4月28日未明。
「うおおぉぉぉ! これぞ極楽! ハーレム! 酒池肉林!」
周囲に女性を侍らせ、蓬莱寺京一は上機嫌だった。
その女性達は、何故か真神の男子生徒達からの評判高い女性ばかりで、その上何故か水着姿だったりする。そんな美人達が自分を「御主人様」と呼び、慕っている。
まさに、京一の煩悩大爆発といったところだ。
「ああ……幸せ……」
感涙にむせぶ京一だが、再び目を開けるとそこには誰もいなかった。
「ありゃ? ……おねーちゃん達は……?」
「京一……」
ふと、京一の背後から声がかかる。その声に京一は身を竦ませた。聞き覚えのある声だが、できることならもう二度と聞きたくなかった声。顔から血の気が失せていくのが分かる。鏡を見れば、死人のように蒼くなった自分の顔を見ることができるだろう。
「京一……」
再度聞こえる声。振り向いては駄目だ、と心が訴えている。同意見ではあったが、京一は後ろを向いてしまった。そこには自分の予想した通りのモノがいる。しかも――
「ひひっ……ひひひひっ……」
「ぎ……ぎゃああぁぁぁぁぁっ!!」
「どわああぁぁぁっ!?」
「とんでもないモノ」を見てしまった京一は飛び起きた。
「はあ、はあ……ゆ……夢か……」
着ていたシャツは汗で濡れている。呼吸を整え、何気なく時計を見ると三時。
「な……何て夢だ……いや、夢で良かった……あんなモノ……」
一瞬思い出してしまい、京一は口元を抑える。二度と思い出したくない。
「……寝直そう……」
はね除けた布団を引き寄せ、再び寝ようとする京一。
だが、結局朝まで一睡もできなかった。
桜井小蒔は目の前に続く道を歩いていた。ただひたすらまっすぐな道。先程道が分かれていたのはいつのことだったか。
「どこまで続くんだろ」
かなり長い間小蒔は歩いていた。自分が今いる場所も、この道がどこへ続いているのかも分からない。いい加減に休もうか、そう思った矢先、開けた場所に出る。
「何だろ、ココ……?」
目の前には無数の乗り物が並んでいた。新幹線、飛行機、バイク、etc……。
「これに乗れ、ってコトなのかな? ……うーん……」
腕組みなどして真剣に考え込む小蒔がそこにいた。
緋勇龍麻は目の前の光景を知っていた。
どこかの学校、その体育館裏――自分が通っていた中学校。
そこにいる六人の男子生徒。そのうち五人はボロ雑巾のようになり、一人の男子生徒の足下に転がっている。
「て、てめぇ……」
倒れていた男子の一人が何とか声を出す。他の者達はダメージが大きいのか苦痛に呻くことしかできないでいた。
「……どうして……?」
立っている男子が訊ねる。その声に宿るのは悲しみの感情。
「どうして……こんな事をするの……?」
「な……んだと……?」
「こんな不快な事を、どうして君達は楽しそうにできたの……?」
質問の意味が分からないのか、答えはない。
男子生徒――緋勇龍麻はそのまま体育館裏を後にした。
ゆっくりと龍麻は目を開けた。既に見慣れた天井が視界に広がる。
(あの時の……夢……?)
五年前の――中学一年の時、初めていじめに対して抵抗し、相手を傷つけた日の夢だ。
あれを境にしばらくは喧嘩の日々が続き、そしていじめは無くなった。その後に自分を待っていたのは孤独――結局、苦痛の種類が変わっただけに過ぎなかったが。
「なんで今頃になって……」
もちろん、答える者はいない。壁に掛かった時計は五時二十分を指している。
「二度寝、ってわけにもいかないか。少し早いけど……」
目覚ましのスイッチを切り、龍麻は起き上がった。
見渡す限り岩と砂しかない荒涼とした空間。死の大地、という表現が似合いそうなその場所に葵は立っていた。
「また……この景色……ここは一体どこなの……?」
これが夢であることは分かっている。ただ普通でないのは、ここのところ同じ夢を続けて見ているということだ。そして
『美里葵――』
「……誰なの?」
決まって聞こえる自分に呼びかける声。その声の主が姿を見せたことは一度もない。
『おいで……』
「あなたは一体……」
『おいで、葵……ボクの処へ……』
「お願い……姿を見せて。私をここから出して……お願い……」
頭を抱え、その場にうずくまる葵。しかし、葵の言葉は声の主には届いても、その心には届かない。
「誰か……助けて……」
「……ダメだよ。そこが一番安全なんだ。ボクが見守ってる、そこが一番……」
薄暗い部屋の中、一人の少年が呟く。日の下に出ていないのではと思わせる程、蒼白い肌をした、どう控えめに見ても陰気な少年。
「安心して、葵……ボクが君を護ってあげる。誰にも君を汚させはしないよ……」
「……ねぇ」
背後から声がかかる。艶やかな、聞き覚えのある少女の声。
「いつまでも、そんな女相手にしてないで、そろそろ始めようよ」
「あ、亜里沙……」
亜里沙と呼ばれた少女は近付いてくると少年の肩に手を置き、訊ねる。
「で――? 今日はどいつにするの、麗司?」
「や、やっぱりあいつだ……ボクの上履きを焼却炉に捨てた……」
その時の事を思い出したのか、麗司と呼ばれた少年の表情が歪む。
「僕は止めてって言ったのに……あいつら笑いながら……」
「そうよ……許しちゃダメ……復讐するのよ……同じ苦しみを……あなたの心の苦しみを判らせてやるのよ……」
少女の手に力がこもる。
「あなたにはその《力》があるんだから……あなたの思うままに……望みのままに……」
(そう……いじめをする者全てに同じ苦しみを……これであの子も……)
同日、3−C教室。
「……それじゃあ、今日はここまでにしよう」
チャイムが鳴り、授業の終了を告げると、犬神は集めたレポートを整えた。
「今日レポートを忘れた奴は、明日必ず俺の所へ持ってくること。いいな――特に蓬莱寺」
「へ〜い」
犬神の言葉に気のない返事をする京一。
「じゃあな。みんな気を付けて帰れよ」
結局、京一にはそれ以上何も言わずに犬神は退室した。
「……ったく、冗談じゃねぇぜ。犬神のヤロー俺だけ四回も当てやがって……」
授業が終わるなり、龍麻の所へ来て愚痴をこぼす京一。まあ、気持ちは分からなくはないのだが、はっきり言えば自業自得だ。
「よく言うよ。指されるまで熟睡してたくせに。自業自得だね」
案の定、やって来た小蒔がそう指摘する。しょうがねぇだろ、と京一は言い訳を始めた。
「午後の授業なんて眠いに決まってんだよ。ただでさえ、昨日はロクに眠れなかったんだ。それにだな、昼下がりなんてのはボーっと空を眺めながらオネーちゃんのこと考えての〜んびりするもんだろ?」
と、龍麻に同意を求めかけ、溜息をつく京一。
「お前に言ってもダメか……お前、そーゆーの全然興味ないもんな」
「そういうわけでもないけどね。授業は真面目に受けなきゃ」
「その通りだぞ、京一。くだらないことばかり言ってないで少しは龍麻を見習え」
やって来た醍醐がそう言うと、京一はそっぽを向いた。
「大方、まだレポートのレの字もやってないんだろ?」
「余計なお世話だよ」
「でもさ、京一って何でそんなに犬神センセの事嫌がるのさ? ねぇ、龍麻クンは犬神センセをどう思う?」
京一に訊ね、小蒔は龍麻に話を振った。
「授業も分かりやすいし、質問にも応じてくれるしね。いい人だと思うよ」
人じゃないけど、と胸中で呟く。それに、個人的にも彼には色々世話になっている。旧校舎の時には助けてもらったし、旧校舎の鍵もくれた。渋谷の件でも情報を提供してくれた。龍麻には犬神を嫌う理由はない。たとえ、彼が人外でも。
「やっぱ、そうだよね。ボクも犬神センセには興味あるんだ」
「大体、アイツは陰気なんだよ。マリアせんせのケツばっか追っかけ回しやがって」
「そうなの? ボクはマリアセンセーが犬神センセーを気に掛けてると思ってたんだけど」
マリアと犬神の姿を想像してみる龍麻。どう考えてもあの二人がそういった関係であるようには見えない。どちらかと言えば、マリアが犬神に突っかかっているように思える。あの二人の間にあるものが何かまでは分からないが、仲良し、ではなさそうだ。
「ははは。まあ、あと半年ちょっとの付き合いだ。我慢するんだな」
なおも犬神の悪口を言う京一を笑う醍醐。
「ところで……美里の姿が見えないがどうしたんだ?」
いつもなら、話に加わっているはずの葵の姿がない。いつもなら、と言えるほど龍麻達五人は一緒にいる事が多くなっていた。
「ああ、葵なら生徒会の広報がどうとかって新聞部へ行ったよ」
「新聞部ぅ〜? あんなところへ一人で行ったら、アン子にヤられちまうぞ」
「相変わらず、ムチャクチャ言ってるなぁ」
馬鹿げた京一の発言に、呆れ顔の小蒔。ちょうどそこへ、話題の主が戻ってきた。
「あら……どうしたの? みんなで集まって……」
「へへへ、生徒会も大変だなぁって話してたトコ」
「うふふ……ありがとう、小蒔」
そう言って笑う葵だが、どうもおかしい。
少し前から気になってはいたのだが、日が経つにつれて葵の《氣》が弱まっているようだ。それに何かは分からないが違和感がある。
「葵さん、体の調子が悪いの? 何だか顔色が悪いけど……」
「ホントだ……調子悪いなら、早く帰って休んだ方がいいよ」
心配そうに言葉をかける龍麻と小蒔。だが、葵は首を横に振った。
「ありがとう。でも、私なら大丈夫よ。もうすぐアン子ちゃんが来るから……そうしたらみんなで帰りましょう」
「体調じゃないなら……悩み事?」
驚いたように葵は龍麻を見た。微笑みを返して龍麻は続ける。
「以前……花見をした時と同じような表情してる。それに《氣》も弱まってるし」
「そうか? 別にいつもと変わらないような気もするけどな」
「まあ……龍麻が言うのならそうなのかもしれんが」
この中で《氣》や感情といったものに一番敏感なのは龍麻と葵だ。特に龍麻は幼い頃からその傾向があったためか、《氣》を視ることで相手の体調や気分といったものが大体分かるようになっていた。
しかし、その真偽を確かめる前に新聞部長がカメラ片手に飛び込んできた。京一が溜息をつくのが聞こえる。
「おっまたせー! ……おっ、相も変わらず揃ってるわね、皆の衆」
「うるさいのが来たぜ……」
「何よ京一、辛気臭い顔して。アンタはのーてん気さだけが取り柄なのに」
「うるせぇ、今日は寝不足なんだ。それに、お前と違って悩み多きふつーの高校生なんだよ、俺は」
ふつーの、を強調して言う京一に、アン子はふくれて言い返す。
「あら、失礼ね。あたしだって悩みぐらいあるわよ」
「……どこかにいいネタがないかとか、どこかで事件が起きないかなとか?」
その龍麻の一言にアン子がコケた。
「あのねぇ、龍麻君。確かにそれもあるけど、あたしだってゆっくりと羽を伸ばしたいこともあるんだから」
「はははは、バイタリティーの塊の遠野の口から、そんなセリフが聞けるとはな」
「お前にも人間らしいところがあったとはね……」
声を出して笑う醍醐に、意外そうに言う京一。何やら言おうとするアン子であったが、大欠伸がそれを阻んだ。
「あれ、遠野さんも寝不足?」
「まあ、ね。昨日だって一晩中原稿書いてたから眠くってしょうがないのよ」
「でも、夢も見ないでゆっくり眠りたいっていうの、ボク、よくわかるなぁ……京一じゃないけど、ボクも寝不足気味なんだ。昨日の夜、ヘンな夢見ちゃってさ」
夢、の言葉に京一の顔が引きつる。悪い夢でも見たのだろうか。それに、葵の表情にも一瞬影がさしたような気がする。龍麻も何気に自分の見た夢を思い出す。
気付くと、小蒔がアン子に促されて自分の見た夢を話し始めていた。
ただひたすら道を歩く夢――途中にあったたくさんの乗り物。しかし結局何にも乗らずに歩き続け、途中で疲れて目が覚める。要約するとそんな夢だったらしい。
「疲れて目が覚める、か。桜井、何か悩み事でもあるのか? それともストレスが溜まっているとか」
「あははっ。考えすぎだよ醍醐クンは」
醍醐の問いに、笑いながら答える小蒔。しかしアン子はそんなことないわよ、と切り出す。
「夢って心の奥にしまわれた意識の象徴だって言うわ。昔から夢は神のお告げ、魂の働きだと言われてたのよ」
「夢占いってやつか」
「そうね。そういうのを幻象心理学って呼んだりするんだけど、誰でも簡単に判断できるようになってる本も、結構あるわよ。うろ覚えでよければ、桜井ちゃんの夢、解析してあげよっか?」
どうやら小蒔なりに気になる夢だったらしい。アン子の提案にすぐに飛びついた。よろしい、とアン子が解析を始める。
「えーと……道を歩く――どこかへ出掛けるというのは、旅立ちとか人生の漠然とした予告を表していると思ったわ。次に乗り物とか……移動手段ってのはその人の人生の過ごし方、行動の仕方を表している……はずよ。列車はレールに乗った無難な人生。バイクは機動性と自由、危険。飛行機は解放――後は何だったかしら?」
「でもボク、結局歩いたんだよなぁ。これってどういう意味?」
「歩くってことは自分の力で人生を切り開くってこと。そこが桜井ちゃんらしいっていえば、らしいわね」
小蒔に視線を移すと照れたように笑っている。
「後は……途中で目が覚めたようだけど、人生に迷いがあるのかも……と、まあこんな感じかしら」
「迷い、かぁ……確かにそうかな。進路指導ももうすぐ始まるしね。自分が何したいか、まだよく分かんなくて……」
(そういえば、進路指導関係の資料って真神に引き継がれてるのかな……)
明日香にいた頃に二度あったはずだが、そういったものはどうなってるんだろう、と一人考える龍麻。
「進路か……まあ、避けては通れない道だろうな。この中で大体決まってるのは……美里は大学進学だろ?」
醍醐が葵に問う。ええ、と答える葵だが、まだ迷っているようだ。
「でも、正直言うと、私もまだ何をしたいのか、はっきり決められないでいるの……」
「みんな、そんなもんだって。そう言えばアン子も大学志望だよね? 醍醐クンは?」
「俺か……? まだ決めかねているが進学はないな。龍麻、お前はどうなんだ? その……卒業してからの事とか……」
皆の視線が龍麻に集中する。四月からここへ来た龍麻の志望は誰も知らないのだから、興味があるのだろう。
「僕? 進学志望だよ。……学校は決めてないけど、できれば国立かな。安いし」
「……東大か?」
「ああ、あの海にあるヤツな」
「……まあ、俺は勉強を教えてやる事はできんが……頑張れよ」
あまりにも寒い京一のギャグは無視して、醍醐は龍麻に激励の言葉を贈る。京一はというと一人寂しく机に「の」の字を書き始めた。
「しかし、将来の夢に夜見る夢――夢も色々だな……」
「そうだね。こうやって考えると、夢ってなんかステキだなぁ」
「冗談じゃねぇ。見たくもない夢を見た日にゃ気が滅入るだろーが」
「……昨日の夢はよほどひどかったんだね、京一」
復活した京一が愚痴をこぼす。龍麻の言葉に詰め寄ってくると、がし、と両の肩を掴み
「頼むから思い出させないでくれ……ひどいなんてもんじゃねぇよ、あんな悪夢……。とにかく、夢の話はもうやめだ」
蒼い顔をして訴える京一に思わず龍麻も後ずさる。しかし、約一名はそれを意に介さず話を再開した。
「夢は必ず覚めるもの……それがもし覚めなかったら?」
「……何かあったの?」
「最近、墨田区周辺で起こってる事件、知ってる?」
問う龍麻に、そう訊ねるアン子。墨田区の事件……確か――
「あぁ……原因不明の突然死や謎の自殺ってやつか?」
龍麻が思い出すより早く醍醐が言う。なんだそりゃ、といった表情の京一。相変わらず新聞やニュースには興味がないようだ。
「ここ一週間で六人……普通じゃないでしょ? 警察もハッキリとは公表してないけどあたしの仕入れた情報によるとね……死んだ人間には奇妙な符号があるの」
ここまでくれば先も読める。夢の話からいきなり事件の話……ということは
「そのキーが……夢?」
「そう、その通り。さすが龍麻君。この事件では全ての人が夢に関わって命を落としているわ」
しかし、この少女は一体どこからこんな情報を仕入れてくるのだろう?そんなことを考えている間にも話は続く。
「朝、布団の中で冷たくなって発見されたり、自殺者の中に夢に悩まされていた人が多かったり……夢見のせいで気が狂って自殺に及んだ人もいる。その全てが墨田区及びその周辺で起こる……どう?」
「なんか……渋谷の件と似てるね……鴉と夢が変わっただけって感じ……それに墨田の事件って学校関係者やボク達と同い年の子が多いよね」
そう指摘する小蒔に頷くアン子。確かに不自然極まりない。しかし、普通の人間なら偶然の一致で片づけてしまうのだろう。
「……調べてみる必要がありそうだな……どうする、龍麻?」
「そうだね。とりあえず、現時点では情報収集しかできないけど――!?」
突然、葵が龍麻に寄り掛かった――そう周囲の目には映った。
狼狽える龍麻だったが、当の葵の返事はない。そのまま体勢を崩し
「葵さん……!?」
その場に倒れそうになるのを慌てて龍麻が抱き止めた。既に意識はない。その顔色は先程よりも悪い。
「葵! し、しっかりして……!」
小蒔の声にも反応はない。まるで眠っているように――
(さっきよりも《氣》が弱い……どうしてこうも短時間に……?)
「やはり、よほど体調が悪かったんだな……あの時、無理にでも帰しておくべきだったか」
「ボクが……ボクが調子に乗って夢の話なんてしたから……」
「いや……帰さなくて正解だったよ。それに小蒔さんのせいでもない」
龍麻の言葉に首を傾げる醍醐。
「どういうことだ?」
「この様子だと帰る途中で倒れてる。それに――」
(普通の病院じゃ……少なくともこの《氣》は取り除けないな……もう少し早く気付いていれば……!)
言葉の後ろ半分は口に出さない。龍麻には葵の体から発せられる《氣》が視えていた。一つは葵自身の《氣》。もう一つは葵以外の「誰か」の《氣》。何度か見たことのある赤い《氣》――陰に魅入られた者の《氣》だ。先程の違和感の正体はこれだったのだ。
「とにかく……霊研へ行く」
「正気かよっ!?」
龍麻の発言に京一が叫ぶ。小蒔も何やら複雑な表情を浮かべた。
「こーゆー時はまず病院だろ!? 一体何考えてんだよ!」
「そうだよ! もし大変な病気だったら!」
「みんなには視えないか……」
その言葉に何かを感じたのだろう。霊研嫌いであるはずの醍醐が龍麻に同意した。
「龍麻がこう言うんだ、何か思うところがあるんだろう」
「……ちっ……しゃーねぇ……」
「醍醐クンまでそう言うなら……そうだね、ミサちゃんなら何とかしてくれるかも……」
龍麻と醍醐が同じ考えである以上、ここで反対する者はいなかった。
「龍麻クン、葵を霊研まで運んでくれる?」
「分かった」
いつかの旧校舎の時と同じように龍麻は葵を抱き上げる。あの時と違うのは、葵が危険だということだ。
醍醐の指示で京一が教室のドアを開ける。龍麻達は足早に二階へと向かった。
「んふふふふ〜。オカルト研へよ〜こそ〜」
アン子が霊研のドアを開けると、裏密ミサが人形と一緒に待っていた。以前来た時も思ったが、なかなかに妖しい空間だ。
「精神的緊張のアスペクトが天蠍宮と双魚宮を結ぶ時〜、囚われの精神は悲しみの闇に沈む〜。決して醒めぬ夢の迷宮〜」
以前の通り、解りにくい言い回しだが、最後の、夢という言葉に皆が反応する。
「う、裏密、お前まさか……」
「あたし達の言いたい事、分かってるの!?」
驚きの声を上げる醍醐とアン子に、裏密はうふふ〜と笑うと水晶球を取り出した。
「この前、インターネットで買ったこのウァッサゴーの水晶〜。これでみんなのこと覗いてたんだ〜。また今度、緋勇く〜んの未来も視てあげようか〜?」
「そうだね、また頼むよ。でも、今はそれより――葵さんを診てやってくれないかな」
抱き上げたままの葵に視線を移して頼むと、近付いてきた裏密が葵を一通り眺めた。
「……」
「どお?ミサちゃん、何か分かる?」
「……キルリアン反応が弱まってるね〜」
アン子の問いに、裏密は聞き慣れない言葉を口から紡ぐ。
「……キル……何?」
「簡単に言うとね〜、人の体から放射される光――オーラのことよ〜」
「……よく分かんないや……」
質問したものの、返ってきた答えもよく分からない小蒔。それを龍麻が補足した。
「生体エネルギー、みたいなものだったっけ。分かりやすく言えば《氣》の事だよ」
「東洋ではそう呼ばれることもあるわね〜。ちょっと意味の幅が広いけど〜」
「それが弱まっているっていうの?」
口に出さずとも皆には理解できていた。それが意味するところは。
「一体どうして……」
震える声で呟く小蒔。目尻に光るものが浮かんでいる。
「ちょっと、待ってて〜」
裏密は奥にある席に座ると、先程の水晶を台座に置き、どこからともなく取り出したフードを纏う。皆がそちらに注目している間に、龍麻は片手で器用にハンカチを取り出すと、小蒔に渡した。
「大丈夫だよ」
「……うん、ありがと……」
小声で皆に聞こえないように言う龍麻。素直にそれを受け取り、涙を拭く小蒔。一方、裏密の方は準備が整ったようだ。
「これから行うのは、いわゆる水晶を媒介にした透視術の一つなの〜」
「は……?」
間抜けな声を出す京一だが、構わずに裏密は続ける。
「まず〜、あたしの魂を二分化して〜その片方を葵ちゃ〜んの意識に同化させるの〜。うまくいくと、あたしの視たものがこの水晶に映し出されるの〜」
なるほど、と納得する龍麻と、混乱の一途をたどる京一達。心配になったのか醍醐が問う。
「人体に影響はないんだろうな……?」
「大丈夫〜。この術で廃人になった被術者は、世界中合わせても〜過去に六人しかいないから〜。……記録に残る限りではね〜」
止める間もなく裏密は術を開始した。
「エロイム・エッサイム、エロイム・エッサイム……ケペリ・ケペル・ケペルゥ……我生りし時、生成りき……」
裏密の呪文が室内を満たす。龍麻の目には裏密から放たれる蒼い光――《氣》の光が視えた。
薄暗い部屋の中、水晶が淡く輝く。そしてその中に映ったのは――十字架に磔にされた葵の姿だった。
「美里ちゃんだわ。……でもこれって……」
アン子がそう呟いた直後、水晶が明滅を始める。裏密の表情が変化するのを龍麻は見逃さなかった。
「危ない!」
龍麻が叫ぶと同時に水晶は粉々に爆ぜる。誰一人として反応はできなかったが、どうやら怪我人はいないようだ。
「一体、何が起こったんだ? いきなり水晶球が割れて……」
「覗いてたのがばれちゃった〜。なかなかやるわね〜」
醍醐の問いに、道具を壊されたというのに楽しそうな裏密の返事。
「葵ちゃ〜んの深層意識に、誰かが侵入してるみたい〜」
誰かが《力》を使って、葵の意識を捕らえている。それを覗いた裏密の存在に気付き、反撃までしてくるとは――
「……とにかく〜、このままじゃどうにもならないよ〜。誰か〜桜ヶ丘中央病院は知ってる〜?」
裏密の問いに、答える者はいない。龍麻は名前だけは聞いて知っていた。だが、それ以上に詳しいものが約一名――
「さっ……桜ヶ丘だとぉ!?」
突然大声――いや悲鳴を上げる京一に皆の視線が集中する。心なしか蒼ざめているようにも見えた。
「知っているなら〜そこの院長を訪ねてみて〜」
「院長!? じょ……冗談じゃねぇ!」
知り合いなの? と訊ねる小蒔に、そんなケガラワしいっ! と引きつった顔の京一。
「あそこは〜霊的治療といって、普通でない病気を治療してくれるから〜。京一く〜んは詳しいようだから連れてってもらうといいよ〜」
「い……嫌だっ! それだけは勘弁してくれ〜!」
「……京一、そんなに嫌なら別に来なくていいよ」
龍麻の言葉に京一が静かになる。
「名前と場所だけは知ってるから、タクシー拾えば行けるし。行く、行かないで問答してる時間も惜しい」
「京一、何があるのかは知らんが、美里が助かるというなら、行かないわけにはいかん」
「……あーもー! さっさと来なさい! 美里ちゃんのためよ!」
「見苦しいぞ、京一! あ、ミサちゃんありがとね!」
アン子と小蒔が実力行使に出た。京一の両脇を抱え、そのまま部室から引きずり出す。
「雄矢、制服の右ポケットに携帯あるからタクシー二台呼んで。会社は入ってるから」
龍麻のポケットから携帯を取り出すと醍醐は足早に部室を出た。やはり霊研は醍醐にとって鬼門のようだ。
「裏密さん、今回も色々ありがとう」
「あんまり役に立てなかったけどね〜。お詫びにこれあ〜げ〜る〜」
そう言って裏密は札のようなものを取り出す。木製の札で、何やら書き込んである。どうも今度は中国――大陸系らしい。
「呪詛から身を守るお守り〜」
「有難くもらっておくよ。それじゃあ」
「あ、それと〜二人だよ〜」
部室を出ようとした龍麻を呼び止める裏密。
「敵は二人〜。さっき水晶が割れた時にちらっとだけ視えたの〜」
何でそんなことを今言うのだろう、と龍麻は首を傾げる。皆の前で言えばいい事なのに何故自分だけに?
「一人は怨み〜、一人は悲しみをもって動いてるね〜。葵ちゃ〜んに対するものじゃないけど〜」
「……墨田区の事件の事?」
「そう〜。でも二人とも、まだ少し迷いがあるみたい〜」
「戦わなくてもすむ……かも知れない?」
「そうだね〜。ただ〜それを選択すると〜緋勇く〜んに多少の災いが降りかかる〜」
「……ありがとう。肝に銘じておくよ」
礼を言って、龍麻は部室を出ていった。一人その場に残る裏密。
「忠告はしたわよ〜。それでも〜緋勇く〜んが選ぶ道は〜決まってるみたいだけどね〜」
それにしても、と裏密は思う。最近奇妙な事件が多いが、それに龍麻達が関わっているようだ。こんな機会は滅多にあるものではないのだが。
「また何かあったら〜あたしもついて行こうかな〜」
うふふふ〜という不気味な笑い声とともに、霊研のドアは誰の手も触れていないのにゆっくりと閉まっていった。