観音寺小誌より
当山は天王山地蔵院観音密寺といい、寺伝では聖宝尊師(理源大師)の開山と伝える。
のち、後醍醐天皇の御宇 嘉歴年中(1326〜1329)に幸宥僧都により再興された。
当寺は南児島結衆十カ寺に属し、京都御室仁和寺を本山とする。檀家は在所の吹上のみ
ならず、下津井四カ浦および近郷の通生等にも多く存す。
当観音寺は、天保十年(1840)吉塔寺僧円明によって開かれた児島霊場八十八ヶ所の
三十二番札所の他、児島西国霊場十七番、また、明治末年に定められた児島百番観音
霊場の十一番札所であり、石碑、本尊、札所額等を残す.
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観音寺本堂(客殿) 寛延三年(1750)再建 |
地蔵堂(宝歴九年)再建 観音堂(享保十六年) |
鐘櫻(江戸末期建築) 鐘は昭和三十九年に造られた三代目です。 |
毘沙門天 薬師如来 弘法大師 |
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本尊十一面観音 | 愛染明王 | 地蔵菩薩立像 | 不動明王 |
平成四年、観音堂、地蔵堂、鐘櫻三屋の屋根の総葺き替えが行われました。