河合隼雄氏死去ニュース (79歳 臨床心理学の第一人者 元文化庁長官)

 臨床心理学の第一人者で京都大名誉教授、元文化庁長官の河合隼雄(かわい・はやお)氏が2007年7月19日午後2時27分、脳梗塞(こうそく)のため奈良県天理市の天理よろづ相談所病院で死去した。

河合さんが入院していた天理市の天理よろづ相談所病院では7月19日夜、主治医の末長敏彦・神経内科部長が会見した。説明によると、河合さんは2006年8月の入院後、意識はほとんど戻らず、自発呼吸もできない状態だった。それでも、家族の問いかけに目を動かして反応するなど病状が比較的落ち着いたため、2007年5月15日に集中治療室から個室に移った。しかし、6月半ばごろから肺炎を繰り返し、抗生剤の投与を受けていた。7月19日は未明から40度近い高熱で容体が悪化。最期は妻や長男、三男に手を握られ、兄にも見守られて、穏やかな表情で静かに息を引き取ったという。

奈良市西大寺新田町の河合さんの自宅近くの住民は、突然の訃報に驚いていた。約40年来の付き合いという隣人で主婦の梶千春さん(68)は「とても穏やかで気さくな人だった。昨年8月に倒れてから、復帰をずっと祈っていた。非常に残念」と目を潤ませた。

 桐蔭横浜大教授の次男幹雄さん(47)は自宅前で「覚悟はしていた。一言では語れない。やさしい面と怖い面を両方持つ父だった」と語った。妻嘉代子さん(77)は「11カ月よく頑張ってくれた。最後はありがとうと伝えた。最高のだんな様でした」と語った。

9歳。兵庫県出身。自宅は奈良市西大寺新田町七の九。葬儀は密葬とし、後日お別れの会をする予定。昨年八月に倒れ入院、意識が戻らないままだった。7月19日未明から40度近い高熱となり症状が悪化。高松塚古墳の国宝壁画の損傷問題で明日香村を訪れてからほぼ1年。石室解体が無事終幕にさしかかったのを確かめたかのような最期だった。しかし念願していた、カウンセラーの国家資格法案の成立は見届けられなかった。

1928年、兵庫県篠山市生まれ。京都大理学部数学科卒業後、子供の問題行動に関心を持ち、教師を務めるかたわら京大大学院で臨床心理学を修めた。米カリフォルニア大で心理学を学んだ後、1962〜65年に分析心理学を創始したスイスのチューリッヒのユング研究所に留学し、1940年日本人で初めてユング派分析家の資格を取得した。帰国後、日本にユング派心理療法を紹介し、確立した。ユング心理学を基礎にした「箱庭療法」を実践・普及させた。

臨床心理学者としての業績に加え、従来の学問の枠にとらわれない幅広い視野に基づく研究や軽妙な話術で知られた。

 被災者の心のケア、少年事件や教育に関してもしばしば発言。神戸の連続児童殺傷事件後に兵庫県教委などが設置した「心の教育緊急会議」で座長を務めた。

1975年から京大教育学部教授

1990年から国際日本文化研究センター教授を務め、1995年から2001年は同センター所長に就任。同所長時代を知る県立図書情報館長の千田稔・日文研教授は「権力を振り回さないが人を引き付けてやまない、たぐいまれなリーダーだった。中心が圧倒的力を持たずに様々なものが均衡するという、自身の『中空構造』論を実践していた」と振り返る。

現代人の悩みを扱った著作は特に人気が高く、1992年に出した「こころの処方箋」はベストセラーとなった。

阪神・淡路大震災直後の1995年4月から10月まで、兵庫県教委の防災教育検討委員会の委員長を務め、心のケアなどを盛り込んだ全国初の体系的な防災教育を提言。兵庫県内の中学生が取り組む就業体験「トライやる・ウィーク」の誕生にも携わった。

心の病を抱えた人たちの声に耳を傾ける一方、文学や宗教、教育などの分野で積極的に発言し、2000年に文化功労者に選ばれた。

小泉首相(当時)に請われ、2002年1月から民間人として3人目の文化庁長官に就任し、京都に文化庁の分室を設けるなどして関西文化の発信を積極的に後押しする一方、ユーモアあふれる講演会で文化庁の知名度アップに貢献した。

関西出身らしい施策で、東京一極集中を改め関西元気文化圏づくりを提唱し、文楽や上方歌舞伎を積極的に支援した。「日本の歌百選」「お雑煮百選」なども発案した。

 2006年4月に発覚した高松塚壁画の損傷問題では、最高責任者として矢面に立たされた。同年6月、奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画の損傷を未公表のまま修復していた問題などで責任をとり、給与の一部を自主返納した。

 関係者によると、「『こっち(文化庁)が悪い。明日香村が怒って当たり前』と話していた。早く明日香村を訪ねたい意向だったが、官僚機構の中で思い通りにいかなかったようだ」という。 訪問実現は同年8月9日だった。盗掘口から壁画を見て「すごい。守らなければいかんな」と保存の決意を見せていたという。墳丘を案内した奈良文化財研究所の松村恵司室長は「カビの進行を抑える冷却方法などを説明した。冗談を言って周りを和ませる方だった」。 この訪問で、関義清村長ら村代表に損傷問題を謝罪し、壁画修理のための石室解体に協力を要請。直後の8月17日に自宅で就寝中に脳梗塞を起こして入院・手術し、意識が戻らないまま療養を続けていた。 その後同年1031休職となり、2007年1月、任期満了で退職した。ついに復帰はならず、2007年の6月末に床石をのぞく石材が無事石室から取り出されたというニュースを聞くことはかなわなかった。

文化庁の高松塚古墳壁画損傷事故調査委員会の委員を務めた河上邦彦・神戸山手大教授は「石室解体にめどが付くまでは、長官としての職責を全うしようという決意を感じた。意識があれば、全壁画の搬出終了を聞いて喜ばれたと思う。その時点まで頑張っておられたのか、終了とほぼ同時に亡くなられたと思うと巡り合わせのようなものを感じる」と話した。

昨年8月、河合元長官が明日香村を公式訪問した際、村民代表として懇談会に出席した飛鳥古京顕彰会の上田俊和さん(67)は「文化庁とは、高松塚の壁画劣化問題を巡って確執もあったが、河合さんと話し合う機会を得て気持ちの整理が付いた。同じ県民だから、回復されたら明日香や高松塚にも足を運んでもらえると期待していたのに残念です」と話していた。

神話や民話などの分析から、日本の社会や文化、日本人の精神構造などを分かりやすく解説。少年事件や学級崩壊など教育や子どもを取り巻く問題など、幅広い分野での評論、提言などでも活躍した。故・小渕恵三首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会の座長や、教育改革国民会議委員も務めた。

 また日本心理臨床学会理事長として臨床心理士の資格を整備し、スクールカウンセラーの派遣を行うなど「心のケア」のための環境づくりに尽力した。

国際日本文化研究センター千田教授は「河合氏は、カウンセラーの国家資格として「臨床心理士」と「医療心理師」を設ける法案の成立も念願していた。文化庁長官を引き受けたのは、小泉首相らにその重要性を説くことができるのでは、という思いもあっただろう」と話す。 しかし、05年7月にまとまった法案は、翌8月の衆院解散のあおりで棚上げになったままだ。「大変残念がっていた。これも大きなショックだったに違いない」。千田教授は振り返った。

京都大で教えを受けた森岡正芳・奈良女子大学教授は「講義はいつも立ち見で大変な盛況だった。何を話し、何を伝えるか、相手に合わせてきちんと判断されていた。指導は厳しかったが駄洒落好きでユーモア豊か。一方で国際文化と日本文化を高いレベルで結びつけ、背景にある心の問題にも深く取り組まれた」と生前の功績をしのんだ。 河合氏は日本臨床心理士会長を務め、臨床心理士の国家資格制度の創設に奔走、森岡教授は「後進がしっかり引き継がないといけないだろう」と話した。

1982年に「昔話と日本人の心」で大佛次郎賞

1988年に「明恵 夢を生きる」で新潮学芸賞を受賞。

・哲学者の梅原猛さんの話 河合さんが京大教授をしていた時から付き合いがあった。河合さんには『明恵夢を生きる』という鎌倉時代の高僧明恵が見た夢を心理学的に分析した作品があり、私が河合さんに「明恵を研究してみたら」と雑談で話したことが研究のきっかけだったことを後で知った。西洋の思想を紹介するだけではなく、仏教といった土着な土台を使って思想を展開する日本の学者としてはユニークな人だった。

日本の神話や現代社会を題材とした研究で注目を集めた。

1995年 平成7年紫綬褒章

1998年には心理学での画期的研究と臨床実践、日本文化論での独創的実績が評価され、朝日賞を受賞した。

朝日賞授賞講演

著書は、日本と西欧の昔話を比較し、父性原理が支配する西欧と母性原理が支配する日本の違いを分析した「昔話と日本人の心」をはじめ、「無意識の構造」「中空構造日本の深層」「母性社会日本の病理」「生と死の接点」など多数。ユング「人間と象徴」など訳書も多い。

兄は元日本モンキーセンター所長を務めたニホンザル研究で知られる霊長類学者河合雅雄京都大名誉教授。

<趣味>趣味は還暦を前に始めたフルート演奏で腕前にも定評があった。

フルート奏者水越典子さんの話 河合先生は58歳でフルートを始められ、月に2回レッスンを受けに来られていた。フルートを吹いている時は、文化庁でお会いする時とは別人のようで、初々しい感じすらした。倒れる1週間前にもレッスンに来られたが、元気そうだった。今でも、最後にお会いした時の、楽しそうな顔しか浮かばない。いつも上達、変化を追い求められ、年齢を感じさせない方だった。

日本ウソツキクラブ会長を自称する希代のユーモリストであり、多彩な人として知られた。

河合隼雄先生を偲ぶ会(2007.9.30)

河合隼雄財団 (2012年5月2日)設立