね。如月くんの忠告を無視することになるけれど、それでも、放っておくことはできないわ」
「そうそう、その如月君だけどなんだか、どーも怪しいのよね」
葵の言葉に、思い出したようにアン子が口を開く。
「彼、北区で骨董品屋なんてやってるんだけど、どうも気にかかるのよ。何ていうか……こう、隠された何かを感じるのよね。まあ、あたしはもう少しそっちを追ってみるわ」
チャイムが鳴ると、アン子は来た時と同じ勢いで教室を出ていった。
同日放課後。
「それにしても……この東京に化け物ねぇ」
校舎を出て正門へと向かいながら、京一が呟く。
「《力》を持つ人間がぽこぽこ出てくるわ、化け物は出るわ、おまけに鬼道衆なんて連中まで何やらやってるわ。何でもアリだな」
「しかし鬼道衆か。龍麻、今回の件に鬼道衆が関わっていると思うか?」
杉並、品川の件では、鬼道衆がその陰にいた。凶津を唆したり、非人道的な実験に手を貸したり――今回もそんな事件の一つなのでは、と醍醐は考えたのだ。
「どうかな? 決めつけるのは早いけど、今の僕達にある選択肢は三つ。一つは化け物達の行方を捜すこと、もう一つが増上寺。最後は北区の如月骨董品店」
「化け物はともかく、増上寺と北区ってどういうこと?」
「如月は、増上寺が奴らの手に落ちた、って言った。つまり、そこにあの化け物達がいる可能性もあるって事。ただ、増上寺の地下に門があるなんて話は聞いたことがない。だから、こっちは保留」
小蒔にそう説明してから龍麻が続ける。
「北区の方は、如月に会って話を聞いてみるって案。でも、こちらも望み薄だね。彼は一度こちらの提案を蹴ってるから」
「となると、後は港区ね」
葵が言葉を継ぐ。
「あの化け物の行方……とりあえず、青山墓地と、港区のプールかしら」
「でもさ、港区中のプールで失踪者が出てるんでしょ? それが青山霊園で見つかる。どうやって移動してるんだろうね?」
「そりゃ、人目につかねぇトコだろ」
首を傾げる小蒔に、京一が言った。
「まあ、地上はないな。……川か? 水掻きがあるとか言ってたし」
「確かにあちこちにあるかもしれんが、そこに至るまでに目に付いてしまうな。それに攫われた人々が保たんだろう」
「それじゃあさ、地下鉄!」
「いくら何でもそれはねぇだろ。プールの側だろ?」
「うーん」
「地上じゃなくて地下、か。それもプールと青山霊園を繋ぐものとなると……」
「「下水道!」」
龍麻と葵が同時に声を上げた。
「下水道ならプールと繋がっていてもおかしくないわ。ただでさえ大量の水を処理してるんですもの」
「まあ、青山霊園と繋がっているかどうかは分からないけど、手掛かりにはなりそうだね」
「調べてみる価値はありそうだな。で、どこにするよ?」
プールと言っても一つではない。問う京一に、龍麻は少し考えてから言った。
「芝プールにしよう。あそこなら最近事件があったばかりだから」
「だな、何かしらの手掛かりが残ってる可能性も高いか。準備をしてさっそく行こうぜ」
「そうだね。となると準備する物だけど」
「懐中電灯はあった方がいいんじゃないかしら? 以前旧校舎に行った時にアン子ちゃんが持ってたから、私ちょっと新聞部に行って取ってくるわ」
「あ、ボクも付き合うよ」
葵と小蒔がそう言って校舎へと戻っていく。それを見送る三人だったが、龍麻が二人を呼び止めた。
「葵さん、小蒔さん。悪いけどミサちゃんとこにも行って、同行をお願いしてみて。それと、カラースプレーかペンキみたいなのがあれば、それも一緒に」
「分かったわ」
「任せといてっ」
「龍麻、今のはどういう意味だ?」
龍麻の意図が読めずに醍醐が訊いてきた。
「地下の地図なんてないから、目印は必要だよ。後は、戦闘に備えて仲間を集める。まあ、時間の都合がつく人だけ、ね」
「雨紋達も呼べばいいのか?」
「うん。とりあえず、声はかけてみようよ」
「よし、それじゃ、俺は電話をしてくる」
醍醐が龍麻の携帯を持って校舎へと向かう。龍麻の携帯には仲間の電話番号が全て入っている。わざわざ公衆を利用しなくても、別に使ってくれてもよかったのだが。ちなみに醍醐は携帯を持っていない。
「強要はしちゃ駄目だよ! 特に行き先ははっきり告げてね! 合流は芝プール前!」
振り向かずに、手を挙げて応える醍醐。
「さて、どうなるかな」
独り言ちて龍麻は空を仰ぐ。先週と同じような青い空が視界いっぱいに広がっていた。
港区。芝プール。
結局、連絡がついて芝プールで合流したのは雨紋、藤咲、紫暮の三人。高見沢は病院から抜けられないということだったので今回は外した。裏密は部室におらず、携帯も繋がらなかったらしい。
意外な事と言えば、藤咲が来たことだ。下水道に降りると聞けば、来ないと思ったのだが――まあ、本人が自分の意志で来たのだ、構わないが。
「さて、ここから降りられそうだな」
大きめのマンホールを見つけ、醍醐がその蓋を開ける。
「「「「「うっ……」」」」」
それが、龍麻、葵、京一、醍醐、雨紋の口から漏れた感想だった。
下水本来の臭いに加え、陰の《氣》が充満していたのだ。旧校舎ほどではないが、ああいった特別な場所以外でこんな所があるとは夢にも思っていなかった龍麻達である。
「ビンゴ、だな」
「こりゃあすげぇな。……龍麻サン、大丈夫かよ?」
雨紋が心配そうに龍麻を見る。少なくとも顔色は普通だった。
「大丈夫だよ。リハビリが効いたから、このくらいなら自分の《氣》で相殺できる」
「そっか。じゃ、行くとしようぜ」
先日、京一と醍醐に付き合ってもらって何とか感覚を取り戻した龍麻。それで分かった事だが、以前よりも自分の《氣》が上がっているようだ。そのために前と同じ感覚ではうまく《氣》を制御できなかったのである。
「死にかけてパワーアップするなんて、どこぞの尻尾の生えた宇宙人みたいだな」とは京一の言である。原因は分からないが、恐らく《暴走》時の《氣》の過剰放出が身体に影響を与えたのだろう。
全員が下に降り、懐中電灯の光を頼りに探索を開始する。
「こりゃ、すげー臭いだな」
「うん、ホント。鼻が曲がりそうだよ」
「ここまでひどいとは思わなかったわ」
「バーカ。そうじゃねぇよ」
言葉をそのままの意味に解釈したらしい小蒔と藤咲に、京一が言った。
「下水の臭いじゃねぇ、別の何かの臭いがしやがる」
「ああ、異常なほど生臭いな。それに――微かに、潮の香りもする」
「オレ様には臭いの区別はつかねぇけどよ、確かに肌にピリピリくるな」
京一、醍醐、雨紋の三人は、それぞれが何かしらの異変に気付いている。それは龍麻も同じだ。進むにつれて陰の《氣》が強くなっている。それに伴い、負の感情も同じくらい強くなっている。苦しみ、悲しみの感情が《氣》と混じり合い、まとわりついてくるようだ。
「葵さん、大丈夫?」
少し顔色が悪くなっている葵に龍麻が声をかける。そう言う龍麻も先程よりは辛そうだった。
「ええ、大丈夫。まだいけるわ」
「あんまり、感知能力に優れているのも考えものだね」
お互いの《氣》が干渉し、安定剤のような役割を果たしているお陰で、いくらかは楽になる。
「俺にはお前達のように臭い以外のものは分からんな」
臭いに顔をしかめながら紫暮。どうやら《力》があるといっても感知能力に関しては個人差があるようだ。龍麻と葵は負の感情や《氣》の流れを感じるだけでなく、視ることもできるし、京一達は視るまではいかずとも感じることはできている。
「分からない方がいいよ。今より気分が悪くなるから」
「そうか? 何だか悪い気がするな」
自分が楽をしていると感じてしまうのだろうか。自らを厳しく律する、武道家の紫暮らしい発言ではあるが。
「しかし、どこにいるンだろうな」
槍で、壁に目印の傷を付けながら雨紋。それを龍麻が赤のスプレーでなぞる。下水道で遭難なんて、洒落にならない。そんな作業をしばらく繰り返し――
「しっ――静かにしろ」
先導していた醍醐が何かに気付き、警告を発した。
「龍麻、あれを」
醍醐に近付き、奥に目をやる龍麻。そこにいたのは紛れもなく異形の怪物だった。裏密、アン子の二人から聞いた特徴を持った化け物。半魚人、という言葉がぴったりくる。
そこにいるのは二匹だけだが、それが全てではあるまい。
「遠野の言っていたのはあれの事か……?」
「女の人が……助けないと!」
「まだ駄目。拠点を突き止めなきゃ同じ事の繰り返しだよ」
化け物が担いでいる人間――攫われた人だろう――を認めて、逸る小蒔を抑えて龍麻が言う。そうするうちに化け物は奥にある横穴に入り、姿を消した。
「よし、後を追うぞ」
醍醐の言葉に頷く一同。しかし、龍麻は先程見た化け物に、何とも言えない違和感を感じていた。
追跡を開始したものの、穴を出るとそこには化け物の姿はなかった。
「確かこっちの方に来たはずだが……」
周囲を見回す醍醐だが、誰もいない。手詰まりかと思われたその時
「フフフ……よく来たね」
自分達以外の人間はいないはずの下水道に、聞き覚えのある声が響いた。
「かつて、この世界は薔薇に溢れ、香気に満ちた風が吹く世界だった。おぉ、それが今じゃ――草花は枯れ、灰褐色の墓標に包まれた刑場の如き惨状。人間とは、何て罪深き存在なんだろう……」
「てめぇっ! 何でこんなトコにいやがんだっ!」
詩らしきものを読みながら現れたのは、プールに行く時に出会った水岐涼だった。刀の入った袋を突きつけ、問う京一に、水岐は悠然と微笑みながら答える。
「決まっているだろう。シテールに住まう罪人に贖罪を与えるためさ。そして、我が神にその哀れなる魂を捧げるため……」
「神だとぉ?」
「そう……この街の地下に、何が眠っているか知っているかい? フフフ……深く暗い海の底へ続く異界への入口だよ」
「入口って……まさか増上寺の……」
如月から聞いた話を思い出したのだろう、呟く葵にご名答、と水岐が笑う。
「そこに眠る偉大な神を召還するために、僕は神の啓示を受けた。そのための《力》を与えられてね」
水岐の身体を赤い陰の《氣》が取り巻いている。腰の後ろに差していたのだろう、西洋剣を抜き放ち、一振りし
「この世界を汚した人間達に裁きを下す。増上寺の封印が解けた今、後少しで異界への《門》が開く。君たちとはここでお別れだ。今度会う時は、闇の世界で会おう……」
「水岐……あの化け物達はまさか……」
「君の想像通りだよ。あの姿こそが人間の罪を象徴している、そう思わないか?」
「なんて事を……」
龍麻の問いに、薄い笑みで答える水岐。
初めて見た時から感じた違和感。自分にある人外を見抜く《力》。本当の化け物ならば、その正体が自分にはおぼろげに見える。しかし、先程見た化け物達は――そして水岐の言葉は龍麻の予想を肯定した。
「おい、ひーちゃん! 何ぼけっとしてやがる! 来るぞ!」
下水から次々と上がってくる化け物に、戦闘態勢を整える京一達。
「おい、ひーちゃん!」
「全員、援護……」
俯いたまま龍麻が一歩踏み出す。
「お、おい龍麻サン!?」
「ちょっと、龍麻くんってば!」
「絶対に、とどめは刺さない事……」
それだけ言うと、龍麻は一気に化け物達の中へ飛び込んだ。
龍麻に狙いを定め、襲いかかってくる化け物達。その鋭い爪が龍麻に迫り――
ゴッ!
《氣》の奔流が渦を巻き、四体ほどをまとめて文字通り粉砕した。悲鳴を上げる間もなく絶命した化け物の破片が溶けて消える。
「援護、って言われてもね……あの様子じゃ、そんなの必要なさそうよ」
「どうしたんだ、龍麻の奴は?」
龍麻の態度に疑問を口にする藤咲と紫暮。誰も事情が飲み込めない。
「ねぇ、葵はひーちゃんから何か聞いてないの?」
「何も……でも龍麻くん、とても辛そう」
元々、龍麻は争いを好む性質ではないし、今までの戦闘でも、相手を気遣う戦い方をしている。しかし今の龍麻はがむしゃらに戦っている印象を受ける。手加減も何もない。ただ、京一達には傷つけさせないように、自分だけで片を付けようとしているような感じだ。
「このままってわけにもいかねぇだろ。醍醐、雨紋、紫暮、行くぜ!」
京一の声に、我に返った前衛組が戦線に出た。
化け物の一体が振り上げた腕を雨紋が槍で払う。そのまま胸に狙いを定めたところで――龍麻の放った発剄がそいつにとどめを刺した。龍麻の行動に、雨紋は怪訝な表情を浮かべる。
「きゃっ!?」
背後からの声に振り返ると、女性陣の後方から怪物が上陸するところだった。
「雄矢、兵庫、足止めに徹する事。とどめは僕が刺す」
「龍麻、一体どうした? さっきから変だぞ、お前」
「化け物の相手なら、今まで旧校舎で十分にやってる。今更怯んだりは――」
「あれは人間なんだ……」
龍麻の指示が腑に落ちず、異議を唱える二人だが、その言葉に――皆の動きが止まった。今まさに怪物に刀を振り下ろそうとした京一も、それを中断して間合いを取る。
「い、今なんて言った?」
「人間なんだ。元は僕らと同じ人間なんだよ」
言いつつも龍麻は別の化け物を発剄で吹き飛ばし
「だから……とどめは僕が刺す。みんなまで業を背負うことは……ない!」
生み出した炎《氣》が更に数体を灰に変えた。
いくら今は化け物とは言え、元は人間だ。元に戻す術がない以上、斃すしかないのだが、人を、人であったものを殺したという罪悪感は簡単に拭えるものではない。自分がそうであるように。
もちろん今でもそうだ。鬼に変じ、人間でなくなった莎草を、《力》を持っていたとはいえ、人間だった死蝋を手に掛けたその事実は決して消えないし、今も自分の心にのしかかっている。だからこそ、そんな思いを皆にさせたくない、そう思ったのだが
「なるほど、道理で様子が変だったわけだ……」
「龍麻サンらしいよな。ヤなトコは全部引き受けるって?」
動揺を隠せない醍醐達とは対照的に、何故か京一と雨紋は冷静だった。
「雨紋、お前あっち頼むわ」
「ああ、レディ達は任せときな」
雨紋はそのまま後方へ下がる。
「どけやがれっ!」
上陸した怪物に肉薄し、旋風輪を放つ雨紋。その一撃で絶命した怪物を尻目に、自分の槍を水に接触させ《力》を解放した。水面が波立ち、電光が走る。少しして、雷に撃たれた怪物が白い腹を見せて浮かび上がってくる。
「さて、俺も負けてられねぇよな」
肉薄する化け物の爪を、《氣》を乗せた刀で斬り飛ばし、更に一閃――胴を二つに両断された怪物がそのまま崩れ落ちた。
「ひーちゃん、そっちから来るぞ! 俺は水岐のヤローをぶっ飛ばす!」
行く手を阻む異形を容赦なく斬り捨てながら京一は水岐に迫る。龍麻は二人の行動に戸惑いながらも襲ってきた怪物を蹴り飛ばした。
「さて、と同じ剣士だ。どっちが上か確かめてみようじゃねぇか」
間合いを空けたままで刀を構える京一。
「フフッ、見切れるか?」
その間合いから水岐が剣を振り下ろした。放たれた《氣》の衝撃波が京一を襲う。あっさりとそれを避け、隙を衝いて京一が一気に間を詰めた。何の躊躇いもなく次々と斬撃を繰り出す京一。それを必死に自分の剣で受け止める水岐。
「くだらねぇ夢なんて、さっさと忘れちまいな!」
「夢だって? 何が夢なものか。間もなくこの世界は変わる! 深き海の底から甦る破壊の神と、僕の手に入れたこの《力》で! 僕の下僕だって、そいつらだけで全てじゃない。それに――鬼達も僕に《力》を貸すと言っているんだ!」
「鬼……そうか、てめえやっぱり鬼道衆と組んでやがるな!」
しかし、技量では明らかに京一の方が上だった。幾度目かの斬撃に水岐の剣が弾き飛ばされる。無防備になった水岐に、京一の剣掌が鮮やかに決まった。
あれからすぐに水岐は逃亡し、とりあえず龍麻達は地上に戻っていた。水岐の目的が《門》とやらを開く事だと分かっている以上、そこへ向かうはずだということでとりあえず芝公園に来たのだが、それらしい気配はない。
日も落ちかけ、薄暗くなった公園の一角で――
「まったく、何度言えば分かるんだ? 一人で背負い込むな、ってよ!」
「そんなにオレ様達は信用ないのか? どうなんだ、龍麻サン?」
龍麻は京一と雨紋の二人に頬をつねられていた。
「い、いひゃい……」
「「当たり前だ!」」
ようやく龍麻を解放し、二人は腕を組んで龍麻を見る。葵達はというと、どうしていいか分からずただ様子を窺っている。
「で、話を戻すけどひーちゃん。どうして最初から言わなかった?」
誤魔化しはなしだ、と目が口以上にものを言っている。やや視線をそらし、龍麻は観念して口を開いた。
「あんな思い、誰にもさせたくなかったから。人を殺すなんて、させたくなかった」
「……って、お前まさか……」
その言葉に品川の件を思い出したのだろう。表情を曇らせる京一達に、龍麻は言った。
「京一達には話したよね? 《暴走》した僕が、人を殺した事がある、って」
「あ、ああ……高二の時だろ?」
そっちの件か、と胸を撫で下ろす京一。品川の件を龍麻は覚えているのだが、その事を知っているのは葵だけだ。もっとも、先程口にした件も真神組以外の者には初耳である。動揺が気配で分かった。
「そいつも人間でなくなったんだよ。僕の目の前で、鬼の姿に変わって……気付けば僕は彼を殺していた。その過程は全然覚えていないけど、それでもしばらく悩んだ。彼という存在を消し去ったのは、事実だから。あんな思いをせずにすむなら、その方がいい」
やっぱり、といった感じで京一と雨紋が溜息をつく。
「まあ、オレ様も渋谷の件の時は悩ンだもンな。最悪の場合、唐栖をこの手で殺してでも止めなきゃ、ってな。でもな、龍麻サン。だからってあンたが全部背負い込むことはないと思うぜ?」
「大体、考えりゃ分かるぜ。救う術があるなら、ひーちゃんがあんな行動取るわけがねぇんだ。元に戻せないからこそ、奴らを斃したんだろ?」
「そうだけど……でも……」
「だったらいいんだよ。いつもの通り指示してくれりゃいいんだ。少なくとも俺と雨紋にはそういう覚悟がすでにあったからな」
その発言に、龍麻の、そして葵達の表情が動いた。
「俺達が使うのは刃物だ。それに、相手は魔物とは限らねぇ。今回の水岐みてぇに技量に差があればともかく、同じように《力》を持った奴が敵に回って、しかもそいつが同等の技量を持ってたら手加減なんてとてもできねぇ」
「いつまでも、格下相手ってワケにゃいかないからな。これから厳しくなりそうだしな」
「だから、何の遠慮もするなよ。お前が斬れ、と言えば俺はお前の敵を斬る。これは自分で決めた事だ。お前が命令しなくても一緒だ」
「そういう事だからよ、龍麻サン。オレ様達の命は預けてンだから、いいように使ってくれて構わないンだぜ」
二人の言葉に、龍麻は額に手をやり、上を向いた。
「貧乏くじ引いたね、二人とも」
「なんだよいきなり……もしかして、泣いてるのか?」
龍麻の声が少し震えていたのに気付き、尋ねる京一。それを龍麻は素直に認めた。
「……うん、少し」
「まったく、それくらいで泣くなよ。ガキじゃないんだからよ」
「悪かったね、子供で」
「ま、いいけどな。おい、美里、醍醐」
不意に名を呼ばれ、顔を見合わせる二人に
「これからどうするんだ? 例の門とやらは増上寺にあるんだろ?」
「そうだけど……お寺の方からは入れないと思うわ。あそこは人が多いし、あの……怪物達が出入りするならやっぱり地下だと思うの」
「となると、遠野の言っていた青山霊園か」
「だとさ、ひーちゃん」
京一が龍麻に話を振る。少し考えて龍麻が何か言おうとした時
「あら、あなたたち――」
ルポライターの天野絵莉がこちらにやって来た。いつも突然現れる。
「どうしてこんな所に? まさか……」
「仕事よ。か・い・ぶ・つ・さ・が・し」
「仕方ねぇよ、龍麻サン」
「因果な商売だよなぁ」
笑いながら問いに答える天野に、龍麻は溜息をついた。そんな龍麻の肩を、京一と雨紋がポン、と叩く。
「あなた達とは何となく会えそうな気はしてたんだけど……もしかして、迷惑だったかしら?」
「いいえ、会うだけなら全く。まあ、事件絡みでも……迷惑ではないです」
「ふふふっ、正直ね緋勇君。大丈夫よ、別について行ったりしないから。でも驚いたわ。あなたたちがもう、下水道という結論にまで達してるなんて」
感心している、というよりは嬉しそうに天野が言う。まあ、自分達が動いていること自体が、常ならざる事件である事の証明みたいなものだ。
「って事は、そちらでも何か確証があるんですね」
「ええ、化け物の出たプールに頼み込んで調べさせてもらったんだけど、プール底の排水溝に、化け物のものらしい爪痕が残ってたの」
ルポライターとしての肩書きを使えば、それも可能なのだろう。そこが大人と、高校生である自分達との違いだ。高校生が頼んだところで取り合ってもらえない。
「ところで、あなた達はクトゥルフ神話というのを知っているかしら?」
突然の問いに首を傾げる一同。裏密がいれば知っていたかもしれない。
「緋勇君、君はどう?」
昔、それを題材というかネタにした伝奇小説みたいなのを読んだ覚えがある。題名も、作者も忘れてしまったが、インスマウス人とか何とかが出てきていたはずだ。そう言うと
「そう、まさしくその深き者――インスマウスの事なのよ」
「って、あの化け物がですか?」
「ええ。となると、目的はただ一つ――彼らの主である神、父なるダゴンの復活よ」
天野はクトゥルフ神話について簡単に説明してくれたが、その神とやらが封印されている世界との接点――《黄泉の門》とか《鬼門》と呼ばれる入口が世界各地にあるらしい。そう言えば水岐も同じような事を言っていた。という事は、増上寺の地下にある《門》とやらがそれなのだろうか。
「これから天野さんはどうするんです?」
とりあえず、《門》の事は触れずに訊いてみる。
「わたしの方も、もう少し動いてみるわ。ただ、邪魔が入らなければいいんだけど」
苦笑する天野。龍麻の脳裏に閃くものがあった。この件に介入しようとする者の邪魔をする者となると――
「如月ですか?」
「そう、如月翡翠君。……どうやらあなた達も彼と接触したみたいね」
「ええ。この件から手を引け、と」
「他には何も?」
「後は……この東京を護るのが義務だ、とも」
「なるほどね」
少し考え込む天野だが、納得したように独り言ちる。
「翡翠って聞いて、どこかで聞いた事あると思ってたけど、彼――飛水家と関係があるかも知れないわね」
「ひすいけ?」
「飛水家はね、別名とびみず家とも言ってね、江戸時代、徳川幕府の隠密として江戸を護ってきた忍の家系なの」
首を傾げる小蒔に説明する天野。この平成の世に忍ときた。醍醐が時代錯誤な、と言うのも頷ける。
龍麻には、その飛水家という忍びの家系が江戸を護っていたというのは疑問だった。忍びの流派は多くあるが、確か江戸城の警護に当たったのは伊賀組と甲賀組だったはずだ。後に隠密やお庭番として活躍するのもその辺りだったはずだが。
「それだけじゃなくてね、飛水家の人間には、特殊な《力》があったって話よ。飛水の人間はね、水を操る《力》を持っていたの」
その《力》で水害を防いだとか治水工事をしたとか天野が説明してくれたが、恐らく目的は別だろう。
隠密である忍びが活躍する世界の更に裏――今、東京で起こっているような「人ならざる存在」の起こした事件に対する存在だったのではないだろうか。それなら史実に名を残してないのにも、こうして今も事件に関わっているのにも納得がいく。
「さて、そろそろ約束の時間だし、行くわね。これからクトゥルフに詳しい作家の先生と会うの。あなた達も気を付けてね」
「天野さんもお元気で」
「あ、緋勇君」
去りかけた天野が龍麻を見る。
「何でしょう?」
「……いいえ、何でもないわ。頑張ってね」
そう言って笑うと、今度こそ去っていった。
「どうしたンだ、天野サン? 龍麻サンに何言いたかったンだろうな?」
「まさかひーちゃん……エリちゃんと付き合ってたりしてねーだろうな!?」
「何でそうなるかな……多分、僕達の事に気付いてたんだと思うよ。これから何をするつもりなのか」
龍麻個人に声をかけたのは事実だが、どうすればそんな結論に達するのか。襟首を掴む京一を振り解き、龍麻は皆を見る。これ以上のんびりしてはいられない。
「さて、それじゃ次の目的地に向かおうか」
「青山霊園、だね。アン子もあそこに化け物が出るって言ってたし」
「そうだな。だがその前に――美里と桜井、藤咲。もう日も暮れる……」
醍醐が女性陣の方を向く。まさか、と思う龍麻と京一。
「暗くなれば、いろいろと女には物騒になる」
どうやら「お父さん病」は完治していなかったらしい。盛大な溜息をつく二人。
「雄矢、いい加減に諦めてよ」
「そうは言うがな。男連中なら何とでも言い訳ができるが、女性はそうも行くまい。この調子では片付くのは深夜だ。親にどう説明させる?」
確かに一理ある。が、それが本当の理由かどうかは怪しい。事実、旧校舎潜りで帰りが二十二時を越えてしまったことも一度や二度ではないのだ。
心配は分からなくもないが、いい加減学習してもらいたいものだ。彼女達が女扱いされて、仲間として認められない事をどれだけ嫌っているかを。
仕方がないので、裏技を使うことにした。
「分かった。雄矢がそんなに彼女達を嫌ってるなら、指揮官権限で彼女達を帰そうか……」
「お、おい。だ、誰がそんな事を言って……」
「だって、仲間だと認めてないんでしょ? だからそんな事が言えるんだよ」
「まさか……醍醐クン、ボクたちを帰すつもりだったの?」
「あら、あたし達は仲間はずれって事かしら?」
小蒔が白い目で、藤咲がからかうような目を醍醐に向ける。たじろく醍醐だが、だれも助けようとはしない。面白そうに成り行きを見ている。
「ひーちゃん、醍醐クンがいぢめるよぉ〜」
「あたし達はいらないって。ひどいわっ!」
よよよと泣き崩れ(て見せ)る小蒔と藤咲。どう見ても演技だが、醍醐にとっては気まずい事この上ない。完全に悪者にされている。
「い、いや……だからだな……」
「諦めろ、醍醐。お前が女に勝とうって事自体、無理な話だ」
醍醐の肩に手を置き、しみじみと言う京一。何故か雨紋と紫暮が腕を組んで頷いていたりする。
「やっぱり……私達がいたら足手まといかしら」
悲しげな表情でそう言ったのは葵だった。だが、小蒔達と違うのは、それが演技ではなかった事だ。数日前に龍麻が、自分は役に立っている、と言ってくれたものの、こういう状況で帰れと言われれば、持ちかけていた自信も揺らいでしまったのだろう。
冗談半分で騒いでいた小蒔と藤咲も黙ってしまった。葵が比良坂を救えなかった事で、自分の《力》が及ばなかった事で落ち込んでいたのを知っているため、二人には彼女の言葉が余計に重く感じられた。
「……で? 醍醐君は、結局どうしたいわけ?」
恋は盲目、というのとは違うかも知れない。が、女性陣(特に小蒔だろうが)を心配して、醍醐が状況を読めていないのは確かなようだ。
名ではなく、姓で呼び、龍麻は醍醐に冷たい目を向ける。一度親しくなった人間を他人行儀に呼ぶ――龍麻が怒っている時の癖だ。癖というより、意図的かも知れないが。
「この人数で、しかも回復役や中・遠距離支援のできる三人を帰すことで僕らにどんなメリットが? 今回の敵は水岐だけでなく、以前行方不明になった人間全員になるかも知れないのに。もし鬼道衆が絡んでいたら、敵戦力とは更に差が生じる。それなのに――」
「ないない。誰も文句なんてねぇよ。さっきのは言葉通りの意味で、それ以上何かを含んでたワケじゃねぇって。な、醍醐?」
龍麻の《氣》が大きくなっていくのを感じ、京一が醍醐の足を手加減なしに踏みつける。
「……うちは放任主義だから、門限なんて別にないけど?」
「ボクの家も、そう厳しくないよ。あんまり遅いと何か言われるかもしれないけど、アン子の家に泊まることにしとけば問題ないし。葵もウチに泊まることにしとけば大丈夫だよね?」
「え? ええ……」
場の重い空気を何とかしようと、藤咲と小蒔が動いた。それに呼応して京一も口を開く。
「よっしゃ、決まりだ。時間もねぇし、電話してこいよ。いいよな、ひーちゃん?」
「……ありがとう」
そう言うと龍麻は皆から離れ、近くの木に寄り掛かる。葵達はそのまま電話を掛けに行った。
「さて……醍醐。お前にも話があるんだ」
「ちょっと付き合ってくンねぇか」
「そう時間は取らせん」
京一達三人が、有無を言わさず醍醐をどこかへ引っ張っていく。少しして、京一の怒鳴り声が人気のない芝公園に響いた。
「もう少し言い方を考えれば良かったかな」
そんな事を呟き、龍麻は溜息をついた。