真神学園旧校舎。
随分前から封鎖され、立入禁止になっている。昔は陸軍の士官学校だったらしい。
他にも幽霊が出るだの、怪しい噂には事欠かない場所だ。
体育館裏での一戦後、龍麻の足は自然とここへ向いていた。
「旧校舎……なるほど……」
外からでもここの異様さが龍麻には分かった。《氣》や悪意などが絡み合って、校舎から漏れ出している。
(確かに、物騒な所だな……)
裏密ミサの言葉に偽りはなかった。もっともただの占い師(?)である裏密が、なぜここの、この状況を知っていたのかは疑問の残るところだが。彼女はあの時、占いはしていない。ひょっとしたら彼女も《力》を持っていて、ここで何かを感じたのかも知れない。
(蓬莱寺君なら、どうだろう?)
自分の《暴走》を止めてくれたクラスメイトがふと頭に浮かんだ。先程一方的に別れてきたクラスメイト。彼も自分と同じく《氣》を使っていた。
(やめよう……誰も巻き込まない……そう決めたんだ)
あらためて校舎を眺めてみる。
旧校舎は窓にも板が打ち付けてある。もちろん入口にも鍵が掛かっているだろう。しかし、入ってみないことには何も始まらない。とりあえず入口を探して――
「何をしている?」
突然の声に龍麻は振り返った。そこにいたのは一人の教師。
「犬神先生……」
「ここは立入禁止だ。それにもう下校時間だぞ?」
「……なぜここに……?」
犬神は煙草を取り出すと口にくわえた。
「ここの管理責任者は俺だからな」
百円ライターで火を付け、煙を吐き出す。その匂いに龍麻は顔をしかめた。
「時々、軽い気持ちで中に入ろうとする馬鹿がいる。お前はその馬鹿にはなるな」
「今日の所は帰ります。では……失礼します」
(今日の所は、か……まあいい。一応忠告はした……)
校門へと向かう龍麻を見送りながら犬神は呟く。
「どうせ『鍵』がないと入口は開かない……無駄な事だ……」
翌日4月9日。放課後。
「おいっ、緋勇!」
帰宅準備をしていた龍麻に声をかけてきたのは京一だった。
「一緒に帰ろーぜ。この時間、学校帰りの女子高生がたむろしてる場所があんだよ」
「……どうして……」
この場合のどうして、は「どうしてそんな所へ?」ではない。「どうして構うの?」という意味だ。昨日、体育館裏で「自分には構うな」と確かに言ったはずだ。
そう言う龍麻に京一は不敵な笑みを浮かべた。
「昨日、お前が言ったことは知らねぇ。まあ、何が言いたかったのかは俺なりに解釈させてもらったけどな」
文句の一つでも、と考えていた京一だったが、それでは何の解決にもならない。龍麻が何を背負っているのかは分からないが、それなら自分が力になってやろうと京一はそう考えた。自分なら何かに巻き込まれても、それに対処できるという自信もある。
「何でも自分で抱え込むこたぁねぇよ。俺ならお前の力になれる、そうだろ?」
「でも……」
「いいんだよ! とにかく俺はそう決め――ぐおっ!?」
「緋勇・く・ん!」
京一を突き飛ばして龍麻に話しかけてきたのはアン子だ。
「一緒に帰りましょ!」
「てめぇアン子! 何しやがる!?」
「あら、京一。いたの?」
自分で突き飛ばしておいて、それはないんじゃ、と内心つっこむ龍麻だったが突き飛ばされた当事者はそれどころではない。何か言おうとする京一だったがその前にアン子が龍麻に訊ねる。
「ねぇ緋勇君、昨日の事だけど……あの後どうなったの?」
「特に話す事はないよ」
昨日よりもどこかよそよそしい態度に感じられるが、それでめげるアン子ではない。
「ま、あいつらの姿見ればだいたい想像つくけど……緋勇君って……見掛けによらず凄いのね。あいつらだって結構ケンカ慣れしてるはずなのにそれを一人で倒しちゃうなんて」
(倒す、なんて生易しいもんじゃねぇよ。あれじゃ斃す、だ)
と、心の中で呟く京一。最初の二人はともかく、佐久間を含む三人は《氣》の込められた攻撃を食らったのだ。現にその三人は今日は姿が見えない。あの時、あれ以上の《氣》を込めていたら、三人とも今頃は灰になって骨壺と一緒に墓の下だ。
「よし、決めたわ! 緋勇龍麻、強さの秘密! 次の見出しはコレよっ! と、いうわけで今から取材させてね」
「悪いけど断る」
「そうそう、興味本位の野次馬につきあってる暇はねぇよ」
素っ気ない龍麻の言葉を京一がフォローした。どうも龍麻は昨日の件以来、誰にも関わらないように決めたようだ。だからといって、自分から壁を作ることはないだろうに、と京一は思う。
「別に京一につきあえとは言ってないわよ」
「お生憎様。俺達これからラーメン食いに行くの」
「あんたねぇ、ラーメンとあたしの取材とどっちが大事だと思ってんの!?」
「ラーメン!」
かみつくアン子に、胸を張って堂々と、京一は言い放つ。さすがのアン子もすぐには次の言葉が出ない。更に京一は追い討ちをかけた。
「大体だな、緋勇が先約を破るような男に見えるのかよ?」
「う……それは確かに……」
「と、ゆーわけだ。諦めな」
さすがにアン子は今回の所は諦めたようだった。あくまで今回は、だが。
「じゃ、俺達はこれで。あばよ、アン子」
京一は龍麻を引っ張って教室を出て行った。
「むぅ……どうもガードが堅いわね……」
緋勇龍麻の情報があまりにも少ない。職員室経由でも大したネタはなかったし、それ以外でも他の人間が知ってる以上のものがない。はっきりいって面白くない。
「仕方ないわね。あっちのルートを使ってみるか……」
そのルートに連絡を取るべくアン子は部室へと向かった。
「とりあえず、貸し一な」
教室を出た後の京一の第一声はそれだった。
「ああも露骨に避けることはないだろ?」
「……そうだね……」
龍麻の言葉に力はない。京一は溜息をついた。
「まあ、いいさ。貸しはすぐに返してもらうからな」
「? どういうこと?」
「いいからいいから。ついてこいよ」
「さっき、女子高生がどうの、って……」
「それはまた今度だ」
訳が分からぬまま、言われる通りについて行くと、とある部室に着いた。レスリング部、とある。
「待たせたな、醍醐」
部室に入ってまず見えたのは大きなリングだった。後は筋トレに使う器具やバーベル、所々にぶら下がっているサンドバック。どうやらプロレス、と言う意味でのレスリング部らしい。
「すまんな、京一」
その部室にいたのは一人だけ。昨日見た醍醐とかいう生徒だ。そういえば今日もクラスでは姿を見ていない。
「……他の部員はどうした?」
「うむ、昨日の夜、佐久間と他校生が歌舞伎町でモメてな」
「……あの後でか? よく動けたな、あんな重傷で」
「重傷?」
「いや、何でもねぇ。それで?」
言葉を濁して京一が先を促す。外見上は大した傷ではないのだ。《氣》についての知識がない醍醐にそれを説明しても無駄だろう――と言うか意味がない。
「その件で相手の学校とPTAから苦情が来たらしくてな。処分はまだ出ていないが、自主謹慎の意味も込めて、しばらく休部さ」
そう言い、醍醐が龍麻の方を向く。
「いきなりですまんな緋勇」
「何の用?」
「……京一から何も聞いてないのか?」
「お前と手合わせしたいんだとさ。このタイショーは」
その言葉に龍麻は表情を曇らせた。そして京一を見る。
「何で止めてくれなかったの?」
「止めたさ、一応な。まあ、良くも悪くも、コイツは武道家だったってことさ」
「でも……」
「快く、という訳にはいかないだろうが頼む。」
醍醐が頭を下げる。しかし、龍麻には抵抗があった。京一にもその理由は分かる。
「心配するなよ緋勇。何のために俺がここにいると思ってるんだ?」
京一が木刀を抜いてにやりと笑う。その木刀に《氣》が込められるのが龍麻には分かった。
「もしもの時は、また止めてやるよ。心配するな」
「……一度だけだよ」
渋々、といった感じで承諾し、龍麻は制服を脱いだ。
「で、京一。いつまでここにいるつもりなんだ?」
「俺は目付役だ、緋勇のな」
首を傾げる醍醐だったが、まあいい、とリングに上がる。
「緋勇、悪いがお前が何と言おうと俺と闘ってもらうぞ!」
「……蓬莱寺君、悪いけど、もしもの時は頼むね。多分、今回は大丈夫だと思うけど」
ロープに手を掛け、軽い身のこなしで龍麻もリングに上がった。
「全力で行くぞ。お前も手加減無しでこい」
何も知らない醍醐が無謀なことを言う。それには答えずに龍麻は構えを取った。
「でやああっ!」
先制は醍醐だった。醍醐が放った上段蹴りを龍麻は身を低くして避け、同時に蹴ってきた方の足を捕らえ、軸足を払う。あっさりと醍醐は倒れた。もちろん倒れただけで、何のダメージもない。
すぐに間合いを取るべく龍麻は離れる。リングの上という限定された空間である以上、完全に間合いの外というわけにはいかないが。
「……緋勇、俺は手加減無しでこいと言ったはずだが」
ゆっくり起き上がって醍醐が龍麻を睨んだ。並の者ならそれだけで身動きが取れなくなるほどの重圧が込められた目だが、龍麻は全く動じていない。
「昨日の、佐久間達を倒したあの技はどうした? お前は古武術をやってるんじゃないのか?」
どうやら昨日の一件を見ていたようだ。しかも途中から。最初に龍麻が二人を投げ飛ばしたのを見ていないのなら、そう思われても仕方ない。
軽く息を吐いて、龍麻は醍醐に言った。
「僕がやってるのは合気道だよ。中学の頃からね。確かに古武術も最近――三ヶ月前からやってるけど……経験が少ない方を本気だと解釈するのならそうする」
(……三ヶ月だと!?)
京一は自分の耳を疑った。自分が《氣》を扱えるようになるまでどれだけかかっただろうか。それでも自分の上達は常人より早いと「あの男」に言わしめたのだ。それを龍麻は三ヶ月でモノにしたと言う。
(天賦の才、つってもケタが違うぜ……)
龍麻が《氣》を練り始めた。一応構えを取っている。昨日のように膨大な量ではないがそれでも醍醐に与えるプレッシャーは大きかった。
「……くっ……おるあぁぁっ!」
再び醍醐が蹴りを放つ。しかしその蹴りが届くよりも早く――
「せいっ!」
龍麻の蹴りが醍醐の顎に入った。その巨体と、技の手加減のためか、吹き飛ぶということはなかったが
「はぁっ!」
続けて放った龍麻の発剄が、結局醍醐をリングサイドまで吹き飛ばした。ロープに弾かれ、そのまま醍醐は倒れ伏す。
「それまでっ!」
叫ぶと同時に京一はリングに上がった。しかし、要らぬ心配だったようだ。龍麻はいつもの龍麻だった。ほっと一息ついて京一は笑う。
「今日は大丈夫だったみたいだな」
「……何とか、ね。昨日みたいな殺気はなかったし」
「あん? おいおい、醍醐の方が佐久間よりも格下だってのか?」
醍醐と佐久間。どちらの格が上かと今更問うまでもない。しかし、佐久間の時には我を失った龍麻が、今回は平然としている。呆れたように問う京一に、違うよと龍麻は首を振った。
「あの時、他に誰かがいたんだ」
話によると、あの時――二人目を倒した後から自分に向けられる殺気があったらしい。そこから京一が《氣》を放つまでのことは覚えていないという。
「つまり、その殺気に呑まれたって事か?」
「うん。殺気、悪意、そして相手の放つ《氣》……そういうのに呑まれると、体が勝手にそれを排除しようとするんだ。自分の意志とは関係なく……」
「だからか、自分に関わるなって言ったのは……」
何となく分かる気がした。自分が親しい者も含めて無差別に攻撃してしまうかも知れないとなれば、京一だって人との付き合い方を考えるだろう。
「大丈夫だよ、お前なら。それに、何度でも俺が止めてやるさ」
「蓬莱寺君……」
「そんなカオすんなよ。もう、無理することはねぇんだ」
京一は複雑な表情を浮かべる龍麻の髪を乱暴に撫でつけた。
「お前が秘密を一つ話してくれただけで十分だからな。それより……そろそろ行った方がいいぞ。タイショーも目を覚ますだろうからな」
「そうだね……じゃあ、後のことは頼むよ、蓬莱寺君」
「京一でいい」
その言葉に龍麻は明日香の友人を思い出す。彼らは元気だろうか。
「分かった。じゃあ、京一」
龍麻が部室を出たのを確認して京一は醍醐に近付いた。声をかけるが返事はない。完全に気を失っている。
「おい、醍醐。しっかりしろ」
活を入れてやって、ようやく醍醐が気付く。
「生きてるか?」
「ああ……」
「だから言っただろうが。佐久間の二の舞だ、って」
「……」
「しっかし見事にやられたな。しかも真神の醍醐雄矢ともあろう男が、一介の転校生に二発でK.Oとは……他の連中が知ったら大変なことになるだろうな」
「ははは……そう言うな京一」
何とか上体だけ起こして醍醐が笑った。
「真っ向から、勝負して負けたんだ。……仕方あるまい」
「そうだな。ま、素人と玄人の闘いじゃ確かに仕方ないか……言っとくが格闘の、って意味じゃねぇからな」
《氣》の事を話しても仕方ない。《氣》は程度の差こそあれ誰にでもある。《氣》の攻撃は《氣》で多少の軽減ができるが、今の醍醐にそれを求めるのは酷な話だ。
「……お前は何を知っているんだ?」
「悪ぃが俺の口からは言えねぇよ。あいつが直接話すか、もしくはお前がそれを解るまではな」
「そうか……」
「あいつについては妙な詮索するなよ」
「分かってる。俺もそこまで無粋じゃない」
そう言って醍醐が立ち上がる。闘いに負けたとはいえ、その表情は清々しかった。
翌日4月10日。放課後。
「あ、緋勇クン。チョット話があるから、後で職員室まで来て」
ホームルームの後、マリアが声をかけてきた。返事はしたものの、腑に落ちない。転校に絡んだ手続きは全て終了している。別段用事はないはずだが。
(一昨日の……いや、昨日の一件がバレたかな?)
考えていても始まらないので一応職員室に向かう。しかし、自分より先に降りたはずのマリアの姿はない。一通り職員室を見回すが、いないものはいない。
「帰ろ……」
悪い気もしたが、いないのでは仕方ない、そう自分を納得させて職員室を出ようとするが、一人の教師が行く手に現れた。
「ん……? お前は……緋勇龍麻」
生物教師の犬神杜人だった。火のついてない煙草をくわえている。
「どうした、こんな所で。マリア先生に何か用か?」
「はい、呼ばれたんで来たんですが……いないみたいなので」
「……まあ、いい。マリア先生なら、じき戻ってくるだろう。俺は退散するが……緋勇、彼女に気を許すな」
同僚に対する言葉じゃないな、と思いつつも龍麻は頷いた。
「綺麗なバラには棘がある、ですか?」
「そんなもんだ」
「気をつけます。でも……犬神先生、あなたには気を許してもいいんでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「生物教師、犬神杜人の『本性』に対する問いです」
犬神は面白そうに龍麻を見る。端から聞けば、失礼極まりない質問だが、質問の意味は分かったらしい。
「お前の判断に任せよう」
それだけ言って、犬神は職員室を出ていった。それから少ししてマリアが職員室へ戻ってくる。
「緋勇クン、早かったのね」
「ええ。寄り道せずに直行しましたから」
「そう、待たせてしまってゴメンなさい」
龍麻に席を勧めて、自分も椅子に座る。
「緋勇クン、どう、真神学園は? クラスのみんなと仲良くなれたかしら?」
「来たばかりですので……まだ何ともいえませんけど、それなりに」
「そう、それは良かったわ。だんだん、もっと馴染んでいくと思うけど――そういえば蓬莱寺クンと仲がイイようね」
おや? と龍麻は思った。一度職員室に一緒に来たきりなのに、何故そんなことを言うのだろう? 少なくともマリアの前ではそれ程親しくしていた覚えはない。
「あと、そうね……緋勇クン、アナタに聞きたいコトがあるの。美里サンのコトなんだけど……」
「美里さんの……?」
「アナタ……彼女のコトどう思う?」
「い、いきなり何を……!?」
突然の問いに龍麻は思い切り狼狽えた。真っ赤になった龍麻を見てマリアがおかしそうに笑う。
「別に深い意味はないんだけど……」
「えっと……転校初日から親切にしてくれたし……いい人だと思いますけど……」
赤い顔のままで、しどろもどろに答える龍麻を面白そうにマリアは見ている。
「ゴメンなさいね、困らせちゃったかしら? ただ美里サンも生徒会とかで悩みも多いだろうから緋勇クンに力になって欲しいって思っただけなの」
「転校生の、僕にですか?」
「あら、彼女の方はアナタが気になっているようだけど?」
「それは……クラス委員長として、でしょう?」
そうかしら、と意味ありげに笑うマリアにややふくれた表情の龍麻。
「ありがとう、もう帰っていいわよ。アナタがみんなと仲良くしてるか知りたかっただけだから」
「それじゃあ……失礼します」
(やっぱり苦手だな、この先生……)
職員室を出ようとして、ふとマリアを見る。不思議そうにこちらを見るマリア。
(……何で今まで気付かなかったんだろう……迂闊だったな)
犬神の言葉がよみがえる。彼女に気を許すな、と言った犬神。その理由が分かったような気がした。
「よう、緋勇。待ってたぜ」
「蓬莱……じゃない、京一」
正門前で京一が待ちかまえていた。名字で呼びかけたが、昨日言われた通りに名前で呼ぶと、満足そうに笑う。
「一緒に帰ろうぜ」
「そのために待っててくれたの?」
「おう。行きつけのイイ店があんだ。帰りにチョット寄ってこうぜ。それにもう一人誘ってんだが――」
「待たせたな、京一」
やって来たのは醍醐だった。昨日の事といい、京一と醍醐は仲がよいようだ。
「……よう、緋勇」
「昨日はごめんね。怪我はない?」
「緋勇……お前は、その……」
文句の一つもあるかと思えば出てきたのは自分を心配する言葉だ。返す言葉が見つからず、うろたえる醍醐に
「何だ、男同士で。気持ち悪いヤツらだな」
京一が茶化すように言う。が、醍醐も負けてはいない。
「何だ、京一。男の嫉妬はみっともないぞ」
「ばーか、俺はいたってノーマルだ。どうしてむさ苦しい野郎相手に嫉妬するんだよ」
「何だ、違うのか?」
当たり前だ、と言って京一は醍醐を木刀の袋で小突く。
「まあいいや。人数は揃ったし、とにかく腹も減ったし、ラーメン屋へレーッツ」
「「ゴー!」」
途中で重なった声は同じクラスの小蒔だった。いつの間にやらすぐ側に来ている。
「……って小蒔!? お前どこから湧いて出た!?」
「湧いて……って人をボーフラみたいに言うな! だいたい下校時の寄り道全般は校則で禁止――」
「えーいうるさい。お前だってゴーって言ったじゃねぇか!」
「ふん、だからって転校生に悪いコト教えるのとはワケがちがうよ」
やれやれ、とばかりに京一が肩をすくめる。
「これだから物事、悪い方にばかり考える人間は……俺はただ緋勇にうまいラーメンの店を教えてやろうと思っただけだ。それに、俺にばっかり食ってかかるな。醍醐だって一緒なんだぞ?」
「醍醐クンが悪いコトするわけがないじゃない。悪事の元凶はいつも京一だって決まってるんだから」
身も蓋もないことを小蒔が言う。顔を引きつらせる京一だが
「そんなコトより早くラーメン食べに行こうよ」
その言葉に目が点になった。
「だ・か・ら、ラーメン! おごってくれんでしょ?」
「ふざけんな! 何で俺がお前みたいな男女に――」
「いぬがみせんせー! ほーらいじがですねー!」
大きく息を吸い、小蒔が職員室の方へ向かって叫ぶ。慌てて京一はその口を手で塞いだ。
(多分聞こえただろうな……わざわざ出ては来ないだろうけど)
そう思いつつ龍麻は京一達を見る。騒ぐ小蒔を取り押さえる京一、その京一を小蒔から引き離そうとする醍醐――何となく、相関図が頭に浮かんでくる。
結局、京一と醍醐がラーメンを奢ることになったようだ。上機嫌な小蒔とは対照的に、京一は不機嫌だった。
「そういえばさ、アン子から聞いたんだけど知ってる?旧校舎の噂……」
「行方不明のことだろ?」
小蒔の問いに京一が答える。つい先日、生徒が二人行方不明になったという話はホームルームでも聞いている。旧校舎の異常さを知っている龍麻にはそうなっても仕方ないなと思えた。どうやって入ったのかは気になるところだが。しかし、小蒔は首を横に振った。
「そうじゃなくて、旧校舎に出る幽霊の話だよ」
「ゆっ幽霊!?」
心なしか醍醐の声が裏返ったように聞こえる。
「そぉ。何でも夜になると赤い光が見えるとか、人影が窓越しに見えたとか……目撃した人の話を集めたらキリがないよ」
「今時幽霊ねぇ……」
京一はまるっきり信じていないようだった。
「桜井さん、その目撃者って旧校舎の中でそれを見たの?」
「いや……だってあそこ鍵掛かってて入れないモン」
「その話、多分嘘だよ」
龍麻の言葉になぜ、と疑問を投げかける小蒔。
「旧校舎を近くで見たことある?」
「うん、あるけど……」
「あそこの窓、どうなってるか知ってるよね?」
「確か板が打ち付けて……あ、そうか」
「そう、外から中を見るのは不可能。目撃者が外から見たと仮定すれば、の話だけどね」
なるほど、と京一が頷く。そして、龍麻が旧校舎の事を知っているのを不思議に思って訊ねた。
「だけど緋勇、お前旧校舎に行ったのか?」
「うん、一度だけね。京一は……行ったことある?」
「いや、近くで見たことはねぇな」
目的の店に着いたのか京一が暖簾をくぐる。
「へい、らっしゃい」
威勢のいいおやじの声が龍麻達を出迎えた。そのまま龍麻達はテーブル席へ座る。
「俺、いつものね」
「あいよっ味噌一丁!」
行きつけと言うだけあっておやじも京一のことは知っているらしい。いつもの、で話が通じるのがその証拠だ。
「だいたい幽霊ってなァ夏に出るモンだろ、なあ、緋勇?」
「幽霊は年中無休だよ。怪談をするのは夏が多いけど」
「……な、何だよ、その反応」
「あ、ボクは塩バターね」
「俺はカルビラーメン大盛りを」
龍麻の言葉に京一が引くが、小蒔、醍醐の両名は気にせず自分の注文を告げる。
「緋勇クンは何にする?」
「……とんこつで」
メニューを一通り見て龍麻も注文した。
「お、お客さん見ない顔だね。初めてかい?」
「ええ、転校してきたばかりなんで」
言ってぺこりと頭を下げると豪快におやじが笑った。
「そうかい、それじゃ今日は特別に大盛りのサービスだ」
「ありがとうございます」
「なーに、いいってことよ。その代わり、これからも頼むよ。……よし、味噌おまちっ」
話しつつも手は動いていたらしく、最初の注文が届いた。
「桜井、さっきの件だが続きを話してくれるか?」
醍醐が小蒔を促す。
「うん、それで、噂を聞きつけて、面白半分で旧校舎に入る生徒もいるって」
「な……中にか!? あそこは柵があって立入禁止に……それに鍵だって……」
「へい、塩バターにカルビの大!」
おやじの声が話を中断させた。
「いっただっきまーす!」
小蒔も空腹には勝てなかったのかそのままラーメンをすする。醍醐も諦めて箸を割る。
「抜け道が……むぐむぐ……あるんだと」
先にラーメンを食べていた京一が口を開いた。
「抜け道?」
「ウチの部の奴が言ってた」
「そういえばアン子も同じコト言ってた」
醍醐の問いに京一と小蒔が答える。
「そうそう、アン子ったら幽霊をスクープするって張り切ってたけど大丈夫かなぁ?」
「大丈夫も何も……幽霊なんているはずないって。なあ、醍醐?」
意地悪く笑って京一が醍醐に話を振った。やや、上擦った声で答える醍醐。
「う……うむ、京一の言うとおりだ」
「……? 醍醐クン、顔色悪いよ?」
無情にも小蒔がつっこんでくる。どうやら醍醐がそのテの話に弱いと気付いていないらしい。
「いずれにせよ……あそこには近付いちゃ駄目だよ」
唐突に、龍麻が言った。三人の視線が龍麻に注がれる。
「緋勇クン?」
「あそこは危ない。絶対に近付いちゃ駄目だ」
「緋勇、お前何か知ってんのか?」
「いや、知ってるわけじゃないけど……京一なら分かるよ、多分」
「俺……? なんで――」
言いかけて、龍麻の言わんとする事に気付く。二人に共通していることと言えばそう多くはない。
「はいよ、とんこつ大盛り!」
最後になっていた龍麻の注文が届く。それ以上何も言わず、龍麻はラーメンをすすり始めた。
龍麻の言葉にどう答えていいか分からず、三人は無言になる。そこへ
「たっ……大変よっ……!」
どこで聞きつけたのか遠野杏子が店に飛び込んできた。側にあった、水の入ったコップを掴むと、一気に中身を喉に流し込む。呆然とする四人をよそに、アン子は息を切らせつつ言った。
「み、美里ちゃんを捜してっ!」
「えっ?」
唐突なお願いに状況が飲み込めない四人が首を傾げる。
「み、美里ちゃんが……美里ちゃんが……」
「遠野、美里がどうした!?」
「アン子、落ち着いて話してよっ! 葵がどうしたのさっ!?」
「あたし……どうしても旧校舎の取材したくて……」
その言葉に龍麻の顔が蒼白になる。気付いたのは京一だけだったが。
「それで、美里ちゃんに頼んで職員室でカギもらって……」
「中に入ったのかっ!?」
「緋勇……クン……?」
席を蹴るように立ち上がった龍麻に、説明途中だったアン子までもが口をつぐんだ。驚いた小蒔が声をかけるが龍麻は店の入口に向かう。
「お……おい、緋勇……!」
「君達は来るな! 絶対に!」
醍醐の制止も聞かず、それだけ言って龍麻は店を飛び出して行った。
「……どうしたんだ緋勇は?」
「ちっ……醍醐、お前達はここにいろ」
木刀の入った袋を手に取って、京一も立ち上がる。
「何を言う、俺も行くぞ」
「ボクも行くよ!」
案の定、醍醐と小蒔の二人は同行を申し出た。しかし京一はそれを制止する。
「来るな。緋勇がああ言う以上、お前らは駄目だ」
「どうしてさっ!? 説明してくれないと分かんないよっ!」
「京一、お前が何を知っているのかは分からんが、友人を見捨てることはできない。それに……何でお前はいいんだ?」
そう言われて京一は言葉に詰まる。旧校舎に何があるのかは知らないが、龍麻の様子から、常識で説明できることでないのは分かる。だが、それを言ったところでこの二人が納得するはずがない。
「好きにしろ……!」
ここで口論していても始まらない。事は急を要する。
返事を待たずに京一も店を飛び出した。