さて、数の上では二対十だ。一見不利に見えるが龍麻には何の問題もなかった。ただ気になる事があるとすれば――
(あの紫暮とかいう奴に視える陽の《氣》だね)
 他の者は気付いていないようだ。龍麻にさえ、何とか視えるといった程度のものだが。
(まあ、普通の部員がいる前で、変な事はしないと思うけど。それとも自分の《力》を認識してないのかも)
 目の前に迫った茶帯の部員の正拳を無造作に避けて、龍麻は掌打を鳩尾に叩き込んだ。別に《氣》を込めているわけではないが、その一撃で部員は崩れ落ちる。
 先制の一撃に怯んだ隙に、龍麻は正面から紫暮に向かった。その行く手を阻むべく、他の部員が動くが
「うぉりゃあぁぁぁ!」
 横手からの醍醐の蹴りが、部員達を壁際まで吹き飛ばす。
「手加減してる?」
「使っていないだろう?」
「確かに」
 それだけ言って、龍麻は再び紫暮に向かう。部員達は醍醐に任せることにした。
「ふんっ!」
 馬鹿正直に正面から突きを放つ紫暮。もちろん当たるはずもなく、空を切る。
「龍星脚!」
 《氣》を乗せなければ普通の蹴りだが、それでも威力はかなりある。その一撃が紫暮の顎にまともに入った。しかし紫暮は倒れることなくそのまま蹴りを繰り出す。
「ちっ!」
 慌ててガードする龍麻。左腕に重い衝撃が走る。
「ほう……やるな」
「丸太をぶつけられた気分だね」
 反射的に後ろに跳んでいなければ骨が折れていてもおかしくない。紫暮の方も、龍麻の行動に気付いたらしく素直に賞賛を送る。
「楽しいものだな。強い者と戦うのは」
「否定はしないよ」
 同時に二人が動く。今度は龍麻が先制した。身を低くした状態から顎に向けて掌打を放つ。身を反らしてそれを避け、拳を振り下ろす紫暮。拳を捌いて、がら空きになった脇腹に、連続して掌打を叩き込む。が、紫暮は防御もせずに再び龍麻に蹴りを放った。すくい上げるような蹴りを掌打で迎え撃つが、それで勢いを完全に殺せるわけではない。
「くっ……!」
 表情を歪め、龍麻は一旦後ろへ退いた。
(体格、体重、筋力、全て向こうが上か)
 真っ向からの力勝負では龍麻が不利だ。それは分かっているのだが、決定打はない。
 紫暮の蹴りを受け止めた左手を、確かめるように動かしてみる。痺れて感覚がなかった。
「仕方ない、か」
 醍醐は他の部員を片付け終えている。龍麻は決心した。
 紫暮は様子を見るつもりか間を詰めてこない。龍麻は意識を集中し、《氣》を練り始めた。
(僕の腕力じゃ紫暮の筋肉の鎧を崩せない。卑怯かもしれないけど、ここで負けるわけにはいかない!)
 練り上げた《氣》を収束し、龍麻は一気に間合いを詰める。
「来いっ!」
 突っ込んできた龍麻に正拳を繰り出す紫暮。
 それをギリギリの所で回避する龍麻。かすめた拳が龍麻の頬を切る。気にせず龍麻は紫暮の懐に入り、その右掌を腹に押し当て、《氣》を解放した。
 ゴッ!
 放たれた《氣》が渦を巻き、紫暮を突き抜けるのが京一達の目には視えた。そのまま紫暮は吹き飛び、倒れたまま動かなくなる。
「す……すげぇ……」
 余波で床にまで大きな爪痕を残した龍麻の技に、かすれた声が京一の口から漏れる。
「螺旋掌」
 龍麻の呟きに答える者はいない。
 戦闘は龍麻の勝利で幕を下ろした。


「わはははは!これでは無実を証明するどころじゃあないなあ!」
 意識を取り戻した紫暮が、最初に口にしたのがそれだった。
「それにしても強いな、あんたたちは。特に緋勇、不思議な技を使う」
「あれは……禁じ手だったんだけどね。少なくともあなたが普通に戦っている限りは」
 その言葉に、意味ありげに笑う紫暮。それから部員達に医務室へ行くように命じると、その場に腰を下ろした。そこへ醍醐が尋ねる。
「さて、話を戻すが。紫暮、真神の空手部の人間を襲った奴に心当たりは?」
「少なくとも俺の知っている限りでは、心当たりはないな」
「そうか……俺達は少し礼を欠いていたかもしれん。すまなかった」
「わはははっ! そんなでかい図体で情けない顔をするな。こっちも挑発したんだ。お互い様ということだな」
 豪快な男だな、というのが率直な龍麻の印象だった。その紫暮が龍麻に視線を移す。
「真神の醍醐って男と手合わせしてみたかったし、それと互角に渡り合ったという緋勇にも興味があったしな」
「こいつの強さは身に染みているからな。それに、互角じゃないぞ。おれは龍麻に負けたんだからな」
「ほお……つくづく凄い奴だなあ。今まで噂に聞いた事もなかったのが不思議なくらいだ」
「龍麻は転校生だからな」
 醍醐の言葉に紫暮の表情が変わった。
「転校生? 真神にもか?」
「真神にも、って鎧扇寺もかよ?」
「いや、他の高校の話なんだが転校生の噂はよく耳にする」
「別に珍しい話じゃねぇだろ? 転校生が来るコトぐらい」
 京一の考えももっともだ。が、紫暮には何かが引っ掛かるらしい。
「だが、今年に限って転校生が多いっていうのも妙な話だ。この東京で、何かが変わり始めているのかもしれん……」
 自分も転校生だ。そして明日香へ来た莎草も真神からの転校生。共に《力》を持つ者。ひょっとしたら、その転校生全てが《力》を持っているんじゃないだろうか、などと考えてしまう龍麻。あまりにも馬鹿げた考えだが、今の東京なら何でもありのような感じがする。
「さて、と……緋勇、俺の方も聞きたい事があるんだが、構わんか?」
「え?あ、ああ何?」
「お前の技を受けて気になったんだが、こんな事を聞ける奴はそうはいなくてな。率直に聞くがあの《力》……ああいった常人離れした力を使える人間が他にもいるのか?」
 予想していた質問だったので、龍麻は別に慌てなかった。
 すぐには答えず、龍麻は皆を見る。
「紫暮クンになら話してもいいんじゃない? 悪いヒトじゃなさそうだし」
「そうね、私も仲間は多い方がいいと思うわ」
 小蒔と葵は賛成のようだ。京一も何も言わない。
「そうだな……。紫暮、あんたに聞いてもらいたい事があるんだ。この東京で起こり始めている異変を――」
 龍麻に頼まれ、醍醐が口を開く。そして今までの事を話し始めた。


「――というのが俺達が今まで関わってきた事の全てだ」
 龍麻が転校してきてからの事件、そして今回の事件を説明し終える。冷静に聞いてみると、突拍子もない話だが、これは事実だ。
 紫暮は腕を組み、何やら考え込んでいる。
「信じるか信じないかはあんたの勝手だが」
「ふむ……雨紋に唐栖、そして高見沢、藤咲、嵯峨野か。で、唐栖とやらは行方不明、嵯峨野は今も病院、というわけだ」
「今回の件も、そういった《力》を持った奴が関わっている可能性が高い。犠牲者をこれ以上増やさないためにも早く犯人を捜さないとならん」
「大会前の部員が襲われれば、当然関係者が疑われる。もしも、うちの部員が襲われていれば、俺も真神を疑ったろうな。もしかすると、犯人はそれを狙ったのかもしれん」
「真神と鎧扇寺の潰し合いをかよ?」
 考えすぎだぜ、と京一が異を唱える。
「ちと話が飛躍しすぎてねぇか? 俺達は空手部じゃねぇんだ」
「そうだよ。それじゃ、ボク達が空手部同士の事に首を突っ込むことまで想定してたってコト? ちょっと無理があるような気がしない?」
「どうかな? ひょっとしたら、そうかもしれないよ」
 龍麻の言葉に皆が注目する。
「現時点では何とも言えないけど、目的が空手部でない可能性もある。空手部は単に利用されたんじゃないかな?」
「それって、本当の目的は私達、って事?」
 口元を押さえて葵が尋ねる。龍麻は頷くと
「例えばそいつが、僕達の中の誰かの性格をよく知っている奴だったとするよ。当然、厄介事に首を突っ込むことは予想できるはずだし。と、なると僕はその対象から外れるけどね」
「そりゃそうだ。お前の知り合いはこっちにはいないもんな。って事は、俺か醍醐か?」
「しかし、そうだとすると鎧扇寺を選んだ理由が分からんな」
 頭を捻る龍麻達だが
「理由ならあるさ。正確には鎧扇寺にではなく、俺個人にだが、な」
 龍麻以外の四人が息を呑むのが聞こえる。紫暮の身体から蒼い《氣》の光が放たれていたのだ。
「はぁぁぁぁぁっ!」
 気合いの声と共に――紫暮の身体が二つに分かれる。
「な――!?」
「ふ……二人に……」
「と、まあこういう事さ。正確にはドッペルなんとか――」
「ドッペルゲンガー?」
「そうそう、それらしいが俺自身も詳しい事はよく知らん。単純に言うと、どうも分身のようなものらしいな」
 驚く京一達。龍麻の訂正に頷きながら再び一人に戻り、紫暮が自分の《力》について説明する。
「初めは俺が眠っている時しか現れなかったんだが、今では好きな時に出せるようになりつつある」
「一体、いつ頃からその《力》が?」
「うむ……三年に上がって少しした頃からか」
「やはりその頃か……」
 葵の問いにそう答える紫暮に、難しい顔をする醍醐。
 龍麻は龍麻で気になることがあった。
 犬神の言う通り、龍脈が乱れたことが原因ならば、他の人間に影響が出てもおかしくはない。現に雨紋や藤咲も覚醒したのは、京一達とほぼ同時期だし、高見沢も《力》が強くなったのは今年の春に入ってからだと言っていた。裏密には確認を取っていないが、同じ時期であると予想できる。だが、腑に落ちない点もある。
(僕が初めて覚醒したのは小学生の時だ。二度目は高校二年の二学期。莎草は真神からの転校生だって話だけど、時期的に覚醒したのは二年の二学期初めの頃だろうし)
 他にもある。拳武館での修練で一度だけ手合わせした「彼」も、覚醒してかなり経つという話だった。単に龍脈云々の理由だけではないのだろうか?
(強い思いが《力》になる、か。龍脈はそれを助長するだけなのかもしれない)
 小学生の時の「あの事件」で、確かに自分は《力》を求めた。その理由は今自分が《力》を振るう理由とは違う。それでも強い思いであったことには変わりがない。
 莎草は自分の身を守るため、唐栖は人間に絶望し、それを粛正するために《力》を得た。「彼」は護るべきもののためにその《力》を得たと言っていた。が、そのような意志とは関係なく《力》を得た者もいる。龍麻の場合は一部の《力》は生まれながらにして持っていた。
(分からない。分からないな)
「――麻くん!」
 突然の声に顔を上げると、葵が心配そうに龍麻を見ていた。
「どうしたの? 急に黙り込んで」
「い、いや。何でもない。ちょっとした考え事だよ」
「本当に?」
 言いつつ葵はハンカチで龍麻の頬の血を拭う。紫暮の拳が掠めた時のものだ。
「龍麻くんって時々そういう事があるけど……何でも一人で背負わないでね」
「う、うん……。それよりも」
 話を逸らそうと龍麻は紫暮に問いかける。
「紫暮、さっきの戦いで、どうして二重存在を使わなかったの?」
「己の身の潔白を証明するのに、正々堂々と己自身の力のみで戦わねば意味がないだろう?」
「なるほど。それじゃ、さっきのは僕の負けだね。時間がないとはいえ、先に《力》を使ったのは僕だし」
 そう言うと紫暮は笑った。
「気にすることはないぞ。部員の前であれをやるわけにはいかんし、それに実戦で利用できるほどのレベルではないからな。今後の精進次第だ。それよりさっきも蓬莱寺が言っていたが、時間がないというのはどういうことだ?」
「襲われた奴の石化は未だに進行中なんだよ」
「今は腕だけだけど、いずれは全身が……そうなる前に、私達は犯人を捜さなくてはいけないんです」
 京一と葵の言葉に、再び考え込む紫暮。そして数秒後
「事実を知ってしまった以上、俺も無関係ではないな。犯人捜し、俺も手伝おう。どうだ、いいだろ?」
「それはありがたいけど。でも……」
 いきなりこちらの都合に巻き込むことは躊躇われた。紫暮の立場を考えると――
「もうすぐ試合だろう? いいのか?」
 そんな龍麻の考えを、醍醐が代弁する。しかし紫暮は気にした風でもなく笑った。
「宿敵真神のいない大会など張り合いがない。構わんよ」
「はははっ変わった男だ」
 醍醐と紫暮は似ている。部長を務めている事、何よりどちらも武道家としての精神を持ちあわせている事。この先二人がどう成長していくのか、龍麻にはそれが楽しみだった。
「それじゃあ、俺の方でも全力を尽くす。何かあったらいつでも連絡してくれ。一応携帯を持っているから番号を教えておく」
「うん、よろしく」
「それと――参考になるか分からんが、数日前にうちの部員が、この辺りで不審な男を見たと言ってたな」
「不審な男?」
 おうむ返しに問う龍麻に
「うむ。やけに派手な装飾を付けたスキンヘッドの男だそうだ。年齢的には高校生らしいが、この辺りじゃ見ない顔らしい」
「また高校生か。案外そいつがそうかもな」
 京一の意見を否定する者はいない。今までの事件――渋谷にしろ、墨田にしろ、犯人は高校生だった。さらに目的が自分達だとするならば、相手が同年代である可能性は極めて高い。
「それで、他に特徴はねぇのか?」
「うむ……確か左の二の腕に大きな刺青があったとか――」
 刺青自体はそう珍しいものじゃないな、と龍麻は思った。ただでさえ刺青をファッションの一部として取り入れる若者もいるとか。そんな中で刺青という特徴は――
「醍醐クン?」
「どうしたの醍醐くん?」
 気付くと醍醐が困惑の表情を浮かべていた。
「雄矢、どうしたの?」
「あ、ああ……何でもない。お前風に言うならちょっとした考え事だ」
 笑う醍醐だが、誰の目にもおかしいのは明らかだ。京一達が龍麻に視線を送る。その目は「どうする?」と訴えていた。とりあえずこの場は様子を見ることにする。
「それじゃあ紫暮、僕達はこれで」
「ああ、俺からも何か分かれば連絡を入れよう」
 紫暮も醍醐の変化に気付いたようだが何も言わなかった。お前達に任せる、ということだろう。
 そのまま龍麻達は鎧扇寺空手部を後にした。



「醍醐クンってば!」
 小蒔の声に、醍醐は我に返った。
「もうっ……ボーっとしちゃってさ。どうかしたの?」
「い、いや……」
「お前、さっきの話を聞いてからちょっとヘンだぜ? 何か……思い当たる事でもあんのかよ?」
「そうだよ。まるで龍麻クンみたいだよ?」
 小蒔の言葉に苦笑する龍麻。否定できない自分が悲しい。
 鎧扇寺を出てからこちら、醍醐の様子がおかしい。恐らく先程の不審人物に関わる事なのだろう。それくらいは想像がつく龍麻だが、聞いていいものか迷っていた。未だに幾つかの隠し事がある自分にそれを聞く資格はないと思っているのも理由の一つだが、一番付き合いの長い京一が何の行動も起こさないので放っておく事にしているのだ。
「いや、何でもない。悪かったな、桜井」
「別に……ボクはいいけどさ。一人で考え事なんて、気になるじゃないか」
 少し寂しそうな小蒔。そうそう、と京一も相づちを打つ。
「お前はすぐに考えすぎる悪い癖があるからな。どっかの誰かさんみたいによ」
 その視線の先には龍麻がいる。それを見て笑う葵。
「そうね。一人で悩んでいるなら私達にも相談して。醍醐くんだけじゃなくて、龍麻くんもね」
「……はい」
「……ああ、すまないな。だが、今はまだ確証が持てない。いずれ話すからそれまで待ってくれ」
 醍醐がこう言うなら、今の龍麻達にできるのは待つ事だけだ。皆が頷くと、醍醐は思い出したように提案した。
「それより、桜ヶ丘へ寄って行かないか? 容体も気になるしな」
「そうだね。行ってみようか」
 龍麻に続き、小蒔、葵も同行を申し出る。京一は面倒くさそうだったが、結局折れた。



 桜ヶ丘中央病院。龍麻にとっては清浄な《氣》の満ちた空間だが、京一にとっては相変わらずの鬼門らしい。
「うう……相変わらず不気味な雰囲気だぜ……」
「そぉ? たか子センセーいるかなー?」
 表情の暗い京一とは対照的に、楽しそうな小蒔。というか、明らかに京一をからかって楽しんでいる。
「よけーなコト言うな! 裏密と一緒で喚べば出てくるかも知れねぇだろ!?」
「そんな、召喚悪魔じゃないんだから」
「悪魔の方が、まだマシだ! 平然としてるお前が憎いぜ……」
 恨めしそうに龍麻を見る京一。それをあっさり受け流す龍麻。
「俺、やっぱ帰ろうかな……」
 京一がそう独り言ちたその時、聞き覚えのある少女の声が龍麻の耳を打つ。
「緋勇さん……」
 以前何度か会った少女。名は確か――
「おーっ! 確か紗夜ちゃんだよね」
 龍麻が思い出すより早く、京一が声をかけた。
「あ、はい。この前はどうもです」
「……またこの病院に用?」
 そう尋ねる京一に、曖昧な返事をする比良坂。それから龍麻の後ろにいる葵達の方を見た。
「あの、こちらの方はお友達ですか?」
「ああ、デカイ方が醍醐。で、こっちが美里でそっちの美少年が桜井だ」
「きょーいちー! 誰が少年だって!?」
 皆を紹介する京一に、小蒔の眉が跳ね上がる。まあ、いつもの事だ。それ故に相手にするのも馬鹿らしいのか小蒔は比良坂に向き直った。
「ごめんね、京一がアホなコト言って」
 そんな二人を見てクスクスと比良坂が笑う。
「真神の醍醐だ。よろしく」
「こんにちは、初めまして……」
「あ、わたし――比良坂紗夜っていいます。初めまして」
 お互いに自己紹介を終え、比良坂は龍麻を見た。
「緋勇さん、こんにちは」
「こんにちは。変わったことはない?」
「えへへ、またそんな事聞くんですね」
「あれ、龍麻クンは比良坂サンのコト知ってんだ?」
「あ、以前ここでお会いした事があるんです」
 その言葉で思い出す小蒔。確か葵をここへ運び込んだ時に龍麻が誰かと話していた。
「そういや、紗夜ちゃんってどこに住んでんの?」
「えっと、品川です。……あ、すいません。わたし、行かなきゃ」
「お、悪いな、引き止めて」
「いえ、それじゃ」
 頭を下げて、比良坂はそのまま去って行った。
「かわいいなぁ……紗夜ちゃん」
 いつもの京一に、やれやれと溜息をつく醍醐と小蒔。
「ほら、行くよ」
 そんな京一の背中を押して、龍麻は病院の入口に向かった。



 翌日22日。3−C教室、朝。
 教室に入り、鞄の中から教科書を取り出そうとする龍麻に醍醐が声をかけてきた。
「来る途中、桜ヶ丘に寄って来たんだが、院長先生のおかげで空手部の四人の容体はかなり良かったぞ」
「そう。でも、まだ止まってはいないんだね?」
「ああ、依然として進行中だ。一刻も早く犯人を捜さねばならんな」
 完全に石化してしまうまでどのくらいかかるかは分からないが、悠長にしているわけにはいかない。
「何朝っぱらから景気の悪い顔してんだよ?」
 京一が教室に入ってくるなりそう言う。
「焦ることはねぇよ。計画が失敗した以上、また何か仕掛けてくるさ」
「それはそうだが……」
 醍醐のらしくない態度に京一は肩をすくめた。
「どうしたんだ? 昨日からおかしいが、そんなデカイ図体でウジウジ考え込んでんのは似合わねぇぜタイショー」
 いつもの調子で京一が話しかけるが、醍醐は浮かない表情のままだ。
 そこへ葵がやって来た。
「おはよう、みんな」
「おはよう、葵さん」
「ん? カレシは一緒じゃないのか?」
「私、今日は生徒会の用事で早く来たから……。でも、もう来る頃じゃないかしら」
 京一の問いに葵が笑いながら答える。本人がいれば、また騒がしくなっただろうが、教室は静かだ。
「どうせあいつのことだ。美里と一緒じゃねぇもんだから、まだのんきに寝てるかもな」
「そういえば遠野さんは? 桜ヶ丘で見かけた、雄矢?」
「ん? いや、見てないが」
 昨日病院に行った時、アン子はナースの格好をして病院に忍び込んでいた。その根性には頭が下がるが、あれからどうなったやら。
 などと考えているうちに本人が姿を見せる。
「おっはよー!」
「噂をすれば、か」
「何それ? それより昨日桜井ちゃんから電話で聞いたんだけど、犯人は鎧扇寺じゃなかったんだってね」
「うん。まあ、与えられた情報が全てではないって事だよ」
「せっかく犯人が見つかったと思ったのに」
 つまらなそうな顔をするアン子に、京一がにやにやしながら言った。
「それよりお前の方はどうだったんだ?」
 口ごもるアン子に、龍麻達三人が笑い出す。どうなるかは見当が付いていた。あの院長が気付かないわけがないのだ。
「笑い事じゃないわよっ! 院長にバレて窓から放り出されたんだから!」
「ま、命があるだけめっけもんだな」
「それでも無収穫ってわけじゃないわよ」
 転んでもタダでは起きない――さすがは、といったところか。
「直接は関係ないと思うけど、最近都内の病院で、死んだ患者の遺体が消えるらしいの」
「消える?」
「桜ヶ丘ではそういう事件はないらしいんだけど新宿近辺の他の病院は、結構被害に遭っているみたいね」
 まあ、本来産婦人科である桜ヶ丘で死人が出ること自体稀だろうが、気になる事件であるのは確かだ。アン子の話は続く。
「目撃者はなし。この件に警察は介入していないわ」
「病院側は警察に届けてねぇのかよ?」
「届けるわけないじゃない。病院の信用問題なんだから。いずれにせよ、病院の周りをうろつく奴を見たら注意した方がいいかもね。あたしの方も調査してみるけど」
「お前も懲りない奴だな」
 呆れ顔の京一に、当然とばかりにアン子は胸を張る。
「昔の諺でも言うでしょ? ペンは剣より強し、って。いくらあの院長でも急所を狙えば……」
「ホントの武器に使ってどーすんだよ?」
「いちいちうるさい男ねぇ。これだからデリカシーのない男は嫌いなのよ」
 ペンを武器にしようとする女にデリカシー云々と言われてはさすがに京一も機嫌が悪くなった。
「嫌いで結構――おれも口うるさい女はタイプじゃねぇからな」
「いい加減にしたら?」
 仕方なく龍麻が仲裁に入る。
「遠野さんも諦めた方がいいよ」
「なによぉ、龍麻君まで。べつにあたしは興味本位で取材してるわけじゃないわ。現実に起こりつつある怪奇事件の真実を、克明に伝えることにより――」
「伝える相手が信じなきゃ意味ないよ。それに前にも言ったけど……」
 目を細めて龍麻はアン子を見た。それだけで普段の優しい表情は消え、鋭い輝きを宿した目に変わる。
「相変わらず引き際を見極められないんだね。少しは学習したら?」
「わ、分かったわよ。だからそんなに睨まないで……」
「よろしい」
「そ、それじゃあたしは行くね」
 いつもの顔に戻る龍麻。逃げるようにアン子は3−Cを出て行った。
「ちょいときつすぎたんじゃねぇか?」
「取り返しがつかなくなる前に、やれることはやっておかなきゃね」
「まあ、一度痛い目に遭った方がいいかもしれねぇけどな。あいつの場合は」
(彼女に天野さんレベルを期待するのはまだ酷かな?)
 龍麻がそんなことを考えると同時に、チャイムが鳴った。



 同日放課後。3−C。
「いつもと同じように朝、家を出たって……」
 確認を取りに行った葵が、戻るなりそう告げる。
「しまった……京一、龍麻!」
「そっちに来るとはな。迂闊だったぜ」
 考えられる事だったのだ。一人の時――しかも戦闘能力の低い者を狙う可能性は。
「手を打っておけば良かった! くそっ!」
「そんな……それじゃあ小蒔は」
 珍しく冷静さを欠く龍麻。携帯を取り出すと、メモリを呼び出し、コールする。四つ目で相手が出た。
『雨紋だ。どうした、龍麻サン?』
「雷人? 僕だけど、小蒔さん見なかった?」
『いや、今日はスタジオに籠もってるから外に出てないンだ』
「悪いけど、至急亜里沙に連絡とってくれる? 小蒔さんを捜して欲しいんだ」
『……分かった。この間の件だな? オレ様も捜してみる』
「ありがとう。それじゃ」
 携帯を切り、龍麻は皆に向き直る。
 今回の件を、龍麻は仲間に知らせておいたのだ。捜索には人手は多いほどいい。犯人捜しが仲間捜しに変わってしまったが。
「こっちも動こう。雄矢」
「ああ、目撃者捜し、それと桜井の行きそうな所をしらみ潰しにあたるぞ」
「そうね。私、友達の家にも電話してみるわ」
「頼む。それじゃ、行くぞ」
 言いつつ醍醐は教室を飛び出していく。
「やれやれ、しょーがねぇヤツだな。龍麻、美里。とにかく俺達も行こうぜ」
 龍麻達三人も醍醐を追った。



 結局二手に分かれて捜そうということになり、校門前で京一と葵が通学路方面の捜索、龍麻は醍醐に同行することになった。中央公園で合流することにして別れる。
 新宿駅前に来たものの、手掛かりは得られない。
「どう思う龍麻?」
「多分、この辺りを捜しても無駄だと思うよ。攫われたのなら、人目のない所へ運ぶだろうし、小蒔さんが学校サボってここまで来るとは思えないしね」
「やはりそうか……」
 何時になく動揺している醍醐。想い人が攫われれば、動揺もするだろう。
「雄矢、言っても無駄かも知れないけど落ち着いて。焦りは判断を鈍らせるよ」
「ああ、分かってるつもりなんだが……」
 自分で頬を叩き、気合いを入れて醍醐は再び歩き出す。その横を歩く龍麻に、醍醐が尋ねた。
「なあ、龍麻。お前には友と呼べる存在はいるか?」
「今は、ね。あくまで僕がそう思っているだけだけど」
「そうか。友というのは、己の財産の一つだ。大切にしなくてはな」
 今は、という言葉に醍醐は特に反応しなかった。そして、更に尋ねてくる。やや沈んだ声で。
「では、友を――裏切ってしまったことはあるか……?」
「……多分、ある」
 間を置き、弱々しい声で答える龍麻。ここに至ってようやく醍醐は龍麻の境遇を思い出す。そしてそんな質問をした事を後悔した。
「余計な事を聞いて済まなかったな」
「いや、いいよ。過ぎた事だし」
「全く俺は何をやっているんだろうな。龍麻、どんなに喧嘩が強くても、いくら頭の回転が速くても、人は――大切な存在を前にして、時にどうしようもない自分の無力さを思い知らされる……俺はあの日――あの時どうすべきだったのか――」
『たっちゃん……逃げて……』
 突然、龍麻の脳裏に声が響く。聞き覚えのある、忘れられない声。醍醐の言葉を借りるなら、自分の無力さを思い知らされたあの時の――
「龍麻?」
 辛そうな表情の龍麻に声をかける醍醐。
「すまん。また余計なことを言ってしまったらしいな」
「別に雄矢のせいじゃないよ。それより、今は小蒔さんを捜すのに専念しよう」
(今は過去を振り返る時じゃない)
 そう言い、龍麻は歩き出した。



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