『シャンプー台のむこうに』
2002.4.14
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。。。。。  
 病気で治療の甲斐なく余命幾ばくもない、という状況・・・・。
 それを切り札に、かつて自分が裏切った元夫に無理難題を迫った彼女。

 なんとも爽快感に欠ける話であった・・・・。

 音楽も楽しいし、観てる最中は、それこそ「ノリ」でいってしまうのだが、後味がすっきりしない。



--「私には時間がないのよ」

 そりゃ、確かにそうだけど、それを言っちゃ御仕舞いじゃないかなぁ。

 ヒトの寿命なんて誰にも判らない。
 そう。朝、元気だった人が、不慮の事故で、夕方には帰らぬ人になっている、なんてこともないわけではないのだから。
 だから、たとえ、余命を宣告されていようとも、「私には時間がないの」なんて、自分で自分に言い聞かすのはまだしも、他人に向かって、他人を批判したり、自己を正当化したりするために発してはいけない言葉ではないかと思うのだ。


--「勝つためではなく、4人をファミリーにしたいの」
  
 って、女房と恋人(女)と女房に逃げられた夫と母親に置いてけぼりにされた息子の四人が、どうやってファミリーになれるのか?
 
 「彼女といっしょにならないと一生、後悔する」と思って、夫も子どもも捨てて駆け落ちしたんじゃないだろうか。彼らの批判は承知の上で。
 それを、 死の間際になって、恋人とも別れず、夫とも息子とも仲直りしたいなんて・・・。
 それが逝ってしまう人間の願いであっても、少しムシが良すぎないか? 
 余命幾ばくもないと判っているヒトは、ワガママ言っていいのかなぁ?
 うーーん。
 周りのヒトはそりゃ、なんでも叶えてあげたいだろうから、言って欲しい、という思いもあるかもしれない。 私だってそう思うだろう。
 『8月のクリスマス』のような居なくなり方をされたら、その方がよほど悲しい。
 


 もし、自分が彼女なら、あぁ、するかなぁ。

 したくない、って思いながら、同じような事をしそうだな・・・。
 「私は、もうすぐ死ぬんだ」という切り札をちらつかせて、あの人の為、とか無理やり正当化して自分のワガママを押し通してしまうんだろうな。
 
 ホントは、切り札は箱の中にしまって、最後まで使わずにおきたいんだけどね。
 そんな「死に方」をするためには、それなりの「生き方」をしなければならないんだろうけどね。
 「ワガママ」言わないですむように、毎日、大切に過ごしていけたらいいよねぇ。 

 
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