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これって、別にバレエでなくっても、よかったんじゃないのかな?
って、言うかさ、この映画で、踊りなんて、きっと添えもの程度の扱いなんだよね。
だって、主役は、あの少年くんではなく、お父さんとおにいちゃんだもん。
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ものごとを一面的に決め付けてしまうのはとてもシンプルです。
ある意味で、そういう見方は、ことの本質に肉薄できる場合が多いことも確かです。
だけど、眺めた一面とはまったく裏側に位置するようなことも、これまた大切な真実だったりします。
正直に申しますと、私はかなり、「一面的評価」な人間です。
あれこれうっとおしいのがイヤで、マルがバツで決めちゃう。
でも、マルでもバツでもないところに、人間くささというか、生活というか、そんなものがあるんですよね。
さて、この映画の凄いとこは、そういう視点、です。
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なかなか評価されている作品らしいのですが、予備知識ゼロで観ました。
も ちろん、舞台がどこで、時代がいつ、とか、まったく知りませんでした。
映画が始まってしばらくして、「あーー、もしかして、こりゃ、はずしたかなぁ」という不安が頭をよぎりました。
1980年代イギリス
炭鉱のストライキ
これに、「ダンサー」??
それって、もしかして、もしかして、
もしかしてぇぇーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・((ーー;)。
そうです・・・。
私は、あのふざけた映画、『ブラス!』を思い出してしまったのであります・・・。
お好きな方も多いようですが、私、『ブラス!』ってゲロゲロ言っちゃいそうなくらいキライなんです。
絶望しかないくせに、夢や明日がありそうに描くあの身勝手さ、無責任さ。
さらに、単純なマルかバツの人物設定。
あーいうの、虫酸が走るほどキライ。
なんていうのかな、あーゆーものを世に送り出すこと自体、罪を問われるべきではないのだろうかと思うくらいです(この類の作品として、他に『ライフ・イズ・ビューティフル』や『鉄道屋』などがあげられます)。
「・・・もしかして、これって、「ブラスバンド」が「ダンス」にかわっただけ?」
「うわーー、しまったぁ、あの『ブラス!』も世の中では大絶賛されてたけど、 これも、同じぃ?うわぁ、勘弁してくれよぉぉ。」
などと、激しい後悔の念にかられながらも、途中で席を立つわけにも行かず(そういうシステムの映画館なの)、覚悟を決めて見つづける私。
『ブラス!』の演奏も、何にも感じなかった私ですが、冒頭にも書いたように、踊りがどーしたとかいう部分は、見ててもぜんぜんつまんないです。
何も感じるものがない。
少年くんがダンサーを夢見る、つーことから、お話が展開するんですが、別に「ボクサーになりたい」でもいいし、「大病を患って医者代がかかる」という設定でも何も問題ない、という程度なんですな、これが。
そして、お父さんもおにーちゃんも、いかにも「典型」=マルかバツのような描き方。
あぁぁぁ・・・・・・・・・・、しまった。別の映画にすればよかった・・・・。
ところが。
凄いシーンがありました。
思わず、息をのみました。
警察官さんに関する描写なんですが、これは、ちょっと凄い。
まず、お嬢ちゃんが、並んでいる盾(つーのか?)を木切れか何かでタタタタタとしていくシーン。
街に立っている警官さんは人間として描かれてないんですね。
これは、場内でも笑いが漏れておりました。
確かに笑えるんだけど、街の状況の描写としては、秀逸。
ま、でも、これだけじゃ、そんなに凄くはない。
これくらいの描写なら、今までにも「観たことあるな」という程度です。
それに、これで終わらせてしまうと、それは、あまりに「一面的」です。
だけど、この後に、警察官さんたちの休憩時間のシーンがあるんですわ。
音楽ならしながら(これと、少年君のおにいちゃんの自室での様子と重なります)、キャッチボールとかしてる。
えぇ、映画のストーリーと直接関係ないし、省こうと思えば、省けちゃうようなシーンなんですけど。
これには、驚きました。
サラッと、こんなシーンが入るんですもん。
ぜったい、凄い。
炭鉱労働者の暴動になりそうなストライキを制圧しにきている公権力の象徴のような警察官さんたちも、なんだかんだっていって労働者なんだよね、というのを、わずか数秒で描いちゃうなんて・・・。
うひゃぁぁぁ。
こういうのが撮れる人って、賢くてやさしい人だわと思いましたね。
加えて、前半、意識的と思えるほど一面的な描かれ方をしていたお父さんとお兄ちゃんが、後半に、がらりと変わります。
この二人の描かれ方の魅力に比べたら、少年君なんてただのガキですわ(笑)。
私としては、もっともっとお父さんとお兄ちゃんを掘り下げて描いて欲しかったです。
えぇ、少年君が、バレエの先生の娘の部屋で誘惑されてる(?)シーンなんて、どーでもええです、時間の無駄(笑)。
少年君が家族以外と絡むシーン(バレエの先生やマイケル君)って、一見、「リアル」そうでいて、なんかうわっ滑りしてるというかな、なんかどれもつまんない。
これ、作った方も、ホントはお父さんやおにいちゃんをしっかり描きたかったのに、それでは一般ウケしないから、テキトー(笑)に少年君をもってきたんではなかろうか、と想像してしまうくらいに つまらん(笑)。
さて、スト破りをしたおとうちゃんを抱きしめて泣くお兄ちゃんの様子ももちろんいいんですが、ラストに至る描写が、滂沱です。
闘争が妥結して(労働者としては不本意な妥結)、また、仕事に戻った二人。炭鉱に下りていくエレベータの中の無言の様子が映し出されます。
以前とおんなじ。
何もいいことはありません。
毎日毎日、炭鉱の中で働くうんざりするような繰り返し。
何年も何十年もそれが続いていくんだよ、というのが、十数秒の無言のシーンで表現されるわけです。
うぅ、効くなぁ、これ。
で、場面が一転。
おや?お父さんもお兄ちゃんもぴしっと正装。
ロンドンかな?
そう、少年君25歳の晴れ舞台です。
二人の紅潮した晴れがましい顔。
もう、最後のお父さんの顔。これに尽きますね。
このためだけに、今まで生きてきたんだ、みたいな顔です。
エレベーターの中での陰鬱な無表情との対比。
少年君はバレエ学校に入って以降のお父さんとおにいちゃんの生活で、スクリーン上で映し出されるのは、先のエレベータのシーンだけなのですが、観ているものには、その一日一日まで伝わってくるようなのです。
涙涙涙。
私の性格から推し量りますと(笑)、少年君に自分の夢を託して、炭鉱で一生を終える(であろう)お父さんとお兄ちゃんの一生なんて、みじめで、愚かで、卑怯者だ、とか言い切ってしまいそうなのですが、なぜか、今回は、そういうヒネクレタ感情は微塵もございません。
こんなのもありだよな、と実に素直に思えるのであります。
これは、きっと、警察官さんたちをあーいう風に描写できる力量からくるものだと思います。
ええ、もう、じつにじつに、気持ちよく泣かさせてていただきましたです、ハイ。
でも、何度も言いますが、バレエである必然性は、ほんどないですな。(死んだお母様がその道に憧れていたことや、それに対するお父さんの想いとかがもう少し明確に描かれていればまだしも)
そこが、実に実に、惜しい(笑)。
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