人が見れば奇妙に思っただろう。先頭を行く金髪の男子。その少し後ろには、一瞬女性ではないかと思われても仕方ない美貌を持った男子生徒。更にその後方には同じ学校の制服を着た男女が二組。しかもその中の赤毛の少年と茶髪の少女は不機嫌そうだ。どう見ても不釣り合いな集団だった。
「いいのかい? あのままで」
先頭の雨紋が振り返らずに問う。
「あンたがリーダーなんだろ? 仲間の面倒くらい見なきゃな」
「……今はいい。彼らだって分かってるはずだから。ただ気付いていないだけだよ」
「それじゃ、分かってないのと同じだろ? 特にあの赤毛と茶髪はさっきのあンたの態度が気にくわないらしいしな」
龍麻が天野に対して言った一言が原因だというのは雨紋にも分かった。今まで事件を追っていた彼女を突き放すような言葉。普通なら本人が怒りそうなものだが、彼女はその言葉の裏を察したはずだ。だからこそ、京一と小蒔を止め、龍麻に礼さえ言ったのだ。
「あンたも大変だね……っとっと」
「龍麻くん」
後ろから葵が追いついて来た。そのまま龍麻の隣に並ぶ。気を利かせたつもりか雨紋は二人から少し距離を置いた。
「何かあった?」
「余計な事かも知れないけど……京一くんと小蒔に……」
「僕からは何も言うつもりはないよ」
「それはいいの。醍醐くんに任せてきたから」
謝った方がいいと言いに来たのかと思ったがどうやら違うらしい。
「大丈夫かな?」
「ええ。醍醐くんは分かってるみたいだから」
「そう……」
それ以上は何も言わずに龍麻は歩く。しばらくは葵も無言だったが
「ねえ龍麻くん。後悔してる……?」
と、唐突に問う。
「何が?」
「私達を連れて来たこと。本当なら龍麻くん一人で来たかったんでしょう?」
「……」
「ごめんなさい。私達の力が至らないばかりに……」
「そんなことないよ」
「でも、さっき天野さんに言ってたわ。半月先なら、って。私達がある程度《力》を使いこなせるようになれば、って意味でしょう?」
「少なくとも京一と葵さんに関しては心配してない」
少し声を落として龍麻は言った。
「問題は雄矢と小蒔さん。今回の相手は鴉だから、上空からの攻撃に対応できないと厄介なんだ。雄矢も発剄が使えるようになったから大丈夫そうだけど、まだ失敗することがあるしね。小蒔さんの方は矢が無くなれば戦えない」
「もしそうなれば、そちらのフォローが必要になる。ただでさえ今回の相手は無数の鴉、戦闘能力のない第三者を護りながら戦う余裕はない。そういうことね」
「さすが学園一の才女。それだけじゃないけど……後は僕自身の問題だから……」
後ろの方で醍醐達の話す声が聞こえる。どうやら、自分達の置かれている状況を話し始めたようだ。
(僕に力があれば……皆を護る力……誰が関わっても護り抜くだけの力が……)
「龍麻くん……?」
「あ……何でもないよ」
その言葉にも表情にも説得力はない。が、葵もそれ以上追求しなかった。
「おい龍麻」
話は終わったのか、いきなり後方からやって来た京一が龍麻の後頭部を小突く。
「……最初から説明してくれればいいだろ?」
「言わなくても分かると思ってたからね。大体、遠野さんの時は何も言わなかったじゃないか。連れて行くのが危険だって分かってたからでしょ?」
「そりゃ……まあ……」
「それが天野さんだったら分からないと?」
結局、戦闘面で葵達のフォローをするのは現時点では龍麻と京一だ。それは京一に余計な負担を掛けるということでもある。それをしたくなかったから龍麻は天野を遠ざけた。指揮官という立場上、龍麻も皆の負担をなるべく小さくしようと色々と気を遣っているのだ。
「……わーったよ。俺が悪かった」
意外と素直に京一は謝った。
代々木公園。かつては東京オリンピックの選手村だったここも、現在では公園として利用されている。だが――
「さすがに事件の噂を知ってか、人気がないな……」
閑散とした公園内を見回し、醍醐が呟いた。
「……何か……視線を感じる」
羽を休めている無数の鴉がこちらを見ている、そう思える。葵の言葉に龍麻が頷く。
「多分鴉だろうけど……あの男もこっちを見てるね」
「唐栖が? でもどこにも見えねぇぜ?」
「彼の《力》が鴉を操る事なら、鴉の目を通じて遠くを視るのも可能だと思う」
「この鴉全部がヤローの目、か? ぞっとするな」
適当な鴉に目をやり、京一が中指を立てた。
「この《氣》はただ事じゃないな。これらの鴉が奴の《氣》を受けているのだとしたら、これだけ広範囲に《氣》が満ちているのも分かる」
《力》の行使にはまだ不安が残る醍醐ではあったが、武道家として相手の気配、《氣》を読む事に関しては問題ないようだ。
「空気が憎しみと憤りに溢れているわ……龍麻くん、大丈夫?」
「……これくらいなら、ね。旧校舎程じゃないし」
負の感情や《氣》に呑まれやすいと言っていた龍麻を心配する葵。顔色はいいとは言えないが、以前に比べると耐性も上がっているのか、大丈夫だよ、と龍麻は返す。
「でも、スゴイ鴉だね……何か、恐い……前来たときは、こんな雰囲気じゃなかったのに」
「ヤツがここに来るまではな。今じゃ、鴉の巣だ」
「誰もいないのかな……?」
誰にともなく問う小蒔に雨紋が答える。
「ウワサだが……入ったヤツが、何人か出てこないらしい」
「それってもしかして、鴉に……?」
「かもしれねぇな。オレ様もできるだけ人を近づけないようにしてきたけど、それでも面白半分、肝試し気分で入り込むヤツが後を絶たないのさ」
ふと、龍麻の視界に人影が入ってくる。木々の奥に佇む一人の男。一見サラリーマン風だが――
「どうした、龍麻?」
「え? ああ、あそこに人がいるから」
「……誰もいねぇぞ?」
龍麻の指す方に目をやるが京一には何も見えない。いや、龍麻以外の誰にも見えていないようだ。と、なるとあれは――
「夢でも見たか? しっかりしてくれよ龍麻」
先へ進む京一達。龍麻は足を止め、もう一度さっきの方を視る。
(……まいったな……)
男の口がかすかに動いている。断片的に理解できたのは「助けて」と「鴉」の二つだけだ。
(特に意識しなくても視えるようになってる……なんかどんどん普通じゃなくなっていくな……そのうち声も聞けて、触れるようにもなったりして……)
溜息を一つつき、龍麻は男に頷く。それに満足したのか男の姿は消えた。あくまで視界から、だが。
「龍麻クン! 何やってるの!」
「あ……ごめん!」
先を行く小蒔が龍麻を呼ぶ。急いで龍麻は合流した。
「もう、さっきから変だよ龍麻クン。ひょっとして、また隠し事してる?」
「え? いや、そんなことはないけど……」
「ホント〜?」
別に話してもいいことだが、若干一名に余計なプレッシャーを与えてしまいそうなので黙っておくことにした。
「あンたのことだから心配いらねぇと思うけど、気を引き締めていけよ」
「うん、大丈夫……ありがとう」
「……なら、いいンだけどよ」
龍麻の返事に、やや照れながら雨紋は視線を逸らす。そして厳しい表情で呟いた。
「これ以上、関係ねぇ人間が死ぬのを見ンのはゴメンだ……」
「雨紋くんって優しいのね」
「え?」
葵の言葉に思わず聞き返す雨紋。葵は笑みを浮かべたまま続ける。
「だって、自分だって危険なのに、知らない誰かの心配までするなんて……なかなかできる事じゃないわ。ね、龍麻くん?」
「そうだね。自分の《力》を他人の為に使える者はそう多くない。大抵の人間は自分に負けて、悪い方向へ進むからね。でも雨紋はそうならずに、その《力》を良き方向に使っている。それもたった一人で。君が強く、正しい心を持っている証拠だよ。うらやましいね」
「ふふふ……そんなに感激するなんて。龍麻くんは余程雨紋くんのことが好きなのね」
笑いながら言う葵に龍麻も笑いながら頷いた。
「おいおい、確かにあンたは綺麗だけど男だろ? 俺にはそっちの趣味はないぜ?」
少し引きながら言う雨紋に、僕もそっちの趣味はないよ、と返す龍麻。
「俺にはこいつがそんな立派なヤツにゃ見えねぇけどな」
面白くなさそうに言う京一。雨紋も肩をすくめて、そんな大層なモンじゃないさと苦笑する。
「オレ様はただ――自分の生まれ育ったこの街をこの手で守りたかった。ただ、それだけさ」
「それでいいんだよ。何かを、誰かを守りたいって気持ちが大切なんだ。それが《力》になる。雨紋はそれがよく分かってる」
「べ……別に誉めても何も出ないからな……」
再び照れたようにそう言うと、雨紋は足早に先へと進んでいった。
公園内の工事現場で雨紋はその足を止めた。
「ココには塔が建つらしい。鴉騒ぎで、今は工事が中断しているらしいがな」
塔、といっても今はただの鉄筋の骨組みでしかない。足場は悪そうだ。
「ヤツはこの上にいる。いつも高みから偉そうに地上を見下ろしてンのさ」
「この上か……確かにいるね」
威圧的な《氣》を隠そうともしていない。禍々しい《氣》が周囲に満ちている。
「緋勇って言ったっけ。あンた高いトコは大丈夫か?」
「うーん……見晴らしのいい所は好きだよ。山とか木の上とか。工事現場は初めてだけど」
「そうか。確かに気持ちはいいけどな」
「まあ、ナントカと煙は高いトコが好きって言うからな」
そう言った京一の頭を小蒔が小突く。絶妙のタイミングのつっこみだ
「こらっ、龍麻クンに失礼だろバカ京一! 自分だって木の上でよく昼寝してるじゃないか!」
「しかし……足を踏み外せば一巻の終わり……か」
騒ぐ二人を無視して醍醐は塔を見上げる。この高さから落ちたらひとたまりもない。しかし雨紋はあっさりと
「なあに、心配することないって。下見なきゃいいのさ」
「「そう言う問題じゃないっ!」」
京一と小蒔が同時につっこんだ。その反応に雨紋が声を出して笑う。
「それより――お前、あの唐栖って奴と知り合いなのか?」
向こうは雨紋のことを知っていた。そして雨紋も唐栖のことを知っているようだった。気になって京一が訊ねると、一瞬の沈黙の後、雨紋は唐栖のことを話し始めた。
「ヤツは――唐栖亮一は、二ヶ月前にオレ様の通う渋谷神代高校に転校してきた男だ。あいつも初めからああだったワケじゃない。あいつが変わり始めたのは、ここ一月ぐらい前からさ。転校してきたばっかで、友達もほとンどいなかったヤツだが……」
ある日、唐栖は雨紋を呼び出し、神の存在を信じるか、そう聞いてきたという。
あまりに突拍子もない話ではあったが、その時唐栖は自分は神に選ばれた、そう言ったらしい。神たる《力》を持つ者に選ばれた、と。
「その人も雨紋くんや私達と同じ……」
「だな。しっかし、今年になってからわけの分からねぇ事が立て続けに起こりやがる。人間を鴉の餌にしたがる奴はいるわ、旧校舎でおかしなコトに巻き込まれるわ――変な技を持った男は転校してくるわ……なあ、龍麻?」
「確かにね。その変な人間に関わろうとする人もいるし。類は友を呼ぶ、ってとこかな」
からかうような口調の京一に、あっさりと反撃する龍麻。次の言葉が出ない京一に、周りの者が笑う。
「で、引き返すンなら今のウチだぜ?」
雨紋が槍を袋から取り出した。
「そうだな……美里、桜井……本当に大丈夫か……?」
また始まったと京一が溜息をつく。いい加減にその過保護をやめろ、と直接言ってやろうかと京一が口を開く前に龍麻が言った。
「雄矢……やめた方がいいよ」
「しかし……お前はどうなんだ? 余裕がない、と言ったのは龍麻だろう?」
「いつ僕が《力》を持つ二人が足手まといだと言った? 余裕がない、って言ったのは非戦闘員を交えれば、の話だよ。もし、本当に彼女達が足手まといなら、気絶させてでも連れて来たりはしなかった。必要だからこそ、連れて行くって言ったんだ」
「まったく、醍醐クンは余計な心配し過ぎなんだよ。もうちょっと信用してほしいよね!」
腕を組んで小蒔がふくれている。かなり本気で怒っているようだ。
「いつもいつも危険から遠ざけようとして! 醍醐クンにとってボク達って足手まといってコト!? それともボク達のコト嫌い!?」
(醍醐の気持ちも知らないで……哀れ醍醐……)
心の中で合掌する龍麻と京一。さすがにそこまで言われて、醍醐の方もかなり気落ちしているようだ。あの大きな図体が小さく見える。多分錯覚だろうが。
「小蒔!醍醐くんは、私達の事を本当に心配してくれてるの。そう言う言い方は駄目よ」
「心配していたつもりが余計な気を使わせたようだな。……すまん、二人とも」
「あ……ボ……ボクも言い過ぎた……ゴメン……変なコト言って……」
多少のわだかまりは残ったものの、とりあえずはこれで問題ない。まあ、醍醐のことだから同じ事を繰り返す可能性もあるが……。
「さ、行こうか。京一、雨紋、先鋒頼むね」
京一と雨紋を先行させ、龍麻は醍醐と小蒔のいる所へ下がる。
「雄矢、一つだけ言っておくけど……」
声を抑え、それでも小蒔には聞き取れるように龍麻が言う。
「今後このメンツの一人でも欠けることがあれば……僕は一人で行動するからね」
「……そんな保険を掛けることはないぞ。もう何も言わない」
そうじゃない、と龍麻は首を横に振る。
「僕自身の問題なんだ。もしも誰かが欠けたら……僕は多分《暴走》してしまう」
「……なっ……!?」
「一人で戦う分には誰のことも気遣う必要がないから、《暴走》しても構わない。でも、四人がいる状態だと、《暴走》の危険を気にすることなく戦える。そういう状況に陥らない……それだけみんなを信頼してるからなんだけど、回復役や支援が欠けたら安心して前に出れない。その護衛がいなければ、いつまで経っても前に進めない。そんな事を気にしながら戦うのって精神的にはかなり重荷なんだ。それで自分を見失ったら、その結果は……」
「……」
「今後、僕がもっと強くなれば、多少誰かが欠けても大丈夫なんだろうけど……僕は友人殺しはしたくない……それだけは覚えておいて」
醍醐の、そして小蒔の動揺が伝わってくる。やり方としてはかなり卑怯っぽい――要は自分を人質にするようなものだ――が、全てが嘘というわけではない。極度の緊張は自制を失わせる。そうなればやはり《暴走》の可能性は上がるのだ。
「小蒔さん」
「あ……な、何……!?」
「弓の弦は張っておいた方がいいよ。戦闘が始まったらそんな余裕はないから」
動揺を隠せない小蒔にそう言うと、龍麻は京一達の所へ戻っていった。
「クックック……待っていたよ。ここから君達を観察しながらね……」
最上階に着くなり、待ち構えていた唐栖は言った。黒いコートに病的な白い顔。肩には鴉が止まっている。
「けっ、悪趣味な野郎だぜ。こんな高い場所から見下ろしてりゃ、さぞかしいい気分だろうな」
悪態を吐く京一に、もちろんだよと唐栖は笑う。
「ここからは、この汚れた世界がよく見渡せる。神の地を冒涜せんと高く伸びる高層ビル、汚染された水と大気、そしてその中を蛆虫の如く醜く蠢く人間達……」
夕焼けに染まる景色に目をやり、呟く唐栖。
「人間とは愚かで汚れた存在なんだ……もはや人間という生き物にこの地で生きる権利はない……」
その口調は怒りと悲しみに満ちている。何となく龍麻にはこの男が何を考えてあのような凶行を行ったのか分かってきた。だが、それでも彼の行動を肯定する気にはなれない。いや、してはいけない。
「勝手なコト言うなよ!」
唐栖の言葉に反発したのは小蒔だった。
「そう言うキミだって人間じゃないか! なのに、どうしてそんなコト……!」
「冗談じゃない! 僕は神に選ばれた存在だ! 君達と一緒にしないでくれ!」
怒りの形相の唐栖に思わずたじろく小蒔。
「ふん、まあいい……僕はもうすぐここから飛び立つ。堕天使達を率いて人間を狩るためにね……」
「冗談も程々にしな、唐栖よ……この世に選ばれた人間なんていやしねぇ。テメェだって分かるだろ? 腐った街ならこれからオレ達で変えていけばイイじゃねぇか」
雨紋は真剣そのものだ。いくら敵対しているとはいえ、このまま力ずくで事を収めるのは彼にとっても望むところではないらしい。それについては龍麻も同感だ。
「なっ、唐栖。オレ様とやり直そうぜ?」
唐栖の反応はない。だがやがて、面白そうに笑い始めた。
「相変わらず甘いな雨紋。この東京で何を信じろと? 日々起こる殺人、恐喝、強盗……犯罪の芽は摘んでも摘みきれずにこの世に溢れている……粛正が必要なんだよ……この街には……」
「それが……君が人を殺す理由……?」
「人を殺す……? 違うね、僕はただ掃除をしているだけさ。この地を汚すゴミをね」
龍麻の問いに、馬鹿馬鹿しいとばかりに唐栖は腕を横に振った。そして雨紋、龍麻達を一瞥する。
「雨紋、そして君達もだ。神に選ばれし証である《力》を持っていながら、何故愚かな人間に与する? 特に……君だ、美里葵」
「なぜ、私の名前を……?」
「僕の可愛い子供達――鴉達が教えてくれたのさ。もちろん、そこの四人の事もね」
クククと笑いながら唐栖は戸惑う葵に視線を移す。
「僕達の《力》は東京を浄化するために神から与えられたものだ。そして――君のその美しい姿は、この不浄の街に降り立つ僕の傍らにこそ相応しい……そこの君もそう思……」
そこまで言って龍麻を見る唐栖の言葉が止まった。周りの者もその異変に気付く。
普段と変わらぬ龍麻ではあったが、その彼から放たれる《氣》は明らかにいつもとは違っていた。
「ふざけるな……」
龍麻の発した一言に気圧されて、思わず唐栖が後ずさる。
「僕達の《力》はそんな上等なものじゃない……偶然、その《力》を手に入れただけだ。なのに神に選ばれた……? 東京を浄化する《力》だって……? 神の代行者を名乗ろうなんて、傲慢にも程がある……」
いつもは優しく、暖かい龍麻の《氣》が、荒々しい怒りに満ちている。
「かつて、《力》を得た一人の男がいた。そいつは自分の欲望――心の赴くままに《力》を使い、やがてその身を滅ぼした。人として死ぬことすら許されずに……」
《力》に溺れ、闇に堕ちた男が脳裏に浮かぶ。唐栖を彼と同じにするわけにはいかない。
「君は確かにその男とは違う。私利私欲のために《力》を使っていないという点ではね。君が真剣にこの世の中を憂いているのも分かる。でも、《力》の使い方を間違えてる点については同じだ。今ならまだ間に合う……このままだと君はその男と同じく堕ち――!」
言いかけて、突然龍麻がその場に膝を着いた。
(な、何で……!?)
自分の体の異変に戸惑う龍麻。全ての感覚が鋭くなるこの現象はまるで――
(そんな……唐栖の陰の《氣》だって、そんなに強いものじゃない。彼の悪意だって旧校舎に比べれば大したことないのに……!)
この状況で自分が《暴走》する要素はないはずだ。それなのに何故――
「龍麻!」
「龍麻くん!?」
京一と葵が自分に駆け寄ってくる。
二人の《氣》が龍麻に触れた。暖かい、心地よい《氣》に、いくらか気分が楽になる。
「……大……丈夫……もう、戻ったから」
立ち上がる龍麻に安堵の表情を浮かべる二人。
「どうしたってんだ?」
「……《暴走》しかけた……」
二人にしか聞こえないように言う。余計な心配は掛けるものじゃない。もっとも、この二人にはいつも余計な心配を掛けているが。
「情けないな……いつもいつも……」
「……無理はすんなよ。そんな時のために俺達がいるんだ」
「うん。ありがとう」
とりあえず、普通に動くには支障無い。それなら次にやることは一つだ。
龍麻は唐栖に視線を向けた。先程の恐怖に引きつった表情は既にない。
「クックック……それが君の答えか、美里葵……」
龍麻の傍らに立つ葵に目を向け、唐栖が笑う。その目は既に尋常でない狂気を宿している。しかし葵は怯むことなくはっきりと言った。
「私はあなたとは行けません。ここにいるみんなは私の大切な仲間だから……」
「僕を拒むか……分かったよ……」
唐栖の《氣》が膨れ上がった。禍々しい紅い《氣》が唐栖から放たれる。同時に周囲にいた鴉達が騒ぎだした。
「ならば、その大切な仲間とやらと一緒に死ぬがいい! 行けっ堕天使達よ!」
唐栖の号令の下、死を運ぶ黒い翼が一斉に龍麻達に襲いかかった。
「緋勇! 指示はあンたに任せるからな!」
手近にいた鴉を槍で貫き、雨紋が叫ぶ。それに応えて龍麻は一度後方に退いた。既に唐栖は鴉達の奥にいる。まずはそこまでの道を確保しなくてはならない。
「葵さん、自分と小蒔さんに力天使の緑を。鴉の攻撃くらいなら、それで無効化できると思う。雄矢は左から、京一は右。雨紋は二人の護衛と僕達の援護。いい?」
「よっしゃ!」
「お嬢さん達は任せとけ!」
「龍麻、俺が前に出ていいのか?」
今までずっと二人の護衛を任されていたため、今回の指示は意外だったのだろう。訊ねる醍醐に龍麻は頷く。
「これだけ多いと、さぞたくさんの鴉を一度に墜とせるだろうね」
「……なるほどな。分かった、左は任せろ!」
龍麻は目を閉じ、一度大きく深呼吸した。自分の《氣》を軽く放出し、自分の体に纏わせる。幾分、感じる悪意や《氣》が和らいだ。
「じゃ、行ってくる」
戦いに赴く者にしてはやけに軽い口調でそう言い、龍麻も前に出た。
「行くぜっ!」
袋の口を開けて、京一が走る。足場が悪いのも苦にはならないようだ。一人突出する京一に鴉が集中する。
「っせいっ!」
銀の弧が閃き、次の瞬間赤と黒が舞った。鮮血と羽を散らしながら、鴉が墜ちる。
京一の手に握られていたのは木刀、ではなかった。旧校舎で手に入れた日本刀だ。銘こそなかったが、十分な切れ味を見せている。京一の《氣》を帯び、刃が輝く。そこへ無数の鴉が再び襲いかかった。
「掌っ!」
醍醐の放つ発剄が鴉の群を二つに割った。そこへ
「剣掌!」
「円空破っ!」
京一と龍麻の技が放たれ、それぞれの群をまとめて墜とす。京一に近付いて龍麻が一言。
「京一、鴉ってヒカリモノに興味を持つからね。ビー玉とかガラスとか……刃物の光にも興味を持つだろうね」
「何だと!?」
「と、いうわけで囮よろしく」
龍麻の無情な言葉に、鬼、悪魔と罵りつつも、京一はその役目を遂行するべく動いた。
「タイミングは任せるが……うまくいくか?」
手当たり次第に発剄を放ちながら醍醐が龍麻に問う。
「問題ないよ。自信を持っていい」
同じく発剄を放って答える龍麻。鴉の数が尋常でないので、どこに撃っても必ず鴉が墜ちる。そんな中
「「楼桜友花方陣!」」
後方での《氣》の高まりに振り向くと、葵と小蒔が方陣技を発動させたようだった。横一文字に光が走り、無数の鴉を飲み込んでいく。その隣で雨紋が目を丸くしているが、仕方ないことだ。
「負けてられないでしょ?」
「そうだな……」
「お前ら! 何そこで和んでやがる!? いつまでも俺一人を働かせるんじゃねぇ!」
「分かってる。京一、あれやるよ」
龍麻の声に、京一の《氣》が大きくなる。準備は万端といったところか。
「いくぞっ!」
「よっしゃ!」
醍醐の掛け声に京一が応える。
「「「唸れ! 王冠のチャクラ! 破ああぁぁぁぁっ!」」」
三人の《氣》が膨れ上がり、次の瞬間大きく弾ける。龍麻達の周囲にいた鴉が一瞬にして消し飛んだ。
「くっ……!」
さすがに不利を悟ったのか、唐栖が焦りの表情を見せる。更に、葵達の方を襲っていた鴉達が攻撃をやめ、集結し始めた。
(受けに転じたか……なら、葵さん達は問題ないな……)
「雨紋、こっちへ合流! 雄矢は少し後方へ。いつでも葵さん達の方へ行けるようにしといて。発剄の連発は今の雄矢には堪えるでしょ」
「そうだな……確かに疲れた。少し休ませてもらう」
そう言って素直に醍醐は後ろへ下がる。
「後は任せときな」
「頼む」
すれ違い様に醍醐と手を叩き、雨紋がこちらへ合流した。
「唐栖! いい加減に観念するンだな!」
「まだだ! まだ終わっていない!」
唐栖がどこからともなく笛を取り出す。日本の横笛だが一体何をしようというのか。だが、雨紋はそれの効果に気付いたようだった。
「やべっ! 緋勇、離れろ!」
「僕の笛からは、誰も逃れられないよ……」
雨紋の声も一瞬遅く、唐栖の笛の音が龍麻を襲う。
「く……うあっ……!」
頭に直接響くような笛の音に耳を押さえて龍麻が膝を着く。
「龍麻……! くそっ、どけよっ! 剣掌……旋ぃっ!」
刀に宿った《氣》が竜巻状の衝撃波となって眼前の鴉を薙ぎ払う。それでもすぐに別の鴉達が行く手を塞いだ。
「旋風輪!」
続けて雨紋が技を繰り出す。周囲にいた鴉を、槍が生んだ真空波で斬り裂いた。それでも鴉の動きは止まらない。
「ちくしょう……このままじゃ……!」
緋勇が危ない、そう思った瞬間、龍麻の姿が視界から消えた。
「なっ!?」
「龍麻!」
どこを見ても龍麻の姿はない。先程龍麻がしゃがんでいたすぐ横には、床も何もない空間が広がっている。
「まさか……」
「この高さだ。墜ちれば助からないだろうね」
鴉の群の間から、得意げな声が聞こえる。
「唐栖……てめぇ……!」
「そう怒ることもない。次は君だ、蓬莱寺京一」
前方の鴉の幕がやや薄くなる。そのおかげで向こうにいる唐栖の姿も確認できた。一人倒した安堵感からか不敵な笑みを浮かべている。
「君には狂い死にでもしてもらおうか。きちんと最期まで見届けてあげるよ。なるべくなら足を踏み外すなんてことはしないで――」
ドン!
唐栖の言葉は途中で途切れた。下から突き上げるような衝撃を受け、驚愕の表情でその場に膝を着き、笛を落とす。
「な、何だ……今のは……!?」
「剄はその気になれば、物を隔てた先に当てることもできる、そういうことだよ」
声が聞こえると同時に唐栖の背後――下の階から龍麻が飛び出した。何がどうなったのかは分からないが無傷だ。
「巫炎!」
その右手に宿った炎が放たれ、唐栖とその周囲の鴉を包む。
「行けっ雨紋!」
反対側から京一が剣掌・旋で道を切り開いた。まだ炎が残った鉄骨の上を、槍を構えて雨紋が走る。
「これで最後だ! 食らえっ!」
雷を纏った槍が、確実に唐栖の鳩尾に打ち込まれた。
「見て……鴉がみんな飛んでく……」
唐栖の支配を離れた鴉達が飛び去っていく。あの鴉達にも帰るべき場所があるのだろう。
しばらく飛んで行く鴉を見ていた小蒔だったが、ふと、思い出したように横たわる唐栖に目を向けた。
「雨紋クン……ひょっとして、殺しちゃったの?」
「物騒なコト言わねぇでくれよ。ちゃんと生きてるって」
「でもさっき、槍で突いたんでしょ?」
遠目にはそう見えたのだろう。龍麻が状況を説明する。
「穂先じゃなくて、石突――槍の反対側で突いてたよ。だから大丈夫」
「しかし、さっきまでの邪気が嘘のようだな……」
「もう、あの《力》を使うこともできねぇだろうさ」
あれ程の《氣》が微塵も感じられない。戦意を喪失しているせいもあるのだろう。
「唐栖よ、人間も鴉も同じさ……」
意識だけは戻っている唐栖に雨紋は語りかける。
「薄汚れて、堕ちて生きていくのは簡単だ。だがな、心まで堕ちなきゃ希望ってヤツに飛んでいける翼を持っている」
「……」
「だからオレ様は信じている……人の持つ心を。そして、この街を……」
唐栖は何も答えない。だが、二度と事件を起こすこともないだろう。そう思える。
「他にも……こいつや俺達のような人間がいるんだろうな……異質な《力》を持った人間が……」
龍麻から聞いた話ではそういった人間が増えているらしい。自分達だってその中の一人だ。誰にともなく言う醍醐にそうだろうな、と雨紋が答えた。
「さて、と。オレ様もそろそろ帰るとするかな」
「もう……行っちゃうの?」
槍をしまって背伸びをする雨紋。その言葉に小蒔が残念そうに問う。
「ああ、こいつ――唐栖の後始末もつけねぇとならねぇしな……どうしたンだよ」
「だって、ボク達一緒に力合わせて戦ったのに、このままさよなら、なんて何か寂しいよ……」
「そう言われてもなぁ……」
小蒔の言葉に雨紋は少し困ったような顔をする。
「オレ様もあンた達も、今回は利害の一致で協力した。ただ……それだけだろう?」
そう言って視線を向ける雨紋に、笑みを浮かべて龍麻は言った。
「確かに最初はそうだったけど、だからと言ってさよならする理由にはならないよ。こうやって出会えたのも何かの縁だと思うし……もしよければこれからも協力してくれないかな?」
「そうだな……特に考えちゃいないけど、あンたらとつるむのも……悪くないかもな」
それが雨紋の正直な気持ちだ。その意志があったからとはいえ、自分の街を守るために龍麻達が協力してくれたのは事実だ。それに、彼らと一緒にいれば少なくとも退屈することはない。
(緋勇龍麻……か……この人に付いていくのも面白そうだ……)
「決まりだね。これからもよろしく、雨紋」
「あぁ、よろしく頼むぜ。必要な時はいつでも呼んでくれ」
差し出された龍麻の手を、雨紋は握り返した。
「警察の発表によると、代々木公園からは数多くの白骨化した死体が発見されており、今までの連続猟奇殺人事件との関連性を――」
新聞を閉じ、龍麻は溜息をついた。
こういった事件で犠牲者が出るのはやりきれない。唐栖が堕ちなかっただけでもよしとするべきなのだろうか。
ふと、公園で見かけたサラリーマンのことを思い出す。一応、今回の事件は解決した。その無念が晴れ、迷うことなく成仏するのを願うばかりだ。
「……今度、行ってみるかな……」
そう呟き、再び龍麻は溜息をついた。