◆『PARTY7』2000.12.26

     (^^)(^^)(^^)(^^)
うはははは。
好きだわぁ、この手の笑い。
「うわ、もう、ちょっと、そこでやめて」という綱渡り的な表現も好き。

クリスマスイブにサンタ帽子かぶって仕事したご褒美に半日代休とってふらふら出かけました。いつもは結構渋い世代のお客さんの多いちっこい劇場なのですが、冬休み&作品のせいでしょうか、間違いなく私が最年長の客でした。
なんか、浮いたわ・・・。
いやぁねぇ。ふん。

でも、これ、実際、そんなに若いヒト向けじゃあないよねぇ(笑)。
若者たちは、ぜったい面白くなかったと思うわ(笑)。
これは一部の大人にしかうけない。
予告編とは違うもん。
予告編は「今風の映像さ」ってな感じで、オバサンはついていけませんなぁ・・・なんだけど、ところがどっこい、笑いの質なんか、しーっかり古典的。くるぞくるぞ、って感じで笑かしてくれるし(えぇ、私、一人で声たてて笑っておりました・・・)。

ところが、その笑いの奥に隠されているものが、すげぇ、こわい。

人間のコミュニュケーションの問題なのね。
登場人物、誰もかれもがみーんな自分勝手で会話が成り立たない。
たとえば、自分の言動が原因で立腹した相手に対して、「僕は謝りましたよね」って怒るシーンが何度も出てきたりする。
「俺は謝ったにもかかわらず、まだ、怒ってるお前がワルイ」という思考回路なの。
「俺の『ごめんなさい』は相手に通じてないんだな。じゃあ、どういう風に説明したらいいんだろう」という方向には向かないのね。
こういうのが、全編にポロポロ散らされている。

・・・異常じゃない?
いや、それともこれが普通?
・・・・
観ていると、だんだん薄ら寒い気分になってくる。

ところが。
物語の最後がいい。
あははは、そーきたか(嬉)、という感じで、にんまりほっこり喜んでしまう。
でも、それで映画を終わらしてしまっては、ほんとに吉本新喜劇調で恥ずかしくなってしまうので、もう一ひねり(って、ひねってないが)。
そこらあたりのテレ具合も微妙で好き。

あ、浅野忠信と原田芳雄(←ってこんな字?)の掛け合いもすげぇ楽しかったです、はい。























◆『アンジェラの灰』2000.12.2

     (^^)(T_T)
アイルランド(リムリックのあたり限定?)ってこんなに陰鬱で情けない雨ばかりなのかぁ。
この雨に比べたら、日本の梅雨なんて可愛いもんだねぇ。



ロバート・カーライルは上出来。
ホント、この人はこういう役が似合う。
やっぱ、あの頭蓋骨に最低限の筋肉と皮がが張り付いただけ、という顔が好きだわ〜。
気位や理想は高いのに、生活力はゼロ。
繊細でしぶとさがない。
北アイルランド出身なのだがカトリックらしい。
そこらあたりについての世間での扱われ方もいっそう彼を屈折させる。

こんな男は、結婚なんかしちゃいけないし、まして子どもなんてとんでもない。
そんなことしたら破滅するしかない。

それなのに、
それなのに、
あんたら、いったい何人、子どもつくってんだよぉぉぉ。



で、涙がでたとこは双子が死んだとこ。
私、なんしか「死」に弱いから。
その弱さ分とロバート・カーライルの魅力を差し引いた残りの部分は、あんまりゆさぶられないんだなぁ、コレ。


もともと、こういう作りの作品(ある人物の実話にもとづいた子ども時代の回想みたいなの)は相性、悪いんですわ。
なんか「それが、どーした?」みたいに意地悪な気分になるんですよね。
「回想」が前提になると、どこか、突っ込みが甘くなるでしょ。
そこの甘えがキライ(笑)。

「むろんその理由は6歳の私にわかるはずはなかった」って、いう語りが平気で入るとこなんか、かなり不愉快。
こういうのが、全編を薄っすら覆うのがキライキライキライ(笑)。

もっというならば・・・・。
自分の過去との葛藤がみえないんだな。この回想には。
「こんなことがあった、あんなことがあった」と並べ立てるだけで終わってる。
教会で「私はこんなことをしてしまいました」と告白して悔い改めるということにしたら、帳消し(・・・すみません。信仰がないもので、この作品で神父さんに告白しているシーンなんか、こんな風にしかみえないのですわ、私)っていうんじゃないんだからさ、「こんなことをしてしまいました」とか並べ立てられてもねぇ。
「・・・・はぁ、さいですか、それはそれは・・・」という言葉しか出てこない私。


























◆『キャステイング・ディレクター』2000.11.11

そりゃもー、すんごい期待したさ。
だって、スペイシー様の金髪なのよん。
ほんと、デートにでも行くような気分で飛び跳ねながら、劇場にはいったわよ、私。

が。・・・・・・・・・・・・・・。

なんやねん、これ。




しばらくしてから気が付いて 余計いらいらした。

  これは、舞台だ。
  映画じゃない。


そんなら、はじめっからそー言ってくれよぉ、そのつもりでこっちも準備してくるじゃんかよ。
なんて、毒づいてももう、遅い。だって、私は、「映画」のつもりで、今日一日すごしてきたんだもん。



20歳前後の頃、映画より芝居に傾斜した時期がある。
生身で「そこ」で演じられる緊張感が好きで、それに比べたら、フィルムがまわっているだけの映画なんて、とてもつまんないもののように感じられた。

25歳を過ぎた頃から、芝居を観る自分のパワー不足を意識し始めた。
20歳の頃は、「今日のチケット、行けなくなったんだけど、よかったら行く?」なんて言われても、なんの支障もなくほいほい楽しめていたのに、だんだんと「何日にこの芝居を観に行く」と決めたら、何日も前から心や体のコンデションを整えておかないと、ダメになってしまっていた。
一番最近観た芝居は、2年か3年前だったか。
ぐったりして、幕間で、帰ろうかとかなり真剣に思ったりした。

舞台(生の芝居という意味で使っています)は、演る側のエネルギーに負けないくらいのエネルギーが観る側に必要なのだと思う。
若さとか怖いもの知らずからくるエネルギーもあれば、「ほら、やってみせてごらん」というような傲慢なエネルギーもあるし、針の先ほども逃さずに貪欲に楽しんでやろうというエネルギーもありだろう。
私は舞台に立って演じたことがないので、想像の世界でしかないけど、あらゆる種類のエネルギーを発する観客の前で演じるのはすごく演じ甲斐があるんじゃないかと思う。
これが緊張感だ。
エネルギーのない観客は、おいてきぼりをくらい、場内にいるにもかかわらず疎外感を味わうはめになる。


映画は違う。
少なくとも、私にとっての映画は違う。
(映画を馬鹿にするな、と言われる向きもあろうかとも思うが、そこは大目に見て欲しい。)
実際、好みの位置のシートに座って、場内が暗くなると、少しは緊張しないこともないけど、舞台のそれとは比べものにならない。そう、緊張感よりは開放感だ。



さて、この映画を観るまで、舞台の緊張感は、演る側と観る側が「生身」同士で対峙することに由来するのだとばかり思っていたが、どうもそればかりではないことに気が付いた。
物理的な制約、というのもやっぱり大きな要因なのだろうな。
観客と演じ手の物理的な距離は一定だし、効果、なんていってもライトや音楽やら、まぁ限定されている。
制約の中での表現は、それだけ取り出したらほんとは滑稽だったりするかもしれないが、そんなことは感じさせないパワーが舞台だ。

今の時代の映画には、技術的にそんな制約は存在しないといっていいと思う。
・・・・それなのに、この映画は、あえてやっているのだ。
そう、意図的にやってるとしか思えない。
視点の位置がほとんど変化しない。
あぁ、もどかしい。
なんで、そこで グイッとよらないのだぁぁ。
くぅぅぅぅ・・・・。

あのスペイシー様でさえ魅力半減。
気の毒に、メグ・ライアンなんて、「・・・・・」だ。
もちろん、「映像美」なんて言葉自体、存在しないかごとく土中深く葬り去られていた。

・・・・ずるいや、こんなの。



映画って、すっごく至れり尽くせりなんだなぁ、としみじみ思った。
だから、観る側は、基本的にそんなにエネルギーを要求されることはないんだ。その分、心持ちを自由にして、安心して楽しめるんだろうな。
そうしたくて映画館に来てるのにさ。映画の顔をした舞台なんて、ずるいや。
詐欺だね、こりゃ。






















◆『オーロラの彼方へ』2000.12.14

     (^^)(^^)(T_T)
 誰かから保護されなければ生きていけないような幼い子どもから「おかあさんがすき」と言われても、言葉どおりにうけとることができない。

 ご飯を作ってくれて、
 身の回りの世話をしてくれて、
 遊んでくれて、
 絵本を読んでくれて、
 かわいいね、かわいいね、って言ってくれて、
   ・・・・

 自分だけに対してそうしてくれる「ぼくのおかあさん」だから、「すき」でいてくれるのだろうな、と割り引いて考えてしまう。
 子どもが大きくなって、一人で生活できるようになっても、「おかあさんがすき」と思いつづけてもらえるような親であるのはすごく難しいことだと覚悟している。

 だって、子どもの自分の親に対する評価って、ホントに厳しいんだもん。


 この映画は「おとうさん」。
 
 父親の死によって、無条件に「ぼくのおとうさんだからすき」というところで終わってしまっていた父と息子の関係。
 死後30年という歳月を、オーロラの奇跡でわずか数日の間に取り返すのだな。連続殺人の犯人と闘いながらの文字どおり怒涛のような数日間。お互いを励まし合い、叱責し合いながら、「ぼくのおとうさんだからすき」とは違う信頼関係を作っていくわけだ。

 ラストのベースボールのシーンを観ながらこう思った。
 なんでもないような日常のシーンの裏には、文字通りの死闘が繰り広げられてたんだ。それがあるからこそ、なんでもない日常の幸福をかみしめられるんだよね、うん。

 映画としての出来は、なかなかだと思う。
 丁寧だし、迫力あるし。
 イヤミもない。


 でもさ、観終わってよくよく考えてみると、なんだかさみしいんだな。

 これって、普通じゃあ、こんなのぜったいあり得ない、って言ってるようなものなんだもん。
 あんな関係なんてさ、「奇跡」の中でしか築き得ない。
 
 あのお父さんなんてさ、もし死なないで、あの調子で「おとうさん」してたら、もー、なんつーかなー、ほら、「勘違い」オヤジになりそーな匂いがプンプンじゃん?フツーの息子なら、「うへーーー、勘弁してくれよぉ」って思いながら育っていって当然だわ(笑)。でも、死んでるわけだから、そこらあたりはすっとばかしてあるわけだしねぇ・・・・。
 
 ま、いいか。「奇跡」だもん。
 
 

 ところで、
私は、「子」である経験は長いから、「子」の「親」への気持ちって、いってい判るんだけど、「親」からみた「子」っていうのはどうなんだろう?
「私の子」なら、いつまでも無条件に可愛いくて「好き」なのがあたりまえなのかな。
親歴、たかだか10年少しの私は、まだまだ「無条件に可愛い」状態なんだけど、これがもう少し経つと、わが子といえども・・・、になることもあるんだろうか(笑)。






























◆『クレイドル ウィル ロック』2000.11.22

     (^^)(^^)(^^)(^^)(T_T)
『キャスティング ディレクター』が災いして、芝居絡みの作品は「なんだかなぁ・・・・」と思っていたのですが、観ちゃいました。

登場人物の扱いがすっごくいい。
ワクワクしちゃう。
街角で唄う娼婦。
ブレヒト(だと思う)と妻の亡霊に取り付かれた音楽家。
元共産主義者の腹話術士。
金持ちロックフェラー。
芸術家ーーなオーソンウェルズ。
知的で賢明な女性劇場責任者。
ムッソリーニの元恋人。
イタリア移民。
革命絵描き。
死の商人。
労働者な役者。
赤狩りの証言する窓口係。
これだけ並べ立てながらも羅列的な感じでもなく、無理やり結びつけた作為もなく、「いい感じ」なの。

階級的な(?)主張のあるような作品、という一面的な見方もありだと思うのだけど、そんな野暮なことは言わずに、「どういう立場にあろうとも、間抜けなヤツは間抜けなのよねぇ」と笑ってやればいいのだと思います。

政府から上演が差し止められて、役者組合(?)からも出演が禁止されてしまった作品を、なんとしてでも上演してやろうというラスト。
「観たい」という観客のエネルギーが劇場にあふれてる。

すっごーーい。

出ちゃいけないと言われながらも、観に来ていた「演りたい」役者が観客席で歌いだす。

ほんと、拍手しちゃいそうだった。
私は、映画を観てる人ではなく、100パーセント、劇場の観客になっていました。

あぁ、嬉しいな。
また、こんな気分で芝居を観れるときがくるかな。



























◆『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』2000.12.23

     (^^)(^^)
あら。
結構、面白いじゃん。
去年の『ゴジラ2000』が「・・・・・・・・・・・・」だったんで、相当の覚悟を決めていたのだが・・・。
うん、数段面白い。合格。



ゴジラに東京を破壊されて、なんと、現在の日本の首都は大阪っつー設定なのである。
大阪城の隣に国会議事堂があるとこなんか笑える。
そこらあたりの設定も、丁寧に説明してあるので、判りやすいし。


東海村の原発にゴジラがやってきて大暴れ、それ以降、日本では原発をつくらないということを決定。
で、その後、開発されたのが「プラズマがどーしたこーした」という夢のクリーンエネルギー(ほんまか?)。
ところが、どっこい これもゴジラの標的に。
  がおーーーーっっ
結局この「プラズマがどーしたこーした」も日本では開発ご法度となってしまう。
しかしながら、高級官僚様方がそうやすやすと「はい、さいですか」なんて引き下がるわけはない。
そう、なんと渋谷の街のど真ん中の研究施設で秘密裏に「プラズマなんとか」の研究はすすんでいたのであった。
で、やはりそこにもゴジラがやってくるのだ。
  がおーーーーっ
「何故、今、ゴジラが渋谷に?」と訝る対ゴジラ部隊の隊長。
そして暴かれる政府の犯罪。

こーゆーの、好きですわ(笑)。
高級官僚さんと研究職さんと実戦部隊さんのそれぞれのズレ具合。


で、お子たちのためには、メガギラスちゃんですわ。
こいつが、まぁ、強くてわかりやすい。
『ゴジラ2000』のオルガちゃんなんて、気持ち悪かっただけだが・・・(笑)。
メガガギラス対ゴジラのシーンは、お遊びいっぱいでほんと楽しい。
ゴジラが倒れて仰向けになっちゃうんだが、ここで、ゴジラ目線の風景が映って、お子たちはすっかりゴジラと同化してしまうという計算ですな。
メガギラスに苦戦するゴジラにドキドキのお子たち。
ゴジラ反撃のシーンでは、はい、会場あちこちから「おぉ」「すげぇぇ」「やったーー」の声があがりましたもん(笑)。


あ、そうそう「G消滅」(笑)。
最後まで席を立たずにご覧になってくださいねー。
  がおーーーっっ









































◆『コヨーテ・アグリー』2000.12.27

ま、毒にも薬にもなりませんな。

あ、おやじさんはよかったかな・・・。


























◆『シックスデイ』2000.12.28

     (^^)(^^)(^^)
正直なところ、シュワちゃん扮する主人公が自分のクローン(?)を拳銃で撃ち殺せなかったシーン、そのときは理解できなかったんですよ。
だって、クローンって、自分の「偽者」でしょ。
排除して当然、と単純に思っちゃう。
「ま、ここで殺しちゃうとお話が続かないものね」なんて思って観てたんですが・・・。

でも、よーく考えたら、自分のクローンって、完璧であればあるほど「自分」なんですよね。
「私が本物でおまえが偽者だ」というレベルの戦いを無意識に想定してしまっていた私には、なんだかとっても新鮮な展開でした。
なんていうかな、ドラえもんのポケットから出てきたのび太そっくりの人形(?)を思い出すような感じ(笑)。

笑っちゃうのが、悪者の手下のおまぬけさ加減。
殺されてもクローン技術でまたおんなじ手下を作っちゃうんだけど、なんであんなまぬけな奴をわざわざ再生するんだよぉ、もっとマシな奴はおらんのんか、あんた。




































◆『ダイナソー』2000.12.9

     (^^)
ま、水準以上じゃないっスか?
しかし、恐竜とサルって、古生物学的に同じ時代を生きていたのかどうかという疑問が残りますが・・・・。


まぁ、しかし、子どもらと映画行くと、いらん金、使いますわ(涙)。
(はぁ、来週は『ゴジラがどーしたこーした』ですわ・・・。)

ちなみに・・・。
娘(11歳)はいたく感動しておりました。
息子(6歳)は「今度はゴジラだね」といっそうの期待感を高めたようです。
私(36歳)は、まぁ退屈はしませんでした。

























◆『電話で抱きしめて』2000.12.6

     (^^)(^^)(^^)(T_T)(T_T)(T_T)
うーーー、やられたぁ。
みごとにツボにはまってしまって、ほとんど号泣状態(笑)。


巷の評判はよくないようですね、コレ。
私も、まったく期待ゼロで観ました。
朝、健康診断で、午後から娘の授業参観という日程で、仕事休みまして。
レディースデーで1000円で観れる曜日だったので、ラッキー、というわけだったんですが、時間の合うものが、コレと『チャーリーズエンジェル』『タイタス』『黒いオルフェ』(←すげぇ昔の作品らしい)。
朝から『タイタス』『黒いオルフェ』なんて気分じゃないしなぁ、『チャーリーズエンジェル』も違う意味で朝っぱらからなぁ・・だし、という消去法でコレ。
『キャスティング ディレクター』の悪夢(笑)からメグ・ライアンを救い出したい、という気持ちも働きましたし。


私は両親とは不仲な娘なんですが(笑)、あえていうなら、「父親のほうが好き!」なんですね。
で、父はまだボケるような年じゃないんですが、実家に遊びに行ったりすると、私の娘に向かって、ついつい私の名前を呼んでる。父と娘が遊んでるとこを眺めてたら、それは何十年前の父と私のまんまで、涙が出そうになります。

そういう感覚がわかる人が観たら、きっときっとボロボロです。(そんなの身に覚えのない人はつまんない作品ですから、観ないほうがいいです。)


呆けた上に心臓発作だかなんだか起こして余命いくばくかの父。
姉はバリバリキャリアウーマン(死語?)で、介護なんてせずに口ばかり。
妹は売れない女優でこれまたボーイフレンドと遊んでるばかり。
母親は離婚していて「私は母親になんかなりたくなかった」なんて言い放つ。
イベント企画会社を経営する真中の娘のケータイには、ボケた父親から電話がガンガンかかってきて、仕事もごたごた。おまけに自動車事故した相手はベンツときた。ついでに遠くへ出張中の夫はその父親を嫌っていて話にならない。
病院に見舞いに行ってベットの横に座っていると、ボケた父親に口説かれたりする。「私はあなたの娘だ」と言うと、「わしには娘などおらん」と言い出す始末。

普通につくれば、なんとも暗いお話になりそうなのだけど、そこがメグ嬢のすごいところ。
もぉ、サイコー!!
ホント、ここ2.3年の作品の中では一番!くらいの魅力度です。
でも、明るいばかりじゃなくって、きちんと過去をひきずっていて、そこらあたりの表現がまた泣かせる泣かせる。
事故の相手のお母様とメグ嬢のシーンもすっごくイイ。(事故する必然性はあんまりなかったのだが・・・、まぁそれはそれでいいか(笑))


映画ではなくTVドラマでもじゅうぶん、という感じの作品です。
わざわざ映画館までいかなくてもビデオでも問題なしです。
そして、つまんない人にはとことんつまんない。

でも、今年いちばん気持ちよく泣けた作品、なのでありました。