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記憶なんて、今の自分にとって、都合の良いように書き換えられるもんだ。
都合の悪い部分は縮小される。
忘れられる。
欠落していく。
都合のいい部分は拡大される。
もっと都合よく脚色され、解釈される。
「子どもの頃、愛されなかったから、私はこうなったのだ(もしくは、こうならなかったのだ)」なんて「言い訳」は、なんだか、嫌いだ。
客観的に見て、事実そうであったとしても、イヤだ。
でも、そのような「言い訳」は、妙に心地よかったりするので、気を抜けば、すぐにしてしまいそうになる。
まったく困ったものだ。
クモモの木は、つらいことや悲しいことを忘れさせてくれる。
・・・・。
ほんとうにほんとうに、つらいことや悲しいことって、「忘れる」ことでなんとかなるのだろうか。
スナドリネコさんが言う。
「どうしてみんな忘れたがるんだろう」
ほんとにそうだ。
でも、「生まれて初めて満天の星をみたときの感動が思い出せれば、それだけで、生きていけるような気がする」という彼の言葉は、そのとき、私には、ピンとこなかった。
クモモの木のもうひとつの秘密の力は、 思い出させてくれることだった。
アライグマくんのエピソードはステキだ。
ぼのぼのちゃんの「満天の星」のあたりでは、すでに、涙涙であった。
あぁ、スナドリネコさんも、こうやって(と言っても、海に浮かんで見たわけじゃないだろうが)、満天の星をみたんだね。
ほとんど号泣状態でラストをむかえた。
まさか、ぼのぼのでこんなに泣かされるとは思ってもいなかった。
ん?
いや、ちょい待った。
っつーことは、やっぱり「親の愛」に行き着いてしまうのか?
うぅぅん。
なんだか、ちょっと、それは、解せない。
・・・でも、ま、いいか。
だって、シマリスくんが思い出したのは、そんなことじゃなかったもんね。(笑)
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「思い出はみんな美しい。」
窓口でもらったチケットに印刷してあったこのコピーを読んだら、ちょっと不快になったけど、映画を観終わったら、このコピーがストンと胸におちた。
美しい思い出というのは、現在の自分に都合のよいように記憶をつくりかえ、逃避する(それでは、『クレしん オトナ帝国の逆襲』の「なつかしの匂い」攻撃だ。)場所ではない。
しっかり向き合って、対決すべきとは対決して決着をつけた思い出こそが真に美しいもの、なんだろうな。
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