「……しっかし、緋勇のハッタリもたいしたもんだな。佐久間のヤロー、完全にびびってたぜ」
「うむ。しかし緋勇、あんまり感心できん脅し文句だぞ」
「うん、ごめん」
龍麻の言葉には力がなく表情も暗い。その様子から何かを感じたのか、京一も醍醐もそれ以上は何も言わない。
「あ、そうだ。どうせならミサちゃんも誘おうよ」
その空気に気付かない小蒔が提案した。そうね、とアン子も同意する。それに反対したのは京一だ。
「お前ら、余計なこと言うなっ! そうだろ、醍醐!?」
「う……うーむ……」
言葉を濁す醍醐だが、アン子の次の一言で反論できなくなった。
「緋勇君に決めてもらいましょ。彼の歓迎会なんだから。で、どう緋勇君?」
「いいよ。彼女にもお礼を言ってなかったし。霊研って、二階だったよね」
主賓の意見では反対できるはずもない。そのまま霊研に向かう。
「ミサちゃん、いるー?」
「エロイムエッサイム……エロイムエッサイム……」
お決まりの呪文が龍麻達を出迎えた。京一と醍醐は入口付近で固まっている。
「緋勇く〜ん、いらっしゃ〜い」
「この間はどうも。おかげで収穫があったよ」
転校初日の件で礼を言うと裏密はうふふ〜と笑う。
「ところでみんな、お揃いでど〜こ行くの〜?」
「緋勇クンの歓迎会を兼ねて花見に行くんだよ。ミサちゃんも一緒に行く?」
「お花見〜、桜〜、紅き王冠〜」
小蒔の誘いによく分からないことを口にして、裏密は場所を訊ねる。アン子が場所を教えると
「西の方角ね〜。7に剣の象徴あり〜。う〜ん。やめた方がいいかもね〜」
「……どういうことなの? ミサちゃん」
不安げに訊ねる葵だが、裏密の言うことはよく分からない。
「紅き王冠に害なす剣……鮮血を求める兇剣の暗示だね〜。あっちは方角が悪いね〜」
「そんなぁ……せっかくのお花見なのに」
「まあ、信じる信じないはみんなの勝手だけどね〜。緋勇く〜んはど〜お?」
残念がる小蒔だが裏密は龍麻に話を振った。龍麻としてもにわかには信じ難いが、旧校舎の一件のこともある。
「助かるよ。忠告ありがとう。いつも以上に気を付けることにするよ」
「うふふふふ〜。緋勇く〜んには多分星の加護がある〜。だから、これをあげる〜」
そう言って裏密が何やら数珠のような物を取り出した。素直に受け取ることにする。
「まあ、緋勇く〜んなら大丈夫だと思うけどね〜」
「ねぇ、ミサちゃん。剣って言ってたけどもしかして、この前、国立博物館でやっていた日本大刀剣展から盗まれた刀と関係があるの?」
アン子の問いに、裏密はいつもの笑いで答えた。そこへ京一が聞いてくる。
「それってあれだろ? 全国から集めた名刀を展示してるやつ」
「京一にしては詳しいわね」
「当たり前だ。一度見に行ったからな。しかし、盗まれたってのは初耳だな」
アン子の話によると展示してあった一振りが、夜の内に消えてしまったらしい。見回りの警備員も気付かず、防犯装置も作動せず、刀が入っていたガラスケースも施錠されたまま。外部から触れた形跡もなかったそうだ。
「その刀ってのが日光の華厳の滝で見つかったってヤツで、不吉な噂があってね。怨念に満ちた妖かしの刀で、徳川に祟ったと言われてるわ」
「徳川にって……まさか……!」
「勢州村正……?」
京一の言葉を龍麻が継ぐ。アン子は感心したように二人――特に京一を見た。
「緋勇君が知ってても不思議じゃないけど……まさか京一が知ってるなんて……」
「ふん、刀剣の事なら任せろ。しかし……あれがそうだったとはな。無銘ってのは変だと思ったが……」
実物を見たらしい京一が複雑な表情を浮かべた。かなり厄介な代物のようだ。
「でも……ミサちゃんの話も気になるわ。緋勇くん……緋勇くんは気にならない?」
「そう心配することもないと思うよ」
葵の問いにそうは答えたものの、裏密の占い、京一の言う村正、偶然の一致なのだろうか?とりあえず、不安にさせまいと龍麻は努めて明るく言った。
「さ、私達はマリア先生を呼びに行きましょ」
「それじゃあ、裏密さん。またね」
「じゃ〜ね〜」
裏密の不気味な声に送られ、龍麻達は霊研を後にする。次は職員室だ。
マリアは職員室にいた。犬神の姿は見えない。何やら作業をしているようだが龍麻達に気付くと声をかけてきた。
「どうかしたの? みんな揃って」
「え〜と。ボクたちこれから緋勇クンの歓迎会でお花見に行くんです」
「それで、良かったら先生も御一緒にと思って」
「ねっセンセー。一緒に行こうよ」
小蒔と葵の言葉に少し考えるがOKの返事を出す。お酒禁止の一言も忘れない。
「私も担任として、あらためて緋勇クンを歓迎したいワ」
「ありがとうございます」
昨晩の犬神との会話が浮かび上がる。無防備でいるつもりはないが、知ってしまった以上、自然に振る舞うというのは結構難しい。今のところはうまくいっているようだが。
六時に中央公園に集合ということで、龍麻達は職員室を出た。
「さて、ボクたちもいったん解散しようか。それじゃ、中央公園に六時だよね。遅れたら罰ゲーム」
校門まで来て小蒔が確認する。どうやら罰ゲームがあるらしい。踊るの、歌うの、と嬉しそうに問うアン子に小蒔は両方、と答えた。マジかよと京一が呻くがどうやら本気のようだ。
「それじゃあ、また後で」
皆はそれぞれ家路に就く。龍麻も帰ろうと思ったが
「あの……緋勇くん……」
それを葵が呼び止めた。
「どうしたの? そういえばさっきから元気なかったけど」
「その……いえ……なんでもないの……ごめんなさい」
訊ねるが、葵はそのまま言い淀む。何やら様子がおかしいが、その理由は何となく見当が付く。昨日の、そして昨晩の件だろう。不安になるのも無理はない。つい昨日までは普通の人間だったのだ。
どうしたものかと思いつつ、龍麻の方から提案してみる。
「ところで僕、中央公園の場所知らないんだ。よければ案内してくれないかな? お礼に僕でよければ悩み相談も受け付けるよ」
その言葉に、一瞬驚きの表情を見せる葵だったが
「ありがとう……それじゃ、一緒に行きましょうか」
笑みを浮かべ、そう答える。学校で待ち合わせる約束をして、その場は別れた。
一度家に戻り、着替えてから龍麻は真神学園で葵と合流した。そのまま二人で新宿中央公園へ向かう。その道中、葵が他の建物などを説明してくれたが、元気がないのは相変わらずだ。こちらから聞こうかとも思ったが、無理に聞き出すのも気が引けた。
そうこうするうちに公園に到着する。
「うわ……」
咲き誇る桜を前に、龍麻は思わず足を止めて嘆息した。考えてみれば、実家に桜があったので外に出てまで花見をしたことはなかった。これだけの桜を見たのは初めてだ。
「確かに綺麗だ。美里さんが言った通りだね。気に入ったよ」
「うふふ、そんなに喜んでもらえるとは思わなかったわ」
「……少しは元気出た?」
笑う葵に龍麻が問う。
「こんなに桜が綺麗なのに、その下でさっきみたいな浮かない顔してたら駄目だよ」
「……そうね。ごめんなさい……って、なんだか昨日から謝ってばかりだわ」
再び表情が暗くなるが、それも一瞬だった。意を決して葵が口を開く。
「ねえ、緋勇くん……私……緋勇くんに聞いてもらいたいことがあるの……」
「もちろん。美里さんさえよければ喜んで」
「ありがとう……緋勇くんて……優しいのね。なんだか……緋勇くんの側にいると安心できる……」
そこまで言って葵の頬が桜色に染まる。
「あ……ごめんなさい……変なこと言って……」
「別に変じゃないよ。……僕もそうだから」
初めて会った時から感じていた、不思議な感覚。彼女の《力》で傷を癒してもらった時も、昨晩の旧校舎で《氣》が共鳴した時も、葵が側にいるだけでとても安心できた。
「……ねえ、昨日の旧校舎の事、覚えてる? 私が気を失って……緋勇くんの怪我を私が癒した……」
再び歩きながら葵は話し始めた。
「あの時は、それが当然の事のようにできたの。それに昨晩の……《氣》の共鳴、っていうのかしら。あの時も、怖いとは思わなかった。あの時感じたのは私の心に呼びかけてくる暖かい気持ち、優しさ、慈しみ、心地よい温もり……。でも……」
足を止め、葵は自分の腕を抱きかかえるようにして続ける。
「私が私じゃなくなっていくような気がして……別の私に変わっていったら、どうなってしまうのか……それがとても怖いの……。この《力》も一体何なのか分からなくて……何のためにこんな《力》が――」
『《力》なんていらない……こんなもの何の役にも立たない……』
龍麻の脳裏に過去の記憶がよみがえる。
初めて《力》が覚醒した時のこと。助けることができず、目の前で死んだ友人。化物を見るような目を自分に向けた元友人と伯父夫婦。
『何のためにこんな《力》があるの……?』
自分を引き取ってくれた叔父夫婦、二人の従姉への問いかけ。
『自分で自分を制御できないんだ』
《氣》に呑まれ、《暴走》し、その結果――人を、人であったものを殺した自分。
《力》が覚醒してからの自分が頭の中を巡る。
(昔の僕がいる……)
過去の自分が葵と重なった。突然の覚醒、《力》への戸惑い。彼女が抱く不安、恐怖は自分が通ってきた道だけによく分かる。
「緋勇くん……私……私……」
次の瞬間、龍麻は葵を抱きしめていた。龍麻から伝わる暖かい《氣》が葵を包む。
「大丈夫……美里さんは美里さんだよ。美里さんなら僕と違って自分を見失うなんてことはない。《力》だって決して悪いものじゃないよ」
「緋勇くん……」
「あの頃の僕は独りだったけど君は違う。桜井さん達がいる。自分を支えてくれる友達がいるんだ。それに……僕もついてる。だから……大丈夫だよ」
大丈夫、という龍麻の一言。それだけで葵の不安は嘘のように消えた。不安は消えたが――
「あの……緋勇くん……離して……」
葵の言葉と、周囲からの無数の視線に龍麻は我に返る。
今いる場所――新宿中央公園。当然の如く、そこは花見客で賑わっている。その往来で女性を抱きしめる自分。ようやく状況が飲み込めた龍麻は、慌てて葵を離した。
「ごっ、ごめん……!」
真っ赤になって謝る龍麻。気にしないで、と言う葵だったが龍麻と同じくその顔は朱に染まっている。周囲の酔っぱらいのヤジがそれに拍車を掛けた。
そこへ京一と醍醐がやって来る。家には帰らなかったらしく二人とも制服だ。
「よぉ――っとっと、こりゃ来るのが早かったか。なぁ、醍醐?」
二人の様子と周囲の状況を見て京一がにやりと笑う。一方の醍醐は気付いていないようだ。
「何でだ? ちょうどいい時間だと思うが……」
「お前なぁ……気を利かすとか何とか考えられねぇのかよ?」
呆れる京一だが醍醐は怪訝な表情をしている。京一は溜息をついた。
「かーっ、まったく。少しは雰囲気を察しろよ。朴念仁が」
「も、もう……京一くんっ。そんなんじゃないんだから」
「そっ……そうだよ。そうやってからかうの、やめてくれないかな」
二人が弁解するが、まったく説得力がない。
「ごっめーん。遅くなった」
そこへ小蒔とアン子もやって来る。二人も制服だ。どうやら着替えたのは龍麻だけらしい。
「おっ、緋勇クン着替えてきたんだ。ふーん……」
龍麻の格好を見て小蒔が感心している。
「なんか緋勇クンってさ、こーゆーワイルドな服も似合うんだネ。意外だなぁ」
龍麻の服装は昨日の旧校舎の時と同じ、ジーンズに黒革のジャンバーだ。違うのは裂けた右肩だけだが、不思議と不自然に見えない。
「そうね。案外バイクと並べたら絵になるかも。せっかくだから一枚、っと」
持っているカメラでアン子が写真を撮った。
「一枚いくらで売ろうかしら……」
「アン子……お前な……」
「部員一人の新聞部の台所は火の車なのよ。こうでもしないと新聞一つ作れないの」
どうやら、同じようなことを何度もしているようだ。
「アラ、みんな揃ってるのね」
最後の一人、マリアが到着した。
「さすが先生。時間ピッタリ」
「フフフッ、普段あんなにみんなのコト注意しているのに私が遅刻するワケにはいかないでしょ?」
アン子の言葉に笑いながらマリアが答える。
「さて、みんな揃ったことだし早く行こ行こ!」
嬉しそうに小蒔が先へ進む。罰ゲーム云々の話はどこかへ消えている。
「緋勇くん。私達も行きましょう」
葵に促され、龍麻も小蒔達を追って歩き出した。
「それじゃあ、転校生の緋勇龍麻くんと、この見事な桜に――」
「「「「「「かんぱーい!」」」」」」
京一の音頭で花見が始まった。マリアが持ってきたビニールシートを敷き、その上に皆が持ち寄った食べ物、飲み物が並ぶ。
「そうだわ、緋勇クン。犬神センセイが言ってたのだけど……」
服を脱ぎだした京一を見ていた龍麻にマリアが声をかけた。ジュースを飲む手を止め、何でしょうと返すと、予想外の事をマリアは口にする。
「あなた、何か武道をやっていたの? とても……強いって話を聞いたのだけど」
(犬神先生が? まさか……)
そんな話は一度も犬神とはしていない。まあ、彼なら言わずとも気付いただろうが、それを他人に話すなどあり得ない。犬神を引き合いに出せば話すとでも思っているのだろうか。色々想像はできるがとりあえず頷く。
「フフフ、やっぱりそうなのね。センセイも強い男のコは好きよ。でもね緋勇クン、力が強いだけでは本当の強さとは言わないわ」
「力は心から生まれるもの。何かを為したい、何かを護りたいと思う心が力となる……そうですよね?」
「アラ、先に言われちゃったわね」
龍麻の言葉に感心するマリア。師の受け売りですよ、と龍麻は返した。
「それにしても……今年の桜は、去年よりまた一段と見事だな」
桜を見上げて醍醐が呟く。そこへ強めの風が吹き、無数の花びらを宙に舞わせた。
「桜吹雪、か……すごいね」
「本当に綺麗な桜。なんだか……吸い込まれそう――」
しばし桜に見とれる龍麻達。しかし――
「キャアァァァッ!」
突然の悲鳴が皆を幻想の世界から引き戻した。
「な……何!?」
「何だよ。変質者でも暴れて――!」
言いかけた京一の表情が変わる。
「この《氣》は……まさかあの時の……!」
ふと、裏密の言っていたことが思い出される。鮮血を求める兇剣の暗示――
「京一……例の刀剣展で見た刀って……」
「ああ……ちょうど今感じるような《氣》を放ってた……」
予想通りの答えを返す京一。《氣》を感じる方向から多くの人が逃げてくる。
「まずいな……京一、醍醐君」
龍麻の意図を察し、二人が頷く。龍麻は葵達の方を向いた。
「美里さんと桜井さんは……どうする?」
「おい、緋勇。ここは――」
「ボクたちも一緒に行くよ。だってもしかしたら……」
「私も行くわ。少しは役に立てると思う」
それを止めようとする醍醐だが、二人は既に行く気になっている。
「もしかして……スクープのチャンスかも!」
「馬鹿たれ、お前は来るな」
好奇心に目を輝かせるアン子だが、京一が止める。しばし二人は無言で睨み合う。まあ、これは予想の範囲内だが
「行くのなら私も一緒に行きます。私はみんなの保護者です」
意外な言葉はマリアの口から出た。
「……どうする、緋勇?」
「止めても無駄だろうし……とにかく急ごう」
返事を待つ前に龍麻は走りだした。京一達も後を追う。マリアとアン子も結局付いてくる。
辺りの人は既に避難したらしい。龍麻にとっては好都合だが。
「……何、この変な匂い……?」
「血の匂いだよ。しかもかなり大量の……」
小蒔の問いに、龍麻が答える。風に乗って運ばれた、鉄のような匂いが周囲に満ちている。紛れもなく血の匂いだ。
「み、見て。あの人……」
小蒔の指す方向に一人の男がいた。一見サラリーマン風の男。しかしその手には血に染まった一振りの刀が握られている。刀から放たれている妖気が男を包み込んでいた。完全に《氣》に呑まれている。
「てめえ……その刀で人を斬りやがったな?」
京一の声にも男は答えない。その様子から自我が残っているのかも疑わしい。
「京一、あれはやっぱり……」
「ああ、間違いねぇ。あの時見た刀だ。勢州村正……!」
既に京一は木刀を抜いている。側にいた小蒔も弓に弦を張り終えていた。それを見てマリアが制止の声をかけた。
「あなたたち、下がりなさい! ここは……」
「俺達にとってあなたは大切な先生だ。遠野、先生を連れて後ろに退ってろ」
醍醐の言葉にアン子がマリアを引っ張っていく。二人とも何やら言っているようだが、ここは無視だ。
「さて、どう攻める? どうせ一人だ。一気に行くか?」
間合いを取りつつ京一。しかし、事はそう単純ではなかった。
「人間以外も相手にしないとね。全部で……八匹」
龍麻の言葉に周囲を見ると、どこからともなく、かなり大きな犬が集まってきていた。どうやら村正の妖気に当てられたようだ。
「狂犬病とか伝染りゃしねーだろーな?」
「そんなこと言ってる場合か。緋勇、指揮はお前に任せる。いいか?」
「分かった」
龍麻は懐から手甲を取り出し、腕に装着した。旧校舎で入手した物だ。
「お……緋勇、そんなモノどうしたんだ?」
「また今度話すよ。とりあえず、醍醐君と桜井さんは犬の方を。僕と京一で男を何とかする。美里さん、援護は任せるよ」
その言葉に皆が頷く。
「いくぜ、緋勇!」
先陣を切り、京一が突撃した。
「体もたぬ精霊の燃える盾よ私達に守護を……!」
葵の《力》が龍麻と京一を包み込む。緑色に輝く盾が出現し、一瞬の後、消えた。目には見えないが、その《力》が働いているのは分かる。自分達を守護する《力》だ。
「京一、犬にとどめを刺す必要はないから。僕達は男を!」
「よっしゃ!」
行く手を塞ぐ犬を木刀で薙ぐ。その一撃で倒れはしなかったが、吹き飛んだ先に醍醐がいた。醍醐の蹴りを食らい、犬は完全に沈黙する。
同様に龍麻の掌打で怯んだ犬に、小蒔が矢を放つ。弱っていた犬は一矢で事切れた。
「うおりゃあっ!」
《氣》を込めた木刀で京一は男に斬りかかった。男は難なくそれを受けると鋭い突きを放つ。紙一重でそれを避け、間合いを取るべく後ろに退がる京一。男は再び斬りかかるが横手からの龍麻の龍星脚が男を吹き飛ばした。
「ちっ……ちゃんと刀を使って……いや、刀に使われてんのか」
「彼自身には戦闘技術はないはずだけど……刀の記憶……?」
「いずれにせよ、あの男を叩きのめさなきゃ話にならねぇ!」
京一が起き上がった男に斬りかかる。龍麻は醍醐達へ注意を向けた。襲いかかる犬を相手に苦戦している。《力》に目醒めたとはいえ、その使い方が二人には分かっていない。醍醐の蹴りも、小蒔の射も普通の攻撃――龍麻や京一のように《氣》は込められていなかった。
(今はどうしようもない……美里さんには直接攻撃は無理だし……)
ここで助言したところですぐに戦況が変わるものでもない。
「京一! 一人ならどれくらい保つ!?」
「厳しいな……せいぜい一分だ! やるなら早くしてくれ!」
男の刀を押し返しつつ答える京一。京一にも醍醐達の戦況は見えているようだ。
「ごめん、三十秒だけ任せる!」
手近にいた犬を龍星脚で仕留め、龍麻は援護に向かった。
「醍醐君、一度退がって!」
「緋勇!? お前は京一と男の方を――!」
「そう言える状況じゃないでしょう!? 今の君達に《力》が使えない以上、こうするしか手はない!」
葵の《力》による援護があっても、後方支援の葵達の盾になっていた醍醐は少なからぬ傷を負っていた。それをかばうように龍麻は正面に立つ。
「美里さん、醍醐君の治療を! 桜井さんは僕の援護を頼む!」
口惜しそうな表情をしつつも醍醐が素直に退がった。
(早めに片を付けないと京一が危険だ……一気にやる……!)
自分に向かってくる犬に向かって龍麻は円空破を放つ。弾けた《氣》に触れた三匹の犬が吹き飛んだ。それでも何とか立ち上がろうとする犬達に小蒔の放った矢が次々に突き刺さる。同時に、戦線に復帰した醍醐が別の犬を蹴り斃すのが見えた。
(これで犬は全部……いや……!)
気付いた時には最後の一匹が目前に迫っていた。喉笛めがけて跳びかかる犬の牙を、龍麻は自分の左腕で受け止める。手甲の防御が及ばない上腕部に犬の牙が食い込んだ。
この距離で円空破を使うわけにもいかず、痛みに耐えながら冷気を乗せた掌打――雪蓮掌を犬の腹に叩き込む。触れた部分が瞬時に凍結し、犬の体が二つに砕けた。
「緋勇くん……!」
葵達がこちらへ駆け寄ってくる。
「早く傷の手当てを……」
「いや、今はいい。それより京一の援護を……」
左腕に食い付いたまま凍りついた犬の体を強引に引き剥がし、龍麻は一人で斬り合っている京一を見た。技量では京一が勝っているようだが
「やっぱり……無理か……」
「でも……京一の方が優勢だよ!?」
そう、小蒔の言う通りだ。確かにそう見える。だが、小蒔は忘れている。
「相手は人間だよ? 京一があの男を斬れると思う?」
今のあの男に生半可な攻撃は通用しない。だからといって本気でやれば男を殺しかねない。
「……じゃあ、どうすればいいの!? ボクの弓だって使えないよ! 醍醐クンだって刀相手に格闘するワケにはいかないし!」
「むう……」
「……美里さん、力を貸してくれる?」
その言葉に驚く小蒔と醍醐。葵は龍麻の意図に気付いたようだった。
「でも……うまくいくかしら……。昨日のだって偶然――」
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。だから……」
不安げな表情を浮かべる葵だが、返事も待たずに龍麻は京一に呼びかけた。
「京一! そいつの動きを止めといて! これからそいつを倒す!」
「簡単に言ってくれるぜ……だが……引き受けた!」
威力を抑えた剣掌・発剄を放つ。一瞬男の動きが止まるが京一にはそれで十分だった。木刀に《氣》を込め、男の刀――勢州村正を抑え込む。
「今だ、緋勇――って、おい!?」
動きを止めろと言った龍麻が何かをする気なのは分かる。しかし、京一の目に映ったのは龍麻と葵の二人だ。龍麻はともかく何故葵が――そう考えている間に二人は男を挟むように配置に付いた。
「行くよ……」
「はい……私の力、あなたに預けます」
昨日の感覚を思い出すように葵は意識を集中する。龍麻の《氣》が大きくなり、自分に流れ込んでくるのが分かる。それに合わせて葵も自分の《氣》を解放した。
「す……すげぇ……何だ、この《氣》は……!?」
二人から放たれる《氣》から逃げるように京一はその場を離れた。既に男は《氣》の奔流に動きを封じられている。
「い……一体、何なのコレ……緋勇クンと葵が……」
小蒔と醍醐にも、いや、その場に残っていたマリアとアン子にも二人の《氣》がはっきりと見えた。
(こんなものか……これ以上は僕達にも余計な負担が掛かる。そろそろ……)
「「破邪顕正……」」
同時に二人の口から言葉が漏れた。どちらが意識したわけでもない、自然に口をついて出た言葉。
「「黄龍菩薩陣!」」
巨大な光の柱が男を飲み込んだ。同時に男の絶叫が公園に響き渡る。
「京一、今だ! 男じゃなく、刀の方を――!」
目の前で起こった出来事に呆然としている京一だったが、龍麻の言葉で我に返った。
「でやあぁぁっ!」
《氣》を込めた木刀を携え、京一は一気に間合いを詰める。そのまま連撃を男ではなく村正に叩き込んだ。
木刀が鈍い音と共にへし折れる。しかし、村正から放たれていた妖気は消え去り、男の方もその場に崩れ落ちた。
「とりあえず、これで当分は動けまい」
気絶している男に目をやり、醍醐が呟く。外傷もなく、命に別状はないだろう。
「それにしても……緋勇に美里、それに京一もか。お前達のその《力》は一体?」
葵は何も答えない。自分でも分からないのだから答えられない、の方が正しいが。京一は折れた愛用の木刀に未練があるようで言葉そのものを聞いてはいなかった。龍麻の方もそれには答えず、村正を回収している。
「あんたたち……」
「遠野、この事は誰にも言うな」
真神の新聞部長の声に醍醐が釘を差す。分かってるわよ、とアン子は返事を返した。
「どうりで、この前の旧校舎の時からおかしいと思ってたのよ。緋勇君のことといい、妙に結束してたし。まあ、こんな秘密があるんじゃ仕方ないけど」
別に龍麻の件に関しては《力》云々の理由ではないのだが。それに龍麻と葵の《力》については京一達も初めて見たのだ。
「ま、いいわ。貸しにしとくから」
「ちっ、しっかりしてやがる」
ようやく木刀への別れが済んだのか、京一がこちらに戻ってきた。龍麻から受け取ったのか、村正を携えている。
「お、おい京一!」
「大丈夫だよ。もう、妖気は感じないだろ?」
慌てる醍醐だが言われてみれば確かに、刀が放っていたプレッシャーのようなものが無くなっている。
「緋勇と美里のアレでほぼ完全に普通の刀に戻ったみたいだしな」
「直にまた妖気を放つよ」
余裕の一言だが、龍麻の言葉に京一は慌てて村正を離した。
「妖刀の本質はそう簡単に変わらない。それこそ破壊しない限りは」
「つってもな……どうすりゃ壊せる? 発剄百発くらい叩き込めば何とか……」
《氣》を込めた京一の斬撃にも耐えた代物だ。かなり頑丈だがそれくらいやれば破壊できそうな気もする。
「それは今度考えよう。とりあえず、僕が持って帰るよ」
「でもそれって盗品……」
「何も知らない人が持ったら、また誰かが暴走するかもしれない」
小蒔のつっこみに答える龍麻。言われて小蒔は想像してみる。こういった場合、これを回収するのは警察官だ。警察官はたいがい、柔道か剣道をやっている。もし、剣道有段者がこれを持って暴走したら――
「そ、そーだね。アブナイから持って帰った方がいいよ、うん」
「さて、あとは……」
龍麻はマリアの方を見た。この一連の騒ぎにも関わらず、意外と落ち着いている。
「先生、先生はどうします? 今回の件、黙っていてくれますか?」
「……分かりました。今日のコトは、ここだけの秘密にしておきましょう」
龍麻の予想通りの答えをマリアは返した。
「あの《力》が何かは分からないけど、《力》というのはね、それを使う者がいるから存在するの。気をしっかり持って自分を見失わなければきっと道は開けるはず。アナタ達は自分の信じた道を歩みなさい」
マリアがそこまで言ったと同時に、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「ちょっとみんな! パトカーが来たわよっ!」
「やっと来たか」
「醍醐、色々聞かれると面倒だぜ。早いトコずらかろう――って、おいアン子。何で写真なんぞ撮ってやがる?」
「新聞に載せるに決まってるじゃない。それと、警察に情報提供して金一封もらうの」
「……醍醐」
自分の世界に突入したアン子を見て京一は醍醐に声をかける。仕方ない、と言いつつ醍醐はアン子を担ぎ上げた。
文句を言いつつ暴れるアン子だが、それで醍醐をふりほどけるものでもない。
「よし、行くぞ緋勇」
「そうだね、忘れ物もないし。急ごう」
龍麻の手にはビニールシートにくるまれた村正と、小蒔の放った矢がある。
七人はそのまま公園を後にした。