届け



それは、大戦が開戦してから、1400年を過ぎた頃。

合同棒術訓練を行っている神将候補生の中に、
ひときわ目立つ、長い黒髪の美少女がいた。
まだ10歳という年齢よりも大人びた、その外見はもちろんのこと、
スラリとした長身から繰り出される、きびきびとした動きは
候補生たちの中でも、際立ってレベルが高い。

その首には、本科生を表す、水色のスカーフが巻かれていた。
彼女の名前は、トライロー。

トライローは、つい先日、本科生になったばかりであった。
彼女が天空殿に上がったのは8歳の終わりの頃だから、
わずか1年と少しで本科生になったことになる。
かなり早いペースだ。

そんな彼女は、基本的に沈着冷静なのだが、
今日は、柄にもなく、緊張していた。

というのも。

今日は訓練に、視察が入るということになっていたのだ。
視察に来るのは、八大明王の筆頭、不動明王イルヴァーナ。
彼女が目標にしている、デーヴァ神軍の中核を担う神将だ。
その圧倒的なカリスマ性と実力から、『英雄』と彼は呼ばれていた。

そんな彼の助けになれるような神将になりたい。
それがトライローの子供のころからの夢だった。
そして今や、トライローの彼に対する気持ちは、
ただの憧れをとうに通り越してもいた。

いわば、淡い恋。

…もっとも、相手が雲の上の存在であるということは、
彼女は冷静に理解してはいたのだけれども。
それでおさまらないのが、恋というものの、厄介な点で。

やがて。
候補生達が、ざわめいた。

棒術訓練を行っている広場を見下ろすテラスに、
『彼』があらわれたのだ。

オールバックに逆立てた黒髪。
黒を基調にまとめた簡素な服装。
見た目の派手さは無いのに、
強い意志の感じられる黒い瞳と、 その悠然とした立ち居振る舞いで、
圧倒的な存在感を醸し出す男。

『英雄イルヴァーナ』。

出陣する時、帰還するときにチラリと見かける程度の事はあるが、
こう、面と向かって会うことは滅多にない。

候補生達は皆、手を止めて彼に注目してしまっていた。
トライローも例にもれず、手を止めて、見入ってしまう。

そんな彼らを見て、イルヴァーナは苦笑した。

「…続けろ。視察の意味がない」

そう言われて、
皆、我に返ったように、訓練を再開する。
…明らかに、先ほどまでと気合いが違う様子だが。

皆、いいところを見せようと、力が入りすぎだ。

トライローは、平常心を保つよう心がけながら、訓練を再開した。
が、どうしても、ちらちらと、テラスの方を見てしまう。

イルヴァーナはテラスの手すりに肘をつくと、
真剣な目で訓練を観察している。
その様子が、絵になりすぎていて、気になって仕方がないのだ。

と、イルヴァーナが一瞬こちらを見た。
2人の視線が交錯する。

どくん、と、トライローの心臓が跳ね上がる。
そこに、大きな隙ができる。
彼女の組み手の相手は、もちろん、その隙を見逃さない。

「…痛っ」

ゴン、という鈍い音と共に、トライローの額を棒が直撃した。
とんでもない失態だ。

顔を真っ赤に染めながら、額を押さえて居ると。

「あっはははははははは」

大きな笑い声。

見ると、テラスでイルヴァーナが腹を抱えて笑っている。

恥ずかしくて、俯いていると、
ふいに周辺が、大きくざわめいた。
顔を上げると、目の前に、イルヴァーナがいた。
何時の間にか、テラスから降りてきたのだ。

「…君が、教官ご推薦の特科生候補だね…トライロー、だっけ」

…私のことを、知っている。
トライローが嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で、はい、と答えると、
イルヴァーナはふむ、と優しい目から一転、厳しい目になる。

「…教官も甘いなあ…あと、5年ぐらいは、精神面の修行がいるね。
 戦場だったら、君、10回ぐらい死んでるよ」

そう言われて、全てを見抜かれていたことに気付く。
浮ついた気持ちも、散漫になっていた注意力も、全て。

…悔しかった。
違う、アタシの力は今日、半分も出せていない。
思わず、そう、訴えると。
イルヴァーナは、一笑に付した。

「…自らの欠点を素直に自覚できない者に、成長は無いよ」

―返す言葉がない。

「…仰る、通りです」

涙が出そうなのを、必死で堪え、
辛うじて呟いたトライローに、イルヴァーナは背を向ける。

「まあ、頑張ってよ。一応期待は、してるんだからさ」

…できれば、降三世明王あたりになってくれると助かるんだけど。

さらりと言われた言葉に、トライローは絶句した。

降三世明王、といえば、彼と同じ八大明王の一人だ。


そして、今は亡き先代の降三世明王は、
イルヴァーナとコンビを組んで、獅子奮迅の活躍をしたと聞く。

この男は平然と、その立場に、自分を指名してきたのだ。
まだ、本科生にしか過ぎない、この自分を。

言葉にできない感動を噛みしめていると。
イルヴァーナはちらりと振り返って、言い放った。

「…いや、その気になるの早すぎるよ。根拠のない話だから」

すかさず、現実を思い出させる一言を浴びせられて、我に返る。
そうだ、まずは特科生になって。
そして、つかみ取るのだ。八大明王の地位を。

「…いえ、なります。なれるように、全力で精進します」

そう、決意して、返事をすると。

「…うん、いい目だ」

イルヴァーナは、ようやく満足気に笑った。



久々のほぼ一発書きですが勢いのあるうちに。
トライロー姉様の想いよ届け。
イルの思いよ届け、ってことで。
ちなみに候補生は「予科生」→「本科生」→「特科生(一部)」
と、実力がついた順に昇格していきます。下剋上、上等。
だいたいの子は「本科生」から一般神将になるイメージ。
「特科生」はいわゆる、エリート、特進クラスですかね。
update 2012/03/05


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