4月17日。放課後。
新宿区――緋勇家。
「やーれやれ、今日も疲れたぜ……」
上がり込むなり京一は、木刀――今は刀も入っている――の袋を放り出した。
「こら! 行儀悪いぞ京一!」
「いいだろ、別に。そうカッカすんなよ」
小蒔の指摘も聞き流し、その場に寝転がる。
「お前は遠慮というものを知らんのか?」
荷物――旧校舎の戦利品を抱えた醍醐が呆れつつ中に入ってきた。
いつもの如く、旧校舎での修行(と言ってもいいだろう)を終え、真神組は龍麻の家に集まっていた。最近の龍麻達の行動パタンは、皆でラーメンを食べに行くか、皆で旧校舎に潜るかのどちらかだ。今日は、初めて雨紋も一緒に潜ったのだが、これからバンドの練習があるとかで先に帰った。残念そうだったが、こればかりは仕方がない。
今までに、龍麻達は旧校舎を三十階くらいまで降りていた。潜るほど魔物も強くなり、その見返り(?)に、多くの物を残していく。更に、最近になって敵を殲滅すると何故か現金がその階に残されているのが発見された。これで贅沢できるとはしゃぐ京一だったが、それ以外の者の反対で却下された。一人暮らしの龍麻の生活費の足しにしたらどうかという意見も出たが、皆で稼いだ金で自分一人が潤うのは気が引けるということで、結局この金は皆で――例えばどこかで事件が起きた時の交通費などに使おうということになった。「旧校舎基金」と名付けられたそれは龍麻の管理の下、帳簿まで作って厳重に保管されている。
「お疲れさま。今お茶の用意をするね。何にする?」
エプロンをしながら龍麻が注文をとる。
「ボク紅茶。砂糖とミルク付き」
「私はコーヒーを。ミルクだけで」
「俺は緑茶を頼む」
「俺、酒ね」
「「京一!」」
醍醐と小蒔が息の合ったツッコミを入れた。ちっ、と京一が舌打ちするのが聞こえる。
「冷や? それとも熱燗?」
「龍麻……こいつは薬品臭い水道水で十分だ」
ボケているのだろうか、と内心思う醍醐だが、多分本気なのだろうと溜息をつく。
「ところで……お前、まだ飲んでいるのか?」
「うん、たまにね。酒がないと生きられないわけじゃないけど、そういう気分の時もあるから。好きなことに変わりはないし」
「駄目だよ醍醐クン、龍麻クンに禁酒なんてさせちゃ」
意外なことに小蒔が龍麻を援護した。
「おいおい、桜井……」
「だって、龍麻クンがお酒やめたらウチの収入減るんだから」
そう、桜井酒店は緋勇家御用達なのだ。実家の売り上げに貢献している小蒔としては、お得意が減るのは面白くない。
そう言われては反論もできず、醍醐は拗ねてる京一と共に戦利品を道場へ運びに行った。
「それにしても、旧校舎って面白いよね。バケモノ斃したら武器とか出てくるんだから」
「本当、不思議よね。どうなってるのかしら……」
「ハンバーガーとか出てきた時はビックリしたよ。おいしかったけどさ」
「……食べたの……?」
自分の耳を疑う葵に、だって、と小蒔が口をとがらせる。
「お腹すいてたんだもん。今度葵も食べてみなよ。ピザとかも結構いけるし」
「……遠慮しておくわ」
さすがに出所不明の食料だけは口にする勇気はない。引きつった笑みを浮かべながら丁寧に葵は辞退した。
PULULULULU……
そこへ突然の電子音。小蒔が身を竦ませるが何のことはない。正体は電話だ。
「龍麻くん、電話よ」
「どこから?」
呼びかける葵に台所から問いが返ってくる。
「どこから、って言われても……」
「受話器の横の窓に出てる」
言われてみると確かに窓がある。携帯電話からのようだ。
「誰かは分からないけど、携帯からみたい」
「そう、それじゃ代わりに出てくれる? 知人じゃないようだから」
一応、知っている人間の電話番号は登録済みである。名前でなく、番号が出ているということは、自分の知らない人間だ。構わないから、と声が届く。
「ホラ葵! 早く出なきゃ!」
「でも……人の家の電話に……」
「いいからいいから!」
戸惑う葵にしびれを切らし、小蒔は受話器を取ると、そのまま葵に押しつけた。
『……もしもし……?』
「はい……みさ……緋勇ですが……」
危うく自分の名字を言いそうになるが、緋勇、と言い直す。側で小蒔が笑いを堪えているのが見えた――いや、何やら意味深な笑みを浮かべている。
『………………』
「あの……もしもし……?」
相手は無言だった。最初の声からすると女性のようだが。受話器からは風と車の音、そして何やら話し合う声が聞こえる。どうやら外からのようだ。
『……すみません、間違えました……』
そう言って電話は切れた。
「『はい、緋勇ですが』だって……」
「もう、小蒔!」
受話器を置くと同時に小蒔が声を出して笑い出す。真っ赤になって葵が非難の声をあげるが効果はなかった。
「どうしたの、二人とも?」
それぞれの飲み物を持った龍麻が戻ってくる。
「誰からだった?」
「あ……間違い電話だったみたい……」
「そう。……葵さん、顔真っ赤だけど風邪?」
何も知らない龍麻が、コーヒーを差し出しながら問う。
「何なら、卵酒でも作ろうか?」
「だ……大丈夫! 風邪じゃないから……」
更に赤くなる葵に怪訝な表情をする龍麻だったが、体調に問題はなさそうだと判断したのかそれ以上の追求は避けた。
「終わったぞ、龍麻」
「ありがとう。二人もどうぞ」
そこへ醍醐達が戻ってきた。二人にも飲み物を出す。水はあんまりなので京一にはコーラを出しておいた。
「で、どうよ龍麻。この二人は?」
醍醐と小蒔を目で指して京一が訊ねる。
「だいぶん上達したとは思うけどよ……もう、問題ないか?」
「そうだね……雄矢の《氣》の練り方、属性変換は問題ないよ。まだ、筋力に頼ってる感じはあるけど……それと小蒔さんは矢をつがえてから放つまでの間隔がもう少し短くなれば……狙いを定めるために動きを止めるのは標的になるから危ないよ。それ以外は大丈夫、《氣》の乗せ方も申し分ない」
「及第すれすれかぁ……」
「まだまだ精進が足りないか……」
落ち込み気味の二人に、そんなことはないよ、と龍麻は励ます。
「覚醒して半月も経っていないのに、これだけできれば大したものだと思う。即戦力としては十分なんだから、後は焦らずにじっくりと、ね」
「龍麻もしっかり指揮官してるし、仲間も増えたし、問題ないな」
残ったコーラを一気に飲み干すと、京一は立ち上がり
「そーいや龍麻、お前の部屋ってこっちか?」
今いる部屋の北側を指して問う。確かにそこは龍麻の私室だ。
「そうだけど。何か見たいものでもある?」
「何があるんだ?」
「そうだね……机と本棚、タンスにパソコン。後は押し入れの中に布団ってところだけど」
返事も待たずに京一がふすまを開ける。
「うわ……すっごく整頓されてる」
座ったままの状態で首だけを向け、小蒔が呟いた。
「どうぞ。別に見られて困るものはそっちにはないし」
他の所にはあるのか? と内心つっこみを入れる醍醐。
「何か、小難しい本ばかりだな。マンガなんて一冊もねぇ」
さすがに好奇心には勝てなくなったのか、葵と醍醐も龍麻の部屋を覗く。
机の上には教科書類と、辞書。机右側には、四角い電脳箱が鎮座している。
本棚には多くの本が収まっていた。歴史、特に遺跡関係の考察や辞典が多いが、その他にも神話や鬼、魔物といったオカルト系の本もある。それと何故か料理の本。
「むう……何か、裏密を彷彿とさせるな……」
「龍麻くん、遺跡に興味があるの?」
「うん。過去の遺物から当時を想像するのって、わくわくするでしょ?遺跡の発掘だって何か宝探しでもやってるみたいでさ」
「龍麻クンってそーゆー系だったんだね……でも何で料理の本があるの?」
「作るから」
ふーん、とその言葉を聞き流す小蒔。少しして――
「「「「ええぇぇぇっ!?」」」」
皆の驚愕の声が部屋に響き渡った。
「つ……作るって……龍麻、お前がか!?」
「んなこと言って、コンビニ弁当や出来合いの惣菜をレンジでチン、ってオチじゃねーだろーな!?」
「そんなことしないよ。栄養偏るし。そんなに意外かな? コックって大抵男なのに、料理する男って変?」
「そ……そんなことは無いと思うけど……珍しいのは確かね……」
「ま……まあ、龍麻クンならそーゆーのもアリかな……」
こちらを見る龍麻に、葵と小蒔は曖昧な返事を返す。
「……何なら、今日食べてく?」
「ホント!?」
龍麻の提案に小蒔が目を輝かせた。他の皆もどうやら興味はあるようだ。
「大したモノはできないけどね。どうする?」
「よーし、そんなら食わせてもらおーか」
「それじゃ……嫌いなモノとかってないよね?」
そう言いつつ、冷蔵庫の中を思い出す。
(確か……買ったばかりのササミがあったから……ハムとタマネギを一緒にフライにしようか。後はジャガイモと……)
献立を考える龍麻だったが部屋に音が響いた。最近取り付けた呼び鈴だ。
「誰か来た……ちょっと待ってて」
献立作成を一時中断し、玄関へ出る龍麻。
玄関を開ける音、そして――
「うわあぁぁぁぁっ!?」
龍麻のモノと思しき悲鳴が葵達の耳に飛び込んだ。
「どうした、龍麻!?」
慌てて玄関に駆けつける京一達。その四人が最初に見たものは一人の女性に抱き締められている龍麻の姿だった。
年齢は自分達よりも少し上、といったところだろう。黒髪・セミロングの美人だ。抱き締められる、というよりはその女性の豊かな胸に押しつけられているようにも見える。
「うらやましい……」
という京一の呟き。本来ならここで醍醐か小蒔辺りがつっこむところだが、皆呆然としていた。
(((この女性は……誰……?)))
胸中で同じ質問を投げかける醍醐達三人。全く状況が飲み込めない。
「たっちゃん……会いたかった……」
聞き慣れぬ名を口にする女性。当の龍麻はその束縛(?)から逃れようとじたばたしているが、どうやら冗談抜きで振りほどけないらしい。壁をばんばん、と叩いて降参の合図を出すが女性は気付かない。
「おい、姉ちゃん……そのままだとたっちゃん死んじゃうぜ……」
別の声が女性の背後から届く。声の主はこれまた女性だ。ロングの黒髪を後ろで束ねた気の強そうな美人。
「あ……やだ、私ったら……」
慌てて龍麻を離す女性。ようやく解放された龍麻は肩で息をしている。
「ごめんね、たっちゃん。大丈夫?」
「……相変わらずだね……」
「……なぁ、龍麻……できれば説明してくれねーか……?」
「え? あ、ああ……ごめん……」
ここで京一達がいることに気付く龍麻。呼吸を整えて皆の方を向き、口を開く。
「紹介するよ。二人とも僕の――義姉さん」
龍麻の義姉だという女性二人に、京一達はただ目を丸くするだけだった。
「緋勇香澄と言います。初めまして」
「緋勇沙雪だ。よろしく」
部屋に通され、改めて挨拶する義姉二人。
「で、あんたらは?」
沙雪の問いに、それぞれ京一達が名乗る。それが終わったところで龍麻が二人の飲み物を持って戻ってきた。
「でも……どうして二人がここへ?」
「どうして、はねぇだろ? せっかく会いに来たってのに」
龍麻の問いに、いささかむっとする沙雪。だが、龍麻が聞きたいのはそういうことではない。
「だから、その理由を聞いてるんだよ沙雪姉」
「こちらに用事があったの。帰りの新幹線をギリギリまで遅らせたら、ここへ寄る余裕ができるって沙雪が言うものだから」
それに答えたのは香澄だった。運ばれた紅茶を一口して
「でも、留守だと意味がないから、前もって電話しておこうって事になって……」
「オレが電話したってわけだ。そしたら女が出たじゃねぇか。まさか一人暮らしするなりイキナリ女連れ込むとは思ってなかったからよ……たっちゃんも成長したなぁって」
何故か嬉しそうに沙雪は葵と小蒔の方を見る。そして
「で、どっちが本命なんだ?」
「さっ……沙雪姉! 彼女達はクラスメイトで……僕と同じ立場の……!」
「何照れてんだよ?いいじゃねぇか別に」
慌てる龍麻の反応を見てケラケラ笑う沙雪。が、すぐに笑うのをやめ、やや厳しい表情になる。
「同じ立場……? まさか、巻き込んだんじゃねーだろーな……?」
「それは違います」
そう言ったのは醍醐だった。京一も後に続く。
「彼は――龍麻は俺達を巻き込むまいと忠告し、何事にも関わらせないようにしてきました。なのに俺達は彼の忠告を無視してしまった。龍麻に非はありません」
「ま、関わったからこそ俺達はこうしてられるんだしな。花見の時もそのおかげで命拾いしたし。だから沙雪さん、龍麻を叱らないでやってくれよ」
二人の言葉に沙雪は一瞬驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに笑った。
「……いいダチには恵まれたみたいだな……よし!」
残った紅茶を一気に飲み干すと、沙雪は立ち上がった。
「お前ら、今日はここでメシ食ってけ! オレが腕を振るってやるからよ!」
「さ……沙雪さん、が……?」
「んだよ、文句あんのか? 人を見かけと口調だけで判断するなんて、意外とちっちぇえ男だな、赤毛」
「違うよ沙雪姉。僕がさっき、食事を御馳走するって言ったばかりなんだ」
思わず声を出した京一を睨みつける沙雪。それをなだめる龍麻。まあ、この場にいる香澄と沙雪、どちらがより女性的か、と聞くだけ野暮だが。
「ま、いいさ。その認識、改めてやるから覚悟しとけよ。で、たっちゃん。材料何があるんだ?」
「ササミが安かったから買いだめしてる。野菜は一通りあるから――」
そう言いつつ二人は台所へと消えた。
「ごめんなさいね、皆さん。沙雪ちゃんたらいつもああなの」
香澄の言葉に、はぁ、と頷くしかない四人。
「でもよかったわ。たっちゃんにこんなに友達ができて。……学校でもクラスの人と仲良くやってるかしら?」
「ごく普通に接してるよ。特に女子の人気は絶大だしな」
京一が答えると、安堵の表情を浮かべる香澄。
「そう。こっちなら、たっちゃんの事知ってる人もいないから……」
そこで一度言葉を切り、四人に訊ねる。
「転校前のたっちゃんの事、何か聞いてる?」
「いいえ、直接は。でも、それを調べた人がいて……表沙汰にはしないように手は打ちましたから、誰かに漏れる心配はありません」
「やっぱり……こちらで動きがあったからひょっとしたら、とは思ってたけど。ありがとう皆さん」
葵の言葉に香澄が頭を下げる。と、そこへ京一の疑問の声。
「ところで香澄さん、そっちの動きって……?」
「たっちゃんの事を調べてる人がいたの。今になって周りがたっちゃんの事調べるのって不自然だから――そもそも知らない人はいないし」
そういえば、アン子が手を回していたのを思い出す。そのせいだろう。表情を暗くする葵達に、香澄は手を振って
「あ、いいのよ。肝心なところは漏れてないから。それに、こっちは焚実君達が何とかしてくれたから」
聞き慣れない名前に首を傾げる葵達。香澄は写真をバッグから取り出した。
そこに映っているのは龍麻を含めた七人。中心に龍麻。その右側で肩を組んでいるのは、少し茶色がかった短い髪をした、比較的がっしりとした体格の男子だ。その逆、龍麻の左側には長い黒髪の少女が腕を組んでいる。それに少々ガラが悪そうな男子が四人、三人の前に座り込んで親指を立てている。
「こっちの男の子が比嘉焚実君。それでこっちが青葉さとみさん。あとの子は……この時初めて会ったから、私は名前を知らないの」
「龍麻の友達か……しかし、面白い組み合わせだなぁ。手前の四人なんてどっちかってーと、敵対してる方が自然に見えるぜ」
「してたよ。強制的にだけど」
京一の感想に龍麻が答えた。台所にいたはずなのに、いつの間にやら京一の背後にいる。
「お前なぁ……気配を絶って近付くなよ」
「ふふふ……まだまだ未熟よのぅ」
おどけた口調でそう言うと、早々に片付けを始める。
「その四人は《力》を持った奴に従ってたんだ。で、助けてやったのが縁で付き合うようになった」
「へぇ……でも龍麻クンってカノジョいたんだ?」
小蒔が意外そうな顔で写真の少女――さとみを指す。違うよ、と龍麻は首を横に振った。
「人の恋路を邪魔する気はないよ。その子――さとみは焚実と幼馴染みでね。向こうにいる間にくっつくとばかり思ってたんだけど……香澄姉、この二人どうなった?」
「相変わらずよ。でも、人のことより自分はどうなの?」
くすくす笑いながら香澄は龍麻に問いかける。葵と小蒔に視線を移して
「どっちが本命? 私にだけは教えてちょうだい」
「だ……だから違うんだってば……!」
「もう、面白くないわね……」
真っ赤になる龍麻に、そう言ってふくれる香澄。しかし、それも一瞬のことだった。今度は別の物を取り出して机に置く。
「それは……アルバム……?」
「ええ。たっちゃんが家に来てからの写真があるんだけど――」
醍醐の問いにそう答え、アルバムを開く香澄であったが、凄まじい勢いで龍麻がそれを奪い取った。皆から間をおいてパラパラとページをめくり――顔色を変える。
「……香澄姉! 何でこんな物持ってきたの!?」
「だって、家には一冊同じ物があるから」
「こんな物、他人に見せられるわけないでしょ!?これは没収!」
今にも巫炎あたりで焼き払いそうな剣幕の龍麻に、京一達は呆然としている。
「なあ、龍麻。何でアルバム一つにそこまで――」
「余計な詮索をすると、寿命を縮めるよ。蓬莱寺君」
京一、ではなく蓬莱寺君と呼んだ龍麻の《氣》は――どうやらかなり本人にとっては不名誉な写真が収まっているらしい。
「わ、分かったよ……だから《氣》を静めろって……」
「あ……ごめん……京一……」
(やれやれ……中身は気になるが、命懸けてまで見たいとは思わないな……)
その様子を見て、元凶の香澄が一言。
「たっちゃんたら……ダメよお友達にそんな態度とったら。あ、それとこれ。お土産」
言いつつ香澄は日本酒の瓶を後ろから引き出した。一升瓶六本を束ねたものだが、それを無造作に龍麻に放り投げる。それを受け取り、龍麻は再び台所へ消える。
「……あら、どうしたの?」
一連の行動に唖然としている京一達に訊ねる香澄。
「あ……いや……」
さすがに醍醐ですら言葉を濁す。先程、香澄は「一升瓶六本を片手で放り投げた」のだ。普通の女性の筋力で可能な事ではない。そういえば龍麻を抱き締めていた時も、龍麻はそれを振り解けなかったのを思い出す。
(さすがは龍麻の身内といったところか……)
妙なことで感心する醍醐だった。
それからしばらく普通の世間話に花が咲くが
「あの……こんな事を聞くのは何ですが……香澄さん達も《力》を?」
「いいえ。私も沙雪ちゃんも《力》は持っていないわ。残念ながら」
皆、気にはなっていたのだろうが、葵が代表で訊ねると、返ってきたのは意外な答えだった。
「私達の父は《力》を持っているし、《氣》を操りもするわ。でも、私達姉妹は、武道の素質はあっても《力》には目醒めなかったのよ」
「そうですか」
「今となっては、それが悔しいわ。私達ではたっちゃんの力にはなれないんだもの」
そう言って寂しげな表情を浮かべる。
「私達に《力》があれば、あの子を助けられる。でも……私達では何もできないの……皆さんのように一緒に戦ってあげる事も、美里さんのように傷を癒してあげる事も……」
「……私達の事、知っているんですか?」
「ええ。《力》に目醒めたクラスメイトがいるっていうのは聞いてたから。私、その人達が羨ましかったわ。例え望んだわけではなくても、《力》を得て――あの子の側にいられるんだから……って、ごめんなさい。何だか湿っぽくなっちゃったわね」
「なあ、香澄さん。一つ教えてくれないか?」
珍しく真剣な面持ちで京一が口を開く。これを機に、聞いておきたい事があった。
「龍麻の……《暴走》って一体何なんだ?」
「そうそう、ボクも気になってたんだ。見境無く暴れちゃうって聞いてるけど……そんなに大変な事なの?」
葵と醍醐は無言で回答を待つ。
「私は直接見たわけじゃないから分からないのだけど。聞いた話でよければ……たっちゃんが《暴走》するって事が判明してから、一度どんな状態なのか確認してみようって事があったの。条件は分かっていたから、五十人の武道家と組み手をさせたらしいんだけど……」
そこで一度言葉を切り、京一達を見る。
「その……結果は……どうなったんだ?」
「《暴走》後に相手をした三十九人はそのまま病院送り。更に全員倒した後も収まらず、見学していた焚実君達に襲いかかって……結局強引に止めたそうよ」
香澄の言葉に四人は息を呑んだ。以前龍麻から聞いてはいたが、それでも信じ難い話だ。
この中で唯一《暴走》状態の龍麻を見ているのは京一だが、あの時にはそこまでの脅威は感じなかった。
「《暴走》は一種の自衛行為らしいわ。自分に危害を為す者、その恐れのある周囲にいる者を本人の意思に関係なく確実に排除する――」
「でもそれだと……」
言いかけて、葵が口を閉ざす。怪訝な顔をする香澄と醍醐達だが、京一には何が言いたいのか分かった。
(自衛行為ってんなら……何で唐栖との時に自分の怒りに反応したんだ……?)
(旧校舎以前の状況だから、今とは違うのかも知れないけど……)
何やら考え込む京一と葵を気にしつつも、醍醐は一つの疑問を口にした。
「その……《暴走》した龍麻を止めた、って……どうやったんです?」
「たっちゃんの師匠がね、叩きのめしたの。一対一で」
「上には上がいる、か……。なら龍麻が《暴走》したら、その時は俺と京一で――」
「絶対相手にせずに逃げて」
有無を言わせぬ迫力を持った香澄の言葉に、醍醐の言葉は途中で止まる。
「その時のたっちゃんは……《力》を全く使っていなかったそうよ。でも今は自分の意志で《力》を使いこなしている。そのたっちゃんが今《暴走》したらあの時以上の脅威になるわ。一度敵と認識されたら、それこそ死ぬまで相手をしないといけなくなる。危うきに近寄らず――できるだけ《氣》を押さえて嵐が過ぎ去るのを待つの。自分の大切な人を傷つけるような事になったら、きっとあの子は悲しむわ。だから――」
「でも香澄さん……俺、一度《暴走》した龍麻を止めてるんだけど」
京一の発言に、驚愕の表情を浮かべる香澄。しかし、それは醍醐達も同じだ。こちらで龍麻が《暴走》したなどとは聞いていない。
「おい、京一。一体いつの話だ?」
「ほれ、転校初日に佐久間が龍麻に絡んだだろ? ちょうど、お前が見てた時だ。――っつーわけだからよ、心配いらねぇって香澄さん」
醍醐の問いにそう答え、にやりと笑う京一。香澄は何かを言おうとするが――
「よっしゃ、完成!」
台所から聞こえてきた沙雪の言葉に、その機会を失った。
「「「「はぁ……」」」」
「おいおい、眺めてねぇでまずは食ってみろよ」
テーブルに並んだ料理に思わず溜息をつく京一達。腕を組み、胸を張る沙雪の声に、我に返る一同。
そう豪華なものではないが、定番のご飯とみそ汁、大皿に盛られているきつね色に揚がったフライ、ポテトサラダ。
「それじゃ……」
京一がみそ汁を手にして一口。数秒後――
「……うまい……」
「どうだ、恐れ入ったか?」
「……前言撤回、だな……さっきはすまねぇ沙雪さん」
素直に謝る京一に得意顔の沙雪。促されて葵達も箸を運ぶ。
「美味しい……」
「これは……また……」
「すっごいおいしい!」
言葉を発するのも惜しいのか、黙々と箸と口を動かす京一達。それを満足そうに見て、沙雪は立ち上がった。腕時計を見て香澄もそれに倣う。
「さて、と。そんじゃ、そろそろ行くか」
「そうね、いい時間だし」
「あれ……むぐ……もう行くのか?」
フライを口に放り込み、問う京一に二人は頷く。
「ああ、じゃないと今日中に帰れねぇしな」
「それじゃあ、皆さん。また」
手早く荷をまとめると、二人はそのまま部屋を出た。皆はそのままで、と言い残し龍麻も部屋を出る。
「今日はありがとう、義姉さん」
「いや……こっちこそいきなりで悪かったな。まあ、安心したよ、元気でやってるみたいだしな」
「何とか、ね……あ、そうだ」
あることを思い出し、靴を履く沙雪に言葉をかける龍麻。
「お酒って二十歳からなんだって?」
「……あ、お前まさか中学の時の――」
「おかげでみんなに変な目で見られた」
あはは、と誤魔化し笑いをする沙雪。龍麻とて本気で怒っているわけではないが。
「……まあ、いいけどね」
「悪い悪い……っと、そうだ。たっちゃん」
玄関を出ようとした義姉二人だったが、入り口を開けたところで足を止め、手招きする。
疑問に思いつつも近付くと、二人は龍麻を抱き締めた。来た時のような――締め付けるようなものではなく、包み込むような優しい抱擁。
「……しっかりやれよ。オレ達には心配する事しかできないけど……」
「無理はしないでね……って言ってもしちゃうんだろうけど……」
「……分かってる。約束……はできないけど頑張るよ。義父さんと義母さんによろしく」
どちらからともなく体を離す三人。香澄と沙雪はそのまま出て行った。
一人残った玄関で、しばらく佇む龍麻。溜息をつき一言。
「で、いつまで覗いてるつもり?」
背後で気配が動く――京一と小蒔だ。葵と醍醐は席から動いていない。注意してくれても良さそうなものだが。
「た……龍麻。みそ汁おかわり!」
「あ……あ、ボクも!」
気まずさを紛らわすかのような二人の言葉。
「……はいはい」
諦めて龍麻は部屋に戻り、要望に応える。
「でも、香澄さん料理上手だな」
「そりゃ、僕の料理の師だからね」
「……ってコトは、龍麻クンの家に来れば、いつでもおいしいものが食べられるってコトだね」
小蒔の発言に苦笑する龍麻。まあ、頼まれれば作るが……。料理をする事自体は嫌いではない。
「そりゃ構わないけどね。でも、料金取るよ。材料費くらいは」
「それでもいいよ。えへへ、今度は何作ってもらおうかなぁ」
「もう、小蒔ったら……」
「桜井……いくら何でも……」
呆れる葵と醍醐の言葉も、にやけた小蒔の耳には入っていない。一方京一は会話に参加せず、黙々と食事を続けている。それを見咎め、小蒔が大声を出した。
「あーっ! 京一、そのフライボクのだよ!」
「うるさい、こんなの早い者勝ちだろ?」
京一に負けじと食事を再開する小蒔。京一もペースを上げた。
「「「はあ……」」」
家主と、それぞれの保護者は深く、深く溜息をついた。
かくして緋勇家は緋勇食堂の名を与えられることになる。