KANの冒険
Quest4:いざ鎌倉!
3月某日。旅を思い付く。久しく旅もしてないから、どこか行ってみようと思ったのだ。候補はいろいろあるのだが……結局鎌倉にしようと決めた。
上○の旅を購入し、行き先を決める。鶴岡八幡宮は決定。長谷寺もいいし、大仏も観に行こう。そして……鎌倉へ行くならば、もちろんあそこにも行かねばなるまい。
今回は特に行き先を出せとも言われず、旅行に行くという事実だけを報告した。
出発当日。3月11日。
先日が日曜だったため、バイクで出勤していた俺は、仕事が終わると家に帰らず、バイクを職場の駐輪場に置いたまま、駅へと向かった。荷物はすでに用意しておいたし、駅までは職場の先輩が送ってくれた。タクシー代が浮いたのでありがたかった。ありがとう、先輩。
新幹線に乗り、東京へ。今回はのぞみではなく、ひかり。時間のタイミングが合わなかったためだ。のぞみを待ってもメリットがなかったし。
大抵、新幹線の中では眠っているのだが、今回は起きていた。そのおかげで、初めて富士山を拝む。雲がかかっていたせいで、頂上の冠雪した部分しか見えなかったのが残念だったけども。
東京へ着。そこから新宿へ。何故か新宿……ま、いいか。何度か利用しているホテルを利用したかったのだが、残念ながら前日に予約を入れると満室だったので、近場にある別のホテルを取る。値段的には少しだけ高かったが、一泊1万円以下なら安いもんだ。
この日は特に予定はなかったので、適当に新宿をうろついた。岡山で見つからなかったモノを探してみたが、残念ならが発掘できず。まぁ、いいか。
結構遅くなるまでふらついていたため、辺りは暗い。とは言え街の灯りは絶えることがないので問題はないけども。駅方面から歩いてホテルへ戻る。その途中、気まぐれに花園神社を通り抜けることにした。いや、近道だったから。
まぁ、それはよかったんだけども……歩いていると人影が二つ。こんな時間に参拝客かと疑問に思いつつそちらを見ていると、影が一つになった。
「……なんだ、カップルか」
いくら暗くて人気がないからって、それはないだろうにと視線を逸らすが、そちらにも同じ物体が(笑)……結局、5組ばかり確認する。何だ、夜の花園神社はこーゆーとこなのか……?
何とも気まずかったので、足早にホテルに戻って寝てしまいましたとさ。
翌日3月12日。
今回の旅のメイン、鎌倉行き。6時過ぎには起き出して、準備をする。といっても荷物を整理するだけだが。フロントに鍵を預け、まずは東京駅へ。そこから乗り継ぎで鎌倉へと向かった。この間、特に記す事はない。ラッシュに巻き込まれなかった、ってことくらいだ。
駅を出ると左手に赤い鳥居。商店街――小町通りの入り口だ。早朝なのでどの店も準備中。まぁ、買い物をするわけでもなし、ということで歩いて目的地へ向かう。途中、制服を着た中学生らしいグループ数組を見かける。多分、自由研究とかそのテのだろう。
最初の目的地は鶴岡八幡宮。真正面には大きな石の鳥居。三ノ鳥居というらしい。駅からだと、若宮大路を通れば二ノ鳥居も見られたのだが、まぁ、鳥居ばかり見ても仕方ない。
そこをくぐると左右に池がある。源平池とかいう名だったか。本宮に向かって右手が源氏池、左手が平家池。夏には紅白の蓮の花が咲くそうだ。この色は源氏、平氏の旗印にちなんでいるらしい。つまり、源氏が白旗で、平氏が赤旗。こういう風にしたのは、かの北条政子だそうな。
そのまま進むと左右に伸びる長い道が交差する。ここは馬場らしく、鶴岡八幡宮例大祭の時には流鏑馬神事に使われるそうな。実は、数年前に鎌倉を訪れた事があったのだが、雨が降って一日出発を延ばし、その日のニュースで例大祭の日だった事を知り、悔しがったという間抜けなエピソードがある(笑)見たかったんだよなぁ、流鏑馬。
更に進むと正面に舞殿がある。現在の建物は関東大震災の後に再建されたものとか。静御前が源義経を慕う舞を披露し、頼朝を激怒させたという逸話が残るのはこの辺りだそうだ。当時舞殿があったかどうかは知らないが。
今でも鎌倉まつりの時には、この舞台で舞が行われるとか。見てみたいものだ。
舞殿の先に本宮へ登る石階段。だが、階段よりも先に目につく物がある。注連縄が巻かれてある大きな銀杏の木だ。樹齢千年を超えると言われているそれは「隠れ銀杏」と名付けられている。由来は鎌倉時代に遡る。三代将軍源実朝が、ここで暗殺されたそうだ。犯人は実朝の甥の公暁。その公暁が、身を潜めていたのがその大銀杏だったそうである。これだけ大きな木なら、人が身を潜めるくらい、簡単だ。当時は今よりも小さかったのだろうけども。
本宮に参拝し、宝物殿へ。100円で観覧可能。まず手前に古めかしい神輿が幾つか置いてあった。そちらには特に興味がないので先へと進む。
次に目に映ったのは屏風。源平合戦の様子を描いた物だ。屋島の合戦を中心にしたもの、とある。誰が誰かはよく分からないが、一人だけ禿頭に鉢巻の武者。ひょっとして、これが弁慶だろうか?他には那須与一が扇を射抜く場面、それに弓流しの場面もあった。ただ一つ気になったのは、武者の何人かが母衣を背負っていた事か。母衣衆って、確か戦国時代くらいからではなかっただろうか?屏風が描かれたのが江戸時代のようだから、そういう事(間違い)もあるかも知れない。もちろん俺の記憶違いの可能性もあるが……いや、そっちの方が確率高いな、きっと。
他にも大鎧や掛け軸等があったが、一番目を引いたのは、その屏風だった。
鶴岡八幡宮を後にして、次なる目的地、建長寺へと向かう。もちろん歩きでだ。大体、20分くらいでたどり着いたと思う。
この寺は、日本史の教科書にも名前が出てくる高僧、蘭渓道隆を迎えて創建された寺である。確か、臨済宗だったか……?とにかく300円払って中へ入る。
ここは、仏殿等の建物よりも、三門(三解脱門)の方が目に付いた。この門は1775年に再建されたもののようだが、何でもその際に、狸が僧侶に化けて手伝ったという伝説があり、「狸の三門」とも呼ばれているそうな。
さすが北条氏ゆかりの寺だけあって、至る所にあの三角形を重ね合わせたような家紋があった。
境内を先へ先へと進み、今度は半僧坊へと向かう。これも建長寺の境内にあるのだが、少し距離があった。そんな事は気にしないのですたすた歩いて行く。ただ、途中で何故か「遺跡」の文字が入った案内板に目がくらみ、寄り道した挙げ句に山道を強行軍。正面からではなく、裏から入った形になった。その遺跡も、期待していたようなものではなく、河村瑞賢とやらの墓のようなものだった。名前は……どこかで聞いたかも知れない。
それはともかく半僧坊。ここに祀られているのは半僧坊大権現。ぶっちゃけて言うと、天狗である。1980年に、5代前の住職が白髪の老人に言われてはるばる静岡の方広寺とやらから勧請したのが縁起だとか。何でも「私を関東のどっかキレイなトコに祀ったらいいことあるぞ」みたいな事を言ったそうだ(ここまでくだけた言い方ではないだろうが……)ともかく参拝し、ついでに絵馬を書く。絵馬なんて初めて書いたが……マジックが太すぎて字が潰れた(汗)筆ペンかサインペンくらい置いといてほしかったな。
他の特徴は計11体の天狗像だろうか。確か、全部が烏天狗っぽい造作だった。ただ、殆どが錫杖というか金剛杖を持っていたのに、一体だけが剣(不動明王が持っているようなやつ)を持っていたのが珍しかった。
本来の参道を通って引き返し、今度は円覚寺へと向かう。
円覚寺は鎌倉幕府8代執権、北条時宗が無学祖元を招いて建立した寺とか。ここも建長寺と同じく臨済宗。ただ、派は別だけども。
ここでは200円払って中へ。まず目を引くのは山門だ。建長寺の三門もそうだが、この山門も立派なものだった。他にも多くの建造物があるのだが、さすがに一つ一つ見ていては時間が足りない。とりあえず、仏日庵だけは参拝した。北条時宗公の廟所である。線香代100円払って手を合わせる。
いい加減疲れてきたので、一休みする事にした。境内にある弁天堂へと向かう。石段を登ったそこは、高台になっており、景色もいい。国宝に指定されている洪鐘(おおがね)とやらも見て、茶屋であべかわ餅を注文し、一服。ここからは眼下に東慶寺が臨める。ここは確か縁切り寺とか駆け込み寺とか呼ばれていた所だったはずだ。
そんな景色を堪能しつつ、茶を啜っていると、視界にちょこちょこ動く物がいる
リスである。それも5匹も。毛色は灰色っぽい。縞模様でクルミを持ってカリカリやってるイメージのあるあのリスとはちと違う。後で知ったが、台湾リスとかいうヤツらしい。元々は江ノ島で飼われていたのが脱走し、鎌倉で繁殖したそうだ。むぅ、たくましい連中よ。
しかも、どうにも人を恐れる様子はない。こちらへとちょこちょこ近付いてきたりする。うむ、愛らしいななどと思っていた所で茶屋のおばちゃんがそれを追い払った。
「気をつけてくださいね。食べ物、持って行かれますよ」
「リスが……あべかわ餅を?」
そう言えば、来た直後に砂糖の入ったスティックを先に来ていた客から強奪していったヤツがいたな……。
「ええ。来たらこれで追い払ってくださいな」
といって渡されたのはハエ叩きだった……。
KANはハエ叩きを装備した!攻撃力が上がった!……なーんて……いくら何でもハエ叩きはないだろうよ、リス相手に……。
その様子を見ていた観光客(外人が多かった)も笑っていたな。いや、俺を笑った訳じゃないだろうけど。とにかく餅とお茶を平らげて、茶屋を後にする。下へ降りようと思った所で背後から笑い声。見ると、俺が食った後の皿にリスが群がっていた。
ふっ……勝った!(何がだ)
一旦そこから鎌倉駅へ戻る。今度は電車だ。北鎌倉駅は円覚寺の目と鼻の先だったし。鎌倉駅で下車、そこからまた歩いて、今度は寿福寺へと向かった。
この寺は源頼朝が没した1年後の1200年に、北条政子が栄西を迎えて創建した寺だ。仏殿は非公開ということで、少々物足りなかったが、ここは参道が綺麗だ。まっすぐ延びた石畳の参道に、両脇の緑が映えている。天気がよければ木漏れ日の加減でもっと綺麗だったのかも知れないが、生憎とここを訪れた時は日が陰っていた。それでも、静謐さを讃えた参道は、歩いていて清々しかった。
さて、北条政子に縁があるという事で、ここには政子の墓もある。それと源実朝の墓もだ。三方を山に囲まれ――という鎌倉の地形のせいなのか、この地にはやぐら、石窟状の墓が多い。中世鎌倉特有の遺構だとか。確かに自然の多い所などを歩いていても、意味不明な穴ぼこが多かった。円覚寺内にもそれらしいのがあったっけ。
墓参りも終わり。今度は山道を行く。いや、これは俺の癖というか……アスファルトよりも土の上を歩く方がいいというか。ハイキングコースらしい道を歩き、次なる目的地、銭洗弁天へと到着。銭洗の名の通り、ここの境内の洞窟に湧く霊水でお金を洗うと、何倍にもなって返ってくると言われている。ここも源頼朝に縁がある。巳年(1185年)の巳月巳日、巳の刻(いつだよ、オイ)に宇賀福神とやらが夢枕に立ち「この地に湧く水で神仏を供養せよ」と告げたそうだ。なんか、お告げとかそのテの理由が多いような気が……。
ともかく、せっかく来たので俺も銭を洗う事にする。洞窟内は同じく銭を洗う人で賑わっていた。財布の小銭に500円があったので、それを洗う。さて、いくらになって返ってくるやら。
銭洗弁天から今度は佐助稲荷へと向かう。ここもやはり源氏ゆかりの地。というか、頼朝に、か。頼朝が伊豆に流されていた頃、隠れ里の稲荷と称する老人が夢枕に立ち、挙兵を勧めたとか。そして幕府を開いた後、この地に稲荷の社を建立、と。てーことは何か?夢を見なけりゃ頼朝は伊豆で平凡な生涯を送っていたのだろうか。ていうか夢とかお告げとか……頼朝、お前一体何モンだ?
それはともかく。赤い鳥居が幾重にも連なり、両脇には狐だか犬だか分からない石像も並び、周囲は木々が生い茂る、と隠れ里っぽい雰囲気はある。そこらの木で台湾リスが戯れたり鳴いたりしているが、それはそれだ。リスの鳴き声なんて知らなかったから、狐か何かを繋いでるのかと思ってしまった俺。
参拝を済ませて、再び山登り。ここからハイキングコースに入れるのだ。歩いていけば、高徳院の近くまで出る事ができるという優れもの。次の目的地は高徳院だ。起伏はそう厳しくなく、ちょうどよい日加減だったので、汗かきまくりということもなく、無事にハイキングコースを歩ききる。そして高徳院へ――ここは浄土宗のお寺。目的はもちろん鎌倉の大仏である。
が。みょーに観光客が多い。おかげで入るのに手間取りそうだ。このまま待っているのもなぁ、等と思いながら、ふと最後による予定だった場所が浮かんでくる。
「行くか……?いや、しかし楽しみは最後に取っておきたいし……でもこんな状態じゃ、埒が明かないし……」
考えること○秒――
「ふはははは!大仏なんぞ後回しじゃあぁぁぁっ!」
即決!(爆)
高徳院前を通り過ぎ、俺はすぐ側にある土産物屋の前に立った。富士山の絵が描かれた看板。店の名前はそうっ!あの「山海堂商店」っ!
あぁ、思えば初めてここを訪れたのは今から……2年くらい前だったろうか。鎌倉の大仏さんのすぐ側に武器屋があるという情報を聞き、はるばる岡山からやって来たのだ。いや、このためにだけじゃなかったんだけど……。それからまた1回、さらに今回で直接やってきたのは3回目になる。
久しぶりのお店〜♪などとうかれつつ、店内へ入るとそこは別世界だ。土産物屋にもかかわらず、店内には西洋武器が所狭しと並ぶ。剣に始まりアックス、メイス類。ポールウェポン、ナイフ類等々……。それだけでなく、刀の類ももちろんある(模造だけどね)ファンタジーRPGの世界における武器屋ってのはこんな感じなんだろうなー。あぁ、何度来てもよいっ!
早速店の社長さんとお話。最近入った新製品とか、品の売れ行きなどを聞く。武器の説明などもしてくれ、とっても親切な社長さん。そいや、初めてここへ来た時にはエクスカリバー(鞘付)を買って帰ったんだったな。あの抜刀する時の鞘走りの音が何とも言えないんだな〜。他にも直接買ったのや、通販で買ったのなど含めて、今までに4振りここで購入している。エクスカリバー、バーバリアンソード(映画「コナン」シリーズに出てたヤツのレプリカ)、グラディウス(映画「グラディエーター」で有名だよね)、コーカサス・サーベル。
店内を見回すと色々増えてる。斬馬刀もあるし〜(るろ剣のアレじゃないぞ)ケイオスソードの鞘付もあるな〜。目移りしてしまうが、今回は目を付けていた物があるのだ。
木製大剣。樫の木製のグレートソードである。どんなのだ?と聞かれると……そうだな、皆さん「ベルセルク」はご存知だろうか。アレに出てくる主人公ガッツ。彼が鷹の団時代、百人斬りをやった時に持っていた剣、というのが一番近い。これが気になって気になって仕方がなかったのだ。在庫があるか問うと、あるとのお言葉。値段――28000?(※宿帳の方で32000と書いたかも知れないけど、こっちが正解)よし、買ったっ!
というわけで買ってしまいましたよ。さすがに持って帰るのは骨なので配達してもらうことに。岡山へ帰った日の晩に届くようにしてもらう。がんばれ、ク○ネコヤマト。ちなみに品名は「土産物」で(笑)前回は「壁掛け」だったっけなぁ。
他にももう一振り別のを購入し、しばらくお話。店においてあるノートに記念の記帳をしたり。サイトへのリンクをお願いしたり。武器を買っていくカップルを観察したり。あっという間に時間は過ぎ1時間以上も店で話し込んでしまった。
楽しい一時をありがとう、山海堂商店。また来るぞ、絶対にっ!
さて、目的は果たしたし、帰るか――じゃないっ!まだあと2か所、見る予定の場所があるのだ。こういう思考になるから、山海堂は最後にしようと思っていたのだが……悪いのは高徳院の観光客だ、うん(爆)
ともかく高徳院へ。今度はいい加減客がはけたのか、すんなりと中へ入れた。とは言え、私的には見るべきは大仏しかないのだが。境内の奥には庭園があったり、他にも与謝野晶子の歌碑があったりもするそうだが、大仏だけでいいや。
昔は大仏殿もあったそうだが、500年以上前の地震による津波で倒壊。今となっては剥き出しの大仏が鎮座するのみ。材質は……銅だろうな。材質の成分は当時流通していた宋銭に近いらしい。銭を潰して造ったのだろうか?かなりの量になると思われるが。しかしこの大仏。正面から見てると、居眠りしているように見えるのは気のせいだろうか?
さらにこの大仏、珍しいことに内部に入ることもできる。20円払う必要があるが、入った所で制作時の継ぎ目が見えるくらいだ(継ぎ目がはっきり残ってること自体は珍しいそうだが)
高徳院を離れ、最終目的地、長谷寺へと向かう。いい加減足が疲れてきたのでバスに乗った。
長谷寺も高徳院と同じく浄土宗。入ってすぐは庭園で、階段を使って高台に登ると観音堂などが並んでいる。
この観音堂には本尊である十一面観音像が安置されている。身の丈9.18メートル。日本最大級の、木造の観音像だ。
さて、長谷観音には伝説がある。721年に徳道上人という人が、一本の楠の木から2体の十一面観音像を作ったそうだ。一体は奈良の長谷寺に祀り、もう一体は衆生救済と縁ある地に迎えられることを願って海に流したとか。それが三浦の長井浜に流れ着き、更に鎌倉に移されて安置され、長谷寺が創建されたという。
それが今ここにある観音像なのかどうかは分からない。ただ、これを海に流したと考えると……いくら何でも罰当たりなんじゃなかろうか?木製とは言え、下手すりゃ海の藻屑と化していたかも知れないのに。海にぷかぷか浮かんでいる姿を想像すると、怖すぎる。
他にも「厄除け阿弥陀」として信仰を集める阿弥陀如来像が安置されている阿弥陀堂があったり(これも源頼朝が建立したのが始まりとか)興味深い経蔵があったりと、色々見て回り、最後に弁天堂へと入った。……花火屋じゃないぞ、念のため(笑)
ここは洞窟状になっており、中に入るとひんやりとした空気が肌を刺す。内部の壁には十六童子が刻まれており、独特の雰囲気を作り出していた。ちなみに十六童子というのは弁財天の眷属である……はずだ、多分。
経路は狭く、天井も低い所があったりと、何となく探検気分。ちなみにここにある弁天像は、弘法大師が彫り上げたとか。空海上人というと四国の方というか西日本での動きが活発だと思っていたが、こんな所までやって来ていたのだなぁ。
洞窟を出ると絵馬が掛かっている壁があった。日本語に混じって英語やら意味不明の文字やらが目立つ。こうして見ると、外人さんの絵馬には大抵「平和」とか「戦争」の単語が混じっている。英語は苦手な俺だが、世界平和を、とか、戦争がなくなりますように、みたいなのがほとんどだ。これって、どこの寺でも似たような傾向だな。
さて、これで鎌倉観光は終了。後は宿のある新宿に帰るのみ――っと、土産を物色しないとな。さて、何にするか。以前は東京土産に「ひよこ」を買って帰ったら一騒ぎあったし……。鎌倉土産か……どうせ、職場への土産である以上、食い物しか選択肢がないのだが……ま、鳩サブレでいいか。しかしひよこに鳩か……なんだかなぁ。
電車を乗り継いで無事新宿へと帰還。着いた頃には足がむちゃくちゃ筋肉痛。まぁ、あれだけ山の中やら歩き回ったから仕方ないんだけどさ。汗を流してベッドにバタン。いつの間にか眠っていたのであった。
翌日3月13日。
あとは岡山に帰って武器の到着を待つばかり――なのだが。ふと思い直して池袋へ寄ることにした。目的地は二つ。南池袋公園と東池袋中央公園だ。魔人の拾七話の舞台になるあそこである。
池袋駅で降りてひたすら歩く。最初は南池袋公園。時間帯も朝だったので人の気配はなく、閑散としていた。周囲には建物も多い。日が高くなればこの周辺も人でごった返すのだろう。公園内を適当に見て回り、次は決戦の地へ。
サンシャイン60のすぐ側に東池袋中央公園はある。高層ビルが多いせいか、ビル風が強い。さて、公園内。散歩にでも来たのか、何人かが腰掛けたり犬と戯れたりしていた。巣鴨プリズンがあった、といってもそういう雰囲気はなく、公園の隅にある石碑がその存在をにおわせるのみ。夜に人魂が出るとか言う噂はあるらしいが……。
しかし、火怒呂との決戦、ここでやったのか。ここだって、夕方になるとかなりの人が公園外を歩いているだろうに。あの男は結界を使うって感じじゃないしな。片っ端から憑かせて戦力にするのも可能か?まぁ、考えてみるか。
こうして俺は東京駅へ向かい、新幹線に乗って岡山へと帰った。家に帰る前に職場へ寄り、鳩サブレを渡して帰宅。
ああ、疲れた……と玄関を開けると、そこには例のブツが届いていた。まだ、予定時間よりかなり早いのだが。時間指定も守れぬとは……いい加減になったな、ク○ネコヤマト。
まぁ、それはそれ。早速荷を解いて大剣を振り回すおバカなKANがそこにはいましたとさ。
今回の装備。
頭:なし。
身体:服。
手:腕時計。
足:運動靴。
携行品
携帯電話
リュック:ゼンリンまっぷ東京23区、上撰の旅:東京、上撰の旅:鎌倉・湘南・三浦半島、着替え一式×二日分、携帯用充電器、MD用アダプタ、MD用充電器。
ポーチ:MDウォークマン、MD×3、予備電池(単三×4本)、ペンライト、十徳ナイフ、筆記用具、タオル。
旅費・買い物等総計:66,095円。(+41,000)
入手品(持ち帰ったもの):鳩サブレ(仕事場への土産)
(木製大剣)
(カトラス)