1.大学病院に入院したときの記録です。
平成10年(1998年)7月 IVH初体験 確かワールドカップサッカーの決勝戦があった朝に、大学病院へ入院した。 生まれて初めてのIVH体験。まず針を刺すところへ麻酔をし、その後針を刺し取れないように 針で縫い付けて完了。その日と次の日は、腕が上がらないほど痛かった。
エレンタールを飲み始める 生まれて初めての絶食。 その代わり、エレンタールという栄養剤を飲むことに。初め医師は、経管(鼻注)を勧めたが、 小腸造影のイヤな印象があり、拒否。フレーバーで味付けをして飲むことに。 青りんご,オレンジ,パイン,アセロラと試したが、青りんごが一番おいしかった。 どうしてみんな飲めないのかなと思った。
最初の難関 小腸造影 入院して10日ほどして小腸造影を体験。しかし今思えばこれが一番辛かった。 何せ鼻から管を入れるなんて大道芸人じゃあるまいし、初めてのことだったから。 しかし今では慣れっこです。管を小腸に入れる間、おえつの連発。 泣く泣く我慢していました。それで小腸に狭窄が、6つほど見つかり とりあえず1ヶ月絶食して、潰瘍を治すということでした。
2度目の小腸造影 やはり狭窄部には変化なく、その日のうちに手術の手続きをする。 1回目よりもおえつが、激しかった。
ついに手術 生まれて初めての手術。朝風呂に入り、昼に鼻からチューブを入れいやな思いをする。 そのまま手術室へ、麻酔をかけられ1分もしないうちに意識がなくなる。 目がさめたらお腹全体が痛くて、「痛い、痛い」と2時間言い続けていた。 痛みが治まり、やっとリカバリー室へ。その日はほとんど寝れませんでした。
それから退院まで それから退院まで1ヶ月と10日間傷口を1度開け、中に溜まっていた水を抜く。 これがまた痛かった。術後20日ほどして内科へまた転院。 それからまた2週間してやっと退院。4ヶ月間の入院生活がやっと終わる。

2.痔瘻の手術で入院したときの記録です
平成11年(1999年)
8月30日 入院
前日38度の熱が出て急遽入院。一週間抗生物質で腫れを抑えるものの、また悪くなり結局9月8日に、 シートン法の手術を行う。
検査 身体障害者の申請をするために、胃と大腸カメラをする。結果、小腸と大腸のつなぎ目が かなり細くなっていることが分かる。再度小腸造影をすることになる。
検査2 検査の仕方は、鼻から管をいれて小腸までチューブを送る方法で行ったが、 どうしても胃と十二指腸の所で引っかかり断念。
変わって胃カメラを十二指腸の末端までいれて、そこからバリウムを流し込む方法に変更した。
この方法のほうが、鼻から管を入れるより楽かなあと思いました。
でも麻酔をたくさん入れたのでPM3:00頃まで寝ていました。
この結果、小腸の癒着が見つかり、手術することになる。
手術その前に合格 手術前日、10月17日に受けていた情報処理の資格「初級システムアドミニストレータ―」に合格する。 これで安心して手術が受けられることになる。
手術 手術前、鼻から管を通される。最初は、腹空鏡で癒着を取ることにしていましたが、出来ない事になり、
お腹を大きく開いて癒着を取ることになりました。
麻酔から目が覚めたときも痛み止めをしても、3時間ほど熱と痛みが消えませんでした。
術後 その後順調に回復していき、1週間ほどで無残さ食になる。 手術日が、12月15日だったため、正月を病床で過ごすことになる。
そして退院 手術後39日やっと退院。今回の入院は約5ヶ月間だったが、まさか2回も手術台に上るとは思わなっかた。
いろいろあったが良かった良かった。あとは、身体障害者手帳を取るだけだ。
就職活動 手帳が取れたのが3月7日でした。それからすぐ職安に行き、身体障害者の窓口で職を紹介してもらう。
しかし条件が会わずに悩んでいた所、大手関連の印刷会社に就職決定。
これであとは、自分の病気を悪化させずに普通の暮らしをしていくだけだ。

3.就職その後
残念ながら退職 就職して2ヶ月と6日後、試用期間が3ヶ月間あり2ヵ月後職種にむいていないため社員としての契約は結ばないといわれる。 何じゃそれといった感じで気落ちしたが、すぐに気を取り直し就職活動に専念する。やはり世間は厳しいなあ。
障害者の面接会 9月22日面接会があり、出席しました。4社から面接してみたいと希望があり、あと2社自分のほうから面接を希望しました。 その後の結果面接して見たいという4社は全て不採用。残り1社は不採用で、現在最後の1社と面接中です。 最終審査までに残るのですがなかなか厳しいです。
ついに合格 やっと採用が決まりました。これで以前の生活に戻れます。新しい会社は、水産物の卸です。市場の中にあります。休みが市場に合わせるので少ないですが、 皆さん優しそうな人達ばかりなので、病気には支障はありません。これから努力して、会社にとって必要な人間になりたいと思います。それではまた