ソレッタ・織姫 考

考察1 ヴィスコンティとの関連について

 ヴィスコンティは20世紀イタリアを代表する映画監督の一人で、正式に
はルキーノ・ヴィスコンティと言います。「山猫」「ルートヴィヒ」などの映画
を残し、演劇、オペラでも舞台監督として才能を発揮されたようです。ミラ
ノの名門貴族ヴィスコンティ家の出身で、確か1906年生まれだったと思
います。ですから織姫とは1年ほど年長です。
 同時代で、年齢もほとんどかわらない彼は後に巨匠として活躍するの
ですが、織姫の舞台を鑑賞してどのように感じたかは興味深いと思いま
す。
 彼は、シェークスピア、ヴェルディなどの作品からおおいに影響を受け
ていますが、当時活躍した俳優の要素を自分の作品に生かしている点も
あるようです。もしかしたら織姫的な部分を作品に取り入れたかもしれま
せん。そう考えるとおもしろいものです。

 織姫が女優としてデビューし、また脚光を浴びたのはいつ頃かはわか
りませんが、1920年代に入ってからと推測しています。この頃イタリアの
主要都市を巡業したのものと私は見ています。ミラノはイタリア第二の都
市でしたが、人口・産業規模はイタリア第1位で、芸術・文化活動も最も
盛んだったときいてます。ですから彼女のミラノ公演はほぼ間違いないと
推測してます。おそらく織姫は当時の最有力の若手女優ですから、演劇
好きの彼が、その公演を見逃すことはないはずです。また、ソレッタ家と
ヴィスコンティ家はどちらともイタリアの名門貴族ですから、互いに家の名
前は知っていたものと思います。その意味で、あの名門貴族のお嬢さん
の舞台はどんなものかという期待もあったかもしれません。

補足
 うっかりしていましたが、ヴィスコンティは巨匠として名声を得るにしたが
い、「赤い貴族」とも呼ばれるようになりました。彼は、ファシストやナチと
も闘い、その後も左翼的な考えを持ち続けていきました。赤が社会主義
の象徴ということ、彼が名門貴族出身であることからきています。
 一方、ソレッタ家も「赤い貴族」ですが、もちろん意味は違いますね。こ
の赤は何を意味しているかはよくわかりませんが、「赤い貴族」と呼ばれ
るようになったヴィスコンティが織姫を思い出したら、彼女も私と同じ赤い
貴族だなと苦笑したかもしれませんね。


考察2 ドゥーゼとの比較 

 ドゥーゼは19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した世界的な大
女優で、正式には、エレオノーラ・ドゥーゼと言います。20世紀初頭を少
しすぎたぐらいに引退しましたが、1920年代に入ってから復活したようで
す。織姫も世界的に脚光を浴びたのがこの頃とすれば、この新旧の女優
は、ちょっとした話題になり、比較されたのではと憶測します。しかも、
1924年にドゥーゼは死去しますので、織姫は世代交代的な意味合いで
見られたかもしれません。

 演技を比べてみますと、まず織姫の演技については、彼女はインスピレ
ーションを大事にすることを言ってます。このことは、彼女の演技は機知
に富んでいたと私は推測しました。つまり、上演作品をその場でより良く
魅せるために、瞬時に演技を修正・変更・創造できる技量を持っていた
ものと思います。また、「太陽の娘」の異名から、情熱的な演技が持ち味
ではないかとも思います。
 ドゥーゼの演技は、質実剛健で、華麗さよりも演技に重みを持たせて魅
せるという点があります。またメークせず、写実的で自然な演技を心がけ
ていたようです。舞台で顔の色を状況に応じてコントロールしたという逸話
があるようです。
 どちらが優れていたことは言えませんが、この二人の演技が世界を魅
了したことは間違いありません。ただ、織姫についてはまだ知名度、認知
度は劣るようですので、世界各地の巡業がかかせなくなると思います。

考察1・考察2ともセガ公式サイト「サクラ大戦 BBS」    
織姫とドゥーゼ ヴィスコンティの回想から 2005/02/06 より
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