「あ〜っ! 醍醐くんとひーちゃん見ぃ〜っけ!」
 嬉しそうな声が龍麻達の耳に飛び込んできた。振り向くと、天然看護婦(見習い)がこちらへ来るのが見える。
「高見沢じゃないか。珍しいな、こんな所で?」
「院長先生が、みんなはこの辺にいるはずだから行ってこいって〜」
 醍醐の問いにそう答え、高見沢は龍麻を見る。
「ひーちゃん元気ぃ〜?」
「うん、元気」
「ホントに〜? 何か様子がヘンだよぉ〜?」
 意外に鋭い高見沢。そんなことないよ、と龍麻は手を振った。
「それならいいけどぉ。ねぇねぇ、今度どっかに遊びに連れてってよぉ〜。また亜里沙ちゃん達と遊ぼ〜」
 先日、連れ回されたことを思い出し、苦笑いする龍麻。そこへ醍醐が助け船を出した。
「それより四人の容態はどうなんだ? 悪化……したのか?」
「ううん。その反対〜。さっきね、一人の意識が戻ったの〜」
「そうか! それはよかったが、でも、なぜ急に?」
「石化自体はすこうしずつ進んでるんだけどね、前よりゆっくりになったの。院長先生が言うにはね、一度に多人数を石化させるには、ある程度の限界があるんじゃないかって〜」
 その言葉の意味することは一つ。今まさに誰かが石化されているということだ。
「それで! 何か犯人の特徴は!? 襲われた奴は、何か見たんじゃないのか!?」
 凄い剣幕の醍醐だが、高見沢はいつものペースを崩さない。
「飾りがいっぱい付いた黒い服のつるつるのお兄さんでぇ〜、左の腕に大きなイレズミがあったって〜」
 その言葉に醍醐はやはりそうなのか、と呟く。前から疑問に思っていたのだが、どうやら醍醐に犯人の心当たりがあるのは確実なようだ。
「龍麻、中央公園へ行くぞ。話はそれからだ」
 そう言って醍醐が歩いていく。
「うん。あ、高見沢さんはどうする?」
「もぉ〜。この間、舞子って呼んでって言ったでしょぉ〜?」
「そうだったね。で、舞子はどうする?」
「もちろん行く〜」
 高見沢を加え、龍麻は醍醐を追った。



 新宿中央公園。
 到着したが京一と葵の姿はない。
「俺があの時、気付いていれば桜井はこんな目には……全てが俺のせいかもしれない」
「それを言うなら僕も同罪だよ。立て得る策を講じなかったのは僕だし。女性陣を一人にするのは危険だって分かってたのに、どこかで油断してた」
「いや、お前はよくやってるよ。お前に頼り切っている俺達にも非はある」
 妖刀騒ぎ以来、醍醐達は龍麻の指示に従って行動している。何か行動を起こす時にも龍麻に伺いを立てるのが現状だ。それ故に龍麻が何か言わない限り、行動しない節がある。
「とにかく、二人が戻るのを待ってから――」
「やっ、やめて下さい。人を呼びますよっ!」
 公園内に響く少女の悲鳴。こんな時に、といった表情の醍醐。
「行くぞ龍麻!」
「了解」
 駆けつけてみると、ガラの悪い男が二人、一人の少女に絡んでいる。
「人を呼びますよ、だってさ。カワイイねぇ」
「いいからさあ、俺達と遊ぼうよ」
(聞き覚えのある声だと思ったら、やっぱり彼女か。これで四回目、だな)
 絡まれている少女は、何度か会った事がある比良坂紗夜だった。
「貴様ら――そこで何をしている!」
 醍醐の声が龍麻の思考を中断させる。声に含まれる怒気がいつにもなく大きいような気もするが、男達はそんなことには気付いていないようだ。
「なんだてめぇはっ!?」
「何って見りゃあ分かんだろ? ナンパだよナンパ」
「あっ――緋勇さん!」
 説得力のない言葉を吐く男達。比良坂は龍麻の姿を認め、嬉しそうな声を出した。
「何がナンパだ。この馬鹿! どう見たって嫌がってんじゃねぇか!」
 聞き覚えのある別の声が男達を威圧する。確認するまでもなく、京一の声だ。
「京一、葵さん」
「よう、遅くなったな。おいお前ら、その娘を離して失せな」
「そういう事だ」
「誰だって、怪我なんてしたくないよね」
 男子三人が男達にゆっくりと近付く。さすがに勝てないと判断したのか男達は比良坂を離して逃げ出そうとする。それを醍醐が呼び止めた。
「一つだけ教えろ。貴様ら――杉並の者か?」
 醍醐の問いに二人は足を止めて顔を見合わせ、
「ああ、そうよ。俺達は杉並の弦城高校の――おい」
「お前、杉並桐生中の醍醐雄矢か?」
 幾分余裕を取り戻し、男達が尋ねてくる。醍醐が答えると、男達はいやらしい笑みを浮かべてこう言った。
「凶津さんがお前を待ってるぜ」
「……やはり出所してたのか」
 こわばった表情の醍醐。出所、という言葉を聞いて皆の表情も動く。
「ああ、女も預かってる。早く行かねぇとヤバイかもなぁ……」
「場所はどこだ!? そいつは一体どこにいんだよっ!?」
「俺達は知らねぇよ。ただ、醍醐なら分かるはずだって凶津さんが言ってたぜ」
 それだけ言うと男達は走って逃げ出した。捕まえて色々と聞き出そうかとも思ったが、今更大した情報も得られないだろう。
「あ、あの……」
 気が付くと、比良坂がすぐ側にいた。
「あっ、ありがとう」
「いや、気にしなくていいよ。大丈夫だった?」
「皆さんのおかげです。本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げる比良坂。そこへ京一が声をかける。
「紗夜ちゃん、だったよな。確か家は品川の方だろ? 今日はどうしたんだい、こんな所で?」
「病院へ……お友達のお見舞いに……」
「そっか、気を付けて行きなよ。最近は新宿も物騒だからな」
「はい。あの、緋勇さん」
「え?」
「また会えて嬉しいです。神様の偶然ってあるんですね」
 比良坂の口から出た言葉に、京一が口笛を吹き、高見沢が面白そうな視線を向ける。葵は何故か難しい表情をしていた。当の龍麻はどう答えていいのか迷っている。
「また……こんな風に会いたいな」
「こら、自分が危ない目に遭ったのに、そんなことを望んじゃ駄目だよ」
「えへへ、そうですね」
 こつん、と比良坂のおでこを叩く龍麻。照れたように笑う比良坂。
 そして、もう行きますと言って去っていった。
「あの人――比良坂さんって……」
「ん? どうかしたのか、美里?」
 相変わらず難しい顔をしている葵に京一が尋ねる。
「う、ううん何でもないの……」
(ははぁん、なるほど、ね。ヤキモチか?)
 そんなことを考え、それ以上は言及しない京一。
「とにかく、みんなで杉並へ向かおうぜ」
「ああ……行こう杉並へ――」
 歩き出す醍醐と京一。高見沢がその後ろを付いて行く。
「葵さん、どうしたの?」
「え? な、何が?」
 何故か口ごもる葵に龍麻は一言。
「視えたんだね」
 その言葉に驚くが、葵は無言で頷く。
「僕も気になるけど、今はそれを調べるわけにはいかないから。まずは小蒔さんの方を先に片付けよう」
「そうね。心配かけてごめんなさい」
「いや、気にしなくていいよ。それとこの事は京一達には話さない方がいい。僕と葵さんだけの秘密ってことで」
「分かったわ」
 そこまで話して二人は京一達を追った。
 二人に視えたもの。それは比良坂が纏った、以前よりも大きくなっている何者かの陰の《氣》だった。



「俺が奴に――凶津煉児に会ったのは中学一年の頃だった」
 杉並へ向かう道中で、醍醐は過去の出来事を語り始めた。
「あいつと俺は、五年前の春――杉並にある同じ中学に入学した。その頃の俺は――ただ自分がどれだけ強いのかを試したかった。自分にどれだけの強さがあるのかを知りたかった――」
 口を挟む者はなく、黙って醍醐の話を聞いている。
 意外だったのは、醍醐が昔は不良と呼ばれる存在であったことだ。いくら真神の総番と呼ばれていたといっても、とてもじゃないが今の姿からは想像できない。
 話――告白は続く。凶津との出会い、つるむようになった事、変わっていく自分の内面、それとは対照的に変わることなく暴走する凶津、それを止められなかった自分。そして凶津に出た逮捕状――実の父親に対する殺人未遂容疑。
「そして俺は奴を見つけた。血塗れた手と、泣きすぎて腫れた目――俺が見たのは……紛れもなく、かつて友だった男の変わり果てた姿だった。奴は俺に言ったよ。『たすけてくれ』とな。だが、俺は奴に自首を勧めた」
 辛そうな表情の醍醐。これ以上は聞かない方がいいのかも知れない。だが、醍醐が自分の意志で話す以上、龍麻達には聞く義務がある。
「俺には、奴と勝負することしか思いつかなかった。結果は俺の勝ち――騒ぎを聞きつけた誰かが通報したんだろう、その頃には警察が周りを取り囲んでいた。警察に連れて行かれる間、奴は一度も俺を見なかった。まるで……魂の抜け殻のような目。当然だ、かつて友と呼んだはずの男に裏切られたんだからな」
 そこから醍醐はしばらく無言だった。周りの者も、かける言葉が見つからないのか何も言わない。高見沢に至っては、もらい泣きをしている。
「龍麻、お前はこんな俺を軽蔑するか?」
 悲しみと苦悩の入り混じった目で醍醐は龍麻に問いかける。
 あの時――新宿駅前での問い。
『友と呼べる存在はいるか?』
『友を裏切ってしまったことはあるか?』
 恐らくは紫暮から話を聞いた時点で凶津が犯人だと気付いていたのだろう。そして醍醐は今でも凶津を気に懸けている。だからこそ、どうすれば今度こそ凶津を救ってやれるのか、その答えを無意識に、龍麻に求めたのだ。
「雄矢は今でも凶津を友達だと思ってるんでしょ?」
「ん、ああ」
「結果がどうであれ、雄矢のした事は間違ってないと思う。決して裏切ってなんかいない。正しい事をした者を軽蔑するような人間じゃないつもりだよ。もしも後悔してるなら、今度こそ救ってあげなきゃ。雄矢自身の手でね」
「……そうだな。そんな風に言われるとは思ってもみなかったよ。ありがとう……」
「それで、これからどうするんだ? 杉並っても広いぜ?」
 京一が醍醐に問う。
「心当たりの場所がある。そこへ行こう」



 連れて来られた先は、杉並区のとある工事現場だった。
「で、その凶津って奴は本当にここにいるのかよ、醍醐?」
「ああ、俺になら分かる場所、奴がそう言ったのならば、俺にはここしか思いつかん」
「ここは……一体何があった場所なの?」
「俺達がまだ中学生だった頃――ここには取り壊し予定の古い雑居ビルがあったんだ。ここは俺達の溜まり場で、何かの時の落ち合い場所で――」
 葵にそこまで言って、一度言葉を切る。懐かしそうに周りを見て、再び口を開く。
「奴と最後に拳を交えた場所だ」
「なるほど、な。しかし中学の頃、ってまだ建物が残ってるのが意外だな」
「さて、すまないがみんな――ここからは俺一人で行かせてくれないか?」
「却下」
 即座に反対する龍麻。
「龍麻……俺はお前達まで巻き添えにしたくは――」
「凶津と決着をつけるのは雄矢の役目だよ。でも、向こうも一人とは限らない。深く考えることはないよ。僕達は露払いさ」
「いや、しかしだな……」
 ごすっ
「い、いきなり何をする京一!?」
 刀の入った袋で頭を小突かれ、非難の声を上げる醍醐。一方加害者の京一は涼しい顔だ。
「醍醐、お前何か勘違いしてねぇか?」
「?」
「お前はここへ何をしに来た? 大昔の感傷に浸るためか? それとも過去にケリをつけるためか? そうじゃねぇだろ?」
 不敵に笑う京一。そう言われては醍醐も反論できない。
「俺達の目的は何だ?」
「桜井を助けることだ」
「それが分かってるならくだらねぇ事言うな。小蒔は俺達の大切な仲間だ。もちろんお前もだぞ。そんなお前を一人で行かせられるわけねぇだろ」
 それだけ言うと京一は顔を背けた。照れているらしい。まあ、確かにらしくないセリフだが。
「そういう事。それに増援も到着したしね」
「よう、龍麻サン」
「元気にしてる?」
「雨紋に藤咲? どうしてお前達がここに!?」
 突然現れた雨紋と藤咲に驚く醍醐。あまりの驚きように心外だと言わんばかりの二人。
「どうして、はないんじゃない? 一応、あたしも仲間でしょ?」
「そうだぜ。人手がいるだろうと思ったからわざわざ来たのによ」
「いや、そうじゃなくてどうしてこの場所が――」
「ああ、そんな事? ミサから聞いたのよ。この辺りだ、って」
「後で紫暮って奴と合流するから、って言ってたぜ」
 納得し、醍醐は龍麻を見る。本人は別に気にした風でもなく澄ました顔だ。
(敵わないな、龍麻には)
 龍麻の手際の良さに脱帽する醍醐であった。
「さて、とにかく行こうぜ。凶津をぶちのめして小蒔を助ける」
 袋から刀――旧校舎で入手した髭切丸――を鞘ごと出して、京一は廃屋へ歩を進める。
「よし、それじゃ行こう。総員戦闘準備」
 龍麻の言葉にそれぞれの武器を確認し、皆は京一の後に続いた。
 廃ビル内は薄暗く、人の姿はない。
「誰もいないみたいね」
 一通り見回して葵が呟くが、その声は暗い。
(何だか嫌な《氣》が満ちてる……)
 他の仲間よりそういったものに敏感なせいか、嫌でも不安になる。それでも
「ここにいるのは確かみたいだけどね」
 龍麻が側にいるとそれだけで不安は薄らぐ。
「そうね。龍麻くん、足下に気を付けてね。色々と散らばっているみたいだから足元を見て歩かないと――」
「きゃん!?」
 後方の声に振り向くと、高見沢が何かに足を取られて転んだところだった。
「痛い〜。すりむいた〜」
「何やってんのよ舞子」
 転んだ高見沢に手を貸す藤咲。それを見て男連中が溜息をつく。
「高見沢さん、大丈夫?」
 高見沢に近づく葵だったが、踏み出した足の先には空き缶があった。
「きゃっ!?」
「うわっ!」
 ひっくり返りそうになった葵を側にいた龍麻が抱き止める。
「自分で言っておいてそれはないんじゃないかな?」
「ご、ごめんなさい」
「いいな〜」
 そんな場違いな声が二人の耳に届く。見ると、二人以外の視線がこちらに集中していた。
「わたしもひーちゃんに助けられたかったな〜」
「無理言うんじゃないよ舞子。あれだけ離れてたらいくら緋勇くんでも何もできないって。で、いつまでくっついてるの、お二人さん?」
 羨ましそうに葵を見る高見沢。藤咲は意地悪い笑みを浮かべて龍麻と葵を見る。明らかに状況を楽しんでいる。慌てて離れる二人。
「あら、もういいの?」
「あのねぇ亜里沙。人をからかって楽しい?」
「ええ、特にあなた達二人は」
 きっぱりと断言し、笑う藤咲。そういえばこの間も散々からかわれた。
「おい、龍麻。お前、いつの間にこの二人と仲良くなったんだ?」
 京一が藤咲と高見沢を指して言う。
「何が?」
「だって、名前呼び捨てで――」
「ああ、さん付けで呼ばれるのなんてガラじゃないからね。名前で呼び捨てにしろって以前言ったのさ」
「ふーん。それにしてもひーちゃんねぇ」
 にやにや笑いながら龍麻を見る京一。
「よし、そんじゃ俺もこれからそう呼ぼう」
「……好きにして」
 戦う前から疲れる龍麻だった。


 周囲を警戒しながら奥へと進む。
 見る限りでは誰もいないが、龍麻ははっきりと人の気配を捕らえていた。
「しかしどこに隠れてやがンだ? 凶津って奴はよ?」
 雨紋が苛立たしげに足下の木片を蹴り飛ばす。
「少しは落ち着きなよ。焦ったってしょうがないじゃないか」
 諭すような口調の藤咲に感心する龍麻。
(これで格好さえ普通なら説得力も増すのに)
 もちろん口に出すはずもなく、心の中に留める。
「どうせ向こうから――って、何アレ?」
 雨紋が蹴り飛ばした木片を目で追っていた藤咲の言葉に、皆がそちらを向き――
 全員が言葉を失った。
 そこにあったのは無数の石像。年齢は統一されていないが、それでも若い女性ばかりだ。その全ての表情が、恐怖の余り歪んでいる。
「な、なンだあこりゃ!?」
「悪趣味だね……」
「これってぇ〜」
 真神組以外の三人が口々に漏らす。あらためて言うまでもないが
「全員、石化された人間だね」
 その全ての石像には赤い《氣》が絡みついていた。そして石像自体に宿った普通の《氣》――まだ息はあるようだ。
 口調は平静そのものだが、龍麻の《氣》は口以上にものを言っていた。
 それに気付いた京一と葵が龍麻の肩に手を置く。以前龍麻の義姉が口にした事を思い出したからだ。
『絶対相手にせずに逃げて』
 今ここで《暴走》されたら大変なことになる。
「大丈夫、兆候はないから」
 そんな二人を安心させるように微笑む龍麻。その様子に二人は安堵の表情を浮かべた。
 そこへ――
「クックック……よく来たな」
「この声は凶津か!?」
 声に醍醐がいち早く反応した。
「久しぶりだなぁ、醍醐。会いたかったぜ」
 声の主が姿を現す。
 黒を基調とした服装、黒い手袋、派手な装飾、スキンヘッドに左腕の刺青、顔に施した朱のペイント。
「随分……変わったな、凶津」
「変わった、ね」
 醍醐の言葉に、低い声で凶津と呼ばれた男は笑う。
「俺は変わっちゃいねぇよ。俺が変わったとすればそれは――お前に裏切られたあの時からだ」
 憎しみの込められたその口調に醍醐の体が震える。
「裏切っただなんてそんな! 醍醐くんはあなたの事を……」
「いいんだ、美里。結果だけ見れば、そう思われても仕方がない」
 何か言おうとする葵を醍醐は止めた。それを見て、凶津の顔が醜く歪む。
「それだ。その偽善者ぶった態度の影で、俺が一体どれだけ惨めな思いをしたか――お前には一生分からねぇだろうよ」
 凶津の陰の《氣》が膨らんでいく。怒り、憎しみ、そして――
「桜井はどうした?」
 それには答えず問う醍醐。凶津は一瞬戸惑うが、すぐに面白そうに笑い出す。
「安心しろよ。本当は殺っちまおうかと思ったんだが、それじゃ芸がないからな。生きてるぜ、まだ、な」
 まだ、の部分を強調する凶津。そして近くにある、何かに被せた布を取り払う。
「――!」
 その下にあったのは紛れもなく小蒔だった。ただし、石化している。そして、凶津の言う通り、彼女の《氣》は消えていない。が、時間の問題だろう。
「どうだ、いい出来だろ? まあ、強いて言えばこのツラが気に入らねぇがな。この女、泣きも叫きもしないんだぜ」
 石になった小蒔を抱きすくめながら可笑しそうに笑う凶津。
「凶津、貴様!」
 醍醐の《氣》が一気に膨れ上がった。今まで見たことのない怒りの《氣》に周りが戸惑うが、その怒りを向けられている凶津は平然としている。
「お前のその顔が見たかったんだ。来いよ醍醐、表へ出ろ……二年前のケリをつけようじゃねぇか」
 言いつつ凶津は外に出る。皆に確認できるほどの赤い《氣》を纏って。
 その後を追い、外に出る龍麻達。ドラム缶や木材が置いてある、いかにも工事現場といったそこには、十人ほどのごろつきがたむろしていた。手には木刀やナイフを持っている。凶津の手下といったところか。
「殺れ」
 凶津のその一言で、手下達が一斉に動いた。

「さーて、と。どう動くよひーちゃん?」
「そうだね、まずは様子見かな」
 今にも突っ込んで行きそうな醍醐に、龍麻は声をかける。
「凶津を斃すつもりなら手を貸す。でも、救うつもりなら僕達は一切手を出さない。どっちにする?」
 その言葉に醍醐の《氣》が変化した。確かに闘気はそのままだが、怒りは消えている。
 どちらにせよ、凶津の相手は醍醐がするべきだ。複数で一人を叩くのは醍醐が納得しないだろうし、救うにしても他の者では無理だろう。
「すまない。他は任せる」
 それだけ言って、醍醐は資材のある方を見る。手下を無視して凶津の下へ向かおうというのだ。それならば、龍麻はそれを全力で援護すればいい。
「さて、それじゃ始めようか。ねぇ裏密さん、紫暮?」
「うふふふ〜」
「遅くなったな」
 後ろからやって来た《氣》にそう言うと、思った通りの人物が現れた。これでこちらは準備が整った。
「先陣は右翼が京一、左翼が雷人、中央は紫暮に任せる。亜里沙は中距離で援護、葵さんと舞子は後方支援。裏密さんは――何ができるのかな?」
 一通り指示を出しかけて、ふと気付く。
(考えてみれば彼女の実力って何も知らなかったな)
「うふふふ〜」
 不気味に笑い、裏密は何やら取り出した。
「まばゆい光の粉よ〜」
 それを向かってくる敵の一人に投げつける。その「何か」は強烈な光を放ち手下を包み込んだ。光が消えるとそこには男が倒れている。
「裏密さんは、後方で援護ね」
 原理はともかく弓と同じような扱いでいいだろうと判断し、龍麻はそう指示を出した。
「よっしゃあ!」
「いくぜっ!」
 京一と雨紋が走る。目の前に現れた木刀を持った男を、それぞれ一撃で打ち倒した。
「なめるなっ!」
 ドラム缶の上にいた男がこちらへナイフを投げるべく構えを取る。そこへ
「甘いんだよっ!」
 藤咲の鞭が男の腕に絡みついた。そのまま引きずり下ろし、バランスを崩したところで、京一の刀(もちろん峰打ちだ)が一閃――男はあっさりと地に伏した。
「サンキュ藤咲」
「ナイスフォロー」
 そんな言葉を交わしつつ、二人は次の相手を捜す。
「んなろぉっ!」
 木刀を携えた男が正面から紫暮に襲いかかった。それを軽く後ろへ下がって避ける紫暮。
「はああぁぁぁっ!」
 気合いの声と共に、紫暮が二人に分かれた。驚愕の表情を浮かべる男に、それぞれの紫暮が拳を繰り出す。打ち倒すと同時に再び一人に戻る紫暮。実戦では利用できない――つまりは持続しないということだったのだろうが、攻撃の瞬間だけ二重存在を出現させている。うまい戦い方だ。
「っせいっ!」
 雨紋の攻撃で、男が一人、後衛に転がってくる。しかし倒したわけではなく、まだ動けそうだ。
「しまった!」
 舌打ちし、そちらへ急ぐ雨紋。しかし心配するだけ無駄だった。
 男は後方――高見沢と裏密の間辺りに転がっている。それを見て裏密のビン底メガネが妖しく光った。
「うふふふ〜」
 裏密の《氣》が大きくなる。と同時に高見沢の《氣》も膨れ上がる。本人は一瞬不思議そうな顔をしたがすぐにいつもの顔に戻る。
(おや、方陣技かな?)
 気楽にそんなことを考える龍麻。正直なところ意外な収穫だ。
「コックリさ〜ん、コックリさ〜ん」
 不気味な声が工事現場に響く。
「闇は光に、光は影に〜」
 続けて高見沢も間延びした詠唱を始めた。気のせいか周囲の気温が下がったような気がする。二人の《氣》の上昇と共に、妖しげな空気が満ちてゆく。二人の足下にはいつの間にやら光に描かれた魔法陣が浮かび上がった。
「「影は巡りし輪の中へ〜。呪言降霊陣〜」」
「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」
 そして発動。魔法陣から無数の霊――それも悪霊と分類されるべき凶悪な霊が飛び出し、男を飲み込む。全ての霊が消え去ったその場には、髪を真っ白にして何やら呟いている男が残るのみ。どうやら「向こう側」へ行ってしまったらしい。
「醍醐がいなくて良かったな」
 そんな京一の声が聞こえてくる。こちらは圧倒的に龍麻達が優勢だった。

「来たな」
 醍醐が一人で現れたのを見ても、凶津は驚かなかった。
「まあ、お前の事だ。来るとは思ってたがな」
「凶津」
 距離を置いて対峙する二人。しばらくの間、沈黙が流れる。
「どうしてもやるのか?」
 先に沈黙を破ったのは醍醐だった。
「石にした人達を、素直に元に戻してくれないか?」
「何を今更」
「俺は……できることならお前とは戦いたくない」
 今、醍醐の心の中には二つの思いがある。小蒔を、石にされた人を助けたいという思いと、友としての凶津を取り戻したいという思い。
 怒りに任せて凶津を斃したとしても、結局二年前と変わらない。
「戦いたくない、か。本当に変わったな、醍醐。昔のお前なら敵に情けなんてかけなかっただろう?」
「そうかもしれないな。だが……お前が俺のことをどう思おうと、おれはお前を――」
「黙れ! それ以上言うな! そんな目で俺を見るんじゃねぇ!」
 苛立たしげに叫ぶ凶津。それに伴い膨れ上がる《氣》。が、明らかにその《氣》は乱れている。
「お前が何を言おうが、俺はこの手で――この邪手の《力》でお前を殺す!」
「凶津……ならば、もう何も言わない。この手でお前を倒し、桜井達を救い、そして今度こそお前も救ってみせる!」
 凶津の言葉に答える醍醐。凶津が今、何を求めているのか――分かったような気がした。ならばもう迷うことはない。
「さあ、始めようじゃねぇか! あの時の続きを!」


「さて、醍醐の方はどうなったんだ?」
 手下の最後の一人を叩きのめして、京一は資材の向こうへと目をやる。もちろんその向こうの様子が見えるわけではないのだが。
「さあ、な。まあ、あの男の事だから大丈夫だろう」
 腕組みなどして紫暮がそれに答える。
「そうだな。あっちは醍醐と――ひーちゃんに任せるか」
 大きな《氣》の動きは既にない。決着自体はついているのだろう。ならば、自分達がすることはもうない。
「とりあえず、小蒔がどうなったかだな。戻っとくか」
 髭切丸を鞘に納め、京一は廃屋へと歩いていった。

 そんな話を京一達がしている頃。
「あの日と同じ、か……」
 戦い自体はほぼ互角だったと言える。しかし、さすがの凶津も、醍醐が石になった足で蹴りを放つなどとは思わなかったのだろう。まともにそれを食らい、壁に寄り掛かって座り込んだまま苦しそうに声を出す凶津。
「何故、一気に俺を石にしなかった? そうすることもできたはずだ」
「知るかよ。結局俺も甘かったって事だろ」
 醍醐の問いに苦笑する。凶津からはもう陰の《氣》は感じられない。醍醐と拳を交え、ふっきれたのだろうか。
「で、そっちのお前は、何か気になる事があるみてぇだな?」
「なぜ、こんな事ができたの? 君の《力》がいつ覚醒したかは知らないけれど、あまりにも手際が良すぎる」
「なるほど……頭は回るみたいだな」
 龍麻の問いにそう言って、体を起こす凶津。
 凶津は今の醍醐達の状況を知っていた。《力》を持っている事も、真神と鎧扇寺の空手部の事も。塀の向こうにいた凶津がそれらを知っているのは不自然だ。
「俺は――鬼になれるはずだった」
 唐突な、しかも答えになっていない言葉を吐き出す凶津。不思議に思う醍醐だったが、ふと見ると龍麻はその言葉に動揺したようだった。
「この《力》に目醒めたのは出てくる少し前――四月頃だ。それから適当に過ごしてたがある日奴らが現れた。《力》が欲しくないか、とな」
「奴ら?」
「そいつらの言う鬼の《力》ってのは怨みや憎しみなんかの負の感情から生まれるって言ってたが、話を聞いてるうちに俺の中にその感情が生まれた。怒り、怨み、憎しみ――よりによって醍醐、お前に対する、な」
「……」
「何故そんな話を持ちかけてきたのかは分からねぇ。が、鎧扇寺の奴や、お前らの情報を俺に寄越したのはそいつらだ」
「そいつらの名は?」
 醍醐が尋ねる。少し間を置き、凶津が口を開いた。
「奴らの名は鬼道衆。この東京はもうすぐ鬼の支配する国になる、そう言ってたな。俺達のような《力》を持つ者と鬼達の支配する国に――結局俺は鬼になり損なったがな」
(鬼、負の感情……偶然なの?)
 かつて龍麻の目の前で鬼と化した《力》持つ者。負の感情を増大させ、終いにはそれに飲まれてしまった男が脳裏に浮かぶ。
 が、それ以上の思考を妨げるように遠くからサイレンの音が近付いてきた。
「奴らはいずれ、お前らの前にも現れるだろうぜ。さっさと行けよ。お前らがこれからどう足掻くのか、塀の中からのんびり見物させてもらうぜ」
「おーい、醍醐、ひーちゃん! お巡りが来やがった! こっちは全員無事だ! 逃げるぞ!」
 資材の向こう側から京一の声が響く。どうやら小蒔もその他の女性達も元に戻ったらしい。
「分かった、すぐ行く! ……雄矢」
「ああ、行こう」
 龍麻は早々に資材を飛び越えて姿を消した。後に続こうとして、醍醐は凶津を見る。
「いいから行けよ。縁があれば、また会えるだろうよ」
「ああ……またな」
 醍醐はそう言ってその場を去った。
 ――それが今生の別れになるとも知らずに。



 龍麻の、そして《力》持つ者達の宿星が、ゆっくりと動き始めた。その行く末は――まだ決まっていない。



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