特派員報告(第5号)   [2002/10/21]

皆さんお元気ですか? 
Clube da Bossa活動のほうも盛んに行われていることと思います。

先日、サルバドール郊外の街、サント・アマーロ市へ小旅行へ行ってきました。バスに揺られること小1時間の小さなこの街は、カエタノ・ヴェローゾ(もちろんマリア・ベターニャも)の生まれたところで有名です。この街や近くの街はCidade de Reconcavoといって、バイーア・トードス・ドス・サントス湾岸の街、そしてかつて奴隷として連れてこられた黒人の街として有名で、それはすなわち黒人宗教(=カンドンブレ)の儀式の残る街としても知られています。(どうしても州都サルバドールばかりが目立ってしまいますが。)

でも、今日の私の目的はカンドンブレの研究ではありませんでした。そうです“お宅拝見”でした。 そうです。カエターノ・ヴェローゾファンならずとも、『ドナ・カノー』と言えば、カエターノのお母さんとして知っている人も多いことでしょう。街で、ドナ・カノーの家はどこか聞くと、日曜日で暇だったのか、彼は家の前まで連れて行ってくれました。他の家となんら外観は変わらない玄関のインターフォンを押すと、一瞬カエターノが出てきたのかと思いました。ホドリゴお兄さん(弟?)が顔を出し、日本から来て、ドナ・カノーに会いたいんだ、というと、あっさり中に入れてくれました。ドナ・カノーは新聞を読んでいたのにもかかわらず、訳の分からない日本人の訪問に答えるべく部屋から出てきてくれて、居間で一緒にビーチサッカーを見ながら話をしました。

「カエターノは今、NYにいていつも世界中を飛び回っているのよ」「サッカーは暴力的で嫌い」とかとりとめのない話をしていました。「明日は息子とGilの写真集(ごめんなさい。詳しくは聞けなかったけど、いずれ日本にも行くのではないでしょうか?)の発売記念イベントがサルバドールであるので行かないといけない」とも言っていました。とても95歳には見えない元気なドナ・カノーでした。お兄さんは甥(モレーノ)が日本から持って帰ったカップヌードルがすごく気に入って日本のことも好きだ、と言っていました。そんなことならお好み焼きの元をお土産に持って来れば良かったと後悔しました。

ほんとに突然お邪魔した日本人にプレゼントまでくれて、僕は感動しました。
最後にドナ・カノーは「1月のノッサ・セニョーラ・ド・アンパーロ祭りにはベターニャも帰ってくるからそのときにまた来なさい」と言ってくれました。あの偉大なカエターノ兄妹いや家族とこれからいいお付き合いをさせていただきたいものだ、と心の中で思いました。
また、その書籍の情報は日本に伝わる前に分かればお知らせいたしますし、
ホームページ ( http://www.nobraiz.com ) でも紹介しようと思います。 それではまた。

ドナ・カノー・シャモー.エウ・ヴォウ〜♪.(ダニエラの歌より)

NOBRAIZ 平松    http://www.nobraiz.com

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