翌日25日。3−C、放課後。
 授業も終わり、皆が教室を出ていく。挨拶を返しながらも龍麻は昨日の事を考えていた。そこへクラスメイトの一人が声をかけてくる。
「さっき、校門のとこで女の子が待ってたぜ」
「女の子?」
 比良坂ではないだろうかと思い、尋ねるがさすがにそこまで知っているはずもない。ただ、かわいい娘だったと言って、教室を出ていった。
(さて、どうするかな)
 昨日の件もそうだが、今まで比良坂が自分の前に現れたのは偶然ではないと龍麻は考えている。住む場所も違う彼女がこうも自分の近くに現れるのは不自然だ。つまり、彼女の方から自分に接触してきたのではないか。
 その理由までは分からないが、彼女が他人の《氣》を纏っていた事を考えると、何かの厄介事に巻き込まれているのではないだろうか。そこで《力》を持った自分に接触してきたのではないかと仮説を立てていた。もっとも穴だらけの仮説だ。それなら最初に会った時に話をすればいいわけだし、昨日のようにデートに誘う必要もない。その後にあんな顔をして逃げるように立ち去ることもないだろう。
 一度会ってはっきりさせといた方がいいかなと考え、教室内を見回す。が、京一や葵達の姿はない。
 仕方なく龍麻は一人で校門に向かう。
 しかしそこに比良坂の姿はない。それどころか女の子すらいなかった。
「ひょっとして、からかわれたかな?」
 そう思ったところで自分に呼びかける声が聞こえた。
「ねぇ。ねぇ、にいちゃん」
「君は?」
 小学生くらいの男の子がそこにいた。尋ねる龍麻を無視して口を開く。
「にいちゃん、ひゆうたつま?」
「そうだけど……」
「じゃ、これあげるよ。バイバイ」
 言うなり封筒を龍麻に押しつけると、そのまま走って行ってしまった。疑問に思いながらも龍麻は封筒に目をやる。「Dr.Faust」とあった。
 封筒に、キーホルダーについている磁石を当ててみる。ちょっとした癖だ。が、別に剃刀が仕込んであるわけでもないようだ。
 封筒を開け、中身を確認する。
「これはまた……」
 中にあったのは手紙だった。が、普通ではない。ワープロを基本に、新聞やチラシの活字を切り取ったものを繋ぎ合わせてある。テレビなどでよくある脅迫状の手口だ。
 どんなサイコさんだろうかなどと考えながら、目を通す。
 『親愛なる緋勇龍麻君へ――』と始まった手紙の内容は、自分が東京に来てから関わった事件に触れていた。そして、自分に会いたいとある。
(こんな胡散臭い手紙に従うわけがないだろうに)
 そう思いながらも読み進めるが、どうやら選択の余地はないようだった。
『ある人にも協力してもらいました。その人は君もよく知っている人です。彼女は、今、僕の手中にあります』
 人質がいるらしい。たしかにこれでは行かざるを得ない。
「誰が人質になってるのかな。葵さんと小蒔さんは時間的にあり得ないし、亜里沙がそう簡単に捕まるほど大人しいとも思えないし、舞子も場所的には無理があるし――」
 同封の地図を見ながら心当たりを挙げていき、一つの可能性に思い当たる。
 地図の場所は品川。自分の知り合いで、品川に縁のある者は一人だけだ。
 相手のやり口に怒りがこみ上げてくる。
 手にあった手紙を一瞬にして焼き尽くし、龍麻は指定の場所に向かった。



 品川区。廃屋前。
 何かの工場跡らしいその場所には、独特の空気が流れていた。わずかだが、赤い《氣》も視える。
 建物に近付くと、入口の錆び付いた扉に同じ封筒が貼り付けてある。差出人は同じだ。建物に入る入口の指定と、その後の行動が指示されている。人質の有無と安否が確認できない以上、従うしかない。指示通り右手のドアから中に入り、鍵を閉める。そこにはまた手紙が用意されていた。
「まったく、そろそろ読みやすい手紙にしてくれればいいのに」
 うんざりしながら手紙を見る。要約すれば、君が今まで戦って来れたのは仲間がいたからだ、人は一人では無力だ、ということが書かれていた。
(僕の事を調べたつもりらしいけど、何も分かっていないな)
 苦笑しつつ、気配を探る。最後の一文にこうあったからだ。『君の《力》を見せてください』と。
 ガタガタと物音が聞こえる。何かがいるのは間違いない。ガラスの割れる音が響くと同時に、その何かが姿を現した。
 どう見ても死体だった。ボロボロになった服を身につけ、体には奇妙な斑点が浮かんでいる。強烈な腐臭に顔をしかめる龍麻。
「「「「「「「「グオオォォォ!」」」」」」」」
 唸り声をあげて死人が龍麻に襲いかかってくる。
 右手を掲げ、《氣》を練る。死人の数は全部で八体。が、そんなものは問題ではない。
 右手に生まれる紅蓮の炎。それを死人に向けて一閃する。巫炎に飲まれ、燃え尽きていく死人数体。さらに炎《氣》を練り上げ、反対方向に放つ。残った死人も為す術なく炎に包まれ、灰燼に帰す。
「仲間がいたら、こういう無差別な攻撃もできない。一人だからこそ、できる戦い方もある。そうでしょう?」
「お見事――」
 戦いの最中に感じ取った気配の方に声をかけると、拍手をしつつ、一人の男が姿を見せた。二十代半ばに見えるの白衣の優男。
「ククク……初めまして。僕の手紙を受け取ってくれてありがとう。お気に召してくれたかい?」
「あれを気に入る人間なんているのかな。ただの脅迫状じゃないか」
「それは失礼。緋勇龍麻君」
 謝りはするものの、あくまで言葉だ。口調からは謝罪の気持ちなど微塵も感じられない。
「手荒な真似をして悪かった。君の《力》を、この目で見てみたくてね……女の子を預かっていると書いたのは嘘さ」
 龍麻は目の前にいる男を睨みつけた。だが、男は臆する事なく話を続ける。
「さっき、君が闘った生物も、僕の研究の一環でね。病院から手に入れた死体にちょっと手を加えたものなんだ」
 いつだったか、アン子が死体盗難の事件の事を話していたのを思い出す。犯人はこの男だったのだ。
「死体を生物と呼称するのは、変な感じだね。」
「失礼、つい癖でね。まあ、呼び方なんてどうでもいいさ。僕は死人――ゾンビと呼んでいるがね。遺伝子工学と西インドに伝わる秘法の賜さ」
 西インドという言葉を聞き、龍麻の脳裏にある言葉が浮かんだ。
「ところで君はブゥードゥーという言葉を知っているかい?」
「西インド諸島、ハイチ島で発生した宗教でしょ? 精霊信仰に近いものだったと思うけど、それ以上のことは詳しくは知らない」
「普通の人間がそれだけ知っていれば大したものさ。いいよ、君……凄くいいよ……」
 誉められても嬉しくない。が、男は上機嫌だ。そのまま自己紹介を始める。
「僕の名は死蝋影司。品川にある高校の教師をしている。君の活躍を知り、そして君の助けを――君の《力》を必要としている者さ。よろしく」
 素直にそれに答える気にはなれない。この男に気を許してはいけないと何かが訴えている。恐らく困惑した表情を浮かべていたのだろう。龍麻を見て死蝋と名乗った男はクククと笑う。
「そんな顔するなよ……僕と君は仲間なんだからさ」
「仲間?」
「そう。僕はね、君に協力したいと思っているんだよ。君の持つ超人的な《力》を、もっと有効かつ合理的に使っていく方法を考えてあげようと思っているんだ。ほら――君は、まだ高校生だろ? 受験や将来のことが忙しくて、そんな事考えてる暇もないだろ? だから僕の頭脳と人脈を活用して君の将来の手助けをしてあげようと思っているのさ。どうだい、いい話だろ?」
「興味ない。そんな手助けは不要だよ」
 きっぱりと龍麻は言い放つ。
「他人のあなたにそこまで心配してもらう必要はない。有効だか合理的だか知らないけど、そんな事を人に頼るつもりはないよ。自分の将来は自分で決める」
「そう即断する事もない。君は考えた事があるかい? 人は何処から来て何処へ行くのか……」
 何やら話の方向が変わってきた。この男、本当に電波の人なんじゃないだろうかと思わず心配してしまうが、死蝋はペラペラと話し続ける。
「もしかしたら、僕たちは、もっと別の進化の道を歩む事ができたんじゃないか……ってね。君が協力してくれれば、僕はその謎を解き明かす事ができる。君のその――強靱な肉体と揺るぎない精神力、そして超人的な《力》があれば。そうすれば、人は超人――いや、魔人ともいうべき存在に進化できるのさ。分かるかい?」
「悪いけど他を当たってくれる? いや、これ以上そんなくだらないことを考えるのも、さっきみたいなゾンビを造るのもやめるんだ」
 死蝋が言った魔人という言葉が気にはなったが、これ以上この男の戯れ言を聞くつもりはない。
「無理するなよ。君たちだけでこの東京が護れるとでも思っているのかい? 自分の力だけで、他の人間まで護れると思っているのはただの自己満足だよ。そのために君の仲間が命を落とす事だってあり得る……君は、その罪を贖う事ができるのかい?」
 多少、苛立ちが感じられる死蝋の言葉。周囲の空気も変化していた。目の前の男が放つ陰の《氣》によって。
 確かに死蝋の言うことも一部は間違っていない。人間一人の力には限界がある。必ずしも全てを護れるなどとは龍麻も思っていない。仲間の事にしてもそうだ。自分が指揮している以上、仲間が傷つき、倒れるのは自分の責任だろう。だが――
「代償を求められるのなら払うよ。仲間の指揮を引き受けた時からそれくらいの覚悟はできてる」
 いい加減、この茶番にもうんざりしてきた。無意識のうちに龍麻は自分の《氣》を解放していた。が、死蝋は一瞬怯んだものの、すぐに余裕を取り戻して言う。
「まあ、いい。この廃屋の地下に、僕の研究室がある。ついて来たまえ。僕の研究を見せてあげよう。そうすれば、そんな甘い事は言っていられなくなる」
 龍麻に背を向け、死蝋は奥へと歩いていく。このまま無視してしまいたいが、この男が陰の《氣》に魅入られている以上、放置するわけにはいかない。それに先程の死人にしても、あれで打ち止めとは限らない。
 あんなものを解き放つわけにはいかない。仕方なく龍麻は後を追った。



 翌週29日。3−C教室、放課後
「ひーちゃん、今日も来なかったね……」
「ええ……」
 小蒔と葵は龍麻の事を話していた。先週末から龍麻は欠席している。土、日を挟んで週が明けても登校してこない。
「家にも電話したが、誰も出ねぇしな」
「あ、京一。やっぱり連絡取れないの?」
「携帯も不通だ。あいつがこんなに休むなんて珍しい、っていうか初めてだな。なぁ、醍醐?」
「そうだな……しかも届け出はないのだろう?何事もなければいいが……」
 難しい表情の醍醐。醍醐には一つだけ気掛かりな事があった。凶津が言っていた鬼道衆とかいう組織の事だ。この事はまだ誰にも話していない。知っているのは自分と龍麻だけだ。
「何事も――って?」
「おいおい、あのひーちゃんだぜ? どんな連中が出てこようと傷一つ付けられねぇよ」
 不安げに尋ねる小蒔。京一は醍醐の心配を笑い飛ばす。
「だが、あの龍麻が何の連絡もなしに休むと思うか?」
「そりゃまあ、そうだがよ……」
「帰りに、龍麻の家に寄ってみるか。俺の思い過ごしかもしれんが、それならそれでいい」
「そうね……行ってみましょう」
 醍醐の提案に葵も同意する。
(何だか嫌な予感がする……龍麻くん……)
 龍麻の実力を知っているだけに、滅多なことは無いと考える葵。
 しかし、それに反して彼女の不安は次第に大きくなっていった。



 時間は少し遡る。25日、品川の廃屋。
「ここが僕の城さ。見たまえ」
 地下の扉を開き、死蝋は電気のスイッチを入れた。
 薄暗い地下室、そこには何やら機械が並び、何かの実験室のように見える。その奥には祭壇らしきものがあり、緑色の蛇の像が鎮座していた。室内には陰の《氣》が充満している。
(旧校舎じゃないけど……ここは気分が悪い)
 そんな龍麻に死蝋は一つの円筒状のガラスケースを見せた。液体で満たされ、その中で鼠が動き回っている。
「どうだい? 素晴らしいだろ? この鼠は水の中でもう五日も生き続けている。こっちは――」
 別の一角にあるガラスケースを指し
「こっちの二つ首がある犬は、別の犬の首を移植したんだ。それぞれの脳が感覚を別に持っていながら、分泌器官や内臓を共有している。ほら、こっちを見てごらんよ。この猿は一度死んでいるんだ。それを、僕がある細胞を移植して生き返らせた。何だと思う?」
 得意げに自分の研究とやらの成果を話す死蝋。
(何て事を……)
「ねぇ、緋勇龍麻君。この技術を人間に応用したらどうなると思う?」
 その言葉はしっかりと龍麻の耳に入った。驚いた表情を見せる龍麻に満足したのか、死蝋は冷たい笑みを浮かべた。
「水中で呼吸のできる人間。二つの脳を持つ人間。死はもう恐れるに足りない。新たなる進化の可能性を人間は知る事になる――素晴らしいとは思わないか?」
「狂ってる……」
 言葉を絞り出すように何とか答える。が、それを聞いても死蝋は気にしないようだ。
「まあ、いいさ。いずれ、君にも理解してもらえるだろう。君自身が身をもってね……」
 反射的に、龍麻は後ろへ跳び退いていた。進化の可能性だの《力》の有効利用だの言ってはいたが、結局は自分を実験材料にするつもりだったのだ。こうなったらもう戦うしかない。
「ククク……ようやく僕の研究も完成する」
 死蝋がどのような《力》を持っているのか分からない。油断なく死蝋を見据え、龍麻は臨戦態勢を取る。が――
「感謝してるよ……紗夜」
 死蝋の言葉に我が耳を疑う。が、その視線の先には確かに比良坂紗夜がいた。
「緋勇さん……」
 昨日別れた時と同じ、悲しそうな表情。名を呼びはしたが、それ以上の言葉は出てこない。
「比良坂さん……どうして……」
「……」
 問いかけるが返事はない。しかし、これまでの比良坂の行動が彼女の本意ではないことくらい分かる。彼女の表情は決して演技などではない。
「あの……緋勇さん、私――」
 しばらく無言が続く。そしてようやく比良坂が口を開いた。
 と、同時に龍麻の首筋に鋭い痛みが走る。
「な……!?」
 いつの間に近付いたのか、死蝋が背後に立っていた。その手には一本の針。
 体の自由が失われていく。その場に膝を着き、見上げるように死蝋を睨む。
「少し眠ってもらうよ、緋勇龍麻君」
「く……そうはさせ……」
「おやすみ……」
 急激に睡魔が襲ってくる。抵抗を試みるが無駄だった。
 自分の迂闊さを後悔しつつ、龍麻の意識は薄れていった。



 時は戻り、29日。放課後、真神学園正門前。
「あ、マリアセンセー」
 担任の姿を認め、小蒔が声をかけた。
「フフフ。みんな、今帰り?」
「はい……」
「今からみんなでひーちゃ……緋勇クンの家に行くんです」
「緋勇クンの家に?」
 頷く一同。一瞬表情が曇るマリア。
「そう、緋勇クンに会ったら、早く学校に出てくるように伝えて」
「わかりましたっ」
 それだけ言うと、マリアは立ち去った。
「やっぱりセンセーも心配してるんだね」
「そりゃ、担任だからな。当たり前だろ」
「だね。それじゃ、ひーちゃんの家に、しゅっぱーつ」
 高らかに小蒔が宣言し、これから龍麻の家に向かおうとしたその時――
「あの……こんにちは……」
「おー、紗夜ちゃん」
 真っ先に京一が気付き、声をかける。比良坂紗夜がそこにいた。
「あっ、どうもです」
「どうしたんだ、こんな所で? ひーちゃんならいないぜ?」
 先日龍麻と会っていたのを思い出し、また何か用だろうかと考え、そう言うが
「知ってます」
「知ってるって……誰に聞いたんだ?」
 問う京一には答えず、比良坂は言った。
「緋勇さんを救けてください」
 その言葉に顔を見合わせる四人。
「場所は品川区――」
「チョ、チョット待ってよ! ひーちゃんがどうかしたの!?」
 慌てて小蒔が制するが、比良坂は何も言わずにメモを渡す。そしてそのまま駆け出して姿を消した。
「あ! ……行っちゃったよ」
「龍麻くん……」
 葵の表情が暗くなる。先程から様子が変だったが、それに拍車が掛かった感じだ。
「とにかくこの場所に行ってみようぜ。それと、みんなを呼んだ方がいいかもな」
「そうだな。桜井、すまんが裏密を呼んできてくれ。京一、美里、俺達は手分けして電話だ」
「おう。それじゃ、俺は雨紋、醍醐は紫暮だ。美里、お前は藤咲と高見沢を。場所を教えて、品川で合流だ」
 比良坂の言葉の真偽を確かめるべく、京一達は行動を開始した。



「……っ!」
 電子音が龍麻の耳に響く。久しぶりに音を認識したような気がする。
 龍麻にとってはありがたかった。あんな夢から解放してくれたのだから。
「もしもし――あぁ、どうも。いつも研究に協力してくれて感謝していますよ」
 音が止まり、続いて男の声が聞こえた。ようやく意識がハッキリしてくる。しかし体の感覚はない。それでも何とか目を開くと、死蝋が電話で誰かと話しているのが見えた。
「あれはいい素材だ……心配しなくても、あなたの所に研究資料はお送りしますよ。いえいえ、共に人類の未来を憂いている者同士――これからも協力して行きましょう」
 話の内容から、どうやら死蝋の仲間のようなものが相手のようだ。ここで見たような狂った所業を行う者がまだいるということだ。
「幸い、我々には共通のスポンサーがいる事ですしね……それじゃ、また。学院長――」
 それを最後に電話は終わる。が、幾つかの情報は入手できた。
「また……あの人から電話?」
 比良坂の声が聞こえる。姿は見えなかったが、やがて死蝋の側に近付いてきた。
「どこへ行っていた?」
「ちょっと外へ……あっ!」
「お前は僕のものだ……」
 死蝋が比良坂を後ろから抱きすくめていた。笑みを浮かべている死蝋とは対照的に、比良坂の表情は何かに耐えるように歪んでいる。
「誰にも渡さない……お前のこの髪も、この指も、この唇も――全て僕のものだ……紗夜」
 比良坂は俯いたまま、無反応だ。気にせず死蝋は話を続ける。
「人間は脆い……すぐにあっけなく死んでしまう。だけど、全て悪いのは人間の脆弱な身体さ……強い魂を入れる強い《器》があれば人間は今以上に強くなれる……そうすれば愛する者を失う事もない……死を恐れる事もない――。ククク……まったくお前はいい素材を探して来てくれたよ……あの新宿の病院に、張り込ませていた甲斐があった」
 と言うことは、比良坂は死蝋の指示で動いていた事になる。桜ヶ丘で会ったのも、偶然ではなかったのだ。あの病院の特殊性を理解した上で、そこにいる能力者を手に入れようとして――龍麻がそこに現れた。見事に網に掛かったわけだ。
(このまま、ってわけにもいかないか)
 体を動かしてみる。が、やはり動かない。多分、あれから別の薬でも盛られたのだろう。
「どうやら、お前の王子様も目覚めたらしい……おはよう。お目覚めかい?」
 龍麻の動きに気付いた死蝋が声をかけてくる。
「こんなに早く、麻酔から覚めるとは思わなかったよ。その身体は、薬物に対する抵抗力も高いみたいだねぇ」
 比良坂を離し、面白そうに自分を見下す死蝋。実験動物を見るような目を龍麻に向ける。
「どうだい、気分は?」
「最悪の夢見だったよ……あの電話の音にだけは感謝してもいい……」
 答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。死蝋の表情が動いた。
「……驚いたな。目覚めただけでなく、もう話せるのか。まあ、いいさ。その拘束具はそう簡単に外れやしない。君の――その《力》を持ってしてもね……」
 そう言われて自分の今の状況に気付く。両手足は拘束具によって完全に動きを封じられている。更に、今自分が寝ているのは手術台の上のようだ。おまけに肌寒いと思ったら、上半身は裸だった。
 確かに簡単には外れそうにない。ここでいくら足掻いても、状況が変わるわけではないと判断し、今は身体の回復を待つ事にする。もっとも、回復するまで何もされない保証はどこにもないが。
「緋勇龍麻君。紗夜はねぇ、僕の命令で君を観察してきたのさ」
「観察?」
「そう。君の行動、性格、そしてその《力》――君が僕の研究の素材として相応しいかどうか――それだけを見るためにね」
「なるほど」
「驚かないんだね」
 意外そうな死蝋の反応に、龍麻は淡々と自分の意見を述べる。
「おかしいとは思っていたからね。出会う確率があまりにも高すぎる。それに、陰の《氣》を纏った女の子なんて、そういるものじゃない。まあ、目的までは分からなかったけど」
 そこまで言って、龍麻は比良坂の方を見る。その目に非難の色はない。彼女は何も悪くない、龍麻はそう思っている。
「もう少し早く相談に乗ってあげられたら良かったね。比良坂さん」
「緋勇さん……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
 今にも泣き出しそうな比良坂に、何を謝ることがあると死蝋が笑った。
「彼の身体は人類の未来のために、役立つんだよ? 感謝されこそすれ、恨まれる覚えはない」
 一方的な物言いに、身体が動くようになったらどうしてくれようかと考える龍麻。が、それも無駄に終わりそうだった。
「さて、少しお喋りが過ぎたようだ。そろそろ始めようか。紗夜、手術台のスイッチを入れてくれ――」
 そう言い、死蝋が比良坂に指示を出す。が、比良坂は動かない。怪訝な表情を浮かべる死蝋だったが、それ以上は何も言わず、自分でスイッチを入れる。
 機械の低い作動音が、地下室に響き始めた。


 その頃、地上には京一達が到着していた。
「この辺りか……」
「ああ、紗夜ちゃんからもらった地図だと、この辺りだな」
 まず目の前にある建物の中だろうな、と京一は廃屋を見上げた。旧校舎ではないが、何やら不穏な空気が流れている。
「ねぇ、罠じゃないのかなぁ?」
 そんな疑問を投げかけたのは小蒔だった。
「いくら何でもさ、おかしいよ」
「んなワケねぇだろ」
「だって――」
「まあ、用心しておくに越した事はないな」
「ちっ、小蒔も醍醐も疑り深いやつだぜ。まあ、何でひーちゃんの事を紗夜ちゃんが知ってたのかは分からねぇけどよ。なぁ、美里。お前はどう思う?」
 真神からから一言も発していない葵に、話を振る京一。躊躇いがちに葵は口を開いた。
「私は……彼女――比良坂さんは、今回の件の関係者だと思うの」
「おいおい、美里までそんな――」
「彼女には陰の《氣》が付いていた。でもそれは彼女のものではなかったわ。かと言って何か事件に巻き込まれている様子でもなかった。そうすると後は……」
「陰の《氣》? 何だよそりゃ? 初耳だぜ」
「杉並の事件の時、中央公園で彼女に会ったでしょう? あの時に私は気付いたの。龍麻くんはもう少し前から気付いてたみたいだけど、今はそれを調べる時じゃないって。みんなには黙っておいてって言われたから」
 そう言われてみれば心当たりがある。葵が比良坂を難しい顔をして見ていた事があった。あの時はヤキモチかと思ったが、そういう理由だったらしい。
「多分、比良坂さんに心境の変化があったんだと思う。だから私達に助けを――」
「あーもー! こんな所で話してたって、何の解決にもならないだろ!?」
 そう言ったのは藤咲だ。見ると、他の者達も呆れた顔をして立っている。
「もし龍麻くんが危ないなら、グズグズしてる暇はないよ! 考える前に行動!」
「う、うむ……そ、そうだな」
「お、おう。直接聞けば分かることだしな。行くか」
 藤咲に気圧されて、京一と醍醐は建物へ入っていった。それぞれの武器を確認し、雨紋達もそれに続く。
「心配かい、龍麻くんの事?」
 自分の鞭――夜刀を確認して、藤咲は葵に声をかける。
「大丈夫だって。あの強い龍麻くんがそう簡単にどうにかなるワケないじゃない」
「藤咲さん……ええ、それは分かっているの。でも……」
「まったく、葵も心配性だね」
 つい最近、ようやく藤咲は葵を名で呼ぶようになった。自分のせいで酷い目に遭ったというのに、それを気にすることなく接してくれる葵。なのに勝手にこだわって壁をつくっていた自分が馬鹿らしく思えたのだ。
「しっかりしなよ。あんたが信じてやらないで、どうするのさ?」
 そういうことで、藤咲も柄でもないことはやめた。ただのお嬢様かと思っていたが、意外と芯の強い人間だと気付いてからは、話をする事も多くなっている。とは言っても、龍麻の絡みでからかうことが多いのも事実だが。
「そうね、悪い事ばかり考えていたら駄目よね」
「そうそう。あんまり暗い顔してると龍麻くんに嫌われるよ」
「藤咲さん……!」
 抗議する葵に、オホホと口元を押さえて笑う。これだけの元気があれば問題ないだろう。
「二人とも何をやってるんだ? 何か地下から音がする。降りてみるぞ」
 そんな二人を先に進んでいた醍醐が呼ぶ。お互い顔を見合わせ頷くと、葵と藤咲は後を追った。


「ん……? 何か音が聞こえた気がしたが……」
 死蝋が天井を見上げる。
(来てくれた……)
 恐らく京一達だろう。自分を信じてくれた事にほっとする比良坂。そんな様子には気付かず、死蝋はクククと笑う。
「まあ、侵入者だとしても、また捕まえて実験材料にするまでだ。紗夜、死人達の部屋の扉を開けてくれ。侵入者を始末させるには丁度いい――」
 しかし、比良坂は動かなかった。
「どうした、紗夜。早く扉を開けてくれ」
「もう……止めて」
「何を言い出すかと思えば、またそんな事を……」
 溜息をつき、再び比良坂を促す。もちろん聞くはずもなく、彼女は手術台の方へ歩いて行った。少しでも時間を稼がなければならないのだ。
「緋勇さん――わたし、いつもあなたを見ていました……」
 側まで来ると、紗夜は龍麻の頬に触れる。そして、死蝋に気付かれないように口に何かを押し込んだ。
「あなたの笑顔、あなたの強さ、あなたの優しさ――。始めはあなたに近付くためだったけど、いつからか、そんなあなたに――」
 言葉を切り、悲しそうに一度死蝋を見ると、再び龍麻に向き直る。
「人は復讐の心だけでは生きられない……人は一生をそのためだけに捧げる事はできない……そう……思い始めたんです。わたし……間違っているでしょうか?」
 真剣な眼差しを向ける比良坂に、龍麻は首を振って見せた。
「いや、間違ってない。復讐は何も生まない――それに気付いた比良坂さんは強いよ」
「緋勇さん……今、拘束具を外しますね」
 龍麻の拘束具に手を伸ばす。が、その動きは途中で止まった。
 死蝋が可笑しそうに笑っている。それ以上に、彼からは強い《氣》が放たれていた。それに気圧され、動けない比良坂。
「ククク……そうか、そういう事か。道理で最近、様子がおかしいと思っていたんだ」
「もう……終わりにしましょう。兄さん……」
 以前拾った写真に写った兄妹――妹の方が何となく比良坂に似ていると気付いてから、まさかとは思っていたが、実際本人からその事実を聞くと、正直悲しくなる。
 あれだけ仲の良さそうだった兄妹が、今ではこうして対立しているのだから。直接血が繋がっていないとは言え、自分によくしてくれる義姉を持つ身としては複雑な気分だ。
「わたしは兄さんのものじゃないわ。私は生きてるの。自分で考え、自分で行動できる! 兄さんが創った怪物達と一緒にしないで! 病院から死体を盗んだり、人を攫ったり、こんな酷い実験をしたり……こんな事をして何になるって言うの!? 兄さんはあいつらに騙されているのよ! いいように利用されているだけだわ!」
 今まで溜まっていたものを一気に吐き出す。その様子に一瞬戸惑った死蝋だったが、龍麻に狂気の宿った目を向ける。
「緋勇龍麻……お前がいなければ紗夜は僕のものだった」
「兄さん!?」
「ククク……簡単な事じゃないか。緋勇龍麻、お前が死ねばいいんだ。それで紗夜は僕の元へ帰って来る」
 明確な殺意が伝わってくる。どうやら、自分に対する実験サンプルとしての興味はどこかに行ってしまったようだ。
(それはそれでありがたいけど……くそっ、まだか……!)
「腐童――」
 死蝋の声に応え、近くの扉から巨大な影が姿を見せる。
 緑色の肌、光を失った目。醍醐や紫暮よりも大きな身体を持つ異形。今までの死人と違うのは、身体が腐ってない事くらいだ。確かにあの筋肉から繰り出されるパワーを考えれば、腐敗による能力低下は避けたいだろう。
「腐童……その男を殺せ」
 命令に従い、腐童と呼ばれたそれが龍麻に近付く。
(くっ……! 早く効いてくれ……!)
 先程、比良坂が自分の口に押し込んだ物――犀角丸。麻痺を治す丸薬だが、本来数粒を服用する。一粒では全く効き目が無いわけではなかったが、完全回復とは言い難い。
 このままでは為す術なくこの異形に叩き潰されてしまう。
(駄目だ、間に合わない……!)
 腐童が腕を振り上げる。
 バン!
「ここかっ!?」
 入口の扉が派手な音を立てて開く。飛び込んでくる京一達。
 その彼らが見たものは、手術台に拘束されている龍麻、奥にいる白衣の男、死蝋。そして異形の怪物――腐童から龍麻を護ろうとして剛腕に殴り飛ばされた比良坂だった。



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