河合隼雄先生を偲ぶ会


平成19年9月30日16時30分〜19:30分:東京国際フォーラムB7/B5
日本心理臨床学会:鶴光代
日本臨床心理士認定協会:大塚義孝
日本臨床心理士会:乾吉佑
指定大学院連絡協議会:樋口和彦
司会:村瀬嘉代子・岡田康伸


今回メモも取っていないので、概略(断片的ですが)を記載します。


準備の間、河合先生のフルートのCDが流される。


大塚先生の京都での偲ぶ会の話(天皇陛下から香典が来たという話など)と黙祷の後にシンポジウム開始。
乾先生が、パワーポイントを使って、「そして、これから」の展望を述べました。学会システムから職能団体システムへの構造変革とのことです。国家資格化、開業における基準とか、臨床心理士の雇用促進・職域開拓、トラブル対応、一部の低年収者がいないようにするなどの展望を話していました。
大塚先生は、資格発足当時の話がありました。資格取得者が一人もいないとき、どのようにしたか?東大の故佐治先生たち(有識者12名?)が、書類審査でまず1号成瀬先生、2号河合先生と選ぶという手続きにしたとのこと。この1号・2号にも逸話があり、大塚先生が成瀬先生が年長だし、河合先生は2号でなくてはと主張して、わかったということになった。成瀬先生が存命で河合先生の方が先に亡くなっている今では逆でも良かったとのこと。3号は後でということで欠番にして、4号は死と読めて縁起が悪いので欠番にしたとなんだか笑ってしまう裏話。会頭は権威のある木田文部事務次官に頼んだとのこと。会頭のネーミングは河合先生の考えで木田会頭も喜んで引き受けたとのこと。会頭は英語ではプレジデントと訳すらしい。
樋口先生は、臨床心理の黎明期に出会った頃のことや、ユング研究所の資格認定のときに面接官と議論をした逸話やフルートの話で河合先生がプロに近くなってきたので、それまで黙っていた指の押さえ方について指摘したという話でした。
鶴先生は、若かりし頃のことや河合先生のお茶目のところ、相談することで苦しいことが乗り切れたことなど自分との関わりを中心の話でした。
司会の岡田先生は、河合先生は試験に落ちたことが全くない人だが、自動車教習のとき救急車の音が聞こえなかったと言って落とされたことが唯一あるという話をされていた。まさしく試験を容易にパスしてしまう達人であったらしい。村瀬先生が河合先生の話をして終了(締めに村瀬先生の話を持ってきて正解の感じ)。
5階には河合先生の業績がパネル展示されていました。