(^^)(^^)(^^)(^○^)
いやぁ、笑った。
お約束的笑いがツボにはまってしまった。
1作目は、とりあえず登場人物紹介的で、あんまり面白くなかったのだけど。
これは、もう、好きだわぁ。
エミリアン君は相変わらず可愛いし、リリーちゃんもいいし。
いやぁ、こういうのもいいなぁ。
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◆『アメリカン・ビューティ』2000.5.4
(^^)(^^)(^^)(^^)
グッとえぐられるような感じで「私」の形からその中身が奪われていくのを感じる。
あれ、と思っていたら、また別のところがえぐられてなくなっている。
あちこちえぐられながらも、「あぁ、もともとの私はこんな姿だったんだ。えぐられたと思っているところは、何かがなくなったのではなく、はじめから何もなかったんだ」と、頭の隅で納得していたりする。
映画館のシートに腰掛けた時の私は、「ちゃんと(とりあえずちゃんと)中身が詰まった形と実体」を持っていたはずなのに、おかしいな。
ヘンに風通しのいいスカスカな「枠」だけになったような感じ。
ほんとは、すごく困ってしまうような状態のはずなのに、なぜか自分の空虚さや不安定さを そのまま受け入れてしまえるような妙な気分。
しかし、これ、キライな人もいっぱいいるだろうなー(笑)。
あ、スペイシー様は、たいへんよかったです。
百面相のごとき表情で楽しませてくれるのですが、娘の友人から、娘のことを聞くシーンの幸福そうな顔は、そりゃもうそれだけで涙がでるくらいによかったです。
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(^^)(^^)(T_T)
スペイシー様には申し訳ないけど、主演男優賞はラッセル・クロウにあげたい、と思ってしまった・・・・。
ラッセル・クロウとアル・パチーノの奥方が対照的なのがいい。
家族のことを一番に考えているのに奥方は何のさささえにもなってくれない男と、好き勝手してるようにみえて、しっかり奥方にサポートせれている男。
ま、結局、自分の身の丈にあったパートナーしか選べないんだろうけどね。
悪くない映画なのだけど、冒頭のシーンで乗り損ねてしまって・・・。
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(^^)(^^)(^^)(^^) (T_T)
ブロムで、娘がクィーンに選ばれたときのJウッズとうちゃんの表情!
(なぜ、その場にとうちゃんがいるのかというと、その学校の数学教師だから)
悲しいシーンじゃないんだけど、せつなくてせつなくて,一瞬で涙があふれた。
ここが、もしかしたら全編で、唯一、彼の美しい娘たちが「普通の娘」らしくはしゃいでいるシーンかもしれない。
それをまぶしそうに幸せそうにみつめるJウッズとうちゃんの顔は、『アメリカン・ビューティ』で娘の恋について語るスペイシーのあの一瞬の表情(って、わからないか、どの顔か)に匹敵するくらいすばらしい。
いや、とにかくJウッズを観るだけでも価値がある。
そりゃ、あんな美少女(長女はあまりタイプじゃないが)が5人もうちの中にいたら、とーちゃん、かーちゃんだって、かなり困ってしまうかもしれない。
そんな困った物語。
・・・まぁ、元凶はかーちゃんなんだろうけどな。
少しずつ狂っていく歯車。
気づいたときには修復不可能。
突っ込みたくなる部分はたくさんあるし(こりゃ、なんだ?誰がどうやってこんなことするんだ?とか)、出来栄え的にはいまひとつなのかもしれないけど、私にとっては、『サイダーハウスルール』と対極にあるような作品で、かなり好き。
70年代の音楽も懐かしい。
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(^^)(^^)
ジュリア・ロバーツ!
あなたのことを可愛いな とか 魅力的だな とか思ったのは、初めて。
●
どうしてたって納得いかない。
どうして、あの可愛い尼さんと いたしちゃうわけ????????
一度は、「男」として女性と結婚して子どももできた。
だけど、実は、自分は「女」だった。
本来の姿に戻るために、おっぱいも作って、「女」として生き抜いている。
というのなら、いい。
文句はない。
かっこいい、ガンバレ、と応援しよう。
でも、そうじゃないんでしょぉーーーー(ーー;)
おっぱいあるけど、おちんちんもあって、ちゃんと現役の生殖機能を維持してて、なおかつそれを使用するなんて。
それって、詐欺だわ。
でも、よーく考えたら、あのおかーさんのほうも、そーゆー状況で妊娠するにいたったみたいなのね?
なーんだ、みんな、それで いいんだ?
当事者がそれでいいんなら、文句はないわ。
あー、もー、みんな、勝手にしてちょうだいな。
どーせ、私の頭がガチガチに固いだけね。
いやいや、冷静に考えよう。
男が女を愛し、女が男を愛する、というのが 100%正しい姿か?
いや、男を愛する男もいれば、女を愛する女もいる。
ここはOKだ。
肉体(男)精神(男)が、男を愛する。
肉体(男)精神(女)が、男を愛する。
どちらでもOKだ。これも問題ない。そういう人がいても、いい。
では、二人のエステバンの父であるあのエステバンはどうだ?
肉体は男? 女?
精神は男? 女?
いや、別に、男でも女でもいいんだ、大した問題じゃない。
自分は「男だ」とか「女だ」とか、「男しか愛せない」とか「女しか愛せない」とか、そうゆうことを超越している人物というのは、存在すると思う。
でも、それはそんなことが問題にならないくらいの圧倒的な魅力を持つ人間にのみ認められるのであって、間違ってもあんなやつのことを言っているのではない。
(ああ、でも、こんなこと言ってる私の方にもじゅうぶん問題はありそうだ・・・)
別にムキになるよーなことじゃないのかもしれない。
笑ってあきれていればいいのかもしれない。
でも、なんだろう。
偽善を感じるのだ。
女性の格好をする男性でもなんでも、私は認めてるわよ、偏見なんかないわ、という物分かりのいい進歩的なポーズをとりながら、結局のところ、世間に偏見や誤解をしっかり植え付けていくような巧妙な手口。
しかし、どーも、アカデミー賞の外国語がどーしたこーした賞とは、ここのとこ相性が悪い(笑)。
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(^^)(^^)(T_T)
観てる間は浸りきるけど、映画館を出て10歩歩いたら、急速に醒(冷)める。
そういう、恋愛映画。
イヤ、キライじゃないのよ。
観てる最中は、あちこちで泣けて泣けて仕方なかった。
そりゃ、もー、浸った、浸った、どっぷり浸った。
でもねーーーーーー。
なんだかねーーーー。
「二人の死」をもって終わらせるっていうのがねーーー。
「あー、いい時に終わって ホントによかったわねー(皮肉)」ぐらいにしか思えないんだわ(笑)。
●
◆『グリーンマイル』2000.5.6
(^^)(-_-)(T_T)(T_T)
うーん、映画のシーンは泣けたなぁ。
実際、かなり入り込んでいい感じで観ていたのだけど(と言っても、背の高い看守さんがすっご〜くよくて、途中から、ほとんど、この人しか目に入っていなかったよーな気もするが・・・^^;)、なんで、あーゆーことにするかなぁ・・・。(←ラストのネタばらし)
このような作りの作品は、あんまり好きではないので、冒頭からチラリとイヤーーな予感もした。
本編の話にも、なんだかなー、というところもポロポロとあった。
そういうところがあるにもかかわらず、本編はかなり楽しめたのにな。
それだけにかなり不快。
●
(T_T)
「あぁ、これだ」と思った。
敬愛する某氏の「完璧な映画に用はない」という文章を以前、読ませていただいた。
「なんとなく、わかる・・・・。だけど、私にとってそれはどんな映画なんだろう?」と考えたけど、思い浮かばなかった。
でも、間違いなく、これは、そうではないかと思った。
私なんか、ちっともおよびでないんだもん。
私は、あちこちよそ見したり、寄り道したりしてみたいのに、丁寧に先導して道案内をしてくれる人がいて、私の横や後ろにも、迷わないように 横道にそれないように、と ぴったりと監視人がついている、こんな印象だ。
つまんない。
もちろん、万人にそうなのかというと、そうではないと思う。
これでもか、と言わんばかりに盛りこまれたあれやこれやのうちの何かに、反応する人も多いと思う。
描かれている題材が興味がない、というのではない。
描かれ様の問題だ。
しかし、そんな私のようなものへのサービスも忘れていない、としか思えないものもちゃーんと用意されている。
子どもたち。
みーんな可愛いんだもん。
これは、ずるい。
そう、私は、子どもと動物に異常なまでに弱いのである。
ペットショップで子犬を見ただけで鼻の奥がツーンとなっちゃうし、保育園の運動会の入場行進ですでに目がウルウルになるほどだ。
「これ、つまんなーい(-.-)」と明確に意識しかけると、タイミンングよく子どもが出てくるのだ。このタイミング、計算ずくとしか思えないぞ(笑)。
孤児院の子どもたちの、まぁ、健気なこと(涙)。
主人公くんも、どちらかというと、子どもの世界に入れておきたくなる種類の可愛さをもっているし。
主人公を出迎える子どもたちの表情だけで涙ぼろぼろだ。
涙目でロビーに出てきた私を他人が見たら「あぁ、感動的な映画だったんだな」と思うかもしれない。
ところがどっこい、違うのである。
私は、子どもを見て泣いた、だけだ。
あのシーンだけ見せられても同じように泣くだろう。
あぁ、こんな映画ってあるんだな・・・。
◆『ザ・ビーチ』2000.5.5
(^^)(^^)
距離をおいて見ていたら、「あれは楽園なんかじゃない」って、誰でもわかるけど、自分が今いるところが、どう楽園なのか、どう楽園じゃないのかを判っている人間なんてなかなか、いない。
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(^^)(^^)(^^)(^^)(T_T)
基本的にこの手の映画は苦手。
退屈しちゃうのだもん。
無実の罪で投獄されたボクサー・ハリケーンの実話なのね。
「実話」というのが曲者だ。
別に、その実話そのものを知りたいのなら映画なんか観ずに、ちゃんと資料(史料)をあたればいいと思う。
「実話」を映画にするには、「ほんとうはこういうこともあったんだけど」ばっさりと切ってしまわないといけないエピソードなどが、たくさんあると思うの。
だって、映画なんだもん。
そういう取捨選択をしてないのではないか、と疑いたくなるようなものは退屈で退屈で仕方ない。
私なら捨てるというものを拾ってるようなものも感覚が合わなくて、ノレない。(『インサイダー』のFAXでのやりとりシーンなんかがこれだ)
で、この『ザ・ハリケーン』、実にイイ。
肌に合う。(合わない人も多いと思う・・・)
この手の映画を退屈しないで楽しめたのははじめて。
なんだか、うれしい。
(^^)
彼女が美人であることは、一目見ればわかるじゃん。そんなのって、つまんなーーい(笑)。
実は彼女のこと、ちゃんと把握できないのよね。
???な存在。
なんでだろ。
自分がもうああいう時期の事をすっかり忘れちゃったからかな。
それとも、まだリアルに自分の中にあるものに対する近親憎悪みたいなものかな。
●
ヨットレースのシーンの「作りものぉ!」な感じや、医者、刑事、養護施設の職員のはずし具合など、思わず唸ってしまうほど絶妙。
この絶妙さは、貴重です。
だけど、だけど、だけどぉぉ!!!
許せないのは、主人公ネズミの可愛くなさ!!!!!
なんで、あんなにひどいかなぁ(ーー;)
でてくるたびに、ネズミとりか何かで捕まえてやりたいよーな衝動にかられてしかたなかったです、ハイ。
●
(^^)
なーーんか、退屈。
じーん とくるとこはいくつかあったし、鹿も笑えたんだけど・・・。
絵本のようなテンポの映画なんだもん。
もう少し、というか、もっといっぱい年をとったら、素直に楽しめるかもしれない。
●
うーん、こういうのを「痛快」って、言うかなぁ。
所詮、「枠」の中、なんだよねぇ。
だから、安心して観ることが出来る娯楽作品なんだろうけど。
イヤじゃないんだけど、衝撃的な楽しさ、っていうのとは程遠くて、別にTVドラマの枠におさまりそうな感じだなぁ。
しかし、浅野ゆうこーーーーー(涙)
他に、誰かいなかったのかなぁ・・・。
観てて、居心地が悪くてしょうがなかったです。
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(^^)(^^)(^^)
音楽シーンはどれをとっても最高!
ニヤニヤニコニコしながら観てました。
上の(^^)二つ分くらいは音楽得点。
本家の三味線おじさんなんか、いっぱいCD出してるんだ〜(観た後、CDショップで確認)、びっくり。
アイルランドのにーちゃんもカルメンもすっごく楽しい!
でも、
お話の本筋(?)には、予告編のようなパワーがないんだなぁ・・・・・。
どうしてだろ?
ナナコとフクノスケのテンションが低すぎるからなのかな?
私の好みのものがいっぱいちりばめられてはいるんだけど、心がガシッと掴まえられてしまうような感じもないし、ウヒャヒャ喜んでしまうような感じも薄いのだな・・・・。
うーーーん、なんでだ?
(^^)
あら、ピチュウ、かわいいじゃ-ん。
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(^^)(^^)(^^)
みんながみんな、それぞれ深刻な問題を抱えてるんだけど、まぁるく納まってしまう。
その納まり方がいい。
奇跡のような天変地異の力を借りるのではなく、健全でまっとうな思いが問題を解決していく。
嬉しい気分になりながらも、所詮「お伽噺」だよねー、と思う自分が情けない。
(^^)(^^)
とんでもなく疲れていました。
暑さにやられた上に仕事は滅法忙しくて、金曜日のこの日、8時半の始業から、時計を眺めては、「あと、○時間・・・」と週末の休みをカウントダウンするような状態。
仕事帰りに時間ができたので、「何か一本」と思ったけど、あまりの疲労度にこれぐらいしか無理かな、とさしたる期待もなしに選択。
はじまるまで、自販機で買ったアイスコーヒーを飲みながら、「ボーッッ」。
あぁ、こんな時間、久しぶりだぁ、としみじみ思っていると、どうも、私の他にお客さんがいないことに気が付く・・・。
この日、隣館で『シャンハイ・ヌーン』前夜祭なるものをしていたためか。
やった!映画館、独り占め!!
隣り合わせた人のことを考えて、映画館に行くときは香りものなどは使わないようにしているのだけど、今日は許していただこう。
ハンカチを取り出して香水をシュッ。
それを鼻腔にあてると、少々アブナイ風情かもしれないけど気にしないもんねー。
だって、クタクタに疲れてるんだもん。
音楽が 見える。
あー、いいなぁ。
脳の中に音が入り込んで、疲れた細胞を洗い出してくれる感じ。
そういえば、昔、しんどいとき、駐車場でカーステレオを大音量にしてマーラーを聴いてたっけなぁ。同じ感じだ。
聴覚と嗅覚の心地よい刺激でずいぶん回復した。
「音楽」の力を実感した一作。
●
(^^)(^^)
ドキュメンタリー(実際、そうなのだろうが)もしくはコンサートフィルム、として考えたら、すっごく良かった。
キューバという国の歴史と彼らの生き様をあわせ考えたら、カーネギーホールのシーンなど涙がボロボロでてきてしまう。
良かった。
しかし、残念ながら「映画」ではないのだ・・・・。
TVのドキュメンタリー番組をスクリーンでみた、そんな感じ。
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(^^)
サトシのかーちゃん&みーちゃんのとーちゃん、サトシのとーちゃん&みーちゃんのかーちゃん、とかいう四角関係だったりすると、興味深かっただろうに。
しかし、リザードン、泣かすぜ。ううっ。
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(^^)
「ホワイトアウト」って何?何かこわいものなの????冒頭から、すでに躓く私・・・。
トリックもぜーーんぜんわかんなくって、「なんなの、どうしたの?え?え?え?」といううちにクライマックスをむかえたのでした。
私のわかってなさ加減は県警のお偉いさんといい勝負くらいだと思います。
でも、あの署長さんが、よかったからね。うん。
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ビニールのピクニックシートを敷いて座っていたら、お尻に痛みを感じたとしよう。
あれ、石ころでもあるかな、と思って、シートをめくってなんとかするよね(ふつう)。
でも、ちょっと厚めのクッションでも敷いていたらどうかな。
もしかしたら、石のごつごつをちょっとは感じるかもしれないけど、「ま、いいか、これくらいい」とすましちゃうかもしれない。
もしかしたら、石ころの存在をかすかにすら感じない、ということもあるかもしれない。
残念ながら、私は、この映画からなんの痛み(というか心が揺さぶられたり動いたりすること全般)も感じないんだな。
作品に何もないのか、というと、そうではないような気がするのだけど。
超厚めのクッションが存在したかのごとく、何も感じないのだな。
自分でも「あれ、なんでだろ?」とびっくりしてしまった。
スクリーンの中の事がどんなに自分とかけ離れていても、想像することくらいはできるはずだ、と思っていたのだけど、想像しようという気力すらおこらない。
なんでかな?
ま、「合わない」と言えばそれまでだけど・・・。
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(^^)(^^)(^^)(^^)(T_T)
いやーん、なんで、こーゆーのが 好きなわけ?(笑)>自分
だれかれなく勧めることはできないのだけど、でも、コレすっごく好き。
もう1回、観たーーい(笑)。
冒頭のシーンが いい。あれだけで、登場人物についての必要な情報をちゃーんと仕入れることが出来る。おみごとおみごと。
火星からのハッピーバースデーが いい。
妻を亡くした彼の表情が いい。
宇宙船での無重力ダンスが いい。そして、その後の・・・・。あぁ、涙、涙だ。
そして、ラストだ!
火星と地球の秘密が明かされる。
あーーーーーー、なんと、そう来たかぁぁ・・・・・・・。
突拍子もないようなのだけど、ちゃーんと伏線が張ってあって、またもや、涙。
先の展開などよまず、そのシーンそのシーンを「ぉおおおお」と楽しめる方にのみ、おすすめ。
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(^^)(^^)(^^)(^^)
コナン君、かっこいーーー!!
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(^^)(^^)(^^)(^^)(^○^)(T_T)
主人公の少女の顔からして 平坦で 目も小さくって、ちっとも可愛くない。チラシを眺める限りでは、小学校の映画会で上映されても途中であくびがでてしまうんじゃないだろうかというつまんなそうな印象だ。なんたって、「文部省選定」なんていうのも、なんだかなー、である。
観るチャンスは、今まで数限りなくあったのに(なんたって、自分の勤め先のホールで上映会があったことも何度もあるのだから)、「面白いハズがない」と私はずっと敬遠していたのだ。
それは、間違いであることが判明した。
アニメのことはよくわかんないが、少なくとも私が観た日本のアニメ映画の中では一番の作品だ。
可愛い気のない少女の顔はスクリーンの中で動き出すと、びっくりするぐらいにリアルで人間臭い小学校5年生になる。(もし、これを子役が演技したら、鼻につくようなものになっていたに違いない。)
アニメーションに技術的なことはよくわからないが、きっと丁寧に丁寧に作られたものに違いない。主人公が学校から帰ってきて、オレンジジュースを飲むというなんでもないシーンが、実に素晴らしい。
ユンカースというシュナウツァー犬(人語を話し、奇跡を起こす犬だ)が、涙が出るほど可愛い。
冒頭、公園の公衆トイレで用をたし、水を流して出てくるシーンで、もう 会場中がユンカースファンになる。
犬らしいところはちゃーんと犬らしいし、人間らしいところもちゃんと人間らしい(笑)。普通の犬が、飼い主の横でなんでもわかったような顔で話を聞いていたり、心配顔して見守ってくれたりする姿を そのままユンカースがスクリーンで演じてくれるので、犬好きにはたまらない。
だけど、誤解してはイケナイ。
これは、親の離婚は子どものためにならない、と主張している映画などではない。
主人公の両親が、離婚を決めながら元のさやに収まったのは、ただ一つの結果に過ぎない。
ユンカースは、少女に「自分の気持ちを言ってごらん」と言う。
「自分のホントの気持ち」がどこにあるのか、どんなものなのかを認識するのは、大人であっても子どもであっても、簡単なことではない。
ホントの気持ちまで到達するには、嗅覚をきかせて、探し、それを隠しているモノを剥ぎとったり、穿りかえしたりしなければならない。
そうやって出てきた「ホントの気持ち」は自分でもどう扱っていいものなのか手をつけかねるものかもしれないけど・・・。
少女と両親、それぞれの「ホントの気持ち」が今回は、結果的に「ハッピーエンド」に繋がったわけだけど、もし、仮に離婚するという結末に終わったとしても、「自分のホントの気持ち」を見つけだせたという経験をした人間は、そういう哀しみを乗り越えられるんじゃないかと思う。
あー、私も、ユンカースといっしょに銭形平次の再放送を観たいな。