伝えたい・隠したい・この想い1

「今日、青学中等部のテニス部に顔を出してきたわ」
『……で、奴の反応はどうだった?』
「私の顔を見るなり顔色を変えていながら平静を装って、私から逃げようとした。あの子の反応は私なりに予想していたのに、手首の真新しい傷を見たら、平手を入れて怒鳴っちゃった」
 先日の従弟からの電話で、ありえる反応を予想していたとはいえど、現実を目の当りにすれば平常心の糸が切れ、手加減の無い平手一発を小柄なリョーマにしてしまった。



  ※  ※  ※



 帰国直後の衝撃的な電話。

 アメリカでのリハビリ休学から帰国後間もなく、電話のコール音が鳴り響く。
 携帯電話の画面に表示された相手の名前と番号に、態とらしい態度で通話ボタンを押した。
「はい、遥香です。どちら様でしょうか?」
『……番号通知設定になっている電話で、その態とらしい対応は止めろっ』
 受話器の向こうから開口一番、溜め息混じりの怒鳴り声が帰ってきた。
 予想通りの言葉に、笑いそうになるのを堪えながらは言葉を続ける。
「帰国の報告メール後、間もなく折り返し電話があれば、からかいたくもなるわよ」
 家に帰り着き、最低限度の荷物整理を終えて、帰国の報告メールを入れてから、僅か10分後の電話だった。
『喧嘩売ってんのか?』
 怒りを含んだ怒りを含んだ言葉が、即座に返された。
「テニスで他校の一年生に負けたそうじゃない。負け男が威張ってんじゃないわよ」
 帰国直後、得た情報で言葉を返すと、沈黙で時間が一瞬停止する。
『……その話、誰から聞いた?』
「山吹中の伴田先生からよ。家に帰る途中で偶然出会って聞いたの」
『あのジジィ……』
「そこで怒っても負けた事実は引っ繰り返し様もないでしょうに。それより、何の用事なの?仁」
 一匹狼みたいな性格の従弟からの電話に、は緊急性を感じて話を促した。
『……愛羅さんいる?』
「残念でした。今、精神カウンセリングの学会で出かけてて、明後日でないと帰ってこないわ」
 カレンダーに書き込まれた予定と書き残されたメモの内容で、は言葉を返した。
『……。お前、青学中等部のテニス部に行く予定はあるか?』
「新入部員が入って新しい部員名簿も届いてるから、状況確認を兼ねて、明日にでも顔を出す予定よ」
 休学中に中等部から届けられた部員名簿を手に取り、何気なくページを数枚捲った。
『……帰国して間もないお前に、こんな話を持ちかけるのは場違いかもしれないが、相談出来る相手がお前ぐらいしかいなくてな。青学テニス部の1年に、カウンセリグが必要な奴がいる』
「他校生を気に掛けるなんて珍しいじゃない。しかも一年生なんて、いったい何事よ」
 仁の言葉を聞きながら、は頭の片隅で、一人の顔を思い出していた。
『一年レギュラーの越前リョーマだ』
 手から部員名簿が滑り落ちる。そして、思いがけない言葉に、は反射的に声を荒げていた。
「リョーマ!?あの子に何かあったの?」
『…っ。電話で大声を出すな。、あいつとはどういう知り合いなんだ?』
 仁の声に我に帰り、は一呼吸する。
「越前リョーマとは父親繋がりで、幼少の頃から知り合いよ。それに、幼少時も含めて、今回のアメリカでの生活も隣近所だったから」
 疑問に答えるかの様に、は言葉を付け加える。
『お前が電話等で言っていた近所のガキってのは、あいつのことだったのか』
 溜め息交じりの声が返される。
『三日前、出先から家に帰る途中であいつに会った。土砂降りの雨の中で傘も差さずに、テニスコートで立ち尽くしてよ。余りにも不自然すぎて声を掛けたら、あいつの手の中に刃物があって、左手首から出血があった。俺の存在に気付いて逃げ出したから、反射的に捕まえていた。更に付け加えると、一週間前には、4・5人の高校生に絡まれていた処を助けた』
 仁の沈痛な言葉に、の顔から表情が曇る。
「助けた?ケンカ好きのあんたが!?」
 自分の不安を隠すように、は半ば茶化すように言葉を返す。
『真面目に相談・確認をしているんだ。話を変えて茶化してんじゃねぇ。恐喝やケンカなら助けてねぇよ。人数と体格差で押さえ付けて、悪戯をしようとしていたから、反射的に相手を殴っていたよ。それに小僧が、生意気な外見に似合わない怯え方をしていたから……』
「……リスカの原因は多分それよ。いくら精神カウンセリングをしていても、直接、心の傷に触れられれば平常心は崩れ、恐怖と不安が心を乱し始めた。12歳の子供にたった一年で立ち直れって言うのも無理な話かな……」
 進学目的で日本に帰国する親子を笑顔で見送りしたのが、ほんのの数ヶ月前の事だった。
 の脳裏に焼きついているリョーマの表情は随分と落ち着いたもので、別れる時に不安など感じていなかった。
『どういうことだ?』
 仁に聞き返され、は言葉を選びながら事の原因を話した。
「アメリカにいる時に、試合に負けた腹癒せ目的で、リョーマが性的悪戯の対象として襲われたの。間一髪の所で父さん達が助けたんだけど。どうも、その時の事が一種のトラウマになっているらしくて、ケンカ的勢いで絡まれる分には、日常的には問題ないのよ。無論、テニスでもね。ただ……」
『悪戯目的で絡まれると、当時の事がフラッシュバックするわけだな。俺が相手を殴り飛ばした時には気を失っていたが、俺の家に連れ帰って目を覚ますなりガムシャラに暴れやがって、この俺を弾き飛ばしやがった。小僧の反応にお手上げ状態になった所に、優紀が戻って理由を話したら、怯えるあいつを宥めてくれたんだ。もし、あの時、優紀が戻ってこなかったら、俺が更に傷付けるとこだった』
 物静かな時と一変して、感情を出した優紀の凄さは、息子の仁にさえ、口答えも反撃も許さない勢いだった。
「……優紀ちゃん、何か言ってなかった?」
 の脳裏に、あの日の出来事の後、母親の手ですら払い除け、怯え暴れていたリョーマの姿が浮き上がる。
『自傷行為の常習犯だから、カウンセリングが必要とは言っていたよ。それで、お前の家に電話をしようとしたら、部屋に飾っていた写真を見たあいつが、俺とお前の関係に気付いて、絶対知らせるなって……』
 優紀の言葉で、精神科医でもある伯母・愛羅に連絡を考えた。
 そして、写真と名前に顔色を変え、左手を押さえながら小さな声で”言わないで、には絶対言わないで”と、怯えるリョーマに仁は言葉を失った。

「ねぇ、あの子は怯えていた?」
『激しくな。怯える自分を見られたくないのもあったな』



2へ続く