10月7日。如月骨董品店。
知る人ぞ知る、《力》を持った物品を扱う骨董屋。そこに二人の人間がいた。
一人は如月翡翠。この骨董品店の若旦那。彼は腕組みなどして眉間にしわを寄せ、視線を落としている。
もう一人は緋勇龍麻。この東京という地にいる、志ある同年代の魔人達を束ねる少年。彼はやや気まずそうに、如月と同じく視線を落としていた。
「で……これを修理して欲しい、と。君はそう言うのか?」
「うん」
彼らの視線の先には、一対の手甲があった。そのうち、片方は外部から強力な圧力を受けてひしゃげ、元の形を失っている。
龍麻が使っていた、そして昨日の戦闘で九角に破壊されたオリハルコンであった。
「やっぱり……無理?」
「無理だろうね」
ひょっとしたら、という龍麻の期待は、その一言で脆くも崩れ去った。
「《力》を込められた物品をここまでするとは……さすがは九角といったところか。いずれにせよ、これを元に戻すくらいなら、同じ物を買った方がお得だ。とは言え、今この店にはオリハルコンの手甲はないがね」
「同クラス、もしくはこれ以上の手甲は?」
「あるにはあるが、どちらにせよ、今の君には必要ない物だし、オリハルコンとて旧校舎の発掘品。完治する頃には蓬莱寺君達が新しい手甲を見つけていると思うが」
「そうだよね」
右手、左腕を骨折している今の状況では、手甲はあっても装備できない。京一達が旧校舎へ潜る以上、戦利品として新しい武器を見つけてくるだろう。
「まぁ、こいつは処分だな」
「これ、別の物に作り換えるのは無理?」
オリハルコンを片づけようとする如月に龍麻は問う。
「別の物?」
「うん。潰して別の物を作る」
「それはできなくもないだろうが……まさかそれでまた手甲を作れとか言うんじゃないだろうな?」
「いや、実はもっと別の――例えば――」
何やらよく分からない相談を始める二人。
「ふむ……いや、それなら――」
「そうだけど……なら、いっそ――」
「そうだな……数は揃うと思うが」
「じゃあ、それで頼むよ。後は、皆に支給する武器の手配を。金に糸目は付けない。足りなかったら後で払うから」
話をまとめ、龍麻は立ち上がる。
「……大丈夫なのか、身体の方は?」
見るからに痛々しいその姿に、苦い顔をして如月。
「相変わらず、無茶ばかりするな、君は」
現時点で、龍麻の背負うものに気付いている者の一人として、そして、それを守るべき《宿星》を負う者として、正直、今の龍麻を見るのは辛かった。自分がその場にいれば何とかなった、とは言わない。四神全員が揃っていたならまだしも、一人増えたところで結果に大差はなかっただろう。だからこそ、辛い。
「しばらくは大人しくしていてくれよ。何かあったら僕や仲間達を頼ってくれ」
「うん、分かってる。しばらくは迷惑を掛けるけど、よろしく頼むよ。それじゃ」
苦笑して、龍麻は店を出て行った。一人その場に残る如月。
「……僕も、やるべき事はやらねばな。本当に龍麻が大人しくしているとも思えないし……やれやれ」
為すべきことはいくつかあるが。とりあえずは依頼を果たそうと、如月は倉へと向かうのだった。
同時刻――真神学園。霊研部室。
いつも通りの怪しい雰囲気を持った部室に二人の少女があった。一人は部室のヌシ、裏密ミサ。これについては別段不思議なこともない。居て当たり前だ。しかしもう一人は違う。もしこの場に他の生徒がいたら、それを見て驚いたことだろう。
その少女は真神の生徒会長、美里葵であったのだ。
「うふふ〜。話は分かったわ〜」
葵の話を聞き終え、裏密はいつも通りの笑みを浮かべた。
「確かに今の美里ちゃ〜んなら、そういう考えになってもおかしくないわね〜」
「それじゃあ、お願いできるかしら?」
「それは構わないわ〜。ただ〜、相性の問題があるのよね〜」
「相性?」
おうむ返しに訊き返す葵。裏密は頷くと、紙とペンをどこからともなく取り出し
「ミサちゃんの《力》って〜、黒魔術なの〜。悪魔の力を借りたりするやつね〜。でも〜、美里ちゃ〜んの《力》は〜、どちらかっていうと〜白魔術の部類だと思うのよ〜」
術の系統や主な効果の類を書き記していく。
「だから〜、美里ちゃ〜んが考えているように〜、直接攻撃に使えるようなことは〜、ミサちゃんじゃ教えてあげられないと思うわ〜」
「そう……」
期待が外れたのか、葵の表情は残念そうだ。
「でも〜、美里ちゃ〜んだって〜攻撃に使える《力》があるじゃない〜」
「ええ……でも、あまり遠距離向きの《力》じゃないわ。どちらかというと、向かってきた相手を迎撃するものなの」
「そうね〜。それに、ひーちゃんが前に出るのを認めるわけがないし〜。美里ちゃ〜んの役割を〜、後方支援ってことで割り切ってるしね〜」
龍山邸での九角戦では割と前に出ていたが、それは葵の独断であり、龍麻の指示ではない。個人的な感情を抜きにしても、龍麻は葵を前線に出すつもりはない。真神の五人がメインで動く場合、回復・援護の《力》を持っているのは葵だけなのだから。
「でもね〜、美里ちゃ〜んが考えているように〜、攻撃にこだわる必要はないと思うわ〜」
「え?」
「戦うだけが〜、役に立つ手段じゃないってこと〜。言いたいことが分かる〜?」
眼鏡を器用に光らせて、試すような口調で裏密が問う。葵はしばらく考え込んでいたが、ふと顔を上げて答えた。昔、龍麻に言われた言葉が脳裏に浮かんだのだ。
「援護、かしら?」
「そう〜。美里ちゃ〜んの場合〜、今の役割を広く捉えるのもいいんじゃないかしら〜」
「広く……?」
「仲間の攻撃力や防御力を上げるだけが援護じゃないわ〜。要は〜仲間が戦いやすい状況を作ってやるってことなんだから〜。例えば無関係の人が巻き込まれたりした場合の護衛とか〜。そちらに気を回す必要がなければ〜、それだけで前線に出る人は動きが変わるわよ〜。色々とやりようはあるわ〜」
今回の件など、まさにそれだったのだろう。非戦闘員を安全に保護するということができていれば、龍麻があの怪我を負うこともなかったかも知れないのだから。
「それと後は知識ね〜。それについてはあたし〜を頼ってもいいけど〜、いつもそこにいるとは限らないし〜。ひーちゃん達、真神の五人組の中で〜、そういうことに向いてるのは〜、美里ちゃ〜んだと思うのよね〜。勉強と変わらないんだもの〜」
「それなら何とかなると思うけど……」
知識一つあるだけで、状況は大きく変わる。例えば何か事件が起こった時、そこで起きた出来事に関して何か知っていることがあれば、比較的簡単に対策や方針が立てられる。闇雲に動き回るよりはるかに効率がいい。
「今のあたし〜に言えるのは〜、それくらい〜。後は、美里ちゃ〜ん次第〜」
席を立ち、裏密は壁際へと歩いていく。そちらには本棚があった。
「ここにある本は〜、自由に読んでくれていいわよ〜。でもその前に〜、美里ちゃ〜んにできそうなものから、手当たり次第に試してみようかしら〜」
本棚の前で何やら呟き、裏密は印を切る。やがて本棚が横に移動した。その向こう側には、本来あるはずの壁はなく、この部屋以上の広大な空間が口を開けていた。
真神学園――旧校舎。
地下に降りる前。地上階にある教室の一室に、仲間達の何人かが集結していた。真神の京一達三人、それに紫暮と織部姉妹。紫暮と織部姉妹には、それぞれ醍醐と小蒔が招集をかけたのだ。用事があったこともあり、三人とも快く応じてくれた。
そして――
「そんなことがあったか」
ちょうど、先日の出来事を醍醐が皆に説明し終えたところだ。制服姿という珍しい格好の紫暮が、腕など組んで呟く。
「結局、何も終わっていなかったのだな」
「そういうことになるな。九角の最後の言葉から察すると、だが」
「単なる悪あがきってわけじゃないのかよ?」
胡散臭げに、雪乃が異を唱えた。
「負の念が強いヤツってのは、何かの拍子に甦ったりするぜ? 今回のも、それじゃないか?」
「楽観的すぎますわ、姉様」
やや厳しめの表情でそれを諫めたのは妹の雛乃だ。
「己が野望を阻止されたことに怨みを持ったのならば、そもそも警告を発することもないでしょう。それに……姉様も気付いているでしょう? 鬼道衆との闘いが終わったというのに、この街――東京は、未だに《氣》が乱れていることを」
「それって、やっぱり鬼道を使うヤツがいるってコト、だよね?」
以前龍山から聞いた話を思い出し、それを小蒔が口にする。
「まだまだ平和は先送りかぁ……」
「まぁ、言ったところで始まりゃしねえだろ。何にせよ、俺達にはやれることが限られてるからな」
壁に寄り掛かっていた京一が身を起こした。
「今の俺達に必要なのは、今以上の《力》だ。まぁ、あんまりいいコトじゃねぇんだろうけどよ、《力》だけを求めるってのは。でも、そんなこと言ってられねぇのが現状だ」
鬼道衆の頭目すら手駒にしてしまうほどの者が敵にいるのだ。のんびりしている暇はない。
「旧校舎を使って修行するしかねぇわけだ。次にいつ事件が起こるかも分からねぇしな」
「ところで、龍麻の具合はどうなんだ? かなり酷いようだが」
「本当なら入院が妥当なんだけどな。無理言って通院で通してるよ」
紫暮の問いに、京一は苦い顔で答える。
「そもそもあいつは、俺達のことばっかり気にしすぎだ。何でもかんでもこっち優先で、てめぇのことは後回し。昔はそれ程気にしなかったけどよ、最近までそれじゃ、何だか面白くねぇ」
「まぁ、あいつの事情も分かるが……いつまでもそのままにしておくのは癪だな」
「鋭いクセに鈍いんだから、ひーちゃんは……そろそろ気付いてもらわないとね」
京一に続き、醍醐、小蒔も口調は固い。付き合いが長い分、色々と思うところがあるのだろう。
「さて、そろそろ行こうぜ。時間は止まってくれないからな」
「で、どうするんだ? とりあえず、潜れる所まで潜るのか?」
部屋を出ようとする京一に、雪乃が声を掛けた。京一は立ち止まってこちらを向くと
「今日のところは無理はしねぇよ。色々と確認しなきゃならないこともあるしな」
「確認、ですか?」
「あぁ。龍麻が不在の間、あいつには指揮だけ執ってもらうつもりだったんだが、そのことも視野に入れていこうと思ってな」
続く雛乃の問いに醍醐が答える。
「あいつが指揮を執れない場面に遭遇しても、同じように動けないと意味がない。そういった、戦況を見る目も養っていかないとな。指揮能力と、それに仲間全員の能力の再把握だ」
「指揮能力云々はともかく、俺達の現状の把握というのは悪くない。まぁ、それは追々やっていくとして、だ。美里はどうした? 今日は休みか?」
龍麻がいないのは分かるが、葵は本来ならここで話に加わっているのでは? と紫暮が首を傾げる。すると、真神組も腑に落ちないのか、複雑な表情を浮かべた。
「何か、さ。やることがあるって言って、来なかったんだ」
小蒔が代表で答えるが、親友の彼女にすらその事情を話していないらしい。何かが引っかかるが、今は詮索しても仕方ないことだ。
「回復・援護要員がいないのは、痛いんじゃねぇか?」
「より慎重に行動するようになる……悪いことではありませんわ。先に醍醐様がおっしゃったように、指揮能力が活かされるようになるでしょうし」
とりあえず織部姉妹は、現状に意識を戻すことにしたようだ。紫暮もそれ以上は言及しない。
「まぁ、美里は美里で何か考えがあるのだろう。それよりも、今は俺達のことだ。今できることを精一杯やっていくしかないからな。ここまでやれるんだ、と龍麻を安心させて……いや、見返してやろう」
そう言って、醍醐は笑った。
その頃。
「はっくしゅっ!」
自宅の門をくぐった所で龍麻は盛大なくしゃみをしていた。
「……風邪かな……こんな時に、ついてない……」
噂でもされているのだろうかと一瞬考えるが、気のせいだと思うことにする。
そのまま家に入ろうと玄関の鍵を開けようとして――
「おや?」
郵便受けに封筒が刺さっているのに気付いた。引っこ抜いてみる。
封筒のサイズはA4サイズ。中身はそれより一回り小さい。感触から察するに、本か何かのようだ。差出人は、緋勇兵麻とあった。龍麻の義父である。
中身が気になるが、このまま外でというのも何なので、家に入る。荷物は適当に放り出し、封筒を開けようとする龍麻だったが
「どうやって開けようか……」
じっと自分の手に視線を落とした。右手は親指しか動かないので、ハサミも刃物も使えないのだ。仕方なく封筒の端をくわえ、そのまま噛みちぎる。
中から出てきたのは一冊の本、そして一枚の手紙。先に手紙の方を手に取った。
「……『面白い物が出てきたので送る。参考にしてみるといい』……? 一体、何を送ってきたんだろう?」
たった二行の手紙。それを置いて、今度は本を手に取る。
かなり古い物のようだ。本と言うよりは書物、といった感じの古めかしい装丁。背表紙もなく、端を紐で結ってある。題名はない。
翡翠の所へ持っていったら高く買ってくれそうな本だな、などと考えながら本を開いてみると、予想した通り、内容は墨で書かれていた。文字は時代劇に出てくる書状のような感じだ。
「……何だか、読むのに苦労しそうな本だなぁ……」
ざっと目を通してみる。流し読みなのではっきりとした内容は分からない。ただ、単語や、所々に描かれた絵などから察するに、何かの武術に関する物のようだった。それも、無手、武器を用いたものの両方。
最後のページ。背表紙の裏に、記名らしいものがあった。
「最初が緋で……次は……男……? 後は何だ……? 龍十……いや、襲かな……」
毛筆の字は読みにくいことこの上ない。何だかどこかで聞いたことのあるような名にも思える。
「ひょっとして、緋勇かな……? ってことは、ご先祖のもの?」
いまいち確証はないが、実家にあったことを考えるとそうなのかも知れない。
「面白そうだな」
作者が誰であれ、なかなかに興味をかきたてる。
全快したら、試してみようかと考えつつ、龍麻は本を読み始めたのだった。