桜ヶ丘中央病院前。
一見すると普通の病院に見える。強いて言えば少々寂しげな場所だが。
「へぇ……新宿にこんな病院があったなんて知らなかったなぁ……」
病院を見て呟く小蒔だったが、ふと思い出したようにアン子に話しかける。
「そういえばさ、さっきのタクシーの人、ここへ行ってって言った時、妙な顔してたね」
「そういえばそうね。何だったのかしら?」
「当たり前だ。こんなトコに来るヤツは正気じゃねぇからな……ここは化物の棲み家なんだ……」
来たくなかった場所に来てしまったからだろうか。京一の顔は蒼白だ。
「さっきからおかしかったが……一体ここには何があると言うんだ?」
「言っただろ!? ここには化物がいるんだよ! それもとてつもなく恐ろしいのが……!」
(まあ、本物の化物ではないんだろうけど……)
清浄な空気に包まれた空間――この病院の敷地に足を踏み入れた時から龍麻は気分がいい。敷地全体に大きな力を感じる。そう、まるで結界の中のような。このような場所に悪意を持ったモノが入るのは困難だろう。
「お前ら何も分かってねぇんだ! ここの院長の恐ろしさを……なぁ、龍麻、お前は信じてくれるよな!?」
「……まあ……確かにここは普通の病院じゃないようだけど……」
すがりつく京一に、曖昧な言葉を返す龍麻。しかし、何がどう恐ろしいのかは分からない。
「さすが龍麻だぜ! そうとも、ここは普通じゃねぇんだ。院長に捕まると地獄だ。醍醐もそうだが龍麻! お前が特に――」
まくし立てるように言う京一だが、言葉を止め、まじまじと龍麻を見る。
「ひょっとしたら……お前は大丈夫かも知れねぇな……どっちかってーと女顔だしぐぎゃっ!?」
龍麻の足が京一の足を思い切り踏み抜く。
「それは誉めてるのかな……蓬莱寺君?」
「ううっ……ひでぇ……」
どうも京一の言葉は的を得ない。危険なのは男だけ――女顔、というか女なら大丈夫。これではその院長が男色家なのだろうか、くらいにしか想像できない。
「京一! キミの泣き言はどーでもいいの! キミを生け贄にして代わりに葵が回復するんなら、ボクは迷わずそっちを選ぶよ!」
「それもそうだわね。さ、行くわよ」
「ちくしょー! 鬼〜! 悪魔〜! 男女〜ぐげふっ!?」
再び女性二人に強制連行される京一。余計な一言でボディに一撃いいのを食らい、そのまま静かになった。
「……ま、まあ……俺達も行くか……」
「……そうだね……」
しばらく呆然としている二人だったが、気を取り直し、京一達を追った。
ロビーには誰もいなかった。まあ、病院が暇なのはいいことだとは思うのだが、受付にすら人がいないというのはどうだろう。アン子が、営業してるの? と言う疑問を抱いてもおかしくはない。
「とりあえず龍麻、美里をそこのソファに寝かせよう」
言われた通りに、龍麻は葵をソファに寝かせて彼女の様子を視る。相変わらず弱々しい葵の《氣》と、先程よりも増えたような感じがする誰かの《氣》が視えた。
「どうだ、龍麻? お前には何かが見えるんだろう?」
「……別の誰かの《氣》が視える。多分葵さんの意識に侵入してる奴のものだと思う」
敵の事については皆には伏せている。裏密が自分だけに教えたのも、皆が知る必要のない事だからだ、と解釈したのだ。
「でも……いつからこんなになったんだろう……?」
「最近、よく怖い夢を見るって言ってたんだ」
葵のすぐ側に腰掛け、口を開く小蒔。
「起きた時には、もうよく覚えてないんだけど、でも、時々眠るのが怖いくらいだって言ってた……」
「それはいつ頃からだ?桜井」
「確か――墨田区にあるおじいさんの家に、遊びに行った頃からだって……」
「墨田区だと……? まさか……」
「多分……その時に敵と接触したんだね」
醍醐の言葉に龍麻が頷く。
「それにしても、何で誰もいないのよ……ごめんくださーい! 急患ですよーっ!」
苛ついた表情のアン子が奥に向かって叫ぶ。待つことしばし――
「は〜いっ、今、行きま〜す」
返ってくる返事に反応し、京一が飛び起きた。どうやら今まで気を失っていたらしい。女の声に反応して起きるとは……さすが京一、といったところか。
「いらっしゃいませ〜」
ばたばたと騒がしくやって来たのは、ピンクのナース服の看護婦だった。年齢は同じくらいだろうか、栗色の巻き毛が印象的だ。
「「「「「……」」」」」
あまりに場違いな言葉に皆の顎が垂れ下がる。一方その元凶は、お友達がたくさ〜ん、とはしゃいでいた。
「急患なんだが……至急院長に取り次いでもらえないか?」
「わぁ、どこの制服かなー? とってもオシャレ〜」
気を取り直して醍醐が言うが、会話は全然噛み合っていない。と――奥の方から地響きが聞こえてきた。こちらに近付いてくる。
「来るぞ……来るぞぉっ!」
地震かとも思ったが、京一の怯え方を見るとそうではないらしい。恐らく、院長とやらがこの地響きの原因なのだろう。ちなみに京一は醍醐を盾にして隠れている。
「うるさいよっ! このガキ共! ここは病院なんだ、もうちょっと静かにおしっ!」
現れた人物に龍麻達は言葉を失った。
(す……スゴイ声……)
(桜井ちゃん……すごいのは声だけじゃないわよ……)
小蒔とアン子が小声で何やら言い合っているが、それ程強烈な人だった。
性別は女……であろう。ただ、その体格はちと女性の規格外に思えた。身長は龍麻より少し上だが、その横幅は倍近くある。体重も……百を超えているのではないだろうか。
ただ、龍麻にはこの女性が大きな《氣》を宿しているのが分かった。恐らく、この病院周辺の結界のようなものも彼女が張ったのだろう。
「わしは、この病院の院長の岩山たか子だ」
「ちなみにわたしは看護婦見習いの高見沢舞子で〜す。まだ看護学生なので半人前で〜っす」
「で……この病院に何の用だい?」
二人の自己紹介の後で、岩山がそう聞いてくる。戸惑いながらも龍麻が口を開いた。
「あ、あの、急患なんですけど……そっちの子が……」
「……父親はお前さんかい?」
「は……?」
美里を見て言う龍麻に、そう訊ねる岩山院長。思わず間の抜けた声を出す龍麻と、首を傾げる醍醐達に一言。
「ここは、産婦人科だよ」
「「ええぇぇぇぇっ!?」」
小蒔とアン子は、ようやくタクシーの運ちゃんの様子がおかしかった理由に気付いた。体調を崩した女生徒、その付き添いも学生。その事情を色々と想像したのだろう――色々と。
思わず叫ぶ一同(京一除く)に、うるさい、と岩山の一喝。
「まったく……責任も取れないのに最近の若いモンときたら……」
「ち……違います! そうじゃなくって……!」
「冗談だ、気にするな」
慌てる龍麻にあっさりと言葉を返す岩山。龍麻にどっと脱力感が押し寄せる。
「あの、俺達は新宿の真神学園の者です」
代わりに醍醐が説明役になった。ほぅ、と岩山が目を細める。はっきり言って、怖い。
「あんた……いい身体してるねぇ。名は?」
「は……だ、醍醐雄矢と言いますが……それより……」
「何か武道をやっているね? よく引き締まっていて……美味しそうな身体だねぇ……ひひひひ……」
絡みつくような視線に身を引く醍醐だが、岩山のその言葉にみるみる蒼ざめていく。ここに至り、ようやく醍醐は京一の怯える原因に気付いた。知っていれば醍醐だって来るのは躊躇しただろう。
「で、さっきの美形のボーヤ、あんたは何て名だい?」
「あ、僕は緋勇と言います。緋勇龍麻です」
「そうかい、あんたも何か武道をやってるね。わしには身体付きを見るだけで分かっちまうよ。後で、ぜひ他の場所も見せて欲しいもんだね」
(やっぱり駄目だったか……すまねぇ龍麻!)
顔つきはともかく、男として――それも美少年と認識された龍麻に、醍醐の後ろで同情する京一。しかし、すぐに自分の番がやってきた。
「ところで……いつまで隠れているつもりだい、京一?」
びくぅっ!
「ひ……人違いです……」
隠れたままで身を震わせている京一に岩山はひひひと上機嫌に笑う。
「久しぶりだねぇ……男ぶりがまた一段と上がって。ほれ、もっとこっちへ来ておくれ」
「い……いえ……僕はここで結構です!」
(ここってのは俺の後ろか!?)
(いいじゃねぇか! 友達だろ、醍醐!?)
醍醐と京一が二人して言い合っている。どうやら醍醐としてもこの院長の矢面に立つのは辛いらしい。
「まったく、お前もお前の師匠も、本当につれないねぇ。昔は二人まとめて、あんなに可愛がってやったのに」
「かっ……可愛がったぁっ!?」
声を裏返して叫ぶ京一。岩山の方は相変わらず楽しそうに笑っている――のだろう、多分。
「そういや、あいつは元気にしておるのかい?」
「さ、さぁ……もう、何年も会ってませんから……って、そんなことよりセンセー。今日は友達を診てもらいに来たんです」
話題を変える京一に、分かっておる、と岩山は真剣な表情で葵に視線を移す。
「……少し厄介だね……かなり衰弱しておる。それに……」
「取り除けますか?」
龍麻の問いに、岩山は眉をひそめた。
「どういう状況なのか分かるのかい?」
「だから、ここへ連れて来たんです」
「そうかい……まずは現状の把握だ。その子を連れておいで」
そう言うと岩山は奥へ行ってしまった。
「は〜い、それじゃぁ診察室にご案内しますぅ」
バスガイドのような口調で高見沢と名乗った看護婦(見習い)が手を挙げた。
再び葵を抱き上げて、続く龍麻。京一達もその後を追う。
「あらぁ――よく見るとぉ、あなたってカッコイーのねぇ」
突然振り返ってそんなことを言う高見沢。まじまじと龍麻を見て、次に葵を見る。
「ねぇねぇ、その子、あなたの彼女ぉ〜?」
「いや……友達だけど……」
そう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「それなら、今度は一人で遊びに来てね」
(男子校生が一人で産婦人科の病院へ遊びに……?)
その姿を想像してみる。……かなり異様な光景だった。
「高見沢、早くせい」
「は〜い、院長先生」
とてとてと走っていく高見沢。が、その途中で――こけた。何もない場所で器用なことだ。
「……そういえばさ。あたしたちって、名前も聞かれてないね」
「そうだね……」
何気にアン子と小蒔の話し声が耳に入る。そういえばそんな気もする。
「ごめんね〜、院長先生って、女の子にはキビシーから」
起き上がった高見沢の言葉に納得する女性陣。
「ごちゃごちゃうるさいよっ!」
岩山の一喝が廊下に響き渡った。
診察室に入ると龍麻はすぐに葵をベッドに寝かせた。高見沢が慌ただしく何かの準備を始める。
「緋勇と言ったか。お前には、異様な他者の《氣》がオーラのように立ち上がっておるのが視えるだろう。この娘には、普通の病気と違って《氣》の治療が必要だね……」
「それが、霊的治療というやつですか?」
「そうだ。その口振りだと、ここがどういう所か知っているようだねぇ。京一に聞いたのかい?」
岩山の問いに醍醐は首を横に振って続ける。
「いえ、うちの生徒に聞いたんです」
「真神の?」
「ええ、彼女――美里を診せたらここへ連れて行け、と」
「そうかい。……今度連れてきておくれ。是非会ってみたい」
伝えておきます、という醍醐の言葉に岩山は満足そうに頷くと葵に向き直った。
「よし、それじゃ治療を始めるよ。とにかく、この娘の《氣》を回復させるのが先決だ。干渉者の追跡はその後だね。高見沢」
「は〜い。準備できてま〜す」
返事をした高見沢が注射器を持って現れる。その中身は奇妙な緑色の液体で満たされていた。
「あの……その注射は……?」
不安になったのか、恐る恐る醍醐が訊ねる。《氣》の浄化を高める効果がある薬草を精製した物だ、と解説する岩山。霊だの何だのといったものに思い切り抵抗のある醍醐には、はあ、と頷くしかなかった。
「その注射で《氣》が回復するんですか?」
「これはあくまで補助だ。実際にはわしが《氣》を送り込む」
「でも他人の《氣》を相手に与えるなんてできるんですか?」
龍麻の問いに、岩山は不敵に笑う。
「普通では無理だな。それができるからわしはここで霊的治療をやっているのさ。さて、ここからは立入禁止だ。全員廊下で待っておれ」
岩山の言葉に素直に従い、診察室を出ていく京一達。しかし龍麻は足を止め、葵の方を見た。先程の注射の効果なのだろうか、赤い《氣》がほんのわずかだが薄らいでいる。
「……ん? どうした、龍麻? 美里の側にいたいのか?」
それに気付いた醍醐が声をかける。龍麻は首を横に振った。
「いや……僕にできることはないから……」
「……後は先生に任せよう」
そう言って出て行く醍醐。龍麻は岩山に向かって頭を下げた。
「先生、それじゃお願いします」
「うむ、任せておけ」
診察室を出て、扉を閉める。バタンという音が妙に耳に響いた。
「そう言えば、京一。お前、さっき師匠がどうとか言ってたが……」
ロビーに戻ると醍醐達が話をしていた。話題は京一の師匠のことらしい。
詳しく教えろと迫るアン子だが、どうも京一としては話したくないらしい。断片的に喧嘩別れしたということだけが龍麻の耳に入る。なおも教えろとせがむアン子と、絶対教えないと言い張る京一。それを眺めていた醍醐だったが、ふと小蒔の様子がおかしいのに気付く。
「……ん? どうした、桜井。美里の事は先生に任せよう」
「うん……どうしようもないって分かってるんだけど……どうしよう……もしこのまま葵が目を覚まさなかったら……」
醍醐が声をかけるより早く、耐えかねたのか小蒔が叫んだ。
「どうしてこんな事になっちゃったの!? 葵が何をしたって言うのさっ!? ……ボク、葵をこんな目に遭わせた奴を絶対に許さないよ!」
ぎゅっと拳を握りしめ、怒りを放つ小蒔。京一も醍醐もかける言葉が見つからないのか黙っている。
(……怨みと悲しみ、か……)
犯人の二人が、その感情を糧に動いているらしいというのは分かった。だが、今までの犠牲者――学校関係者や生徒に、どんな接点があるのだろうか? 犯人は何故犠牲者達を怨み、何に悲しんでいるのか。色々と考えてみるが答えは出ない。
「……クン……龍麻クン!」
我に返ると、小蒔がこちらの顔を覗き込んでいた。先程までの怒りの感情も多少は薄らいでいる。
「龍麻クン、どうしたの? 怖い顔して」
「……怖い?」
「うん。以前、葵が旧校舎に取り残された時も同じような顔してた」
言われてもしっくりこない。まあ、いつも都合良く鏡があるわけでもないが。自分の顔など朝の登校前にちらっと眺める程度だ。
「もしかしてさ、また何か隠し事してる?」
「……いや、皆に話さなきゃいけない事は何も。ただ考え事をしてただけだよ」
「美里の事が心配で心配でたまらないとよ」
「当然でしょ?」
いつものように軽口を叩く京一。普段ならここで慌てる龍麻だが、あっさりとそれを肯定してアン子に問いかける。
「遠野さん、墨田の件なんだけど……被害者の共通点ってある? 人間関係みたいなもの」
少し考え込み、アン子は手帳のようなものを取り出し、ページをめくる。
「残念ながら、分からないわね。何なら調べるけど?」
「いや……今日中に片を付けるからいい……」
どんな理由があるにせよ、葵の事を考えると時間は無駄にできない。今の治療だってどこまでうまくいくかは分からないのだ。
「それにしても……結構時間がかかるな……」
「まあ、あのセンセーに任せとけば大丈夫さ――っと」
時計を見ながら呟く醍醐に京一が答える。と、同時に奥からドアの開く音と、こちらへ近付く足音が二つ聞こえてきた。
「お待たせしました〜。院長先生からお話がありま〜す、注目〜」
見習い看護婦高見沢の言葉の後に、岩山が姿を現す。《氣》を使った治療のためか、その顔色は先程より悪い。かなり疲労している。
「……とりあえず、治療は済んだ」
その言葉に皆が安堵の溜息を漏らす。が――
「だが、娘の意識が戻らん」
「「「「えっ……!?」」」」
ここまで来て、肝心の葵が目を覚まさない。これでは意味が無いではないか。
「《氣》の回復はうまくいった。今のところは問題ない。だが、覚醒の段階で何者かが娘の深層意識を繋ぎ止めている」
「それじゃあ……葵はどうなるの!?」
小蒔の言葉に岩山は顔を曇らせた。
「このまま目を覚まさないか、もしくは……」
「その何者かの居場所の目処は?」
岩山の言葉を遮るように龍麻が問う。岩山は高見沢が持っていた地図を開くと墨田区の一角を指した。
「送られてくる《氣》の放射幅と方向を測定した結果――この辺りを中心にした半径五百メートルに《氣》の乱れが見受けられる」
「白髭公園……墨田か……地理に明るい者は誰もいないな……」
醍醐の呟きに、そんなの関係ねぇよと京一が首を振る。
「どこにいようと同じさ。必ず捜し出して犯人をとっ捕まえてやる」
「……そうだな、こうなったら闘うしかない」
「ボクも行くからね、絶対に」
「俺達に喧嘩売ったことを後悔させてやるぜ。なあ、龍麻?」
既に闘う気合いに満ちている三人だが、龍麻の返事はない。
「おい、龍麻。聞いてるのか?」
「……聞いてるよ。白髭公園周辺の捜索、でしょ?行こう……」
(どうしたんだ、龍麻の奴は……?)
(さっきから、ずっとあの調子なんだよね)
(また何か隠してやがるな……)
「……何やってるの? 行くよ」
小声で相談を始める醍醐達にそう言い放つと、龍麻はそのまま出口へと向かう。
「待て、緋勇」
その龍麻を岩山が呼び止めた。振り向く龍麻に一言。
「高見沢を連れて行け。あの辺りには詳しい」
「お……おいおいセンセ! 俺達は遊びに行くわけじゃ――!」
「分かっておる。だが高見沢はこー見えても特殊でな……普通の人間にはないものを持っている。他人とすぐ仲良くなれる……まあ、一種のコミュニケーション能力だな」
驚く京一を制し、岩山は続ける。その隣では高見沢がえっへん、と胸を張っていた。状況が理解できているのかは不明だが。
「どのみち、情報収集するんだ。何かの役には立つだろうから持っていくといい」
「でもよぉ……」
「ええい、うるさい。ごちゃごちゃ言わずに連れて行け!」
岩山の有無を言わさぬ迫力についに京一も折れるしかなかった。
結局、高見沢を加え、いつもの如くアン子を置いていく龍麻達。もちろんアン子は異議を唱えたのだが、だからといって龍麻は同行を許さなかった。
「この間出会ったジャーナリストは、引き際を心得てたよ」
と、アン子の目標を引き合いに出してようやく納得してもらったが。
「で、京一君と醍醐君に緋勇くんの名前は分かったけど〜、そちらのあなたのお名前は〜?」
病院を出てすぐ、小蒔に訊ねる高見沢。そういえば女性陣だけは名乗っていなかったのを思い出す。
「真神学園三年、桜井小蒔だよ」
「わあっ、ぴったりのお名前ね〜。短い髪もすごくお似合い〜」
名乗る小蒔に高見沢は笑みを浮かべてそう言う。これで終われば良かったのだが、余計な一言が追加された。
「男らしいって感じで憧れちゃう〜」
引きつった顔で何か言おうとする小蒔ではあったが、醍醐が機先を制し、それをなだめる。やれやれ、と京一が溜息をついた。
「悪気がない分タチが悪いな……それに話を聞かねぇし。ホントに連れてくのか?」
「まあ、岩山先生の推薦だからね。ひょっとしたら、彼女も案外《力》の持ち主かも知れないよ」
そんなことを話しながら歩く龍麻をの耳に、聞き覚えのある声が届く。
「あ……緋勇さん……」
そちらを見ると、以前渋谷で出会った栗色の髪の少女がいた。
「偶然ですね。私のこと……覚えてますか?」
「うん、確か渋谷でぶつかった……」
「おい、龍麻、この子知り合いかよ?」
京一が訊ねると、少女は軽く会釈をして言葉を濁す。
「いえ……私が勝手に、そう思ってるだけです」
「ふーん。……その制服は品川の桜塚だったっけ?」
「あ、はい……桜塚高校の二年生です。比良坂紗夜って言います」
以前、龍麻が言ったように字句の解釈付きでそう名乗る。
「……比良坂さん、だったね。聞きたいことがあるんだけど、最近君の周りでおかしな事があった?」
「いえ……別にありませんけど……」
「なら、身内か誰かに不幸があったとかは?」
「いえ。どうしたんですか?」
龍麻の問いに、不思議そうな顔をして訊ねる比良坂。普通、こんな質問を人に投げかけたりする者はそういない。
「いや……何でもない。ごめんね、変な事言って」
「龍麻、それより早く行こうぜ。ごめんな、紗夜ちゃん。俺達、今急いでるんだ」
「あ、ごめんなさい、引き止めたりして……」
私もそろそろ行きます、と立ち去りかけた比良坂だったが、立ち止まって龍麻の方を向く。
「また今度……こんな風に偶然に会えるといいですね」
返事も待たずに、今度こそ比良坂は去っていった。
「カワイイ子だったなぁ……」
「ほんと〜緋勇君って、女の子のお友達が多いのね〜」
京一と、いつの間にやら側に来ていた高見沢までもがそんなことを言う。
「……彼女と会ったのはこれで二回目だし、そんなに話をしたわけでもないんだけどね」
「ほんと〜? とっても仲良さそうで誤解しちゃうよぉ〜」
「お前も案外侮れない奴だな」
疑わしげな視線を送る高見沢と、羨ましそうな顔をする京一。そこへ小蒔の怒声が届く。
「何こんな所で油売ってんのさ!? 早く行くよ!」
は〜い、と小蒔の方へ駆けていく高見沢。京一もその後に続く。
龍麻は以前のように比良坂の立ち去った方に視線を向ける――もうどこにも彼女はいない。
(以前は分からなかったけど……)
渋谷の時に感じた違和感の正体、それに気付いた龍麻。しかし、余計に訳が分からなくなった。
(何故彼女に……陰の《氣》がついているんだろう……?)
比良坂にまとわりつくような陰の《氣》、それとはっきりとは分からないが、強いて言えば屍臭のようなもの。わずかではあったが、それは比良坂自身のものでも、今回の事件の犯人のものでもなかった。
パズルの断片だけが増えていく。その全貌が現れるのはいつのことだろうか。