第12回心の健康会議

メインテーマ 子育て支援と臨床心理士

開会挨拶: 木田 宏 会頭

ここでは、開会で集まって頂いたお礼だけを申し上げたい。

最近は、新聞でも情けない事件、嫌な事件が多く起こっている。TVの日曜討論を見ても、法律に触れなければという話題ばかり、道徳を失った国民は滅びると思う。

臨床心理士は、法律というだけではなく、道徳と倫理で職種を発達させていきたい。

間違っても、雪印のような嘘で、名誉を汚すことがあってはならない。

祝辞:文部科学省健康教育課課長

PSTDの対応などで臨床心理士の役割が認められてきている。特にH7年の阪神大震災の臨床心理士の活躍が思い出される。また、えひめ丸生存者の心のケア等充実してきている。

いじめや不登校に対する取り組みも認められている。

子育てやしつけの悩みとして、主に母に対する支援が始まっている。

これから、家庭教育アドバイザーが制度化されて、早くは妊娠期の女性から支援することが期待されている。

文化庁長官に河合 隼雄先生を迎えて、嬉しく光栄に思っている。

PART 1

基調講演:「子育て支援の基本―心理臨床を学んで」 樋口和彦 京都文教大学学長

 私は、3人の子供の子育てをした。子供はすでに成人し、孫もいる。

 昨日、思いがけず娘に孫を2人預けられた、娘が迎えに来る頃にはへとへとになり、こんな大変な子育てをやっている人相手に、私が子育て支援の話などできるものだろうか等と考えた。

 それはともかく、子育ての原点を考えていきたい。

 まず、誰が子供を育てるかということであるが、イスラエルのキブツでは社会が育てているし、母が育てるか、父が育てるか、未来はロボットが育てるかとも考えられる。

 次に誰が結婚するかということであるが、最近では男と男が結婚したり、子育てをしない家庭もありうるかと考える。

 子供を産んだ理由を尋ねると、計画出産の失敗でできちゃったから、年老いてから1人で年金や保険だけを頼りにするより子供がいる方がよいから等と答える親が多い。

 これから、家庭はどうなっていくかを考えていきたい。

 結論から先に話すと、自分の育てた子供から、「あなたに育てられて良かった」と言われたら成功だと思う。

 逆に、「あの親に育てられたことは、絶対に許せない!」と言われたら、うまくいかなかったわけだが、不登校の子供が口にしたりすることを聞くことがある。

 子育ての中には失敗はつきものである。例えば、野口英世のように子供がやけどをしたり、子供によかれと思ってしたことが、逆に子供にとって悪かったりする場合もある。しかし、それでも、「私は、自分の親が私を生んだことを許せる」と言って貰えればよいと思う。

 最近は、家庭神話が崩壊したと言われるが、家庭とは何か、具体的に話すとそれは、19世紀に写真が出来てからだと考える。

 私自身の話をすると、歯科医であった父は、毎年正月に写真館に行って、家族全員の写真を撮した。撮すのは一瞬のことだが、全員集めるのが大変である。毎年撮すことにより、子供の出産、成長、亡くなった人等家族の歴史となる。

 すべての家族はこうなくてはならないというHolly Family原風景があった。(フロイトは原風景を別の意味、父母の秘め事を子供が見ることとして使っていたが)

 一家団欒ははかないものと生命保険会社のCMは訴えかけている。

 幸福な家庭で、良い父と良い母ということであればよいが、実際は、父は単身赴任、母は、全て家庭のことをする。母は、父がいなくても銀行にお金を振り込んでくれさえすればよい。父は、「何の不自由があるか!」というが、母は定年になったら別れる。さもなくば、定年になって家にいると、いつものように昼ご飯を作らず、もうあなたは働いていないのだから、自分で作ったらと言われる。定年後、男は濡れ落ち葉となってしまう。

 家庭の語源だが、家と庭を併せて家庭とした。江戸時代になかった造語である。江戸時代にも家族という言葉はあった。ちなみにYouthは、青年と造語された。青い年とは考えたものだ。

 結婚とは、夫と妻が責任ある結合をしたものである。運命的な結婚という考えもあるだろうが、契約による結婚と考えている夫婦もある。夫がカナダ人の家庭で、妻に「もう一生一緒にいるんだという眼で見て欲しくない。」と話した。結婚が続くかどうかは、2人の努力にかかっていると考えているのだ。

 男子大学生の様子を見ると、結婚式までこぎつけることは考えているが、その先の事を考えている人は殆どいない。彼女を確保することだけに全力を尽くしている印象を受ける。

 男は、夫、父となっていくが、男のままである人が多い。逆に女は、妻、母となっていくが、母だけで妻になれない人が多く、ギャップを生じていることが多い。

 家庭は、外に比べ安心できる場所と考えている人が多いが、とんでもない話で家庭ほど危険な場所はない。例えば、路上で通り魔等殺人に遭う確率より、ずっと高い確率で家庭内で殺人が起こっている。それは、外と家庭とでは親密さが違うのである。依存していたのに期待はずれの時に裏切られたと感じる。物質でも結合、分離の時エネルギーの放出があるが、人間関係も分かれる時に激しい感情の放出がある。従って、家庭内暴力で、父が寝ている時、息子が金属バットで叩き殺すという事件が起ったりするわけである。

 私は日本いのちの電話連盟の理事長もしているが、いのちの電話の話をしたい。

24時間でいのちの電話は行っている。正月など楽しい時の方が、電話が多い。それは、楽しいのは隣の話で、楽しくあるべき時ほどみじめに感じたりするからである。

 私は理事長等の役職を持ってはいるが、アイディンティティは、その役職ではなく、一(いち)カウンセラーとしてのアイデンティティである。

 日本は、母と子供の密着した関係が特徴である。アメリカは、少しでも早く自立することが望みで、車の免許を取ったら少しでも遠くにカップルで行き、家庭から離れることを考える。

 私は、母と口げんかした時はいつもへその緒を見せられた。母子の関係が切れそうになった時、いつまでも母子のきずなの証拠として見せられた。

 母は、ユングに関する新聞の切り抜きを送ってきて、自分は専門家でもっとよく知っているだからもう送ってこなくても良いといってもいつまでも送ってきた。

 妊娠してしまったからという形での出産が多いが、徐々にお腹の子供がいとおしくなってくる女性が普通である。ところが、出産してからも、欲しくなかった子供と母が思い続けると、そのことは子供にとって母に見捨てられたというより、全世界が見捨てたと感じてしまうものである。(補償によって、かえって偉くなるように努力する人もいるだろうが)

 しかし、赤ちゃんのスマイルほど、無敵なものはない。泥棒でさえ、赤ん坊が笑うのを見て何も取らずに出ていったという話もある。

 ヘロデ王は、2歳以下の子供を殺せと命じたという、自分の未来を脅かす者を殺し、自分の地位を守るためだが、未来そのものを殺すことにもなる。

 以前、医学部に行けない病院の跡継ぎ息子のカウンセリングを行ったが、周囲は皆医者になることを熱心に期待するのだが、本人は迷惑に思っていた。その時は、本当に病院(店)じまいの大変さが分かった。

 捨て子神話というものがあるのはご存じだろうか。将来の英雄が、赤ちゃんとして、誇りを持ちながら、遺棄されているという神話である。(そういえば、ハリー・ポッターも・・筆者の独り言)子供としての誇り、子供の大切な世界もある。

 Pain(痛み・苦痛)Suffering(悩む・苦しむ)とは違う。

 欠けていたのは、知的に向上するだけでなく、一人前の人間として当然苦しまなければならないことを苦しむ(Suffering)ことの大切さを知ることである。そのような時は、イニシェーターとしてのカウンセラーである必要もある。

 人間関係には様々あり、遺産相続の時分かるような人間関係もあるが、斜めの人間関係も大切だと思う。それは、娘が祖父に色々な事を教わるようなことである。

 カウンセラーは、つい家庭を病理化して見ていないだろうか。

どんな家庭が健全かと問われれば、豊かな人間関係を楽しんでいるような家庭であると答えたい。そして、前述の「あなたという親に産み落されたことが、許せる。」と子供が言えることである。

岩波新書の本で、日本人が捕虜として捕まった時、その日本人が書いた日記で、母への遺言で「母への贈り物は、私の白骨と・・。」等と書いてあったが感じるところのある本であった。

 家庭は、ギリシア神話ではヘスチア神であり、Familiar(親密)という意味で

 それは、血でない人々がコミュニティを作っているという意味である。

 例えば、入院の時、ペットを手放せない(殺せない)という理由で入院しない人もいる。それはペットも家族の一員となっているわけである。広い意味では、庭の木も家庭の一部として感じられる。

 子供が食物を争って食べるのも重要な動物性である。家庭の食卓での会話は大切である。

 家庭の食卓での会話をそのまま番組に出来る。また、料理番組は安上がりであると言っていたTVディレクターもいた。

 家というのは、血筋の秘密のときもある。

 マフィアのファミリーは、いずれ家のために犠牲にもなる人間を育てる。

 先祖との関係や、留守にしている人との関係もある。

 母に言われて育ったファミリー神話というのもあるであろう。

 一人一人の帰るところとしての家(Home Coming)、復員でもある。 

 横浜生まれの私はよく、墓参りの後、タクシーで横浜中華街までいったりしたものである。医師になった弟がタクシーを呼んでくれたが、十数台止まっていて驚いた。医局のならわしで連絡してしまったので、そういう失敗をしたとのことで、頭を下げて必要のない台数を帰って貰った。

 母の通夜の時、その弟が自分は橋の下から拾われてきた子供のだろうかと尋ねた。優しくして貰っても、その逆でも自分は拾われた子供だから、こういう態度をとるのでは、拾ってきたということを親が話すわけもないし、と語った。私は否定しながら、同じ兄弟でも感じ方は違うものだと考えた。

 私は、話題提供、問題提起というかたちで自由に話させて頂いた。後は午後からの司会の馬場先生たちのシンポジウムに期待したい。

 

PART 2 

シンポジウム「子育て支援と臨床心理士」

司会 馬場 禮子 (東亜大学大学院教授)

   滝口 俊子 (放送大学教授)

     シンポジスト

1.             父親と子育て支援の立場から 久保田 力 (浜松大学助教授)

T:このシンポジウムにおけるシロウト久保田の立場について

 まず、私はこのシンポジストの中で1人だけ臨床心理士の資格を取っていないので、違った考えをはなしてしまうこともあることをご承知頂きたい。

 そして、メインテーマに関する議論に新たな異なる視点を提起したい。 

U:「子育て支援」の意味は今もって曖昧で抽象的なままである。

 誰が誰に対して何をどうする事かなのかが、日本保育学会で問い直され始めている。

 子育て支援は、本当に子供のための支援なのか。子育て支援イコール母親支援ではない。

 父親支援でもあると考える。

 樋口先生の講演を受けてのシンポジウムとのことである。樋口先生の講演は、子育て支援の基本というより、子育ての基本というように感じた。

 子育て支援は定義が曖昧である。久保田は、子育て支援を親同士が相互に支援することと考える。私はプレイセンターの座長をしているが、自己批判の気持ちで一杯になることもある。親のための子育て代行になってはいないか等と考えてしまう。

V:ニュージーランドにおけるプレイセンター活動の概要

 プレイセンターは親しかいない、運営も親が行っている。但し、親の中で学習会がある。

学習会の内容は、親が保護者となるための自主ゼミのようなものである。自主ゼミにもカウンセリングの講座はある。カウンセリングマインドや受容的態度を知っておく必要はあるということである。

 50年以上にわたる保護者同士の「子供の預かりっこ、預けっこ」活動である。

誰が始めたか分からないというグラスルーツである。「Family growing together」という

基本概念(哲学)がある。

W:プレイセンターにおけるワークショップ(保護者達による自主ゼミ活動)

 子供と「一緒に遊ぶため」には、オトナが遊び方・遊びを創造する方法を知らなければならない。

 親同士の水平方向的コミュニケーション・チャンネルが成立する前提条件がある。

初めは親ビギナーというわけであり、先輩親が後輩親を教える。(教えて貰うには、あまり年が離れて頼りきらない年代がよい)

例えば、「砂場で2時間遊ぶうちに、8種類の遊び方で遊びなさい。」という課題を与えられる。

X:「子育て支援」に専門家は必要なのか

そもそも「子育ての専門家」って何?そして誰?

ニュージーランド・プレイセンターは、現在同国に500以上開設され、約17000人の就学前児童が保育を受けている。

ニュージーランド・プレイセンターと保育園との違いは、子供を預ける親が保育者として他の子供の面倒を見たり、運営方針を決定したりする点。親も指導員の資格をとることができる。

「生涯学習」論・「ラーニング・ソサエティ」論と同様、空気のように社会全体に充満しているもの。

Y:「子育て支援」の真の意味とは?

 「代行」ではない「相互支援」こそ大切である。日本でセンターが注目されている理由の一つは、孤独な子育てに悩む親の育児支援にもなる点だ。(「密室の中でしばしば起る幼児虐待はニュージランドでも問題になっている。プレイセンターは親が保育に関わることで子供の成長を客観的に見ることができるので、子供にも良い影響があります。」)

 専門家にではなく保護者全員に必要とされるカウンセリングマインド(臨床心理士レベルまで達しなくても保護者にもカウンセリングマインドを持ってもらいたい。そのためにも臨床心理士には親の教育でも活躍して貰いたい。)

  

      シンポジスト

2.             地域援助の立場から 松尾 恒子 (甲南大学教授)

 スライドを基にした説明、会場内暗く、メモは最小限・不完全である。

甲南大学のカウンセリングセンターは、12名体制でのべ2000人の実施である。

そのカウンセリング・センターの一環として子育て支援を行っている。

形式は、うりぼうくらぶ(親子の遊びクラブ)として、就園前児童(平均18ヶ月)を対象に月2回、院生(全45人)が研修として行っている。料金は1回親子で1000円で

行っている。

 院生が、就園前児童に抱きしめ療法(スキンシップ)やしつけという観点で接している。

子育て支援として、院生が託児をしている。行動上の問題などのある子供の親で希望すれば、親子平行面接(15000円)も行っている。

院生が研修の一環として行っている託児は、新聞をちぎる遊び、バルーン、紙芝居等である。

今までのべ640人の親が大学に来た。うりぼうくらぶ、親子相談、プレイセラピーとメニューは揃えてある。うりぼうくらぶについては、院生の研修としての託児という見解である。そして、地域でのネットワーク作りの子育て支援に力をいれている。

 

     シンポジスト

3.             発達臨床心理学の立場から 青木 紀久代 (お茶の水女子大学助教授)

スライドを基にした説明、会場内暗く、メモは最小限・不完全である。

私は、3歳の子供のいる臨床心理士です。

発達臨床の観点から、療育的・教育的な関わりだけでなく、心の全体の発達・生涯発達(ライフサイクル)の視点による個人・家族支援を述べたい。

教育・臨床発想、視点を取り入れた研究、フィールドリサーチを行っている。勿論子供の全てが見えているわけではない。

 リサーチしていて、幼稚園と小学校の教育構造の違いに気がついた。

 単に客観的な研究ではなく、自分たちが関与しての研究が大切と思っている。

 子育て支援の窓は、子供自身、家族、生活、開いてくる。生活にとけ込んでのアウトリーチ型の臨床(自助グループなど)を考えている。

 発達臨床は、子育て支援に活用できる。

     客観的な発達指標で発達状況を測定する。

     子供の体験を推論する。(訓練された主観の活用、転移・逆転移の考えも使える)

主観と言っても感じたことをそのまま伝えることは、害になることもある。

     母と子の録画ビデオを10分間の編集ビデオにする。

     心の支援にのってくるインタラクションとして使える。

     保育者研修プログラム

@     気になる事項の全国調査をして、分析する。

A     全体的な臨床像の把握をして、研修会を開く。

B     類似の臨床像を持つグループの事例検討・・・と進めていく。

     治療動機を持って貰うことに目標を持つ。

<子育て支援の課題>

1.      診断までと診断後

2.      体系的な発達課題の標示、ジェンダーバイアスの検証。専門用語と現場の対応。

3.      小学校等への滑らかな移行。(発達の個人差を踏まえ、教育機関へ移す。)

     シンポジスト

4. 子育て支援の専門家養成の立場から 吉田 弘道 (専修大学教授)

スライドを基にした説明、会場内暗く、メモは最小限・不完全である。

650人に子育て支援の活動アンケートをしたところ、親カウンセリング(75%)や育児相談(45%)、インターネット相談、アセスメントやコンサルテーション、先生等との相談や研修であった。

困ることとしては、専門家の理解不足、親の方が病態が重い時等である。

流れとしては、アセスメント、発達段階の把握、親へのカウンセリングである。

カナダのライソン大学では家族支援職を認定している。

     ライフエデュケーション、リソースプログラム等がある。

(アタッチメントの形成過程)

1段階:出生〜4ヶ月:人に関心を示す段階;2・3・4段階と進んでいく。

(アタッチメントのタイプ)

タイプA:不安定

タイプB:回避

タイプC:不安定、反対感情(Aからの移行)

タイプD:不安定、非組織段階

プラスへの変化もある。

・遊びの発達(0歳〜4歳)

感覚的遊び〜機能的遊び〜象徴的遊び〜社会的遊び

     色々な要因が育児不安につながる。

必要以上の質問の多さから親の不安が伺えることがある。

(子供の虐待)                 

@     親の要因

A     孤立・夫婦内の葛藤

B     子供の要因(手の掛かる子供)

育児不安尺度では、社会的孤立などの項目がある。

中野区の子供家庭支援センターでは、臨床心理士が手伝っている。

家庭教育アドバイザーは、情報収集し、理解を組織化する。

サポーターが親にかかわりやすい状況を作る。保育士に対し情報整理する。

 

全体シンポジウム「子育て支援と臨床心理士」

司会 馬場 禮子 (東亜大学大学院教授)

   滝口 俊子 (放送大学教授)

 

久保田 力 (浜松大学助教授)

子育て支援とは、親が子育てを支援するのであり、子育てそのものをするわけではないと考える。その意味で、甲南大学の院生の行っている託児はいつまで続けるのかと尋ねたい。

私が主催するプレイセンターでは、3年目で自分達で順番にやるよという話が出た。

子育て支援は、日常的な親同士のコラボレーションと考える。

2時間半のワークショップを10回受講後、子供を預けたり、預かったりしている。

ワークショップでは救命等起りうる事故の研修も含め行う。

私も診断だけではなく、親という立場で出ていく。

甲南大学も親がもっと開催してほしいというだけでなく、自分たちでやるにはどうしたらよいかを研修してはどうだろうか。

松尾 恒子 (甲南大学教授)

昨年の6月からうりぼうくらぶをはじめている。

1〜2歳児の親がプログラムに参加している。(3歳児以上は保育園に行く)

うりぼうくらぶは、託児所というだけでなく、院生の研修の場そのものとなっている。具体的には、カウンセリングやプレイセラピーの研修の場となっている。

親にも託児して貰って、親に勉強してもらったり、親のワーキンググループもある。

これから、子育て支援ネットワークと手をつないでいくことを考えている。

吉田 弘道 (専修大学教授)

親の代行では、親が育たない。基本は親育ちと応援、サポートすることである。

親育ちにつながるような支援が必要である。

青木 紀久代 (お茶の水女子大学助教授)

各家庭で、親が自分たちで子育てができる以外に、他の子供も見てあげられること。

母を楽にしてあげるという点からも、少し子供を預かるのも支援である。

熱心な親ばかりでお互いに子供の面倒を見ており、親の援助のない子供は行き場がない。

 

フロアからの質問(カワイ)

甲南大学の松尾先生に、0歳児の親は世代が同じだけに専門家がいると親の依存心が強くなり、自発性を損なうのではないか、託児をするより、プレイセンターを強化する方がいいのではないか。

松尾先生

院生が託児をしていても、保護者が依存心を強くするということは見られない。

馬場司会

保育士さんに丸投げしている親、プレイセンターにもこない親、1人で困っている親をどうすればいいかとおもいますか、久保田先生?

久保田先生

土日に10回のワークショップの講演があるが、自分は3回位講師で、後は保護者自身が講師をしているといった自発的な会に育ってはいる。

馬場先生のいうような親は、そういう状態の子供をアウトリーチすることが大切であろう。

吉田先生、アンケートをしたそうですが、よいアウトリーチの仕方はないですか?

吉田先生

困った子供がいないか、いきなり家庭訪問するようなアウトリーチの仕方はしないが、保健所の親子学級や検診の機会を利用し相談にもっていっている。検

診には殆どの親がくるので有効である。保健所の検診を通じて精神科医、小児科医、看護婦、臨床心理士と組んで、子・親のサポートにつなげる。不安を抱えた人に対応していきたい。

フロアからの質問(大阪大学大学院倉光修)

吉田先生に、アタッチメントのタイプごとのこの人にはこうしたらという処方箋のようなものはありませんか?アプローチの仕方のようなものは?

吉田先生

例えば、タイプCの親は、子供が泣いていると下におろし、また抱く、泣いているからおろすと繰り返す。そういうタイプCの親にはおろおろしていても抱き続ければ泣きやむことがあることを教える。タイプCのような母は、不安にかられおろおろしがちだが、子供との遊び方、おもちゃの紹介で母が安定してくる。

チェックリストで不安の高い母とかとスクリーニングすることもある。

フロアからの質問(東京家政学院大学吉川)

10年前より、プレイルームを開設している。共に育ちあう関係体験を持つことを重視している。グループは完全に親に任せると、役割の固定化が起りがちになる。(役を任されてばかりの人、任してばかりの人)

グループの発達段階に合わせて臨床心理士も関与して、重要な第三者になる。多様性と変化を学ぶことが心理援助の基本と考える。

ところで、乳幼児検診にも3%位の人は来ていませんが、そういう人のスクリーニングはできませんが、家庭教育アドバイザーの電話相談で、相談の網にひっかかることもある。

院生のための託児というと、研究材料にされているみたいという感じを受けたりしないか。

親相談は、個別的になってしまうのではないか。

久保田先生

集団への介入をするようにしている。言い出しっぺは私だが、日本版あずかりっこは自発的な動きが出ている。小麦粉を使った粘土遊びとか色々している。

吉田先生

3%位の検診漏れもあるでしょうが、検診の時に言ってもこない人もいる。そういう人には電話相談やインターネット相談も良いことだと思う。

松尾先生

保護者は院生の託児を実習のための実験材料とは思っていないでしょう。院生が楽しく遊びながら託児しているが、クレームが出たことはない。ボランティア的であり、遊びの中から学べている。集団も次第に積極的になっている。

フロアからの質問(岩田)

2歳の息子を持つ母です。北海道から来ました。北海道は冬は集まれないけど、何とか自分でサークルを立ち上げたいと考えている。そのツボや課題などを久保田先生にアドバイスしていただきたい。

久保田先生

日本はやってもらう文化である。誰かがやってくれると考えるのをどうするか。

言い出しっぺは、輪になって自分が話すのは、4割くらいがいいと思う。

結構、話が盛り上がるのは、今だから笑えるやってしまった事故を順番に紹介することである。

フロアからの質問(東京臨床心理士会田嶋)

言い出しっぺがいなくなると、終了するサークルも珍しくないという。

文京区は、転勤の多い親が孤立しやすい地域である。親が集まるコミュニティがなくなっている。123吉祥寺というグループができている。

専門家が立ち上げた親のグループでも、いかに親に対し権利を渡していくか?そしてどのようにネットワークを組んでいくか?

カナダの研究で育児支援者のプログラムといったものがある。

久保田先生

色々な場・グループがあって良いと思う。

親子のニーズというとき、親のニーズではないのかと思うことはよくある。

ニュージーランドでは、プレイセンターでも保育所でもどこに子供を預けても国から出る補助金は一定である。

フロアからの質問(国士舘大学近藤)

専門家の立場でしかなかった臨床心理士が、母と同じ立場で行うことができるようになるには?

吉田先生

グループに上下はなく、グループで学んだり、一緒にやっていくことではないか。

馬場司会

まとめ

@     色々な形態があってよい。全て子育てと考え、多領域で関わる人も様々である。地域の援助と考えられる。グループの中では、専門風をふかせず、静かに仲間にはいっていても専門家の視点(アセスメント・関わり方・感受性)を失わないこと。

A     色々な行政で色々な主催者のつなぎ役となることも大切、ネットワーク作りも大切である。これから出発点として積み重ねていくことを期待したい。

特別ご挨拶

日本臨床心理士会会長 文化庁長官 河合 隼雄

文化庁長官を任されたが、文部科学省からは、日本臨床心理士会の会長の活動も続けてやってもらってよいと言われているので、多忙で会の用事ができないと心配している人に報告しておきたい。

土・日は、幾つかの都道府県臨床心理士会の10周年記念会に呼ばれているが、全部出席する予定である。しかし、土・日に1回だけ天皇陛下の展覧会に同行しなければならないので、その日に重なった場合は勘弁していただきたい。

子育ての問題は深刻になってきた。

核家族化が急激に進み、祖父母との結びつきが少なくなり、母子だけが残された。

こうなると、親の眼を盗んで子供が上手に悪いこともできない。私も親の眼を盗んで悪さをしたが、いつも親の眼で監視されているのでは子供もたまらないであろう。子供が親の眼を盗んでする事の中には、成長を含むものもある。

子育ての問題が深刻になってきたとは言っても、専門家が力がはいりすぎて、家庭訪問して問題はありませんかと聞くようにアウトリーチが過ぎたり、統計ばかりに走りすぎても良くないと考える。色んなことを知っていても、どの程度言えば良いかを考えて話すことも大切である。

三つ子の魂百までもといっても、3歳までうんと良く育てればそれでOKというわけでもない。

 専門家は子供が育つのを手助けする。

 関係機関や保護者等色々な人との関係も大切、子供を放っておいて喧嘩しないように見守ったりすることもいいだろう。

 上手に育てればと考えるが、子供は思い通りにいかないのが当たり前と思うようにしてはどうだろうか。

 子育ては苦楽しい(くるたのしい)と思う。苦楽しいという言葉は、故遠藤周作さんとの対談で、小説を書くことについて、苦楽しいと表現されたのである。「小説書くのは、楽しいでしょ?」と言われると、「いやいや苦しいですよ。」と答えたくなるし、「小説書くのは苦しいでしょう?」と言われると「いやいや楽しいですよ。」と答えたくなる。

 考えてみれば、人生は苦楽しいとも言える。そう考えれば、腹も立たなくなってくる。

 今の仕事の文化庁長官も苦楽しいと言えるかもしれない。

 皆さんに期待するのは、知識を切り売りするだけでなく、人間関係の中で活きてくるようにして頂きたいということである。

大塚義孝専務理事挨拶

今日は、1100人の出席でした。兵庫県臨床心理士会のご尽力に感謝したい。

兵庫県臨床心理士会会長挨拶

今日は、樋口先生の薫り高い基調講演とそれを受けてのシンポジウムで皆さんのご協力を得て成功裡に終わり、ここに謝辞の意を述べます。