1977年6月6日にレコードで発売され、日本では1位を獲得したが、現在は廃盤となりCDでは聴くことはできなくなったザ・ビートルズ・スーパー・ライブ!(アット・ハリウッド・ボウル)のジョージ・マーティンのライナーノーツに以下のような当時のベイ・シティ・ローラーズと昔のビートルズを比較した会話が掲載されている。
「今年、9歳になる私の末娘ルーシーに、最近こう質問された『おとうさん、昔ビートルズの録音をやっていたことがあるんでしょう。ね、教えて、ビートルズって、いまのベイ・シティ・ローラーズと同じくらいグレイトだったの?』意外な質問だったが、私はこう答えた。『いや、ローラーズほどではなかった、それほどではなかった。』いまはこれでいい。そのうちルーシーにも分かる時が来るだろう。」(ジョージ・マーティン談)
私は、ベイ・シティ・ローラーズ全盛時からビートルズに関心が移っていたので、そんなものかと思っていた。
今、ベイ・シティ・ローラーズを知っている若者はどのくらいるだろう?
私の世代は知っているはずだ。私も中学生の時、皆と同じようにベイ・シティ・ローラーズのトレードマークのタータンチェックのマフラーを巻いて登校していた。一時期のローラーズはすごかった。ピンク・レデイーと同じくらいすごかった。そして、確かに名曲を残している。まず、代表曲のサタデー・ナイト!SATURDAY NIGHT! 中学時土曜日にスペルを間違えずに覚えることができたのは、ローラズのおかげだ。私が初めて買ったのは、ロックン・ローラーとイエスタディズ・ヒーローの両A面シングルで、これは今でもローラーズを代表する曲だと思う。結局中学生にLPは高価な物でそれほどのめりこまなかったのもあったのか手に入れていない。私は当時ちょっと醒めたファンだった。中学生ながら、周囲のあまりの熱狂ぶりについていけなかったのである。
とはいいつつ、CBCラジオのベイ・シティ・ローラーズ物語は聞いたりしていた。そのため、パット・マッグリンというメンバーが入り、イアン・ミッチェルが抜けてロゼッタ・ストーンというバンド(1曲も聴いたことがない)を作ったということまで知っている。
そういえば、藤井フミヤが在籍していたチェッカーズがタータンチェックでデビューしたのはその影響だろう。

ベイ・シティ・ローラーズの全盛時代は、LP「恋のゲーム」までだろう。恋のゲームで少し大人っぽい曲になったなぁと思ったが、それ以降のヒット曲の記憶がない。メンバーの入れ替えだけではなく、それ以降名曲があまりなくなったからであろう。
以前、私は全盛期後の2つに分裂したローラーズのライブを両方共名古屋の小さなライブ会場で聴くことができた。
1回目は、レスリー率いるローラーズで、とても良かった(ライブ後、その場でレスリーがTシャツに直筆サインをしていたが、さほど行列にもなっていなかったが、私は購入せず帰った)。2回目は実際にはボーカルを担当していないエリックがリードボーカルを担当しているバンドで、これもそれなりに楽しめた。やっぱりオリジナルボーカルがいいかと思ったが、演奏はこちらのバンドの方がオリジナルメンバーが多い。
2回とも満足できて、友人と「ライブはやっぱり小さな会場がよく見えるし、よく聴けるいいなぁ」と感想を話し合っていたのを思い出す。

最近、1977年のローラーズの武道館ライブを聴いたが、日本語のアナウンスで始まっており、全盛期のローラーズを感じることが出来た。ロックンロール・ラブレター、そして名作「二人だけのデート」、ドント・レット・ミュージック・ダイ、マネー・ハネー等ローラーズにもスタンダードナンバーは存在したのだ。
ローラーズは、世紀を越えて残る名曲を何曲も残したバンドだが、つまらない曲もある。ローラーズ・全曲ボックスが出ても私は購入しないだろう。やはりベスト盤で聴くバンドなのだ。過大評価された後、なんであんなに大騒ぎしたのだろうとちょっと恥ずかしくなるような思い出と重なり忘れ去れてしまったバンドなのかもしれない。すると、やはり私がローラーズで一番好きな曲「イエスタディズ・ヒーロー(過去のヒーロー)」が代表曲なのかもしれない。

Link:ベイ・シティ・ローラーズ