真神学園旧校舎。歴史がある、と言えば聞こえはいいがそれだけ古いということだ。
 時間も夕方――薄暗くなっているせいか近くで見る旧校舎はとても不気味だ。
「……なんかスゴイなぁ」
「うむ。かろうじて、建ってるって感じだな」
 結局全員が旧校舎へとやって来ていた。龍麻が恨めしそうに京一を見るのが醍醐達にも分かったが、その理由までは分からない。
「何も言うな……納得できる説明なんて俺にはできねぇよ」
 そう言われては龍麻とてそれ以上非難できない。
「で……京一、分かる?」
「……ああ、お前が危険だって言った意味がよく分かる。気分が悪いぜ」
 校舎を包む《氣》は相変わらずだ。一度も来たことがなかったが、来なくて正解だったと京一は思う。
「お前、大丈夫かよ? こんな《氣》に当てられて……」
 龍麻が《暴走》する要因がここには満ちている。心配する京一に、龍麻は何とかね、と苦笑した。
「何を話してるんだ?」
 醍醐達が近付いてくる。知らないことは幸せなことだな、と龍麻と京一はしみじみと感じた。
「さて、緋勇。説明してもらおうか。ここには一体何がある?」
「……君達には関係ない」
 素っ気ない返事に醍醐の顔が険しくなる。
「関係ないことはないだろう。自分達が通う学校の中の事だ」
「まあまあ、醍醐。少し落ち着けよ」
「京一は黙ってろ」
 どうやらかなり本気で怒っているらしい。いかなる言葉も届きそうにない。
「俺達はそんなに信用がないか?」
「……信用とかの問題じゃない。今なら引き返せるんだ。自分から非日常の世界に足を踏み入れることはない」
「それでは納得できんな。俺は俺で好きにさせてもらう」
 龍麻はそれ以上何も言わなかった。そのまま入口に向かう。
「あ、緋勇君。そっちはカギが……」
 アン子が言うが龍麻はそのまま入口に手を掛けた。押しても引いてもびくともしない。
「おい、アン子。お前カギ借りて入ったんじゃなかったのか?」
「それが開かなかったのよ。仕方ないから抜け道の方を……」
「……っておい緋勇! いくらなんでもそれは――!」
 龍麻が《氣》を練るのを見て京一は慌てて止めようとする。が、遅かった。
「破あぁぁっ!」
 放たれた発剄が入口の扉を粉微塵に打ち砕く。派手な音と共に砕かれた扉の残骸が旧校舎内に吸い込まれていった。
「な、何だ……今のは……?」
 呆然とする醍醐達三人。額に手をやり、溜息をつく京一。龍麻はそのまま旧校舎に足を踏み入れた。
「ちっ……仕方ねぇな……」
 諦めて京一も龍麻を追う。醍醐達も慌ててついて来た。
「うわっカビ臭い。それにスゴイほこり……ゲホゲホッ」
 歩くたびにほこりが舞う。まともにほこりを吸い込み、小蒔が咳き込む。その手には弓を入れた袋があった。どうやら持ってきたらしい。
 外からの光は入ってこない。アン子が持っていた懐中電灯だけが光源だ。
「京一……醍醐君達は頼むよ」
「……仕方ねぇ、頼まれてやるよ」
 今更戻れと言っても聞くような連中ではない。諦めて京一は醍醐達の護衛に回ることにした。
「気をつけて。何が出てくるか分からないからね」
 アン子が周囲を見ながら言う。確かに真っ暗で、何かが出てきてもおかしくない状況だ。
「男が四人も居るんだ。別に怖いこたぁねーさ」
「京一! 男は全部で三人だろ!」
「だってお前、付いてるじゃねぇか」
 軽口を叩く京一に小蒔がかみつく。いつものことだが緊張感がない。
「何がだよっ!?」
「ナニがだよーん」
「なんだとー!」
 真っ赤になって小蒔が京一につかみかかろうとする。
「あんたたちねぇ……」
「お前ら少し――」
「静かにしてくれないかな?」
 いつもの制止役は醍醐だが、その騒ぎを静めたのは龍麻の一言だった。怒気を含んだ、それでいて冷たい声。
(どうしたの、緋勇クン?)
(さっきから様子がおかしいのよね)
 その理由が自分達にあるとは知らず、小蒔とアン子がひそひそ話し始める。龍麻は懐中電灯など必要ないとばかりに早足で先へと進んでいく。醍醐は隣の京一に声をかけた。
「京一……お前は何を知ってるんだ?」
「……普通の人間には知る必要のない世界」
「緋勇もそんなことを言っていたが……それにさっきの扉の……緋勇は何をしたんだ?」
「……気功、とかは分かるよな? あいつがやったのもそれだ。体内で《氣》を練り、それを収束して放つ……俗に発剄っていうやつだよ。あの細身で佐久間達を吹き飛ばせたのも、あいつの武道家としての技に加えて《氣》を込めてたからだ」
 仕方なく京一は全部説明した。信じられない、といった顔をする醍醐に、更に言う。
「ついでに言えば、昨日お前も食らってる。佐久間達と違うのは、手加減されていたかどうかだけだ」
「あの一撃が……手加減だと?」
「極めれば岩をも砕くんだぜ?生身で食らえばいくらお前でも死んでるよ。そして……そんな事ができる緋勇にとってもここは危険な場所なんだ。あいつは自分以外にお前らも護らなくちゃいけない。不機嫌になって当然だろ」
「俺達は……足手まといなのか……」
 悔しそうに醍醐が呟く。真神の、いや新宿でも名の売れている男が足手まといでしかないというのはかなりのショックだろう。
「ま、それだけじゃねぇだろうけどな」
(もし、あいつが《暴走》したら……醍醐達の身も危ない。だから一人で来ようとしたんだろうけどな)
 龍麻がどういう人間なのかは、ここ二、三日で京一にはよく分かっていた。
「あ、この奥よ。保健室と更衣室があって、その先で赤い光が……」
「なんだそりゃ? そんなの聞いてねーぞ?」
「話す前に緋勇君が飛び出して行ったんじゃない。話を戻すけどその光に追われてるうちにはぐれちゃったのよ」
 アン子の言葉にそういやそーだったな、と京一は納得した。どちらにせよ、葵が旧校舎の中に――それだけで龍麻にしてみれば動くに足る理由だったはずだ。
「で、その赤い光ってどんなのだったんだよ?」
「よく分からなかったわ。こちらへ向かってきた以外は」
「他には? 匂いとか……音とか」
 やはり振り返らずに龍麻が問う。
「そういえば……何かバサバサって。あと甲高い音。キィキィって……」
「緋勇……」
「うん。何かいる。それも……人に危害を加える何かだ」
 二人だけ納得しているが、どうもアン子と小蒔にはそれが面白くない。
「……いい加減、説明の一つくらいあってもいいのに」
「なんか、蚊帳の外だね……醍醐クンもそう思わない?」
「……あ……ああ……」
「どうしたの、醍醐クン?」
 うわのそらの醍醐に小蒔が問う。しかし、やはりどこかおかしい。
 ついに小蒔は切れた。
「もうみんなどうしちゃったんだよ! みんなここに来てからおかしいよ!」
「ここは、そういう場所なんだよ。今更何言ってんだ?」
 事も無げに京一が言う。小蒔は怒りの矛先を京一に向けた。
「そういう場所って、なんだよ!?」
「負の感情……怒り、不安、悲しみ、そういったものが渦巻く場所、それに呑まれればお前みたいに切れちまう」
「じゃあ、ボクがこうやって怒ってるのもこの場所のせいだって言うの!?」
「これが外だったら、もう少しは我慢できただろーな」
 小蒔が混乱するのは当然だ。しかし、ここに入る前にそれを言ったところで大人しく外で待ってはいなかっただろう。その前に信じなかっただろうが。
「自業自得だ。お前らが緋勇を信じて外で待ってればこんな事には――」
「いや……僕が悪かったんだ」
 龍麻がここで初めて醍醐達の方を向いた。悲しげな表情を浮かべて。
「信じる、信じないは別として、最初から全部説明しておけばよかったんだ。そうすれば桜井さんがそこまで怒ることもなかったし、皆に嫌な思いをさせることもなかった。ごめんね、桜井さん、醍醐君、遠野さん」
 一方的に自分の非を認めて謝る龍麻に、小蒔の怒りも醍醐の悩みも霧散した。龍麻が自分達を心配したからこそ、来るなと言ったり冷たい態度を取ったりしたことに気付いたようだ。
「……ボク、言い過ぎた……ごめんね緋勇クン」
「俺も謝るよ緋勇。お前の気持ちを何一つ考えなかった。自分の感情を相手にぶつけるだけで……俺もまだ精進が足りんな。すまなかった」
(やれやれ、あんだけわだかまってたモンが緋勇の一言であっさり消えちまうとは)
 これも龍麻の人柄のなせる業かと、京一は感心した。
「でもさ、何で京一だけ何も言われなかったの?」
「そうだな、どうしてだ緋勇? もう、教えてくれてもいいだろう?」
 もっともな疑問を小蒔が口にした。醍醐も気になっていたらしく、訊ねる。
「……俺も緋勇と同じなんだよ」
 二人の問いに答えたのは京一だった。こうなった以上、隠すことでもない。
「緋勇に視えるモノが俺にも視える。んで、緋勇の力と同じものを俺も使える。だから、こいつは俺に目付役を頼んだんだ」
「昨日もそんな事を言ってたな。どういうことだ?」
 醍醐の問いに京一は龍麻を見た。これは自分の判断で言うことではない。龍麻がゆっくりと口を開く。
「僕は自分を完全に制御できない。ここにあるような空気に呑まれたら、周りにいる全てを攻撃する。知り合いであろうと、敵であろうと加減も無しに全力で……この場合は醍醐君や桜井さん、遠野さんをね……そうなると、多分僕はみんなを殺してしまう……」
「だから俺が緋勇を止める。そういうこった」
 その説明に二人は黙ったままだ。
「ちょっとみんな何してんのよ! 早くこっちへ来なさい!」
 その沈黙を破ったのはアン子だった。いつの間にやら一人だけ奥に向かっている。
「やれやれ……遠野だけはマイペースだな」
「ま、いいんじゃねぇか? アン子に知られたら絶対記事にするだろうしな」
「……よく分からないケド、こんなコト記事にされたら緋勇クンがかわいそうだもんね」
「何ごちゃごちゃ言ってんの!? こっちに変な光があるのよ!」
 その言葉に四人はアン子の元へ駆け寄った。教室の一つ――机がそのまま残っているが、その教室の中の一角が光っている。龍麻には、見覚えのある光だった。
「……赤くないな……遠野が見たのとは別のモノのようだが……」
「……美里さん!」
 光の側に葵は倒れていた。いや、そうではない。葵の体が光を放っていた。机を押しのけ、龍麻が葵に駆け寄る。
「美里が……光ってるのか?」
「そのようね……」
「葵……」
「緋勇、お前何か分かるか?」
 隣の龍麻に訊ねる京一だが、返事はない。見ると複雑な表情を浮かべている。葵が無事だったという安堵感と――
「遅かった……」
「どうした……?」
 この光が何であるのか、龍麻には分かるようだが、今はどうも答えられそうにない。
 そうしているうちに蒼い光がゆっくりと消えていった。
 龍麻が黙って葵を抱き起こす。軽く揺すってやると、うっすらと葵が目を開いた。
「……緋勇……くん……?」
「葵! 大丈夫!? どっか痛いトコない!?」
 目を覚ました葵に小蒔が声をかけた。外から見る限りは大丈夫のようだ。
「小蒔……」
「何にせよ、美里が見つかって良かったな」
「よっしゃ、早くこの場所からおさらばしようぜ……っておい緋勇、いつまで美里を抱いてるつもりだ? ついでだから、そのまま外に出るか?」
「え……ごっ……ごめん!」
 京一の意地悪い声に龍麻は慌てて葵から離れた。そこへアン子の一言。
「ちぇっ……シャッターチャンスを逃したわ」
「遠野さん!」
「アン子ちゃん!」
 龍麻と葵が真っ赤になって、同時にアン子を非難する。そんな二人を見て醍醐と小蒔が笑った。
「いーじゃない、幽霊もいなかったし、それくらい……」
「アン子、続きは後だ」
 不意に京一が木刀を抜いた。その様子に龍麻も立ち上がって気配を探る。
「どうやら、例の赤い光の正体が確かめられそうだな。遠野、美里を連れて行けッ。ここは俺達に任せろ」
 どこからともなく聞こえる咀嚼音。あまり気分のいいものではない。それに混じって聞こえる甲高い音、いや、鳴き声だ。
「桜井、お前も――」
「ボクも残る」
「なっ……ふざけるなっ! 俺達に任せて、お前も行けっ!」
 弓の弦を張りながら言う小蒔に醍醐の口調が強くなるが、龍麻は醍醐を止めた。
「いや、桜井さんは残って」
「緋勇!? お前まで何を!?」
「ただし、生きているモノに弓を射る覚悟があるのなら、だけど」
 葵達は既に教室を出ている。少し考えて、小蒔は答えた。
「……残る……! ボクの力が必要じゃなければ、そんな遠回しな言い方せずに行けって言うハズだよ、緋勇クンなら!」
「しかしだな……!」
「それに、もし彼女が必要なければ醍醐君も必要ない。本当なら、君は美里さん達の護りに付くべきだからね」
「俺と緋勇とお前で、突貫と同時に小蒔の護衛。小蒔は俺達の援護だ。それぞれの役割ってモンがあるんだよ。意味は分かるな?」
 龍麻と、意外にも京一にまでそう言われては醍醐に反論する余地はない。
「醍醐君、桜井さんは君が護るんだ。それともできない?」
「……俺の負けだ。指示は任せたぞ、緋勇!」
「行くよっ!」
 教室の奥、闇の中から赤い光を放つ何かが飛び出してきた。

「蝙蝠!?」
 その正体に最初に気付いたのは小蒔だった。ただ、普通の蝙蝠にしてはかなり大きかったし、随分と凶暴だが。
「醍醐君、左の二匹! 桜井さんは退がって右手のを!」
 小蒔のことは醍醐に任せるつもりだったが、蝙蝠の位置を考えるとそれは得策ではないと判断し、龍麻は予定を変更した。
「おうっ!」
「う、うん……分かった!」
 龍麻の指示で二人が動く。
 醍醐の向かう先には二匹の蝙蝠。前方と、そして醍醐の右手から襲いかかってくる。
「うるあぁぁっ!」
 間合いに入る前に醍醐は一度止まって足に体重を乗せる。遠心力を加えた醍醐の攻撃が炸裂し、同時に間合いに入ってきた二匹を蹴り落とした。
 一方小蒔は矢を番え、指示された方を向く。その先に一匹の蝙蝠、そして
(京一!?)
 射線上に京一がいた。しかし気配を察したのか、振り向きもせずに京一はその場を動く。標的を遮るものは何もない。
「やっ!」
 意を決して小蒔は矢を放った。狙い通りに矢は蝙蝠の体を射抜く。そのまま蝙蝠は床に落下した。
「あ……当たった?」
 自分が射抜いた蝙蝠を眺める小蒔だったが、横手から別の羽音が近付いてくる。
「うわっ!?」
「てやあっ!」
 自分のすぐ目の前に迫った蝙蝠を、横から木刀が叩き落とした。京一だ。
「ぼーっとしてんな! 仕留めた相手を見るのは後だ! 全体を見ろ!」
「ご……ごめん……!」
 いつものふざけた京一とは違う。気圧されて、反射的に小蒔は謝っていた。
「いいから醍醐の方へ回れ。こっちは俺がやる。いいよな、緋勇?」
「うん、任せる……やっ!」
 京一の声に答えてこちらを向く龍麻だったが、すぐに近付いてきた蝙蝠を蹴り飛ばす。蝙蝠は飛んでいた時よりもはるかに速い速度で天井に突き刺さった。
(すご……蝙蝠の方を見ずにあんな……)
 闘い慣れているのがよく分かる。龍麻は一瞬で周囲を把握し、的確な行動をとる。龍麻だけではない。自分を助けてくれた京一も、龍麻の指示で確実に蝙蝠を斃した醍醐も、自分とは違う。
(みんなすごい……ボクって役に立ってないんじゃ……)
「桜井さん、どうしたの?」
 いつの間にやら龍麻が近くにいた。気が付くと醍醐の方には京一がいる。
「怪我でもした?」
「う……ううん! そうじゃない……!」
「怖くて当然。僕だって怖いんだから。……それとも、別の理由?」
 龍麻が優しい声で言う。言いつつ右手を前方――小蒔の背後へと突き出した。小蒔の背後へ迫っていた蝙蝠が発剄を受け、悲鳴を上げて墜ちる。小蒔には何故蝙蝠が墜ちたのか理解できなかったが。
「ボク……役に立ってないよね……」
「そんなことは……あるかな」
 沈んだ声の小蒔に対し、追い討ちをかけるかのような龍麻の一言。
「少なくとも、役に立とうと思っているうちは役に立たない」
「おい、京一。いくら何でも緋勇のあれは……!」
 龍麻の声が聞こえたのか、醍醐が側にいる京一に言う。しかし京一は素っ気ない。
「いいんじゃねぇか? 少なくとも俺やお前より効果的だ」
「しっ、しかしだな……」
「俺が言っても素直に聞かねーだろうし、お前じゃあいつを甘やかすだけだ……剣掌!」
 言いつつ放った京一の剣掌・発剄が別の蝙蝠を叩き落とす。
「お……俺は別に甘やかすつもりなど……!」
「さっき、小蒔に逃げろって言っただろ? あれが甘やかしでなくて何だ? まあ、お前の気持ちも分からなくはねーがな」
 けけけと笑って更に何か言おうとするが
「緋勇!」
「緋勇クン、後ろっ!」
 京一と小蒔が同時に叫ぶ。先程のものよりも二回りは大きい蝙蝠が龍麻の背後に迫っていた。
 矢を番える小蒔だが標的が近すぎる――
 大蝙蝠の口から放たれた何か――怪音波が龍麻を直撃した。
「くっ……! でえぃっ!」
 素早く向き直り、龍麻が発剄を放つ。それを食らって後方へ吹き飛ぶ大蝙蝠。
「桜井さん、今っ!」
「えっ……う、うん……!」
 龍麻の声で我に返り、吹き飛んだ大蝙蝠に矢を放つ小蒔。矢は大蝙蝠の眉間を貫き、そのまま壁に突き刺さった。絶命した大蝙蝠が標本のように壁にぶら下がる。
「緋勇クン……! ごめん、ボク……!」
「今……何を考えて射った?」
 その場にうずくまる龍麻に小蒔が駆け寄る。今にも泣き出しそうな小蒔に、龍麻はそう質問した。
「え……? 緋勇クンがアイツを吹き飛ばして……後は無我夢中で……アイツをやっつけなきゃ、って……」
「役に立ちたいから?」
「違うよっ! このままじゃ緋勇クンが危ないって……そう思った……」
「……役に立とう、そう思わなくてもあれだけのことができたんだよね?」
「あ……」
「役に立つ、ってのは結果なんだ。弓だって、当てようと思う前に矢を番えなきゃ意味がない、それと同じだよ」
 立ち上がって龍麻は京一達に、心配ない、と視線を送る。
「言葉遊びみたいだけどね、過程があるから結果がある。最初から結果を求めて過程をおろそかにしてたら駄目だよ。今の君が為すべき事は、役に立とうとすることじゃなくて、みんなが戦いやすくなるように援護すること。もう、大丈夫だよね?」
「……うん、もう大丈夫!」
「それじゃ、後ろに下がって」
「え……?」
「近すぎると弓は役に立たない、今さっき、実感したでしょ?」
「緋勇クン……ひょっとしてそのためにわざと……!?」
 そうじゃない、と龍麻は首を振った。
「あれは、僕の注意力散漫。大局を見ないといけない僕が一点に留まったために招いた自分の失敗。それより向こうはまだ大蝙蝠が残ってる。さて、どうする?」
「……うん、見ててね緋勇クン!」
 元気よく小蒔は京一達の方へ合流した。向こうには京一がいる。後は任せても大丈夫だ。
「それにしても……失敗したな……」
 背中の痛みはたいしたことないが、確実にダメージにはなっている。そのまま龍麻は近くの壁に肩から寄り掛かった。そこへ
「緋勇くん……」
 聞き覚えのある声。そちらを見ると外へ出たはずの葵が戻ってきている。しかし、何故か龍麻は不思議に思わなかった。
「あまり、驚かないのね?」
「うん……何となく、だけど近くにいるような気がしたから」
「怪我……見せてくれる?」
 上着を脱いで、龍麻は背を向けた。滲み出した血で白いシャツが真っ赤だ。
「酷い……」
「そんなに痛くはないけど……」
 不意に――背中が熱くなった。心地よい《氣》が龍麻の体を包む。
(これが……美里さんの《力》か……)
 癒しの《力》、それが葵の覚醒した《力》のようだ。
「……まだ痛む?」
「いや……もう全然痛くないよ。ありがとう」
 礼を言う龍麻に、葵は《力》を止め、複雑な表情を浮かべる。
「やっぱり驚かないのね……私は何で自分にこんな事ができるのか不思議なのに……」
「……僕も色々あったからね、今までに」
 京一達の方を見ると片が付いたところだった。小蒔の放った矢が大蝙蝠の片翼を柱に繋ぎ止め、京一の木刀と醍醐の蹴りが叩き込まれた。三人そろってガッツポーズを龍麻に向けるが、そこにいた葵に皆が驚く。
「葵っ!? なんで戻って……!」
「ごめんね……小蒔。私……みんなの事が心配で……アン子ちゃんには先生を呼びに行ってもらって……」
 そこまで言って葵の言葉が止まった。再び葵の体から蒼い光が発せられる。
「熱い……体が……」
「葵!」
「一体、どうしたっていうんだ。これは――」
「醍醐、ともかく表へ出ようぜ。ここはヤバイ。普通じゃねぇ」
 京一に醍醐も同意する。
「いいよな、緋勇?」
「そうだね。手遅れにならないうちに……出よう」
(やっぱり何か知ってるな……いや、感じてるのかもしれねぇが……まだ話してはくれないか)
 一昨日よりは心を開いているとはいえ、やはり秘密主義のようだ。多分、知ったら引き返せない、そんな理由だろう。比較的自分には事情を話してはいるが、肝心なところは何も言わない。
 一方醍醐と小蒔は自分達の斃した蝙蝠について何やら話している。
「何か、良くないコトの前兆じゃなきゃイイけど……醍醐……クン?」
「くっ……どうやら、おかしいのは美里だけじゃないらしい。俺の体も……」
 目醒めよ――
「醍醐クン……! ……何コレ……?」
 目醒めよ――
「こいつは――」
 目醒めよ――
 醍醐、小蒔、京一の体が次々と蒼い光に包まれる。そして頭に響く声。
「また……あの時の……!?」
 龍麻の体も光に包まれた。あの時の――「あの事件」の時と、莎草との一件の時を含めるとこれで三度目だ。
 目醒めよ――
(一体……ここは……旧校舎は……)
 龍麻の、そして旧校舎にいる全ての人間の意識が闇に沈んだ。



 五人は旧校舎の前で目を覚ました。中、ではない。いつの間にやら校舎の外にいる。どうやら全員無事のようだ
「何だろう。急に目眩がして、気が遠くなって……」
「ちっ……一体全体どーなってやがんだ?」
「蝙蝠と言い、俺達を包んだ蒼い光と言い……この旧校舎には何があると言うんだ?」
 自然と三人の視線が龍麻に向いた。葵も龍麻を見る。
「緋勇くん……」
「……ここに何があるのかは正直な話、僕も知らない。入ったのは今日が初めてだし、何より旧校舎の存在自体、ここに来てから知ったんだ」
「……それ以外のことは……? まだ駄目か……?」
「ごめん……今はまだ……勝手な言い分だけど」
 京一の問いに龍麻は申し訳なさそうに答える。
「ま、いいか。こうして皆無事だったし」
「……そうだね、それに安心したらお腹減っちゃった」
「ははは、桜井らしいな。じゃあ、何か食ってくとするか」
 京一の言葉に小蒔と醍醐も応える。これ以上は無理に聞くのはやめようと、三人は決めた。いつか話してくれるまで待とうと。
「……ってそーいや、ラーメン屋に荷物置きっぱなしじゃねぇか!」
「それより、ラーメンも食べかけだよ! ……もうのびてるだろうけど」
「よし、じゃあ、行き先は決まったな」
「葵も行くでしょ?」
「うふふ、そうね」
「よっしゃ、それじゃ行こうぜ!」
 先陣を切って走る京一、負けじと続く小蒔、更にそれを追う醍醐。
「……緋勇くん、どうしたの? まだ傷が……」
 立ち止まっている龍麻に葵が声をかけた。
「……いや、何でもないよ。行こう」
 一度旧校舎を振り返る龍麻。
(お礼はしないと駄目かな……)
 そんなことを考えつつ、別の懸案に頭を傾ける。
 葵は覚醒した。京一達も光ったのは一瞬だったが、恐らく《力》が覚醒したはずだ。巻き込むまい、そう決めたはずなのに、既に四人も巻き込んでしまった――もう戻れない非日常の世界へ。
(明日にでも事情を話そう……)
 龍麻は歩き出した。



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