新宿区――中央公園。
 一人の男が木に背を預けて座っていた。ごく普通のサラリーマン風の男だ。しかし、その男が普通かといえば、そうではない。虚ろな目、痩けた頬、乱れた服装、そして刀。
 男は一振りの刀を手にしていた。紅を纏った刀――その傍らには、既に冷たくなった女性が転がっている。
「数百年の時を越え、今なお、何と衰えることを知らぬ斬れ味よ……」
 男の前に人影が現れた。しかし男の反応はない。ただ、訳の分からぬ呟きを漏らしているだけだ。
「そればかりではない。その刀身は紅の鮮血を浴び、芸術品の如き眩燿さを増しているではないか……」
「う……あああっ……」
「天海よ……常世の淵で、見ているがいい。貴様が護ろうとしたこの街が、混沌に包まれていく様を。貴様の町はヒトの欲望によって滅ぶのだ……。さあ……」
 座り込んだ男に声をかける。
「殺すがいい……貴様の望むままに……」
「う……うおおっ……」
 言葉に呼応するかのように男が立ち上がる。怪しく光る刀を携えて。
「うおおおぉぉぉぉっ!」
 男の叫び声が闇に包まれた公園に響き渡った。



 4月10日。昼休み。
「緋勇くん」
 教科書を片づけている龍麻に声をかけてきたのは葵だった。
「あ、あの……」
「体の方はもう大丈夫?」
 言葉を詰まらせる葵に、龍麻は優しく問いかける。
 昨晩の事だが、結局旧校舎を出ても葵は目を覚まさなかった。送って行こうかとも考えた龍麻だったが、葵の家は知らない。知っていたとしても何かと問題になりそうだったので保健室に運び込んだ後、犬神に頼んで家へ連絡を取ってもらったのだ。
「ええ。……昨日はごめんなさい、色々と迷惑をかけて」
「美里さんが無事ならそれでいいんだ。それに、あの時はこっちも助けてもらったしね」
 お互い様だよ、と言うと葵は笑った。そして、疑問を投げかけてくる。
「でも……どうやってあそこから出たの? 特に上に出る時なんて……」
「え……? あ……」
 余計なことを思い出し、龍麻の顔がやや赤くなる。
「え……と、とりあえず、入口まで行って、先に荷物を上げたんだ。それから机を持ってきて階段を作った」
 あはは、と笑いながら答える龍麻だが、実際は少し違う。荷物を先に上げたところまでは間違いない。階段作りは一度は考えたのだが、下から「何か」が上がってこないとも限らないので諦めた。
 結局、葵を抱きかかえて、壁を蹴りつつ跳躍したのだ。着地の際に、置いていた荷物に足を取られ、その結果ちょっとしたアクシデントがあったが、これは言えない。絶対に言えない。
「よう、お二人さん。仲のいいことで」
「ホント、楽しそーだよねぇ」
 からかいの口調と共に、京一と小蒔がこちらへ来た。醍醐も一緒だ。
「こら、お前達。あんまりからかうんじゃない」
「ったく……タイショーは……これくらいどーってことねぇだろ?」
 醍醐が注意するが、京一は聞く耳持たない。小蒔も隣でうんうん、と頷いている。
「で? 昨日は何があったのかなぁ、お二人サン?」
「昨日……ってラーメン食べた後はその場で解散したじゃないか。美里さんと一緒に帰った桜井さんが知らないはずないでしょ?」
 平静を装って龍麻が言う。そうよ、と葵も口を揃えるが小蒔はにやり、と笑った。
「甘いよ二人ともっ。その後で、ってのも考えられるんだから」
「そーそー。さあ、とっとと白状しろいっ!」
「だから……別にそんな約束してないよ。ねぇ、美里さん?」
「ええ。私は家に戻ってから学校に忘れ物を取りに行っただけだし……」
 確かに「約束」はしていない。嘘ではない。
「ホント〜? なーんかアヤシイなぁ?」
「やっほー皆の衆!」
 なおも小蒔が追求しようとするが、アン子の声がそれを遮った。そしていきなり
「緋勇君、醍醐君と一戦やらかしたって本当!?」
「おい、アン子! お前、それをどこで……!」
 京一の問いに、かかった、といった顔をするアン子。鎌を掛けられた事に気付き、後悔する京一だが、もう遅い。
「緋勇クンと……醍醐クンが? 本当なの?」
「う……うむ……まあ、な」
 訊ねる小蒔に答える醍醐だが、歯切れが悪い。葵も初耳だったようで驚いている。
「で、どっちが勝ったの? さあ、答えなさい!」
「……緋勇だ……俺の完敗だった」
 醍醐の言葉に再び驚く小蒔と葵。やれやれ、といった表情の京一。アン子は満足そうに頷いている。
「これでウラも取れたわ。さすがね、緋勇君」
「そんなに騒ぐことでも……ないんじゃないかな?」
 賞賛を送るアン子に、龍麻は困惑気味だ。そもそも、あんまり表立っていいことではないのだ。いくら勝負とは言え、普通の者――教師達から見れば、ただの喧嘩と受け取られかねない。
 そういう意味合いで「騒ぐ事ではない」と言いたかったのだが、アン子はそう解釈しなかった。
「何言ってるの!? 真神の醍醐雄矢と言えば新宿じゃ知らない人はいないくらいの猛者なのよ!? その醍醐君に勝ったんだから!」
 と、勝手に盛り上がっている。面倒なことになりやがった、と京一は頭を抱えた。正直なところ、龍麻は素人目には強そうに見えない。そんな龍麻が醍醐を倒したという話が広まれば、絶対に龍麻に挑戦する者が出てくるだろう。
「いやー、久しぶりに面白い記事が書けそうだわ。見出しはどうしようかしら……」
「おい、アン子……」
 京一の声もアン子の耳には届かない。何やらぶつぶつ言っている。
「よし、決めたわっ! 次の見出しはこうよっ! 明日香の狂戦士、真神に降臨!」
 バン!
 次の瞬間、教室内に響き渡った音に周囲の視線が集中した。その先には立ち上がった龍麻がいる。
「……おい……緋勇……?」
 様子のおかしい龍麻に醍醐が声をかける。しかし、返事はない。机に両手を着いて俯いたままだ。今度は葵が声をかけるがそれにも答えず、龍麻は教室を飛び出していった。
「……どうしたの、緋勇君? 照れてるのかしら?」
「アン子……ちょっと来い」
 不思議そうに首を傾げるアン子の腕を京一が掴んだ。
「え……ち、ちょっと……何よ……?」
「いいから来いってんだよ! ガタガタぬかすな!」
 アン子を無理矢理引っ張っていく京一。それを追う葵達三人。
 教室には事情を把握できないクラスメイトだけが残った。


「さて、と。洗いざらい白状してもらおうか」
 真神学園新聞部。部長はアン子こと遠野杏子。部員同じく。つまりはアン子だけの部であるが、その部室に五人はいた。
「お前、緋勇の何を知った?」
「……それを教える義務はないわね。だいたい何なのよ!? いきなりここまで引っ張ってきた挙げ句に白状しろ!? 冗談じゃないわ」
 椅子に座ったまま、身体ごとそっぽを向くアン子。事情も分からず、いきなりこんな事を言われれば腹も立つ。が、それ以上に腹を立てている者が一人。
 その人物――京一は木刀を抜いた。
「もう一度訊くぞ。緋勇の何を知った?」
「な……何よ……そんな脅しにあたしが屈するとでも――」
 ハッタリだとは思いつつも、普段の京一からは想像できない迫力に圧されている。そこへ振り下ろされる木刀。それはあっさりと部室内にあった机の一つを「両断」した。《氣》を込めた一撃だ。さすがにアン子の顔が蒼ざめる。
「三度目だ……次はない……」
 入口前に陣取っている醍醐は無反応だ。京一のすることを止めるつもりはないらしい。コキコキ、と関節を鳴らす音がアン子を威圧する。
 アン子は救いを求めるように他の二人、葵と小蒔に視線を向けた。二人とも悲しげな表情を浮かべているが、やはり止めようとはしない。
「美里ちゃんに桜井ちゃんも……どうしたって言うのよ!?」
「さっきの緋勇クン……とても悲しそうな顔をしてた……」
「アン子ちゃんには何でもない一言だったのかもしれないけど……緋勇くんにはとても辛い事だったの……」
 狂戦士バーサーカーという言葉が意味するところは京一達にもだいたい分かる。敵味方の区別無く、死ぬまで闘い続ける戦士――つまりは龍麻の《暴走》の事を指しているのだろう。そう呼ばれる理由については知らないが《暴走》に絡んだ事件があった事は推察できる。
「アン子……」
 だめ押しする京一に、観念したアン子は机の引き出しから紙を取り出した。FAX用紙が二枚。
「……全国報道関係部・同好会連盟……?」
 要は全国の新聞部や放送部といったものの互助会のようなものらしい。そこから送られてきたもののようだ。
 京一は用紙に目を移した。葵達も横から覗き込んでいる。一枚目は、成績証明書と身上書のコピー。そして二枚目――そこにはこう記されてあった。

  緋勇龍麻(以下甲)に関する調査報告

 明日香学園高等学校2−C在籍。3年進学に合わせて東京の真神学園へ転校。
 小学生の頃からいじめの対象になる。時期的には6年の3学期以降。その理由は判然とせず。一説によると、霊が見えるということに絡んだ事件が原因らしい。甲に関する異名に《悪霊憑き》というものがあり、その説を裏付けているかのようだが確認はできず。友人は皆無。
 中学時代もいじめの対象に。ただし、この頃から甲の義父(叔父)に武道を習い始めており、反撃に移っている。直接的ないじめに関してはこれを境に消失。精神的なものに関しても、報復を恐れたためか無くなっている(報復の事実無し)。《悪霊憑き》の異名は健在。友人と呼べる存在無し。成績は普通。
 高校に進学後は、中学時代の武勇を聞きつけた不良の標的になるがその全てを退けている。結果、武闘派としての印象が強まり、更に中学時代からの異名もそれに拍車を掛け、誰一人として甲に近付かなくなる。ただし、2年の二学期終了間際、甲に接触する生徒が二名(以下乙)。この頃、学園内で奇妙な事件が発生。東京からの転校生(以下丙)が行方不明になっている。甲が関わったとの噂はあるが、事実は不明。なお、同時期に丙に従っていた不良八名が甲と乱闘。結果、全員が全治二ヶ月から四ヶ月の怪我で入院。甲に関する異名《狂戦士》は乱闘の目撃者の証言(全員を倒した後に甲も意識を失ったとある)から。三学期以降は学校を休みがちだが、先に述べた乙に加え、丙に従っていた他の四名の計六名が甲と一緒にいるのを多くの生徒が目撃している。学年末考査では全科目満点で一位。不審に思った教師陣が抜き打ちで同難易度の試験を実施しているが、これも満点でクリアしている。友人関係は乙以下六名が該当すると思われる。
 更なる追跡調査を試みるも乙らの妨害があり困難。今後の指示を待つ。


 しばらくの間、京一達は何も言えなかった。ここ数日の龍麻からは想像もできない。あの龍麻がいじめられていた、周囲から疎外されていたとは。転校初日、京一の言葉に、自分に話しかけてくるものはほとんどいなかったと答えた龍麻――あの時の悲しげな表情が鮮明に京一の脳裏に浮かぶ。
「……アン子……お前、本気でこれを記事にしようと思ったのか……?」
 怒気を含んだ冷たい声がアン子の耳を打つ。慌てて手を振るアン子。
「い……いくら何でも全部はしないわよ。あたしは彼の強さについての記事が書きたかっただけだし」
「アン子ちゃん、お願いだから緋勇くんの過去についてこれ以上詮索するのはやめて」
 悲しげな表情のままでそう言ったのは葵だった。
「誰にだって知られたくない事はあると思うの」
「いいな、これを記事にするのは禁止だ」
 制止する間もなく、FAX用紙を握り潰して京一がゴミ箱に投げ捨てる。それから、更に一言。
「それとも何か? 未来のジャーナリストなんて言っても結局は三流芸能誌とやる事が同じかよ?」
 ここまで言われては引き下がるしかない。意地を張っても何の得にもならないし、三流呼ばわりされるのも面白くない。アン子は、二度とこの件を記事にしないことを約束した。となると、することは後一つ。
「さて、後は緋勇を捜さなくてはな」
「アン子、まさかこのまま終わると思ってないだろーね? 悪いコトしたんだからきちんと緋勇クンに謝る!」
 醍醐が部室のドアを開けた。小蒔がアン子の背を押して部室から出す。
「しかし……どこに行ったんだろな? 手分けして探すか?」
「……人気の少ない所、じゃないかしら? 多分、屋上だと思う……」
 京一の提案に葵が答えた。特に根拠はないが、そんな気がしたのだ。醍醐と小蒔も異論はないようだ。
「よし、そんじゃ屋上から行ってみるか」
 五人は龍麻を求めて動き出した。


 屋上の手すりに体を預け、龍麻は溜息をついた。普段なら弁当を広げている生徒が数人いるのだが、珍しく屋上には龍麻以外に誰もいない。
(皆、びっくりしただろうな……)
 アン子の一言に過敏に反応してしまった事を後悔する。まさか、転校した先であの異名を呼ばれるとは思ってもみなかった。狂戦士――自分の《暴走》を指し示す言葉。数ヶ月前の莎草の一件で、自分に恨みを持った生徒達に重傷を負わせてしまったのがきっかけでついた異名。意識がなかったとはいえ、自分がやったことに変わりはない。見舞いに行きもしたが、全員自分を見て取り乱し、謝ることすらできなかった。学校でもその噂はすぐに広がり、自分が近付いただけで逃げ出す者が出る始末。
(当然か……こんな危ない人間に近付いてくる人はいないよね……)
 例外である明日香の友人達の顔が浮かぶ。結局、あの件の後も自分を心配してくれた友人二人。助けたのをきっかけに誤解が解け、普通に接してくれるようになった者もいる。
 真神に来て、少しは学校でも平穏に過ごせるかと思ったが、転校初日から《暴走》してしまい、危うくあの時と同じ過ちを犯すところだった。京一に迷惑を掛け、醍醐を叩きのめし、挙げ句に葵達を《覚醒》させてしまったし、昨晩は葵に要らぬ心配と無理をさせてしまった。こういう事態を引き起こさないための《力》であるはずなのに、未だに自分は《力》に振り回されている。
 再び溜息をつく龍麻だったが、扉を開ける音で我に返った。
「お、いたな緋勇」
 京一だった。葵達もいる。
「なーに落ち込んでるんだ? いつもの、女生徒を魅了する笑みはどうした?」
「……相変わらずだね……」
 京一の言葉に、そう言って笑う龍麻だったが、ぎこちない笑みが痛々しい。
「さっきはごめんね、びっくりさせちゃって……」
「何言ってんだよ。お前が謝る必要はどこにもねぇ。……ほら、アン子」
「あ……あの、緋勇君……さっきはごめんなさい!」
 促されてアン子が一歩前に出た。勢いよく頭を下げる。それを見て龍麻は京一に問う。
「……京一、遠野さんに何したの?」
「何したの、って……お前に謝れって言っただけだ」
「どうして? 別に遠野さんは悪くないよ」
 その言葉に京一達は耳を疑った。が、龍麻は本気らしい。
「人に知られたら困るような過去がある方が悪いんだ。そのせいでみんなに嫌な思いをててててっ!」
 突然悲鳴を上げる龍麻。京一の手が龍麻の頬をつねっていた。
「なーに言ってんだこの口は。そりゃ、お前が色々と訳有りなのは知ってるけどな。だからって何でも自分のせいにしてんじゃねぇ!」
「れ……れも……」
「デモも、ストもあるか! どんな理由があろうと、不快な思いをさせた方が悪いに決まってんだろ! お前だって触れられたくない事だったからここへ逃げたんだろうが!」
「お……おい、京一……」
「お前が机を叩いたのが悪いってんなら、その原因を作ったアン子も悪いんだよ! 佐久間達の事や、旧校舎の件にしたってそうだ!」
 醍醐の制止も無視して京一はなおも言う。
「あいつらがケンカ売らなきゃお前だって事を構える必要はなかった! 忠告無視して旧校舎に入ったのも醍醐達の意志であって、お前に押し込まれたわけじゃねぇ! 結果何があってもそれは本人の責任だろが!」
「わ、わひゃ……わひゃったから……」
 ようやく京一は手を離した。
「……つーわけだ。お前は素直にアン子の謝罪を受け入れりゃいいんだよ」
「ひどいな、京一は……千切れるかと思ったよ」
 頬をさすりながら龍麻が非難の声を上げる。
「でも、ありがとう京一。それにみんなも。何か余計な心配かけちゃったみたいで……」
「気にするな緋勇。どうもお前は、自分さえ我慢すれば丸く収まるとでも思っているようだが……そんなことではストレスで自滅するぞ」
「そうそう、そんな時はナンパでもしてだな……」
「京一! 何でキミはいつもそう――!」
 いつもの賑わいが戻ってくる。京一達は龍麻そっちのけで何やら言い争い始めた。それを眺める龍麻に葵が近付いてくる。
「緋勇くん、みんなあなたを心配してるわ。あなたは一人じゃない」
「もう少し、頼ってもいい……のかな?」
「ええ、同じクラスの友達ですもの」
 そう言って微笑む葵。ありがとう、と龍麻も笑みを返した。作ったのではない、自然な笑みだ。 そこへ――
「おい、なーに二人の世界作ってんだよ?」
「やっぱりアヤシイよね……」
 突然、京一と小蒔が乱入する。
「お前ら、本当は何かあったんだろ?」
「え、そうなの美里ちゃん!?」
 復活したアン子も加わり、大騒ぎになった。
 やれやれ、と醍醐がそれを見ながら溜息をつく。龍麻の過去の話など、とうに皆の頭から消えていた。



 同日、放課後。3−C教室。
「やっと、今日の授業も終わったな」
 やれやれ、といった表情で醍醐がやって来た。
「どうだ、緋勇。学校にはもう慣れたか?」
「うん。授業もそう大差ないし」
「そうか、それは良かった。……で、あれからお前は何ともないか?」
 どうやら、昨日の一件の事のようだ。
 実際の所、何ともないと言えば嘘になる。葵の《氣》との共鳴・増幅現象がそれだが、単独で旧校舎に潜ったなどと白状すれば、何を言われるか分かったものではない。
 とりあえず、別に、と答えると醍醐は安心したようだった。あれからずっと気になっていたのだろう。そこへ京一がやって来た。
「よっ、御両人。ちょいと相談があるんだけどよ」
「どうした京一? また何かロクでもない事でも思いついたか?」
「へっ、言ってくれるぜ」
 京一が何かやらかす時は、前兆があるようだ。醍醐の言葉に京一がむくれた。
「俺はただ、そろそろ花見の季節だなぁ、ってな。舞い散る花びらを見上げながら緋勇と友情について――」
「本音で話せ……バレバレだぞ」
「……まあ、その、何だ。さぞかし酒がうまいだろうな、と」
 醍醐の顔が険しくなる。その様子に京一は肩をすくめた。
「やれやれ、相変わらずおカタイなぁ。真神の総番……じゃなかった、元総番殿は」
「お前が柔らかすぎるんだ。それに何だ、その元総番ってのは?」
「だって、今の総番は緋勇だろ? お前に勝ったんだから」
「それもそうだな……って、待て京一。俺は別に番を張っていた覚えはないぞ?」
「今更、何言ってやがる。誰に聞いても答えは一緒だよ。というわけで緋勇クン、今日から真神の総番はキミだ」
 いきなり話を振られ、龍麻は狼狽えた。
「いや、そう言われても……」
「とにかく、だ。酒は健全な肉体だけでなく、精神まで鈍らせる。京一、お前も武道家の端くれなら――」
「生憎と、酒で鈍るほど、俺の腕は悪くないんでね」
 戸惑う龍麻をそっちのけで、二人は酒について何やら言い争い始める。どうしたものかと困っていると、再びこちらに話を振ってきた。
「お前はどうなんだ緋勇。高校生が酒なんて、もっての他だと思わんか?」
「どうして?」
 即答する龍麻に、醍醐は言葉を詰まらせた。後ろで京一が笑っている。気を取り直して醍醐は言った。
「いいか、緋勇。何も俺の独断で悪いと言ってるわけじゃない。一般的に言って学生たる者はだなぁ――」
「だから、何で学生がお酒飲んじゃ駄目なの?」
 京一が声を出して笑い始める。しかし、龍麻の次の一言でぴたり、と笑うのをやめた。
「お酒は中学生になってから、でしょ?」
「「……はい?」」
「緋勇クン……本気で言ってる?」
 そう言ったのは小蒔だった。葵も近くに来ている。
「なんだよ、二人ともいたのか」
「さっきからいたよ。ボクと葵と美女が二人も。ね〜緋勇クン?」
「うん。気付いてないのは京一だけ」
 答える龍麻に、照れたように笑う小蒔。ここで、いつも通りの京一の茶々が入った。
「緋勇……俺には女は美里しか見えねえぞ」
「きょ〜いち〜……っと、まあ馬鹿はほっといて……緋勇クン、さっきのだけどお酒って二十歳になってから、だよ」
「またまた……桜井さんまで京一みたいな冗談を……」
 小蒔の言葉に龍麻は笑うが、京一達は黙ったままだ。
「……ホントに……?」
 さすがに様子がおかしいので救いを求めるように龍麻は葵を見た。彼女ならそういう冗談も言わないだろうとの考えからだったのだが、龍麻の問いに葵は申し訳なさそうに無言で頷く。
「……緋勇……お前、誰にそんなこと吹き込まれたんだ?まさか京一じゃ……」
「だって、家ではそうだったよ? 中学に上がった時に、義父さんから進学祝いだって飲まされたのが最初で、それからずっと晩酌で飲んでたから」
 龍麻の言葉に
「どう思う?」
「これが京一なら嘘だって言い切れるケド……」
「小蒔、どーゆー意味だ……?」
「緋勇くんがそんな嘘を言うような人には見えないし」
 醍醐達四人が考え込む。
「……ま、まあ……家庭の事情ってやつだから、これ以上は何も言うまい。一応、法律上は二十歳からだということを覚えていてくれ。それと、飲むのも程々にな」
 そう結論づけてから、醍醐が何か思いついたように手を叩いた。
「そうだ。どうせなら、みんなで花見に行かないか? 中央公園も、もう満開だろう」
「そうだな。ま、それも悪かねえか」
「えっ、花見に行くの!? いいね、それ。ボク、楽しみだなぁ。中央公園には屋台も出るしね」
 京一が同意し、小蒔が嬉しそうに言う。頭の中は既に屋台のことでいっぱいのようだ。
「うんうん。花より団子って言葉はお前のためにあるようなモンだ。いいよなぁお気楽星人は」
「なんだよ? 花を見ながら屋台の食べ歩き。それが花見の醍醐味だろ? まあ、花は花でも京一は別の花を目で追うんだろーけど」
「ははは、一本取られたな、京一」
「ね、葵も行くでしょ?」
 うるせえ、と京一はふてくされた。同意を求める小蒔だが葵の返事はない。
「どーしたの、ボーっとして?」
「うっ、ううん。なんでもないの。ちょっと考え事をしていただけ」
 再び声をかける小蒔に、ようやく葵は我に返る。
 いつもの葵とは様子が違う。付き合いの短い龍麻にもそれが分かる。やはり、昨日の影響が出ているのだろうか。
「中央公園はきっと夜桜も綺麗でしょうね。みんな、どうかしら? 緋勇くんの歓迎会も兼ねて」
「おお、そういえばやってなかったじゃねぇか歓迎会。よし、それじゃ決定! しかしこの人数じゃな……もう少し誘うか?」
 その提案に、京一が飛びつく。それでも人数はここにいる五人。別にこれでも構わないが、少し寂しい気もする。小蒔もそう思ったのか頷いた。
「そうだね。どうせなら人数多い方が絶対盛り上がるよ」
「もちろんお前は来るよな、緋勇? お前の歓迎会も兼ねてんだから」
「え……? あ、うん」
 考え事でよく聞いていなかったが、とりあえず同意する龍麻。
「そうね、中央公園の桜はとても綺麗だから、緋勇くんもきっと気に入ってくれると思うわ」
「楽しみにしてるよ。で、後は誰を? 誘いたい人がいるんだけど」
「構わねぇけど……誰だ?」
「遠野さん」
 その言葉に四人が驚く。昼休みに龍麻の過去を暴露しかけたのはアン子だ。それを誘いたいとは――
「この際、完全にわだかまりを消しとこうと思って。こういうのは罪悪感がある方がいつまでも引きずるから」
「なるほど……緋勇は人間ができてるな。京一、お前も見習え」
「へいへい。で、後はどうする?」
「何をどうするって?」
 ちょうどそこにアン子が現れる。
「京一、あんたまた何かやらかすんじゃないでしょうね?」
「来るなりそれか……そんな事言うと誘ってやらねーぞ」
「これから緋勇クンの歓迎会で花見に行くんだ。で、緋勇クンがアン子も誘おうって」
 状況を説明する小蒔に、アン子が驚きの表情を見せた。
「だって……いいの……?」
「うん。その代わり、今回の件はお互いにこれ以上蒸し返さない事」
「……ありがとう。よし、お礼にこれあげるわ」
 いつかもらった新聞を龍麻に渡す。記事は旧校舎関連のもののようだ。
「しかし、これで六人か。もう少し欲しいな」
「それじゃ、マリアセンセーは?」
「そうだな、京一のあきらめの悪さは札付きだからな。ジュースに混ぜてでも持って来かねん」
 その言葉に引きつった笑みを浮かべる京一。そして――
「緋勇クン、どうしたの?」
 マリアの名を聞き、複雑な表情を浮かべる龍麻に小蒔が気付いた。
「え? いや、それもいいなと思って」
「……そう? それじゃ、今回の主賓もそう言ってることだし、マリアセンセーも声かけてみようよ」
 早速、とばかりに教室のドアを開ける小蒔だが、外に出る事はできなかった。その向こうにいた人物にぶつかったからだ。転校初日、龍麻にケンカをふっかけた佐久間だった。
「緋勇……俺ともう一度、闘え……」
 京一が何か言おうとする前に、佐久間が龍麻を睨みつける。先日の雪辱戦をやりたいらしい。しかし、龍麻にはそんな気は毛頭ない。
「悪いけど断る」
「てめぇ……逃げるのか?」
 その言葉に、京一はただ呆れた。あれだけの目に遭って、実力差というものがまるで分かってないからだ。今更やったところで結果は同じだ、そう言ってやろうとした京一だったが――
「そう思われても構わない。ただ、君は死合いがしたいんだろう?」
 引き下がらない佐久間に対し、すっ、と龍麻が目を細めた。ただそれだけの事で、佐久間が身構える。
「前はあれくらいで済ませることができたけど……次は保証できない。もう誰も……殺したくない」
 その言葉に驚いたのは佐久間だけではなかった。その場にいる全員が自分の耳を疑う。
 佐久間は何も言わない。それどころか身動き一つない。引きつる顔、頬を伝う汗――龍麻の言葉、そして視線に完全に体が竦んでいる。
 そのまま龍麻は歩き出す。それにつられて京一達も後を追う。
 ただ、動けない佐久間だけがその場に取り残された。



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