1998年4月7日――新宿真神学園3−C教室。
「緋勇龍麻です。これから一年の短い間ですが、よろしくお願いします」
自己紹介を終えた後の教室を静寂が支配した。自分が教室に入るまでの騒々しさが嘘のようだ。お決まりの、何のひねりもない挨拶しかしていない。生徒達の視線が自分に向いているのは分かるのだが、どうも様子がおかしい。しかし、それも一瞬のことだった。
「前の学校では、なんて呼ばれてたの?」
「ねぇねぇ緋勇くん。今までどこに住んでたの?」
「血液型と生年月日を教えて下さ〜い」
「え……と……特にあだ名は無いです。岡山県に住んでました。1980年9月20日生まれのA型です……」
いきなりの生徒達からの質問攻め――その勢いに、思わず龍麻は後ずさる。一応質問には答えたが、その勢いは止まらない。
「好きな食べ物は?」
「好きな女の子のタイプは?」
「お姉さんか妹いる?」
「スポーツはなにやってんの?」
「チョッ……チョット、みんな待って。緋勇クンが困ってるでしょ。質問は、もう終わりにします」
戸惑う龍麻に、担任の外人英語教師マリア・アルカードが助け船を出した。生徒達――そのほとんどは女子だったが――が非難の声を上げる。内心、龍麻はほっとするが
「他に聞きたいことがあったら休み時間にしなさい」
何の解決にもならなかった。苦笑しつつマリアは龍麻を見る。
「ごめんなさいね、緋勇クン。みんな転校生が珍しくてしょうがないの。まあ、これだけ騒がれるのも無理はないけど」
龍麻の容姿がその原因である。
身長は170を越えているものの、それ程高いわけではない。しかしその顔は文句無しに美形の部類だ。その顔立ちと少し長めの髪から、かっこいいというよりも綺麗の方が表現に合うが、容姿の関係で騒がれたことのない龍麻には、マリアの言葉の意味が分からなかった。
「さっ、みんな。授業に入りますよ。緋勇クンの席は……確か美里サンの隣が空いていたわね。美里サンはクラス委員長だから、いろいろ教えてもらうといいわ」
指示された席に向かおうとして、ふと龍麻は足を止めた。
(何だろう……この感じ……)
「緋勇クン……?」
「あ……いえ、何でもないです」
訝しげなマリアの声にそう答えて、席に着く。
「それじゃ、ホームルームを始めましょう。今日の議題は――」
一時間目終了後。
「緋勇くん」
自分の名を呼ぶ声に、龍麻は隣を向いた。
「さっきは、すぐにホームルームに入ってしまって挨拶もできなかったけれど……ごめんなさい」
クラス委員長の美里葵――長い黒髪の美人だ。質問の続きとばかりに龍麻へ近付こうとした3−Cの生徒達だったが、葵が話しかけるのを見て動きを止めた。
生徒会長であり、才色兼備・学業優秀との評判も高い葵だが、浮いた話は一つもない。そんな生徒会長が自分から男子に声をかけているのは珍しい光景だ。
「ミサトさん、だっけ?」
「ええ。美里葵。美しいにふる里の里、葵草の葵。これからよろしくね」
「こちらこそ――」
よろしく、と言おうとした龍麻だったが言葉が出なかった。先程、席に着こうとした時と同じ感覚がよみがえる。葵の方も何やら戸惑いの表情を浮かべていた。
「美里さん……東京の人、だよね?」
「ええ……初対面……のはずなのに……」
((この懐かしい……暖かい感覚は一体……?))
「あ〜お〜いっ!」
二人の思考は乱入者の声で中断された。
「小蒔」
小蒔と呼ばれた女生徒がこちらへ来る。少し茶色がかったショートカットの、活発そうな少女だ。
「葵もやるねェ〜。早速、転校生クンをナンパにかかるとは。生徒会長殿もよ〜やく男に興味を示してくれたんだねェ」
その言葉に葵の顔が朱に染まる。
「いやいや、クラス委員長でしかも生徒会長なんてやってると男とは無縁になっちゃうの分かるけどさ――」
そこまで言うと小蒔は龍麻に向き直った。
「転校生クン、はじめまして。ボク、桜井小蒔。花の桜に井戸の井。小さいに、種蒔きの蒔。弓道部の主将をやってんだ。これから一年間、仲良くしよーね」
「うん、よろしく。……ところで桜井さんも僕とは初対面だよね……?」
葵の時ほどではないが、やはり小蒔からも懐かしい感じがする。そう思って問うと
「もしかして、それって緋勇クンのいつものテ?」
「え……?」
「よくあるじゃない。『どこかで会ったこと無い?』とか言ってナンパするパターン」
「そういうつもりじゃないんだけどね……」
小蒔の意外な言葉にコケそうになるが、気を取り直して龍麻はそれを否定する。
「ふーん。でも緋勇クンって葵みたいなタイプが好みじゃないの?」
「……君もいきなりなコト言うね……」
「あ、さすがに本人の前では答えられないよね。じゃあ、その辺は後で聞くとして……」
耳を貸して、と小蒔が顔を近づけてくる。そして、葵の異性関係について話し始めた。何度も声はかけられているようだが全て断っているということ、特に理想が高いわけではないこと、そして――
「緋勇クンならイイ線いくと思うんだけどなぁ……どう?」
「……そうだね」
確かに美人ではある。それに理由は分からないがとても気になる。どう答えたものか考える龍麻だったが、小蒔は先程の「そうだね」を肯定と認識したようだった。
「おっ、自信アリそうだね。いずれにしても恋敵が多いのは覚悟した方がイイよ。葵は男に対する免疫がないから大変だと思うけど、玉砕しても骨ぐらいは拾って――」
「小蒔……聞こえてるわよ」
やや怒りを含んだ葵の声に、小蒔はあははと笑いながら席から遠ざかっていく。
「緋勇クン、ボク応援してるからね。じゃ、ボクは用事があるんで……」
そして、がんばりなよ、と言い残して教室から逃げ出した。
「あ、ちょっと……もう、小蒔ったら!」
(何だったんだろう……?)
まるで台風のような小蒔に呆然とする龍麻だったが、そこで葵と目が合う。
「あ……あの……小蒔が変なこと言っちゃって……その……ほ……本当にごめんなさい」
先程とは比較にならないくらいに真っ赤な顔で葵が謝ってくる。
「いや、別に――」
気にすることはないよ、と言い終えるよりも早く、葵は慌てて逃げるように教室を出て行ってしまった。
「初日からあの生徒会長殿に興味を持たせるなんて、なかなかやるねぇ転校生」
次から次へと声をかけてくる。今度は誰だろうと思いつつ、龍麻は声の方を向いた。
そして、やはり不思議な感覚に襲われる。そこにいたのはやや赤みがかった髪をした一人の男子生徒だ。手には見た目が袱紗に似た、青い棒状の袋を持っている。
「どうした、転校生?」
「いや、別に……君は?」
眉をひそめる龍麻に、そう聞いてくる。会う人間全てに「どこかで会ったこと無い?」と言うわけにもいかず、名を訊ねた。
「俺は蓬莱寺京一。これでも剣道部の主将をやってんだ。まぁ、縁あって同じクラスになったんだ、仲良くしようぜ」
「うん、こちらこそ。ところで……剣術でなくて、剣道をやってるの?」
「……何でそんな風に思う?」
怪訝な表情で京一が問う。気を悪くしたかな、と思いながらも龍麻は言葉を続けた。
「だってその袋の中、竹刀じゃなくて木刀でしょ?」
「そうだけどよ。それだけじゃ普通分かんねぇぜ。何で剣術だと?」
「いや……何となく……」
本当は何となく、ではない。剣道部員が竹刀を入れる袋を見たことがあるが、彼が持っているのがそれとは違ったのが一つ目の理由。そしてもう一つは京一の持つ雰囲気だ。全方位に張り巡らされた意識とでも言おうか、油断無く周囲の気配を探る彼の《氣》を、龍麻は敏感に感じ取っていた。多対一を想定したような物腰――少なくとも一対一というルールに則った剣道という枠の中では育ち得ないものに思える。だから剣術ではないのかと指摘したのだ。
京一はしばらく龍麻の目を見ていたが、まあいいや、とばかりに顔を近づけてくる。
「一つ忠告しておくが……あんまり目立ったマネはしない方が身のためだぜ。学園の聖女を崇拝してる奴はいくらでもいるんだ。特にこのクラスには――」
そこまで言って後ろに視線をやる。その先には、いかにも不良ですと言わんばかりの生徒が四人たむろしていた。
「頭に血が上り易い奴らが多いしな」
「……ああいうのには慣れてるけど……どうも分からないな」
正面に向き直り、誰にともなく呟く。
「あん?」
「何で転校生ってだけでこんなに目立つのかな?」
その言葉に京一はあんぐりと口を開けた。
「緋勇……本気で言ってるか?」
「何かおかしな事言った?」
「……お前、鏡見たことあるか?」
「もちろん」
全くの自覚無しだ。自分のルックスがどれ程のものなのかまるで分かっていない。
「お前なぁ、少しは自分の顔がいいことに気付け! そんだけイイ男だったんなら前の学校でもモテたんだろ? 普通の容貌の奴から見たらすっげぇ嫌みな――」
そこまで言って京一は言葉を止めた。龍麻の表情が変化したからだ。先程までの優しげな顔はすでになく、寂しげな、悲しげな表情を浮かべている。
「おい、緋勇……?」
「前の学校では……自分に話しかけてくるような人はほとんどいなかった」
言い終わるとほぼ同時に、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
返す言葉が見つからず、京一は自分の席に戻る。
(何だか色々と訳有りのようだな……辛い出来事でもあったか?)
しかし、興味はあった。自分が剣術をやることにも気付いていたし、何気ない動作の中でも龍麻には隙がなかった。何かの武道をやっている、そう確信できる何かが龍麻にはある。
自分が何とか元気づけてやろうかと決心して、京一は机から使いもしない教科書を出した。
昼休みになると、再び葵が声をかけてきた。というより、先程の件を謝りたかったようだ。気にしなくてもいいよと言うと、葵は安心したようだった。
「転校早々、嫌な思いさせちゃったかと思って」
「全然そんなことはないよ。まあ……びっくりはしたけどね」
龍麻の言葉に首を傾げるが、そうだ、と葵は手を叩く。
「今日は生徒会があるから無理だけど、明日にでも学校の事とか色々教えてあげる」
「ありがとう。悪いね、色々と気を遣わせちゃって」
「そんなに気にしないで。これから一年間同じクラスなんだから」
そう言って微笑む葵に龍麻も笑みを返す。少し頬を赤らめて、葵は去っていった。
(美里葵さん……か……)
「おい、緋勇。どうした?」
不意に京一の顔が目の前に現れた。にやにやしながら
「美里の姿を目で追うとは……さては惚れたな?」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「……ま、いいけどな。それより緋勇、昼メシがてら、俺がガッコん中案内してやるよ」
狼狽える龍麻を面白そうに見て京一は言い、返事も待たずにそのまま龍麻を引っ張っていく。
「どこから行く?」
「そうだね……とりあえず、一階から順に上がっていこうかな」
「よっしゃ。とりあえずこれでも食ってろ」
ポケットからやきそばパンを二つ取り出して、一つを龍麻に渡す。
「転校祝いだ。タダでいいぜ」
「じゃ、遠慮なく」
弁当は持参しているのだが、せっかくの厚意を無にする事もない。ありがたくもらう事にする。
食べ終わる頃には一階に到着した。京一の説明ではこの階には一年生のクラス、それと職員室に保健室があるそうだ。
「ついでにマリアせんせに会っていこうぜ。職員室にいるはずだから」
「先生に?」
話では三ヶ月前に前任と代わってこの学園に来たらしい。ヨーロッパのどこかから来たそうだが、あの美貌のためか彼女を狙っている無謀な生徒もいるとか。
「もしかして、お前もマリアせんせの事狙ってるクチじゃねーだろうな?」
京一の問いに、それはない、と龍麻は即座に否定した。
「そーだよなぁ、チョット俺たちにとっちゃ、手の届かねぇ存在かもな」
(そう言う理由じゃないんだけどね)
胸中で龍麻は呟く。確かに美人でグラマーで、妖艶ともいえる魅力を持っている。生徒達の人気も高いようだが、彼女は何かが引っ掛かるのだ。
「よぉ、せんせ」
職員室に入るなり彼女を見つけ、京一が声をかけた。それに気付いたマリアが、こちらを見て微笑む。
「アラ、アナタたちどうかしたの?」
「いや、ちょっと寄っただけっす。な、緋勇?」
「そんなところです」
そんな二人を見てマリアが笑う。しかしすぐに残念そうに
「せっかく来てくれたのにゴメンなさい。これから職員会議なの」
「そっか。そんじゃ、また次の機会ってことで。行こうぜ、緋勇」
「失礼します」
マリアの視線に気付かないふりをして、龍麻は頭を下げると京一に続いて職員室を出ようとする。が
「おっと」
入り口を開けると同時に一人の教師が入ってきて、行く手を塞いだ。
「ん? なんだ蓬莱寺じゃないか」
(げっ。マズイ――)
青いシャツにネクタイをだらしなく締め、煙草をくわえた白衣の男。京一の顔が引きつるのが見えた。どうやら京一はこの教師が苦手なようだ。
「どうしたんだ? お前が職員室に顔を出すなんて」
「僕の付き添いです」
そう言ったのは龍麻だった。
「彼が学校を案内してくれると言ったので。その途中です」
「転校生か?」
「はい。緋勇龍麻と言います」
「生物担当の犬神だ。……どうかしたか?」
龍麻の視線――何かを見定めるような目に犬神は問う。
「なぜ『あなた』はここにいるんです?」
しかしそれには答えず、龍麻は怪訝な表情で犬神に訊ねた。龍麻の言ったことが理解できず、マリアと京一は不思議そうな顔をしている。
「……いえ、何でもないです。すみません、変な事を言って」
頭を下げる龍麻だったが、犬神は別にどうでもいいようだった。
「それより緋勇だったな。あまり蓬莱寺に影響を受けるんじゃないぞ。こいつは先月の卒業式でも――」
「いっ犬神せんせ! 俺達急ぐんでこれで!」
何やら言おうとした犬神だったが、それを遮るように京一は龍麻を引っ張って職員室から脱出した。
「ふー、まったく危なかったぜ……」
「蓬莱寺君?」
「いや、お前が気にする程の事じゃねぇ。とにかく次だ」
何やら様子がおかしいが、どうやら触れられたくないことらしい。龍麻はそれ以上追求しないことにした。
「さて、二階には二年生のクラスと生物室がある。っと、そうだ緋勇。生物室にまつわるチョット変わった話があるんだが聞きたいか?」
「ぜひ、お願いしようかな」
「へぇ、そういう話好きなのか? うちの隣のクラスにもオカルト好きなヤツがいるけど案外、話が合うんじゃねぇか?」
そういったことに興味を持ちだしたのは、つい最近のことだ。好きで、ではなく必要になるかも知れないから、というのがその理由だが、それを京一に話しても意味がない。
たいした事じゃないんだが、と前置きして京一は話し始めた。聞いてみると本当にたいしたことのない、どこにでもありそうな怪談話だったが。
「まあ、目撃されたモンもバラバラで、ホントかどうか怪しいモンだ」
「そんな事言ってると呪われちゃうぞ〜」
「こ、この声は……」
どこからともなく聞こえてくる声に京一が蒼ざめる。
「う……裏密!」
「うふふふ〜ミサちゃんて呼んでぇ〜」
裏密と呼ばれた声の主が姿を現した。服装は普通の制服だが、手には口を縫い合わせた人形を持っている。ビン底メガネを掛けていることと言い、不気味な笑い方と言い、普通の人ならまず引いてしまいそうな少女。先程京一が言っていた「隣のクラスのオカルト好き」というのはどうやら彼女のことのようだ。
「あ〜、この人もしかして〜、今日来た転校生〜?」
龍麻の方を向き、訊ねるミサに、ああ、と京一が答える。
「うふふふ〜。あたし〜、魔界の愛の伝道師〜ミサちゃんです〜。どうぞよろしく〜」
「こちらこそよろしく。緋勇龍麻です」
互いに自己紹介をすませる。何やら裏密は上機嫌だ。
「うふふふ〜ミサちゃんもうれし〜。これは、因果律によって〜、定められたことなのね〜」
「因果律……宿星みたいなものかな?」
「そうとも取れるわね〜。……緋勇く〜んだったわね〜。何か知りたいことがある〜? 今なら何でも占ってあげるけど〜」
ミサの言葉に龍麻は首を傾げる。そこへ京一が助け船を出す。
「そいつ、オカルト研究会の部長でな。占いもやってるんだがこれがよく当たるって女子達の間で評判になってるんだ」
「なるほど……占うことはないけど、知ってたら教えてくれるかな?」
「何が知りたい〜?」
「この学園で、一番物騒な所ってどこ?」
そう聞くと、ミサはうふふふ〜と笑った。
「そうね〜。どういう意味での物騒かにもよるけど〜、緋勇く〜んの考えてる物騒だったら旧校舎かな〜」
「ありがとう」
礼を言うと、それじゃ、またね〜とミサは去っていった。
「お前も物好きだな、緋勇」
呆れた声で京一が言う。ミサが苦手らしいが、気持ちは分からなくもない。龍麻は別にどうも思わないが。
「でも物騒な所って何かあるのか?」
「いや、こちらの話だよ」
「……ま、いいけどな。さて、後は三階だな。三年生のクラスがあるのはお前も知っての通りだが――」
三階廊下にたどり着くと京一は声のトーンを落とした。
「他には図書室と音楽室だ。そして図書室には秘密がある。聞きたいか?」
「また怪談?」
「そんな色気のない話じゃねぇよ。高いところの本を取るときに台に上るだろ? そん時に見えるんだよ」
「……蓬莱寺君……」
見える、色気のない話じゃない、この二つから答えを導き出すのは難しいことではなかった。龍麻は溜息をつく。
「なんだよ緋勇。まさか興味がないとは言わねーよな?」
「何にも知らない転校生にナニ吹き込んでんのよ!? この変態!」
「そうだぞ、京一! 緋勇クンにアホが伝染ったらどうするんだよ!?」
そこへ、聞き覚えの無い声とある声が京一を攻撃する。一人は小蒔だが、もう一人は知らない。少なくとも龍麻のクラスの人間ではない。
「げっ、アン子! 小蒔まで!」
「げっ、アン子! じゃないわよ! まったくアンタってヤツは……!」
アン子と呼ばれた女生徒が何かを言おうとする前に、京一は脱兎の如く逃げ出した。龍麻を一人その場に残して。
「ちっ、逃げ足だけは早いんだから……」
(犬神先生、裏密さん、それに……アン子、さん? 苦手な人が多いんだな、彼)
のんきにそんなことを考えていると、小蒔が声をかけてきた。
「や、緋勇クン」
「どうも。……桜井さん、この人は?」
「アン子とは初対面だったよね。カノジョ、遠野杏子。みんなはアン子って呼んでるけどね。新聞部の部長なんだ」
「初めまして、緋勇君。あたし、3−Bの遠野杏子。君の噂は隣の3−Bにも聞こえてきてるわよ。よろしくね」
「こちらこそ」
「困った時はなんでもオネーさんに相談しなさい。お金以外なら、だけど」
何気なく腕時計に目をやるアン子だが、その表情が引きつった。
「やっば! もうこんな時間! 色々話したいけどまた今度ね。行くわよ桜井ちゃん!」
「あ……待ってよアン子!」
何やら用事があるのだろう。急いでその場を去ろうとしたアン子達だったが、
「そうだ、これあげるわ。新聞部が発行している新聞。今度緋勇君の取材もさせてよね」
「僕の?」
「そっ! それじゃあね!」
新聞を龍麻に押しつけ、今度こそ去っていった。それを見計らったように、京一が出てくる。どうやら隠れていたようだ。
「ようやく行ったか」
「彼女が苦手なんだね?」
「まあな……」
「まあ、こんな記事を書かれちゃ苦手にもなるかな」
「あ! それは……!」
アン子から渡された新聞をひらひらさせて龍麻が笑った。
一面の見出しは「蓬莱寺大暴れ」とある。
「この件で犬神先生にも睨まれてると見たけど……どう?」
「……当たりだ」
憮然とした表情で京一がそれを肯定する。
昼休み終了のチャイムが鳴ったのは、その時だった。
放課後、帰宅準備をしていた龍麻の所へアン子がやってきた。
「ものは相談なんだけどさぁ……一緒に帰らない?」
どうやら先程の「取材」の件らしい。
「帰るのは構わないんだけど……そう言えば、何で僕の取材なんか?」
「何言ってるの、緋勇君のこと知りたい人はたくさんいるんだから。美形転校生、緋勇龍麻の素顔! これを記事にしなくて何を記事にしろと言うの?」
力説するアン子だったが、正直気乗りはしなかった。できることなら必要以上に他人と接触したくない、それが本音だ。自分がここへ来た理由――それを考えると、いつ巻き込んでしまうか分からない。
(取材に関しては断ろう。その方がいい)
そう考えた矢先――
「転校生……」
「ちょっと、面貸せや」
クラスの不良っぽい男子が龍麻に絡んでくる。確か、京一と話していた時に後ろにいた連中だ。
「ちょっとアンタたち、緋勇君をどうするつもり!?」
「てめぇみたいな、ブン屋に言うつもりはねぇな」
当事者そっちのけで不良とアン子が口論を始めた。
不良達が凄んで見せてもアン子は動じない。大体、口喧嘩で男が女に勝とうというのがそもそもの間違いだ。
「……しょうがねぇな、おめぇらは……」
しびれを切らしたのか、リーダー格の男が姿を見せた。割とがっしりとした体格の、まあ、見るからにチンピラ風の男。
「佐久間、アンタ……」
「遠野、少し黙ってろや……俺はコイツに用があんだ」
佐久間と呼ばれた男子が龍麻を睨む。俗にガンを飛ばす、というやつだが、普通の人が相手ならともかく龍麻には一切効果がない。
「へっ……緋勇とかいったな。ずいぶんと、女に囲まれて御満悦じゃねぇか」
龍麻は溜息をついた。深々と。
「てめぇ……」
その態度が気にくわなかったのか佐久間の顔がより険悪になる。何か言おうとしたが、龍麻が先に口を開いた。
「緋勇とか、って何? ホームルームの時に、黒板に字まで書いて自己紹介したけど……もう忘れた? それに女に囲まれて、って今ここにいる女性は遠野さん一人だけど。それともそっちの二人、男に見えて実は女?」
取り巻きの顔があっという間に怒りの赤に染まる。佐久間だけは余裕の表情だ。口先だけだ、とでも思っているのだろう。
「そんな口が叩けるのも今の内だ。さいわいてめぇにつきまとってるあの目障りな剣道バカはいねぇし、俺達だけでナシつけようじゃねぇか」
「人気のない所、ある?」
「緋勇君!?」
龍麻の口から出た意外な言葉にアン子が驚く。とても喧嘩ができるような人間には見えないのだろう。外見だけで判断されればそうなのだろうが、生憎と龍麻には日常茶飯事だった。
「まあ、体育館裏や廃屋が定番だけど……体育倉庫や格技場なんかも使えるよね」
「けっ、イイ度胸じゃねぇか。ついてきな」
「ち、ちょっと緋勇君!」
「あ、遠野さん。悪いけど取材はパス。それと誰にも言わないでね。余計な怪我人が出るから」
慌てるアン子にそう言うと、龍麻は佐久間達と一緒に教室を出て行った。
体育館裏の木の上で昼寝をしていた蓬莱寺京一は、複数の人の気配で目を覚ました。
3−Cの佐久間とその一味(?)、それに――
(緋勇じゃねぇか! ……ったく、あれほど言ったのに)
どうやら忠告は無駄だったようだ。もっとも自分が龍麻に近付いたことも、佐久間に絡まれる原因になっていようとは思いもしないだろうが。
「緋勇……てめぇにこのガッコのルールってヤツを教えてやる」
「緋勇よぉ、てめぇもついてねぇぜ。佐久間さんに目ぇつけられちまうなんてよ……」
「転校してきていきなり入院たぁ、かわいそうになぁ」
「そうだね。確かについてない」
プレッシャーをかけているつもりなのだろうが、取り巻きの言葉をあっさりと受け流しつつ、龍麻は上着を脱ぎながら言った。
(オイオイ、あいつやる気かよ)
すっかり観客モードになっている京一だったが、不思議と手助けする気にはならない。
「転校すれば、僕の事を知ってる人間はいない……つまり、僕にケンカを売る人間もいなくなるはずだったんだけどね」
(何か、慣れてるってカンジだな。人は見かけによらないねぇ)
「でも、ごめんね。以前ならともかく、最近手加減ができないんだ」
(あれ以来、いやここに来てからか……何故か《力》が強くなってる)
鳴瀧が真神へ行けと言ったのは、その辺りも関係しているのかも知れないが、この学園の事を調べるのは後の話だ。とにかく今は、火の粉を払わなければならない。
「大怪我しても、勘弁してね」
そう言って龍麻は無造作に佐久間達へ近付いていった。
「てめぇ、なめるなっ!」
一人が龍麻に殴りかかる。しかし、次の瞬間には男は宙を舞っていた。
龍麻の頭上を越え、そのまま後方へと投げ飛ばされる。ろくな受け身も取れず、地面に叩きつけられた男はうめき声を上げるだけの存在になった。
(何だ、今の……柔道、いや、柔術か?)
上から見ていた京一にも、分かったのは男が龍麻に投げられたという事実のみだ。
「うらぁっ!」
別の男が龍麻に襲いかかるが、やはり同じように投げられ、地に伏す。
(あいつ、強いじゃねぇか。こりゃ勝負あったな)
どう足掻いても佐久間達に勝ち目はない。京一はそう判断した。しかし
「ぐはあっ!」
怯んだ男に攻撃を仕掛ける龍麻の動きが突然変わった。掌打だ。相手の力を利用した投げではなく、直接の打撃。それだけなら別にたいしたことはないのだが――
(今の……まさか……!)
続けて取り巻きの最後の一人が倒された時、京一の疑問は確信へ変わった。
(馬鹿な……なんで緋勇が《氣》を……!?)
龍麻の攻撃は、普通の人間から見ればただの掌打だ。しかし、京一には――修行により《氣》を操ることができる京一には分かる。龍麻の掌打には間違いなく《氣》が込められていた。しかもかなりの《氣》を練り込んでいる。
(トーシロにあんな《氣》をぶつけたらタダで済むわけがねぇ。あいつ分かっててやってるのかよ!?)
『以前ならともかく、最近手加減ができないんだ』
ふと、先程の龍麻の言葉が頭をよぎる。
「やべぇ!」
慌てて袋から木刀を抜き放つ京一だったが、佐久間は龍麻に襲いかかっていた。
ゴッ!
龍麻の蹴りが、佐久間に炸裂した。同時に足に込められていた《氣》が放たれる――まるで龍が天へ昇るかのような《氣》の奔流。その一撃で壁まで吹き飛ばされた佐久間に対し、龍麻は更に構えを取った。龍麻の右手に《氣》が集中する。
「ばっ……やめろ緋勇!」
木から飛び降りた京一は急速に《氣》を練り上げて木刀に込めた。そのまま龍麻と佐久間の間に割って入る。案の定、龍麻は収束した《氣》――発剄を佐久間に放った。
「剣掌っ!」
龍麻の発剄に対して京一も自分の《氣》を放った。お互いの《氣》がぶつかり合い、相殺されて霧散する。
「緋勇!」
「……蓬莱寺……君……?」
我に返ったのか呆然と京一を見る龍麻だったが、みるみるその顔が蒼ざめていく。
「まさか……また僕は……」
「また……?」
「そこまでだ」
訊き返す京一だったが、そこへ二人の生徒が現れた。一人は男子。180を軽く越えていそうな身長と、それに見合う以上の筋肉が制服の上からでも分かる大男だ。そしてもう一人は女子。龍麻も知った顔だった。
「美里さん……」
「醍醐!」
「まったく……俺が学校にいない時に、問題を起こしてくれるな、京一」
醍醐と呼ばれた男子がに溜息混じりに言った。
「ふん。そういや、今日は姿が見えなかったな」
「トレーニングジムに篭りっきりだったのさ」
格闘技オタクが、と京一が悪態をつく。ははは、と笑って醍醐は龍麻の方を向いた。
「緋勇とかいったか。レスリング部の部員がいいがかりをつけたようで謝るよ。すまん」
「いや……」
それだけ言って龍麻は自分の制服を拾い上げた。付着した土を払って、すぐには着ずに肩に掛ける。
「しかし、よくここが分かったな、醍醐」
「ああ、美里が真っ先に俺に知らせてくれたんだ」
京一の問いに答えて醍醐は葵を見る。
「あの慌て方は、尋常じゃなかったぞ。緋勇君が危ない、ってな」
「もう、醍醐くん!」
「まあ、要らぬ心配だったみたいだな」
赤面する葵から、今度は倒れた男達に醍醐は視線を移した。
「それにしても凄い技だな。その体でこの威力とは……」
「手合わせしたいってんならやめとけよ」
木刀をしまって京一は佐久間の方を見た。未だに佐久間はのびている。当分は起き上がることすら無理だろう。
「佐久間の二の舞だ」
醍醐の実力はよく知っている。しかし、醍醐では緋勇には勝てない――京一にはそう確信できる。
「……まあ、いずれにしてもよく来たな、緋勇」
京一の言葉に、表向きは大した反応も見せず、再び龍麻の方を見て醍醐が言った。
「我が真神――いや、もう一つの呼び名を教えておいた方がいいかな。誰が言い出したかは知らんが、いつの頃からかこの真神学園は――」
「魔人学園……」
その名前は龍麻の口から出た。そのまま龍麻はその場を去ろうとする。
「緋勇くん……?」
「おい、緋勇!」
葵と京一が龍麻を呼び止めた。龍麻は立ち止まったが振り返らない。
「美里さん、心配してくれてありがとう。蓬莱寺君、君のおかげでやりすぎずに済んだ。でも……もう僕には関わらない方がいい」
「え……?」
「おい、何言って……」
「これ以上僕に関わると……ろくなことがない……。だから……放っておいてほしい」
そして再び歩き出す。二度と立ち止まらずに。
「緋勇くん、一体どうしたのかしら? この学園のこと嫌いに――」
「そんなんじゃねぇよ」
葵の言葉を京一は否定した。そう、そんな理由じゃない。
(あいつは何かを背負ってる。そして、そのために他人を巻き込むことを……傷つけることを恐れてる……)
本人がそう言ったわけではない。しかし、京一にはそう確信できた。
「ちっ……面白くねぇな」
何故だか分からないが、龍麻に避けられるのはいい気分じゃない。明日文句の一つでも言ってやろうと京一は心に決めた。