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―と。 視界にゆらり、と黒い人影が入ってきた。 どくん、と、胸が鳴る。 未だおさまらない歓声の中、 1人の男が、闘技場に上がってきたのだ。 気付いた観客達の歓声が、悲鳴にかわる。 イルヴァーナだ。 「…どうせだからさ、ついでに、俺とやろうか」 目の前が真っ白になる。 これは、直々に、手合わせ願えるということなのだろうか。 「…は、はい!お願いします!」 疲れは一瞬にして吹き飛んだ、という様子で、 トライローはぺこりと一礼する。 そんなトライローをみて、イルヴァーナは意味深に笑った。 「…手加減、するのと、しないのと、どっちがいい?」 「え…?」 手加減しなければ、お話にならない。 だから、手加減するものだと思い込んでいた。 が、手加減しない選択肢もあるという。 「ねえ、どっちがいい?」 悩んだのは、一瞬だった。 「…本気で、きてください」 そう。目指す所が彼の隣ならば。 その場所の高さを知っていた方が良いに決まっている。 トライローの返事を聞くと、イルヴァーナはまたも、満足げに笑った。 「…君ならそう言うと思ったよ」 そういって、彼は、少し遠目に間合いをとり、1対の釵を取り出す。 「じゃあ、審判」 その声に慌てて、トライローも構えをとる。 それを確認して、審判は合図をした。 「始め!」 ―と。 トライローは全く動けなくなった。 イルヴァーナの雰囲気が、一変したのだ。 ―『英雄』。 彼女が憧れてやまないその頼もしい存在を、 敵の立場から見るとどうなるか。 それを彼女は身をもって思い知る。 直感的に感じる、死、という結末。 魔物のように襲い来る、殺気。殺気。殺気。殺気― 彼はただ、だらりと下げた両手に釵を持ったまま、ただ立っているだけなのに。 得体の知れない恐怖を感じる。 その謎を解くため、トライローは必死に彼を観察する。 そして、気づいた。 静かで曇りのない、決意を秘めた目。 その眼が、自分の全ての急所に、狙いを定めている事に。 相手が一瞬でも隙を作れば、急所を突き、一撃で仕留める。 そういう、戦い方をするのだ、この男は。 彼が本気である以上、 自分が動いた瞬間、あの釵で、体中の急所を突かれることになる。 一瞬、血みどろになって倒れる自分を連想する。 ―怖い。 ガタガタ、と自然に足が震えだす。 そんなトライローの様子を見て、 イルヴァーナは、ふ、と笑った。 「…やっぱり、まだ、早かったかな」 そう呟くと、トライローを射抜いていた殺気が消える。 次の瞬間、イルヴァーナが動いた。 その動きは風の様に速く、トライローには全く捕捉ができない。 見失った、と思う間もなく、イルヴァーナの蹴りで足が払われ、バランスが崩れる。 「あっ…」 あっという間の出来事で、受け身が遅れる。 石造りの床に、まともに後頭部から倒れそうになるのを、 寸前の所で、温かい腕で抱きとめられた。 「…危ない。もっと、修行してくれないと、困るよ」 そう呟いて、イルヴァーナはトライローをゆっくりと床に下ろした。 茫然と床に座り込んでいるトライローが、 はっと我に返ると、イルヴァーナはすでに闘技場を降りる所で。 「あ、ありがとう、ございました!」 そう深々と一礼すると。 イルヴァーナは後ろ向きのまま、手を振って来賓席へと戻っていく。 …ニヤつくメキラの待つ、来賓席へ。 そんなメキラとなにやら言い争っているイルヴァーナを見ながら、 トライローは、目標の遠さを再度実感していた。 まさか、動くことさえできないとは。 精神的な威圧だけで、制されてしまうとは。 『もっと、修行してくれないと、困るよ』 イルヴァーナの声が頭の中でこだまする。 ―今日から初心に戻って、1からまた、特訓だ。 そう、トライローは心に誓うのだった。 御前試合、戦時中にやってる場合か!って感じですが、やらせてみました。 ちなみにこの頃、バサラは前線にいます。バサラかわいそう(笑) この大会でトライローは見事優勝し、特科生になりました。めでたい。 update 2012/03/19 |