「ちっ……こうなりゃやるしかねーか!」
 京一の手に刀が現れる。もちろん夢の中であるので、いつも使ってる物ではないが、どうやら具現させるのは容易なようだ。
「龍麻! いつものように頼むぜ……って、おい!?」
 何を思ったのか、龍麻はそのまま魔物に向かって歩いていく。
「巫炎……」
 炎に変換された《氣》が、正面にいた魔物をまとめて焼き払った。さすがに嵯峨野と藤咲の表情が変化する。
「京一、あの二人は僕が相手をする。絶対に手を出さないで」
「……何するつもりだ?」
「まだ、更正の余地はあると思うんだ。だから、説得してみる」
 その言葉に、高見沢を除く三人は耳を疑った。
「何言っても無駄だぜ! こんな奴らを喚び出した時点で向こうは俺達を殺す気だ!」
「それも確かめたいんだよ。気になることがあってね……嵯峨野は葵さんはここにいるから死なない、と言った」
 警戒しているのか、間をおいて包囲網を作る魔物に目を向ける龍麻。
「ここでダメージを受けたらどうなるのか、彼も知らないのかも……」
「んなワケあるか! 墨田の事件の犠牲者は――!」
「でもね、もし嵯峨野がそれを知っているのなら、葵さんが死なないなんて言えるはずがないんだ。夢の世界の出来事が、現実にも影響を与えるって事を知ってるのなら……」
「しかし龍麻、さっきの嵯峨野の言葉は……」
 醍醐の言いたいことも分かる。精神のダメージ云々の話は嵯峨野が口にした事だ。だが、それは彼の経験から来るものなのだろうか。もしそれが、何かの受け売りだったとしたら。
「とにかく、やってみる価値はある。僕は彼らを救いたいんだ。後は頼むよ」
 そのまま龍麻は嵯峨野達に向かって駆け出した。
「何をゴチャゴチャ言ってるのさ!」
 魔物を従え、藤咲が行く手を阻む。その手に握られた鞭を、さながら魔物使いのように振るう藤咲。その攻撃をかいくぐり、龍麻は跳んだ。包囲を逃れ、後方から群に向けて発剄を続けて放つ。耳障りな悲鳴を上げつつ消滅する魔物達。
「ちっ……調子に乗るんじゃないよっ!」
 鞭の間合いを保ちつつ攻撃を繰り返す藤咲だが、その攻撃は一つとして命中しない。その全てをあるいは避け、あるいは魔物を盾にして回避する。
(何なんだい、こいつは!? 弱っちそうな顔して何でこんな……!)
「……なめるなっ!」
 鞭が龍麻の右手首に絡みつく。捕らえた、そう思った瞬間、藤咲は信じられないモノを見た。
 龍麻の右手に宿る光――それに触れた鞭が次第に重たくなっていく。そして、その色も革のものから白い輝きに変わった。慌てて鞭を手放す藤咲。白く変色した鞭はそのまま砂に落下し、砕け散った。
「……こ、凍ってる……?」
 呆然とする藤咲を残し、龍麻は魔物を一掃して嵯峨野に近付いていく。
「いくら足掻いても……夢の中はボクの領域だ! ボクに勝てるもんか!」
 嵯峨野の手に光が灯った。やはり《力》を使った攻撃能力も備えている。
「第三幕、第三夜……行け白鷺!」
 放たれた光球が、言葉通り白鷺の姿に変化し龍麻を襲う。が、龍麻はそれを避けなかった。狙いが甘かったのか、戦闘に慣れていないのか、その攻撃は龍麻の右肩をかすめる。
「ば……馬鹿龍麻! 何でそれくらい避けねぇんだ!?」
「……どんな気分だい?」
 嵯峨野が喚び出した魔物と交戦しつつも、それに気付いた京一が叫ぶ。それには答えず傷口に触れて龍麻は嵯峨野に問う。離した左手にはべっとりと赤い血が付いていた。
「さぞ、いい気分だろうね嵯峨野……力で他者を虐げ、傷つけるのは……」
「……何が言いたいんだ……?」
「君をいじめた奴らと同じ事をして、いい気分だろって言ってるんだよ。自分に手出しをしない弱者をいじめるのは楽しいんでしょ?」
「ボ……ボクをあんな奴らと一緒にするな!」
 再び嵯峨野の攻撃が放たれる。だが、今度もそれを避けない。二度目の攻撃は龍麻の左足をかすめた。ズボンが破れ、血飛沫が舞う。
「一緒にするな、って言われてもね……君も彼らと同じさ。自分より弱い者を傷つけることを楽しんでる。君が《力》を使って復讐してるのは、結局そういうことなんだよ?」
 さすがにダメージが蓄積されているのか、嵯峨野に近付く龍麻の動きが鈍っている。
「ねぇ、醍醐クン。龍麻クンどうしちゃったの!? 何かヘンだよ!」
「……分からん!」
 近付いてきた魔物を蹴り斃し、小蒔に答える醍醐。
「龍麻のことだ……何か考えがあるのだろうが……」
(龍麻の実力なら、あの程度の攻撃は難なく避けて、嵯峨野を斃せるハズだ。それになぜ嵯峨野を煽るようなことを言う? 何を考えているんだ!?)
 龍麻の《氣》はあれから全く変化していない。つまり、戦闘態勢に入っていないのだ。あれでは敵の攻撃を受けたらタダでは済まない。醍醐がそう考える間にも龍麻は一歩一歩嵯峨野に近付いていく。
「……君は《力》を手に入れた。でも、それと同時に心は無くしたんだね。君をいじめた奴らと同じで、人を傷つけることを何とも思わない人間になったんだ」
「ち……違う……ボクは……」
 嵯峨野の顔に動揺が走る。だが龍麻は容赦なく言い捨てた。
「君は彼らと同じ、ただのいじめっ子だ」
「違う! 違う違う違う! ボクはあんな奴らと同じ人間じゃない……!」
 嵯峨野の《氣》が膨れ上がる。両の手に宿った赤と蒼の光が一つになり、巨大な球体となって龍麻に放たれた。
 ドン!
 鈍い音と共に嵯峨野の《力》が炸裂する。風に運ばれ、薄らぐ砂煙。その中に龍麻は立っていた。が――
「た……龍麻クン……!?」
 悲鳴に近い声を上げる小蒔。京一も醍醐も高見沢も、そして加害者である嵯峨野、いつの間にやら傍観者になっていた藤咲も言葉を失う。
 龍麻の左腕は肩から先が吹き飛んでいた。流れる、というよりは噴き出すといった感じで龍麻から赤い体液が失われていく。
「……こ……このおぉっ!」
 怒りに我を忘れ、小蒔は弓を引き絞った。手を出すな、と言った龍麻の言葉は既に頭から消えている。相手が人間であるということも、相手を殺してしまうかもしれないということも忘れ、ただ嵯峨野に狙いを定めた。
 現在一番威力のある攻撃を放つ小蒔。矢に炎が宿り、龍の姿を具現させて嵯峨野に突き進む。
 しかし、それを龍麻が阻んだ。右手に宿した冷《氣》で小蒔の炎《氣》を相殺し、そのまま矢を掴み取る。
(さすがに……今の嵯峨野の攻撃は避けるべきだったかな……)
 後方から小蒔の動揺が伝わってくるがそれは無視した。結跏趺坐の要領で意識を集中し、とりあえず止血だけはしておく。今見えるのは実際の肉体ではなく、こうして流れる血も本物の血ではない。だが、流れ出ると同時に自分の意識とでも言うべきものが薄らいでいくのは分かった。それ故の処置だ。
 龍麻は嵯峨野を見やる。ただでさえ白いその顔は血の気を失い真っ青だ。一応、目的の一つは達したというところか。ならば次は――
「結局、君は何がしたいんだい……嵯峨野……?」
 また一歩、近付きながら龍麻は問いかける。
「君をいじめた奴に復讐して、僕らを殺して、その後はその《力》を使って力無き弱い者を虐げ、見下すの……?」
「そ、そんなことしない……ボ、ボクはただ……いじめられる者の気持ちを……ボクをいじめた奴に思い知らせたいだけだ……!」
 龍麻の迫力に――いや、自分のしたことに恐怖を覚え、後ずさる嵯峨野。しかし、龍麻はそれを見逃すつもりはない。
「そうだ……! ボクはただやり返しただけだ……!」
「……君の言う仕返しっていうのは……相手を殺すことでしょ……?」
 その言葉に嵯峨野の足が止まる。
「な……ボクは誰も殺してなんか……」
「さっき君は、精神がダメージを受ければ、肉体もダメージを受けると……そう言ったはずだけど……?」
「だ……だからって……!」
 龍麻は一人の名を呟いた。墨田の事件で死亡した者の名だ。続けてその人間がいつ死亡したかを告げる。更に別の名を出し、死亡日時を口にする――ここへ来る前にアン子から聞いた記事の内容を。全ての名に反応する嵯峨野、そして藤咲。
「どうやら知らなかったらしいね……葵さんを束縛した時からおかしいとは思ってたけど……」
「……あんたに何が分かるってんだい!」
 そう叫んだのは藤咲だった。
「力を持つあんたに一体何が分かるのさ!? 虐げられた者の気持ちがあんたに分かるもんか!」
「……分からないと思う……?」
 怒りに任せて言葉を吐き出す藤咲に、そう問いかける龍麻。その悲しげな表情に、息を呑む藤咲。
「力があるからいじめられないなんて、それは大きな間違いだよ。人にはない《力》を持っているからこそ、迫害されることもある……僕のようにね」
「……あんたがいじめられてたってのかい? ふん、笑えない冗談だね……」
「そう言う君にも分からないだろう? いじめられた者の気持ちは、同じ経験をした者にしか分からないよ」
 自分にもそんな時期があった。異質な《力》を持っているが故に迫害され、そんな自分に価値はないと思い込み、抗うことを放棄し、ただ虐げられるだけの日々が。
「結局、自分で立ち向かうしかないんだ。《人ならざる力》に頼ることなく、自分自身の力でね」
「ふ……ふん……口では何とでも言えるさ……! 麗司、こんな奴の戯言に耳を傾けることはないよ……!」
 龍麻の言葉に偽りはない、それは藤咲にも分かっているのだろうが、認めるわけにはいかないのだろう。
「……どう受け取ろうと別に僕は構わないよ。ただ……君達にはこれ以上の過ちを犯してもらいたくないんだ」
 既に戦う意志は失せている嵯峨野に龍麻は話しかける。
「嵯峨野……君の《力》は他人を夢に引き込む――相手の意識に介入するもののはず……なら、他人の記憶に接触するのも可能なんでしょ?」
「……それがどうだって言うんだい……?」
「僕の記憶……僕の過去に触れるつもりはない?」
 意味が分からずに、問い返す嵯峨野。だが、次の龍麻の言葉に大きく目を見開いた。それは魔物を全滅させて話を聞いていた京一達も同様だ。
「……僕の今までの過去を見せるよ。記憶は嘘をつかない」
「何言ってやがる龍麻! お前、一体何がしたいんだよ!?」
「そうだよ! そんなコトして無事で済む保証なんてないじゃないかっ!」
 現在敵である嵯峨野達よりも、味方である京一達の反応の方が大きいのに苦笑する龍麻。だが、これが一番の近道だ。このままだと嵯峨野の辿る道は決まってしまう。
「君次第だよ。ここで決着がつくまで戦い続けるのか……それとも別の道を見つけるのか全ては君次第だ」
 戦っても負けるのは目に見えている。が、龍麻には自分を攻撃する意志はないようだ。どちらにせよ、今の嵯峨野には判断材料が不足している。その提案を、嵯峨野は飲んだ。
「そんなに言うなら見せてもらうよ……君が何を考えてるのかは分からないけど……」
「……僕は……君に僕と同じ道を歩んで欲しくないんだ。ただ、それだけだよ」
「おい龍麻! やめろ!」
「麗司! 馬鹿なことはやめ――」
 京一と藤咲の制止の声も届かず――嵯峨野は《力》を解放した。


 嵯峨野が《力》を使って十数秒が経過した。その間、龍麻も嵯峨野も目を閉じたまま微動だにしない。
「……おい、藤咲とか言ったな。もしも龍麻に何かあったらタダじゃおかねぇからな」
 既に戦う相手もいない。龍麻達に何らかの動きがあるまで京一達は動けない。
 威圧するような京一の物言いに、フンと鼻で笑う藤咲。
「そう言うあんた達こそ覚悟しといた方がいいよ。もしここで麗司に何かあったら、あたし達全員死ぬまでここにいることになるんだからね」
「……何かあったら、か……それは、あの嵯峨野の精神力次第だろうな」
 重い声でそう言ったのは醍醐だった。難しい表情のまま龍麻達の方を見る。
「龍麻は自分の過去を見せると言った。それにあいつが耐えられればいいが……」
「あんた達まで信じてんのかい? あの緋勇とかがいじめられてたってのをさ」
 馬鹿馬鹿しいとばかりに腕を振る藤咲の言葉に、京一達の表情が暗くなる。
「事実だよ、それは。あいつが真神へ転校してきた時にそれを調べた奴がいてな。俺達だって信じられなかったぜ」
「龍麻にとっても自分の過去は人に触れられたくない事のはずだ。それをあえてするということは……嵯峨野のことが他人事に思えなかったんだろうな」
「緋勇くんは本気で嵯峨野くんの心配してるのよ〜」
(そういや……いたんだな、高見沢……)
 戦闘時にも後方でのほほんとしていたので、声を聞くまですっかりその存在を忘れていた京一。
「でも……緋勇くんの《氣》はとっても暖かくて優しいのに……今はとても辛そう……」
「……高見沢サンもそーゆーの分かるの?」
 悲しげな表情を龍麻に向ける高見沢は、問う小蒔に無言で頷く。
「……しかし……どのくらい時間のかかるものなんだ?」
「知らないよ。そういうことができるって聞いたことはないんだ」
 醍醐の言葉に藤咲は首を横に振った。と同時に夢の世界に震動が生じた。
「な……何だ……? お……おい、龍麻が……!」
「麗司……!」
 嵯峨野の姿が、そして龍麻の姿が消えていく。それに伴い、周囲の空間にも歪みが発生する。
「どうなってんだよ、こりゃあ!?」
「ここは麗司の創った夢の世界……麗司がこの世界の消滅を望んだんだ……」
「ってことは……俺達はどうなるんだよ!? このままこの世界と心中か!?」
「そんなの分かるワケないだろっ!」
「うるさいぞ二人とも! 耳を澄ませ! 何か聞こえる!」
 このような状況で不毛な口論を始めた京一と藤咲を一喝する醍醐。言われてその言葉に従う藤咲の耳に、聞き慣れた動物の鳴き声が届く。
「何だ……犬か?」
「これは……エルの声だわ! 私の犬よ!」
 どこからともなく聞こえる犬の鳴き声。それは確かに皆に聞こえる。鳴き声に呼びかける藤咲。
 少しして――皆の視界が白一色に染まった。



「君は強いね……」
 何もない漆黒の空間。恐らくは先程の砂漠とは別に創られた世界なのだろう。そこに龍麻と嵯峨野はいた。
「あんな目に遭ってまで、君はそうやって生きている……前向きに……」
 龍麻の目の前にいる嵯峨野からは、もう陰の《氣》は感じられない。かといって世界を維持できているということは、《力》を失ったわけではないらしい。
「ボクには……とてもじゃないけど真似できない……」
 《力》を使い、嵯峨野は龍麻の記憶・過去に触れた。
 最初に見たのは自分の前で斬殺された友人。返り血を浴び、《力》を発現させた龍麻。そんな龍麻に化物を見るかのような視線を向ける同年代の少年達、そして両親らしい大人。友人どころか親――直接血は繋がっていないが――にまで見放され迫害を受けていた。
「もう……生きることに疲れたよ……」
 中学校に上がり、クラスで孤立している姿。毎日のように身体と心に受ける暴力。そんな龍麻に武道を教える道着姿の男と同年代くらいの少女。暴力に抗う日々。
「ボクには何もできない。君と違ってボクには何の力もないんだ」
 高校に上がった後も続く孤独。そんな龍麻に声をかける生徒二人。《力》を持つ者によって引き起こされる事件。それに巻き込まれる友人。
「……僕だって、最初から強かったわけじゃない」
「でも、君には支えてくれる人達がいた」
 自分の意志に反して、過剰な暴力を振るう龍麻。その後、力が及ばないと分かっていても彼は友人を助けるために動こうとした。
「それでも、自分で一歩を踏み出さないと、何も変わらない。ここで逃げたら、二度と変われないよ。君の本当の望みは何だい?」
「誰にもいじめられたくない、最初はただそれだけだった……」
「なら、それに抗わなくちゃ駄目だ。相手にも殴られる痛みを教えてやればいい」
 《力》を悪用した者の末路。
「でも……ボクはそれをして人を殺してしまった……」
「《人ならざる力》じゃなくて、君自身の力でやるんだ。僕みたいに圧倒的な力を見せるのは良くない。後に待つのは孤独だよ」
 そして、その者を手に掛けた龍麻。
「やることは自分をいじめた連中と変わらないかも知れない。でも痛い思いをしてまで君をいじめようとは考えなくなるはずだよ」
「……ボクに……それができるかな……?」
「できるかじゃなくて、まずは、やろうとしなきゃ。僕でよければ力になるよ」
 それ以上の記憶は、嵯峨野には必要なかった。ここまで見れば十分だ。
「ボクは君に――君の友人達にも酷いことをしたのに……」
「君の気持ちは分かるつもりだよ。まあ……葵さんに対するあれは酷いと思うけどね」
「……考えてみるよ。でもまだ、気持ちの整理はつかない……」
「急ぐことはないと思う。どんな事だって、自分のペースでやればいいよ」
 嵯峨野の顔からは翳りが消えている。まだ、完全には吹っ切れていないようだがそれも時間の問題だろう。
「しばらく眠るよ」
「うん。でも……目覚ましはきちんとセットしておかなきゃね」
「ありがとう……。みんなはもう起きたよ。君も、そこをくぐれば戻れるから」
 言葉と共に、石造りの門が現れる。頷くと、龍麻はそちらに足を進めた。
「分かった。それじゃ、また今度。できれば次は起きてる時にね」
「それともう一つ……君に頼みたいことがあるんだ。彼女の……亜里沙のことで」
 そして嵯峨野は語り始めた。藤咲が何故自分に手を貸したのかを。



 目を覚ますと、自分達が最初に閉じこめられた部屋だった。京一達も既に起きている。
目だけ動かして周囲を見ると、ボクサーらしい犬の首を抱いている藤咲の姿が見えた。今まで見せたことのない優しげな表情を浮かべて。こちらが本来の藤咲なのだろう。
 ゆっくりと起き上がると、それに気付いたのか京一達の視線が集中する。
「やっと起きたか、この馬鹿!」
「……起きるなり、それはひどいんじゃない?」
「やかましい! 俺達をほったらかしにしてあんな無茶しやがって!」
 すごい剣幕で怒鳴る京一に、思わず後ずさる龍麻。救いを求めるように醍醐と小蒔を見るが、やっぱり怒っている。ただ、高見沢だけがやっと起きた〜、と飛び跳ねていた。
「お前の気持ちも分かるけどよ! 少しは自分のことも考えろ!」
「……分かった……ごめん……」
 そう素直に謝られては、これ以上何も言えない。まだ言いたいことはあるようだったが京一はぶつぶつと愚痴をこぼす。
「……」
 気付くと、藤咲が龍麻に近寄ってきていた。先程の優しげな表情はもうない。そして――乾いた音と共に平手打ち――ではなく、鈍い音を伴って藤咲の拳が龍麻の左頬に炸裂した。
「あんた……麗司に何をしたのさ!?」
「てめっ……まだやるつもりかよ!」
 殴られた本人より怒る京一。それを龍麻が制するが京一は龍麻にかみつく。
「おい……いくら何でも黙って殴られてやることはないだろ!? お前ならあんなパンチ簡単に避けるなり止めるなりできるだろうが!」
 その言葉に龍麻の表情がやや曇る。
「龍麻……お前まさか……」
 醍醐の声に龍麻は首を縦に振った。藤咲のパンチは右手――つまりは龍麻の左側から来た。それに対して龍麻は何の行動もとらなかったように見えたが、とれなかったのだ。
「左腕は動かないよ。指一本動かせない。肩から先の感覚が全くないんだ」
 先程の夢の中での戦闘を思い出し、言葉を失う一同。藤咲も例外ではなかった。
「こ……この大馬鹿野郎!」
 何度目かの京一の怒声が室内に響く。肩をすくめ――右肩だけだが――龍麻は藤咲に向き直った。
「彼は僕の記憶を見た。そして……このまま今みたいな事を続ければどうなってしまうのかを知った。その上で、彼は現実に向き合う決心をしたよ」
 倒れている嵯峨野に目を向ける。高見沢が簡単な検査をしているが、どうやら大丈夫らしい。にっこり笑ってこちらに親指を立てて見せる。
「それから……君のことを頼まれた」
「あたしの……?」
「君が今回の件に関わった理由を聞いたよ。君の弟の事も」
 その言葉に藤咲の体が震える。
「この廃ビルの屋上から飛び降りたらしいね」
「学校でのいじめが原因だった……」
 その言葉に息を呑む一同。藤咲はそのまま事の経緯を語り始める。メモ紙のような遺書を残し、自殺した弟のこと。弟をいじめていた奴らを半殺しにしたこと。同じようにいじめられていた嵯峨野に弟を重ね、煽って復讐させたことを。
「そうさ! やられたらやりかえせばいい! たとえどんな手を……《力》を使ったって!」
「それは間違ってる」
「何であんたにそんな事が……っ!」
 冷たい龍麻の声に反論しようとして、藤咲は言葉を止める。
(そうだ……こいつはあたしよりも、より麗司に……弘司に近かったんだ……)
 嵯峨野や自分の弟と同じようにいじめを受けた経験のある者。そして、それを自分自身の力で克服した者。だからこそ、嵯峨野は龍麻の言葉を聞き入れたのだ。同情や慰めではない、真剣に嵯峨野の身を案じた龍麻の言葉を。
 それ以上は何も言えず、俯く藤咲に龍麻は更に言った。彼女の背後に視線を移して。そこには悲しげな表情をした一人の少年の姿がある。
「君は弟の為に行動したんだろうけど……弟さんはそれを望んでいない。君のせいで苦しんでる」
「ねぇ、龍麻クン……いくら何でもそれは……」
「ああ……何か、取って付けたような言葉だぞ……」
 躊躇いがちに小蒔と醍醐が口を開いた。確かにそんな事を言っても誰も信じないだろう。死んだ人間の気持ちが分かるはずがない、と。だが、少なくともこの場にいる二人の人間には、そう確信できるのだ。
「ああ、そうか〜。あなたの後ろにいたのって、弟さんだったのね〜」
「え……?」
 突然声を上げる高見沢に、藤咲は顔を上げる。
「な……何を馬鹿な事を……そんなこと言ったからって……あたしが涙流して反省するとでも……」
「あ、そっか……普通の人には視えないんだっけ。どうしようかなぁ……」
 一人真剣に考え込む高見沢だったが、そうだ、と手を叩いて龍麻を見た。
「緋勇くん、手伝ってぇ」
「って、僕には視る事しかできないんだけど。高見沢さんのように声は聞けないよ」
「だから〜、緋勇くんが彼女に視せてあげるの〜。緋勇くんの《力》で〜」
「僕の《力》を彼女に貸す、って事?」
 そう訊ねると、高見沢は満足そうに頷いた。
「分かった……自信はないけどね……どうすればいい?」
 何かの本で読んだことがある。霊感のない人間でも、ある人間を介する事でそれに近いものを一時的に得ることができる、と。
「彼女に触れるだけでいいよ。後はわたしのお仕事〜」
 龍麻は軽く《氣》を解放した。その状態で藤咲の肩に触れる。
「な……何を……?」
「視える? 君の後ろにいるよ」
 龍麻に言われるまま後ろを向く藤咲。その目に映ったのは――
「こ……弘司……!?」
 藤咲に視えるのは間違いなく、自殺した弟の姿だった。その表情は変わらず悲しそうだ。
――お姉ちゃん……
 少年の口が動くと同時に聞こえる声。しかし、それは目の前の弟の口から紡がれたものではない。
「俺にはよく分かんねぇけど……あいつの弟とやらがいるのか?」
「……何かがいるのは感じるが……視えないな、俺には……」
 状況が分からず、呆然としている京一達。
「……どうしてあんたの姿が……それに声まで……」
 後ろを振り向く藤咲に、蒼い《氣》を発する龍麻と高見沢の姿が見えた。
「あなたは可愛そうな人……自分を傷つける事でしか人を愛することができない。だから教えてあげる……わたしの《力》で。聞かせてあげる……誰にも等しく愛が降り注いでいることを――」
 龍麻は何も言わずに目を閉じ、高見沢の言葉を聞いていた。いままでのお気楽そうなイメージが嘘のような、慈愛に満ちた声。それだけで心が癒えるような――そんな声だ。
――お姉ちゃん……ごめんね……もう僕のために苦しまないで……
「そんな……こんな事って……」
――お姉ちゃん……ありがとう……僕の分まで幸せに……
「ま……待ってよ弘司……! まだ話したいことが……!」
 そう言う藤咲だが、弘司は首を横に振る。しかし、その表情は先程までのものとは違い、穏やかな笑みを浮かべている。最後に話ができて良かった、そんな顔だ。
――バイバイ……お姉ちゃん……
 弘司の姿が薄らぐ。龍麻の《力》が届かないわけではない。この世への未練が断ち切れたのだ。弘司は龍麻と高見沢、そして京一達の方を一度見て、頭を下げた。
――ありがとう……
 その言葉を最後に弘司の姿はかき消えた。
「……う……うわああぁぁぁぁぁっ!」
 泣き崩れる藤咲の肩から手を離し、龍麻は京一達に目で合図をする。その意図に気付いたのか、藤咲を除いた全員は黙って部屋を出た。



 外に出ると、日が暮れていた。
「……何だかさ……大変な一日だったね……結局、誰が悪いのかよく分かんなくなっちゃった」
 しばらくは無言だった小蒔の呟きに、そうだな、と醍醐が答える。
「だが、時としてそういう事はよくある事さ。いろんな小さな事が積み重なって、やがて取り返しのつかない事になってしまう」
 そう言って醍醐は龍麻を見た。事件が解決したというのにその表情は暗い。龍麻にしてみれば今回は辛いことばかりだったのでは、と醍醐は思う。嵯峨野を救うためとはいえ、左腕を犠牲にし、自らの過去まで覗かせたのだ。その過去の中には「取り返しのつかない事」が幾つもあったはずだ。
「龍麻……済んだことは気にするな。お互いに、過去に捕らわれて先に進めなくならないようにな」
「……ありがとう。色々気を遣わせたね」
「まったくだぜ」
 そう言ったのは京一だ。まだ、勝手をした怒りは治まっていないらしい。
「いいか、今度同じようなコトしたら許さねぇからな」
「……まだ怒ってる?」
「当たり前だろーが! 罰として今晩ラーメン奢れよ!」
「そーだね。あれだけ心配させたんだから、それくらいしてもらわないとね」
 京一と小蒔のラーメン奢れ攻撃に、軽く溜息をつく。そこへ
「待って――!」
「ありゃ……藤咲じゃねぇか。まさか、また何か……」
 警戒する京一だったが、龍麻には彼女がもう敵ではない事が分かっていた。こちらに来る理由は分からなかったが。
「よかった、追いついて……」
「……どうかしたの?」
 そう訊ねる龍麻に、呼吸を整えてから藤咲が口を開く。顔が少し赤いが、どうやら走ってきたせいではないようだ。
「ねぇ……あの……あたしもさ……あんた達の仲間に入れてくれない?」
 その言葉に小蒔の目が点になり、京一と醍醐があんぐりと大口を開ける。
「……どうしたの、いきなり?」
「あ……べっ、別に変な意味じゃないよっ! ただ……あんた達と一緒にいると、何だか楽しそうだし……今までのこと少しは償えるかな、って。……ねぇお願い、緋勇くん」
「もちろん構わないよ。色々あったけど、これからよろしく」
 断る理由はない。そう言って微笑む龍麻。その笑みに藤咲の顔の赤みが増していった。
「おーい、藤咲? ……だめだ、こりゃ」
 惚けている藤咲の前で手をちらつかせるが、反応はない。やれやれ、と京一は溜息をついた。
「龍麻、お前やっぱり侮れない奴だな」
「え……? いや、そんなこと言われても……」
「京一、妬いてんの?」
「だ……誰がだこの男女!」
「なんだとー!?」
 いつもの如く始まる京一と小蒔のじゃれ合いに、龍麻と醍醐は揃って溜息をつく。
「帰ろうか。遠野さんも待ってるだろうし、葵さんも回復しただろうし」
「そうだな。お前の腕の治療もある。帰ろう、俺達の新宿へ――」
 二人はそのまま歩き出す。それに気付いた京一達が追いかけてきた。高見沢はまだ惚けていた藤咲を引っ張ってくる。



 多くの出会いを果たした龍麻達の一日は、こうして終わる。
 そして結局、龍麻は京一達(高見沢、藤咲含む)にラーメンを奢らされた。



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