上野公園での戦闘は膠着状態と言ってもよかった。現時点では魔人達の出番はほとんど無い。陰の軍勢と戦っているのは裏密と御門の指揮下にある兵隊達だ。人的被害は全くない、理想的な状況ではあった。ただ、それが長続きしないことにも、魔人達は気づき始めていた。
「ふむ……これは、陣容を考え直した方がよさそうですね」
戦況を見ながら御門は扇子を鳴らした。
敵は鬼を主力にして、剣鬼と亡者、死霊が混じっている。これに対するのが裏密の竜牙兵と魔繰鎧、御門の式神である。総合的にはほぼ互角であるわけだが、あくまでそれは現時点での話だ。
「鬼が意外と手強いね。斃せないわけじゃないけど、効率が悪い」
前衛組の統括役である壬生は問題点をそう指摘した。
こちらの兵隊はそのどれもが、敵に有効な打撃を与えている。それ自体は問題ない。では何が問題なのかというと、耐久力の問題だ。剣鬼や亡者、死霊に関しては同程度だが、相手が鬼になると話が変わるのである。鬼一体を仕留めるのに、式神一体の攻撃力ではやや不足なのだ。複数で相手にしてようやくとどめを刺せるという状況。しかし鬼はほぼ一撃で式神を屠ってしまうのである。竜牙兵も数撃受ければ塵と化してしまう。例外は魔繰鎧だけで、こちらは少々の攻撃などものともせずに役目を果たしている。
もちろん式神も竜牙兵も補充可能であるが、数には限りがある。逆に柳生の軍勢はどこまでの数がいるのか予測がつかないのだ。
「鬼を中心に突貫されると厳しいですね」
「混戦になってきたからね。そろそろ僕らが直接手を下した方がよさそうだ」
守勢の数が確保できている内に、できるだけ多くの敵を斃した方が安全だと判断したのだろう。壬生は伺いをたてるように御門を見た。思案顔だった御門は頷いて、同じく傍にいた裏密に指示を出す。
「鎧は現状維持でいいでしょう。竜牙兵と式神は半分を後衛に回して、残りを前線の穴を埋める形で運用した方がよさそうですね。下手に前に出すと味方の攻撃の巻き添えを食らいかねません」
「そうね〜。迎撃はみんなに任せて〜、この子達は〜、支援に専念させましょ〜。どうやら〜、向こうも始めたみたいだし〜」
言って裏密は寛永寺の方角に目をやった。と、一瞬遅れて小さな爆音のようなものが聞こえてくる。あちらでも戦闘が始まったらしい。
「さて、こちらも負けてはいられませんね。壬生さん、覚悟はいいですか?」
「この場にいるということが、その答えだよ」
御門の問いにそう答えて、壬生は前線へと足を踏み出した。
「秘拳・鳳凰っ!」
一直線に炎が走る。視界を遮る煙を吹き散らし、その中にいた鬼や剣鬼を焼き払いながら霊獣は本堂の扉に衝突した。同時に炎が弾け、固い物が割れるような音が響き渡る。やはりというか当然というか、結界が張ってあったらしい。
柳生の気配は消えていない。位置は先程より少しずれている。そうさせる意図もあって、龍麻は秘拳を放ったのだ。ポーチに残っていた残りの珠を取り出すと《氣》を込めて、龍麻は走った。その両脇を二人の剣士が、突入組はその後についてくる。
再び正面――柳生の右脇で発動するように珠を投げる。激しい炎と爆音が生まれ、柳生の気配は更に自分達から右へと動いた。つまり、入り口の正面から退く形になった。煙を抜けて鬼達が出てくるが、それは京一と劉が応戦する。それらを二人に任せ、龍麻は煙の中に飛び込んで《氣》を練ると、その腕を横に振った。炎の帯が煙を薙ぎ払い、柳生に迫る。それを柳生は刀の一振りで斬り払った。それに合わせるように、今度は発剄を放つが、僅かに柳生の身体を退かせただけで終わる。
未だに柳生に反撃の気配はない。まるで、こちらの考えを見透かしているようでもあった。それでも今の龍麻達には他に手がない。龍麻がすべきは、まずは本堂の入り口から柳生を引き離すことだ。
龍麻の後ろを気配が駆け抜けていく。それは龍麻がよく知る仲間達のものだ。京一と劉の牽制がうまくいっているようで、鬼達の攻撃は二人と自分にのみ向けられているようだ。それでも数の不利はある。今の内に敵を減らさなくてはならない。本命の柳生を警戒しながら、だ。
柳生の攻撃がないのを確認して、龍麻は再度炎《氣》を練ると、自分の両脇へ向けて放った。まだ残っていた煙の向こうから、いくつもの悲鳴が上がる。戦果を見ず、感じ取ってから、龍麻は一度、動きを止めた。やはり柳生は何もしようとしない。周囲の雑兵が京一達と戦っているというのに、それも無視していた。
「いつまで、そうやって逃げ回るつもり?」
ゆっくりと、本堂へ上がる階段の前に移動しながら、龍麻は柳生を見た。刀を構えることもなく、ただこちらを見ていた柳生は鼻で嗤う。
「逃げる、だと? 格下相手に逃げる理由など、どこにもありはせぬわ。貴様が俺との戦いに専念できるように、待っていてやったのだ」
親切なことだ、と胸中で独り言つ。しかし、やはり柳生は自分に固執している。野望に邪魔な存在だというのなら、さっさと片付けてしまえばいいのだ。だというのに柳生はそれをしようとはしない。その理由に思い当たる節はあったが、今の自分には関係ないことだ。
「それはご親切に。でも、もう待ってくれなくていいよ」
拳に《氣》を乗せ、龍麻は構える。
「お前はここで斃す。《器》は葵達が止める。それで全てが終わる」
「死に急ぐか。貴様に俺を止めることなどできん。気付いているのではないか?」
柳生もまた、ゆっくりと歩きながら言った。
「既に龍脈の《力》は我が《器》へと流れ始めている。大いなる龍の《力》を得た者に、たかがヒトが敵うはずもなかろう。龍脈は貴様ではなく、我が《器》を選んだのだ」
「さて、それはどうかな。《器》と言っても紛い物。どんな不具合が出るかわかったものじゃない。それこそ、ただのヒトに敗れることだってあり得るんじゃない?」
柳生の言うとおり、龍脈、というか龍穴からの《氣》は《陰の器》へと向けられているようではある。ただ、自分にそれが全くないのかと言えば、答えは否だ。僅かではあるが、自分に流れ込む《氣》があるのを龍麻は感じ取っていた。それに、この地に溢れ出した《氣》は全ての《力》ある者に作用しているようでもある。柳生も同様なので、それが全てこちらの有利に働いているとは言い難いが、消耗具合はいつもよりマシになるだろう。そして、《器》の方も、四神がいる以上、うまく立ち回れるはずだ。
「いずれにせよ、この戦いで終わらせる。たかがヒト、と侮った存在の力、見せてやる」
「せいぜい足掻け。そして苦しみ、絶望の底まで堕ちていくがいい」
ここで初めて、柳生は戦闘態勢をとった。構えこそ見せないが《氣》を放ち、龍麻と対峙する。柳生の刀に宿った《陰氣》が、まるで炎のように揺らいでいた。かつて自分を斬った時と比べても、強い《氣》だ。こちらから視線を逸らさぬまま、柳生は本堂の正面へと移動する。位置的には、龍麻が柳生と入り口に挟まれたような形だ。もっとも自分で言うなら、これは柳生が不意を衝いて本堂に侵入するのを防ぐ形でもある。
「そして貴様は修羅となる。俺が望む世界に生きるに相応しい修羅の鬼にな」
「ふざけんな。そんなこと、させねぇよ」
柳生の後ろから声がした。それは勿論、京一の声だ。気配を探ると、どうやら劉も一緒らしい。他の気配――鬼と剣鬼のものは一切無い。それ程時間が経ったわけでもないのに、全滅させてしまったようだった。
「せや。わいらも、アニキも、お前の思惑に乗る程お人好しちゃうで」
僅かに残った煙の向こうから、京一は柳生の右後方、劉は左後方に進み出る。あれだけの数を相手にした後なら息を切らせていてもおかしくないというのに、そんな様子は全く見せていない。
「ひーちゃんはなぁ、うまいメシ作ってくれて、美里とのことでからかわれて赤くなってるくらいが丁度いいんだ。修羅の鬼だぁ? そんな血生臭そうなモンにされてたまるかってんだ」
(後半はともかく、前半部分には異を唱えたいんだけど……)
京一の物言いに、それでも心の中で感謝しつつ、龍麻は柳生を見据えた。一方の柳生は、振り向きもせずに言い放つ。
「雑魚に用はない。失せろ」
「そうつれない事言うなよ。俺達だって、ただここにいるだけじゃねぇんだ」
伏姫の刀に《氣》を宿し、京一は切っ先を向けた。
「雑魚だと思て甘く見てると、怪我するで。怪我程度で済ます気ぃはないけどなぁ」
口元を引きつらせながらも、挑発に乗ることなく、劉が蒼光を放つ七星剣を構える。
「さあ、そろそろ始めようか」
龍麻は拳を胸の前で合わせた。練り上げ、黄龍甲に込めた《氣》が干渉し、小気味いい音を立てる。
柳生は刀を持ち上げ、峰を肩に乗せるようにした。柳生の姓を持つのだから、流派は心陰流だろうが、それは剣術の構え、というものではない。それなのに威圧感は一気に増した。中央公園の時とは違い、龍麻を斬ることを意識しているのが分かる。物ではなく、斬るべき敵として認識しているのだ。
再び柳生の《陰氣》に呑まれそうになる。このまま何もせぬまま対峙していれば、間違いなく呑まれるだろう。
「行くぞ、柳生っ!」
その恐怖を振り払うように叫び、龍麻は地を蹴った。
龍麻達の援護を受け、醍醐達は全員が本堂内へと飛び込んだ。入り口付近で一旦止まり、態勢を整えながら周囲を警戒する。
「な、何だここは……?」
辺りを見ながら醍醐は呟いた。言うまでもなく、そこは寛永寺の本堂の中だ。ただ、その広さが外から見たものと違うのである。明らかに広い。外観から判断できる広さの優に五倍以上。天井も高く、要所に配置されている蝋燭の灯りも届いていない。
「ここは本堂の中であると同時に結界の中でもあるんだろう。いや、本当の本堂かどうかは疑わしいが」
如月はそう意見を述べた。入り口が結界の境であったのならば、かつての等々力不動の入り口や、富岡八幡宮のように、別空間に繋がっていてもおかしくはない。
「でも、結界はひーちゃんが秘拳で壊したんじゃないの?」
「多分、龍麻くんが壊したのは侵入を防止する結界だと思うわ。柳生は本堂の外側と入り口の二カ所に結界を張っていたんじゃないかしら」
首を傾げた小蒔の横で、葵が予想を口にした。少なくとも、ここが本来あるべき寛永寺の本堂であることはあり得ない。今この場にいる者達の中で、実際の本堂内の様子を知る者は一人もいないだろうが、それくらいは分かる。
「それよりも、今は《器》デース。時間、多くありまセーン」
異様な光景を前に忘れていた本来の目的を思い出させるように、アランが言った。しかしそれを捜す必要はなかった。
醍醐達の正面。闇の奥に浮かび上がる紅い影があった。それは一見、学生服のような物を着ている、銀の長髪という普通ではお目にかかれない髪を、後ろに流した男。
それが《陰の器》であることは明らかだった。この場にいることが、そして柳生に匹敵する禍々しさと、彼を凌駕する膨大な《陰氣》がそれを証明している。
気圧され、動くことを忘れた醍醐達を嘲笑うように、くぐもった声が本堂内に響いた。
「我が名は渦王須――」
混沌を名乗った男は、片手を胸の辺りまで持ち上げた。それに応えるように、周囲の闇が揺らめく。
「我は全てを統べし者――」
床から、柱から――闇が這い出してきた。それは次第に濃くなり、人の形を成す。これまで、そしてここに来るまでにも散々目にしてきた。つまり、鬼だ。
「我が名は渦王須――太極を知り、森羅万象を司る――」
銀髪の男の目はどこか虚ろで、はっきりとした意志のようなものが感じられない。龍脈を制するという《力》を得た者を思いのままに操る、それが柳生の考えであろうから、もしかしたら意志は奪われているのかも知れない。ただ《力》を使うことのみを望まれ、造られた人形。彼にも人としての人生があったのだろうかと、ふと醍醐は考えてしまう。
(もしも柳生に目をつけられていなかったら、普通の生活を送っていたのだろうか?)
考えても仕方ないことではあるが、それでも考えてしまった。彼が普通の人であったのなら、柳生の犠牲者なのだ。それを自分達は斃さなくてはならない。
僅かな違和感、引っかかりを醍醐は感じるが、そんなことを感じている余裕はすぐになくなった。
渦王須の《陰氣》が、はっきりとこちらに向けられたのだ。台風の中に投げ出されたように、強風ならぬ《陰氣》の波が叩きつけられる。不快感がこみ上げ、嫌な汗が浮かび上がるのが分かった。身体が重く感じられ、思うように動かない。今までに死線をくぐり抜けてきたという自信にヒビが入る――それ程のプレッシャー。
ふと、自分の右腕に新たな重みが加わる。見るとそこにあったのは小さな手だった。小刻みに震えるその手は自分がよく知る少女のものだ。もう一方に持っていた弓を抱くようにして、蒼ざめた顔をしている。程度の差こそあれ、この場にいる者は皆、同じ状態のようであった。
「知恵の精霊に護られし変成の印よ、私達の衣となれ!」
そんな中で声が響いた。と同時に、重圧が弱まる。あれだけの不快感が、ほとんど感じられない。行動には何の支障もなくなっている。自分を、自分達を包んでいるのは光。《陰氣》を阻む光の加護だ。それをしたのは仲間の一人。長い黒髪を持つ少女だった。肩で息をしながら、やや色の悪くなっている顔を、それでも奥の紅い影に向けている。この状況下で一番辛いのは、《陰氣》に過敏な彼女だというのに、それでも自分を後回しにして、こちらを優先的に護ってくれたのだ。
(やれる……いや、やらねばならん!)
手を強く握って拳を作り、《氣》を込める。そして叫んだ。
「如月は俺と前に! アランはマリィと一緒に後衛の護衛と前衛の援護を! 美里と桜井はいつも通りに頼む!」
返事を待たず、醍醐は前に出る。現状を打破するために。今も戦っている仲間達のために。
狙いを定め、手を離す。放たれた矢は光弾と化し、鬼の額を貫いた。崩れていく鬼には二度と視線を戻さず、次の矢を番えて目標を捜す。前線で敵を食い止めている命なき兵隊達と、その隙間を縫うようにして敵を迎え撃つ仲間達。その者達の更なる隙間を見つけ、雛乃は矢を放った。狙いを外すことなく、それは剣鬼の首へと吸い込まれていく。
次の矢を番えようと手を矢筒に回すがそこに矢はない。矢筒に収められていた矢は、全てを射尽くしていた。
「次を!」
目標を捜しながら、雛乃は叫ぶ。その直後、矢筒に確かな重みが加わった。それは補充された矢によるものだ。矢を抜き取りながら、ちらりと雛乃は視線を動かす。いるのはいくつもの矢筒を持った竜牙兵だ。裏密の命令で、雛乃の指示に従うように設定されたそれは、矢の補充係であった。
(御門様の式神の方が、精神衛生上はいいのですけど……)
そんなことを考えながら、意識を戦場に戻す。今の自分は前線の援護をする立場だ。休んでいる暇など無い。一体でも多くの敵を斃すために目標を定め、射ようとして
「大丈夫かい?」
そう、声をかけてくる者がいた。レザースーツに身を包んだ、鞭を手にした少女。藤咲だ。
「あんまり飛ばしすぎると、後が大変だよ。少しはペース配分を考えた方がいいんじゃない? 前線の野郎共だっているんだし」
「ご心配なく。如月様が用意してくれたこの矢のお陰で、消耗はそれ程でもありませんわ」
雛乃が今使っている矢は、今回の戦のために如月が用意した、特製の破魔矢だ。それ自体に加護があり、また《力》を通しやすい特別製。一矢に込める《氣》の量がいつもより少なくとも、威力は申し分ない。
ふーん、と気のない返事をした藤咲は戦場を見ていたが、突然言った。
「そんなに心配?」
瞬間、狙いがぶれた。しかし手は離してしまった後。矢は目標の頭上を飛び越え――結果としてはかなり後方にいた鬼の一体に命中した。
「な、なななな――!」
「おーおー動揺してる動揺してる」
何とか声を出そうとするが、言葉にならない。そんな自分を藤咲は面白そうに見ている。
「なっ、何を不謹慎なっ!? 今は戦闘中ですっ!」
「仲間を気遣うことに不謹慎も何もないと思うけど?」
ようやく形になった声は、その言葉で簡単に迎撃された。顔が熱くなるのを自覚する。
一体、自分は何を考えてしまったのだろうか。藤咲の言うとおり、仲間の身を案じることは不謹慎でも何でもない。それを自分は勘違い――
「まあ、あたしは劉個人のことを言ったんだけどね」
してはいなかった。藤咲はこちらを見て笑いをこらえていたが、一転して真剣な表情を作る。
「あんたは、アイツがためらってた理由ってのを知ってるんだろ? 仲間連中のほとんどは、きっと龍麻達について行きたかったはずなんだ。特に男連中はね。それなのに――ちょっと気になったもんでさ」
得物をぶらぶらとさせながら、藤咲は戦場へと身を向けた。中衛担当の彼女の出番は、現時点ではまだない。
「もし知ってるなら、教えてもらおうと思って」
自分が知っているのは、劉から聞いた話だけ。ただ
「申し訳ありませんが、個人のことなので、あまりお話ししたくありません」
女王の背に、そう声を投げた。本人の口から語られるならともかく、勝手に教えていいものではないと思ったのだ。
「ふーん。二人だけの秘密ってヤツ?」
「いいえ」
からかいを含んだ口調を、雛乃は冷静に受け止めた。
「姉様も、雨紋様もアラン様もいらっしゃいましたから。それよりも……」
不謹慎、と自分で言ったにもかかわらず、やられっぱなしなのは癪なので、言い返すが
「藤咲様こそ、蓬莱寺様のことが心配ではないのですか?」
「心配よ。当たり前じゃない」
効果はなかった。
ほんの十数分前のことを、思い出す。京一が、龍麻達と共に寛永寺へと向かった時のことを。
あの時、自分は本隊のメンバーに選ばれなかった。思ったのは二つのこと。柳生と直接戦わなくても済むという安堵。そして、京一とは別の戦場で戦うことになる不安だった。
仲間達の中で、藤咲は柳生の《力》を目にすることのできた一人だ。あの地下鉄のホームで、一人の人間を簡単に肉塊に変えた一撃を、藤咲は覚えている。何が起こったのか全く分からなかった。反応らしい反応もできなかった。あれが自分に向けられていたら、と考えると今でも鳥肌が立ち、身体に震えが起こる。だからと言って、何もせぬままでいる気は微塵もなかったので、今、ここにいる。自分は自分のできることをやろう、と思ったから。少しでも京一達の負担を減らせるのなら、それは意味のあることだから。
もう一方で、そんな柳生と戦う京一のことが頭から離れなかった。柳生の《力》を目にし、柳生の恐ろしさを直接肌で感じ、龍麻が斬られた時にはその場にいた京一だ。多分、彼は直接柳生と刃を交えることになるだろう。その結果がどうなるのか――考えれば考えるほど、不安になる。
「心配だけど、柳生の相手をするには、アイツの剣を防ぐことのできる武器を持つ連中か、龍麻が九角の相手をした時みたいに《力》で刃を受け止めることができるヤツじゃなきゃダメだろうし」
自分の戦闘スタイルは柳生戦に向かないのだ。サポート、という面でも無理がある。牽制の攻撃はできても、藤咲には柳生の攻撃を防ぐ手だてがないのだ。
それに恐らく、龍麻はあの全員で柳生を相手にすることはしないだろう。龍麻以外は、近接武器を持った三人が当たるはずだ。
「龍麻だって、その辺は分かってメンバーを配分してるよ。だったら、あたしのすることは一つさ」
己の鞭に、《氣》を込める。前線、式神や竜牙兵の間を抜け、更に前衛要員の迎撃をもうまくすり抜けてきた剣鬼が見えた。
「ここで雑魚を引きつけて、少しでも本隊の負担を減らすこと。そして、自分のオトコを信じて待つことよっ!」
先端が九条に分かれた鞭は炎《氣》を宿す。振るったそれは空を裂き、音の領域まで加速する。迫った剣鬼は打撃を受けると炎に包まれ、吹き飛んだ。
眼前に迫る鬼。その足元に向けて、今日、何度も行った動作を繰り返す。手にした手裏剣に《氣》を込めて、投擲。松明に照らされた鬼から伸びる影に、それは外れることなく突き立った。動きを封じられ、声しか放てぬ鬼に肉薄し、如月は腰の後ろに差してあった武器を抜く。それは白一色の、刀身に霊獣玄武の刻まれた忍刀。清冽な《氣》を宿すそれに、如月は己の《氣》を込めた。蒼光が一瞬宿り、次いで白銀の輝きに変化する。それを迷うことなく、鬼の脇腹に突き刺した。やや鈍い手応えとともに、刃は鬼の巨躯にもぐり込む。そのまま押し切るように忍刀玄武を抜き、如月は次の鬼へと狙いを定める。先の鬼にとどめを刺せていないことは分かっているが問題はない。鬼は術によって動きを封じられている。更には玄武の一撃によって、傷口から凍《氣》が広がりつつあった。
「うおおぉぉぉっ!」
そこに、後ろから来た醍醐が躍り出る。駆ける勢いと体重を乗せ、醍醐は跳んだ。白地に縞の模様が入った足甲に覆われた両足が、凍りついていた傷口へと突き刺さる。ばきん、と固い物が割れる音が響き、鬼の身体が砕けた。
着地と同時に醍醐は《氣》を練る。練り上げた《氣》が螺旋を描き、彼の腕に集まっていくのが如月には視えた。
手に捻りを加えることで、その《氣》に更なる回転を加え、醍醐は腕を突き出した。放たれた発剄は《氣》の渦となり、眼前にいた鬼達を吹き飛ばす。
(あれは確か螺旋掌か)
醍醐の技を見て、思い出す。戦闘スタイルの差はあれど、龍麻も醍醐も近接戦闘派だ。特に、属性変換を行わない通常の発剄は、他にも使い手がいる。発剄、螺旋掌、円空破は、手技を使う格闘家は一通り習得していたはずだ。
ここ数ヶ月、仲間達の間で行われた様々な技術交換が、今になって実を結んでいる。もちろん向き不向きもあり、全てが上手くいったわけではなかったが、手段が増えたという意味では大きな成果だった。如月自身は仲間からの直接の収穫こそなかったが、飛水に伝わる文献などを読み漁り、アドバイスなどを得ていくらかの技を身につけることに成功している。
(それが必要な事態が起きたことは遺憾だが、結果的にはよい方へ向かったか)
柳生という強大な敵との決戦を前に、戦力の底上げができたのは幸いと言うべきだろう。現にこうして今、役に立っているのだから。
ともかく今は、全力をもって任を果たさなくてはならない。ここにいる鬼達を斃し、《器》を止める。龍麻が自分達に任せた、この決戦でもっとも重要な役回りだ。
玄武を握る手に力を込める。鬼達の壁の向こう、虚ろな目をこちらへと向けている《器》を睨み、如月は更に前へと踏み出した。
龍麻の掌打が空を貫く。蒼を纏った一撃を、紅蓮の剣鬼は背後に下がってやり過ごした。その分、こちらとの間合いが縮まる。
「もらったっ!」
「食らいやっ!」
左手にいた京一と同時、劉は背中から柳生に斬りかかった。卑怯とは微塵も思わない。柳生の技量については聞いている。真正面から斬り合って、一太刀浴びせられるとは思っていないからだ。
京一が逆袈裟に伏姫の刀を、劉は右から横薙ぎに七星剣を振るう。タイミングは完璧。しかも死角からの攻撃だ。いかに柳生といえども――という考えは甘かった。
柳生は振り向くことなく、劉の剣を肩から降ろした刀で、京一の刀を左の籠手で受け止めたのだ。
(そら、アニキだって《氣》ぃ込めた手で斬撃捌いたり弾いたりするけど……剣士がそれをやるんかいなっ!?)
納得半分、驚愕半分の感想を抱いている間に、柳生は地を蹴ると、そのまま自分と京一の間をすり抜けた。
自分の剣と柳生の刀は未だ交わったまま。柳生の動きに合わせるように身を捻り、劉も軽く跳んだ。そのまま柳生の武器を抑えにかかる。同時に反対側にいた京一が、振り向きざま刀を振り抜いた。遠心力を加えた蒼の刃は、しかし再び柳生の籠手に阻まれる。忌々しげに京一が舌打ちしたのが聞こえた。
「邪魔だ――」
言葉と同時に、剣に掛かる圧力が増した。こちらが両手で持つ剣を、片手の柳生が圧し始めたのだ。対抗するように劉は力を込める。途端、その力は自分の意図せぬ方へと向いた。剣を流され、無防備な身体を柳生にさらしてしまう。ほんの僅かな隙ではあるが、柳生ならばその間に幾太刀も放てるであろう隙。まずい、と思った時にはもう遅い。
その危機を救ったのは金色の槍だ。柳生が刀を振るより早く突き出された一撃。それを防ぐ方へ、柳生は刀を使った。金色の龍の突撃を、刃を立てて受け止める――刀が砕けることはなく、龍が断たれることもない。拮抗した力がぶつかり合い、蒼と紅の《氣》が火花のように弾けた。それを機として柳生は下がり、京一も一旦退く。劉も態勢を整えて、間合いを取った。
ほんの数瞬の間の攻防だというのに、長時間戦っていたような疲労感。肉体的にも精神的にも、かかる重圧が桁違いだ。
(せやけど……やれる)
戦える。自分は自分のまま、柳生と戦えている。
どこまで戦えるのか。それが分からなかった。技量が届くのか、という意味ではない。自分が自分を保ったままで、戦えるのかという意味だ。
他の仲間達と違い、劉が戦う理由は復讐だ。故郷を滅ぼした魔人を、一族の仇を討つ。柳生個人に対する怨みや怒りの感情が、どの仲間達よりも大きい。そしてそれは、いざ刃を交える時には枷となることがある。かつて、まだ柳生を追っていた頃。その手掛かりとなる男と相対したことがあった。その時までにろくな収穫がなかった分、気は昂ぶり、頭に血が上った。結果、本来救うべき者達を、単なる障害として蹴散らしてしまった。龍麻が斬られた時もそうだ。目の前が真っ赤になり、気付いた時には柳生憎しの一念で剣を振るった。
それは、よくないことだ。戦いに身を置く者ならば、そのような時こそ冷静に動かなくてはならない。相手が自分より格上であるならば尚更だ。でなければ、死ぬ。自分だけならばまだいいが、それが原因で、仲間も危険に晒す。
それが、恐かった。逆上した自分が原因で、仲間を傷つけることになるかも知れない。足手纏いになるかも知れない。それが、不安だった。
そんな自分を、龍麻は柳生と戦うメンバーに選んだ。こちらの心情を知っていたのかどうかは分からない。戦う理由は知っているのだから、それで選んだのかも知れない。だがそれは自分を信じているからこその人選。もしも不安要素があるならば、例えこちらの心情がどうであれ、選びはしなかっただろう。彼には仲間全体のことを考えなければならないという責任があるのだ。
信じてくれた龍麻のためにも、ここで全力を尽くす。客家の一族として。そして何より――緋勇龍麻の仲間、戦友として。
手にした剣に更なる《氣》を込め、劉は動いた。
命無き戦友達の間を、剣鬼が一人抜けてきた。血走った目に狂気を宿し、禍々しい《陰氣》を纏った刀を振り上げる。真正面からの、馬鹿正直な一撃。
それが降ってくる前に、レッドは手にしたバットを振るった。自分を傷つけるであろう刃を叩く。軌道を逸らされた刀は、舗装された地面に当たって火花を散らした。
続けてバットを振るう。戦いに身を置いている時ではなく、バッターボックスに立った時の感覚で振るう。《氣》の込められたバットは唸りをあげて剣鬼に叩きつけられた。確かな手応えと共に剣鬼の身体が浮く。会心の一撃――これが野球ならば、確実にホームランだと確信できる一振りだった。
しかしこれは野球ではなく、戦闘だ。故に白球――ではなく敵は、スタンドに届くことはない。吹っ飛んだ剣鬼はその先で戦っていた味方の式神にぶつかり、陣形に僅かな隙を生んだ。
そこに流れ込む敵の一団。倒れた式神を、半ば崩れかけていた剣鬼もろとも踏み潰し、巨躯が流れ込んでくる。失敗した、と舌打ちするが、現実は動く。穴をふさごうと式神と竜牙兵が動くが、完全には止められない。
それを阻むように二つの色が飛び込んだ。一つは桃。一つは黒だ。
桃は七色に輝くリボンを手にし、振るう。その性質上、打撃に使うことはできないそれは、波打ち、たゆたい、鬼達の眼前をよぎった。その動きとリボンの輝きに眩惑され、鬼達が怯む。その隙を逃さず、桃色の影――コスモピンクが跳んだ。偶蹄目の如き華麗な跳躍。そのまま正面の鬼、その首に、横薙ぎの蹴りが叩き込まれた。続けてもう一方の足で鬼の顔面を蹴飛ばし、その反動を利用してピンクはこちらへと退く。
同調するように今度はコスモブラックが前に出た。体勢を崩している鬼の腹に、ピンクよりも速く、鋭い直蹴りが見舞われる。正確に鳩尾に突き刺さった蹴りは、鬼を後方へと押し返した。しかしブラックは止まらない。黒い影と化し、鬼達の間を駆け抜け撹乱する様は、それだけならば仲間の忍にも迫るものがあった。ブラックを敵と見なし、その姿を追おうとする鬼達。だがそれは、他への注意が逸れるという事。後方からの指令を受けたであろう式神と竜牙兵が、刃を手に一斉に斬り込む。多方向から刃を突き立てられ、頑強な鬼もさすがに耐えきれず、倒れ、崩れていった。
「悪い、ブラック、ピンク。助かったぜ」
陣形が崩れたのは自分のミスだ。謝罪すると
「なに、お互い様だ。さっきはこちらも助けてもらったしな」
「そういうこと。仲間なんだから、助け合うのは当然よ」
そう言って二人は横に並び、次の襲撃に備える。
今はまだ、式神も竜牙兵も数が揃っている。自分達は、その壁を越えてきたモノを相手にすればいい。それが現在の方針だ。仲間の幾人かは、時折その壁を越えて、最前線で戦っている。それができるなら同じようにしてもいいのだが、そこまでの自信はなかった。
何しろ、初の実戦だ。訓練という意味では旧校舎で何度も戦闘をこなしているが、やはりプレッシャーは比較にならないほど大きい。
(俺っちたちの実力じゃ、無茶はできないからな)
相手にしている敵の強さを考え、自分達の実力を考えると、飛び出していくわけにもいかないのが現実だ。《力》の扱い方を覚えたといっても、自分達コスモレンジャーは、身体能力の強化を主目的に訓練してきたし、異能があったわけでもない。方陣技というやつは、仲間内でも屈指の力を誇るが、使い所が難しい。
「なんか、中途半端だよな……」
思わず、そう漏らしてしまった。前衛要員の中では、コスモは一番戦力が低い。剣鬼はともかく鬼が相手だと、一対一では対抗しきれない。壁としての役割を担うのが精一杯なのだ。
他の仲間達は、鬼相手にも一歩も退くことなく、戦い続けている。その中には年下でありながら、自分達よりも戦える者もいた。それを思うと、果たして自分達は役に立っているのだろうかと、どうしても考えてしまうのだ。
しかし、そう考える一方で、一つだけ分かっていることがある。それは、少なくとも龍麻は自分達を認めている、ということだ。かつて、仲間に加わる際に龍麻が出した条件。相応の力量がつかなければ実戦には出さない――つまり、自分達がここに立っているのは、龍麻が問題ないと判断したからだ。
不安がないわけではないが、その期待に応えたいと思う。龍麻の判断が間違ってなかったと、証明したい。そのためにはどうすればいいか。成すべきは一体でも多くの敵を斃すこと――
(じゃ、ないんだよな)
まず考えるのは、無事でいること、だ。戦いつつも、自らを護ること。そして仲間を護ることだ。龍麻達が柳生を斃し、《器》を止めるまで、戦い抜き、無事に再会することだ。
「――っし」
レッドはバットを背負うと、代わりに珠を手にした。《氣》を込めることで発動する爆弾だ。
「ま、できることをするしかない、ってな!」
片足を踏み出し、《氣》を込めた珠を持った手を頭上へ。出した足を支点に身を捻り、もう一方の足を上げる。その足を前方へと放ちながら身を逆に捻り、連動した腕を振り下ろす。手から離れた珠は一直線に、式神達の壁の間を抜けて、鬼の顔面に直撃した。同時に弾ける光――鬼の顔が吹き飛び、巨躯が崩れていく。
「ブラック、ピンク。俺っちはしばらくこいつを使って攻撃する。お前たちは――」
振り返り、仲間に声をかける。しかし言い終える前に
「分かっている。抜けてきた連中は、俺たちで対処する」
「邪魔はさせないわ。レッドは投球に専念して――」
心得たとばかりに二人が頷いて前に出ようとした。その時だ。
「「レッドっ!」」
悲鳴に近い仲間の声。視線は自分ではなく、背後に向けられている。慌てた様子の二人に急ぎ振り向くと、そこにはこちらに向けて右腕を振りかぶった鬼の姿があった。後ろを向いたほんの一瞬の間に、式神を撃破して侵入してきていたのだ。
バットを抜くのも間に合わない。迫るのは拳ではなく、爪。鋭いそれは刃物と変わりない。《陰氣》を宿した、更に鬼の膂力による一撃だ。まともに食らえば致命傷のそれが、顔面にまっすぐ向かってくる。利き手には珠があるし、バットを抜くのも間に合わない。
「ぬお……っ!」
咄嗟に身体を捻ったことで直撃だけは避けることができたが、掠めた爪がマスクを削る。一部が砕け、バイザー部分も割れた。内側に侵入してきた夜気が、かいた冷や汗を一層冷たく感じさせる。しかしその感触に気を向けている場合ではない。戦闘は継続中で、攻撃を失敗した鬼は次の手を繰り出してくるに決まっている。ならばそれに対処しなくてはならない。先程は直線的な一撃であったことが幸いしたが、幸運がそう何度も続くとは思えない。
一旦退くべきかとも思ったが、状況はそれを許さない。ならば攻撃だが、バットは背中だ。珠も持ったまま。バットを抜く前に、鬼の二撃目がくるだろう。だから、即決した。
握った拳を繰り出す。こちらより一回り大きな鬼の顔面めがけて。そしてヒットする直前に握った拳をゆるめると、手にしていた珠をそのまま鬼の口蓋へと詰め込んだ。そこへ《氣》を込めた次撃を叩き込む。利き手でないので威力は落ちるが、目的は打撃によるダメージではない。狙いは――鬼の口の中にある珠だ。
鈍い音、そして爆発。鬼の頭は爆ぜ割れて、漏れだした炎が後続の敵にもある程度のダメージを与えた。まさしく狙い通り。大成功と言ってもいい。ただ誤算があるならば――
「い……ってぇ」
自分の拳だ。珠の爆発を至近距離で受けた拳は、さすがのスーツも破れて大火傷。それでも《氣》による強化と、先の一撃で《力》の方向が変わっていたおかげで、手の形は保たれている。鬼の頭をも吹き飛ばす一発だ。それを考えれば誤算といえども幸運の部類に入るだろうか。手以外のダメージはほとんどない。
「レッド! なんて無茶を!」
「バカ野郎! あそこは体勢を立て直すために退くべきだろう!」
ピンクとブラックが、こちらを心配しつつも怒りをあらわにする。確かに無茶をやった。その点については申し開きのしようがない。ただあそこで退いたら鬼達がなだれ込んでくる可能性はあった。それ故の、自爆まがいの行動だ。
「悪い。でも、俺っちたちの担当から敵の侵入を許すわけにはいかなかったからな」
同志に言って、レッドは自分の手から戦場に視線を移した。
仲間内には不安要素がある。それは自分達を含めた、実戦経験の浅い者達だ。本来ならば、後詰めに回すなり、最初から戦場に連れてこられなかったかもしれない者達。そんな自分達を、龍麻は戦力として数えた。だったら、できることだけでも最後までやり遂げなければ、我らが指揮官に合わせる顔がない。
「だから、やれる限りのことはする」
「それはそうだが、無茶をすることとは別だぞ」
不意に、横から声がきた。そちらを見ると、空手着姿の巨躯が一人。紫暮兵庫だ。
「紫暮師匠」
「この戦、いつまでかかるか分からんのだ。最初から飛ばしていては、後が続かんぞ」
龍麻ともう一人、コスモだけの訓練に付き合ってくれていたのがこの紫暮だ。龍麻が《力》関係の師とするならば、空手そのものを習ったわけではないが、紫暮は戦闘関係の師である。
「その割に、師匠は随分と飛ばしてるように見えるけど?」
言いつつピンクが、戦場の一点を見やった。そちらにいるのは紫暮の二重身。手当たり次第に鬼を蹴散らしていくその様は、鬼神の如きであった。
「ふん。あの程度、大したことではない」
腕を組み、不敵に笑うと、紫暮は戦場へと向き直る。《氣》を纏い身構えると、空手家は言った。
「今の俺に敵はない! 舞園さやかの歌がある限り、俺は負けん!」
ふははははと随分なハイテンションで、紫暮は戦場へと跳び込んでいった。
少しの間、何も言えずにレッドはその後ろ姿を見守る。確かに舞園は歌っているし、そのファンである紫暮にとってこれ以上のものはないのだろうが――
「別に、師匠のためってわけじゃないだろ……」
「強いて言えばみんなのため、その中でも特に一人のためだと思うけど」
「そういえば、今は歌ってるな。さっきまでは派手に敵を吹き飛ばしていたような気がしたが」
今いる場所もつい忘れ、そんなことを口にしてしまうレッド達だった。