「ここが〜墨田区白髭公園で〜す」
高見沢の案内で一行は目的地へと到着した。
「……ここは何だ……?」
「醍醐クン、どうしたの?」
「いや……どうもここへ入った時から寒気がな……」
小蒔の声に、辺りを見回しながら答える醍醐。
「そうかな? こんなに賑やかな公園なのに……」
「龍麻クン、賑やか、って……人っ子一人いないんだけど……」
そう言われて龍麻はもう一度公園内に視線を走らせる。しかし、龍麻の目には確かに大勢の人が映って――否、人ではなかった。
「おいおい、まさか龍麻まで変な夢見てんじゃねーだろーな?」
「いや……気にしないで。ただ、視えただけだから」
「ふふっ、大丈夫だってぇ。恐くなんかないから〜」
一人、高見沢だけがペースを崩さずにそう言う。どうやら口調からすると彼女にも視えているらしい。
(ってことは……彼女のコミュニケーション能力って霊媒……?)
そんなことを考えている間にも、高見沢はすぐ近くにいた、丸坊主の少年に話しかけている。龍麻にはその声は聞こえないが、姿は視える。高見沢には声も聞こえるようだ。
一方、視えない京一達の目には、高見沢が独り言を言ってるようにしか見えない。
「……ええと……誰に挨拶を……?」
恐る恐る訊ねる京一に、高見沢は満面の笑みを浮かべて一言。
「この辺りを漂ってる幽霊さんたちっ」
一瞬の沈黙の後――
「「な……何いっ!?」」
京一と醍醐の悲鳴が公園内に響き渡った。小蒔は目を点にして呆然としている。
「ほら、あそこにもおばあさんと女の子が……」
「ちなみにあそこにはサーベルぶら下げた警官が」
「あっちにいるのは郵便屋さんでぇ」
「京一の後ろにいるのは防空頭巾をかぶった十歳くらいの兄弟」
高見沢と龍麻の説明に、醍醐の顔が死人のように蒼白になっていく。
「緋勇くんも視えるんだねぇ〜」
「昔は意識しないと視えなかったんだけどね、つい最近普通に視えるようになったんだ。おかげで今みたいに、人と霊の区別がなかなかつかなくてね」
「そうそう〜。だから《氣》で確認するんだよね〜」
嬉しそうに笑う高見沢だったが、真顔に戻って昔にあったことを説明する。
この辺りが東京大空襲で爆撃されたこと、戦争が終わったことも自分が死んだことも分からないまま彷徨い続けている者が大勢いること、時々ここへ来てそんな霊達と話をすること。
一通り話し終えて、高見沢は不安げな表情を龍麻に向けた。
「ねぇ……わたしってヘンかなぁ……?」
「そんな事はないよ。そうやって彷徨っている人達にかける優しさは尊敬に値する。僕は視るだけで、話はしてあげられないからね。君のおかげで救われた霊達も少なくないんじゃないかな」
龍麻の言葉にきょとん、とする高見沢だったが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「緋勇くんはわたしのことを解ってくれる人〜。舞子嬉し〜な」
「と……ともかくだ!」
突然醍醐が上擦った声を出す。
「君が優しいのはよく分かった。ぼ……僕達は先を急ごうじゃないかっ!」
そう言いつつ、醍醐は先へ進もうとする。手と足が同時に出ていた……。
「今度は醍醐クンがヘンだよ……大丈夫なのかな……?」
心配する小蒔の隣で京一が笑いを堪えている。とりあえず、放っておく訳にもいかないので龍麻は醍醐に駆け寄った。龍麻の姿を認め、声を落として醍醐が言う。
「……龍麻……お前を信用して、お前には話して……」
「いや、気付いてるからいい。だから、小蒔さんには黙っててあげるよ」
龍麻の言葉に醍醐は深々と溜息をついた。
「すまん……どうも俺はそういったのが苦手でな……肉体のない相手には何をやっても通じないしな……」
「そっか〜。醍醐くんって幽霊が恐いのね〜」
「うわあぁっ!?」
突然の声に飛び上がる醍醐。驚くのも無理ないことだが、高見沢は笑って、あたしも誰にも言わな〜いと約束した。更に、これあげるね〜、と一つの瓶を手渡す。
一見栄養ドリンクだ。が、そのラベルは市販のものではない。おそらく似顔絵だろう、高見沢らしき顔と、何かの文字。どこの古代文字だろう、と本気で記憶をたどる龍麻だったが、思い切り癖のある丸字であることに気付く。『舞子特製栄養ドリンク』と何とか解読に成功した。
(……大丈夫なのか、これ……?)
(……まあ、毒じゃないだろうけど……)
見習いとは言え、看護婦の調合した物だ。醍醐の問いに曖昧な返事を返しつつ、とりあえず口にする気にはなれないので龍麻はそれをポケットにしまい込んだ。
「まったく……お前の幽霊嫌いも筋金入りだな。デカい図体して、肝っ玉がちーせぇヤツだぜ」
早足で公園を抜けた醍醐に何とか追いつき、京一は醍醐に言い放つ。
「ふ、ふん……よけーなお世話だっ!」
「そんな言い方はないよ京一。京一だって苦手なものがあるでしょ?」
「へん、生憎と俺にはそんなもん――」
「岩山先生」
その言葉に京一の顔が引きつる。
「人の事は言えないな、京一」
「うるせっ! お前だってビビってたろーが!」
不毛な口論が始まろうかという時に、小蒔と高見沢が追いついてきた。
「もぉ、何で走ってくのさ。はぐれたらどーすんだよっ」
「はははっ、わりーわりー」
「すまん、桜井……」
怒鳴る小蒔。京一は適当に、醍醐は深刻な顔をして謝る。醍醐の異変の原因にただ一人気付いていない小蒔はさすがに言い過ぎたと思ったのか、慌てて手を振った。
「いや、醍醐クンに言ってるんじゃないんだよ」
不公平だ、と言わんばかりの表情の京一。
「で、高見沢サンなんだけど、もうここでいいんじゃない?」
「……そうだな」
小蒔の言葉に皆の視線が高見沢に注がれる。
「高見沢サン、ここまで案内してくれて、ありがとう。ここからはボク達だけで大丈夫だから」
ここから先は戦闘になる、そう思っての言葉だったのだが高見沢は、みんなといっしょにいたい〜、と駄々をこねる。
「おいおい、ここから先は遊びじゃねぇんだ。もしこれでお前に何かあってみろ。一番被害を被るのは俺なんだよ」
さすがに京一も岩山のお仕置きだけは恐いらしい。しかし
「でも、ここで帰したら院長の頼みを断ったことになるんじゃない?」
何気ない龍麻の発言に、京一の顔に縦線が走る。確かに岩山は連れて行け、と言った。ならば、途中で帰すということは――
「それに、彼女の《力》も必要になるだろうし。このまま付いて来てもらおうよ」
「わ〜い! ありがと〜緋勇くん! わたし頑張る〜。みんなが怪我してもわたしが癒してあげるからね〜」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ高見沢。仕方ない、と醍醐も溜息をつく。
「京一、お前が面倒見ろよ」
「……わーったよ……とにかく、俺の後ろを離れるなよ。いいな!?」
「は〜い!」
あくまで軽い高見沢の返事に、京一は深々と溜息をついた。
「うふふ……待ってたわよ」
これからどうするかを検討しようとした矢先、一人の少女が姿を見せた。
艶やかな笑みを浮かべた同年ぐらいの茶髪の少女。
(まずは一人……)
彼女の纏う《氣》を視て胸中で呟く龍麻。蒼い陽の《氣》ではない。赤い陰の《氣》をわずかだが発している。そして、彼女の傍らには――
「あんまり遅いから、もう帰ろうかと思ってたけど……」
「お前は……? 俺達を待ってたとはどういうことだ?」
問う醍醐に、茶髪女は面白そうに笑う。
「野暮なこと聞かないでよ。こっちには全部分かってんのよ。あんた達があの女とどういう関係で、ここへ何しに来たのかもね」
あの女――それが意味することは一つ。間違いなく葵のことだ。
「あたしは、墨田覚羅高三年の藤咲亜里沙。あんたたちは――そっちの大きいのが醍醐雄矢。制服の女が桜井小蒔。木刀持ってるのが蓬莱寺京一で……そっちの綺麗な顔したのが緋勇龍麻。そっちの看護婦は知らないけど……どう、当たってるでしょう?」
「……もう一人に聞いたの?」
龍麻の言葉に、藤咲の表情が変化する。高飛車な態度は変わらないが、どうやら感心しているらしい。
「ある程度は気付いてるってワケね。もっとも、こちらを覗き見したのはあんた達の方が先だけど……」
そこまで言って、藤咲は嘲りの表情を浮かべる。
「しかしあんた達みんなイカレてるわ。あんな、何の面白味もなさそうなお嬢サマを助けるためにわざわざこんなとこまで来るんだもんね」
「葵はボク達の大事な友達なんだ。葵を悪く言う奴は許さないよっ!」
それを聞いて、声を出して笑う藤咲。なにがおかしいのさ、と食ってかかる小蒔を龍麻が制する。
「そんな『面白味のないお嬢様』をいつまでも監禁するのはやめてくれないかな。彼女を返してもらえるなら、こちらも事を荒立たせるつもりはないんだけど」
「そうはいかないわね。あたしはどうでもいいけど、麗司は違うみたいだし」
「そいつが主犯か。今までの事件、全部そいつの仕業だな」
「何でこんなコト……」
「ガタガタうるさいんだよっ!」
声を荒らげる藤咲に小蒔が、そして醍醐までもが一瞬怯む。
「あんた達みたいな甘ちゃんに、あたしや麗司の想いは分からない!」
(……ある意味、唐栖と同じだな……)
欲望からではない。この藤咲という少女は確固たる目的のようなものに従って動いている。彼女から感じる負の感情――悲しみと、それからくる怒り。と、なるともう一人の麗司とかいった方が怨みを基準に動いていることになるだろう。
「……あの女を助けたいんだろう? だったら黙って付いて来な。あんたらに選択権はないんだ」
藤咲は踵を返すとそのまま建物――廃ビルに向かう。
「……まあ、案内してくれるってんだ、手間は省けたな。行こうぜ龍麻」
「あいつが……あいつらが葵を苦しめてる……」
持って来ている弓を握りしめ、小蒔が呟く。そこに高見沢の緊迫感のない声が介入した。
「あの〜。あの人をあんまり嫌いにならないであげてね」
「な……何言ってんのさ!? あいつ、悪い奴なんだよ!? 麗司とかいう奴とグルになって葵を殺そうとしてるんだ!」
当然の如く反論する小蒔だが、龍麻も高見沢の意見には賛成だった。
「でも……あの人を助けてってみんなが言ってるの」
「みんなって……まさか霊か?」
気味悪げに京一が周囲に視線を巡らせる。そうよ、と答える高見沢。
「特にあの人の後ろにいた小学生くらいの男の子。よく分からないけどぉ、何だかすごく悲しいの。……悲しい《氣》が満ちてて……」
言葉の最後の方は涙声になっている。困ったように京一達は龍麻を見た。
「彼女の言う通り、あの藤咲って人は悲しみの《氣》を纏ってる。その悲しみを怒りに変えて動いてるみたいだね」
「龍麻、お前また何か隠してやがるな?」
「……僕個人の事だったからね。実は――」
こういう事にだけは京一は鋭い。龍麻は正直に裏密から聞いたことを話す。もちろん、自分に関する事だけは伏せて。
「……つまり、藤咲がこんな事に手を貸してるのは何かに対する怒りが、麗司とかがこの一連の事件を起こしてるのは何らかの怨みから来てるってのか?」
「そういうこと。葵さんが何故巻き込まれたかは分からないけどね」
「……ったく、お前は何でいっつも一人で抱え込むんだ?」
「裏密さんは僕だけに話した。つまり、皆には不要な情報だったからだと考えられないかな。……とにかく、今回の事件の裏を僕は知りたい。戦わずに済むならそれに越したことはないし」
リーダーの決定では逆らえるはずもない。小蒔としては怒りのやり場に困るだろうが、今回は我慢してもらわなければならない。少なくとも戦闘になるまでは。
五人は藤咲の後を追った。
廃ビルの中は当然の事ながら人の気配は全くなかった。やがて、部屋の一つに案内される。窓一つない薄暗い部屋。ここに、もう一人の姿はない。
「さぁて、お客さんには、ここで少しお待ち願おうかね」
埃の積もった部屋の中に五人が入ったのを確認すると、藤咲は部屋を出ようとする。
「おい、その麗司って奴はどこにいんだよ?」
「そんなに焦らなくてもすぐ会えるよ。これからあんた達を麗司の国に案内してあげる」
京一の問いにそう言い捨て、藤咲は出て行った。
「どうするよ、龍麻?」
「迎えが来るまで待つよ」
そう言って龍麻は足下の埃を払って腰掛けた。
「迎えって……どういうことだよ?」
「葵さんの意識は夢の中。なら、それを捕らえている麗司とかいう奴の意識も夢の中って事になる」
「そんなトコにどーやって行くってんだよ?」
「さあ……まあ、一番考えられるのは……」
「ねぇ! ドアが開かない……鍵掛けられちゃったよ!」
小蒔の声に、慌ててドアを開けようとする京一達だが、ドアはびくともしない。
「閉じこめた挙げ句にガスか何かで眠らせて、そのまま僕達の意識を引き込むんじゃないかな? 僕ならそうする」
「冷静に分析してんじゃねぇよ!」
悲鳴に近い声を出す京一。しかし龍麻は平然としている。
「こうしなければ会えないなら……例え罠でも僕は行く」
「……やれやれ、仕方ねぇ。俺も覚悟を決めるか」
そう言い、龍麻の隣に腰を下ろす京一。そして唐突に口を開く。
「……なぁ、龍麻。言いそびれてた事があんだけどよ。この間の渋谷の件だ」
なおも醍醐達は部屋を出ようと奮闘しているが、京一は気にせず続けた。ただし、声は抑えている。
「お前さ、唐栖と対峙した時に《暴走》しかけた、って言ったよな?」
「……うん。原因が未だに分からないけどね。そんな状況じゃなかったはずなのに」
「あれから俺と美里で考えたんだけどな、多分原因はお前自身だ」
意味が分からないのか、龍麻は怪訝な表情をする。
「あの時、お前がどんな状況だったか覚えてるか?」
「いや……」
「あの時のお前は……怒りに満ちていた。焦ったぜ、まさかお前があんなに怒りを露わにするなんてな。その理由は聞かねぇけど……お前は多分、自分の怒りの《氣》に――負の感情に飲まれたんだ」
「……そんな事は一度もなかった」
力無く言葉を漏らす龍麻。話すべきではなかったか、と一瞬思った京一だが、今言っておかねばいつまた《暴走》するか分からない。今の内に手を打っておかなければならない。
「こっからは美里の推測だけどよ、お前が旧校舎で得た新たな《力》ってそれじゃないかって。今まで以上の感知能力――それに伴って今までは範囲外だった自分の感情にも過敏に反応するようになった。霊の類も前より視えるようになってんだろ? 今回だって他人の《氣》に気付いてたしな」
「感情を表に出すな――自分を殺せって事だね」
「少なくとも怒りはな。確証はないけどその方がいいと思う」
「……努力はしてみるよ」
そう言い、天井を見上げる龍麻。いつの間にやらどこからか何かが吹き出すような音がする。続いて甘い匂いが鼻孔ををくすぐる。ガスだ。
「夢の世界へご案内〜」
隣の京一が気楽に呟く。他の三人はまだ何やらやっていた。
(戦って斃せば無事、戦いを避ければ災い、か……)
裏密の占い――いや、多分予言であろう言葉が脳裏に浮かぶ。
龍麻にとって究極の選択をする時が迫っていた。
風の音が聞こえる。どうやら目的地へは到着したようだ。
(……感覚も……戻ってきたな……)
身体はまだ動かない。目も開かないが、耳は機能している。それに《氣》を感じることもできる。自分の周囲にある四つの《氣》は京一達のものだ。
「てて……二日酔いにでもなった気分だぜ。頭が痛ぇ」
「みんな……いるか?」
どうやら皆も同じような状況らしい。お互いに声をかけ合うが全員無事だ。
「……って、ここは一体どこなんだ?」
「砂漠……じゃないかな……」
そんな京一と小蒔のセリフに龍麻はゆっくりと目を開いた。視界に入ったのは赤茶けた広大な空間。小蒔が砂漠だと言ったが、正に砂漠そのものだ。
「……何で砂漠にしなきゃならねぇんだよ。……ったく、夢の中ならもうちょっと洒落た作りにしろってんだ」
不平を漏らす京一に苦笑する龍麻。おそらく京一は城や遊園地みたいな場所を想像したのだろう。まあ、国に案内する、などと言っていたので龍麻もその可能性を考えていなかったわけではないのだが。
「うふふ……ようこそあたし達の世界――夢の世界へ」
突然の声に前方の空間が揺らぐ。そこから現れたのは先程の案内役、藤咲亜里沙だ。
「夢の世界、って……ちゃんとみんなと話もできるし、意識もハッキリしてるじゃないか」
もっともな小蒔の意見だが、藤咲は面白そうに笑う。
「夢とは現世の出来事にも似た儚ばのコト」
聞き慣れない言葉に首を傾げる小蒔。難しかったかしら、とからかうような口調の藤咲に小蒔の顔が引きつる。
「とにかく、あんた達は眠らされてここへ連れてこられたの。これでもうおしまい。そうでしょ、麗司?」
その言葉にもう一人が姿を見せた。学生服を着た、気の弱そうな少年。そしてその身に纏う《氣》は、葵に付いていたあの陰の《氣》だった。こっちがこの夢を操っている方らしい。
「ボクはただ……誤解を解きたかっただけなんだ」
ぼそぼそと、呟くような口調で言う少年に、誤解だと?と聞き返す醍醐。
「ボクは覚羅高校の三年、嵯峨野麗司……ボクは葵を苦しめてなんかいない。ボクはボクなりに葵を見守っているんだ」
「何が葵――だ! ふざけんじゃねぇ! 美里はなぁ病院で死にかかってんだぞ!」
袋を突きつけ、激昂する京一に嵯峨野は陰気に笑う。
「葵は死んだりしないよ。ボクと一緒に……このボクの王国で一緒に暮らすんだから」
そう言うと同時に指を鳴らす嵯峨野。その背後に、霊研で見た通りに十字架に掛けられている葵が現れる。
十字架に掛けられたまま、身動き一つしない葵に目を向ける龍麻。彼女の《氣》も微弱だ。かなり危ない状態のようだ。
そんなことを考えている間に嵯峨野は葵との出会いを説明していたらしい。全容はろくに聞いていなかったが大体見当は付く。いじめられていた所を助けてもらったのだろう。
葵の優しさは龍麻だってよく分かっている。困っている者に手を差し伸べずにはいられない――そういう女性だ。
「だからって……大体、葵の気持ちはどうなるのさ!?」
「葵を護るのは君達じゃない。これからはこのボクなんだ」
《力》の目醒めるきっかけ――何かを為したいと思う心。嵯峨野は願ったのだろう、いじめのない世界を。そして葵に出会い、彼女を護る《力》を欲したのだ。それが龍脈の影響で叶った。
しかし、だからといって嵯峨野の《力》の使い方は間違っている。
「そんなの間違ってる……キミは葵の優しい心を踏みにじってる……!」
「こいつは傑作だね」
小蒔の声に、聞く者を不快にさせる傲慢な笑い声が龍麻達の耳を衝く――藤咲だ。
「ぬるま湯に浸かった嬢ちゃんがキレイ事を言うんじゃないよ! それじゃあ、踏みにじられた麗司の心はどうなるんだい? いじめなんてヤる方もヤられる方も悪いなんて言うヤツもいるけどそれはヤられたことのない奴が、力の強い奴が言うセリフさ。ヤった奴のどこに、一生消えない傷が残るってんだい? ヤられた方は、一生消えない心の傷を背負って生きていかなくちゃならないんだ!」
ここまで一気にまくし立てる藤咲だったが、不意に悲しげな表情を浮かべる。
「そうじゃなきゃ……それができなきゃ……弘司みたいに……」
先程の怒りも消え、弱々しく呟く藤咲に、龍麻の胸が痛む。さすがに夢の中までは来れないのか、藤咲の側にいた少年の姿も視えない。もしこの場にいたら、彼はどんな表情をするのだろう。
とりあえず今回の件はだいたい理解できた。後はこれをどうするかだ。
「……何だっていいんだよ。葵さえボクの側にいてくれれば。どうだい、葵をボクに譲ってくれるなら、君達は無事に帰してあげるけど?」
「悪いけど、それは断る。葵さんは誰の物でもない。自分の意志を持った一人の人間だ」
嵯峨野の言葉を突き放し、そう言ってのける龍麻。
「とにかく、葵さんを返してもらえるかな。どうせ彼女の意志を無視するなら、別に本人でなくてもいいんでしょ? 彼女の形さえしていればいいのなら、君の世界で思う存分人形を作って自己満足してればいい。それが君の本当の望みならね」
(……言うコトきついな龍麻の奴……ま、唐栖の時みたいに怒りまくるってのもいただけねぇのは確かだけどよ)
そんな事を考えながらも京一は違和感を感じる。龍麻の口調は淡々としているが、その表情は辛そうだった。
「……いくら吠えても無駄だよ。どうせ君達はこの世界ではボクに敵わないんだ」
多少動揺したようだが、自分の有利を疑わない嵯峨野は再び陰気に笑う。
「それでも戦うというなら相手になるよ……ふふふふ……さあおいで、ボクの仲間達……ゲームを始めよう」
嵯峨野が右手を振り上げる。と、同時に砂と岩しかなかった空間に、公園にあるような遊具が次々と現れる。それらは龍麻達と嵯峨野達の間に行く手を遮るように立ちはだかった。続いて無数の魔物が姿を現す。大鎌を持った死神、人魂のようなモノ、そして人の姿をした何か。葵の姿はいつの間にか消えている。
「精神が強力なダメージを受ければ肉体もまた、ダメージを受ける。君達もボクが受けた痛みを知ればいいんだ」
それが合図であったのか――魔物達は龍麻達に襲いかかった。