放課後。
「いやーすっかり遅くなっちゃったな」
「まったく、比嘉くんがいけないんだからね。宿題忘れて先生に呼び出されるから」
「だけどさ、たかが宿題忘れたぐらいで、説教もないと思わない? 小学生じゃないんだから」
 放課後、二人が迎えに来るのが遅かったのは、そう言う理由らしい。
「つまり小学生並、ってことね。宿題くらいきちんとやらなきゃ。ね、緋勇くんもそう思うでしょ?」
 青葉の問いに頷くと、比嘉は頭を抱えて弱々しく一言。
「緋勇は俺の味方だと思ってたのに……」
「ま、そんな話はこれくらいにしてお茶でもして帰りましょうか?」
「そ……そうだな。この話はここで終わり!」
「もちろん比嘉くんのおごりよね?」
 青葉の言葉に、立ち直りかけた比嘉が再び沈む。
「今月、金無いのに……」
「心配しなくても僕は出すから」
「ほんとか!?」
 あまりの落胆ぶりに思わず声をかけた龍麻だったが、一瞬にして比嘉は復活した。立ち直りが早い、というか現金な男だ。
「さんきゅー緋勇!」
「もう、比嘉くん!? 緋勇くんの優しさにつけ込むなんて!」
 その反応に青葉が眉をつり上げるが、比嘉は平然と
「人聞きの悪いことを言うなよ。あれはあの時の俺の正直な気持ちだ」
「まったくもう……あ、そうだ。比嘉くんは莎草くんと話をしたことある?」
 呆れる青葉だったが何を言っても無駄と判断し、話題を変えてきた。突然の問いに戸惑いつつも比嘉はいいや、と答えた。
「何かあったのか?」
 話を聞いてみるとこうだった。
 今日の昼休み、莎草が青葉のところへ来て「俺とつきあえ」と、言ったらしい――この時比嘉の表情が一瞬変化するが、それに気付いたのは龍麻だけだった。
 結局青葉は断ったのだが、その後脅迫まがいのセリフを吐いて去って行ったという。
「ふーん、物好きな奴」
「なんですって!?」
「いや、別に……そうだな明日にでも俺が話してみるよ」
 思わず漏らした呟きに青葉が反応するが、比嘉はあっさりとそれをかわした。
「とにかく、今日のところは緋勇と親交を暖めるって事で」
「それもそうね。今日はそれが目的だし。よし、行こう――どうしたの緋勇くん?」
「え、何が?」
「だって笑ってるから」
 気付かないうちに笑っていたらしい。家での団らんの時のような暖かさを二人から感じたせいだろうか。
「いや……比嘉君も青葉さんも見てて面白いから」
 そう言うと二人は難しい顔をした。
「なあ、緋勇。そう他人行儀な呼び方やめろよ。昨日も言ったろ、焚実でいいって」
「そうよ。あたしたち友達でしょ?」
「……分かったよ焚実。それに青葉さんも」
「あーっ比嘉くんは呼び捨てにしてもあたしはさん付け?」
 どうやら不公平だと思われたらしい。青葉が不満の声を上げる。
「じゃあ……青葉」
「さとみ。さとみでいいから。分かった?」
「……分かった……さとみ」
「よろしい! じゃ行こっ」
「ねえ、焚実……さとみっていつも『ああ』?」
 先頭を行く青葉を見ながら龍麻は隣の比嘉に訊ねる。溜息をついて比嘉は一言。
「まあ、大体あんなモンだ……」


 その頃、学園の体育館裏では一つの事件が起きていた。



 12月17日。
 昼休み、何気なく中庭に出ると比嘉に出会った。
「緋勇、おすっ。昨日の話、聞いたか?」
 思った通り、比嘉は事件のことを口にした。
 昨日の放課後、体育館の裏で女生徒が血まみれで倒れているのを、悲鳴を聞いた練習中の野球部の人間が見つけたらしい。しかも周囲には誰もおらず、女生徒は自分でボ−ルペンを目に刺したという。
 自分のクラスの人間が被害者だったので何気に会話を聞いて知っていたが、比嘉の言ったこともそれとほぼ同じだった。
「いったい、何がどうなってんだか……」
 さっぱり分からないと言った表情の比嘉だが、龍麻の脳裏には閃くものがあった。
『ところで最近、君の周りで奇妙なことはなかったか? 』
 一昨日の鳴瀧の言葉がよみがえる。もし今回の件がこの事を指していたのなら、鳴瀧は何を知っているのだろうか? 
「……あれは……莎草か?」
 比嘉の声に顔を上げると、莎草がこちらを見ていた。
「ちょうどいいや。さとみのことを聞いてみるかな」
 そのまま莎草の方へ向かい、何やら話し始める。それを見ていた龍麻だったが
「うるせぇって言ったんだよぉ!」
 莎草の声が中庭に響き渡った。周囲にいた他の生徒達もそちらへ注目する。
 なおも莎草は何かを言っている。人形がどうとか言うのが聞こえてきたが、龍麻は比嘉の方へ歩き出していた。何か、嫌な予感がしたのだ。
 険悪な空気が漂う中、確かに莎草から異質な気配が発せられたのが分かった。比嘉に対する悪意――いや、それ以上の負の感情。
「糞みたいな汚ェ手で俺に触るんじゃねぇ!」
 莎草が比嘉の手を払うのが見えた。
「イイ気になるなよ……比嘉」
「焚実!」
「う……腕が……動かない」
 龍麻が比嘉に駆け寄る。比嘉は真っ青な顔で払われた腕を見ていた。見る限りでは異常は見受けられない。
「おい、そっちの」
 莎草が龍麻に声をかける。しかし龍麻は莎草の方を見はしたが、何も言わなかった。
「無視すんじゃねぇよっ! 俺は、無視されんのが一番ムカつくんだよっ!」
 別におかしなところはないが、思い立って龍麻は意識を集中し、再び莎草を「視」た。
(こいつ……《力》を!?)
 莎草の身体から発せられているのは赤い光だった。他の者には見えていないようだが龍麻にはそれがはっきりと視えた。それがどんな《力》なのかまでは分からなかったが。
「おい、お前ら何やってんだ?」
 男教師がこちらに気付いたのか注意してきた。
「もう授業が始まるぞ。早く教室に入れ」
「ちっ……」
 舌打ちして莎草がその場を立ち去るが、すれ違いざま言い捨てる。
「お前らは俺の操り人形だ、逆らう事なんてできない……くくく……」
(異変の元凶は……莎草だ……)
 龍麻は確信した。



 放課後、教室に青葉が訪ねてきた。クラス内はざわついたがどうやら青葉も慣れたらしい。気にせず龍麻に話しかけてきた。
「緋勇くん……ちょっと話があるんだけど、いい?」
「構わないよ。でも……ここでない方がいいんでしょ?」
 話の内容に、大体見当が付いていたのでそう言うと
「うん……ちょっといっしょにきてくれる?」
 頷いて龍麻は席を立った。そのまま青葉の後をついて行く。
「話っていうのは比嘉くんのことなの」
 非常階段の下まで来て青葉の口から出たのは予想通り比嘉のことだった。
「様子がおかしかったからどうしたの、って聞いてもあたしには関係ないって……」
「……それで?」
「緋勇くん、何か知らない?」
 正直教えていいものか迷った。莎草絡みだと聞けば余計な事を考えるかも知れない。かといって、このまま何も言わないのもいい選択とは思えなかったので、龍麻は昼にあった事を簡単に話した。もちろん《力》の事は伏せて。
「そう……そんな事が」
「とりあえず、焚実のことは僕に任せてくれるかな? さとみは……これ以上関わらない方がいい」
「そんな……!」
「分かってるはずだよ」
 抗議をする青葉を龍麻は優しく諭した。分かっているけど納得は出来ない、そんな表情をしている。
「知り合って間もないあなたに全部任せきりだなんて……」
「友達、って言ってくれたからね。友達なら助けなきゃ。当然のことでしょ?」
 そう言って、ぽん、と青葉の頭を叩く。
「大丈夫だから。ね?」
「うん……」
「それじゃ、焚実を捜してみるよ。教室にまだいるかな?」
「緋勇くん!」
 そのまま2−Aに向かおうとした龍麻を青葉が呼び止めた。
「ありがとう……」
「任せといて」
 青葉の言葉にそう答え、龍麻は2−Aに向かった。


 比嘉はまだ教室にいた。何やらふさぎ込んでいるようだがそのまま龍麻は教室に入っていく。クラスの人間が慌てて龍麻を避けるがその気配に気付かないのか比嘉は無反応だ。
「焚実」
 呼びかけるとさすがに気付いたのか、比嘉は飛び起きた。
「緋勇……何でここに……?」
「一緒に帰ろうかと思ってね。迷惑でなければ、だけど。ちょっと話があるんだ」
「……そうだな。俺もちょうど話があったし、帰るか」
 鞄に教科書を詰め込んで比嘉は席を立った。廊下に出て、問う。
「……で、話って何だ?」
「莎草のことと、さとみのこと。どっちから聞きたい?」
「……さとみがどうかしたのか?」
 少し考えて、比嘉は答えた。
「君のこと心配してたよ。さっき僕の所へ来た」
「あいつ……」
「ああやって君を想ってくれてる人がいるんだ。あんまり心配かけるもんじゃないよ」
 その言葉に、動揺する比嘉。
「お……おい……別に俺とさとみは……!」
「隠しても無駄だよ。そういうのも《視える》んだ」
「なっ……!?」
 顔を真っ赤にする比嘉を見て龍麻はくす、と笑った。
「嘘だけど」
「……このっ!」
 怒りからか、照れ隠しからか、比嘉は龍麻の頭を絞めつけた。簡単にふりほどけるが、龍麻はそれを甘んじて受ける。
「少しは元気出た?」
「まあ、な……」
 不満はまだあるようだがとりあえず、比嘉は手を離す。そして溜息をついた。
「緋勇……俺怖いんだ」
「莎草のことだね」
「お前は……平気なのか? 何も感じないのか?」
「自分でもよく分からないよ。僕も普通じゃないから」
 それは嘘だった。龍麻だって恐怖したのだ。あの莎草の瞳に。あの《力》に。ただ視るだけの、感じるだけの自分の《力》とは違って、実際に他者に影響を与えることのできる《力》に。
「誰もあいつには逆らえない。あいつに睨まれたとき、身動き一つ出来なかった。それが怖くてたまらない……」
 どんな形であれ、《力》を持っている龍麻でさえそうなのだ。《力》などとは無縁の比嘉にとってはそれがどれだけの恐怖になっているのかは、想像もつかない。
「とにかく、これ以上莎草には関わっちゃ駄目だ。後は僕が何とかする」
「何とかするって……どうやって!?」
「心当たりがあるんだ。このテの事に対応できそうな人がね。だから――」
「緋勇君」
 校門にさしかかった時、龍麻に声をかける者がいた。鳴瀧だ。以前会った時と変わらぬ格好をした鳴瀧が校門の前で待っていた。
「そろそろ下校する頃だと思ってね、待たせてもらった」
「……緋勇、俺はここで別れるよ。何か訳有りみたいだし」
 鳴瀧の発する空気を感じ取ったのか、比嘉が言った。
「今日はありがとな。……それじゃ、また明日」
「悪いことをしたかな……?」
 去っていく比嘉の背を見ながら鳴瀧が問う。しかし龍麻は首を横に振った。
「こちらから伺おうと思っていたんです。ちょうどよかった」
「そうか……私も君に話したいことがあってね。では、ついてきたまえ」
 龍麻の側に音もなく車が止まった。



 連れてこられたのは、とある道場だった。来る途中の建物などの位置から、以前渡された地図の場所のようだ。看板に書かれている名は――
「拳武……館?」
「そう、ここは私が校長を勤める拳武館という高校の道場の一つだ。遠慮なくくつろいでくれ」
 道場でくつろげ、と言われてもそうできることではないが、家が道場であるため、あまり違和感はない。とりあえず、正座して鳴瀧の方を向く。
「とりあえず話の前に君に聞きたいことがある。君は……《人ならざる力》の存在を信じるかね?」
「信じます」
 龍麻は即答した。自分の《力》も《人ならざる力》に変わりはない。それに莎草もその《力》の持ち主だ。
「そうか……。これはあまり地方では表立ってはいないのだが――」
 そう前置きして鳴瀧は語り始めた。
「今年の始めから、猟奇的な事件が東京を中心に多発している」
「猟奇的……まさか、鳴瀧さんは――!」
「察しがいいな。私はそういった事件を追っている。この街へ来たのもその絡みだ」
「……」
「私はある少年……いや、既に君は気付いているだろうが莎草覚を追ってきたのだ。調査の結果、莎草は《力》を手にしている可能性が高い。しかし今のままではその対抗策は何もない。だから我々には未だに手が出せない」
 龍麻が頼りにしていた鳴瀧もこの件には手が出せないらしい。ならば何故自分に接触したのだろうか? 何のために自分を今日ここへ呼んだのか? 
「君は何もするな」
 鳴瀧はそう言い放った。
「いたずらに被害を増やすのは賢い選択ではない。対抗策が見つかるまでは静観するしかない。いいね?」
「そ……そんなこと出来るわけないでしょう!?」
 立ち上がって龍麻は叫んだ。
「現に被害者は出ているんですよ!? 放っておくことなんてできません!」
「君は平穏な一生を送るべきだ。それが君の御両親の願いなのだから」
「だからといって……!」
「いくら君が弦麻の血を引いているからといっても、それだけで斃せる相手じゃない。それは分かるね?」
「斃すとかそういう問題じゃないでしょう!」
「敵わない相手に戦いを挑むのはただの犬死にだ」
「納得できません!」
「……ただ、前に進むだけが闘いではない。時には退くことも必要なのだ。そして、今がその退く時だ」
 鳴瀧の言いたいことは分かる。自分には闘うための《力》は無いのだ。しかし、目の前で誰かが危険にさらされたとき、それを無視しろと言われてもできるわけがない。
「……もう、時間も遅い。奥に休める場所があるから今日はここに泊まっていくといい。家には……兵麻には私から連絡しておこう」
 それだけ言うと鳴瀧は道場を出て行った。



 夜中に龍麻は目を覚ました。鳴瀧の言った事、莎草の事、色々考えているうちに一度は眠りに就いたのだが不意に目が覚めたのだ。
 仕方がないので起き出して道場に行ってみる。少し体を動かそうと思ったのだが、先客がいた。鳴瀧だ。
「眠れないのかね?」
「ええ……鳴瀧さんも?」
「いや、私は仕事だ。今夜は徹夜になりそうだよ」
 お互い言葉を発さぬまま時間が流れるが、その沈黙を破ったのは鳴瀧だった。
「龍麻君……君は強くなりたいという願望はあるかね?」
「……あります」
「何のために?」
「自分以外の誰かを護るためです。自分の身は自分で護れますから」
 はっきりと龍麻は言った。その言葉に鳴瀧は顔を曇らせる。
「本気でそう考えているのか?」
「冗談で言うことでもないでしょう?」
「では……君の大切な人が今回の事件に巻き込まれたらどうする? 相手に勝てないと分かっているとして……だ」
「助けます」
「馬鹿げている!」
 迷うことなく答える龍麻に、突然鳴瀧が叫んだ。
「鳴瀧さん……?」
「誰かを……何かを護るために死ぬなんて愚かな行為だ! 後に残された者の気持ちを考えたことはあるのかっ!?」
 そこまで言って鳴瀧は気付いた。目の前にいるのは弦麻ではないことに。
 そう、弦麻はもういないのだ。しかし、この少年は――
「……すまない。いつの間にか君以外の者と話をしていたようだ……」
 誰のことですか、と訊ねるより早く鳴瀧が口を開く。
「私は君には平穏な暮らしをして欲しいと思っている。それが――私が弦麻と迦代さんから託された願いなんだ。君には……他人のために自分を犠牲にするような生き方をして欲しいとは思わない」
「……」
「明日も学校だ。少しでも休んでおくんだ」
 道場を出て行く鳴瀧を見送りつつ龍麻は思った。
(あの人……僕と父さんをだぶらせていたのか……?)
 答える者は誰もいなかった。



 12月18日。
 登校中に、既に聞き慣れた声が龍麻を呼んだ。青葉さとみだ。
「緋勇くんおはよっ」
「おはよう、さとみ」
「昨日あれから比嘉くんに会いに行ってくれたんだって?」
 恐らく本人から確認したのだろう。問う青葉に龍麻は頷いた。
「うん、だって約束したでしょ?」
「……ありがとう」
 そう言って微笑む青葉に龍麻も笑顔で答える。
「でも、さとみもあんまり焚実に心配かけちゃ駄目だよ」
「え……?」
「あれだけ真剣にさとみのこと考えてる焚実は初めて見た」
「べ……別に私と比嘉くんは……!」
 昨日、比嘉に使ったのと同じ事をしようとした龍麻だったが
「あれ、比嘉くんじゃない?」
 その企みは青葉の言葉によって潰えた。視線を移すと比嘉が学校から出て行くのが見える。これから授業だというのにどこへ行こうというのだろう。
「ちょっと、行ってみましょう」
「いや、さとみはこのまま学校へ行くんだ」
「緋勇くん?」
「昨日約束したでしょ? 後は任せて、って。いいね、君は学校!」
 返事も待たずに龍麻は比嘉の後を追った。
 恐らく、莎草の絡みだろう。でなければ、一度学校に来ておきながら出て行く理由が龍麻には思い当たらない。比嘉はそのまま公園に入っていった。
「焚実!」
「緋勇……? 何で……」
 声をかけると比嘉は驚いたようだった。
「君が学校を抜け出すのが見えたから。授業が始まるよ」
「……」
 無言の比嘉に、龍麻は溜息をつく。
「莎草の件は任せろ、そう言わなかったっけ?」
「あいつが……十数人の男子を連れて出て行くのを見たんだ。また何かやらかすんじゃないかって……」
「……どうするつもりだったの?」
「何も出来ないのは分かってる……でも、何もしていないと不安で潰れそうなんだ。だから……」
「だから、何だ?」
 そう言ったのは龍麻ではなかった。
「莎草……」
 いつの間にか莎草が近くにいた。比嘉の言っていた十数人も一緒だ。そして――
「さとみ!?」
 男子の一人が青葉を担いでいるのを見て比嘉が飛び出す。しかしその行く手を取り巻きが阻んだ。取り巻きを押しのけようと比嘉が動くが
「どけよっ!」
 バチッ! 
 意外と大きな音の後、その場に倒れてしまった。
「焚実!」
「くくく……いい様だな比嘉……」
(スタンガン……)
 取り巻きが持っている黒い物を見て、龍麻はそれの正体に気付いた。恐らく青葉もあれで眠らされたのだろう。
「さて……」
 莎草が一人残った龍麻に視線を向ける。他者を見下すような、そんな目だ。
「お前はどうする? この馬鹿と同じようにくたばるか? それとも俺に従うか?」
「莎草さん、こいつは俺達に任せてくれませんか?」
 取り巻きの一人が言った。
「こいつにはいろいろと借りがありましてね」
「……好きにしろ」
 たいして興味もなさそうな莎草は、青葉を担いでいた男と近くにいた他の男達を促し、その場を去ろうとする。
「待て、莎草!」
「おっと、お前の相手は俺達だよ」
 残った男達が龍麻を取り囲む。よく見ると、どれも以前何度か見た覚えのある顔だった。龍麻の評判を聞き、ケンカをふっかけてきた連中だ。
「下手な抵抗はするなよ。あの女がどうなっても――」
「構わないよ、別に」
 余裕の表情で近付いてきた男は龍麻の言葉に耳を疑った。
「この場にいない彼女に、君達がどう危害を加えるんだい?」
 既に莎草達の姿は見えない。もちろん青葉もだ。本当に人質に取られたら為す術はないが、こう言っておけば精神的に優位に立てる。
「大人しくそこをどけるんだ。じゃないと……」
 バチッ! 
 途端に龍麻の身体に衝撃が走った。
「な……!」
 先程、比嘉にスタンガンを当てた男だ。いつの間にやら背後に回っていたらしい。意識が飛ぶのだけは免れたが体は動かない。
「おい、倒れねーぞ」
 その場に膝をついている龍麻を見て一人が不満げに言う。
「結構電池喰ったからな。途中で切れた。でも意識が残ってる方がおもしれーだろ」
「そりゃそうだ……へへへ」
「今までさんざん世話になったなぁ、緋勇」
「たっぷりお礼はさせてもらう……ぜ!」
 正面にいた男の蹴りがまともに龍麻の顔面に入った。バランスを崩し、その場に倒れる龍麻。
「おいおい、まだオネンネには早いぜ」
「まだまだ時間はたっぷりあるんだからなぁ」
「何とか言ってみろよ、ん?」
 胸ぐらを掴まれ、無理矢理引き寄せられると同時にその男の頭突きが再び顔に入る。
「綺麗なお顔が台無しだなぁ、緋勇ちゃん♪」
 抵抗しようにも、身体が動かない。為す術もなく、龍麻は男達の攻撃に晒される。
 そんな状態が五分ほど続いた。
「さて……いい加減、気が済んだな」
「だな。でもその前に――」
 男の一人がナイフを取り出した。このテの連中がよく持っているバタフライナイフだ。
「おい、刃物はやめとけよ」
 そう言う男の声も笑っている。止める気はないようだ。
「なーに、そう酷いことはしねーよ。せっかくだから記念に傷でも付けてやろーと思ってな。どこがいいと思う?」
 器用にナイフを弄びながら、男が問う。
「そうだな……顔が定番だけど、目立たないトコの方がいいんじゃねぇの?」
「よっしゃ、背中にしようぜ。服着てりゃ目立たねぇだろ」
「どーせなら何か書けば?」
「いいねぇ!」
 混濁した意識の中で男達の声が巡る。それと同時に自分の感覚自体は鋭くなっていた。相手の悪意、敵意、そういったものがより敏感に感じられる。
(どうなって……るんだろ……身体が……へん……)
 その思考も背中に走った痛みで途切れた。
「――!」
「なんだ、声一つあげねーのな」
 龍麻の背中を斬りつけた男がつまらなそうに言う。
「浅すぎたんじゃねーの?」
「こんだけ血が出てんだ。そーでもないんだが。おい、痛いか――!?」
 髪を掴んで龍麻に問う男だったが途中で言葉を失った。
 龍麻の目は死んでいなかった。諦め、怯えなど微塵もない、強い意志の宿った目で自分を睨みつけている。しかし、それが男を追いつめた。
「……殺っちまうか」
「お、おい……それはヤバイって!」
 仲間の一人が止めようとする。しかし男は薄笑いを浮かべて
「いーじゃねぇか。どうせ《悪霊憑き》なんて呼ばれてるんだ……ホンモノにしてやろーぜ」
 恐怖と殺意が龍麻に向けられる。恐怖から逃れたいがための殺意。自分を脅かすものを排除するための殺意が。
「くたばれよ……《悪霊憑き》!」
 男がナイフを逆手に持ち、振り下ろす。
 ゴキャッ! 
「ぎゃあぁぁぁっ!?」
 が、鈍い音と共に響いた絶叫は龍麻のものではなかった。
 男のナイフを持ったままの右腕――その肘が逆の方向へ曲がっていた。為すがままになっていた龍麻が立ち上がる。
 しかし様子がおかしい。先程までの――スタンガンを当てられる前の龍麻とは何かが違っていた。
「て……てめぇっ!」
 呆然としていた男達だが、一人が我に返り、龍麻に殴りかかる。龍麻はその男の腕を取り、関節を極めたままの状態で引き倒し、体重を乗せた。
「あがぁぁぁ……ぐぶっ!」
 倒れた時の勢いで、男の関節――肘と肩があっさりと砕ける。同時に叩き込まれた肘打ちが背中を強打する。口から泡を吐いて男は悶絶した。
「な……なんだよ、おい……! 何でこいつこんなに動けるんだ!? あんだけ痛めつけたのに何で……!」
 龍麻は無反応だ。その場にゆっくりと立ち上がると、周囲の男達に視線を向ける。
 以前、男達が龍麻に絡んだ時――その時の龍麻は困惑の表情を浮かべていた。そして、いざ戦闘になると相対する者を打ち倒す意志の込められた瞳で自分達を見ていた。
 しかし、今の龍麻は、今まで自分達が見てきた龍麻とははっきりと違っていた。いつもの温和な表情からは想像できない――獲物を狩る獣のような鋭い目。人睨みするだけで相手を射抜くような殺気が込められた目。
 戸惑う男達を一瞥した後、龍麻は最初に攻撃したナイフを持った男に近付いた。男は肘を押さえてその場にうずくまっていたが、龍麻の蹴りを受けてその場に崩れ落ちた。
「てめぇ……調子に乗るんじゃねーよ!」
 木刀を持った男が龍麻に殴りかかった。振るった木刀が空を斬り、次の瞬間には男は宙を舞っていた。そのまま背中から地面に叩きつけられる。一体いつ、どう投げられたのかそれを考える間もなく、両膝に強烈な衝撃と痛みが走る。飛び上がった龍麻がそのまま膝の上に着地したのだ。その右手には自分が持っていた木刀が握られていた。それをゆっくりと振り上げる。
「や、やめろっ! やめて……ぎゃあぁぁぁっ!」
 振り下ろされた木刀は、男の右肩を砕くと同時にその役目を終えたかのようにへし折れた。
「お、おい、こいつ……やばいぜ」
 誰かが呟くのが聞こえた。その場にいる全ての人間がそう感じたことだろう。今の龍麻には何の躊躇も情けもない。ただ目の前にある自分以外の全てを叩き潰す――そういった気配を発している。
 龍麻が――動いた。側にいた男に向かって。
「ひ……ひいぃっ……!」
 反抗する気力もなく、ただ後ずさる男に龍麻は容赦なく手刀を叩き込んだ。両の鎖骨がその原形を失う。
「ちくしょう! 逃げるのは無理だ! 一斉にかかれっ!」
 位置的に龍麻の背後にいた二人がそのまま組みついた。一人が左腕を抑え、もう一人が羽交い締めをした状態になる。
「そのまま抑えとけ!」
 別の男がナイフを出した。それに反応したわけではないだろうが、束縛を解こうと龍麻が力を入れる。それを押さえ込もうと力を入れる男達。
 不意に――左腕を抑えていた男が背中から地面に倒れた。龍麻の腕の力加減によって、重心を崩されたところで足を払われただけなのだが、続けて龍麻の左足が男の右胸――肋骨の辺りを踏み抜く。
「……! ……が……!」
「ぐおっ!」
 龍麻を羽交い締めにしていた男も、頭突きを食らい、のけぞる。一瞬の隙をついてその腕から逃れた龍麻は男の鳩尾に肘を叩き込んだ。更に腕を取り、自分の正面――ナイフを構えて突っ込んできた男の方へ放り出す。
「ぎゃああぁぁぁっ!」
 盾になった形で、男は自分の身体でそのナイフを受け止めた。
 仲間を自らの手で刺す羽目になった男に、龍麻は近付いていく。ショックが大きかったのか、呆然としている男に容赦なく拳を数発叩き込んで沈黙させ、最後に残った男の方を向く。
 絶望的な状況下で男のとった選択は逃走だった。しかし、龍麻は一気に間合いを詰め、逃げる男の襟首を掴む。
「わ……悪かった! こ……ここまでやるつもりはなかったんだ……!」
「……」
「に、人間誰しも……間違いの一つくらいあるだろっ!? なっ!?」
 恐怖に引きつった表情で許しを乞う男だったが、龍麻は表情一つ変えない。
「お、おい緋勇……?」
 何も言わずに龍麻は拳を振り下ろした。二回、三回、四回……結局男が声一つ漏らさなくなるまで殴り続ける。
 そして、全ての敵意が消えると龍麻はその場に崩れ落ちた。



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