2000/12/21

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平成12年11月定例会 日の丸を議場に掲揚しないことについて


◆(羽場頼三郎君) 私は,平成11年陳情第37号日の丸を議場に掲揚しないことについて,委員長報告に反対の立場で討論をさせていただきたいと思います。

 本会議場は,まず何のためにあるかということを考えたいと思います。
 言うまでもありません。この市民の代表である議員がそれぞれに,市民のためにどうすればいいのかということを真剣に考える場でございます。そして,市民のためになるということであれば,それを大前提として少数意見を尊重した上で,最終的には多数決で決定をするものであります。

 さて,議場に国旗を掲揚することが市民のためになるのかどうかということを考えますと,国旗を掲揚しなくても,市民のために議会活動をすることについては,何ら支障がございません。ただ,国旗を掲揚することにつきましては,それをすればうれしいという方もいらっしゃる。また,そうではない,うれしくないという方もいらっしゃるわけでございます。国旗に対してそれぞれにいろんな感情を持つというのは,これは自然なことであります。(「日本人か」と呼ぶ者あり)日の丸を背負ってですね,お国のために散っていった,そういう夫や息子を持つ妻や母親の気持ち,これは大変複雑なものがあるだろうと思います。

 また,国旗を見ることによりまして,これが国家主義につながるのじゃないかという感じを持たれる方もいらっしゃるかと思います。こうした国の行為によって人生を否定されたり,また先ほども申し上げましたが,家族を失ったりする。そういう感情が渦巻くのも,これもまた事実でございます。こうした人たちにとっては,国旗を見ることがつらいと,こう思われるところであります。そうした人のつらさというものも感じなければならないのじゃないかと。また,この議場に国旗があるということは,議会を傍聴に来られた市民にとっては,そのつらさも同時に感じなければならない,そういうことにもなるのではないかと思います。

 次に,議場に国旗を掲揚するかどうかが議論になりましたのはですね,ある団体──右翼団体といってもいいかもしれませんが──が陳情を出したことに端を発しているのではないかと思います。そして,これが今回取り下げられております。なぜそうしたことになったのか。これはみずから,その団体の方が不明を恥じて取り下げられたということではないと思います。陳情の形をすると,この意見が通りにくい。また,陳情を取り下げても,同じ結果が得られるという保証が得られたからではないかとも推測されます。何らかの取引があったのではないかということも想像されるところであります。こうした右翼の主張をそのまま受け入れるような市議会じゃないか,こういう市民の批判もあることも事実でございます。そうした市民の誤解や,議会に対する批判を受けるような行為は,私は慎むべきだと思います。

 ここで申し上げますが,私はこの某団体の関係者と名乗る者から,場外馬券売り場に反対をするのはけしからんということで,今,事実,脅迫めいたことをされている。ここで初めて申し上げますが,そういうこともございます。そういう経緯が明らかにならない間に,少なくともこうした市民の批判を受けるような,そういう行為は慎むべきだろうと思います。

 したがって,この議場に国旗を掲揚しないという陳情を不採択にすべきではないと考えております。

 そして,国と国民との関係を考えてみますと,国というものは,国民,市民のためにあるわけでありまして,国のために国民や市民があるわけではない。このことはもう今さら私が申し上げるまでもないと思います。しかし,世の中には,我が国は外国と違って「神の国」であるというようなことをおっしゃる方もいらっしゃる。それはその方の意見ですから,これは自由です。しかし,その意見をすべての国民に押しつけるということは,決していいことではない。国を愛する余り,国旗を大切にしなさいとかですね,国旗を掲揚しなさいということを,主張される方もいらっしゃる。これも事実でありますが,しかしこういうことは強制するものではないと思います。そうした間違いに基づいて議会が物事を決めるべきではないと考えております。

 さらに申し上げれば,日の丸を国旗として法律で定める。これもそのとおりでございますが,市議会に国旗を掲揚しなさいということまで法律で定めているわけではございません。先ほどもいろいろ反対意見がございましたが,こうした国の法律が,そうした意見の対立をもっとしろということを勧めているものでないのも,当たり前といえば当たり前です。そうした意見対立をあおるような,こういうことに加担をすべきではないと思います。

 そして,国旗を掲揚するということと国を愛するということについて考えてみたいと思います。

 私自身についていえば,国を愛することについては,ほかの皆様のどなたにも負けないものを持っていると思っております。その国を愛する気持ちというものと,先ほど申し上げましたような国旗を掲揚するということとを直ちに結びつけるものではないというふうにも同時に考えているところでございます。この国を愛するということは,どういうことかと言いますと,国というのは何か特別なものがあるわけじゃない。皆さん方,私たち,その人間,国民,市民,これが集まっているその総体が国でありますから,その総体の人間を愛するという意味においては,国を愛するということと全く同じだというふうに思っております。

 そして,この地球上に今生まれてきているということについて,非常に感謝をいたしております。自分の命がいとおしいのと同じように,人の命もいとおしいと,この気持ちを忘れてはならないと,私は自分自身に強く何度もかみしめているところでございます。

 そしてまた,ほかの国の中には……(「よし,わかったぞ」と呼ぶ者あり)日の丸に対して嫌な感じを持っているという方もいらっしゃるわけです。よく言われますが,足を踏んだ人よりは足を踏まれた人の方がその痛みを思い続ける,感じ続けるものだと思います。

 そうしたほかの国に対する配慮というものも,我々は必要じゃないかと思うところでございます。(「わかった,もうええど」と呼ぶ者あり)

 そして,もう一つよく言われるんですが,特にアメリカは,国旗を大切にしているじゃないかという意見も聞かれます。これは私もよく承知しております。しかし,これはアメリカの国情を考えれば,やむを得ないところがある。アメリカは多民族国家でございまして,常に国家,国だということを言い続けていないと,統一が図れないという事情があるわけです。我が日本は,そんなことを一々持ち出すまでもなく,この国というものを大切にしたいという気持ちは共通に持っているものだと,私は思っております。

 さて,最後になりましたが,私自身,戦後の生まれでありますから,日の丸に対してはそんなに嫌な感情というのは持っておりません。(発言する者あり,笑声)しかし同時に,日の丸に対していろんな歴史があるということについても,よく知っているつもりであります。私の一族の中にも,戦争に出かけていって傷ついたり,また命を落としたりしている者もある。そうしたことを考えると,そうした歴史も含めて,今の日の丸というものを考えるべきだと思います。だから,日の丸を見れば,ああこれはそうした歴史もあるんだから,戦争をしないという誓いを常に新たにするという,その気持ちを私は持っている。また,そういうものとして国旗をとらえている。ただ,そうした日の丸に対していろんな感情をお持ちのそういう市民の皆さんの立場というものを常に忘れてはならないわけです。この問題については,慎重な態度をとるべきだと,また多数決で物事を強引に決めるようなものでもないと考えておりますので,その意味で,この平成11年陳情第37号を不採択にするということについては反対をしたいと思います。

 以上で私の反対討論を終わります。
 どうか議員の皆様の御理解をいただきたいと,このように申し上げまして,私の反対討論を終わらせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手,発言する者あり)


2000/12/21

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