大切な家族であり、己の後継者であった末孫・昌浩を失いながらも、稀代の大陰陽師・安倍晴明は、物忌みが開けると同時に、東三条殿の左大臣邸に赴き、藤原道長を訪ねた。
そして、晴明は事の経緯を隠す事無く道長に告げた。
守りたい者を守る為、己の力を使い切って昌浩は幼い命を散らした事を。
「昌浩はその命を散らしたのか……心から冥福を祈っておるぞ」
道長の言葉に、晴明は深々と頭を下げる。そして、居住まいを直すなり。
「道長様、もう一つご報告の旨が…」
言葉に迷いながらも晴明は、数日前の真実を道長に伝えた。
安倍晴明は末孫・昌浩を己の腕に抱き締め、風将・白虎の風に乗って安倍邸の庭先に降り立った。
そこには、既に事情を知っている他の神将と共に、次男の吉昌。その妻・露樹。
そして、天一と朱雀に支えられるように佇んだ、藤原彰子姫。
『晴明様。昌浩は!?』
晴明の腕に抱かれた昌浩を見るなり、彰子はゆっくり口を開いた。
彰子の寂しげな瞳に晴明は、静かに事の真相を告げた。
『深手を負った身体では、術の威力に呑まれてしまってな』
沈痛な言葉を告げる晴明の隣に、一人の神将の気配を感じた。たくましい体躯の青年。
『紅蓮…』
『…守れなかった…』
腕に絡んだ薄布が、浅黒い血に汚れているのに気付く。
『もっくん?』
彰子に名を呼ばれ、神将の姿が小さな異形の姿に変化する。
それは、猫や犬の様な体躯をしていて、花の様な赤い模様が額にあり、耳は長く後ろに流れ、首周りには勾玉のような飾りが一巡しており、夕日の色に似た瞳は……悲しげな色をしていた。
『すまない。あいつを…昌浩を守りきれなかった』
小さな物の怪が深々と頭を下げる。
『側にいながらどうする事も出来なかった。本当なら俺が…盾になってでも、あいつを守るべき立場だった』
『…お前一人のせいではない。あの場に居た我々の責任だ』
項垂れる物の怪の横に勾陣が顕現する。彼女の瞳も悲しみと無力さに揺れていた。
『もっくん…勾陣…』
項垂れる神将を目の前に、彰子は両手で口元を隠す。そして、その瞳からは、涙が零れ落ちた。
『昌浩に伝えたい事があったのに……朝、伝えるべきだった』
感情を押さえる術を失った彰子は、その場に座り込んでしまう。
『彰子様?』
『朝の時は断言出来なかったのですが、彼女のお腹には…』
周囲が驚く中、露樹が口を開く。
『……昌浩の子が……』
露樹の言葉に、彰子の声が重なる。
衝撃的な言葉に、その場に居た全員の視線が、晴明の腕に抱えられた昌浩と、己の身体を抱き締め涙を零す彰子を交互に見渡した。
『昌浩と彰子様を示す星の間に、小さな光が見えたのはそれでか。彰子様、その蕾を散らさぬ様に頼みましたぞ』
昌浩を抱き締めたまま、晴明は身を屈めると、彰子にそっと微笑んだ。
晴明の優しい瞳に、彰子は悲しみに涙を流すのを止め、力強い瞳と笑顔で言葉を返す。
『はい』
「…生前、昌浩が大切にしておりました藤の花でございますが、この度、小さな蕾を付けまして、末孫の忘れ形見と為りました」
晴明の言葉に道長は、一瞬、驚きの表情を返す。
「藤の花に忘れ形見の小さな蕾じゃと?」
「はい、少し季節外れではありますが、来年には美しい花を咲かせてくれると思います」
「そうか。藤の花の小さな蕾が花開く事を待っておるぞ、晴明」
道長の言葉に、晴明は深く頭を下げた。
「紅蓮よ。わしの命も時機に尽きる。昌浩の魂には転生の術を施したが、次の世で昌浩が幸せに成るかまでは、わしにも想像がつかん」
「晴明、俺は、昌浩の魂がこの世に転生するのを待つ。そして、その時こそ必ずあいつを守り抜いてみせる」
安倍清明と紅蓮は、満天の空に輝く星を見上げ、次の世での昌浩の幸せを願った。
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